神学

其天職は外部より物を改革するの事業を為すに在らずして先づ心を改革し……

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耶蘇は直接に此世の国を設立せんがために来しりに非ず。其経営する所の国は即ち神の国なり。其天職は外部より物を改革するの事業を為すに在らずして先づ心を改革し、神と人の関係を一変して、而して後に自づから外部にも善き結果の現はれんことを期するに在り。基督は決して国勢を軽んじ、社会改良を蔑如し、制度理財等のことを等閑(なほざり)にせよと教らへられしにあらず。然れども其の直接に従事する所の事は斯る種類の改革に非ずして、霊性に関することにてありしなり。故に相続争ひなどに関渉(くわんしよう)し、法律上の事務に立ち入りて、権利名分を明かにするが如きは、其の敢て為さざりし所なり。然れども紛争の根原に溯り、其の本(もと)を正しうするの順序に従ひ、更に語を続け、衆人に告げて曰く、心して貧心(たんしん)を慎めよ、夫れ人の命は有(も)つものヽ豊かなるには由らざるなりと。基督は己れの利を貪り、我欲を張りて、道を乱り、徳を破ること甚だしき此世界に来り、己を虚うし、身を謙りて、十字架に死するまでも神に従ひ以て之を改革せんと欲せしものなり。人の命は有つものヽ豊かなるには由らざるなり。
    --植村正久『霊性之危機』警醒社、明治三十四年。

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明治期に再渡来したキリスト教……その主流は福音主義的プロテスタンティズムがメインストリームなのですが……の言説を今月は念入りにひもとく宇治家参去です。

本当ははやく吉野作造をまとめる必要があるのですが、月末締めの原稿で、明治期のキリスト教の言説……とくに福音主義の橋頭堡を守ったとされる植村正久(1853-1925)……で1本書かなくてはならず、格闘?する毎日です。

明治以降から特に戦前日本のキリスト教受容の特色が何かといった場合、「修養倫理」として受容されたところにそのひとつを見出すことが可能です。

たしかに、「其天職は外部より物を改革するの事業を為すに在らずして先づ心を改革」すること、すなわち根源的問題としての個人の生き方の問題を大切するわけですのでそのことを否定することはできませんし、これはあらゆる世界宗教に共通したポイントでもあるわけです。

しかし、「心の改革」から「外部」へ溢れ出していくというのも宗教のもうひとつの性質ですから、「働きかけ」の事業も必然的に勃興してきます。

日本の社会福祉事業の歩みを振り返ってみると、そのほとんどがキリスト者によって行われてきたことを勘案するならば、その「心の改革」から発する「物を改革するの事業」への飛翔にも納得するというものです。

しかしながら、現実的には、その割合というものは極めて低く(事業としての実績には割合以上に評価はなされているにもかかわらず)、全体としてはやはり、個々人の倫理・生き方としての「修養倫理」としての受容に留まった側面は否定できません。

もちろん、もともとそうした発想を持たない日本という異国で異教を宣教するということは並々ならぬエネルギーが必要とされますし、その共同体を守り抜く努力=教会形成というものもそれ以上に大切になってきますので、一概に「結果」として「修養倫理」として受容されてしまったことを否定することはできません。

しかしながら、「心の改革」とは不可避的に「物を改革するの事業」へと連結するものでもありますので、そのあたりをどのように個人のなかで伸張させていくのか……このあたりは難しい問題ですが、彼らの軌跡を辿っていくとなにかひとつの参考が見えてきそうな気もします。

植村系の福音主義は、「其天職は外部より物を改革するの事業を為すに在らずして先づ心を改革」すること、そして教会形成に重点が置かれ、どちらかというと、「物を改革するの事業」へと直結することは稀だったといえますが、対して「物を改革するの事業」へと熱心であったひとびともそれなりには存在します。

たとえば、植村と神学的には対立した海老名弾正(1856-1937)の門下や友人たちからは、多数の社会事業家、(初期の)社会主義者、そして政治家が輩出されてゆきます。もちろん海老名においても基本は「先づ心を改革」することが重点におかれているのはいうまでもないのですが、その各人における展開も重視されており、様々な活動家たちが輩出されたものです。

しかし、「物を改革するの事業」へと熱心にありすぎるとどうなるのか。その根本である「先づ心を改革」することが等閑になってしまうことも多々あり、この関係は本当に難しい……そう思われて他なりません。

以前にも論じたとおり、宇治家参去は、(こうした宗教の文脈で理想的に謂えば)教団とか組織とか団体が、何か具体的なアプローチとしてものごとをリードする時代というのはすでに終わっているという自己認識があります。

何か具体的に「物を改革するの事業」を指導・指揮することよりも、「先ず心を改革」し、そして「物を改革するの事業」に関しては、薫育された心を基礎に自分自身で組み立てていくことが大切なのかな……とは思うのですが、理想的には。

しかし、難しいですね。

どちらが先と、どちらが偉いというわけではありませんが、宗教史を振り返ってみるとそのことを至極実感します。

しかし何か具体的に「物を改革するの事業」を指導・指揮することよりも、「先ず心を改革」し、そして「物を改革するの事業」に関しては、薫育された心を基礎に自分自身で組み立てていくことが大切な気持ちは否定できません。

……って、話が錯綜してきましたが、その意味では来月からもう一度、最終的に本格的に取り組んでいかなければならない吉野作造(1878-1933)は、心と物に関して類い希なる軌跡を描いた人物であることは間違いありません。「先ず心を改革」し、そして常に「改革」し続けながらも、「物を改革するの事業」が密接にそれとリンクされ、そして自分でそのコンテンツを組み立て続けた人物なのですが、そこをもう少し読んでいくと、なにか具体的な参考・光明が見えてくるのかも知れません。

……ということで?

シルバーウィークはすべて仕事で、「をぃ!」って叫びそうなのですが、昨日は休みでしたので、“たまには”「物を改革するの事業」もしなければ! ということで夕食をつくってみました。

味の素の「Cook Do」でちゃちゃっとつくりましたが、この手の火力とスピードが勝負です!という料理は、男性の方が得意かも知れません。

細君がつくるよりも上出来で?、われながら、「これお店レベルの味やんけ!」と唸った次第です。

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愛のコミュニケーションは、動物の生活にさえ見られるのです。

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 質問 マザーは、メッセージのなかでいつでも、神と祈りについて話されます。しかし、日本では多くの人びとがクリスチャンではありません。国民の大多数がイエズスについて知りませんし、祈りについても知らないのです。私たちの悩みは、どのようにしてあなたのメッセージを伝えることができるかという点にあります。私にはどのようにしたらよいのかわらかず、困っています。
 マザー・テレサ いかなる人の心も、その奥深くに神の知識があります。すべての人びとの心の奥底には神と通じあいたい望みがあります。
 ですから、私の話すことばは真実です。というのは、私はカトリックであり、神に自分のすべてを捧げて誓願を立てたシスターとして、得たことだけを与えることができるからです。
 でも、私は誰でも、多分イエズスをのぞいて、日本の多くの方々がご自分たちの心の奥深くに神がおられることを知っておいでだと思います。そして、私たちは愛し、愛されるために創られたことも、私たちが世界のなかで一つの数として創られたのではないことも知っています。
 さらに、私たちは、ある目的のために創られたのです。その目的とは、愛であり、思いやりであり、善であり、喜びであり、そして仕えることです。
 この愛のコミュニケーションは、動物の生活にさえ見られるのです。動物のあいだにも愛があります。動物の母親が、生んだ子に対する愛を持つように、愛は私たちのなかに刻まれているのです。ですから、あなたにとってもけっしてむずかしいことではなく、あなたご自身のことばで表現することができると思います。
 しかし、どの日本人の方も、たとえその方がカトリックではなく、私が聞いているようにはイエズスの名前を聞かれたことがなくても、神が愛であり、神が私たちを愛しておられることを知っておいでなのがわかります。さもなければ、私たちはとうてい存在しないのですから。
 神は、神ご自身が私たちを愛しておられるように、私たちもお互いに愛しあうことをお望みです。そうですとも、私たちはすべて知っています。誰でも神がどれほど、自分を愛してくださっているか知っているのです。
 なぜなら、そうでなければ私たちは存在することができません。私たちが存在することの証明は、神というよりけだかく偉大な存在があり、私たちを支え守っていてくださるということになります。
    --マザー・テレサ「神の命にふれる」、(訳・監修・カトリック広報室)『生命あるすべてのものに』講談社現代新書、1982年。

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「最近読んだ本は何ですか?」

「マザー・テレサ(Mother Teresa,1910-1997)の『生命(いのち)あるすべてのもに』が善かったですねぇ。カトリックの発想は「自然神学」的嫌いがあって、バルト(Karl Barth,1886-1968)のような“神の言葉としての神学”という立場なんかからは“いかがなものか”!という雰囲気があるのですが、……でその“いかがなものか”という異議申し立てもわからなくはないのですけどねえ……。そうでありながらも、存在に対する畏敬としては、木々に宿る小鳥にまで説教したというアッシジの聖フランチェスコ(Francesco d'Assisi,1181/1182-1226)に見られるように、すてたもんじゃアないとは思うのですが……」

「そういう、“話題”でなく、なんというか、だれにでもわかるような……」

「カトリックという言葉自体が“普遍的”という意味ですから、ここでの言説はなにも特定の話題ではないと思いますし……。またひとつ付け加えるならば、還元不可能な個別の存在者……それを個性といっても良いかも知れませんが、そこを足がかりにしない限り、“だれにでも”開かれた地平には到達できないとは思うのですが……」

「宗教書とか哲学とかでなく、文学とかで何かないの?」

「う~ん。ドストエフスキイ(Fyodor Mikhaylovich Dostoyevsky,1821-1881)とか?」

「例えば?」

「ドストエフスキーって実はカトリシズムと相容れない、特にイエズス会的発想に嫌悪を抱いているんですヨ。そのあたりが『カラマーゾフの兄弟』なんかで言及されているのですが、じゃア、カトリシズムに親近感を抱く“弊職”がどうしてドスエフスキーかと申しますと……」

「枕詞が多すぎ!」

「……」

「吉川英治(1892-1962)です!、なんて答えるのが無難ぢゃないの?」

「『三国志』とか『宮本武蔵』ですってですか?」

「そうそう」

「まぢぃでしょう」

「なんで?」

「読んではいますよ!一応、若い頃に。ですけどねえ……」

「なに?」

「作品は確かに面白いし凄いんですが、ちと瑕疵があるんです。要は、軍部の翼賛報道に迎合した、ペン部隊参加という経歴があるのでねぇ……」

「もういいです」

……。

昨日は休みでした。
息子殿は幼稚園が終わるとそのまま剣道教室ですので、帰宅時間がちょいと遅い夕方です。
ですから自室で本業をしておりました。

……しかし、家人にとっては、家にいる=休みというわけですので、仕事をしている宇治家参去の後ろから、(入試の)面接の練習! ……と称して、質問をしてくるので、うえのように答えたところちょいと激怒られた次第です。

しかし、事実を羅列しているだけですので、激怒られるフシはさらさらないのですが、なにか公定・模範解答で勝負しないといけない!という風潮には、「いかがなものか」などとバルト的に戦闘モードに入る宇治家参去です。

この「学問やくざ」的なところをどうにしかないとマズイのですが、なかなか治りません。

ともあれ?

その後、質問者を演じた細君と共に、「生命は大切だ!」ということで?意見が落ちつきましたので、家で飼っているジュウシマツの「ピーチャン」の伴侶を求めに行こうということで、「ピーコ」を我が家に迎えました。

さすがに、“手乗りジュウシマツ”の異名を取る「ピーチャン」ほど、人間に慣れていなく……、どちらかといえば、人間を避けるような「ピーコ」さんですが、さすがジュウシマツ同士です。

最初は様子を伺っておりましたが、仲良くやっているようで……。

マザー・テレサのいう「私たちは、ある目的のために創られたのです。その目的とは、愛であり、思いやりであり、善であり、喜びであり、そして仕えることです」という言葉を噛みしめた次第です。

で……。

その様子をみていると細君が、

「結局、最近は、マザー・テレサ以外に何読んだの?」

……と聞くので、思い返しながら

「う~ん、ヘーゲル(Georg Wilhelm Friedrich Hegel,1770-1831)をちまちま読みつつ、論文関係で、植村正久(1853-1925)と吉野作造(1878-1933)は再読しておりますが……、そうそう、思った以上にヒットしたのが初期大乗経典のひとつ(中村元・早島鏡正訳)『ミリンダ王の問い』(Milinda Pañha/平凡社、1963年)ですかねぇ。買うだけは買っておいた一冊なんだけど、宗教的寛容とか真理の実在論をめぐる論争はかなり参考になりますヨ」

「…………」

「あのぉぉ」

「ぢゃア、仕事でなくて、純粋に読みたくて読んだものは?」

「やっぱりあれですよ、アレ。『鬼平犯科帳』かな~。再読・28回目に突入ですけどねぇ、昨日、12巻の「密偵たちの宴」まで読んだけど、やっぱふかいなア~」

「…………」

「で?」

「ゲーテとか、そのへんできちんと模範解答をつくっておくように! ドイツ文学出身なんでしょ」

……大切な宿題をもらってしまいました。

嗚呼、ピーチャンとピーコのうぶな関係がうらやましく思われて他なりません。

……ということで、最後の「秋味」でも飲んで寝ます。

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教義は、--だれかが言っているように--見ることを妨げる壁ではなく、その逆で、無限に向かって開かれた窓なのだ

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 福音が生きており、キリストご自身が望まれた聖職位階制にゆだねられている秘義としての教会への信仰の危機から、その当然の成り行きとして、教導によって示される教義への信頼の危機が生じる、とラッツィンガー判断する。
 彼は言う。「神学する主体は個々の学者ではなく、カトリック共同体一同、教会全体であることを、多くの神学は忘れてしまっているかに思える。教会への奉仕としての神学研究が忘れられてしまうと、そこから、実際はしばしば共通の伝統の基礎とはあまりかかわりのない、ある種の主観主義、ある種の個人主義である神学多元主義が生ずる。神学者はそれぞれ“創造的”であろうとしているかにみえる。だが神学者のほんとうの役割は、信共同遺産を深め、分かるように助け、告げることであって、“創造する”ことではない。そうでないと、信仰はしばしば対立する一連の学派や動向へと砕け散ってしまい、神の民を大混乱に陥れてしまうだろう。ここ幾年かに神学は、キリスト教宣教に新しい道を開こうとして、信仰と時代のしるしを調和させることに精力的に専念した。だがこの努力は、しばしば危機を解決するどころかますますそれを深刻化させてしまったと、多くの人が確信するに至った。この断定を一般化するのは正しくないけれども、だからといってそれをただひとえに否定するのは偽りであろう」。ラッツィンガーは彼の診断を続ける。「神学のこの主観的ヴィジョンでは、教義は得てして我慢のできない檻、個々の学者の自由に制約を加えるものと見なされている。ところが、教義の定義は真理への奉仕であり、神によって望まれた権威から信徒たちへ贈られたプレゼントでえある、という事実が見失われている。教義は、--だれかが言っているように--見ることを妨げる壁ではなく、その逆で、無限に向かって開かれた窓なのだ」。
    --V.メッソーリ(吉向キエ訳)『信仰について ラッツィンガー枢機卿との対話』ドン・ボスコ社、1993年。

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ほとんど寝ていないまま……、早朝から“たたき起こされ”、息子殿が入学を希望されている小学校の入試説明会に参加させて頂きました。

息子殿と細君は、一昨年来よりオープンキャンパスだとか、入試説明会にかなり通っておりますが、宇治家参去の場合、近くは一年前の入試説明会以来のことで、いつもながら……直線距離ではちかいのに、公共交通機関をつかうとそれでも1時間程度はかかってしまうので、冷戦下における旧ベルリン市に在住する西ベルリン地区のひとびとの苦労を思い起こすこと屢々です。

昨年の訪問時も、細君より忠言されたとおり、ネクタイ、スーツ……しかしWのスーツはNG……にて訪問しましたが、いやはやひどく暑かったです。

東京では33度を超え、体感的には35度ぐらいでしょうか……、風が強く、ほとんど熱風です。

しかし、鍛え抜かれた強靱な肉体のおかげで?、流れ落ちる汗などどこふく風よ!とばかりに、がんばり通すことができました。

で……。
1時間余りの説明会は、本年完成した新体育館でありました。
開始まで時間があるので、少々読書です。

昨年は、近代日本のカトリシズムの文献をひもといておりましたので、今回も、

「やはり、カトリックの文献だよな!」

……ということで、持参したのが上の引用文献です。

現・ローマ教皇(第265代)ベネディクト16世(Benedictus XVI,1927-)が教皇庁教理省長官時代のインタビュー集なのですが、これが頗る面白い!

……熱中して読んでいると、細君からまたきつい視線が……。

「あんで、こんな日にそんな本を読んでいるんだ!」

……といわんばかりですが、

「学問の自由だろう」

……などと思うのですが、いつもやられてばかりいるのでちょいと

「意趣返し」

……という部分もなくもないのですが、なんとなくバツがわるくなり、鞄へ戻し、まわりを眺めてみると、知己がちらほらと。

1月にKOで目黒を元気にするぞ!……って一緒に誓って前後不覚になるまで飲んだ莫逆のN氏もいらっしゃったようで、旧交を温めながら、すこし言葉をかわしつつ、お子様の合格を祈っていきたいものだな……など思った次第です。

宇治家参去個人としては、「なるようになる」という受験者本人に対する還元主義がどこかで機能しているので、血眼になることはまったくなく、かえって、ほかの家庭のお子様の方を応援したくなるのですが、……この感性が不思議なものですし、そこが細君からすると「薄情者!」と罵られる理由にもなるのですが、「なるようにしかない」ものは「なるようになる」わけですので、合格・不合格という問題以前として、その本人が「なるようになる」ための仕込・取り組みができれば、宇治家参去としては……十分ではないのか……などと思うのですが、そのあたりが「哲学」とか「倫理学」とかそういった学問に“憑かれた人々”の一種“浮世離れ”したところかもしれません。

さて、説明会そのものはこ1時間程度で終了ですが、冷房の効いた体育館から一歩外をでると熱風地獄!

げんなりとしつつも、創立者から参加者一同に冷たいジュースが振る舞われ、ありがたく思うとともに、いわゆる「人間教育」というのは、そうした形にならない活字にならない“配慮”だとか“賢慮”に現れてくるものでは……などと感慨しつつ、ありがたくイッキのみした次第です。

N氏と再会を約しつつ、帰路へとつきましたが、駅へと通じる、玉川上水沿いの森林にめぐまれた小径は、木立のお陰でしょうか……炎天下のグランドとかアスファルト上よりも、いくぶんか気温がひくく、汗も引くとでもいうのでしょうか、森林の持つ力もあるのでしょうが、しばし和らぎながら帰路へと足を勧めながら駅近くへ出ると、

「乗り継ぎ駅の百貨店のうえで昼食を取る? それともこのあたりでやる?」

……などと細君がきくので、

熟慮熟考していると、息子殿がこのへんで!

……というので、テキトーに蕎麦屋に……東京でテキトーにどこかへ「へえる」には蕎麦屋が定石でしょう……入りましたが、「砂場」という王道の屋号がたまりません。

こちらは、チト小腹も空いておりましたので、ハンバーグセット!……子供みたいやんケ!というツッコミはなしネ……を頂戴しましたが、息子殿は渋く、「ざる」などというので……、

「おお、大人だよな」

……などと丼物に目もくれず蕎麦道を邁進する息子殿を仰ぎ見た次第です。

そのうち

「せいろ1枚」

……などと言うのかしら?

で……。

くどくどしく、今日の炎天下を書き連ねてきましたが、はっきりいうと、何度“溶けた”かわかりません。スーツはクリーニングに出さない限り、二度と着ることのできぬ状況にまで陥っている状況であります。

ここで……

「瓶ビール」

……というオーダーをしないわけには参りません……よね!

幸い、本日は遅い夕方からのシフトに調整してもらっていたので、まよわず注文しましたが、ありがたいことに、細君が文句をいわずGoサインをだしてくれたことでしょうか。

いつもなら、「昼から“やっちゃって”」……などと酒道を“小馬鹿”にした発言が飛び出すわけなのですが、本日は、無言でOKというサインを頂き、堪能させて頂きました。
さふいえばむかし、「一杯のかけそば」という話題が耳目を引いたことがありました。
まったく文脈はことなりますが、真夏のくそ暑い昼時の「一杯のきんきんにひえたビール」ほど、“生命力”を回復させる話題はありません。

ゴキュ! ゴキュ!

……って喉を鳴らしながら、やりますと、これまで噴出していた汗がひいていくのが不思議です。

さて話がそれましたが……
物事を批判的に吟味する哲学者、共同存在としながら同時に還元不可能な存在者を探求する倫理学者、そして真理との応対関係のなかで本質を吟味しぬく神学者として「異種返し」にためにひもといたベネディクト16世(Benedictus XVI,1927-)の教皇庁教理省長官時代……ですから本名で言うと、ヨーゼフ・A・ラッツィンガー(Joseph Alois Ratzinger)時代なのですが……の文献に戻りましょう。

現代カトリシズムにおいてラッツィンガーほど評価の別れた人間は存在しないのかもしれません。カトリシズムを大きく世界に開いた第2バチカン公会議では、公会議文書『キリスト教以外の諸宗教に関する教会の態度についての宣言』の作成において貢献したとおり、進歩派の側面をもっております。

しかしそれと同時に、カトリックの伝統的な倫理思想を硬く擁護しているむきから、守旧はの元締めのように見られるフシもあり、教皇庁教理省長官就任以後、どちらかといえば、進歩派というよりもアナクロニスムな伝統主義として巷間に流布されているのが、メディア評なのだと思います。

しかし、実際に彼の文章を読んでいると進歩/伝統という二元論を貫き“撃つ”力強さと責任を感じられずにはいられません。

私見になりますが、そして宗教学・宗教学史、そして教会史を学んでいると実感するテーマが一つあります。これは後日詳論しようとおもって温めているテーマであり、その課題ひとつが、実は博士論文のテーマにもなってしまう難事ではあるのですが、結論から先取りすると、宗教は、基本的には、制度・伝統が必要不可欠であるという点です。

制度とか伝統というと、人間を引き裂いてしまう構造的暴力だ!といってしまうと、それには反対することはできません。そして歴史を振り返ってみますと事実そうです。

しかし、だからといって、それまでの伝統とか制度をロシア革命式に一気に抛擲することは不可能です。

たしかに、伝統、権威、仕組み、体制、制度といったものが、本来は「人間のため」と称しながらも「人間のため」にならなかった事例を数えあげるには枚挙に暇がありません。

しかし、そうした“仕組み”をはなれて、ひとりでなにかをしてゆかんとするのは甚だ困難であることの事例を数えあげることにも枚挙に暇がありません。

かつて宗教学者・ヨアヒム・ヴァッハ(Joachim Wach,1898-1955)は宗教とスピリチュアルの違いを論じるなかで、その「社会性」したことがあります。

宗教の両輪とは何かといった場合、宗教における社会性と、そして還元不可能な個人の内面世界になるのでしょう。

歴史においては前者が宣揚された結果、さまざま罪過を生じてしまったことは疑いのない事実です。

しかしその“反動”して後者にのみ重きをおきてしまうとどうなるのでしょうか。

まさに批判的契機を欠いた恣意性にながれるフシがあります。
そしてこれは、実は、宗教的達人というものは……これは宇治家参去自身の用語ですが、仕組みにたよらず悟りへ至れる人々……歴然として存在します。トルストイ(Lev Nikolajevich Tolstoj,1829-1910)、エマソン(Ralph Waldo Emerson,1803-1882)なんかはその代表なのでしょう。

しかし、それは達人にしかできません。

罪人@キリスト教、凡夫@仏教におけるうつろいやすい人間は、どこかでそれを矯正できる共同体抜きには、現実を超克できる視座はないのかもしれません。

だからといって既存のシステム・体制の過誤を擁護するつもりは毛頭ありません。逆に言えば、だからこそ、超克できる視座を提供すべく、たえず批判にさらされ、よりよきあり方へとブラッシュアップしていく必要があるというのが実情でしょう。

そうした共同体からはなれて、ひとり超越できるのはトルストイとかエマソンぐらいです。凡夫がやってしまうと、どうなるのでしょうか。

ヴァッハの指摘をまつまでもなく、それは、自己の相対性の吟味を欠如した内面全面論のスピリチュアル世界へと移行してしまうのでしょう。

……ってずれていますかね?

すでに飲みながらやっている……いつものとおりやん!と突っ込まないでくださいまし……わけなので議論に重みはありませんし、この問題は事後詳論するつもりですので、それまで待ってくんろ!というのが正直なところですが、結論から先取りすれば、

1.人間がなにかをめざすうえでは、それを成し遂げるための仕組みとか共同体というのもが必要不可欠である。

2.そしてそれを目論んだはずのでシステムが、かえって人間が上昇しようとする方向性を阻害してきたのが歴史であることは疑う余地もない。

3.しかしながら、人間がなにか、仕組みとか、組織……それは肯定的に表現するならば、自助を励まし薫育するシステム……を欠いて、ひとりでやってしまうと、「ひとりよがりになってしまう」のが実情でしょう。

4.であるとするならば、システムに対してはたゆまないチェックシステムをもちあわせつつ、生きている人間が開花できる体制を!

5.結局ひとりでやってしまうと“達人”をのぞき、“恣意”化してしまうわけですから

6.“恣意”でもない“ドグマ”でもない第3の道!

それが要請されているのではないだろうかと思われて他なりません。

それがおそらくラッツィンガーことベネディクト16世の発想ではないかと思われるんですよね。

たしかに歴史を振り返ると、体制が人間を歪めたことには異論はありません。だったら体制を全てぶっこわして、かってにやれやってやってしまうことにも賛同できません。

その第3の道……それを模索しているのだろう……などと読むたび思われるわけですが……、

……って結構飲んでいますが、こういう話をシラフでやると、一般民間人の細君……ちなみにワタクシも一般民間人なのですが……ウザイみたいです。

ともあれ、昼食ビールありがとうございました!!!

ついでに、息子殿、がんばってくださいまし。

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……って、以下は、蛇足ですが、

不思議なもんで、お蕎麦やさんの洋食メニューって、何故か、家庭的とでもいえばよいのでしょうか、なんとなく懐かしい味わいです。

……とともにおどろきですが、帰路の玉川上水ほとりの小径の木々で、野生?のカブトムシ(メス)に遭遇!

東京も捨てたものではございません。

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教会の名においてではなく、市民社会の一員としての自分自身の名においてであること

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 第2バチカン公会議はこのことを綱領としてうたっている。「教会はその任務と権限から見て、けっして政治共同体と混同すべきものではなく、いかなる政治体制にも拘束されるものではない。同時に、人間(ペルソナ)の超越性のしるしであり、またその保護者である」。この見地から、キリスト者の市民や政治家として自分の政治的任務を受けとめるのは教会の名においてではなく、市民社会の一員としての自分自身の名においてであることも明々白々である。
 同様に、政府の諸官庁が自らを厳正に所管の領域にのみ限定し、市民たちの信条と宗教活動に干渉しようとするあらゆる誘惑に抵抗することは、人類にとって幸せなことである。自発的に自らの権能の限界を注意深く守り、自分の目的のために教会を利用しようとすることをまったく断念している政治権力が、人びとの救いと福利、およびあらゆる階級・民族・国家・国民の正義と平和における一致のみを心がけている教会との対話に向けて自らを開くならば、それは自由をもたらしすくいに近づかせることであろう。
    --ベルンハルト・ヘーリング(田渕文男訳)『政治倫理と地上の平和』中央出版社、昭和61年。

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カトリシズムの文献を読んでいておもしろいなといつも思わせてくれるのは、神学として扱う対象が、狭義の教義学の分野に限定されていない幅広い沃野をもっていることです。

生命・物質、戦争の問題から、家庭生活、国家生活(政治・国際関係)に至るまで、いうなればどの分野にかんしてもきちんと責任ある指針、文献が用意されていることには驚くばかりです。

政治との関わりで言うならば、カトリック教会はあきらかに歴史的には成功と失敗をあじわっております。

しかし、この200年来の世俗化が進む中で、狭苦しい教会のなかに「後退」してしまうことをいさぎよしとせず、人として動くこと、そしてそうした個人を薫育する教会というスタンツをきちんと示すことが出来たのは宗教の歴史において稀有な出来事ではないだろうか……と思ってしまう宇治家参去です。

さて……そうした書物をひもときつつ、日曜日、実家へ戻る母と義母を中央線までおくると、細君と息子殿と中野で下車し、すこし旧友を廻ってきました。

『鬼平犯科帳』の長谷川平蔵@池波正太郎の青春が本所界隈だったとすれば、宇治家参去さんの青春は、まさに中野区とともにありました。

先日、大学時代の莫逆の友が語っていたことを思い出しました。
彼は高円寺に長く住んでい、結婚してから杉並区の他所へ転居しましたが、やはり青春は高円寺にあったようで、今でも往時を偲んでときおり、高円寺を丁寧にまわることがるそうな。

そうすることで、感傷を断ち切り、さあがんばろう!と元気が出てくる

……そうしたことを話しておりましたが、宇治家参去の場合も同じだったようで、細君との新婚生活をおくったのもこの地でありました。

今回は息子を連れ(本人は中野ブロードウェイにあるゲームに用事があるようでした)、すこし古巣を散策してきましたが、まさに感傷どころか元気になるとはこのことなのでしょう。

すこし往時を偲びながら、旧知と再会し、再び中野駅へむかいましたが、宇治家参去としては、ラーメン激戦区のこの地でうまいラーメンでも堪能しようと思っておりましたが、息子殿の希望でマクドナルドへ。

ちと、それががっくしです。

さて、いずれにせよ「この見地から、キリスト者の市民や政治家として自分の政治的任務を受けとめるのは教会の名においてではなく、市民社会の一員としての自分自身の名においてであることも明々白々である」というところが大切ですね!

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近頃、街中軍艦マーチが氾濫していますねえ。今朝も上智(大学)に行こうと家をでると、途中の家々のラジオでしょうか海軍マーチがなりひびいている。ところが、いつのまにか歩いているこちらの歩調テンポが軍艦マーチにあってきてしまう

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 その奇妙な平衡状態に支えられた吉満義彦と私の共同作業がある日突然やぶれる。小柄ではあるが眼が明るく大きく、晴れ晴れとした若い例の婦人が、当時としてはすでに貴重品となりかけていた紅茶とケーキを持って現れる。華やかとも感じられる雰囲気で吉満義彦と私との抽象の極ともいえる対話を中断させたままさっと立去る。その紅茶を一口のみかけて吉満義彦が突如として此の世のこと--具体的な体験を語りはじめる。
 「近頃、街中軍艦マーチが氾濫していますねえ。今朝も上智(大学)に行こうと家をでると、途中の家々のラジオでしょうか海軍マーチがなりひびいている。ところが、いつのまにか歩いているこちらの歩調テンポが軍艦マーチにあってきてしまう。半足はずしてもすぐあってくる。立ちどまるほかない。立ちどまって『スンマ・テオロジカ』(神学大全)を包みからだしてひらいて数行読むと心がおちつく。それで歩き出すと海軍マーチが聞こえてくる。私の歩調がそれにあってスタスタとどこかに向かって早足で突進してゆくような感じになる。逆むきに歩いてみても同じことで、いつのまにか自分の歩調が行進曲とかさなりあってしまう。どうもこうなると立ちどまって耳をふさいで、行進曲が終わるまで『スンマ・テオロジカ』を読みつづけるほかない環境ですね」
 あっけらかんとでもいっていいような表情で、当時としては驚天動地ともいえる言辞を突然ごく自然にいいだした吉満義彦に対して、私は散文的に
 「日本の新聞を読むことをやめました。毎日読んでいると理性が働かなくなり、何か別なものが動き出すようです。半年に一度、朝日の縮刷版を大学の図書館でまとめて読むくらいが丁度よさそうです。まとめて読むと前後が全く矛盾していて大騒ぎの虚偽の中からも真実がよみとれます」
 眼の大きな美しいともいえる若い婦人、紅茶とケーキ、明るい午後の日差し、決して豊かではなかった吉満義彦の私生活では、豪華版ともいえる取り合わせのなかで、私達はこのように貴、妙な調子できわめて現実的政治的な問答をはじめてしまったのであった。
 軍艦マーチといえば、第二次大戦中にしばしば--ほとんど毎日といってよい程ラジオを通じて演奏されたものである。所謂海軍の大戦果--不合理な虚偽の戦果が国民の感性をくすぐり理性を麻痺させながら、ふんだんにばらまかれたわけである。記憶が定かではないが、ハワイのパール・ハーバー奇襲の大戦果も、それにひきつづく、マレー沖海戦、英戦艦プリンス・オブ・ウェールズ号とレパルズ号の撃沈の報道も軍艦マーチのリズムにのせて私達にとどけられていたはずである。反ミリタリズムのリベラリストとして知られていた当時の一高校長阿倍能成、--彼はまた夏目漱石のサロンの生き残りの人材でもあったわけであるが、彼が只一度、日本軍部の実力に対して経緯を表したことがある。日米開戦、特にパール・ハーバー攻撃に対しては苦虫をかみつぶしたように不機嫌に沈黙を守っていた阿倍能成が、マレー沖海戦の戦果報道をきいて、
 「……今度は不意打ちではない。どうも日本の軍部は私が考えていたより強いのかもしれない」
 と、嬉しいのか嬉しくないのか、外側からはわからぬ茫然とした表情で彼の実感を述べたことがある。酔えば鉄道唱歌を高唱し、たぶん軍艦マーチも感性的には好きであったはずの明治の日本人阿倍能成はしかしながらしたたかな理性、温かい人間性の持主であり、その故に社会主義者、一部のキリスト教信者をのぞけば、一番日本ミリタリズムからほど遠い存在であった。その彼もおそらく耳に快い軍艦マーチのリズムにのった不意打ちではないマレー沖海戦の戦果の報道に内心実は明治の血をわかせていたのかもしれない。
 記憶というものは不思議なもので、吉満義彦とのはじめての現実的・政治的対話の内容とその際の環境--貧しかった吉満義彦としては豪華版ともいえる環境--若い婦人、紅茶の香り、明るい日差し--をはっきり覚えていながら、それが昭和何年のことであったか私は思いおこすことができない。阿倍能成を驚かしたマレー沖海戦の大勝利の頃のような早い時期であるはずはない。一九四二年(昭和十七年)夏には、吉満義彦はいまだ西谷啓治、諸井三郎、鈴木成高、菊池正士、下村寅太郎、小林秀雄、亀井勝一郎、林房雄、三好達治、都村秀夫、中村光夫、河上徹太郎らと知的協力会議をもち、近代の超克などというテーマで、何とか日本の現実と密着し、体制内にいて日本の進路を変えようと模索していた。おそらくその模索の最中か、その模索を通じて、次第に日本の病根は軍部にあるのみならず、日本の良識的知識人といわれるひとびとも頼むにたらないという事実に吉満義彦が気づいてからのことであったろう。私自身はあのときすでに東京帝国大学の理学部の学生であったはずであり、それも記憶している会話の内容から推察すると、たぶん仁科芳雄の研究グループで原子核を専攻する以前のことであったろう。いずれにしても一九四二年(昭和十七年)夏より前ではなく、一九四三年(昭和十八年)夏より遅いはずはないなどと過ぎ去った時間の一点を見定め難く想いめぐらしている次第である。
    --垣花秀武「解説--詩人哲学者、吉満義彦とその時代」、吉満義彦帰天50周年記念出版の会編『永遠の詩人哲学者 吉満義彦』ドン・ボスコ社、1997年。

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ちょいちょい忙しくまともに考察とか省察といったたぐいの内省ができず反省ひとしき……ということで恐縮なのですが、恐縮ついで?ということで、なんとなく印象批判でお茶を濁しておきます。

ちょうど月曜日、大学へ出勤する前、車中で読むため本を物色していたところ、本棚に積み重ねた本の後ろ側から、ずうぅぅっと探し続けていた文献と邂逅することができ、その本を読んでおりました。引用はそこからの一節です。

昨年年末に上程した近代カトリシズムをめぐる論文の作成過程で必要な文献でしたが、図書館にも所蔵がなく、当然絶版のよしにて、古本をさがしても4倍以上の値段がついており、その資料に眼を通すことを断念して、昨年の論文をその(1)として……拙論「吉満義彦の人間主義論 --近代批判とその神学的根拠(1)」、『東洋哲学研究所紀要』(第24号、2008年)……まとめあげてしまい、確認することができなかった点をふくめ、本年度以降その(2)としてまとめる予定にしているものですが、思いがけず出会えたことに感謝です。

その(2)執筆時にまたその文献が散逸しないよう、今度は適正にわかりやすいところに保存するほかありません。

ちなみに?今回は、その文献以上にその(1)で扱ったカトリック思想家・吉満義彦(1904-1945)に大きく影響を与えたフランスのネオ・トミスト・ジャック.マリタン(Jacques Maritain,1882-1973)の論説などを丁寧に読み始めておりますがが、この分では、3ヶ月や半年で校了できる内容ではない!と“思い切り”、紀要論文には別のネタでエントリし、その(2)は未来への宿題とした次第です。

とわいえ、その(1)執筆時に必要不可欠だった今回の文献にこんなところで邂逅できるとはめっけものです。

マリタンのフランス語文献はちまちまと読んでおりますが、その文字を立体化させる迫力を内包させているようで……。

ちなみのちなみでいうならば、吉満義彦およびジャック・マリタンの基礎となるトマス・アクィナス(Thomas Aquinas,1225-1274)も、それ以上なちまちまちまちまちまちまスピ~ドで読んでおりますが発見することが、まさに一行が百行の思いで修行として読んでおります……ので、大成するには時間がかかりそうです。

さて……この小著! すなわち、吉満義彦帰天50周年記念出版の会編『永遠の詩人哲学者 吉満義彦』(ドン・ボスコ社、1997年)ですが、全体として250頁たらずの小著で何度も読んだことがある文献ですので、往復の電車と仕事の休憩時間に再度通読できましたが、奥が深すぎ、思索の渦にはまりかけてしまった次第です。

近代日本のキリスト教宣教の歴史を振り返ってみますと……これまで日記で何度も言及している通り……それは、プロテスタントがメインストリームであったことは疑いようのない事実です。そしてその影響は現在でも多大にうけていることは否定できません。

近代以降の日本のキリスト教を語る場合、やはりどうしてもその基準はプロテスタンティズムであり、そこに「正統」を意識する節がつよく、歴史観に関しても同様で、(そしてそれはその対極にあるカトリシズムの負荷になるわけですが)ルネサンス-宗教改革をルミナスと見るならば、暗黒時代=カトリシズムという構造がどうしても払拭できず、そしてそれに輪をかけるように、近代日本のキリスト教思想家で著名な人物がほとんどプロテスタンティズムばかりであったことが後押ししてしまい、どうしても、キリスト教といえば近代以降の日本においては、ピューリタン的な「プロテスタンティズム」に限定されてしまうわけで……そこにいささかの違和感を感じてしまいます。

たしかにカトリシズムの歴史は、戦国時代のキリシタンとしてはじまります。
その歩みは主として迫害・殉教の歴史として語られ、1873年(明治6)のキリスト教解禁以降も目立ったプロテスタンティズムとの交流・対話を認めることはできません。

しかしひとつにはそうした人材がカトリシズムに存在しなかったというのもひとつの事実です。

そしてそうしたなかで、ぼつぼつと出始めて来た先駆者がハンセン病患者の福祉などに尽力した岩下壮一神父(1889-1940)なのでしょう。

そして岩下神父の人格的薫陶をうけつつ、超越と内在、現在と歴史を的確に論じ、相手がカトリックであろうとなかろうと、あらゆる人材と縦横無尽に対話できた人物が、さきに指摘した吉満義彦ではなかろうかと思います。

出会いは、修士課程の時代にであったかと思います。

ふとしたきっかけで、吉満義彦を顕照する集いとかミサに呼ばれるようになり、そしてちょうど修士論文で扱っていた近代日本の宗教学の祖の姉崎正治(1873-1949)が「余はプロテスタンティズムよりもカトリシズムを好む」という言葉に注目していた経緯もあり、勉強会やミサに参加し、著作を読み直すなかで、目をあらたにしたものです。

今回は紀要論文では、その対極に位置する明治プロテスタンティズムを代表する植村正久(1858-1925)を扱う予定ですが、この時期にこうした文献に邂逅できたことはほんとうになによりで、予定稿の植村論文にも影響を?与えてしまいそうです。

さて、吉満義彦関連の集いで、謦咳に接したのが先に引用する垣花秀武(1920-)先生の「解説」です。ご本人の記憶には、もはや宇治家参去のそれはないとは思いますが、数度勉強会に参加させていただくなかで垣花先生の師・吉満義彦に対する思いとかエピソードを伺うたびに……ちなみに余談ですが、その忘年会とかの参加のおかげで苦手な刺身・鮨の克服をできたこが今は一番の財産でしょうか!……、感嘆したものです。

とくに注目したいのはやはりなんといっても自分自身が昨年末まとめ上げた論文でもそうですが、吉満義彦自身が、日本を内在的に変革していこうとして超越の視座なんだと思います。

吉満義彦は、文学界同人の斡旋で、欧米主義を打倒する超越の視座を提示するための、知的協力会議に1942年(昭和17)に参加するのですが、どうもその文章を読んでおりますと、ほかの翼賛論者と視座がまったく違うわけでして……。

それを裏付けるレポートに10数年ぶりにであった次第です。

「違和感」ってすんごく大切だと思います。

なぜなら「歩調がそれにあってスタスタとどこかに向かって早足で突進してゆくような感じになる。逆むきに歩いてみても同じことで、いつのまにか自分の歩調が行進曲とかさなりあってしまう」のが現実世界の騒音ですから。

だからこそ立ち止まって、立ち位置を確認する契機というのは誰にとっても必要かもしれません。

思えば、ユダヤ人の女性哲学者・ハンナ・アーレント(Hannah Arendt,1906-1975)は、ホロコーストにおけるユダヤ人大量虐殺者の指揮官・アドルフ・アイヒマン(Karl Adolf Eichmann,1906-1962)の戦犯裁判の傍聴の際、次のような言葉を述べております。

すなわち

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(アイヒマン……引用者註)愚かではなかった。完全な無思想性――これは愚かさとは決して同じではない――、それが彼があの時代の最大の犯罪者の一人になる素因だったのだ。このことが<陳腐>であり、それのみか滑稽であるとしても、またいかに努力してみてもアイヒマンから悪魔的な底の知れなさを引出すことは不可能だとしても、これは決してありふれたことではない。
    --A.アーレント(大久保和郎訳)『イェルサレムのアイヒマン――悪の陳腐さについての報告』みすず書房、1969年。

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私淑するレヴィナス(Emmanuel Lévinas,1906-1995)は古代ギリシア思想を繙きながら哲学者はつねに「目覚めておれ!」と警句しました。

地の言葉で恐縮です。

なにかのみこんでしまう「軍艦マーチ」は世の中には溢れております。

そこに知らないうちに牽引されない自己自身を創り出していきたいものです。

……って東京では今期初?の33度です。

Asahiのスーパードライのうまい季節です。

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なにゆえ人間は、本性的に具わった武具や覆いを持たぬ、裸の姿なのであろうか

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……神はそれぞれの地の獣、それぞれの家畜、それぞれの土を這うものを造られた。神はこれを見て、良しととされた。神は言われた。
「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。
神は御自分にかたどって人を創造された。
神にかたどって創造された。
男と女に創造された。
神は彼らを祝福して言われた。
「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ」
    --『創世記』第1章25-27.

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昼前におきると、やはり細君と息子殿は外出のようで、別についてこなくてもよいといわれておりましたのでスルーしたのですが、ウルトラマンネクサス(ジュネッスブルー)との握手&撮影会が朝からあったのでそちらへ母子で赴いたようです。

最近、息子殿のなかでの関わり具合から申しますと、ウルトラマン(シリーズ)よりも明らかにアニマルカイザー(関係)にシフトしたことがありありと伺えるようですが、やはりアニマルカイザーはゲームのなかでの世界のお話になりますので、こうしたウルトラマンの「現物」との握手&撮影会というような邂逅の場なんかがありますと、やはり嬉しいようで前夜も楽しみにしていたようで御座います。

ただし宇治家参去としてもウルトラQ~ウルトラマンレオぐらいまでしかきちんと把握しておらず、ちょいと中をすっとばして最新のウルトラマン・メビウスまでは話がわかるのですが、息子殿はすべての内容を理解しており、すべての怪獣の名前及び特性を暗記しておりますので……それはそれですごいことだなあ~などと思うわけですが……。

「知的リソースの注ぎ具合がマズイんでねえの?」

などと思うのは宇治家参去ひとりではないようで、「その暗記力と集中力を別に注いでほしい」と細君もぼやいている次第です。

握手&撮影会が済んで外食してから二人で家に戻ってきましたが、なにやら手にお土産がありました。

「金魚すくい」もあったとのことで、息子殿の手には、金魚が一匹入ったビニール袋。
そして細君のビニール袋には、熱帯魚のグッピーが4~5匹。

「金魚すくい」で何でグッピーなのか?

「勢い?で買ってきたのか?」

……と訊くと、

「金魚すくいのいけすの中にグッピーとかも泳がされていたから、ゲットした」

……とのことだそうです。

宇治家参去の細君、なかなかどうして金魚すくいの名手のようで、ひとつの網で数匹はゲットするのですが、今回はグッピーを4~5匹手に収め、息子殿は小さな金魚を1匹収めてきましたので、勝率はいいほうでしょう。

で……。

うちにはこぶし大に大きく成長した金魚とハゼだかナマズのような熱帯魚が同居する大きな水槽がひとつ。
そこに入れていたメダカが子供を生みそうなので、別にした水槽がひとつ。

そして今回のグッピーです。

どっちかにいれるのか?

……などと様子を窺っていると、使っていないもうひとつの水槽をひっぱりだし、グッピー軍団用にセットされてしまいました。

ん~。

うちは金魚屋じゃないのですが……。

「生き物なので世話をする責任が伴うのはご存じでしょうか……?」

……などと恐る恐る伺いをたててみると、

「どうせ、宇治家参去がお世話はしないわけなので……」

「イヤ、長期不在ハワタシニナルワケデスノデ……」

「そういう解釈もある、解釈学とかやっているわけなんだから、様々に解釈した方が価値的じゃないのかしら」

……なるほど・・・、ってをゐ!

ともあれ、水槽が3つ。鳥の駕籠が1つ。
今年の夏は大変そうです。

さて……。
ちょうど昨日から古いキリスト教関係の文献を再び紐解き始めたので、トマス・アクィナス(Thomas Aquinas,1225-1274)は酔っぱらいながらも500頁を完読できたので、その勢いで、本日はギリシア時代の教父たちの書物をさやさやとめくっております。

ちょうど今読んでいるのが4世紀のニュッサのグレゴリオス(Gregorius Nyssenus,335-394)の著作です。

この当時の初期キリスト教教父たちは弁証家と称されるわけですが、弁証家とはすなわち「弁解」「証明」の意味で、対・内部(キリスト者)にたいして、対・外部(異教徒)にたいして、その真理を「弁解」「証明」することにひとつの主眼がおかれていたのそう呼ばれております。

ニュッサのグレゴリオスの時代になると、「弁解」「証明」というスタンツが全面的にでるような時代では決してありませんが、それでもそうした伝統のなかで神学を真剣にやったせいでしょうか……大変読みやすいのですが重厚で、考えさせられることが多々あります。

荘厳なカテドラルを思わせるようなトマスの言説の生命力にもひしひしとうなだれてしまうわけですが、正邪をはっきりとさせましょうよと説得してくる初期キリスト教の教父たちの生命力もあなどりがたく、読み返すたびに驚きと発見の連続です。

ちょうど、冒頭に引用した『旧約聖書』冒頭の「創世記」の一節が、動物としては他の動物と同じであるにもかかわらず、著しく本性を別にする人間の人間性と他の動物に対する態度の根拠と評される部分になります。

これに対するニュッサのグレゴリオスのコメンタリー(人間創造論)を読んでいたわけですが……

たしかに「神の似姿」を持った人間には「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ」というわけで、そうした人間以外の動物的存在をその人間存在の目的のために「利用」してよいと考えることも不可能ではありません。

事実、西洋においては、人間が人間に対して対他的に存在する事物全てを征服してこようとしたのがその歩みの骨格です。
※蛇足ですが、だからそういうオクシデンタリズム(西洋)とオリエンタリズム(東洋)を固定化した対立構造ととらえ、西洋の環境への支配主義と、東洋の環境への共生主義なんかを対他的にあぶりだして、キリスト教的伝統に基づく西洋の環境に対する支配主義はは巨悪で、タオイズム、アニミズム的な東洋の環境全肯定主義にも違和感が多大にあるわけで思想の対比はある局面でナンセンスしか産まないのだろうと思います。

脱線しました。
で……

しかし、実は原初の言葉に深く耳を傾けるならば、支配・征服という表現であったとしても、そこには、対象と関わる際の厳粛な「責任」とか「賢慮」が不可避的につきまとうわけであり、モッタイナイではありませんが、対象に関わる際にかならず畏敬の念があったのではなかろうかと思ってしまいます。

図らずも漱石・夏目金之助(1867-1916)が「イズムの功過」(三好行雄編『漱石文明論集』岩波文庫、1986年)で言っているとおり「 大抵のイズムとか主義とかいうものは無数の事実を几帳面な男が束にして頭の抽出(ひきだし)へ入れやすいように拵えてくれたものである。一纏めにきちりと片付いている代わりには、出すのが億劫になったり、解(ほど)くのに手数がかかったりするので、いざという場合には間に合わない事が多い。大抵のイズムはこの点において、実生活上の行為を直接に支配するために作られた指南車というよりは、吾人は知識欲を満たすための統一函である。文章ではなくって字引である」との如く、通俗的なイデオロギー対立こそ不毛なものはないでしょう。

結局の所、『聖書』でとかれる「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ」とは「無責任に支配せよ」との命令を意図したわけではなく、同時に「かかわることの管理・責任」をふくんだものがその実かも知れません。

支配という言葉にひっぱられすぎると、木も見ないし、森を知覚できないのかもしれません。

よくいわれますが、結局はかかわる当事者の問題だといういい方があります。
たしかにそうです。テクノロジーは人間を生かすことも、殺すことも可能です。だからこそその人間の人間観の問題に執着してしまいます。

例えば原子力エネルギーもそのひとつの象徴なのでしょう。究極破壊兵器として使用することも、究極の?エネルギー源として使用することも可能です。

だからこそ、人間の人間観の問題に収斂していきます。

ではなぜ人間の人間観の問題に収斂していくのでしょうか。

それは何を隠そう、動物としての人間自身が不完全な生き物だからなのでしょう。

そんなことを考えながら、結構酔っ払ってきて、支離滅裂で恐縮です。

……っていつものことですかね。

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第七章
なにゆえ人間は、本性的に具わった武具や覆いを持たぬ、裸の姿なのであろうか。

 ところで、人間の姿が直立しているということは、何を意味しているのであろうか。なぜ生活のための種々の力が、生まれながらにして人間の体に具わっていないのであろうか。人間は本性的な被り物をもっておらず、いわば武具を持たぬ貧相な姿であって、必要なものをすべて欠いた状態で生命へと導き入れられた。よって外見的には、祝福されるどころかむしろ憐れむべき姿である。角のような防具を具えてもいないし、尖った爪にも、蹄にも、牙にも、あるいはなにか本性的に死をもたらす毒を発する刺し針にも装われていない。多くの動物が、敵対するものどもに対し、自らの内に防御のために有しているようなものを、人間は何も持っていないのである。体が毛で覆われているわけでもない。そもそも人間が他の動物を支配する座に定められたのであれば、自らの安全のために他の動物からの助力を必要としないように、本性上自らに固有の武具で身を守らねばならないはずである。
 ところで、獅子や猪、虎、豹といったたぐいのものは、身の安全にとって十分な、本性上に具わった力を有している。また雄牛には角、兎には速さ、鹿には跳躍力と優れた視力が具わっている。そして他のあるものは大きさ、また別のものには鼻、蜂には針というように、総じてすべての動物には、なにか身の安全のために役立つ点が本性的に具わっているのである。あらゆる動物の中でただ人間だけが、速く走るものよりも鈍く、肉多きものよりも小さく、生来の武具に保護されているものよりも捕えられやすい。それゆえ、こう問いかける者もあろう。「どうしてこのような人間が、すべての動物に対する支配権を獲得したのであろうか」と。
 しかしながら、われわれの本性には欠けているように思われることが、他の動物を自らの支配下に置くことの端緒となるということを示すのは、なんら困難なことではないと私には思われる。なぜなら、たとえば人間が次のような力を有していたとしよう。つまり、速さの点で馬をも追い越し、堅固さのゆえに摩滅を知らぬ足を持ち、蹄や鉤爪が生えており、角や針、あるいは鋭い爪を持っていたと仮定しよう。おそらくはまず獣的であろうし、もしそういったものが生まれつき体に具わっていたとすれば。人間にはまったくそぐわないことであろう。また人間は他の動物に対する支配をなおざりにし、配下にある動物との強力をなんら必要としないであろう。このようなわけで、人間に従属する動物それぞれに、われわれの生活にとっての有用性が分け与えられた。こうして、彼ら動物に対する人間の支配が必然的なものとなったのである。
 まず第一に肉体的に鈍重で動作が緩慢であるという点は、馬を活用するために馴らすこととなった。また体が裸であるという点によって、羊の世話が必要不可欠なこととなった。羊は毎年羊毛を産出して、われわれの本性に欠けている点を補ってくれるのである。あるいはわれわれの生活のための物資を他の地域から運ぶ必要は、動物たちを運び手としてその労役に服させることとなった。また人間が家畜と同じように草を食むことができないという点は、牛をわれわれの生に仕えるものとした。つまり牛が自らの労役によって、われわれの生を楽にしてくれるのである。あるいは人間が他の動物と戦う際に、歯と噛みつく力を必要とする時には、犬がその速さとともに、自らの顎をわれわれのために提供してくれる。つまり犬はその鋭い歯の力をもって、いわば人間にとっての生ける短剣となってくれるのである。
 さて人間は、角という防具や尖った爪よりも強力で鋭利なものとして、鉄を考えついた。獣には生まれつき角や爪が具わっているが、鉄はわれわれに常に具わっているというわけではない。機に応じてわれわれの力となってくれるが、それ以外の時にはおいて置くことができる。つまり戦時には皮膚の上にまとうことで、いわば鰐の鱗のように、鉄を武具とすることができる。だがそれ以外にも、鉄には技術によって形を与え、さまざまな用途に用いることができる。すなわち鉄は、戦時には戦争に用いられるものであるが、平時には戦士を心労から解放しておいてくれるのである。
 鳥類の翼もまた、人間の生に奉仕している。なぜなら発明によって、われわれは翼の速さにも欠けてはないからである。つまりまずある鳥はわれわれに慣れ親しんだものとなり、狩人たちと働きを共にする。また他の鳥はその翼をもって、工夫次第でわれわれの用に応じてくれる。さらに技術は、発明により、矢をわれわれにとって鳥の働きをなすものとした。すなわち弓を用いることで、われわれの用途には翼の速度が与えられるのである。またわれわれの足が、長旅には傷つきやすく摩滅しやすいものであるという点は、動物からの援助を必要不可欠なものとした。なぜなら動物を素材として履き物を作り、足に合わせることができるからである。
    --ニュッサのグレゴリオス(秋山学訳)「人間創造論」、上智大学中世思想研究所編『中世思想原典集成2 盛期ギリシア教父』平凡社、1992年。

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根本はしっかりとありながらも、様々な表現を使えた方が美しくありませんか?

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 最後に、一つ全く別種の手段--それは、われわれの西洋文明がほとんど気づかずにいたもので、人間精神に無限の発見分野を提供するようなものである--が存在する。それは、精神的手段が現世の領域に組織的に適用されるものであつて、そのめざましい一例は、ガンジーの「非暴力非協力運動」(Satyagraha)である。わたくしは、これを「精神的戦闘の手段」と呼びたい。
 周知のように、Satyagrahaは「真理の力」という意味である。ガンジーは、政治的および社会的行動の道具ないし手段としての「愛の力」とか「霊の力」とか「真理の力」の価値を絶えず主張した。かれは言った、「忍耐と自発的受難、苦難を敵の肩に負わすのでなく自分の肩に引受けることによってなす真理の擁護」それこそは「強者のうちでも最強者の武器」である、と。
 私見によれば、ガンジーの理論と実践的方法は、次のようなトーマス哲学の観念と関連させ、それによって解明されるべきものである。すなわち、トーマス哲学によれば、剛毅の徳の主要な働きは、攻撃という働きではなく、確固不抜な態度で忍耐し苦難をしのぶという働きである。したがって、戦闘(最も広義での戦闘)の手段の序列としては、二つのちがった序列があることを認めるべきである。すなわち、剛毅と勇気に二つの種類、攻撃する勇気と忍耐する勇気、があるように、戦闘の手段にも、強制とか攻撃の力と忍耐の力、或るいは、苦難を他人に負わせる力と、自分に負わされた苦難を堪える力、という二つの序列がある。われわれは、人間の本性の両側面にそって別々にのびている二とおりの鍵盤を有する、--二つの鍵盤の出す音が絶えず入り混じってはいるが。すなわち、攻撃や強制によって悪に反対すること--これは、最後の場合には、相手の血を流すことになってもやむをえないとする道であると--と、受難や忍耐によって悪に反対すること--これは、最後の場合には、自分の生命を犠牲にすることになる道である--精神的戦闘の手段は、この第二の鍵盤に属するものである。
 精神的戦闘の手段とは、このようなものである。この手段、すなわち忍耐することにおける勇気に特有の手段は、剛毅の徳の主要な働きに相応するもので、かくして、ガンジーの言うように「強者のうちでも最強者」の特権である。わたくしは、かなり以前の著作の中で、この手段は、最も実行困難ではあるが、本来最も強力な手段でもある理由を説明しようと試みた。
 ガンジー自身、この手段は、東洋で用いられたように、西洋でも用いられると確信していた。ガンジーの天才的偉業は、政治活動の特殊な方法もしくは技術として忍耐と自発的受難を組織化した点にある。精神的価値に重要性を認める人々は、ガンジーの方法に従うにしても、または、なにか今後発見されるべき新しい方法によるにしても、いやおうなしに、このような線に沿った解決に導かれることであろう。このような精神的戦闘の手段は次の三種類の闘争に特に適切であろうと、わたくしは考える。第一に、他民族に支配されている民族が自己の自由を獲得しようとする闘争(ガンジー自身の場合がこれであった)。第二に、人民が国家に対するコントロールを保持または獲得しようとする闘争(これは、われわれがここで検討している問題に関係している)。第三に、キリスト教徒が、文明を実際にキリスト教的なもの、すなわち、実際に福音によって導かれているものにすることによって、それを変容させようとする闘争。 (わたくしは、ここに次のような考えを述べておきたい。すなわち、第二次世界大戦後に政界に現われたキリスト教的精神を持った諸政党が、人々からかれらに期待されたことがらについて、もっと深い自覚を有していたならば、かれらは、手段の問題のかの側面、すなわちなにかガンジーのものに類似する新しい技術の発見という問題に最初から専心したことであろう。)
    --ジャック・マリタン(久保正幡・稲垣良典訳)『人間と国家』創文社、昭和37年。

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例えば、なにがしかの理念を実現させるための具体的実践が議論になると、「これしかない」という革命家的言説が登場するのが現実の世界には多いことをつくづく実感します。

ここでいう「これしかない」というのは、あらゆる選択肢を批判・吟味した上で「これしかない」という「これしかない」ではありません。

ヨリ精確に言うならば、あらゆる文化的背景や精神風土を完全に無視した上で、これを実現するには、「これより最上の策なんてないから、文化とか個人的出自的背景とかそうしたクダラナイものを踏まえずに、これでいけばイインダヨ」っていうやつです。

そうした一方的弾呵がうまく機能する場合もこれまた現実には存在しますが、割合としてみるならば、そうではないという方が実際のところ多かろう……と思うことしばしばです。

例えばキリスト教の歴史をふり返ってみるならば、ユダヤ=キリスト教文化圏以外の土壌にその信念体系が流布される場合、これまでは、まさにヨーロッパでの「流儀」をそのまま「完全に」「輸出」することに専心されたのがその歩みであります。

たしかに「かわらない」核は現実には存在しますし、それを変える必要は全くありませんし、それを当該の文化とか風習に変容させてしまうことは、そのユニークネスを失う愚挙にほかなりませんし、生みだされるのは浅薄なシンクレティズムとか、日本人の大好きなスピリチュアルに他なりません。そんなものは唾棄すべきでしょう

しかし、「かわらない」核と同時に「かわってもよい」部分も存在します。

そうした「かわってもよい」部分を、セットメニューのごとく、変化させてはならぬオリジナルと同一視してしまうところに、暴力とか不幸が発生してしまうのかもしれません。

マア現実には、被造物たる有限存在者としての人間には、その線引きの任務は至極困難なのは承知ではありますが、「これしか形はないんだよ!」と全てに対して言われてしまうと、引いてしまうのも事実です。

そうした反省をふまえ、出てきたのがキリスト教で言う「文化内開花(Inculturation)」という概念です。変わらないユニークネスとしての福音は確かに変わらない。しかし多様な地域や文化に内在化し、開花していく方向性はあるはずで、安易な混淆をさけつつ、異文化によってこそ「かわらない核」がかえって光だしていく方向があるはずだ……そうした模索が前世紀よりつづけられております。

それこそが調和の普遍性(カトリシズム)なのかもしれません。

ちょうど、講義の組み立ての関係上、ガンジー(Mohandas Karamchand Gandhi,1869-1948)の著作をひもとくことが多いのですが、ガンジーそのものの著作だけでなく、様々なガンジー評を読むと同じように、「かわらないもの」を多様に理解するアプローチの手法に、唸らされることが時々ございます……これもガンジーだけに限定される話題でもございませんが。

うえに引用したのは、ネオ・トミズム(neo-thomism)を代表するフランスのカトリック思想家ジャック・マリタン(Jacques Maritain,1882-1973)の政治論からですが、なかなか味わい深く興味深い一節です。

ガンジーの偉業は偉業です。
しかしそのリアルな形態論は、様々な変奏曲があるはずです。
ガンジーの運動そのものを公民権運動にそのまま適用してもこれは成功しなかったのだろうとおもところです。おなじようにその逆も想像できます。

しかし両者の核は同じであるとすれば、この有限存在である人間の社会においては、その表現には幅があるはずで、実践事例として「このやり方しかない」ということはないはずなのでしょう。

まさに……それこそが「文化内開花」というやつです。

根本はしっかりとありながらも、様々な表現を使えた方が美しくありませんか?

……などと考えながら、夕食の残りの天ぷらで、「鳴門鯛」((株)本家松浦酒造販売・徳島県)でやっております。

四国の酒は、高知県をのぞき、比較的甘口一辺倒なのですが、この徳島の地酒、辛いくらいに辛いです。そして、味わい深い一品です。

それが、実家から送って下さったタラの目とか、ふきとか、そのあたりの春の旬彩の天ぷらなんかでやっておりますと……進むわけですが……。

箸でとりつつやっていると、莫逆の後輩から電話が一本。

公私共にいろいろとトラブルがあり、修士2年目を休学していたようなのですが、この4月より復学とのお知らせ……。

電話ですが1時間弱にわたり近況交換です。

金曜日の昼過ぎにアポイントのきまりのようにて、相互激励になりそうです。

議題が電話にて中断し、再開しましたものですので、かなり認識論的飛躍が存在しますが……それはいつものことでしょ!……ご容赦下さいまし。

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宗教的人間であるということは、引き裂かれた人間、調和を失った人間、平和を持たない人間であるということである

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 二一-二二節 結果。そこで、善を行おうと望んでいながら、わたしに悪が入り込んでいるというところに、立法がその現実性を持つのをわたしは見る。というのは、わたしは内なる人間としては神の律法を喜んでいるが、わたしの肢体の中には別の律法があって、わたしの理性の律法に対して戦いをいどみ、わたしの肢体の中にある罪の律法の下にわたしをとりこにしているからである。

 「そこで、善を行なおうと望んでいながら、わたしに悪が入り込んでいるというところに、律法がその現実性を持つのを私は見る」。宗教的人間であるということは、引き裂かれた人間、調和を失った人間、平和を持たない人間であるということである。自己自身と同一でありうるのは、ただ神と自分が一致しているのかという大問題にまだ目覚めていない者だけであろう。われわれはすべて、われわれが自分自身と同一ではないということを、またそれと共に、われわれがどれほど深く神によって動揺だせられているかを、われわれの行為と態度の全体に、おいて、十分明瞭に明らかにする。必要があれば、単純な心の動きから、そのことを否認できる人たちは幸いである。もっと永く、あの問いに目覚めないように用心することにかれらが成功するように! 宗教の現実は、わたしが望んでいながら実行せず、実行しながら望んでいないことに対して、わたしの自我、これらのすべての述語の主語が、全く疑わしいものになる、生きることも死ぬこともできないXになることにある。わたしは律法によって神を認識するのであるが、その律法によって、わたしは「善を行なおう」と望んでいるのである。そしてわたしは律法によって神に知られているのであるが、その律法によって「わたしに悪が入り込んでいる」のである。わたしにとって最高の可能性が最高の困惑となり、最高の約束が最高の危急となり、最高の賜物が最高の脅威となる。シュライアーマッハーがかれの『宗教論』を書きあげた日に、「生みの親としての喜びに満たされると共に師への恐怖に襲われて」、「わたしが今夜死ぬとすれば、それは残念である」と考えることができたと信じられるだろうか。宗教について--あれほど印象深く、美しく語った後に、あたかも死がないか非常に身近にあるものではないかのよう! 悪意のない、お根本的には心からただ安らぎを求めているだけの人間に、何かただ耐えられるだけのものでなく、歓迎に値するもの、興味あるもの、豊かにしてくれるものとして、宗教を勧めることができると信じられるのだろうか。すべての文化と非文化の固有の内的問題性と誠実にまさに十分に取り組んでいる人たちに、価値ある文化の補完として、あるいはまた文化の代替品として、宗教を押しつけることができると信じられるだろうか。
    --カール・バルト(小川圭治・岩波哲男訳)『ローマ書講解』平凡社、2001年。

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ひさしぶりにゆっくり?できたので、午前中は、「神の言葉の神学」で有名な20世紀を代表するプロテスタント神学者カール・バルト(Karl Barth,1886-1968)の著作をひもとく。

個人的・主観的モチベーションによれば、宇治家参去個人としてカトリシズムに親近感を覚えるわけですが、それでも、やはり、カール・バルトの言説は避けては通れぬ翠点をなしておりますので、修士の頃から読んでおりますが、依然として難解です。

主著である『教会教義学』は半分まで読んで挫折しましたが、それでも論評、説教のたぐいは時々、ひもといており、最近、もう一度読んでおかないと……と決意して読んでいるのがバルトの出発点となる『ローマ書講解』であります。

バルトは、フリードリッヒ・シュライエルマッハー(Friedrich Daniel Ernst Schleiermacher,1768-1834)に始まる「神学の人間学化」(文化プロテスタント主義)に大きな危惧を抱いた人物です。

キリスト教という歴史的な制度宗教が、学の対象として一般論化されてしまう、そして文化として宗教が論じられてしまうなかで、その特殊個別性である救い・信仰が矮小化されてしまうことに対して猛烈な攻撃を仕掛け、神学の本来のテーマを回復しようと牧会と研究の両者の往復関係のなかから厖大な著作を著し、なによりも「言における神の啓示」を大切にしたことでしられております。

……そう聞くと、なにやら、調和を乱す宗教右翼か!などと一瞥されてしまいそうですがそうではありません。自己自身の信仰を丁寧に集中し、その特殊性を踏まえたうえでなければ、対他的な問題にはあたれないでしょうというのがバルトの主張であり、(一般論的な)宗教の「廃棄」としてのキリスト教として、他の存在を否定したのではなく、もっとも果敢に、現存するキリスト教のあり方に手厳しかったのがその実です。

その意味では、自己自身に対して律儀な神学と評価することも可能でしょう。

そして余談ながら、バルトはスイス生まれですが、ナチズムが、キリスト教を民族宗教に矮小化し、民族精神鼓舞のために利用しようとした際(ドイツ・キリスト者運動)、それにもっとも手厳しく批判したのがとうのバルトです。

政治が宗教を利用することほど宗教の矮小化を招く事例はありません。
その当該宗教のもつ独自性・特殊性(そしてそこから突き抜けていく普遍性を含む)を徹底的に破壊するのがその暴挙であり、それこそがバルトがいう「神学の人間学化」なのでしょう。

コトバとしては「人間学」化ですが、その暴挙は、この世の可変的なものを絶対的なものとして受け入れさせようとしてしまう圧倒的な暴力であり、「人間学」化と謳ってはいるものの、その実は、“エセ”「人間学」化なのかもしれません。

……などとぼんやり考えながら、桜の季節が過ぎ行くのを惜しみつつ合掌というかんじです。

さて話は変わりますが、東洋人の通俗的なキリスト教感覚のひとつに、キリスト教とは善悪を厳粛に峻別する宗教という宗教観があるかと思います。そしてそれに関して踏み込んで言うならば、その善悪の存在を対他的に対峙させるのがキリスト教だろうというものの見方が存在します。

しかし果たしてそうなのでしょうか?

「福音と律法」の問題を徹底的に追求したバルトなんかを読んでいるとそのようではないようです。

善の問題も悪の問題も生きている人間に、“根っから”内在する問題であるとの見解のように覚え、だからこそ、信仰なり、律法なりが必然的に要請されるのだろう……マアこれも通俗的解釈のひとつですが……そう思えて他なりません。

だからこそなのでしょうか……。
面白いことに、第2バチカン公会議を主催した教皇ヨハネ二十三世(Papa Giovanni XXIII,1881-1963)は、バルトを評して「今世紀最大のプロテスタントの神学者」と言ったそうですが、最近ではバルトの人気はめっくり低くなりました。

ただしかし、バルトの言説には流行にとらわれない力強さと誠実さがあるように思えて他なりません。

……ということで、散りゆく桜を肴に、今日は「純米吟醸 上善如水」(白瀧酒造/新潟県)で完敗(乾杯)です。

キャッチコピーには「ミズノ ヨウニ イキルノサ」とありますが、二元論とか通俗的な理解をさけつつ、かく生きていきたいものです。

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キリスト教布教史におけるひとつの特異点……明治日本の場合

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 世界の宗教社会史とでもいうべきものを検討するならば、われわれは、新しい世界宗教への改宗が、それらの宗教の教義とはほとんどかかわりなく、主として集団的改宗という形態で行われたことを見出すであろう。それは近代市民社会の出現に先立って進行したから、共同体からの個人の解放がみられないままに、共同体ぐるみの改宗という形をとることになったのである。逆にいえば、市民社会とそのなかでの個人とが現われた段階では、すでにその社会はキリスト教社会であったのであり、したがって、キリスト教からの個人の脱出や、キリスト教自体の新しい展開=宗教改革は問題なりえても、キリスト教への個人的改宗はありえなかったのである。

(中略)

 日本におけるキリスト教の歴史を考察する場合には、一般に三つの源流があげられる。植村正久らの横浜バンドと同志社大学の基礎をきずいた熊本バンドと内村鑑三らの札幌バンドである。しかし、これら三つのグループにおいても、キリスト教への改宗は形態的には一見集団的であるが、共同体的規制の働かないところで、一人一人の改宗として行なわれ、新しい同じ信仰をもったものが互に力をあわせるという意味で、グループを形成したのである。(九頁)
    --隅谷三喜男『日本の社会思想-近代化とキリスト教』東京大学出版会、1968年。

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いわれてみるとマアそうかと思うことでありながらも、よくよくその内実を検討してみると見過ごすことの出来ない、新しいあり方の萌芽を見て取ってしまうということがタマにあるわけですが、うえの考察なんかもそのひとつなのかもしれません。

たしかにキリスト教の歴史を振り返ってみますと、一代イベントとなった宗教改革後の混乱を経ての新旧両派の棲み分けは、1555年のアウグスブルクの和議(Augsburger Reichs- und Religionsfrieden)に端を発するわけですが、そこで議論にされたのは、ひとりひとりの個々人の信仰の選択という問題は御座いません。信仰の選択は都市や領主が決定するものとの保証であり、言うなれば、その地域の領主の選択した宗教が地域の住民の宗教であるとする法令であります。このあとヨーロッパでは30年戦争を経て、新しい時代軸へと切り替わっていきますが、以後、領主の選択した宗教が公の宗教であるとする領邦教会制は確固とした構築物として制度化されていくのが歴史の流れです。

もちろん、信教の自由の保証された地域の現在においては、それも過去の遺産と見るムキもありましょうが、上述の経緯や、反宗教改革の流れで始まった新世界へのカトリック布教の歩みを振り返ってみますと、やはり集団改宗ありきという構造がメインストリームであったことを考えると、完全なる個人への還元主義的宗教としてキリスト教を見る見方というのは、レアで歴史的にはなかなかあり得なかった状況なのかもしれません。

いわずもがなですが、隅谷氏が指摘するとおり「それは近代市民社会の出現に先立って進行したから、共同体からの個人の解放がみられないままに、共同体ぐるみの改宗という形をとることになったのである」わけで、「キリスト教からの個人の脱出や、キリスト教自体の新しい展開=宗教改革は問題なりえても、キリスト教への個人的改宗はありえなかった」時代においては、集団改宗ありきで、どこまでも個人の問題が射程として浮かび上がってくることはなかったのは承知でありますが、それでもなお近代社会とはほど遠い、丁髷切ったか切らなかった時代において、その挑戦をうけきったというのは前代未聞の状況なのだろうと思います。

本朝においては、江戸時代に整備される本山-末寺制、戸籍管理に端を発する(と同時にキリシタンのあぶり出し)寺請け制度の伝統のゆえか、宗教とは「共同体ぐるみのあり方」(と同時にその共同体と相容れない存在を二項対立させてゆく村八分的暴力の権化)という側面がつよいわけですが、逆に言えば、そうした土壌があったこそ、明治以降再渡来したキリスト教は、共同体にはいっていくというよりも、個々人の内面の問題・救いの問題として入っていくというのはキリスト教史においてひとつの特筆すべからざる問題だったのだろうと思われます、あまり省みられることはありませんけれども。。

再渡来後、100年以上経過したわけで、教勢が勢いよくふるうわけではありません、まさに宗教文化史・宗教社会史的にその拡大のあり方をみるならば、人類の歴史におけるひとつの挑戦であり、あたらしいあり方の功罪をあざやかに示してくれているのかも知れません。

思うに、宗教とはどこまでいっても「個人への極度の還元主義」と表現した如く、どこまでいってもそれはその当人の問題であるゆえに、まさに個々人の問題なのでしょう。しかしながら、それで終わってしまうと単なるスピリチュアルに終わってしまう。だからこそ制度化され組織化されるなかで、相互啓発・激励・叱咤の共励共同体をどうしても必要とし、そこで共同体の問題になってくるのでしょう。

これはどちらが先というわけではありません。

個々の立場から共同体を刺激し、共同体の立場から個々の立場を刺激する……その共振関係のなかで、個々の信仰者の信仰が育まれ、ともに思い悩むそしてともに喜び合う仲間との成長があるのかもしれません。

明治初期のクリスチャンたちも同じだったのかも知れません。

数々の反撥をうけながら、信仰を選択し、そして同信の仲間たちと相互にそのあり方を検討しながら、歩みを辞めなかったのがその歴史かもしれません。

前述したとおり、全般としてみるならば、アウグスブルグの和議的、習俗共同体優先でその布教が展開したのがキリスト教の歴史でありますが、そうしたあり方とはちがう歩みを示して見せたのが、近代日本のキリスト教の歩みです。

そこには、世界宗教として何が必要で、何が問題なのか……さまざまな宝の山がつまっているように思われて他なりません。

近代日本のキリスト教史とはある意味では、信仰を選択した第1世代の苦悩のドラマの積み重ねかも知れません。それに対して西洋におけるキリスト教史の巨人たちの歩みとは、うまれたままそうだった……という第2世代、第3世代のひとびとがあたえられた構造を内面化してくドラマに相当するのかも知れません。

こまかいところはまったくつめておりませんが、大雑把に見てみるならば、そういう図式で眺めてみることも可能かもしれません。

……などと飲みながら考えておりましたが、ひさしぶりにスーパードライを飲んでみると「辛かった」!。

むかしは、ビールといえばスーパードライという人間で、その世代に属する一員であることを至極実感しておりますが、最近はめっきり手に取ることが少なくなり(嫌いなわけではありません、ダイスキですが)、ひさしぶりに飲んでみますと、旨いのですが、「辛かった」。

のどごしの旨さは昔から分かっていたつもりですが、この「辛さ」がわかるようになると大人になれるということでしょうかねえ。

冷蔵庫にあった「徳島県産の菜の花の芥子和え」の「鼻に抜ける」辛さも〝春の訪れ〟を予感させるようで、辛さと辛さが共鳴しあう深夜でございます。

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われわれはつまり、宇宙の貴族というわけですね

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 <神の像>への問いが問題化してきたもう一つの理由は、われわれの世界像の変化である。現代の世界像は、われわれの地球を創造と救済史の中心とみなした古い地球中心的把握に代わって、複数の世界および世界機構を具えた際限なき宇宙の像を立てた。この世界像は、専門学者によってすでに四〇〇年も前に告知されていたが、宇宙飛行の時代に至ってようやくそれは広くひとびとの意識のうちに定着し、また衝撃に近い仕方でわれわれの世界感情と宇宙的意識を変化させたのであった。アポロ八号の宇宙飛行士たちによるあの写真、火山性で褐色で荒涼とした、またあちこちにクレーターの見える月面の情景と、その上方に魅惑的な、青味を帯びて煌めく明るい球体の地球を浮かび上がらせたあの有名な写真は、われわれの宇宙的意識の新時代の始まりである。
 このように地球以外の天体から地球に視線が向けられたということから生ずる注目すべき帰結は、予想されうるであろうものとはまさに逆に、地球の唯一無比性、そして人間の唯一無比性なることの新たな発見ということなのである。クレムは、「おお、この楽園のごとき地球よ!」ととっさに叫んだ。大気もなく、生命もなく、風も香りも水も、植物や動物もなく、いかなる未来の可能性もない一つの死せる天体を目の前にして、はるかに地球は宇宙無いの不思議な特例、まったく稀有にして無比なる諸条件をもつ場所として姿を現わし、しかもこれらの条件のもとで原子運動から有機的生命へ、そして動物的生命へと進む歩みは、一つの楽園そのままの多様性において生じえたのだ。そして今や最後に、人間が、この生命発展の最後の歩み、自覚=存在(意識)への歩みが現われ出る! それはまさに、いわゆる意識をはるかに超える一つの認識の形態への歩みである。と言うのも、この意識はまさに個別的なものを一つの統一へと綜観するという能力が帰属するからである。しかしこれとて、視点の一側面にすぎない。人間の意識のうちでは、われわれの地球上のさまざまな存在領域が一つの全体性へとともに配列されるばかりではない。人間において初めて、宇宙がその自己直観に到るのである。
 大宇宙(マクロコスモス)への観察は、さしあたっては人間を、宇宙内のほんの一つの塵塊上にさらに付着する塵粒と思わせ、人間の価値をまったく見失わせるに到るかのように見えたが、今や次第に人間は、生命の発展がまったく唯一無比なる段階にまで到達した例外的なものとしてますますおおきく現われてくる。天文学が星雲や恒星やその他の新たに発見された宇宙事象のスペクトル分析を通じて、多様にして測り知れない物質の神秘への観察をいよいよ深く進めるにつれ、また天体物理学が物質の構造の神秘への洞察をますます深く開くにつれ、人間の特殊性はそれだけいっそう唯一無比なものとなるのである。
 パスクアル・ヨルダンは--彼にはザンブルスキー教授も言及しておられる--、目下ある著作を執筆中であるが、この書のなかで彼は、地球以外の天体または宇宙空間内に生命の存在を想定しなければならないという、その蓋然性算定に関して従来なされてきたすべての結果に反対して、人間が意識の段階に到達した、また宇宙がそのうちで自己直観に達した宇宙内の唯一の存在であるという、その蓋然性の方がより大であることを証明せんと試みている。それによれば、なるほど地球以外のどこかで、場合によってはまたまったく異なる情況の前提のもとで、何等化の有機的生命が形成されることはありうるかも知れないが、他方、意識への飛躍が生ずるには、幾百万年の発達を経てわれわれの地球上にのみ出現した唯一無比なる諸条件が前提となり、それが繰り返されることはおよそ不可能であるとされる。人間はまず世界の複数性の発見以後、完膚なきまでの自己の価値剥奪を味わったのであったが--そしてそのことがまた十六世紀のカトリック教会にとってこの理論に反対させる動機となったのであったが--、今や突如として再び、唯一無比なるものとして宇宙の中心へと引き寄せられるのである。私はパスクアル・ヨルダンに、「あなたのお考えからすれば、われわれはつまり、宇宙の貴族というわけですね」と言ったが、それに対して彼は、「そうですよ。しかもそれも、いわば別格の貴族なのですよ」と、私に答えた。
 それゆえここには、神学的に見て、新しい宇宙論に関連する神学的人間学のまったく新たな課題が提起されている。すなわちそれは、まず物質の神学的考察に始まって、われわれのまったく新たな世界を神学的に改めて徹底的に思考するという課題である。
    --エルンスト・ベンツ(薗田担訳)「<神の像>としての人間」、エラノス会議編(井筒俊彦ほか日本語版監修)『人間のイメージI』平凡社、1992年。

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市井の職場で仕事をしていると、希にあるのですが、帰宅する前にまとめる「日次報告書」に「特記事項何もなし」と書くしかないよな……という一日があります。

今日もそのような業務内容で、それなりには忙しいわけでしたが、特段のトラブルも事故もなく、いうなれば「つつがなく」作業が進行したという状況で、ふと安堵です。

クレームとかトラブルということはもちろん忌諱したい「つつがなくさせない」情況ですが、それはそれとしながらも、「つつがなく」「ナニモナイ」ということに関しては、昔は「ツマラナイな」などと思うことがありました。

しかしながら、仕事をしながら最近つくづくと実感するのは、「つつがなく」「ナニモナイ」という情況は、実はそれこそ稀有な事例であって、「つつがなく」=「ナニモナイ」のではなく、それは見逃しているだけであって、実はそこに芳醇な意味とか人間世界のオモシロミが実はひっそりと存在するのでは無かろうか……そういうところです。

もちろん、手帳に予定がまったくないことを「なんだかな」とつっぱった若い頃の感覚から、そうした心根を見るならば「つつがなく」「ナニモナイ」ということは、考えるに値いしない対象だろう~と若かりし頃の自分に叱られそうで、今の宇治家参去さんは「枯れたのか?」などと心配されそうです。

しかし、「枯れた」わけでもなく、益々?意気軒昂に生きている?自分としては、つっぱしるなかで見過ごしてきた「つつがなさ」とか「なにもなさ」に対してまでもアンテナを張ることが出来るようになったのかな……などと思うところです。

メーテルリンク(Count Maurice Polydore Marie Bernard Maeterlinck,1862-1949)の『青い鳥』ではありませんが、「つつがなく」「ナニモナイ」情況にもそれを現出させる奮闘があり、ふだんひとびとはそれを省みなく、穏やかな波だけを見て「ツマラネエ」と自閉しているだけであって、実はそこにこそ豊かな意味があるというところでしょうか。
さて……
仕事の最中ですが、メーカーの担当者が来店しましたので、煙草を吸いながらしばし情報交換です。

何が売れているのか。
何が売れていないのか。
作り手はどれを売りたいのか。
……んでもって「つつがなくさせない」事例のこととか。

どうやら伺ってみますと、最近多いのが、「表示されていないからなんとかしろやボケ」という事例のようでございます。

譬えは悪いのですが、例えばカップスープとかカップ春雨……よく売れています。
熱湯を入れてあつあつのをふうふうやると、これがマアうまい……というわけでこの季節よく売れております。

たしかに「熱湯に注意!」とは表示されております。
しかしながら、「かきまぜた熱湯が手に被ることに注意」とは表示がありません。もちろん「ゆっくりとこぼれないようにかきまぜましょう」と書かれてはおります。

すると……、「かき混ぜた時、熱湯が手に被り、水ぶくれができたぞー! をゐ!なんとかしろや」という声も出てくるわけで……。

というような話をしながら、哲学の議論ではありませんが、「書かれてないのが責任といえば責任でしょうが、これまで〝想定〟していたような事例ではなく、〝想定外〟のお申し出があり苦慮するばかりです。ただそこにもいろいろなヒントはあるわけで……」との言葉を頂きながら、ワタクシとしては「普通の人間ならこうだよな~と以心伝心ではありませんが、まずもって自分持っている人間像から対象を措定する。そうしたあり方が実はみなおされているのかもしれませんね!……とわいえ、何でも〝ごねたもん勝ち!〟とか何でも〝訴訟〟という風潮には極めて違和感がありますから、お互いに何が人間かを確認しながら、一元的な概念の強要を求めるのではなく、協同しながら概念を立ち上げていくしかないのかもしれませんよね」などと応答しながら、マアここでも「人間とは何か」を少し考えるきっかけになったということなのでしょう。

確かに、現実に問題のある製造会社やメーカーがあることも一面の事実です。
しかし、全部が全部そういうわけでもなく、真摯に紳士に対応しながら、がんばっている会社にはホントに頑張ってもらいたいです。

本論からずれる……いつもそうですが……訳ですけれども、売り手や作り手の問題ももちろんありますが、そうした他者論とともに「自分という人間は何ものなのか」という深い人間学的議論、自己認識を欠如した日本の消費文化には一抹の未成熟さを感じてしまうのは宇治家参去ひとりではないのでしょう。

「それではお互いにマア、ひとつ頑張りましょう!」
と交歓してから、休憩にはいり、『人間のイメージ』を繙くわけですが、マールブルグ大学で教義学を講じたエルンスト・ベンツ(Ernst Benz,1907-1978)の文章はなかなか含蓄深いものがあるなと一人悦に浸ってしまいました。

宇宙時代を迎えて神学の世界は、その創造論・救済論に関して大いなる挑戦と更新の時期をむかえました。

たしかに大宇宙に夢を馳せてみますと、知性を備えた生命の存在を否定することは不可能です(ただし、ここでも本論からずれることをいうならば、これをおもしろおかしく報道するメディアの責任は重大ですが)。

しかしそれと同様に、その存在が開花するための条件もきわめて希なことをふまえるならば、地球に住む人間である自己自身もまさに稀有な存在であり、まさに「別格の貴族」たることを忘れてはならないのかもしれません。

そしてとなりの部屋で気持ちよく寝息を立てている子息殿も「別格の貴族」なのでしょう。自分一人が「別格の貴族」であるわけではありません。

ここのところを理解しておかなくてはなア~などと思うわけですが、日付が変わった本日、上野動物園ツアーなるものが予定されており、こんなことをグダグダと書いているわけにもいかないのですが、「別格の貴族」様に向かい合いながら「別格の貴族」様とは何か……考察していきたいものですが、ぼちぼち飲んで寝ないと……極めてマズイでございます。

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具体的な倫理的問題に満ちている時代であるという現実に出会って苦慮している

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……倫理的体系についての学問的な問いなどは、およそ問題の中でも最も無意味なものであるように思われる。このことは、われわれの時代が倫理的に無関心な時代であるからではなく、かえってその逆に、われわれの時代が、未だかつて西欧の歴史に見られなかったほど、具体的な倫理的問題に満ちている時代であるという現実に出会って苦慮しているからである。既存の生の秩序が確立している時代であれば、(中略)……倫理的なことが、理論的な問題として、世人の関心事となるであろう。
    --D.ボンヘッファー(森野善右衛門訳)『ボンヘッファー選集 4 現代キリスト教倫理』新教出版社、1962年。

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水曜日は休日の所為か、昨日はしたたかに飲んだようで、細君が朝早く起きたときにも飲んでいたようで、それから眠り昼過ぎに起きたわけですが、気分よく寝ているわたしのうえに馬乗りになって起こす必要はないのではないだろうかと思う次第です。

まさに現代は「具体的な倫理的問題に満ちている時代」であることは間違いありません。

嫌な離床状況をしたわけですけれども、早々にアタマを切り替え、ちょいとのこっていたレポートの添削をすませたあと、論文用の史料を精査してから一服、このまま家で引きこもるのもなんだかな……ということで、雨の降りしきる武蔵野の原野をひとめぐり……とはいかず、本屋へ寄ってから、「サア今晩は何か乙な酒でも飲んでやろう」と思案し、地酒屋へいくも「本日定休日」!!!。

いわゆるこれを「がっくし」とか「orz」とかいうアレなのでしょう。

とりあえずコンビニで3/4より発売開始となった限定ヱビスビール「シルクヱビス」を10本買ってから、喫茶店にてディートリッヒ・ボンヘッファー(Dietrich Bonhoeffer,1906-1945)を身読する。

うえに引用したのがボンヘッファーの言葉になりますが、彼はドイツの福音ルーテル派の牧師にして、20世紀を代表するキリスト教神学者の一人であります。有名な史実としては、終始一貫してヒトラー(Adolf Hitler,1889-1945)の政策・思想を批判し続けた人物で、ヒトラー暗殺計画に加担したために、別件逮捕のすえ、ドイツ降伏直前の1945年4月9日、絞首刑で最後を迎えてしまいます。

ちなみに、ベルリン大学で最高成績で学位を取得しておりますが、決してアカデミズム一辺倒の石頭ではありませんし、現実を等閑視する役人的聖職者でもありません。

つねに、生活のただ中で同苦しながら独歩する生涯……それがボンヘッファーの生涯かも知れません。合衆国留学時代には、アフリカ系アメリカ人の差別の問題に直面し、そのなかで同時代人として苦闘するマハトマ・ガンディー(Mohandas Karamchand Gandhi,1868-1948)の言葉も耳を傾けながら、理念を現実の生活空間のなから立ち上げようとした生涯なのかもしれません。

ちょうどうえに引用した文章は、1940年頃のもので、ボンヘッファーがまさに「同時代人」として反ナチ抵抗運動に参加し、ユダヤ人たちへの受苦への深い共感……仏教的に表現するならばこれが「同苦」なのでしょう……を抱きながら活動に挺身する時期にしたためた一節です。

具体的な倫理的問題に直面し苦慮している時代には、たしかに倫理的体系をめぐるアカデミックな議論など、「問題の中でも最も無意味なもの」なのかもしれません。ボンヘッファーがつづった情熱は、死後60年以上を経た今の時点でも、強く共振できる響きが存在します。否、むしろ現代においては、その当時よりも、具体的な倫理的問題(状況倫理)は複雑化し、錯綜しているのが現実です。

こうした状況に対してどのような道があるのでしょうか。

振り返ってみるならば、理念(神学の文脈でいえば教義・教理)から弾呵するというのもひとつの手なのでしょう。そして、対処療法的なワクチン接種のアプローチもありなのでしょう。現状ではそのふたつで、進行するなにがしかを弛緩させようとするアプローチがほんとどです。

別にそれを否定しようとは思いませんし、挑発的なボンヘッファー自体、理念先行型のアプローチも、現実対処型の革命家的アプローチを否定しているわけではありません。

ただ、その両者に挑戦しながら、第3の道を模索しているというのが実情でしょう。

前者が「啓蒙主義的なルミナス」の「野蛮さ」であれるとすれば、後者は、「直截療法的な原始」の「野蛮さ」なのでしょう。

どちらも現実を批判する力とはなり得ても、現実を善処する方向へ傾かないことが多いのが通例です。

その引き裂かれた現実の中で、道を模索したのが彼の生涯なのですが、苦しいことに、その両者からの批判は苛烈であり、足をひっぱったのがその実情だと察せられます。

どこか遠いところから野蛮を指摘することは可能です。

しかし、それ自体がひとつの野蛮にほかならず、ボンヘッファーは自分一人が「野蛮」を引き受けることで、ヒトラー「暗殺」計画に同意したのではないだろうかと思うほどでございます。

それはそれとしておいておくとして……。

いずれにてしも、理論をありがたがるのでもなく、現実しかないぜと嘯くのでもなく、その両者の相関関係からしか、リアルな理論も出てこないし、現実をうち破る本当のちからもでてこないのかなと……実感する宇治家参去です。

……と、書きつつ、今日もはやくからはじめたので飲んでおりますが、「シルクヱビス」はまさに「絹のように、なめらかな口当たり」でございます。

宇治家参去としては、「なめらかな口当たり」よりも「琥珀ヱビス」のような、ちょゐとコクの効いた味わいのほうを所望するわけですが、これはこれで、季節のビールとしてはいいものなのでしょう。

とくにあまり飲まない女性が、「ふぅぅぅぅ」と一缶ぐらいのむのに相応しいビールかも知れません。

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呪詛から対話へ、対話から共存へ、共存から協働へ

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 キリスト教とマルクス主義の対話と、その後に明らかになっていった出来事の数々を見て、わたしは次のことを悟った。すなわち、対話においては、相手の長所を真剣に受け止めるべきであって、欠点や過ちを次々とあげつらうことは慎むべきだ、ということである。対話は、参加者のアイデンティティを失わせるものではなく、むしろそれをより深く理解せしめるものである。真摯な対話を続けるならば、ひとはロマン的な空想で自分を描き出すことを止め、他者の批判的な目で自己を見るようになる。真剣な対話においては、他者の批判的な検証に供することのできないようなある高次の権威に訴えることで困難な問題を回避することはよろしくない、ということも期待するに至った。より重要なことに、対話そのものの性格はわれわれの主題ではなかった。われわれは真剣にキリスト教とマルクス主義について討議を重ねたのであって、対話のための対話をしたのではない。後になってようやく明らかになったことであるが、問題が起きるのは心を開いたキリスト教徒とマルクス主義者の間ではなく、対話に参加していないマルクス主義者とキリスト教徒の間である。

(中略)

 ヨーロッパにおけるキリスト教とマルクス主義の対話のカイロスからして、以上の経験はわれわれにいくつかの教訓を与えてくれる。

 ●生命を脅かすような対立が現存し、その解決が対話によって得られるという希望があること。われわれの会話の中でいみじくも一人が言った。「もしいまわれわれが話し合わなかったら、やがてわれわれはお互いを撃ちはじめるだろう」。
 ●参加者は、自己の信仰や世界観の文脈の内部から対話へと向かわなければならない。真理問題をないがしろにしたままの対話は重要性をもち得ない。
 ●参加者はみな、自己と対話者とが代弁している人々のことを忘れてはならない。もし参加者が自己のよって来たるところからあまりに乖離し、その共同体の代弁者と見なされなくなった場合には、その参加者は自己の共同体へと帰って報告をおこなう時に敬意をもって迎えられず、そのためやがて孤立し、個人的な意見だけを語るようになる。
 ●対話は、「対話のために」という名目だけで続けられてはならない。その動機は、生命を脅かすような深刻な状況を変革するため、つまり実践的な結果をもたらすためでなければならない。ガロディは、この動向を「呪詛から対話へ、対話から共存へ、共存から協働へ」と表現した。
    --ユルゲン・モルトマン(森本あんり訳)「多元主義神学は宗教間対話に有効か」、G・デコスタ編(森本あんり訳)『キリスト教は他宗教をどう考えるか ポスト多元主義の宗教と神学』教文館、1997年。

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ここ数十年来、ポストモダニズムや脱構築の一環として、キリスト教批判乃至は宗教批判--宗教哲学・宗教の形而上学的性格に対する批判--が盛んに議論され話題を集めております。

確かに、従来の「キリスト教」に対する見直しが議論され、そしてキリスト教のみならず従来の「諸宗教」そのもののあり方が見直しを迫られ、真摯に議論される状況は歓迎されてしかるべきであります。しかしながら、そうした「批判」そのものを歓迎する日本の人々が、自己自身の信念、宗教伝統にそのあり方を振り向けないのであれば、それはいささか残念なことかもしれません。

歴史的な原因はもちろん存在しますが、宗教なるものに対して伝統的に「淡泊」な精神的態度がマジョリティな日本においては、その「淡泊」な態度そのものが多元的価値の現れであると説く論者も多く、そうした精神風土を「絶対」と「絶対」の信念対立を回避する「寛容さ」や「智恵」と見てとる風潮が今なお強く存在します。

しかし、その中身を見てみると、果たして、「多元的」で「寛容」な精神構造なのかどうか、疑わしく感じるのが実情で、そこには相も変わらぬ日本人の自己礼賛思考が裏返しに表現されているように感じられて他なりません。

「宗教」の内実を深く探究する方向を回避しながら、議論として「宗教」そのものを俎上に載せないのがその実情でしょう。

「多元的」で「寛容」なあり方という看板は掲げているもの、実は、真面目な議論から宗教そのものを取り上げる姿勢を排除しているだけであって、そこには、「一元的」で「非寛容」な精神しかのこされていないように思えて他なりませんし、それは単なる「無関心」が現れただけなのでしょう。

そして非寛容の事例をたどるならば、戦国末期の切支丹弾圧、そして近くは、先の大戦下における一元的価値観・信念系への強制的な統合のあり方をひもとくまでもなく、枚挙にいとまがないというのはまさにこのことでしょう。

かつてマザー・テレサ(Mother Teresa,1910-1997)は、「愛」の反対概念は何かと問うた場合、それは「無関心」であると答えたことがありますが、コンテンツそのものに対する深い探究を退け、そのもの自体を議論すべくもない(=個人の内面への極度の還元主義)として「無関心」を装うことが何か知的であると思うそうしたあり方とは、まさに「愛」とは対極なのでしょう。

挙げ句の果ては、宗教に対して「無関心」を決め込む精神構造の裏返しとしての、まさに安易で安直な「精神世界ブーム」の過熱という現象を見てみますと、マア「なんだかな」などと思うことしばしばです(マア、制度宗教自体が力を失い、魅力を提示できなくなってきたという側面も現実に存在し、それを加速させているという状況も承知ですけれども)。

さて……例のごとく話が脱線しましたが、

宗教多元主義とはもと、キリスト教の絶対性に対する主張への深い反省と、そして諸宗教とキリスト教の関係をめぐって定義された議論です。たしかに歴史を振り返ってみると、実例を挙げるまでもなく、キリスト教のもつ暴力性に根ざす批判として定義された疑義でありますが、こうした疑義はひとりキリスト教のみに限定される問題ではありません。

信仰とは、客観的な1番があって、これはだいたい2番目だな、そしてこれは5番目ぐらいだなと査定できる対象ではありません。当事者にとってはまさにそれは「代換不可能」な「1番」であり、そこには2番もなければ、3番もありません。

要は信仰とは信仰者にとって「絶対」という側面を有します。
当事者にとってそれが「絶対である」という感情(シュライエルマッハー)を抜きにしては信仰なんて成立することは不可能なのです。

しかしそれと同じように、他の信仰をもっている人間も自己自身の信仰を「絶対」だと信じております。
※(くどい蛇足の注)本朝では、どうやら「絶対」と「主張する」ことが浅はかであり、お馬鹿であると見なす風潮がありますが、それは、「絶対」を浅はかとし、お馬鹿と見なすフリをしながら、結局は、他者の絶対の寛容しないという「絶対」の一方的主張なのですが……。

またしても、例のごとく話が脱線しましたが戻しましょう。

……よって、すなわち(ゴホッゴホッ)、
だからこそ、その「絶対」と「絶対」を向き合わせる構造、視座、対話の場が必要になってくる--宗教多元主義の議論とはそうした素地から誕生してきた議論です。

そうした芽吹きがひとつの大きな潮流となったのは、やはりなんといっても第二バチカン公会議の成果であることを言うまでもありません。

1960年代以降、そうした諸宗教間の対話が現実のものとなり、数々の成果が生み出され、真摯な自己理解と他者理解の美しい見本がつぎつぎと登場し、方法論も様々なかたちで整備されてきました。

しかしながら、90年代中盤ぐらいからでしょうか……そうした議論そのものが、退潮傾向になってきているフシがあり、開かれた態度から自閉的な精神空間の重々しさが支配的になってきているのも実情です。

そしてそうした傾向を加速化させる生活情勢が追い風となって、ますます自派のぬくもりのなかに沈潜していく傾向が顕著になってきているのですが、それに関しても(感情としてはわからなくもないのですが)、「なんだかな」というところで……。

冒頭で引用したのは、「希望の神学」(Theologie der Hoffnung)を説くユルゲン・モルトマン(Jürgen Moltmann,1926-)の「宗教間対話」に関する論説の一節です。

「絶対」と主張する信念系の対立に関して、日本的アプローチとしては、そもそも「絶対」と主張すること自体を否定する方向へと傾きがちですが、そのことが「絶対」と主張することを「絶対」に「否定する」というパラドクスに陥りがちなのが現実です。しかし実は大切なのは、実は「絶対」の問題とは要はだれにむけて発信していくのかというところに帰着するのではないだろうかということなのでしょう。

そもそも「絶対」の主張は自己自身に向けるものであって、他者に「絶対」と主張しても本来無意味なはずなのですが、そこがこの数千年来の歴史のなかで鳥違われてしまったのかも知れません。

異なる「絶対」の主張に対して、どのように向かい合っていくのか……。

モルトマンが体験的に--それはプラハの春の前後、マルクス主義者との対話を通して--みてとった「対話のカイロス」はひとつの参考になるのかも知れません。

「もしいまわれわれが話し合わなかったら、やがてわれわれはお互いを撃ちはじめるだろう」

そして

「呪詛から対話へ、対話から共存へ、共存から協働へ」

異なる「絶対」と向かい合うことは決して心地よい対話ではありません。
しかしその向かいあい、そして語らいを抜きにしては、おのれ自身の「絶対」なるものも本物の「絶対」にはならないのだろう……などと思う宇治家参去です。

ホントはモチっと折り目正しく議論したかったナイーヴな論点なのですが、チト酒も回り始めておりましたで、また次回?ということで……。

で……最後に蛇足ついでにもひとつ。

モルトマンの次の言葉もなかなかいいんですよね!

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《とりなしの祈り》

 主よ、私たちは、自分自身のためにではなく、

 暗やみの中で苦しみ悩む民衆のために、願います。

 私たちは、この地上の収容所で囚われた者、国外退去させられた者、

 流罪者、発言を封じられている者のために、祈ります。

 どうか、彼らの苦悩の中にいてください、

 苦境の中にいる彼らに耐える心を与えてください。

 そして、彼らを自由へと導いて下さい。

 私たちは、私たちのもとにある、病気の人、障害のある子供、

 いまわの際の人、悲しんでいる人々のために、あなたにお願いいたします。

 孤独の中にある彼らと共にいて下さい。

 彼らに慰めを与えて下さい、

 そして彼らに、あなたの満ちあふれるいのちを、与えて下さい。

 私たちは、見捨てられたと思い迷っている人々、憤っている人々のために祈ります。

 その人生は、空虚で無意味となり、愛に欠け、そして思いやりもなくなったのです。

 あなたの熱心のゆえに、彼らを離れさせないで下さい。

 彼らに、新しい確かな霊を、与えて下さい。

 私たちは、あなたの前で静かに、彼らに代わって、彼らの名前を呼びます。

 なぜなら、私たちは、主にある兄弟、姉妹だからであります。

 主よ、私たちの願いをうけ、彼らの祈りに、聞いて下さい。

 あなたの義をもたらし、不義の権力を消滅させて下さい。

 あなたの平和をもたらし、軍備と戦争と報復を、絶滅させて下さい。

 あなたの光をもたらし、私たちの中にあり、また周囲にある、混迷を消し去って下さい。

 しかし、神よ、私たちの主なるイエス・キリストを通して、

 私たちに勝利をもたらして下さったことを、感謝いたします。

    --J・モルトマン(田村信吾、蓮見和男訳)『無力の力強さ』新教出版社、1998年。

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<存在それ自体>の力が、存在者に<存在への勇気>〔生きる勇気〕を与えるのである

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 これまでわれわれは<信仰>(faith,Glaube)という言葉を、神秘主義的なあるいは人格的出会いによる存在の根底とのかかわりの記述のため使用することを避けてきた。それは、<信仰>という語がその本来的意味を喪失し、何か「途方もないものを信じる」ような意味に用いられるようになってきたということも、その一つの理由である。しかし、<信仰>という語を神秘主義にも人格的出会いにも用いなかった理由はそれだけではない。その決定的な理由は、神秘的合一も、人格的出会いも、<信仰>という言葉の内容を十分みたすものではない、ということである。たしかに、霊魂が有限なるものを越えて無限なるものへと上昇し、そして存在の根底と合一するにいたる、ということのなかに<信仰>は存在する。また人格的な神との人格的出会いのなかにも<信仰>はある。しかし<信仰>という概念のなかにはそれ以上のことが含蓄されているのである。<信仰>とは、<存在それ自体>(being-itself)の力によってとらえられている状態である〔ここをドイツ語訳は敷衍してこう訳している--信仰とは、われわれに無制約的にかかわっているところのもの、つまりわれわれの存在と意味の根底、によって捉えられていることである〕。生きる勇気とは<信仰>の一つの表現であって、<信仰>が何を意味しているかは、生きる勇気を通して解明されねばならないのである。われわれは勇気をこう定義した、勇気とは、存在が無にあらがって自己自身を行程することである、と。この生きる勇気の行為において、<存在それ自体>の自己肯定(die Selbstbejahung des Seines-Selbst)が、その行為をする存在者のなかに働くのである。<信仰>とは、<存在それ自体>の力が、存在者に<存在への勇気>〔生きる勇気〕を与えるのである〔この部分はドイツ語訳が説明的であるのでそれによった〕。
 このような経験は、逆説的性格をもっている。それは人間が肯定されているという意味の肯定であり、そしてその肯定に基づいて人間が自己を肯定することなのである〔ここもドイツ語訳によった〕。<存在それ自体>は、すべての有限的存在を無限に超えている。神は、神と人間との出会いにおいても、人間を無制約的に超越しているのである。<信仰>は、その逆説的性格において、この無限の隔たりを橋渡す。それはこの無限の隔たりにもかかわらずそこに<存在それ自体>の力が現前しているという事実を受け容れるからであり、人間がその隔たりにおいて分離されているにもかかわらず<存在それ自体>の力によって受け容れられているということを受け容れるからである。信仰は「それにもかかわらず」受け容れる。そしてこの信仰の「それにもかかわらず」から生きる勇気の「それにもかかわらず」が生まれるのである。信仰とは、何か不確かなものを承認するという一種の理論的肯定ではない。信仰とは、日常的経験を越えている何ものかを実存的に受け容れることなのである。信仰とは臆見ではない。それは一つの状態(a state,ein Zustand)である。それはあらゆるものを超越しておりしかもあらゆるものがそれに参与しているところの<存在それ自体>の力によってとらえられている状態なのである。この<存在それ自体>の力によってとらえられている人は、自己自身を肯定することができる。それは彼自身が存在の力によって肯定されているということを知るからである。これこそそこで神秘主義的な生きる勇気と人格的出会いにおける生きる勇気とが結合される一点なのである。<信仰>がこの両者における生きる勇気の基礎となっている。
    --パウル・ティリッヒ(大木英夫訳)『生きる勇気』平凡社、1995年。

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ちょうど吉野作造(1878-1933)の「四海同胞精神」、そして「ひとはすべて神の子である」(「神の子」は人間に内在する「仏性」と言い換えてもよいのでしょうが)という信念を再度確認しつつ、読んでいたのが、現代プロテスタンティズムを代表する亡命ドイツ人神学者ティリッヒ(Paul Johannes Tillich,1886-1965)の『生きる勇気』です。

一般向けに語られた言葉で、古今の聖賢の言葉に耳をかたむけながら、「生きるとは何か」そしてその根源力の「勇気」とは何かをかんがえさせられた一冊です。

「生きる勇気」とは確かに「自己自身を肯定する」ことなのでしょう。
しかし、その肯定を何によって媒介して肯定するのか、そこが大切になってくるのかも知れません。

媒介を欠いた……すなわち己をむなしゅうするような徹底的な自己相対化を欠いた「自己自身を肯定する」ことは、自己自身の物神化にほかならず、物神化のレベルとは、自己自身とは異なる自己自身化であるとすれば、本来的な意味での「自己自身を肯定する」とは隔たった物象化になってしまうのでしょう。

自己自身をたえず「相対化」するなかで、その現場のなかで、「自己自身を肯定する」……決してたやすいことではなく、そしてなかなかできないことですが、その真の「自己自身を肯定する」ことによって、人間という生き物は、自分自身を肯定し、そして自分自身と「共に(=友に)住まう」他者を肯定することができるのかもしれません。

自己自身を物神化した自己自身とは自己自身とかけはなれた自己自身であり、そこには自己を肯定する力もなく、他者を許容する寛容も存在しないだろうと思います。

そうした誘惑をさけつつ、自己自身のどうしようもなさを自覚し(=存在の肯定)、そこからはい上がっていくのが、信仰の呈示する「生きる勇気」なのだろうと思います。

宗教学者としては、そこまで「踏み込む」のはタブーなのですが、そもそも宇治家参去は神学者ですから、こうした議論は許容してもらいたいというところで……。

一昨日……。
久し振りに、家族と寿司ツアーへ出かけましたが、寒鰤は旨かったです。

一般的には、冬は味覚の乏しい季節だと認知されがちですが、冬だからこそ、食物の余塵するメタボも締め付けられ、ウマミがますというのは真実かも知れません。

飲みながら書いているので、詳細なコメンタリーはまた後日でゆるしてちょんまげじゃ。

ですけど……(いつもながらくどいのが宇治家参去です)、

寒梅が終わりつつあるのが、すこし寂しいところです。

もう、桃とか櫻なのかな?

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根拠のある楽天的、積極的人生観 師匠の必要性 笠置そば

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 前段に於てはからずも恩師故佐々政一先生のことに触れたが、私が先生の薫陶を受けたのは高等学校に入校した当時、僅々一年余りの事である。国語作文の先生で、極めて熱心親切な人であつた。此点に於て得る所素(もと)より少からずあつたが、就中(なかんずく)私の感謝して措かざる点は、作文を二度も三度も書き直させられた事である。たしか一年生の時であつたと思ふ。教科書の外に第一学期に於て鴨長明の『方丈記』を自修せしめられ、それから「方丈記を読む」と云ふ課題で文章を作らしめられたのである。当時私はまだ信者ではなかつたけれども、基督教の楽天的な積極的な人生観にかぶれて居つたから、『方丈記』の全文にも劣らぬ程の長い論文を草して、自分丈けの考では痛快に長明の所説を反駁した積りであつた。佐々先生も或点に於ては楽天的、又積極的の人であつたから、私の態度に素より反対ではなかつた。けれども先生は長明の論拠と私の駁論の根拠とを極めて精密に対照して詳細の批評を朱書せられ、議論としてはまだまだ重大なる欠陥があると指摘せられた。而して最後に先生は、こんな不精密な不徹底な論拠で長明と戦はうとするのはこの至りである。本当に君が其主張に忠実ならんとするなら、今一度よく考へて書きなほせと云ふ批評で、且又口づから今一度書きなほせと命ぜられた。そこで初めて成る程議論をするには余程精密に思想を練らねばならないナと大いに啓発されて、更に一生懸命勉強して前とは全然面目を改めたつもりの新論文を先生に呈出した。所が先生は之れをも極めて親切叮寧(ていねい)に対照批評せられ、特に此の二度目の論文では私の文章の論理上の欠陥を極めて痛烈に指摘せられた。而して又之れでも成つてゐないから、今一度書き直せとの注意を与へられた。そこで私は又再び多大の啓発を得て今一層奮励して第三の論文を書いた。之れも亦先生は極めて精密に通読されて極めて細い朱書の批評をせられた。けれども大体に於て前よりも余程満足のやうであつたが、最後の批評にこんな文字があつた。
 「之れで君の論拠はよくわかつた。しかし長明は一方の極端に立つて自分の人生観を歌ひ、君は又他の極端に立つて君の人生観を歌つて居るのだ。まだ議論にはなつてゐない。本当に論ずるならば君はもつと深く突込んで長明の思想を研究し給へ。さうして又もツと精密に君自身の思想を整え給へ。双方銘々自分の立場を歌つて居るのでは、傍観者は下手な君の方よりも遙かに文章の巧い長明の方に団扇を上げるであらう。」
    --吉野作造「自己のために弁ず(3)」、『新人』一九一八年三月。

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博士論文作成上に必要な資料調査のために、1月末に宮城県の吉野作造記念館(宮城県大崎市)に行ってきましたが、その調査報告と内容の論文への落とし込み・反映の打ち合わせのため、昨日は、指導教官の鈴木先生の仕事場へおじゃまし、2時間弱、種々ご指導を受けてきました。

吉野作造(1878-1933)の人生観乃至人間観は、「キリスト教に基づく楽天的な人生観」(竹田清子)などと評価があり、ほぼほぼそれが定説となっております。またうえの文章の中で散見されるように「当時私はまだ信者ではなかつたけれども、基督教の楽天的な積極的な人生観にかぶれて居つた」などと本人も書き記しているとおり、そうした傾向が顕著です。

それに加え、信仰の師である海老名弾正(1856-1937)の影響から「すべての人間は神の子である」(神子観)という信仰を大切にし、「すべての人間は神の子」であるならば「救われないはずがない」との信念を抱き、それを土台に「民本主義」という政治理論が形成するという論理です。

すっきりした構造です。

しかし、「キリスト教」と「楽天的」という言葉は、ある側面から振り返ってみるならば、水と油のような関係でもあり、「果たして……」という感覚を抱くのも事実です。

それが、キリスト教における「罪」(原罪)の問題です。

確かに、信仰の師である海老名弾正にしても、吉野作造自身に関しても「罪」の意識はほとんど省みられておりません。例えば海老名と対照的な人物に福音主義の橋頭堡を守ったとされる植村正久(1858-1925)などは「罪」の問題を真摯に受けとめることによって「神人隔絶」を強調し、その「隔絶」があるからこそ「信仰」が必要であり、「信仰」によって「救い」が完成されるという論理をとりますし、罪の問題に関しては内村鑑三(1861-1930)も言葉と論理はまた違いますが、同様に看過できない大きな問題としてとらえれております。

それに比べると、海老名弾正、吉野作造においては、造物主と被造物という意味では、確かに神と人間の存在における断絶は「踏まえられておりますが」、断絶とか罪を強調するよりも、「救済の可能性」を強調する側面が強く、その思想傾向性から「楽天的」と評される結果になったのがその消息なんだろうと思います。

罪とか断絶の問題があまり語られないのは事実です。
しかし、どこかでその「楽天的」という傾向は、根無し草の「脳天気」という意味での「楽天的」とは異なる側面も有しております。それが罪意識は希薄であったとしても「キリスト教信仰」を欠いては、その「楽天的」「積極性」は完成されないという信念なのだろうと思います。

その意味では、吉野作造の「楽天的」という言葉は、日本における仏性論と比較した場合、例えば、天台の本学思想系の「楽天的」という言葉と似ては非なるものなのでしょう。中古天台思想においては、万人に仏性が内在するという議論を前提に、仏性という「素晴らしい種子」がハナから内在しているのであれば、仏性を湧現させる「修行」(乃至信仰)は必要ないとの主張が出てきます。そうした何の介在も無い意味での「楽天的」を脳天気とするならば、吉野作造の楽天的はまったく異なった「楽天的」なのでしょう。

それが「キリスト教信仰によって結ばれる」という必要不可欠な介在であり、仏教的言説で言うならば「仏性を湧現させる・磨く修行」の必要性ということなのでしょう。

確かに吉野作造は「楽天的」「積極的」に「人間の善性」が無限向上する「可能性」を説いて止みませんし、「人間には善性(神の子)」が内在するという論拠をたよりに、入れ物やシステムがどうであれ、人間は和楽共和の世界を形成できると説きつづけます。

しかし、その根底には、根拠のない楽天的な脳天気な立場からの発想というよりも、「信仰」によって「人間」は「陶冶」され、お互いに手を取り合える存在であるという「信仰」があったからなのだろうと思います。

その意味では、吉野の人間観というのは、「楽天的」と片づけてしまうには、齟齬が多く、今後どのように評価・表現していけばよいのか悩むところです。

そして、罪の問題が稀薄であるからといって、世俗外禁欲が全く欠如しているという節もないので、そのあたりももう少し踏み込んでいく必要があるかも知れません。

ちょうどうえの文章では、吉野作造は旧制高校時代の思い出を語っておりますが、そこでは「当時私はまだ信者ではなかつたけれども、基督教の楽天的な積極的な人生観にかぶれて居つた」と吐露しておりますが、仏教的無常観を説いた鴨長明の話題をめぐって作文を何度も書き直しさせられたエピソードが語られております。

完全な世俗外禁欲を励行したわけではありませんがその境界線上を歩み続けた鴨長明との出会いにも、吉野の世俗外禁欲形成に伴うヒントがあるかもしれません。自叙伝を残した人物は数多く存在しますが、吉野の場合、まとまった形の自叙伝は本人自身、一冊も残しておりませんが、それもある意味では世俗外禁欲の結果なのかもしれません。

……などと談笑しつつ、やはり、学問の師・鈴木範久先生は偉大でありました。

どこにそれだけの大きな引き出しと知識、そして今なお増しつつある探求心。
世界中から鈴木先生を求めて訪れる研究者が多いのも理解できますが、そうした大先生のもとで学べる自分自身の幸福と責任も自覚するわけで、いつもお会いするたびに、自分のちっぽけさと学問探究者としての自分自身の未熟さを自覚する毎日です。

その意味では、世俗内の学問世界になりますが「師匠」とはありがたいものです。吉野作造も上の文章では、佐々先生(佐々政一〔醒雪〕,1872-1917)の学恩に対する深謝を述べておりますが、まさにそのとおりで、人間は人間によってしか磨かれませんし、それによって学問も人間性も深めていくことが可能なのだと思います。

ともすれば、一般的な世間では、師匠をもつことに対して「自分自身の個性がなくなってしまうから、いやだ~」という風潮が顕著に見られますが、実はその逆で師匠をもつことによって自分自身が開眼開花するのではないだろうか……鈴木先生との交流・薫陶のなかでいつもそのことを思います。

どの道、どの世界においても、模範とする師匠がいない人生こそ「自分自身の個性がなくなってしまう」のだろうとつくづく実感するわけですが……。

で……。
この博論指導へ伺うといつもその前後に立ち寄るのが「笠置そば」です。

都内ですと、西荻窪にもあったかと思いますが、経由路線の都合上、西武線の本川越で降りて、東武東上線の川越市駅まで歩いていくのですが(直結じゃないので)、その途上にあるのが、この「笠置そば」です。

フランチャイズのいわゆる「駅そば」なんですが、単なる「駅そば」ではございません。

ふつうのイメージですと、あらかじめ湯煎されたやつを、もう一度湯煎して戻し、汁を入れてさっと出すというあり方ですが、コチラでは、あらかじめ湯煎の取り置きをせず、最初から茹でてくださり、一旦冷水で締めぬめりをおとし、そして再度湯煎して出してくれ、種物も取り置きの揚げ物ではなく、一枚一枚揚げてくださったのをのせてくれます。

今回は、ゴボウ天とちくわ天をセレクト。揚げたてですから、天から溢れる汁まで熱く濃厚です。

毎度よるわけですが、叮寧に出された蕎麦は格別で、毎度巡礼せざるを得ません。

ご近所の方はどうぞ。

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一切を生産に差向けられたものとなす産業主義的概念と可成に異つた価値階列

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 文化の「人間中心主義的」(anthropocentrique)概念に対して、キリスト教的概念は、真実に人間的な且つ「人間主義的」(humaniste)概念として対立するが、私はこの語を使用しつゝ、その語の語源的意味に違はぬ唯一の『人間主義』(humanisme)を考へてゐるのである。それは即ち聖トマス・アクィナスがその実例を示す所のそrであり、キリストの血によって清められたるヒューマニズムであり受肉性の人間主義(humanisme de l'Incarnation)である。
 かかるヒューマニズムは本質的な聖階秩序(ヒエラルシー)を尊重し、観想的生を活動的生の上位に置き、観想的生がより直接的に第一『原理者』のその愛(そこにこそ完徳性が存する所の)にむかつて行くことを知つてゐる。それは活動的生が犠牲にされなければならないといふのではなく活動的生はそれが完全者達の許において実現する所の模型(タイプ)に、即ち観想の充溢より発する所の活動にむかつて行かねばならないといふのである。
 しかし聖人達の観想を人間的生の頂点におくならば、然らば人間の一切の活動は、而して文明自らはそれに向つて、将に自らの目的として秩序づけられてゐるといふことを意味すべきではないか。聖トマス・アクィナスは(おそらくは幾分の皮肉なしにではなく)然うであるかの如くに思はれるといつた。何となれば肉体的労働や商業は、生活に必要なる事物を身体の為に獲得して、観想の為に要求されたる状態におかれる様にする以外の目的を有しないから。道徳的諸徳と実践的思慮は、観想にとって必要なる情念の静穏と内的平和を獲得する事以外に何の目的があるのか。国民的生活の全支配は、観想に必要なる外的平和を確保する以外の何の目的があるのか--「それらを正にあるべき如くに考察するならば、人間的生活の一切の機能は、真理を観想する人々に奉仕する如くに思はれる」。
 正にここに近代世界が持つ所の文明観たる、一切を生産に差向けられたものとなす産業主義的概念と可成に異つた価値階列が存する。人々はここに貨幣の繁殖性の--自然によって規定された条件から逸出する一切のものと同じく制限のなき繁殖性--上に立てられた制度政体からそれ自身出で来たる所の「経済の優位」が何の点において、資本主義にせよマルクス主義的にせよ、唯物論的なる文化の概念が何の点において、教会の共同の師聖トマスの思想と対立的なものであるかを理解する。
    --ジャック・マリタン(吉満義彦訳)『宗教と文化』甲鳥書林、昭和十九年。
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詳しくは措きますが、ひさしぶりに市井の職場のまたまた例の如く「アエリナサ」に「怒り心頭」で、『ランボー 怒りの脱出』(Rambo: First Blood Part II )のシルヴェスター・スタローン(Sylvester Gardenzio Stallone,1946-)のように、裏拳にて壁に拳を繰り出そうかと思ったほどですが、繰り出してしまうと、宇治家参去とスタローンではつくりが違いますので、手が悲鳴をあげてしまうということで、ひさしぶりに痛飲でしのぐことで、お茶を濁すという状況です。

金儲けの現場は確かに大変で、このことは世の勤労者がつくづくと実感するところなのでしょう。それでもなお、やはり考えないといけないのは、「制限のなき繁殖性--上に立てられた制度政体からそれ自身出で来たる所の『経済の優位』」と自分自身がどのような関係を結んでいくのか、実に問われているのだろうと思わざる得ない昨今です。

古典的なマルクス主義にせよ、高度に発達した現代資本主義のそれにせよ、「貨幣の繁殖」を「制限のなき繁殖性」を目指して追求していくのは同じなのでしょうが、古典的時代においても、そして現代の時代においても、集散性や効率、そしてシステムと流通に違いはあったとしても、そこに現実に存在する「人間」の問題を欠いてしまった場合、黄金は残ったとしても不毛な砂漠しか残らないのでしょう。

欲望は欲望を生み、その欲望は際限なき欲望を生んでいく。
しかし、その欲望の主体も人間であるし、その欲望を担保する「信頼」を実体化させる根拠も人間なのですが、「百年に一度」の事件を眺めていると、どうも「人間」という視座が見えないようで、そして、現実に、金銭や物品の受け渡しをする最前線で仕事をしていても、そのことが「建前」としては見えるのですが、現実にはまったく「見えてこず」凹んでしまうことの多い毎日です。

警世の預言者・内村鑑三(1861-1930)であったならば、「この、拝金主義者め」と痛罵することも可能でしょうが、現代の人々にはその言葉はなかなか受けとめられないかも知れません。

「あなただけ、お好きに、高潔な生き方を選択してくださいな、私は私で、この拝金街道まっしぐらで結構ですから」というかたちで、「やんわり」と話をクローズされるのがオチでしょう。

しかし、手段が目的に転じてしまうというのは、なにかがちがうんだよなナ~という違和感が残るところで、アリストテレス(Aristotle,384.BC-322.BC)が説いたように、手段-目的の連鎖の集結点は「幸福(善の実現)」にあるはずなのですが、目的が喪失した手段だけがひとりあるきしているようで……、そしてそれに対する有効な言説が不足している、あるいは力をうしなっている……そこに何か不毛さ感じてしまう次第です。

しかし、実はハナから「有効な言説」など存在しないのであって、言えることは、子供に対する説教のような「言い方」、すなわち、「“何のため”という問いかけ」しか実は存在しないのであって、それをどう粘り強く語り続けていくのか、そしてそれをどう自分の生き方として昇華していくのか……それしかないのかもしれません。ただぼんやりとですが。

さて--。
出勤前、所属する研究所より荷物がひとつ。
昨年仕上げ、一月に活字となった論文の「抜刷」(50部)が到着。
例年ことですが、「抜刷」が届くと、「さあ、そろそろ、次のヤツに手をつけないと……」と思うのですが、思うだけで終わってしまうことが殆どですから、本年はすこし「変えてやろう」というわけで、二日酔いの頭で、次年度分の史料を読んでいるところです。

今回は、戦前日本を代表するカトリック思想家・吉満義彦(1904-1945)の議論を参考に、「人間主義批判」を考えてみました。言うまでもありませんが、批判といっても、「人間主義」に対する「アンチ」ではなく、「クリティーク」するという意味であって、現代の思想世界において圧倒的に評判の悪い!「人間主義」(精確には「人間中心主義」の問題)を検討し、どのように、その精神を快復していくのか概観しようと試みたわけですが、ご多分にもれず、予定稿数をオーバーしてしまったので、「その1」ということで区切り、次年度は、マア「その2」というわけです。

世界史の教材を繙くまでもなく、宗教改革、ルネサンスを経て、権威の漆喰をうち破る原動力として「人間主義」の言説が整備されたわけですが、過去の歴史を振り返ってみればわかるとおり、「人間のため」という言い方で「人間」自身が疎外されてきたのは疑いのない事実です。ですから現代思想の世界では、「もうそんな人間にこだわる、人間とは何かを考える必要などないヤ」って気風が顕著です。

しかし、それで済ませるのも、なんだかなあ~という状況で、「貨幣に対する際限なき欲望」のごとく?「“人間とは何か”という答えのない永遠の問いかけ」を際限なく探究する欲望のみは横溢で、そのあたりを博士論文とは別に探究しております。

「その1」では、吉満義彦の近代批判を振り返り、近代の中心に位置する「人間(中心)主義」の説く「人間」なるものが、実は「空虚で空っぽな」“抽象化”された立場のそれにすぎないというところを概観したわけですが、「その2」では、吉満の立場(カトリック神学/ネオトミズム)からの提示された対抗概念〔受肉性の人間主義(humanisme de l'Incarnation)〕を確認できればと考えております。

うえに引用した文献は、吉満の師にあたるフランスのカトリック思想家ジャック・マリタン(Jacques Maritain,1882-1973)の論文を日本語に翻訳して、吉満自身が解説を付けて出版した著作なのですが、発刊が昭和十九(1944)年のことです。

吉満が亡くなる一年前なのですが、まさに「一切を生産に差向けられたものとなす産業主義的概念と可成に異つた価値階列」よろしく「一切を戦争に差向けられたものとなす産業主義的概念と可成に異つた価値階列」をつっぱしていった状況に冷や水を指すような内容なのですけれども、よく出版できたよなっていうところに驚きです。

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(一)ただしさ、(二)わかりやすさ、(三)ありがたさ

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 ……ここでふたたび最初にとりあげた翻訳につき考慮される三要素、(一)ただしさ、(二)わかりやすさ、(三)ありがたさ、にかえろう。むろん、聖書の日本語訳のいずれにおいても、これらの要素は不可欠であるが、これを聖書の日本語訳の歴史においてかえりみると、まず、キリシタン、または中国において、深刻な問題であった「カミ」の訳語を始め、「愛」などのキーワードとなる言葉の訳の適切さについては、どうやら激しい議論がなされなかったといってよい。わずかにウェンライトにより、天地の出現をめぐり「成る」か「造る」かの重要な指摘があったにもかかわらず、それは大きな議論をよばなかった。すなわち日本においては、翻訳の「ただしさ」(これの比重はしだいに増大してくるとはいえ)よりも「わかりやすさ」と「ありがたさ」への関心が強い。あったのは語義論ではなく文体論である。あわせて妥協的である。
 それにもかかわらず、日本語訳された聖書は、日本の文化、社会に大きな影響を与えた。「ただしさ」への比較的な無関心の所産である「神」や「愛」が、日本語の「神」とか「愛」の言葉の概念を変える作用をもたらしている。たとえば夏目漱石の作品『行人』(一九一四)で語られている神はもはや従来の日本の神ではない。あるいは有島武郎を「惜みなく愛は奪ふ」(一九一七)でいう愛は、仏教的、日本的愛とは異なり、「惜みなく愛は与へる」意味となっている。その意味にもとづくからこそ、はじめて「惜みなく愛は奪ふ」の論題が成り立つのである。さらに翻訳に強くみられた文体論への傾斜は、日本の文学をはじめ日本文に新しい折衷体を生み出した。日本の近代詩歌はもとより、文学との深い関係はすでに多く論じられている。
 今回は聖書の翻訳の面から見たに過ぎないが、このことは同時に日本のキリスト教の受容全体にもあてはまらないであろうか。キリスト教思想の受容も、同様に感覚的、情緒的、あるいは風俗的な「文体」への傾斜であり、ときには妥協であることである。キリスト教の「ありがたさ」の受容に比し「ただしさ」の受容が、今なお大きな課題となっているかもしれない。
    --鈴木範久「聖書の日本語訳--略史と問題」、鈴木範久監修『聖書と日本人』大明堂、2000年。

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聖典の他言語への翻訳は非常に難しい問題です。
いっそのこと、イスラームの『クルアーン』のように、聖典としての利用における翻訳を忌諱する立場もありなのかもしれませんが、現実の受容に関しては、これもまた困難です。
※もちろん、『クルアーン』の場合も、日本語訳(現在三訳)もありますが、それはあくまでも「信徒」にとっては「補助的な手段」「参考」にすぎず、聖典としてはアラビア語で伝えられたそれをもちいなければなりません。なぜなら『クルアーン』が預言者・ムハンマド(Muhammad,570頃-632)に対してアラビア語で伝えられたという事実が、伝統的に重視されますので、アラビア語で書かれたそれのみが『クルアーン』と見なされるわけです。

さて、最初に戻りますが、聖典の他言語への問題ですが、『クルアーン』における補助的注釈としての翻訳の事情の由来もそれに由来するわけですが、他言語へ翻訳する必要性は、やはり、その宗教が、大雑把に言えば、それが世界宗教への展開するための不可避的な問題なのでしょう。

イスラームでいえば、もともと、アラブ人のアラビア語を話していた地域で布教が始まったわけですので翻訳などという問題は元々なかったわけですが、それが拡大するなかで、最初に直面するのが翻訳の問題でした。最終的には上述したとおり、聖典ではなく「注釈」「補助」「参考」という位置づけですが、アラビア語を母国語としない者にとっては非常な便宜となっているのは言うまでもないでしょう。

そしてキリスト教の場合、仏教の場合も、イスラームでいう「注釈」「補助」「便宜」というわけではありませんが、その苦労は同じです。

キリスト教の『新約聖書』の場合、もともとは当時のローマ帝国で一般的に流通していたギリシア語方言のひとつ「コイネー」によって書かれたものですが、早い時期からラテン語、シリア語、コプト語に翻訳され、流通していったようです
※「正典」の成立はまた別の問題なので、後日紹介します。

仏教においても、パーリ語なんかで記録された初期仏典が、これも早い時期から、各地の言語に翻訳され、布教に欠かせないメディアとして同じように利用されております。

しかし、布教・そして利用に関して、欠かすことのできないメディアとしての「聖典の翻訳」ですが、これが実に非常に難しい問題です。

たとえば、日本にキリスト教が伝来するのは、「以後・よく・広まる・キリスト教」という語呂合わせで覚えた「1549(天文18)年」、フランシスコ・ザビエル(Francisco de Xavier,1506-1552)の鹿児島上陸をその嚆矢とします。

しかし、キリスト教で説く「カミ(Deus)」の概念をどう翻訳するのか……先人たちは並々ならぬ苦労をしたようです。鹿児島で訳された初期の訳語に「大日」という訳語がありますが、これは、太陽をシンボルとする「大日如来」をヒントに訳された言葉ですから、かなりの混乱があったようです。由来を何も知らないひとびとは、それこそ、「天竺(インド)より更に西から着た新しい仏教の一派」との勘違いが生じたようで、この訳語は早々に放棄されてしまいます。その後紆余曲折を経て、翻訳不可能ということで、ラテン語の言葉Deusをそのまま音写し、「でうす」という言葉がキリシタン時代には、神をあらわす言葉として流通します。

これはキリシタン時代のキリスト教における一コマですが、神を「大日」と訳すように、「聖典」の「他言語」への翻訳は非常に難しいわけですが、どの宗教においても、それが世界宗教であろうとすれば、まさに「避けては通れない」艱難なのでしょう。

さて……。
日本においては、キリシタン禁教後、再び、キリスト教が紹介されるのは幕末~明治維新以後ということになります。解禁後、米英のプロテスタント系宣教師団と日本人協力者を中心に、さまざまな翻訳がおこなわれるわけですが、そこでの問題をまとめたのが最初に引用したまとめの一文です。

まず、大前提として「聖典の翻訳」において必要不可欠の要素とは何かといった場合、最大公約数として指摘できるのが次の三つの部分であることは論を待ちません。すなわち、「(一)ただしさ、(二)わかりやすさ、(三)ありがたさ」がそれであります。そしてこの三つの要素がうまく調和したとき、マア最高の翻訳の誕生ということになるのでしょうが、これがなかなかできず、聖書の日本語においてはどうだったか、振り返ってみるならば、どちらかといえば、「ありがたさ」の受容に比し「ただしさ」の受容があまり省みられなかったといってよいでしょう。これが日本におけるキリスト教の受容そのものの問題と密接にリンクしているわけですけれども、例えば、聖書に記述された「カミ」もそのひとつです。もともと、日本語における「神」の概念は、一神教でとかれる「唯一神」の概念を意味しておりません。いわばアニミズムやシャーマニズムの手垢にまみれたそれで、物の怪から生き霊、悪霊までを意味するひろい概念です。

これがキリシタン、または中国においては、「ただしさ」の観点から喧々諤々の議論が繰り返され、前者においては「でうす」、後者においては「天主」という翻訳が採択されるわけですが、こうした問題に関してはあまり議論されることがなかったということです。
※例えば、「愛」に関しても同じで、仏教的エートスの土壌においては「愛」とはすなわち「愛着」の「愛」であり、解脱を妨げる否定的概念であり、キリスト教の説く「愛」とはもともと似ては似つかぬ概念です。

で……。重視された「ありがたさ」への関心ですが、実はこの問題も軽視すべからざる問題の一つです。重視が悪いと言うことでは全くなく、重視されてしかるべき問題の一つです。これはどこかの知識人がいっていた談話ですが、例えば、己のモットーなんかを短い言葉で表示する場合、例えば、断然、中国の古典とか、日本の古文から拾ってくる方が、「ありがたく」感じてしまう。それにくらべると、西洋古典の現代語翻訳の文章をそこにもってきてしまうと、内容がどのように良くても「うすっぺらく」聞こえてしまう。こうした問題があるのだろうと思います。

どちらがよいかというわけではりませんが、伝統的な日本文体論においては、はやりどちらかといえば、「文語体」の文章の方が「ありがたさ」を伝えることには一役かったのは事実でしょう。

聖書の「マタイによる福音書」(五・3-10)を例えば、文語体と口語体の代表的翻訳を比べてみると次の通りです。

まずは、1917年に出版されたのが『大正改訳』と呼ばれる翻訳聖書です。
この翻訳はがちがちの文語体というよりも、少し折衷訳なのですが、教会外の人にも多く読まれ、日本におけるキリスト教理解に大きく貢献したことでしられた文献です(「目から鱗」、「狭き門より入れ」といった日本語の成句として定着した言葉もこの翻訳聖書に由来します)。

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『幸福(さいはひ)なるかな、心の貧しき者。天國はその人のものなり。幸福なるかな、悲しむ者。その人は慰められん。幸福なるかな、柔和なる者。その人は地を嗣(つ)がん。幸福なるかな、義に飢ゑ渇く者。その人は飽(あ)くことを得ん。幸福なるかな、憐憫(あはれみ)を得ん。幸福なるかな、平和ならしむる者。その人は神の子と称へられん。幸福なるかな、義のために責められたる者。天国はその人のものなり。』

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次に、1987年に出版された『新共同訳』ですが、これは現在もっとも広く流通している日本語聖書になりますが、同じ箇所を示すと次の通りです。

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 「心の貧しい人々は、幸いである、
   天の国はその人たちのものである。
  悲しむ人々は、幸いである、
   その人たちは慰められる。
  柔和な人々は、幸いである、
   その人たちは地を受け継ぐ。
  義に飢え渇く人々は、幸いである、
   その人たちは満たされる。
  憐れみ深い人々は、幸いである、
   その人たちは憐れみを受ける。
  心の清い人々は、幸いである、
   その人たちは神を見る。
  平和を実現する人々は、幸いである、
   その人たちは神の子と呼ばれる。
  義のために迫害される人々は、幸いである、
   天の国はその人たちにものである。」

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一慨にその善し悪しを云々することは難しいですが、「ありがたさ」という観点すると、やはり『大正改訳』の方がこなれているのでは?などと思ってしまいます(ワタシダケ?)

で……。
「ただしさ」という議論はひとまずおきますが、それにもかかわらず、『大正改訳』で日本語化された言葉「目から鱗」、「狭き門より入れ」が常套句として定着したように、こうした聖書の「翻訳に強くみられた文体論への傾斜は、日本の文学をはじめ日本文に新しい折衷体を生み出した。日本の近代詩歌はもとより、文学との深い関係」を生みだしたのは事実ですから、俗に「人口比1%の信徒数でありながらも、10%以上の影響を与えた」というのは紛れもないそのひとつの偉業になることは間違いないと思います。

さらに踏む込めば、例えば「愛」という言葉にしても、もともと「否定的要素」しかなかったこの言葉に、「積極的な言葉」の概念を与えた・変化をもたらした事実も同様に評価できるのだろうと思います。

とわいえ、「ただしさ」への無関心も問題であるわけで……。それならば原典で読んで、信仰しろっていうファッショな言い方も否定はできませんが、それはそれでねえ……と感じつつ、その難問を前に……散歩の途中に買い求めたオーストラリアワインを呑むある日の宇治家参去です。

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涙の谷への批判

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実は……12月中旬まで、いわゆる「休み」というやつがなく、例の如く考察不足なのですが、ちょい読んでいて、気にかかるところもあったりしたものですがから、読んでいたところと、その簡単なメモというあたりで許して頂ければ幸いです。

【1】は有名なマルクス(Karl Heinrich Marx,1818-1883)の宗教批判の部分です。
【2】はカトリック世界を代表する神学者カール・ラーナー(Karl Rahner,1904-1984)の宗教批判……というよりも、おのれ自身に対する反省と展望の部分です。

前者はマルクス主義のいわば創始者であり、その宗教批判=宗教=阿片はつとに有名です。後者は、20世紀のカトリック神学を代表するイエズス会士にて、第2バチカン公会議において主導的な役割を果たした人物として広く知られております。

すべての事象を「もの」に還元して考えてみるものの味方と、信仰の眼であったとしても、つねに人間という視点を保持しながら解釈したものの味方の対比といってよいでしょうが、おなじ対象に対しても異なるアプローチが存在することが理解できるかと思います。

【1】

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 誤謬の天国的な祭壇とかまどのための祈り〔oratio pro aris et focis〕が論破されたからには、その巻添えをくって誤謬の現世的な存在も危うくされている。天国という空想的現実のなかに超人を探し求めて、ただ自分自身の反映だけしか見いださなかった人間は、自分の真の現実性を探求する場合、また探究せざるをえない場合に、ただ自分自身の仮象だけを、ただ非人間だけを見いだそうなどという気にはもはやなれないであろう。
 反宗教的批判の基礎は、人間が宗教をつくるのであり、宗教が人間をつくるのではない、ということになる。しかも宗教は、自分自身をまだ自分のものとしていない人間か、または一度は自分のものとしてもまた喪失してしまった人間か、いずれかの人間の自己意識であり自己感情なのである。しかし人間というものは、この世界の外部にうずくまっている抽象的な存在ではない。人間とはすなわち人間の世界であり、国家であり、社会的結合である。この国家、この社会的結合が倒錯した世界であるがゆえに、倒錯した世界意識である宗教を生みだすのである。宗教は、この世界の一般的理論であり、それの百科全書的要綱であり、それの通俗的なかたちをとった論理学であり、それの唯心的な、対面にかかわる問題〔point-d'honneur〕であり、それの熱狂であり、それの道徳的承認であり、それの儀式ばった補完であり、それの慰めと正当化との一般的根拠である。宗教は、人間的本質が真の現実性をもたないがために、人間的本質を空想的に実現したものである。それゆえ、宗教に対する闘争は、間接的には、宗教という精神的芳香をただよわせているこの世界に対する闘争なのである。
 宗教上の悲惨は、現実的な悲惨の表現でもあるし、現実的な悲惨に対する抗議でもある。宗教は、抑圧された生きものの嘆息であり、非常な世界の心情であるとともに、精神を失った状態の精神である。それは民衆の阿片である。
 民衆の幻想的な幸福である宗教を揚棄することは、民衆の現実的な幸福を要求することである。民衆が自分の状態についてもつ幻想を棄てるよう要求することは、それらの幻想を必要とするような状態を棄てるよう要求することである。したがって、宗教への批判は、宗教を後光とするこの涙の谷〔現世〕への批判の萌しをはらんでいる。
 批判は鎖にまつわりついていた想像上の花々をむしりとってしまったが、それは人間が夢も慰めもない鎖を身にになうためではなく、むしろ鎖を振り捨てて生きた花を摘むためであった。宗教への批判は人間の迷夢を破るが、それは人間が迷夢から醒めた分別をもった人間らしく思考し行動し、自分の現実を形成するためであり、人間が自分自身を中心として、したがってまた自分の現実の太陽を中心として動くためである。宗教は、人間が自分自身を中心として動くことをしないあいだ、人間のまわりを動くところの幻想的太陽にすぎない。
    --カール・マルクス(城塚登訳)「ヘーゲル法哲学批判序説」、『ユダヤ人問題によせて ヘーゲル法哲学批判序説』岩波文庫、1974年。

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【2】
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 十六世紀以降のヨーロッパ植民地主義の動きの中で教会は、事実上世界宣教の使命を引き受けた。しかしながら教会は私たちの時代に至るまで、無邪気にも、またやむをえずキリスト教を世界にもたらそうとしたけれども、多少とも(理論的にではなくとも実践的に)ヨーロッパの輸出品目として伝達して来たキリスト教だったのである。それでもヨーロッパ以外の他の国々の兄弟たちは、不本意ながら、家庭における未成年者のように子供扱いされてきた。私は彼らにラテン語で神学を教え、ラテン的典礼を授け、日本では彼らのためにネオ・ゴティックの教会を建て、彼らにヨーロッパの聖歌を唱わせ、彼らのためにヨーロッパ人の司教を与え、あるいはヨーロッパの尺度に従ってその地の司教をローマで選出した。
 以上のことは皆良いことだと思われ、また長いこと避けがたかったかもしれない。たとえ私たちヨーロッパ人が罪深いキリスト者でありながらも、同時にこれらのことをヨーロッパ風の尊大さと思いあがりの一端であることを認めなければならないとしてもである。ところで今日、あらゆる同胞に対して、ひとつの人類という同権と成熟さを認めようとする時代にあっては、教会はもはや全世界に輸出する西欧的キリスト教的な輸出物を伴ったヨーロッパの教会のままにとどまっていてはならない。教会は現に実際、世界教会となるべきである。そしてこの使命の実現は、今日私たちの状況を通じて与えられている、ある新たなキリスト教的兄弟愛の形態であり、この兄弟愛は、相共にただひとつの教会を構成している諸教会の人々の間で有力にならなければならない。それだからといって教会の一体性、世界中どこでもユダヤ--西欧的起源に由来しているという事実、ローマにその中心があることは否定されたり、不分明になったりする必要はないのである。ところでキリスト教が要求するような兄弟愛は、今日でもやはり、世界教会そのものを現実に実現するという使命をになっている。
 たしかに、第二バチカン公会議に、また前にこれまでその方向に向かっていた全てのことにおいて、この使命と実現とが始まった。はじめて公会議において世界中の司教が召集され、地球上のほとんどあらゆる民族と文化の代表者たちが、教会の幾多の決断に積極的に加わった。神学はもはや単に十九世紀前半のネオ・スコラスティックの神学にはとどまってはいなかった。全世界に対する教会の特有の言語としてのラテン語の廃止(撤廃ではない)によって、典礼における多様性への道が原則的に開かれた。それにもし世界教会というものが、真に同権を認められた兄弟たちと、同権になった個々の教会から成り立つようにしようとすれば、この道は開かれざるをえないのである。しかしながら、一なる教会におけるすべての人の兄弟の同権をめざすとすれば、そしてまた西欧の優位性の解消をめざすとすれば、なすべきことがまだたくさんある。
    --カール・ラーナー(宮沢みどり訳)『あなたの兄弟とは誰か』(サンパウロ、昭和60年)。

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マルクスの宗教批判も理解できないことはありません。
宗教そのものが生きている人間そのものを疎外する要因と見て取ったその発想には理解、いや共感すらおぼえるものですが、現実にはそれだけでもないだろう……という違和感がどこかにのこってしまいます。

しかしながら、通俗的な俯瞰図で恐縮ですが、人間をとりまく人間と世界とは、決して単なる「リアル」な「もの」だけの世界でもありません。

宗教批判が有効に機能するためには何が必要なのでしょうか。

宗教を「リアル」な「もの」として批判するあり方にも耳を傾けながら、それでもなおかつ、自分自身が、その問題を「自分自身」の問題として対象化しないかぎり有効には機能しないのではないでしょうか……そのことを倫理学と神学が交差する狭間で生きておりますと至極実感致します。

信仰そのものには、信仰者にとって、絶対に「絶対」という契機が必要です。しかしながら、その「絶対」をどこかでチェックするもうひとりの「自分自身」の存在も必要なのでしょう。

宗教批判はいわば玉石混合の世界ですが、そうした批判に耳を貸さないとしても、自己自身が自己自身をチェックする、そうした自己批判……こういう表現が、またマルクス主義的な「自己批判」とか「査問」とか「粛正」という言葉を連想しそうでいやなのですが……自分自身がどこかで“熱い”自分自身を確認する“醒めた”自分自身も同時に必要なのではないだろうか……などと思うわけでございます。

そのことによって、絶対と絶対の殴り合いから、絶対と絶対の握手に向かう一歩が踏み出せるような気がしてほかなりません。

とりあえず、今日は、季節限定……この言葉に弱いのですが……麒麟の「Premium無濾過・Beer Chocolat」で「ゴマだれ団子」で癒しのひとときです。

味わいは、「濃い~」という感じですが、黒ビールともまた違います。「Beer Chocolat」とある通り、後味が「チョコレート」っぽいです。それもそのはずなんでしょう……「チョコレート麦芽一部使用」(そんなのがあるんだ!)との通りでございます。

おもったより、団子と合いますね。

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過去と未来を繋ぐ神学とか宗学とか教学

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 宗教の歴史をみれば分かることだが、どんなにすばらしい宗教運動でも、単なる宣教や牧会、霊性や信心、または政治運動や教育事業、社会福祉事業などの活動を中心としただけの宗教教団は、結局、線香花火や根無し草みたいに、一時的には栄えても、自滅消滅してしまう。ある宗教運動が、その社会や文化に根づき、歴史上長く存続し、遙かな世紀にわたって大勢の人々の思考と生き方に影響を与え、彼らの安心立命と「魂」の救いのために貢献するためには、次の二つのことが要件となると思われる。一つは、しっかりした組織としての教団を確立すること。もう一つは、創始者の教義が研究され、愛敬的にまとめられ、理論化され、文書化された教学(宗学)が存在し、機能することである。鎌倉仏教の例を見てもそれは明白である。
 キリスト教では、イエスご自身は何も書かれなかったが、復活のイエス・キリストの出現を体験した使徒や弟子たちにより、イエスの言行が記録され、かつそれをめぐって、例えばパウロによって、福音信仰による義認という贖罪と救済の神学が構築された。それゆえ新約聖書という一つの教典を持つことができたのである。もし新約聖書がなかったら、キリスト教は歴史上、存続していなかっただろう。キリスト教が、人々の心と魂に、更に地中海世界やヨーロッパ世界の社会と文化にほぼ完璧にインカルチュレーション(福音の文化的受肉、あるいはキリスト教の文化内開花、つまりその国の民族の文化、風俗習慣への完全な血肉化のこと)できたのは、初代教会(イエスの生存と宣教と逝き方の記憶を基に、使徒や弟子や監督や長老たちが中心になって伝道し、信者を増やし、教会を設立、発展させていた時代)から殉教の時代、それから教父の時代(教義の理論化と神学大系の構築がなされ、初期の公会議が開かれた頃。四世紀から七、八世紀くらいの時代)と段階的に続いてきたからではないだろうか。
 大雑把で恐縮だが、日本のカトリック教会で言えば、宣教師の渡来とキリシタン増大の時代のあと長い迫害の時代を迎え、今こそ教父の時代を迎えていると言えるのではないだろうか。無論、これまでも優れた神学者や思想家、哲学者も現れたが、残念ながら、後継者の養成や学問の継承という点ではあまり成功したとは言えない。この点、日本のプロテスタントは、明治初期から学問的にも優れた指導者を大勢輩出させ、国家権力による教会の合同・合併という苦しい宗教弾圧を経験したが、有為の弟子たちを多数育成し、その成果は多くのキリスト教主義学校に継承されている。キリスト教の学術書や聖書の研究書の多くは、プロテスタント系出版社による刊行であるが、信心書や霊性の書物ばかりでなく、神学の著作を発行することも、カトリックを宗教文化として日本に定着させることにつながるであろう。
 最後に、日本の神学の構築に向けて一言述べたい。日本の宗教・倫理文化は、人間とは何か、自己とは何か、いかに生きるのかといった課題をめぐって展開されることが多いので、少なくても実践神学の分野においては、インカルチュレーションの問題も含め、オリジナルな日本の実践神学を構築できるはずであると、私は考える。
    --越前喜六「なぜ教会は学問に力を入れるべきか」、『神学ダイジェスト 91』2001年、上智大学神学会。

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本を整理し始めると、整理という本来業務がおろそかになってしまい、整理を脇において、「読み始めてしまう」宇治家参去です。

ちょうど休みだったので、古い紀要をまとめて整理していたのですが、整理ははかどらず、結局、コーヒーを飲みながら、読んでしまったのがうえの引用文でございます。

ちょうど修士のころ、日本におけるユニテリアン運動を初めとするキリスト教諸派の研究していたことがあるのですが、例えば明治とか大正時代に、一時は「わぁーっ」と拡がり、広汎な影響(宗教のみならず文化に対しても)を与えたにもかかわらず、宗教運動としては失敗した事例というのがたくさん存在します。

誤解を招くような表現で恐縮ですが、たとえば、文化的には派手に影響をあたえたけれども、宗教運動(教会形成)には失敗し、具体的に言うならば、法人として消滅してしまった事例というのが存在します。ユニテリアンの運動もそのひとつです。

翻ってみると、文化的に広汎な影響を与えるような「派手さ」はありませんが、例えば、純粋な福音主義を貫き教会形成・信徒の育成に心血を注いだ教派は、連綿と生き残っているという事実も一方には存在します。

その意味では、素描と実感になりますが、宗教(団体)というものは、信仰形成(個の側面)、教会形成(全体の側面)、そして学問の3つの領域のどれがかけてもだめなのかな……などと思ってしまいます。

信仰形成とは、すなわち、個々の信仰者の信仰(心)の薫陶といことです。

そして教会形成とは、信仰共同体の形成という部分です。信仰は機械的な部分・作業・修行としては個々の一人一人の問題になりますが、信仰とは決してひとりでできる・維持できるものではありません。だからこそ、共同体の形成が大きな問題になってきます。

そして、うえの引用文でも触れておりますが、やはり3つ目の視座として学問(教学・宗学)という部分です。信仰を深めるための教義研究・研鑽は必要不可欠です。しかしそのためだけに信仰に関わる学問が存在するわけでもございません。ほかにはどのような視点があるのだろうかと考えてみますと、ひとつには、現実の存在に対する「批判」という役割が存在すると思います。「批判」ということばためにする批判の批判というよりもカント(Immanuel Kant,1724-1804)的なクリティーク(Kritik)という意味合いですが、いわば、現実の存在・運動・情況を「反省」するとでもいえばいいのでしょうか……そうしたところあると思います。

誤解を招く表現ですが、いわば、学としての立場から、自己自身、そして共同体自身が恣意的になっていないのかチェックしながら、その文化的背景のなかで、次代へ繋いでいくそうした使命が、信仰に関わる学問には存在すると思います。

「厚き信仰心だけで充分だろう、ボケ」っていわれそうですが、それはそれで大切であったとしても、それだけでは充分じゃないのだろうと思います。自己自身の問題でありながら、次に繋いでいくこと失敗した場合、宗教(運動)は消滅してしまいます。
個の側面、そして共同の側面、そして過去と未来を繋ぐ学の側面は宗教においては必要不可欠なのだろうと思います。

現実にはこの三者には温度差が存在します。

しかし、その三者が有機的にかみ合った場合、その運動は飛躍的展開を迎えるのではないだろうか……宗教史を学ぶとそのあたりをよく実感します。
※ただし、そうした個、共同、学という機軸で宗教をみるものの見方は、近代以降の宗教理解で、アニミズムとかそのへんはどうするんだ!といわれそうですが、そのことは承知の介ですけどもキリスト教研究者としては、ひとまず、キリスト教とか仏教といった対象に関しては上述のような視座が重要になってくるということだけは言い切れるのだろうと思います。

では、仕事に戻ります。
もう一度、整理しなおすところから……。

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道徳的に厳しく悪いことを許さないイメージ

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 キリスト教徒作家やミッション・スクールの影響は、なんといっても日本人の多くがキリストについての何らかのイメージをもつようになったことに示される。キリストの教えである福音そのものの理解はまだ不十分であるが、漠然としたかたちで隣人愛、博愛主義的な視野の広がりをもたらしている。しかし、文学作品とミッション・スクールという道を通っているだけに、キリスト教が西洋文化の最も重要な要素という意識が強く、それが人類の宗教とか私たち日本人にぴったりくる信仰として受け入れるには、いまだ至っていないという感を禁じえない。御利益を中心とする日本人の信心の傾向に対し、キリストの教えが「ありがたみ」を感覚的に与えるものでなく、精神的な人格の向上と改心をもたらすものであるだけに、少々一般庶民には伝わりにくい面があるように思われる。
 福祉活動を通しての献身的な教会の活動は、多くの人びとの心をとらえるものではあっても、それがキリスト教に帰依している人の当然の行為であって一般凡人のものではないという隔たりを与えているようである。一般に教会の人間、すなわち司祭やシスターまた信徒に対しても、その期待が大きいためか、あるいはキリスト教の高い道徳的水準を重要視しているためか、厳しいまなざしが注がれている。明治以来、今日まで続いている一般の人びとのキリスト教に対するイメージは、前記したもの以外に、道徳的に厳しく悪いことを許さない宗教と映っているようだ。洗礼を受けることは、福音の教えとは異なり、厳しい道徳・倫理的生活を要求されることであるように人びとの目に映っているのが現実である。
 他方、より深くキリスト教の教えを知っている者のなかには、聖書や外国の教会の諸活動を見ながら、現代の正義の擁護者としての大きな期待を教会に寄せる傾向も見られる。    --ヨセフ・ハヤールほか(上智大学中世思想研究所編訳・監修)『キリスト教史11 現代に生きる教会』(平凡社、1997年)。

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ちょうど、九月に苦闘した紀要論文の初稿が届いておりましたので、昨日から時間を見ては、入力ミスの訂正、引用箇所の照合……等々、訓詁学的な作業をちまちまとやっております。原稿の入稿はこれまでも電子メールで送付していたのですが、初稿はいつも、製本するために刷り出したやつを郵便で送ってもらっておりましたが、本年からはそれがそのままPDF化されて送付されてくるようになりました。時間的なロスは少なくなりますので便利で、時代の進歩を実感する部分なのですが、結局は、朱を入れたそれを郵便で返却するべ……というかんじですから、早めに返却しないとマズいのですが、なんとか本日の市井の仕事の休憩中に終了です。

その折り、すこし、歴史的事実の確認のために、教会史に関わる文献を読んでおりましたが、うえの一文がその一節です。

日本人はどのようにキリスト教を理解したのだろうか……。自分が長年、戦っている?研究対象のひとつになるのですが、やはりどこか引用部分の後半部分で示されているような状況、すなわち、「明治以来、今日まで続いている一般の人びとのキリスト教に対するイメージは、前記したもの以外に、道徳的に厳しく悪いことを許さない宗教と映っているようだ。洗礼を受けることは、福音の教えとは異なり、厳しい道徳・倫理的生活を要求されることであるように人びとの目に映っているのが現実である」という見方が先行しているフシは否めません。

明治以降、再渡来したキリスト教は、やはりアメリカ合衆国の宣教師団がもっとも規模が大きく、そこで紹介されたそれが厳格なピューリタニズムを主体としたキリスト教であった所為もありますから、キーワードを拾っていくならば、「道徳的な厳しさ」とか「倫理的」とか、「善悪の峻別」……そういうイメージが強烈に存在します。

確かに明治期のキリスト教受容を振り返ってみると、キリスト教を受容した最初期の人々は、ほとんどが佐幕系の武士階級のひとびとが大多数です。ちょうど儒教の君臣道徳が崩壊し、武士道が廃れるなかで、そうした道徳的な厳しさの新しい価値観として受け入れられたという側面もありますので、ピューリタニズムが主体となって渡来したということはある意味ではベストマッチだったのかなとも思います。

そこでは、「キリストの教えが「ありがたみ」を感覚的に与えるものでなく、精神的な人格の向上と改心をもたらす」側面が強調されたりするわけですが、現実はそれだけがキリスト教ではありません。突き放したような言い方をするならば、ある一面だけが強調された受容と表現することも可能だと思います。

このことが良いことなのか・悪いことなのか……その評価・解釈は今後の課題になるのですが、ひとつだけその歩みの特徴的な部分を指摘するとすれば、うえの引用文から考えるとすなわち次の部分です。

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キリスト教徒作家やミッション・スクールの影響は、なんといっても日本人の多くがキリストについての何らかのイメージをもつようになったことに示される。キリストの教えである福音そのものの理解はまだ不十分であるが、漠然としたかたちで隣人愛、博愛主義的な視野の広がりをもたらしている。しかし、文学作品とミッション・スクールという道を通っているだけに、キリスト教が西洋文化の最も重要な要素という意識が強く、それが人類の宗教とか私たち日本人にぴったりくる信仰として受け入れるには、いまだ至っていないという感を禁じえない。

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キリスト教は日本へ再渡来以降、信徒数の若干の増減はありますが、ほぼ人口の1%という数で推移しております。しかしながら、考えてみるとキリスト教徒作家やミッション・スクールの影響というものは、それが一面的な印象を生みだす側面としては機能しましたが、見方をかえると、それは、1%という勢力ながら、ほぼほぼその10倍に値する人々に何か、関わりを持たせた、影響を与えた、ということです。もちろんそれは教育とか文学、はたまた社会福祉だけでなく、ひろく人間の文化現象という次元でみるならば、もうすこし高い数値の影響を与えているのではないだろうか……というところです。

現実には西洋の文化と渾然一体としての受容ですが、その影響は計り知れない部分が存在します。現実の信徒数の増減は大切な問題になりますが、それ以上の影響を与えているという事実は、宗教の存在・影響というものを考えるうえではきわめて重要な材料を提供していると思いますし、そのあたりは評価されてもよいのだろうと思います。

などと考えながら自宅へ帰ってみると、大切なヤークト・パンターの砲身がまっぷたつにおられていた。一つは偽装工作されておりましたが、号泣です。

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国家は個人の団体である。個人を離れて国家はないのである

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吉野作造(1878-1933)の信仰、そして人生の師匠にあたるのが本郷教会の牧師・海老名弾正(1856-1937)ですが、この人物がまたまた不思議な人物です。

東大の近くにあった本郷教会は、教会史家・山路愛山をして「書生の教会」と表現されたように、当時の学生・また卒業生が構成員のマジョリティという教会で、海老名の説教や考え方は、当時のキリスト教徒の知識人に広範な影響を与えたことで知られております。若き日の吉野作造もまたそうした一群の学生の一人であって、終生・海老名には感謝の意を表しております。

近代日本のプロテスタンティズムの歩みを振り返ってみると、海老名の影響力は大きく評価されてもよろしいわけなのですが、例えば、内村鑑三(1861-1930)や植村正久(1858-1925)の文献が岩波文庫に収録されているのに対し、海老名の場合はそのようではありません。

おそらく海老名に対する評価に起因していることと思いますが、海老名は俗に言われる「日本的」キリスト者という側面がそれなのだろうと思います。正統派の福音主義を代表する植村正久と異なり、ユニテリアンの自由主義神学の影響を受けた海老名の言説は、天皇制イデオロギーと結びつく部分があったりしますので、そのあたりなのだろうと思います。

海老名にとっては国家とは何かといった場合、まさに「至上の存在」なのだろうと思います。「嗚呼我が愛する日本帝国よ」「我は父母よりも爾を愛したり、又妻子よりも爾を愛す。爾の為には我が身体髪膚、否我が生命をも捧げて、毫も遺憾なきなり」との海老名の言葉は、そうした信条をストレートに語っている部分なのだろうと思います。

しかし、最初に「不思議な人物」と評したように、それだけが海老名の全体ではないということです。彼の信条は国家に直結する一方で、政治上・思想上の自由主義にも直結していたというところです。その影響をもろに受けたのが吉野作造なのだろうと思います。

海老名の場合、確かに国家至上主義者です。しかし、単なる国家至上主義者ではなく、国家を構成する人民の政治的自由を尊重することも忘れてはおりません。
例えば次のような言葉も残しております。

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 現今日本要路の人々は今尚ほ封建時代の旧思想に支配せられて、其遺物たる官僚政治を理想として居る。これらの人々には実に看過すべからざる二大誤謬がある。即ち(一)列国を恐れて(二)国民を尊敬せざることこれである。
 彼らは皇室の神聖の認めて居る、併乍ら果して国民の神聖を知つて居るか。此一を知つて二を知らざるは恐るべき罪悪である。
 忠君は皇室のみと心得て国民の如何は問はないやうな忠君が何の役に立つか。愛国といつても国家は愛するが人民はどうでもいゝといふ愛国はどこにある。国家は個人の団体である。個人を離れて国家はないのである。然るに此の信念なくして個人を軽蔑して顧みない者の如きは実に神の前に大なる不敬である。
    --海老名弾正「今は祈祷の時なり」、『新人』1905年10月号。

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このことは海老名にだけ限定される問題ではないのですが、明治時代の知識人には、国家的傾向と同時に、その構成員をきちんと見つめ直すという方向性が歴然とあることが多いです。そのことに驚きを隠し得ないわけです。対比的に見るならば戦前昭和期の国家主義者には、海老名のような発想を見いだすことはほとんど不可能なのですが、明治期の保守系の論客をみているとそういうところがちらほらと見受けられます。

それともうひとつ言えるのは、自分の思想と全く異なる者を「排除」しようとしないことであります。海老名は国家主義的・日本的キリスト教を説き、日露戦争においては積極的に聖戦論を展開しております。しかし、自分とまったく主義主張の異なる非戦論者とも、胸襟をわって向かい合っているところがあります。

海老名の本郷教会は、当代一流の知識人・宗教家を招いては講演を頻繁に開催しておりますが、例えば、日露戦争当時、海老名の論敵である非戦論者・木下尚江(1869-1937)を自分の教会に招いて演説をしてもらったりもするわけで、自己の信念は「譲らない」けれども、他者の信念をも「尊重」する……自分としても海老名の思想に共鳴することはできないけれど、そうしたそうした自由闊達な雰囲気には、拍手を送りたくなってもしまいます。

本郷教会には、クリスチャンのみならず、社会主義者、自由主義者たちの交流も見受けられ、そこからは初期の社会主義者も、リベラリストも、そして組合活動家も輩出しております。
そうした自由な空気を胸いっぱいに吸い込んで大正時代に活躍するのが吉野作造ということになると思いますが、そうした基礎的な部分を本郷教会、海老名弾正から学んでいったことだと思います。

明治時代を宣揚するつもりでは毛頭ありませんが、同じ「国家主義者」であったとしても、戦前昭和の人物像とはまったく違う在り方がそこにはあり、興味をそそられる今日このごろです。

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御名があがめられますように。御国がきますように。

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虫の知らせとでもいえばいいのでしょうか……
今日は何かいやな予感があったのですが、市井の職場で仕事をしているとお客様から電話。昼過ぎに購入した商品が不備とのことで、「いますぐ取り替えに来い」とのことです。
運悪く、対応できる“大人”が宇治家参去しか存在していなかったため、雨の中、お客様宅へ向かう。

「商品交換だけで済んでほしい……大クレームに発展しないでほしい……」
まさに“祈る”ような気持ちで、希望を立ち上げながら到着する。

電話では強面の感じでしたが、会ってお話をするとそうでもなく、すんなり案件がクローズする。

“祈り”とか“希望”を少しだけ考えた一コマです。

さて……、ここで「祈り」という問題が出てくることに、何か奇異な感じを抱かせるかもしれませんが、そうした「祈り」の問題を奇異に感じさせるこの時代感覚の方が奇異なものへと変質しているのではなかろうかとつくづく思う宇治家参去です。

「祈り」とは、元来、人間の生活世界の中で、そして「生」そのものの中で、良くも悪くも中心的な位置を占めていたと思う。過去の歴史を振り返るまでもないし、特定の宗派や団体に所属して“祈る”というあり方(チャーチ・ゴーアー)だけが「祈り」を占有しているのではない。人間が未来へ何かを希望する時点ですでに「祈り」は立ち上がるし、その高低浅深を論じることほど無意味なものもない。その意味で「祈り」とは、何か特殊な人間の行為や行動を意味する物ではなく、人間の個人生活においても、共同生活においても、ごく自然な形式であり、踏み込んでいうならば、人間の「生」そのものが「祈り」であり、「生」は「祈り」においてあったのではなかろうか。

人間とは様々な関係世界の中においてそのひとの営みが現実のものとして存在する。
対象との関係とはすなわち、物との関係、人との関係、そして自分自身との関係である。そうした対象と善い関係が結べたときひとは幸福を感じ、善い関係が結べないとき懊悩する。そうしたリアルな関係を横軸とすれば、縦軸に、これまでそのひとが歩んできた営み、そして現在、そして到来以前の未来である。その交差軸に「祈り」が存在する。

「祈り」とは何か。
一つ言えるのは、人間は「祈る」ことで自分自身と遭遇する。
祈る行為により、人間がその内奥に深く秘めている「生の肯定」の根本的信念が「事実」として溢れ出してくる。そして何かを希望する。その意味で「祈り」とは(カント的な積極善としての)「生の肯定」についての“根源的な叫び”といってもよかろう。

もうひとつは、「祈り」によってひとはひとと「共同」する。
ともすれば、現実世界は、人間同士の欲望や欲求の強烈な自己主張の修羅場にすぎない。実際にはなかなか協同して共同することが困難だ。しかし「祈り」が自分となんらかの対象との関係にたいする希望の表現であるとすれば、自己自身を見つめ直しながら他者と協同することが可能になる。

かつてマルクス・レーニン主義のイデオロギーは、「祈り」の存在を根本から否定し、ひとつの共同幻想を強要した。しかしひとびとの「祈る」姿は堪えなかったという。
もちろん、「鰯の頭も信心から」というジレンマも存在するが、なによりも代え難いのは祈る人間の「美しさ」である。ついでにいえば、大宗教家と言われるような人の「祈り」よりも貧しき老婆の「祈り」のほうが格段に美しい。

「祈り」の瞬間に希望の成就の閃光が煌めく。
つねに人間を、そして世界をその内部からつき動かし、歴史を導くのは「祈り」であるのかもしれない。なんせ、歴史を創る人間をその内奥から希望させるわけですから……。

ふとそんなことを感じたある日の宇治家参去でした。
いつもと全く違う、自由筆致ですいません。

ま……そういうわけで(?)、「祈り」という次元が人間と対象との関係に入らざるを得ない事象であるとすれば、「祈り」は人間の学としての「倫理学」の射程に入らざるを得なくなる。

そういえば、カントが哲学を定義して次のように言っている。

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 理性の一切の関心(思弁的および実践的関心)はすべて次の三問に纏められる、
1 私は何を知り得るか
2 私は何をなすべきか
3 私は何を希望することが許されるか
    --カント(篠田英雄訳)『純粋理性批判 下』(岩波文庫、1962年)。

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……私は何を希望することが許されるか。

倫理学は「祈り」をきちんと学としての対象として吟味する必要がありそうです。

ちなみに今日は金がないので……「すずろ」です。

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貧乏暇ナシ・考える暇ナシ

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年末で忙しく、しかも体調もよくないので、なかなか考察するとか、分析するとかできない毎日ですが、すこしで、読まないと前へ進まないので、また覚え書程度に、すこし書き残しておきます。

2 国際法の理念は、それぞれ独立して隣りあう多くの国家が分離していることを前提とする。こうした状態は、それ自体としてはすでに戦争の状態であるが(諸国家の連合的合一が、敵対行為の勃発を予防する、ということがない場合は)、しかしそれにもかかわらず、まさに、こうした状態の方が、理性の理念によるかぎり、他を制圧して世界王国を築こうとする一強大国によって諸国家が溶解してしまうよりも、ましなのである。なぜなら、法は統治範囲が拡がるとともにますます重みを失い、魂のない専制政治は、善の萌芽を根だやしにしたあげく、最後には無政府状態に陥るからである。とはいえ、これほどの国家(あるいはその元首)も望むところで、こうした仕方でできれば全世界を支配し、それによって持続する平和状態に移行しようと望んでいる。だがしかし、自然が意志することは、これとは別なのである。--自然は諸民族の混合を妨げ、かれらを分離しておくために、二つの手段を、すなわち言語のちがいと宗教のちがい(1)とを用いている。これらのちがいは、たがいに憎しみあう傾向と、戦争への口実とをともなってはいるが、それでも文化が向上し、諸原理にかんするいっそう広範囲な合致へと人間が次第に近づくことによって、平和についての同意への導くのであって、この平和は、かの専制主義のように(自由の墓地の上に)あらゆる力を弱めることによってではなく、きわめて生き生きとした競争による力の均衡によってもたらされ、確保されるのである。
(1)さまざまな宗教のちがいというのは、実に奇妙な表現である。これはあたかも、ちがったさまざまな習俗について語っているかのようである。たしかに、歴史的媒体であるさまざまな信仰方式のちがいはありうるであろう。しかしこの歴史的媒体は、宗教にではなく、宗教を促進するのに用いられるものの歴史に属し、学識の分野に属している。同様にさまざまな宗教経典(ゼンドアヴェスタ、ヴェーダ、コーランなど)のちがいもありうるであろう。だが宗教にかんしては、あらゆる人間にあらゆる時代に妥当するただ一つの宗教しかありえない。信仰方式や経典は、ただ宗教を運ぶ道具を含むだけであって、このものは偶然的であり、時代と場所のちがいに応じてさまざまでありうるのである。
    --カント(宇都宮芳明訳)『永遠平和のために』(岩波文庫、1985年)。

うえの文章は、七一歳の晩年のカントが、永遠平和の実現を念じて公表した著作『永遠平和のために』から。当時の国際情勢に対する不満が動機となって執筆され、「将来の戦争の種をひそかに保留して締結された平和条約は、決して平和条約とみなされない」とカントは吐露している。

本書では、人類が殲滅戦争に突入するのを防止するための諸条項が検討され、(自由な)国家のあり方、そしてそうした自由な諸国家の連合が提唱され、常備軍の段階的廃止が訴えられている。

さて、引用部分は、「第二捕説」と呼ばれる部分で、国家が哲学者に戦争や平和の問題にかんして自由に議論させ、参加させるべきとの提言部分になりますが、哲人王思想を説いたプラトンとはちがった関与を説いています。すなわち、権力の所有は理性による自由な判断を妨げるから、哲学者が為政者になるべきではないと。むしろ現行の政体を自由に論じ、善への向かわしめるべき存在として参加せよ、そういうかんじでしょうか。権力の魔性の自覚がそこにはあるのかもしれませんが。

で--
はなしがずれてきましたが、ちょうど引用している部分の末尾で、カントが宗教を論じていますが、こういう部分を読み直しますと、宗教多元主義の議論を彷彿とさせるものを感じてしまいます。
「神は多くの名を持つ」(ヒック)ではありませんが、宗教多元主義の主張とは、さまざまな宗教が同じ社会に存在するという事実を真摯に認め、お互いの価値を認めながら共存していこうとする宗教的態度、思想である。あたりまえといえば、あたりまえの主張ですが、こうした強靭な寛容さの流儀をひとびとが身に着けていなかったがゆえに、血なまぐさい対立が続いてきたのだと思います。宗教多元主義の議論にももちろん問題性はあるのですが、現代を撃つひとつの示唆にはなっていると思います。

こうしたカントの文章を読んでみますとそういう部分もあるのかなあと思いますが、もう出勤です。

考える暇がない、宇治家参去でした。

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この世を撃つ内村の警鐘は鳴り響く

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指導教官に怒られてしまいますが、実は若い頃、内村鑑三が苦手でした。
頑固で、融通が利かないというイメージでしたが、最近、読み直していくと、ふと腑に落ちるところが多くあり、がらりと印象が変わってきました。

ずるずるべったりで、雪崩をうって自己の信条や信念をいとも簡単に曲げ、転向してきたものが多数を占める日本の歴史においては、内村の存在は峻厳に屹立したものがあります。

内村の頑固さは、他者へ向けられた頑固さでなく、自分自身に向けられた頑固さなのではないかと思うようになってきました(ま、本格の研究者からは違うよといわれそうですけど)。

さて、その内村の著作で、幅広く読まれている一冊といえば、やはり、『代表的日本人』ではないかと思う。もともと、英文で書かれたもので(原題は、Representative Men of Japan,1908)、JFKが、その著作から上杉鷹山を知ったというのも有名なエピソード。洋の内外を問わず幅広く読まれているようです。

今日はそこから一節を。

5 ひとり世に抗す
 故郷にいられなかった日蓮は、「法を弘めるにはよき地」である国の首府鎌倉に直行した。鎌倉で今日も松葉ケ谷と称されている地の、所有者もいない所に、自分のための草庵を建て増した。ここに法華経をひっさげた日蓮は居を定め、ひとり立って世のあやまちをただす仕事を開始したのです。大日蓮宗は、まさにこの草庵にその起源を発するといえます。身延や池上をはじめ、他の巨大な寺院、全国にある五千をこえる寺、そこにお参りする二百万の信徒、その起源はことごとく、この草庵と、この一人の人物にあったのです。偉大な自行という物は、常に、このようにして生まれるものであります。不屈の精神とその持ち主に抗する世間、その間に、永遠に偉大なるものの生じる期待があるのです。二〇世紀のひとびとは、この人物から、教えはともかく、その信仰とその勇気を学ぶがよろしい。ところでキリスト教そのものは、はたして日本で同じような始まり方をしたのでしょうか。ミッション・スクール、ミッション教会、金銭の支給、人的援助……、大いなる日蓮には、このうちなに一つありません。日蓮はまったくひとりで始めたのです!
    --内村鑑三(鈴木範久訳)『代表的日本人』(岩波文庫、1995年)。

おもえば、内村鑑三も、経歴においては日蓮と共通点が少なくない。仏教界での孤立(自立)は、日本の教界における内村の孤立(無教会主義)であり、日蓮の預言は、そのまま、内村の再臨運動にそのまま重なる部分である。

こうした背景を考え併せて、読み直すならば、内村は、みずから日本における「キリスト教の日蓮」たらんとの志が窺われる。もちろん、いうまでもないが、内村も日蓮そのものを全肯定しているわけではない。曰く、ルターやマホメットとの比較を交え、「経典崇拝者」、「闘争好き」との批判も存在する。

しかし、それでもなお、内村は、「しかし私は、たとえただ一人であろうとも、この人物のために、必要なら私の名誉をかけてもよい覚悟であります」と書きつづっている。

おそらく、日蓮の専門家からも、そして内村の専門家からもそしりを受けそうだが、内村は日蓮の姿に、自己自身の姿を重ね合わせながら、世に警鐘しつづけたのではなかろうかと思うのが実感です。

さて、凄いのは、その内村の弟子たちです。
盧溝橋事件の直後、「日本の理想を生かすために、一先ず此の国を葬って下さい」との軍国主義批判ゆえに、東京帝大の職をうばわれた矢内原忠雄。大学と学問の自治を叫び、官憲から睨まれた南原繁。そして温厚な人柄で知られ、一高の良心と謳われた三谷隆正。

もちろん門下にはそうでないひとびとも多数存在するが、そうした良心の軌跡をたどると、日本人の中にも、まだまだ、不屈の勇気と忍耐を兼ね備えた逸物がいるのだと、すこし安心したりもしますが--。

さて、こういうことを書いたのも年末で忙しくなってくると、世知辛いのが世の常です。最近、市井の職場で、上司や同僚から、いわれなき逆ギレを頻繁にうけるので、綴ってみました。

宇治家参去の美徳は、これまで一度もキレたことがないことです。不屈の勇気と忍耐をやしない、ひとびとにきぼうとうるおいをおくりつづけたいものです。

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『形相』を詠む

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忙しくまともな文章を書き残すことが出来ない今日この頃です。
今静かに読んでいるのが南原繁の歌集『形相』(岩波文庫)です。

南原繁といえば、内村鑑三門下の無教会主義キリスト教の熱心な信徒で、一高校長の新渡戸稲造からもつよい影響を受けた良識人です。戦後、東大総長に就任し、サンフランシスコ講和条約をめぐり、単独講和を主張した当時の内閣総理大臣・吉田茂に対し全面講和論を掲げ、論争となったことでも知られる人物です。このとき、南原は吉田茂から「曲学阿世の徒」と名指しで批判されたことでも有名です。
同郷人のよしみもあり、宇治家さんは、南原の文章をよく読みます。内村門下・新渡戸の弟子として連なる人物には、荒野に一人立つ良心と智を兼ね備えた巨人が多いですね。南原しかり、矢内原しかり、三谷しかり。

無教会主義そのものが、いわば教会のメインストリームから外れた独自のあり方であり、生き方そのものも峻厳である。己に対して峻厳であるゆえに、他者に対する本物の優しさが滲み出てくるのかと思ったりもします。

南原の詩集『形相』より、昭和16年12月8日の一首。

人間の常識を超え学識を超えておこれり日本世界と戦ふ

Nanbara

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The Courage to Be

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世の中は三連休ですね。
宇治家さんは、三連勤です。
平日休んで日曜出勤するようになりどれくらいの日が経たことだろうか。
学問で喰っていけるようになれば、日曜は休みになるのかも知れないが。

という愚癡を語っている時間があったら、早く寝た方がいいかな。
明日も朝一で外出のため。さっさと酒を飲み干して寝ます。

で……、いつもの如く、飲みながら読書。

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「勇気は、人間の行為として、また価値づけの表現として、一つの倫理的概念である。勇気は、普遍的本質的な自己肯定として、一つの存在論的概念である。生きる勇気とは、それによって人間が、彼の実存のなかにあるその本質的な自己肯定に反逆するような諸要素に抗して、彼自身の固有な存在を肯定するところの倫理的行為である」
    --P.ティリッヒ(大木英夫訳)『生きる勇気』(平凡社、1995年)

自伝的文章(「境界線上に立って」)の「ほとんどあらゆる領域にわたって、あれかこれかという実存の可能性の間に立ち、そのいずれにも安住することなく、しかもそのいずれか一方を決定的に退けるような決断も下さないというのが、私の運命であった」と生涯を語る神学者・パウル・ティリッヒ(Paul Tillich)の言葉から。

人間は自分自身が意識してるにせよしてないにせよ、自己肯定と自己否定の狭間で漂い存在している生き物なのだろう。

さ、とっとと寝よ。

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著者:Paul Tillich
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ニーバーを読む

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休みを利用してじっくり読書と映画と日本酒三昧。
今回は、途中までしか読んでいないが、面白いニーバー(大木英夫訳)『道徳的人間と非道徳的世界』(白水社、1998年)から。
著者のラインホールド・ニーバーは、ティリッヒとともに近・現代アメリカを代表するプロテスタント系神学者。ニーバーといえば、日本では、神学者・現代政治の助言者という印象より、ニーバーの祈り(Serenity Prayer)の方が有名だろう。

O God,Give us
Serenity to accept what cannot be changed,
Courage to change what should be changed,
And Wisdon to distingusih the one from one from the other.
Amen.
(神よ、変えることのできなものを受け入れる平静を/変えるべきものを変える勇気を/そして変えることのできないものと変えるべきものとを識別する知恵を/我らに与えたまえ/Amen)

 さて、そのニーバーであるが、ニーバーのもとで学んだドイツの神学者D.ボンヘッファーもすこぶる社会的(反ナチ闘争で獄死)だが、彼に負けず劣らず社会派です。デトロイトのフォード自動車工場での労働者たちの悲惨な状況が思想形成に大きな影響を与えたと言われ、キング牧師もニーバーの影響を受けているという。神学者には、(メインストリームから評価されなくとも)社会派の思想の伝統があり、良きにせよ悪しきにせよ、社会的に影響力をもつ神学思想家なるものが存在する。しかし、そういえば、日本にはそういう坊主はいねぇよなというのも逆説的な実感。

さて、本書は、1932年に執筆され、アメリカ政治学の世界に衝撃を与えた一冊である。
冷静に社会状況を見つめ直した場合、そこにあるのは「社会は永続的な戦争状態」にある。社会においては集団の力関係が重要であり、社会には強制という要素が必ずつきまとう。ゆえに個人の道徳的訓育のみによって社会問題が解決することはありえない。この意味で道徳主義(社会問題を個人的な訓育に還元する考え方)には反対する。還元主義的道徳主義は社会問題の所在を隠蔽し、巍然と自己欺瞞を再生産するだけで、保守派のイデオロギーを強化するに過ぎない。
社会問題はモラリズムの延長では解決できなず、それ独自の戦略が必要である--これが彼の視点である。

で、、、そのあとはまた読み進め報告しますが、
人間には、個人の道徳的な訓育、すなわち人間陶冶による“まともな人間”の育成“のみ”によってあらゆる社会問題は解決するのではないかと短絡的に原理的に考えてしまう傾向がある。もちろん、そうした訓育は重要であり、人間教育は必要であろう。しかしながらそれ“のみ”によっては問題は解決しない。冷徹なニーバーの視座はそういっているように思えて他ならない。
言われればその通りで、社会には強制力も暴力も必然的に付随する。暴力の問題は横に置いておいたとしても、強制力の問題は、共同体の維持という側面からも永遠に無くなることはない。ではそうした社会のなかで、どういうあり方が可能なのか、どういうかたちの強制力が必要なのか、考える必要はある。
そうした状況を前に、ともすれば、あらゆるものを一方的に“悪”であると決めつけ、全面廃棄を主張するオプションを人は選択しがちである。しかし、あれか・これかの全面廃棄が、暴力と革命の20世紀を彩ったことも忘れてはならないだろう。

はぁぁ~これから市井の仕事です。4日ぶり、かなりだるチョフです。

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Amazon のニーバー『道徳的人間と非道徳的社会』(白水社)はこちらから

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マリタンとタチ 二人のジャック

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      「暗黒と全面的混乱の時代において、人類にとって最悪の誘惑は、道徳理性を放棄しようという誘惑である。理性は決して座をゆずってはならない。倫理学の仕事は謙遜であるが、しかし、不幸な世界の苦難の真只中においても、そこに人間性の微光が見えているかぎり、不可変な道徳的諸原理の可変的な適用を導くとき、その仕事は高邁なものである。」

◇70にしてラテン語をならう人
上の一節は、ネオ・トミストのオピニオン・リーダとして広く世界に知られた思想家ジャック・マリタン(Jacques Maritain)の言葉である。むかーし、学生時代、先輩に勧められてというか、その言い方をそのまま表現すると「近代、現代社会の構造を理解するには、ネオ・トミズム、またその基盤となっているトマス・アクィナス(St.Thomas Aquinas)を読め」といわれたことがあります。もちろん当時も(今も)中世スコラ学の専門でもありませんでしたし、不案内なところもありましたので、そこでその導入として、ネオ・トミストと知られるジャック・マリタンの著作を勧められた記憶があります。マリタンをひもときながら、トマス・アクィナスそのものへ入っていくのも一つの手だよ、とその先輩はいっていました。

今になっても、その道筋がいいのか、わるいのかわかりませんが、実際読んでいておもしろいのも事実です。またおかげでトマス・アクィナスそのものも読むようになりました。話がそれますが、このジャック・マリタンを初めて日本に紹介したのが、戦前のカトリック系詩人哲学者・吉満義彦です。流れで吉満義彦も読むようになりましたが、その縁で出会った人たちもたくさんいます。ある修道院では、吉満義彦を顕彰する催しを毎年行っていたりしていて、そこで出会った初老の男性のエピソードですが、もうすでに定年している年代でしたが、そこから一からラテン語の勉強をはじめ、今こつこつと、トマス・アクィナスのスンマ(『神学大全』)をゆっくり読み始めました、という話を聞いたことがあります。

その話には、本当に驚愕しました。自分からいえば、自分の祖父ほどもあろうその人が、ラテン語を勉強し始め、スンマを読み始めた。そのことに奮起し、自分もラテン語をはじめた懐かしい思い出があります。

◇人間のため
で・・・脱線しましたが、最初に紹介した一節は、マリタンの『人間と国家』(創文社)から引用です。この本では、はじめに、民族、国家、人民の元意を整理した上で、主権の概念、手段の問題、人権、民主主義、教会と国家が論じられ、最後に世界政府の問題が検討される、内容的にいえば、政治学的な趣のある一冊です。その所論を一貫して流れるテーマは何か、といえば、「人間が国家のためにあるのではなく、国家こそ人間のためのものである」ということです。いうまでもないような、基本中の基本の約束事が、実は中心に据えられています。国家の位置はどこにあるべきか、それは人間のため、デモクラシーのため、世界平和のため、所詮は人間そのもののために、国家を本来のあるべき位置にすえるべきとの主張です。しかしその論調はたんなる講壇哲学やきれい事のショーケースとは全く異なるぎりぎりの独白であることに驚きます。理想と現実との間の、理論と実際との間の、そして原理(普遍的真理)と具体的問題との間の深いつながり、せめぎ合いが語られており、それが故に、歯に浮くコトバでなく、読み手の心を揺さぶります。これにはおそらくマリタン自身、バチカンのフランス大使をつとめた現実の経験が大きく影響を与えているのだと思いますが、興味のある方は是非読んでみてください。
「政治学的な趣のある一冊」と上に書きましたが、実は読んでいるときわめて倫理的、神学的著作であることにも二重に驚きます。是非!!

◇ジャック・マリタン(久保正幡・稲垣良典訳)『人間と国家』創文社、昭和37年。

ちなみに、ジャック・マリタンからみで(でもないですが)、おなじくフランス人ジャックといえば、ジャック・タチ(Jacques Tati)の映画も最高です。映像だけでなく音楽も最高です。こちらも是非!!

YouTubeの「ぼくの伯父さんの休暇」(Les vacances de M. Hulot)の Trailerはココから

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