宗教学

日記:「全国のホテルに古事記を置こう!」プロジェクトのいかがわしさについて……


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竹田研究財団が『古事記』編纂1300年を記念して「全国のホテルに古事記を置こう!」プロジェクトを立ち上げたそうですが、少しだけコメンタリーを残しておこうと思います。

同webによると概要は次の通り。

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一般財団法人竹田研究財団
『古事記』編纂1300年記念事業 プロジェクトシート

 平成24年が古事記編纂1300年の記念すべき年であることに鑑み、当財団では公益事業の一環として、「古事記1300プロジェクト」を立ち上げました。この計画は、一人でも多くの国民が古事記との縁を繋ぐことを目的とします。

■1 古事記普及事業
(「全国のホテルに古事記を置こう!」プロジェクト)

 従来、大多数のホテルの客室には、『聖書』と『仏教聖典』が常備されていますが、『古事記』が設置されているホテルは存在しませんでした。

 二十世紀を代表する歴史家のアーノルド・トインビーは
「十二、三歳までに民族の神話を学ばなかった民族は、例外なく滅びている」
と述べています。

 日本では戦後、GHQの指示により神話教育が行われなくなりましたが、米国や英国をはじめとする連合国は、現在でも学校で神話教育をしています。日本人が日本神話を知らなくなったことは、日本の危機であると考えなくてはなりません。

 そこで、当財団は全国のホテルに無償で古事記を配布する事業を進めています。平成23年12月には、1万冊を印刷し配布しました。古事記1300年に当たる平成24年には、より多くの古事記をホテルの部屋に配備してきたいと考えています。

[http://www.takenoma.com/kojiki1300.html:title]


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概要を読むと次のような構成となっている。

1)『聖書』やら『仏教聖典』が常備されるホテルって多いですよね。

2)歴史家Aアーノルド・トインビーは 「十二、三歳までに民族の神話を学ばなかった民族は、例外なく滅びている」 と述べています。

3)ならば『古事記』を置けや(ゴルァ

という寸法ですが、『聖書』や『仏教聖典』って、『古事記』と同義の「神話」なのでしょうか???

『古事記』は確かに国造りの「神話物語」ですが、『聖書』や『仏教聖典』で神話の「物語」の如く語られた内容というのは、そうした排他的な神話を乗り越える挑戦だった訳で、そもそも併置して扱うことは不可能です。

『聖書』や『仏教聖典』はそもそも「民族の神話」ではありません。その代わり『古事記』を持ち出すというのは論理的に破綻してしまっています。

次にトインビーの言葉についてですが、そもそもトインビーがどこで「十二、三歳までに民族の神話を学ばなかった民族は、例外なく滅びている」などと言ったのかは瞥見では出典が確認できないのですが、トインビーがそうした言葉を述べたとしても、そもそも彼の『歴史の研究』は民族史・誌的な文明論的歴史学ですから、その地域の歴史の負荷を学ばない国家や民族は必ず滅びるものと捉えることができます。

だとすれば、歴史を「神話」化してしまう民族誌を手放しに礼賛することは最も慎まなければならないという話しになってしまいます。

そして敗戦による連合国の進駐は「神話教育」を否定しましたが、その本家「米国や英国をはじめとする連合国は、現在でも学校で神話教育」をしているということが述べられておりますが、そもそも米国にも英国にも『古事記』に該当するような「国造り」の神話はありません。

移民の多い英国においては「神話教育」ではなく、諸宗教を尊重した「宗教教育」があるのだけなのですが、どういうことなのでしょうか???

民族誌としての神話と、その神話を乗り越える宗教の混同、そして基礎的な認識の誤解。『古事記』が成立して1300年たったから、みんなで読もうぜということを全否定はしませんけれども、こうした営みは百万歩譲ってもですが、『古事記』そのものを毀損することになってしまうのではないかと危惧もしたりです。

そして『聖書』にしても『仏教聖典』にしても、さしあたりそのグループにしか当てはまらない「規範」や「伝統」を超越しようとした「霊性」に肝がある訳だから、日本からそれを発信しようとすれば内村鑑三の『代表的日本人』や鎌倉仏教の始祖の言葉をお勧めする推し本にしておくべきですし、これも一億万歩譲っての話しになりますが、民族の「国造り」の神話をお勧めするのであれば、『古事記』ではなくて『日本書紀』やろうという訳なのですが……いろいろととほほ過ぎることが多いですね。

とにかく時流に乗って、日の丸、桜という安直な挙動には、大御剣、大御鏡、御勾玉などをプリントした霊感商法的Tシャツを14700円で販売してた下衆さが見え隠れしてしまうというものでございます。

いやさか、いやさか

……もとい、

くわばら、くわばら。

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日記:本来両立し得ない「祝日には日の丸を掲揚しましょう」と「初詣は氏神様から」

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近所のお宮さん、普段は「祝日には日の丸を掲揚しましょう」との掲示ですが、正月は「初詣は氏神様から」になる。何というかこのダブスタにはいつも脱力してしまう。

何かと言えば、それはnationalism と patriotismを混同していることだ。

僕自身はpatriotism自体も相対化して受容する必要があるとは思うのだけれども、そもそも、神社信仰は近代以前においては、国家的祭祀に属さない、いわゆる地域の神社というものは、その地域地域のまさに八百万であったわけで、だkらこそ、地域のひとが氏子としてそれを祀ってきた。

しかし、開国後の近代日本の宗教史においては、南方熊楠がその合祀に大いに反対したように、序列・統合の歩みであったといってよい。

だとすれば、「初詣は氏子様」という言説と「祝日には日の丸を」という言説は対極に位置する訳で、それを取り入れるということは、自身は序列化された被害者であるにも拘わらず、国家祭祀に迎合していくようで……ぐったりです。


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南方は集合名詞として人々をとらえなかった。あらゆる職業の人々と、個人としてのつきあいを重んじた

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 第一に、「地域」または「地方」に対する双方の感覚の差である。
 南方は、定住者の立場から、地域を見た。柳田は、農政学者として、農政役人として、そして旅人として地域を見た。南方は、地方にいて地方から中央を見、柳田は中央にいて中央から地方を見たともいえる。
 第二に、南方は、世界の、そして地球の一部としての地域(エコロジーの単位)を考えたのに対して、柳田は、日本国の一部としての(政治的単位)を考えた。
 第三に神社合祀反対運動において、南方が、地方官憲に対して、対決をおそれぬ精神でぶつかっていったのに対して、柳田は正面衝突をなるべく回避して隠微にことをはこぶように忠告した。
 第四に、南方が、外国の学者へも檄をとばして、国外の世論を結集しようとしたのに対して、柳田は、そのような行為は国辱を外にさらすものだと激しく反対した。南方は、今日のことばでいえば、国をこえた民間交流を射程に入れていたのである。柳田はこのことに関して、日本国家の外に出ることができなかった。
 第五に、柳田は、「常民」を造語し、それをかれの民俗学の中心においた(鶴見、『漂泊と定住と』八八-九〇ページ。色川、『柳田国男』、三四ー三九ページ参照)。
 南方は集合名詞として人々をとらえなかった。あらゆる職業の人々と、個人としてのつきあいを重んじた。
 田辺で、南方が親しくつきあった人々の職業は、種々雑多である。
    --鶴見和子『南方熊楠 地球志向の比較学』講談社学術文庫、1992年、156-157頁。

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ちょと気になることがあって、南方熊楠論の「古典」といってよい鶴見和子さんの著作を再読。

上に引用したのは、日本の民俗学の父母といってよい、柳田国男と南方熊楠の「まなざし」の違い(そして眼差しの違いは「生き方」として形をとる)をまとめた部分です。

柳田国男をフルボッコするのは、鶴見さんも、引用者の私もその意図ではありません。
しかし、同じ「地上」で生活をしながら、どのようにみていくのかで大きくライフスタイルが異なってくるのは否定できないと思います。

何が?

というわけではありませんが、このところ「政治的単位」でのみ人を断罪するもの謂い、や「国家の外に出ること」のできないドクサのようなものが、大手を振って歩くさまを、みるにつけ、辟易とします。ですから自戒をこめて、その対比を紹介させて頂いた次第です。

人間とは、そうしたカテゴライズされた一側面として生きている以前に、ただ生きている「同じ」人間である原点を忘れた恫喝と断罪が大拍手をもって迎え入れられる。

その結果はろくなものではないことは歴史を振り返ればわかるものですが、単純化という「断定」は分かりやすいのでしょうか……ねぇ。

単純化という「断定」や「政治的単位」や「国家の外に出ること」ができないひとというのは、おうおうにして、ひとびとを「集合名刺」として捉え、「あらゆる職業の人々と、個人としてのつきあい」を重んることができないパターンが多いと思いますが、かくありたいとは全く思いません。


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「神父様、あっしには、これがありまさあ。だから、大丈夫で……」

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ルターの住んでいたドイツのザクセン近郊でも、免罪符は大々的に販売されていた。
 ちょうどその折りの話である。町の司祭、大学教授として赴任していたルターは、日中、街の路上でひとりの酔っぱらいを見かけた。かなり酔って、道端に横たわっている。そのような生活を送っていては、魂の救いには至りえない。そう思ったルターは、男に声をかけた。
 「昼間から酔っぱらっていないで、真面目に働きなさい。そんなことでは、神さまの御心にかなわないよ。自分が死んだ後のことを考えなさい」。
 すると、男は酔眼を半分見開き、丸めた一枚の札を掲げながら、こう答えた。
 「神父様、あっしには、これがありまさあ。だから、大丈夫で……」。
 男が手に握っていたのは、免罪符である。これを見た若きルターは、大きな衝撃を受けた。聖書の教えを学生たちに講義するだけではだめだ。この男の心にも届くように語る努力をしなければ。これが、ルターが自らの新しい使命に目覚めた瞬間であった。
    --徳善義和『マルティン・ルター --ことばに生きた改革者』岩波新書、2012年、8-9頁。

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「民衆の心と聖書の教えとを結ぶ、もっとも身近で、唯一の接点であった」のが「改悛の秘跡」。

中世におかて、キリスト教はラテン語により独自のキリスト教世界を構築していく。当時の教会には、今のような参列者が腰掛ける椅子などない。意味を理解することのできないラテン語の説教をただ立ち見で伺うというスタイルだ。

そうした乖離にあって、民衆の心を具体的につなげるのが(そこに救いだの何だろのがあるのでしょうが)、民衆の言語である各国語でおこなわれる「改悛の秘跡」である。民衆は時分の犯した罪を個別に神父に「告白」し、赦免をうけると同時に贖いの行を課せられる。

天国にいけるのかどうかという民衆の宗教的不安は、こういう儀礼によって解消されていったよい。しかし、この手続きだけでは不安を解消できない時代が訪れる。懺悔の際、神父から課せられる「行いによる贖い」があるが、これを果たし得ないまま新だろう、どうなるのか。

「教会は民衆の不安に応えきれなくたっていた」。

「民衆のこのような不安に応えたのが聖職者による償いの身代わりであった。そこからさらに制度として案出されたのが、いわゆる免罪符(贖宥)の制度である。これは当初、時と所を限定して発せられるものであった。ところが、利殖に走る教会は、やがてこれを金銭と引き替えに……」

……っていう経緯は高等学校の世界史でも習うところでしょう。

先に言及しますが、私自身は「カトリック、オワタ」などとも思いませんし、それと戦ったルターは「英雄」などと「あげる」ことはいたしません。

日本の歴史教科書は基本的に「勝利史観」で時代を積み重ねるから、なにか先達が不祥事を興し、それに挑戦するようなムーブメントがあった場合、そちらを「よりただしいもの」と表記しがちだから、これは、かなり歪曲された構造に過ぎないし、現在の宗教生活を顧みても、カトリックが劣った「旧教」で、プロテスタントがよりすばらしい「新教」と断定できるものでもないからです。
※だからノンクリなのにもかかわらず、「カトリックですか……」とよく誰何されますが、横に置きましょう。

さて、戻ります。
ひとびとの不安に応える工夫に関しては、僕は全否定したくはない。
しかし、それが本来の目的を離れて、手段としてオートマチックに機能してしまうことには自覚であるべきだろうというだけです。

そしてこれは過去のキリスト教だけの問題ではないし、仏教やら何やらも例外ではない。戒名の高低浅深が「ご供養」の「額」に影響されるのは羞恥、もとい周知のことだから、「うぇーい、キリスト教オワタ」というのは天ツバw

心から「ご供養」やら「お布施」をして……すべてにおいて、それと救いが必ずしもバーターというわけではありませんが……そのひとの心に「安心立命」がもたらされ、それによって「生かされていく」専従者という図式を全否定するつもりもない。

しかし、金銭の多寡によって、この人間は、たとえば、篤信であるだのとか、そして出費する方も、「とりあえず、こんだけ、ぶっこんどいたら、まあ、ええねん」みたいなシステマティックな、まさに「利殖のゲーム」になってしまうとオワタだろう、ということ。

先に言及したとおり、システムとしては、互恵的関係だから、それが金銭を媒介にすることは必然であるから、それ「爆発しろ!」っていっても始まらない。

だとすれば、「そう、いっても始まらない」相互の関係がない限り、宗教の不幸は永続化していく。

ただ、それだけですよね。

お互いに「食い物」にする関係は、いずれにしても不幸を導くというだけ。

そんでもって、コレは宗教だけの話でもない。

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絶対性がなくなると宗教は自己崩壊してしまう。しかし同時に自分と異なる信仰を持つ人もそう思っている

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 さて、今日では、冷戦体制が崩壊してしまったので、イデオロギー対立による全面戦争の危機は逼迫したリアリティを持たなくなってしまったが、互いに不寛容になった諸宗教間の対立が、世界各地で目立つようになっている。こうした状況を考えると、たとえヒックが導き出す結論に異議があるにせよ、寛容を訴える彼の宗教的多元論の主張そのものは、決して無視できるものではない。
 いずれにせよ、常に人間は信仰や思想で意見を異にする者がいるとき、少数派の相手を常に排除してきた。二一世紀の我々は過去の歴史から学ぶだけでなく、宗教や文化、思想に関して、互いに寛容の精神を身につける必要があるだろう。そうした意味で、宗教間対話の取り組みは、現代世界の必然的な課題である。この課題はキリスト教にだけ限られた問題ではない。世界の諸宗教は、異なる宗教諸伝統の中にいかに自己を位置づけるかという問いを、追求する必要がある。自己の信仰と全く異なる他の諸宗教を理解し、これと対話を進めることは、その宗教にとっての自己理解のためにも必要不可欠である。

 そもそも宗教は、それを信ずる人にとっては最高の価値を意味している。したがって信仰者にとっては自分の信ずる宗教が最も善いものである。その場合の〝最も善い〟=最高・絶対性とは、二番、三番があっての一番ではなく、端的に〝それしかない〟という独占的な一番である。他と比べてそれなりによいものだとか、それに対する信仰はほどほどでよかろうというものではない。それは当然であり、それで良い。そうした絶対性がなくなると宗教は自己崩壊してしまう。しかし同時に自分と異なる信仰を持つ人もそう思っていることを知らねばならない。他者の存在を無視し、その存在を認めないのは独善である。そうではなく、異なる他の諸宗教の存在をそれぞれの固有性において真に尊重することが必要なのではないだろうか。宗教多元主義の考え方は、そうした宗教間対話を神学的・哲学的に基礎づける視座を提示してくれている。
    --拙論、「明治キリスト教と宗教多元主義の諸問題 --事例としてのユニテリアン派の活動から(一)」、『東洋哲学研究所紀要』第22号、東洋哲学研究所、2006年、20-21頁。

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twitterの連投のまとめですが、少し記録として残しておきます。

「AとBという宗教を比べたとき、AはBより優れていますよね?」という議論に関しての問題です。


宗教者とその教義は排他的絶対性の主張がなければ成立しませんから、私はそれを否定はしません。ただ、何かを否定して自身の安心立命を図ろうとするのであればそれは問題ではないかと考えます。これはネトウヨの承認欲求と構造は同じでしょう。

私自身は諸宗教を研鑽するようになってから、根本的には、教義上の高低浅深の議論が結局は躓きの石になっていることを学んだように思います。確かに教義的な強弱から暴力へ連動する人間も存在します。しかし非暴力へ挺身する人間も存在します。その意味で単純な類型論……例えば「キリスト教は一神教だから排他的、アニミズムに見られるような東洋の諸宗教はすべてを肯定する」……には懐疑的です、

もちろん、教義論争が不毛だと一蹴にしようとは思いません。

しかし、それで相手の全人性を図ることは不可能ですよね。その意味では「宗教の真正さを試すべき試金石はどこにあるのか」といえば、人間を人間として尊重することだと思います。これはもちろん、理想論かも知れませんが。


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 レッシングの『賢者ナータン Nathan der Weise』の指環の物語は、宗教の究極的な最奥の真理がもはや外面的にではなく内面的にのみ立証されることを現している。歴史的事実による経験的な証明であれ、抽象的な論拠にもとづく論理的・形而上学的証明であれ、所詮すべての証明は不十分である。なぜならば結局において、本来の宗教はそれが作用する限りにおいてのみ存在し、そしてその本質は心情と行為においてのみ実現されるからである。

 すべての宗教の真正さを試すべき試金石はこの一点に存する。

    --カッシーラー(中野好之訳)『啓蒙主義の哲学 上』ちくま学芸文庫、2003年、274-275頁。

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くどいけど、カテゴリーで人間を扱うようになってしまうと終わりなんだろうね。

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世俗化論のわすれもの……ひとつのスケッチ

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 社会の中で確立した地位を占める伝統宗教は、すべて、その運営や取り決めを制度化する傾向があり、その活動や諸関係は硬直化する傾向がある。制度や硬直化といった過程が生じるのは、安定した文化の中では人間は自らのやり方を過去に照らして正当化しようという傾向を明らかにもつことによると思われる。伝統は、特定の取り決めに関する知識と安全性を確保する標準となる。伝統は、社会的には明らかに年長者のの支配と結びつく。年長者はふつう、過去に対して尊敬を抱き、おそらく崇敬の念すら抱くものである。つい最近まで、すべてとはいわないまでもほとんどの人間社会が、過去に照らしてものごとを処理してきた。やっと今世紀になって、主として現在を、またしばだいに未来を顧慮して社会が組織されるようになってきたのである。伝統的な社会では、神の意志を過去から受け取った。しかし、現代社会では人間の意志が、経済計画とか社会計画と呼ぶものの中で、未来に投影されるのである。
 宗教の説教と実践の硬直化は、宗教が専門家の掌中に握られやすかったために、よりいっそう進行した。そらく、宗教専従者は生活の諸領域の中で最も早く現れた専門家であろう。こうした宗教専従者たちは、超自然的なものへの接近を独占することを主張し、多生ともそれに成功したエリートであった。彼らは昔から、社会が必要とする知識を保持してきた。彼らはしばしば、聖堂の守護者あるいは伝統的真理の保護者であり、その真理のいくつかを特別に秘伝の知識あるいは秘伝の実践とすることもできた。彼らの務めは、真理の純粋性を保つことであり、また、冒瀆的な堕落した思想や不純な人々の冒瀆的行為から、聖なるものを守ることであった。聖職者であり、ときには法律家でもあった宗教的専従者たちは、人々に次のような点で奉仕した。すなわち、救いの保証を与え、神託を解釈し、儀式を執り行い、事件を裁き、神の言葉や神の法を宣し、どのような社会関係が適切かを明らかにし、人間相互や集団相互の義務を明確にし、人間と超自然的なものとの間を取りなすといった点である。しかし、彼らはエリートであったため、しばしば俗人の理解をまったく超えた宗教的真理の概念を展開する傾向があった。また、彼らが示す教説は、しばしば不可解かつ難解で、該博ではあるが、ときには曖昧で不明確でもあった。
 そうした状況下では、大多数の俗人のためにかつて示された宗教的真理や宗教活動が、俗人の日常生活の状況や経験からまったくかけ離れ、排他的で特殊なエリートの関心にそったものになってしまうこともしばしばであった。救済と現世の保証を求める人間の要求は至るところで繰り返し起こるもので、このような状況は伝統宗教に対する挑戦となった。
    --ブライアン・ウィルソン(中野毅・栗原淑江訳)『宗教の社会学 東洋と西洋を比較して』法政大学出版局、2002年、139-140頁。

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歴史を振り返った場合、諸宗教は人間の救済を第一義として様々な組織を形成し「制度宗教」として生成していくのがその常ですが、その歩みは救済をスムーズにはかるだけでなく、「人間のために」というその狙いをゆがめるものとして機能してしまったことは残念ながら事実でしょう。

だからといって宗教における救済の機能というのが全く無役である乃至はそんなの関係ねぇってその硬直化に居直るという二者択一というのは早計にしか過ぎません。

なにしろ、人類の歩みとしてのそれを産湯をすてると同時に赤子まで捨て去るのは暴挙に他なりませんし、同時に、それぞれの場合において、教団・信徒・専従者は、その反省とその黒歴史を踏まえた上での展開というのは必要不可欠なことはいうを待ちませんから。

さて……。
そうした負の側面を大きくスライドさせる事件といえば、やはり近代市民社会の登場がそのひとつになるでしょう。

宗教の担っていた役割を、世俗の市民社会が担うことによって基本的にデザインされた社会構造というわけですが、果たして宗教以上にうまく機能したのかと問い直した場合、疑問が残るも現実です。

先に言及したとおり宗教社会における問題はもちろん反省されてしかるべきですし、近代社会によって囲い込まれ、機能的棲み分け必然だった局面も多々存在します。それはそれでいいと思うんです。しかし、全体としてみるならば、それ以前の世界に対する改革というものが、改革という筋道を大きく超えて反動として機能してしまったことも否めません。いわば、先に指摘した前者の部分が肥大化して事態が進行してしまったというところでしょうか。

これが俗に言う世俗化としての近代社会の形成という評価になりますが、ここで注意したいのは、その形成がいわば「移管」に過ぎなかったという経緯と側面が実は大きくあるということです。市民社会の誕生は宗教に「代わる」新しい装置としては誕生しなかったということがそのことでしょうか。

時代の転換・変化であったことはまぎれもありません。

しかし構造としてみるならば、新しい在り方の誕生というよりも、「移管」「代補」であった事実を失念して捉えすぎていないだろうか……ということです。

「新しさ」に目をひかれ、その点を失念してしまうと大きなミスリードをみてしまいます。

確かに宗教の肩代わりとして機能する学校、工場、会社……。

もちろんその正の側面も多々存在します。

しかし、それと同時により負の側面が強烈に噴出してしまったところも存在しますし、その功績は非難どころか賞賛に値することは承知しております。

ただ、その運営と実行力の合理性とテクノロジーは、近代社会が“残滓”にしかすぎないと見なした当の宗教よりも圧倒的なものがありますから、そこで招来される矛盾も暴力もそれ以上のものとなってしまう……。

このところ、責任を放棄する大人、会社、有力者たち、そして無関心と「無辜」を決め込む市民たち……彼らの姿を見るに付けそんな痛痒を感じてしまうのですが……。

もちろん、だからといってその反動として……いわば反・宗教改革的なノリのような……流血と決断を迫るようなデモーニッシュなロマン主義的傾向も論外ですから、その意味では、現在形成された近代社会というものが、宗教を乗り越えたものではなく、せいぜいのところ劣化モノにすぎないものの、より強力さを増した怪物というぐらいで認識する必要があるのかもしれませんね。

まあ、おうおうにして、それを否定しようとして誕生した“だけ”のものは、それ以上になることはできず、たいていのところ、それをさらに悪化させたコピーに過ぎないってぇ話はよくある事例なわけですけれども、このところそういうものばっかり見せつけられてしまい、甚だ当惑してしまうわけなんですけれどもネ。

勿論、近代社会の成立は、それだけではなく、宗教が守備範囲していなかった誇るべき人類の遺産を提示している点は否定しませんし、その経緯は大切にすべきだとは思います。ただ、代補装置として機能した側面(そしてそれが失念されていること)は踏まえられる必要があると思うわけですけど……ねぇ。

ただかつてのひとびとを「聖職者であり、ときには法律家でもあった宗教的専従者たちは、人々に次のような点で奉仕した。すなわち、救いの保証を与え、神託を解釈し、儀式を執り行い、事件を裁き、神の言葉や神の法を宣し、どのような社会関係が適切かを明らかにし、人間相互や集団相互の義務を明確にし、人間と超自然的なものとの間を取りなすといった点である。しかし、彼らはエリートであったため、しばしば俗人の理解をまったく超えた宗教的真理の概念を展開する傾向があった。また、彼らが示す教説は、しばしば不可解かつ難解で、該博ではあるが、ときには曖昧で不明確でもあった」と指摘し、そのことをあざ笑う現代人もおなじような陥穽に陥り、ひとびとと相対(あいたい)していることだけは確実なんだろけど。

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ラーメン屋で読むホワイトヘッド、そして宗教学の必要性

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 「宗教」は、いつでも「憎しみ」の同義語になっていなければならないのだろうか。宗教に対する大きな社会的理想は、それが文明を統一するための共通基盤であってほしい、ということである。それによって、宗教は、粗野な力の一時的な衝突を超えてみずからの洞察を正当化するのである。
 この議論は、プラトンの思想と、キリストの生涯とキリスト教神学の最初の形成期という、三つの絶頂的局面に注意を集中してきた。しかし、伝説的な先行者たちと近代のその後継者たちによる、この十二世紀間全体が、キリスト教の物語を完成するために必要とされる。この物語は、あくまでも、さまざまな水準の洞察に属する諸観念の交渉に関わっている。宗教的精神はいつでも、簡単な説明で片づけられたり、歪められたり、葬り去られつつある。にもかかわらず、文明に向かう人類の旅が始まって以来、宗教的精神は常にそこに存在しているのである。
 <神学>の任務は、<世界>が、いかにして単なる移ろい行く事実を超えた何ものかに基礎づけられているかを示し、<世界>が、消滅していく諸契機を超えた何ものかにどう帰趨するかを示すことである。時間的な<世界>は、有限な達成の舞台なのである。われわれが<神学>に問い訊すのは、消滅していく生命のなかにおいても、われわれの有限な本性に固有の完成を実現するがゆえに、不死であるあの要素を表現することである。このようにしてわれわれは、生命がどのようにして喜びや悲しみよりも深い満足の相を含むかを理解するだろう。
    --ホワイトヘッド(山本誠作・菱本政晴訳)『ホワイトヘッド著作集 第12巻 観念の冒険』松籟社、1982年。

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子供も塾に行ってしまい、休日一人で家にいることができたので、仕事がはかどること、はかどること。

12月アタマにスクーリングもあるので、短大の講義も日程的にモロかぶりですので、今のうちに余分に仕込んでから、出張書類の作成--これがまた面倒なのですが、おそらく馴れた教員ならお茶の子さいさいなのでしょうが、自分はそうはいかず--と格闘してなんとか提出、おまけに、すこし論文の方へも手を入れていると、腹が減る。

アタマを使うと、俗に甘いものが欲しくなったり、腹が減ったりするといわれますが、あれは事実かも知れません。

ちょゐと気分転換へと、外へ出ましたが、近所に美味い蕎麦屋がないので、久し振りにラーメン屋へ向かい、炙りチャーシュー味噌ラーメンを注文する。
半年ぶりのなのですが、炎天下、「ふうふう」いいながら汗を流しながらラーメンを食べるのも夏の快味なのですが、寒さほとばしる晩秋から初春にかけて、冷気の中、ラーメン屋ののれんをくぐり、くぐると同時に眼鏡が真っ白になるのをかき分け、凍てついた五体の隅々まで広がるスープの温かさに酔いしれるのも、また痛快です。

この店は、きちんとチャーシューをバーナーで炙ってくれるところがまた味があり、ときおり利用しております。

で--。
時代小説はよく読みますので、蕎麦やうどんをたぐるくだりにはよく目にしますから、蕎麦を年がら年中所望するわけで、週に一度は食べております。しかし、そういえば、「うまそうに」「ラーメン」を食べる情景を描いた作品には未だ出会ったことがなく、いつかは幸福な出会いを経験したいものだなあ~と、ラーメンを食べながら思った次第です。さりとて、現代の日本の小説は殆ど読みませんので、難しいのかも知れません。

さて、冒頭は、プロセス神学を代表する神学者・哲学者として有名なホワイトヘッド(Alfred North Whitehead,1861-1947)の言葉から。ラーメン屋で読むような本ではありませんが、ぱらぱらめくっていると吸い寄せられてしまいました。

宇治家参去としては、いわば神学とか宗教学が実際のところ、専門になりますので、必然的にこうした文献とはよく格闘するわけですが、宗教学を学ぶ必然性はこうした現代だからこそあるのではないだろうか……そう思うことが屢々あります。

現今だけでなく、歴史上の宗教間対立の問題は、乱暴な言い方ですが、ほとんどが「無知や誤解」に基づくものが殆どであります。宗教学は19世紀半ば以降、もともとは神学の一部門として誕生した学問です。そこでは、当初、ヨーロッパ世界の世界史的拡大という状況を背景にして、キリスト教以外の宗教とキリスト教をどのように対峙させていくのか--そうした神学的理念をもって、比較宗教という形で誕生した学問ですが、学の進展のなかで、そうした先験的な認識への反省も出来し、そのなかで、特定の宗教を「弁証」する学としての学問ではないという立場を取るようになりました。それがここ百数十年の歩みだと思います。だから宗教学では、どの宗教が正しいとか、どの教えが優れているかということには全く関心がありません。極端な謂いですが、そこで求められているのは、対象に対する精確な記述ということです。もちろん、いうまでもありませんが、そうした姿勢に見られる「客観性」とか「価値中立性」とか「学としての科学性」という部分の問題も重大に存在しますが、ここではとりあえずひとまず措きます。

戻ります。

ですから、これもかなり大雑把な言い方になりますが、広い意味での宗教学といった場合、宗教に関する基礎的な知識の記述・研究といった部分が主軸になってきます。そのなかで、たとえば教団論を扱っていくアプローチとして宗教社会学的なそれだとか、聖典の編纂をたどるような文献学、心理的プロセスを記述し、そのメカニズムの解明を目指す宗教心理学、また、宗教現象をどのように理解していけばよいのか、そうした問題を課題とする宗教現象学とか解釈学といった専門性に分岐していきます。

とはいえ、最初にいったように、宗教を学問の対象として俎上に上げる一番大きな問題は、宗教が人間に限られた現象であるがゆえに、それに関する知識をきちんと記述し、整理し、その内容を解明することが最大の目的になってくるのだろうと思います。

では、そうした学問を学ぶという意味はどこにあるのでしょうか。

かつて、文豪ゲーテ(Johann Wolfgang von Goethe,1749-1832)は「一つの言語しか知らない者は、どの言語も知らない者だ」という言葉を残しましたが、その言葉を参考にして、初期の宗教学者で、比較宗教学の祖と言われるマックス・ミュラー(Friedrich Max Muller,1823-1900)は次のようにいっております。

すなわち……
「一つの宗教しか知らない者は、いかなる宗教も知らない」。

この部分がおそらく宗教を学ぶ意味に通じてくるのだろうと思います。

自己に信仰する宗教に対する確信は絶対的でなければなりません。
そうでないと、信仰が内崩してしまうし、信仰する意味もないし、信仰そのものが成立致しません。しかしながら、その絶対的な確信をもちながらも、必要なのは、他者に対する基本的な知識や基礎理解も持ち合わせる努力を惜しまないということだと思います。

無知や誤解を自分自身で「認識」する……それが宗教学の醍醐味であり、必要性なのだろうと思います。宗教学はあくまで、特定の宗教の「弁証」を目指しません。しかしながら、学んだ個人がそこから「弁証」することは可能でしょう。しかしながら、それが敵意や悪意の増幅に直結させてもならない自覚も必要なのだと思います。

「自分が“絶対”と信じる・思う」という現象は、「自分」一人の問題ではありません。そう思う他者が存在する--その自覚をお互いに共有する、そして、他者認識を絶えず磨き上げていく……そうしたところの基礎知識を提供するのが一番広い意味での宗教学になってくるのだろうと思います。

そうした生きる流儀を学ぶことによって「 『宗教』は、いつでも『憎しみ』の同義語になっていなければならないのだろうか。宗教に対する大きな社会的理想は、それが文明を統一するための共通基盤であってほしい、ということである。それによって、宗教は、粗野な力の一時的な衝突を超えてみずからの洞察を正当化する」ことができるのかもしれません。

ただし、自分自身としては、やはりどこまで言っても神学の学徒になりますので、後半部分、すなわち「<神学>の任務は、<世界>が、いかにして単なる移ろい行く事実を超えた何ものかに基礎づけられているかを示し、<世界>が、消滅していく諸契機を超えた何ものかにどう帰趨するかを示すことである」なのだと思います。

重くナイーヴな課題ですが、有限な時間的存在である「世界」のなかで、「生命がどのようにして喜びや悲しみよりも深い満足の相を含むかを理解」する手掛かりを掴んでみたいものであります。

とわいえ、これが、また金にならない学問でして……細君の眼が痛いです。

しかし、久し振りに食べたラーメンは美味でした。
心と体が喜んでおりまする。

これから予約していたボジョレーヌーヴォーを取りに行こうかとも思いましたが、まあ明日でもいいか……。

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遅筆の原因

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ようやく家族奉公からも解き放たれ……自己自身に集中できる状況になったにもかかわらず、今日からまた市井の仕事が再開し、痛風の足が痛み出す。猛暑がそれに追い打ちをかけるように、五躰を蝕むわけですが、蝕まれておわりにすることもできないわけなので、日中にレポート添削を終え発送し、仕事の休憩中に、紀要論文の資料を再度読み直す。

今日はあまりにもからだが熱っぽいので仕事の休憩中には、今季初のアイスを食ってしまった……。宇治家参去が敬愛してやまない『鬼平犯科帳』の主人公・長谷川平蔵も甘党だからよいとしますか……。

本来、学術論文は、ある意味で「作業」なので、それまでに渉猟した資料やデータをまとめ上げる“作業”に徹していけば“カタチ”にはなるので、それはそれでよいのだが、特定の概念研究とか思想史の振り返りの(報告)ではなく、特定の個人における思想史を相手にするとなると、なかなか、“作業”だけにおわらすことができず、いつものように遅筆となる。そのひとと一体化してしまうのが難点です。

今月中に推敲しようと、ほぼほぼ完成状態(といいますか、基本的な骨格の入力は済んでいるのですが)なのですが、その前に、細かく再度、そうした個々人の文献を読んでいくと、「このままでいいのか」とあたまのなかで別の宇治家参去の声がこだまする。

いまあつかっている人物は、博論では、吉野作造(1873-1933)となるが、平行した個別研究としては、人間主義概念の変遷を追跡している。人間主義とは、概念的には近代以降、思想として整備されてくる発想だが、現代世界においては評判のあまり芳しくない発想形態のひとつである。

なぜなら、人間主義が人間中心主義として機能したのが人類の歩みであるわけですが、その結果としてもたらされた問題は、人間自身が招いた環境問題を傍証するまでもなく、周囲を顧みれば宇治家参去ならずとも、剥き出しの利己主義が正面衝突を繰り返す非倫理の人間世界を見ればなんとなく理解できる部分ではなかろうかと思います。

そうした問題群は確かに杞憂すべき事態である。
しかし、そうだとしても、「人間とは何か」という人間という生きものの、いわば“自覚”の問題とその歩みを、産湯を流すついでに赤子まで一緒に流し去るというわけにもいかない。そういう地団駄を踏むなかで、人間自身を見つめ直す作業をもう一度繰り返しながら、「人間とは何か」という部分を自分自身のなかで再度、構築し、そしてその概念を不断に更新していかねばらない……そう思いながら生活し、古今の先哲のことばに耳を傾ける宇治家参去です。

そうしてしまうと、どうしても概念を固定化できず、それをひとつのカタチとしてまとめ上げることがなかなかできないのが現実である。

学生時代から十数年、新聞というメディアで記事を書く修行を行ってきたので、速記ものや解説ものなら手早く処理することは出来るのだが、人間や書物との不断の対話となるとなると、どうしても内容の更新・更新となってなかなか前へ進まない。

いま、人間主義の問題でひとつ取り組んでいるのが、吉満義彦(1904-1945)という近代日本のカトリック思想家の文献である。吉満はもともと学生時代には内村鑑三(1861-1930)の無教会主義に心酔し、その膝下に足繁くかよったものだが、プロテスタンティズムの信仰における絶対的個人還元主義(「私の信仰は……」という告白の強要)に対する違和感と、有限性の自覚(形而上学的意味合いだけでなく、どこにうまれた誰という有限性)の軋轢から、カトリックへ改宗した人物です(但し内村への敬意は終生は失わなかったという)。

こうしたいわば“微妙な人物”と向かいあうと、どうしても筆が進まない。
内在的に「理解」しようと「自分自身が苦悩する」のからかもしれません。
おもえば、自分が哲学の師とあおぐレヴィナスの文献に関してもそうであります。
10数年来読んできていますが、未だ1本と発表はできていません。

さて吉満の場合。
本人の書き方もある意味で、詩的であり、難解な部分もあるのだが、おのれがストレートにいいたい部分をあえてかたらず、“アナロギア”ですませてしまう部分がまさにパズルのような内容で、遅々として研究も進まない(先行研究も含め)人物なのですが、妙に親近感のわく人物の一人です。

「忘れられた思想家」(半澤孝麿)のひとりではあるわけですが、忘れずにはいられない人物の一人です。

勿論カトリックの思想家になりますので、神という絶対者の自覚という部分がその人間論の通底にはあるわけですが、その意味では、プロテスタンティズムともある意味で同じである。しかし、プロテスタンティズムには飽き足らない、自然・文化としての人間の営みの有限性と無限性の考察にはどうも惹かれてしまうのですよね。

通俗的ですが、神と人間との絶対的対峙を強調するプロテスタンティズムにおいては、自然・文化という問題も相対化されてしまうのですが、自然や文化に神の栄光(=恩寵)を読みとるカトリシズムの幅の広さとでもいえばいいのでしょうか……。

まだ思索としては洗練されておりませんが、そういうところをつくづくと感じてしまいます。

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凡そ古今東西を問はず真の偉大な人間的思想においては文学と哲学と、心理と思想とは分離して考へられるものではなく、文学にしても哲学にしても、心理描写にしてもモラル考察にしてもそこに如何に人間性の真理が把握されてゐるかと言ふ事だけが結局は問題なのではないのか。
(中略)
……確かにジードは小説の純粋性と言ふのはつまり思想でも政治でも詩でも何でも入り得ると言ふやうな言はば徹底的非純粋性にあると言つてゐたと思ふが、要するに我々の人間的条件とでも言ふべきものの反映がそこにある訳である。文学することが即ち思想である如き文学者が、今日でもモラリストだと言ふことにもならう。勿論対象は人間の倫理的存在性そのものである。
    --吉満義彦「モラリストの立場」、『詩と愛と実存』(河出書房、昭和十五年)。

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プロテスタンティズムを批判するつもりは毛頭ありませんが、(本来のプロテスタンティズムがそうした概念類型を跳躍する脈動性をもっていたにもかかわらず)本来の姿とはかけ離れて流通してしまったそれが、いわばデーモンな仮称と化してしまったのが近代のプロテスタンティズムの問題なのでは無かろうかと思っています(内村はそれを実は批判していたわけですが)。そうした近代主義を中世的観点から異議申し立てをする吉満のことばにはなぜかひかれてしまいます。
吉満は、通俗的な歴史観をしりぞけ、中世と近代(ないしは近世)の連続性を説きます。
中世で問題提示がなされ、実は、その解決が模索されたのが近代ではなかろうか。
そこを分断としてしてしまう人間の盲点をついているのではなかろうか……そうおもわれてほかなりません。

どちらしても、やはり、多様な存在である、人間自身を見つめ直さずにはいられません。記述不可能な対象を記述しようとするのがたとえ“愚かな営み”であったとしても、それに対してなにか言及したいのも人間の事実であろう。

と……家にかえってから、楽しみにして買ってきたKIRINの「PREMIUM無濾過WhiteBeer」で一息つく。
コピーに「豊かでやわらかな味わい、フルーティーで爽やかな余韻。キリンのシーズンプレミアム」と書いてある。

たしかに「なんじぁこりぁああ」という味である。良い意味ですが。

むかし、A新聞でバイトしていたとき、外報部の記者に連れて行かれたのが、日本橋のビール専門パブ。そこには数百種類のビールが用意されていたのですが、そこではじめて飲んだフルーティーなビールを思い起こしました。

ビールとフルーティーはある意味で合います。
ただし量はのめません。

こんなことをしながら、文献読んで、レポートとして入力しているのがよくないのかしら?

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前期西田のultimate concern

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余は現時多くの人のいう如き宗教は自己の安心の為であるということすら誤っているのではないかと思う。かかる考をもっているから、進取活動の気象を滅却して小欲無憂の消極的生活を以て宗教の真意を得たと心得るようにもなるのである。我々は自己の安心の為に宗教を求めるのではない、安心は宗教より来る結果にすぎない。宗教的要求は我々の已まんと欲して已む能わざる大なる生命の要求である、厳粛なる意志の要求である。宗教は人間の目的其者であって、決して他の手段とすべき者ではないのである。
    --西田幾多郎『善の研究』(岩波文庫、1979年)。

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『善の研究』をひもときながら、現存在としての人間の自己発展を求める人間生命の本然的要求こそが「宗教的要求」なのではあるまいか……後期西田にはみられぬ前期西田の溌剌とした発想に感動する。

日本で最初の独創的な哲学書と評された西田幾多郎の『善の研究』ですが……最近ではあまり読まれなくなっているのでしょう。そのへんが知的土台を支える基礎体力の喪失として悲しい部分です。(ときどき紹介しておりながらナンデスガ……)先端の批判理論やポスト・モダンの学際的叡智に耳を傾けることも大切なのではありますが、古典には、そうした知的流行とか趣味に左右されない脈動的な〝生命力〟がたしかに存在すると思われます。その意味では、まさに、先端と古典に両足を突っ込みながら、日々引き裂かれた自己の中で慎ましく思索するある日の宇治家参去です。

さて……、西田の話へ戻りましょう。
西田の発想に従うと、人間は、現在の存在状態よりも善く成長したいという要求を持っている。そして宗教とは、そうしたより善い(ないしはより大いなる)方向性を可能にするものである。ゆえに、安心立命を否定するわけではないが、それが目的ではないが、それだけにおさまりきらないダイナミズムを宗教の中に見出すことは可能である。それはいうならば、単なる現在の悩みの解決という〝消極的生活〟への展望ではなく、積極的な意義をもつべきものと考えなければならない。

その意味では、宗教は何か利益をもたらすわけではない。
カント的な目的論に従うならば、宗教が単に利益をもたらす手段でしかななかったならば、宗教に対峙する人間の自分自身はナニモカワラナイことになってしまう。宗教が人間の自己変革、成長を可能にするものと西田は認めた故に、「宗教は人間の目的其者であって、決して他の手段とすべき者ではない」と喝破したのであろう。もちろん利益を否定するわけでは決してない。それが目的ではなく結果としてもたらされるものにすぎないとの視点である。

ただなかなかここまで到達するのも困難なのが現実ですが……。

ちょうど今日NHKの報道番組を見ていた。
クローズアップ現代の「加熱する スピリチュアル・ブーム」(2008年6月10日(火)放送)である。

NHKのWEBに解説があるのでそのまま紹介します。

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占い、ヒーリング、デトックス・・・。いま。いわゆるスピリチュアルに関する マーケットが急成長している。書籍や家電製品、雑貨やゲームなど市場規模は 一兆円に達したという見方もある。目立つのは、これまでの10代、20代に加えて 30代以上での広がり。背景には成果主義の導入などで、不安や孤独を抱えていることあると見られている。一方でブームを悪用した悪質商法や詐欺も急増。全国の消費 生活センターに寄せられた相談は2006年だけで3000件を超えた。過熱するスピリチュアルブームの舞台裏に迫る。
(NO.2595)
スタジオゲスト : 香山 リカさん (立教大学教授)

http://www.nhk.or.jp/gendai/

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既成の(歴史)宗教が魅力と力を失ってから久しくなる。その過程でひとびとの魅力を掴んだのが疑似宗教(quasi-religon / ティリッヒ)としての共産主義とか民族主義といった宗教的な革命運動ないしはイデオロギーであるが、そうしたものももはや過去のものとなった感がある。そうした間隙を突くように伸張しているのが、占い、ヒーリングに代表されるスピリチュアルなる市場である。

スピリチュアルとはspiritual。邦訳するなら〝霊性〟とでもいえようか。
そうしたものへひとびとを惹き付ける社会的な背景とコンテクストも理解できる。成果主義や営業競争に疲れ果て不安や孤独を抱える人々が増産される社会システムの問題である。そしてその一方で加熱するブームに便乗したトラブル……。

個人的な見解を先に述べるなら、占いもスピリチュアルなるものも、その人間の救済や贖罪には全く無関係でナンセンスなものであると宇治家参去は思っている。

ちょうど南方熊楠が面白いことを言っているのでひとつ。

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 最後に、この俗信が天体ないしは気象現象に起因すると説明すると説明した人々にたいして、ある老婆がギリシャの哲学者に忠告したように、つぎのようにお尋ね申しあげたい。「この俗信については、地上にこのように(比較的)直接に辿ることのできる諸原因があるのに、それでもわたしらは、遠くかけはなれた天体に、間接的な曖昧模糊とした原因を探らねばならんのですか」と。

Lastly, to those explainers of the myth, who claim to have traced its origin in certain astronomical or meteorological phenomenon, I would, as an old woman's advice to a Grecian philosopher, like to ask,“while there exsits so ( comparatively ) directly traceable causes of the myth on the earth, must we seek for its indirect and vague origin in the very remote heavens ? ”

    --南方熊楠「燕石考」、『南方熊楠全集 別巻I』(平凡社、1972年)。

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 ここで南方がやり玉に挙げているのは、神話的俗信の「アストロノミカル・ミソロジスト」的仮説への批判であるが、占いもスピリチュアルも同じ根を持っている。

スピリチュアルを信じる、信じないは、極限的には個人の問題であり、そこに容喙する必然性と当為は全くない。

ただ、共通しているのは、それが「手段」となっているし、営業サイドも相手を「手段」としている点である。報道でもあったが、お互いに「手っ取りばやく」何かをもたらしてくれるのである。

どうやら「手っ取りばやく」癒しや救い、ないしは進路が確定されるようなのだ。

宗教学を対象とする学徒としては、そこまで踏み込む必要もないのだが、何かが違うのだ。

ついでにいうならば、宗教学でもこうしたスピリチュアルブームの分析が盛んで、そのフィールドワークも盛況である。そして比較的成果も出しやすい……。ただ、哲学的解釈学の影響と教義学の狭間で、思想史を記述する者としては何か、すこしそうした実証的研究にたいしてすこし違和感を感じているのですが(それが無意味ということではなく、それですべてを代表してしまうと言うことにですが)……話が再度ずれたようです。

で……手っ取り早さには、つまるところ、人間の生命論的な全人性に対する救いは約束されていないはずである。西田が論じたようにそれは「小欲無憂の消極的生活を以て宗教の真意を得たと心得る」ようにもなるのである。頼る心を足蹴にするのではない。人間の全人性の回復には何が必要なのだろうか……。

かつて神学者ティリッヒは、主著である『組織神学』のなかで、宗教を定義して「究極的関心事(ultimate concern)」と表現した。宗教団体の数ほど宗教の定義はあると俗に言われるが、その中では正鵠を得た表現であると思われる。人間を目的にし、その救済を可能にするのが宗教であるとすれば、まさに宗教の使命が今問われていると思われて他ならない。

ティリッヒが、「究極的関心事」に関わる宗教と、その宗教を装った現象を「疑似宗教」とを峻別に批判したように、疑似宗教では「究極的関心事」を代替することはいずれにしても不可能である。

「宗教的要求は我々の已まんと欲して已む能わざる大なる生命の要求である」

逆説的ではありますが、宗教者はこの部分をもう一度再考する必要があるように思われる。

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汝自身の“地の塩”

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◇「序話」
 もし日本にキリスト教が来なかったとしたら、どんな日本になったであろうか。
 本書をご覧になればわかるように、キリスト教は日本に渡来以来、何度も事件を引き起こしている。いわば「お騒がせ宗教」である。その「お騒がせ宗教」がなかったとしたら、日本は、たぶん変わりなかったかもしれないが味気無かったにちがいない。
 聖書に「地の塩」という言葉がある(マタイ五・一三)。ここでいう塩は、わたしたちが現在用いているような精製された美しい塩ではない。よごれた色のゴツゴツした岩塩である。
 日本を騒がせて来たキリスト教は、岩塩のようなキリスト教として、日本に味をつけたり防腐のはたらきをしてきたのだろう。塩味がなくなるならば捨て去られるのみ、と聖書に書かれてある。

◇「終話」
 日本および日本人の歴史にとって、キリスト教はなんであったか、との視点で『日本キリスト教史物語』を描こうとした。キリスト教は、日本にとり「異神」、「邪宗門」、「耶蘇教」、「洋教」、「基督教」、「キリスト教」であった。それは、キリスト教が、時期によりニュアンスの相違はあるが、日本にたいへん異質な宗教であった反応である。
 その異質性には、キリスト教固有の神観、人間観、世界観からくるものと、歴史的にまとまった西欧的衣裳によるものとの、ふたつの面がある。結果的には、双方による異質性がもとで、日本においてキリスト教は多くの事件を引き起こす宗教となった。
 異質性のなかの西欧性のうち、欧米文明は歓迎された時期もあるが、教派のもつ世界伝道組織は反発を買ったりした。一方のキリスト教固有の思想は、日本の思想、宗教、社会組織、国家、権力をはじめ、日本に残る人権侵害、差別、偏見、公害などとの間に摩擦、衝突をよび、事件を生じがちであった。
 だが、キリスト教が日本において事件を起こし「お騒がせ宗教」であった時代は、それなりに日本社会に存在の意義があったと思う。キリスト教に元気があり活力のあった時代である。「世ニこび、時ニへつろふ事のなきハキリストノ特色なり。いにしいになづむの短所こそあれ、今ニへつらわざるハ誠に天晴れなりとす」。これは日本のキリスト教を評した田中正造の言葉である。その刺激により、日本は新しいものを生み、キリスト教も日本から世界に発信するキリスト教を出現させた。
 宗教文明史の目で見て、事件を起こす「お騒がせ宗教」であったキリスト教は、この意味で評価できる。ところが教勢の上で停滞している理由は、キリスト教側の理由に加えて、鎌倉時代に仏教の宗教改革があったことによっていると考える。そこで仏教が、すでに聖職者の宗教から一般信徒の宗教として改革を果たしていたことが大きい。
 せっかく宗教改革をした仏教も、ふたたび制度化し金属疲労をして宗教の機能を果たせないとき、キリスト教や他の新・宗教の進出があったとみたい。しかし、それは間隙をつく役にとどまり、地位を変わることは困難であった。当然、キリスト教が、日本の世に迎合するだけの時代は、キリスト教は存在の意義がないだけでなく、有害でもあった。
 日本の歴史を振り返ると、集団の魔性(国家、天皇制など)に個々の人間の生命、思想、自由が抑圧されることが多かった。日本のキリスト教の存在理由は、前者に対し後者とともに立つことになる。ここにキリスト教による事件が生じ、挫折もあった。ささやかな物語ながら本書の意図は、その歴史を踏まえた新たな歩みである。
    --鈴木範久『日本キリスト教史物語』(教文館、2001年)。

冒頭の引用は、学問の恩師・鈴木範久先生が、もともと大学の教養科目として行った話をもとに、「専門家、牧師、神学生ではなく、ふつうの学生や一般の人々」を読者として著した、簡便かつ思想史的に読み応えのある、日本キリスト教史に関する著作の序文とあとがきから。
いつもながら手前味噌で、専門のキリスト教の立場からだけの発言をご容赦されたい。

さて--。

宗教のいのちとは何か--。
宗教は多彩な側面を持っているのでひとつに限定できないが、社会との関係をみた場合のひとつの視座が、「地の塩」であると思う。

「地の塩」。

「お騒がせ宗教」である「キリスト教」を仏教にでも、神道にでも、イスラム教にでも、etcにでも置き換えてみてもよいだろう。宗教は時代と社会とひとびとの“現状”に警句を発する“地の塩”である。

塩気がなくなるときとは、即ち“金属疲労をして”“世に迎合するだけ”のときのことである。これは組織・教会・協会という集団・共同体だけの問題ではない。

「地の塩」は自分自身に対しても“地の塩”である。

ゆえにひとを蘇らせ、社会を大きく変えていくのだと思う。

マタイ伝をみてみると次のようにある。

「あなたがたは地の塩である。だが塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。また、ともし火をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである。そのように、あなたがたの光をひとびとの前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの点の父をあがめるようになるためである。」(新共同訳)。

人々に踏みつけられ、役割を終えた価値観は無数に存在する。
そうはありたくない宇治家参去でした。

蛇足ですが、明日から半年ぶりのプライベートな二連休。
どうしようかな?--という夢想はない。
一日は、集めた資料を読んで論文を書き、通信教育部のレポート添削にあてることがきまっている。
しかし、一日はフリーだ。
たぶん、家族につきあわされるのだろう。
合掌。

だから、飲んで寝よ、寝よ。

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