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緑陰
数年前の晩夏に、スペインの首都マドリードへ行ったとき、同行の若い友人のS君が、石造りの大建築群を圧倒するような濃い緑にびっくりしていたが、私は、こういった。
「むかしの東京も、マドリードに劣らぬほどの緑に包まれていたのだよ」
「ほんとうですか?」
「ぼくは東京の下町に育ったのだけれど、緑に不足はなかった。蝉や虫や蝶々や、蛍や蝙蝠とも友だちだったのだ」
「まさか……?」
「ほんようだよ。川の水と樹々のない町なんて、町としての機能がないも同然なのだ。むかしの政治家や役人は、よく、それを心得ていたのだろう」
「まさか……?」
「いまの東京の緑は、車輌とマンションとビルに追いはらわれてしまった。夏の涼風までも消えてしまった」
「ほんとうに、風が来ませんねえ」
「緑がある空間にこそ、風が生まれるのだからね」
「もっとも、夏は冷房がありますけど……」
「冷房は、夏に冬をむりやりによぶだけのものさ。人間の躰が狂ってしまう」
「日本の都会が緑に埋まるようなことって、もう、ないんでしょうか」
「木々の緑はカップ・ラーメンとはちがうよ。大自然が失ったものを取り戻すまでには二十年も三十年もかかる」
「でも、東京にいる政治家や役人は、みんな田舎から出て来たんでしょうに……」
「あの連中は、自分の故郷にさえ、緑があればいいという考えなのだろうよ」
--池波正太郎『新 私の歳月』講談社文庫、1992年、26-27頁。
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祝日の11日は久しぶりに休日でしたので、たまった書類仕事を片づけて、資料を読み直すかと思っていたのですが、家人より、歴史好きの子どもをどこかに連れて行こうということで、
江戸東京博物館・開館20周年記念特別展「尾張徳川家の至宝」へ足を運びました。
http://www.tbs.co.jp/owari-tokugawa2013/
http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/exhibition/special/2012/01/index.html
http://www.tokyo-np.co.jp/event/bi/owari-tokugawa/
東京に長らく住んでいながら訪問するのははじめてでしたが(汗、ひさしぶりに「本物」を鑑賞できたように思います。
個人的に印象深く鑑賞したのは、茶器と火縄銃。
お茶をしていたのでアレですが、なかなかの逸品に驚くばかり。
火縄銃には、武器でありながら、徳川家の使用するそれには、漆塗りで葵の御紋が施されており、江戸時代の「形式化」の両方の側面を象徴する一品だと実感しました。
まず最初に特別展に足を運んでから、常設展をまわり、特集展へ。
江戸時代の風俗をその当時の生活道具とセット、それからミニチュアでの再現に子どもが喜んでおりました。水都“江戸”の息吹を感じることができのではないかと思います。
特集展は、「広重・東海道五拾三次」、「雑誌にみる東京の20世紀」。
http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/exhibition/feature/2012/02/index.html
http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/exhibition/project/2012/02/index.html
前者は宿場順に広重の作品を紹介するもので、宿場を重ねるたびに、東海道を旅する気分が味わえ、後者は、明治から現在に至る「雑誌メディア」に表象される「東京」を概観する企画展。
近代日本思想史(キリスト教学)が専門ですから、明治維新以降の雑誌メディアには注目するのが「仕事」になりますので、わりとなじんだ雑誌が多かったのですが、やはりここでも「灯台もと暗し」。
明治・大正・戦前昭和の雑誌は目を通することが多いのですが、昭和後半の雑誌は未チェックが多く「目から鱗」のひとときでした。
パンフにも掲載されている『ステップ・イン新宿 創刊号』(新都心新宿PR委員会、
昭和50年10月10日)の表紙絵に時代を感じると共に、『月刊 光が丘』(協同クリエイティブ)では、原武史さんが、団地の自生的民主主義を近著『団地の空間政治学』(NHKブックス、2012年)をはじめとする労作で明らかにした、メディアと自治とはこういうものだったのかと驚くばかりでした。
入館料が少々高いかなと思いつつも、充実したひととき。
最初は面倒だなと思いましたが、家族に感謝です。
池波 正太郎
講談社
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