詩・文学・語彙

日記:マリオ・バルガス=リョサの『世界終末戦争』(新潮社)を「読む」ということ


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先週の金曜日は授業を終えてから月一の読書会へ。

毎月一回、コロンビア大学の教養教育カリキュラムの課題図書を取り上げ、「読む」という集いをしておりますが、この秋は番外編として参加者おすすめの1冊をそれぞれとりあげてきましたが、今回はマリオ・バルガス=リョサの『世界終末戦争』が課題図書。

おれたちはどこにいるのか、そして何をなすべきか、認識が常に更新される一冊だった。二項対立とフラットという欺瞞とどう決別すべきか。恐るべき一冊。

何で人間が人間を殺し合わなければいけないのか。その矛盾をついたのがトルストイの『戦争と平和』。リスペクトを込めつつ刷新したのがリョサの『世界終末戦争』なんだろう。リョサはあえてイデオロギーを語らないし、普遍的価値観をも語らない、しかし、そこには「人間の現在」を否定しない地平がある。

幾重にも差別と搾取がからめとられた南米文学は読んでいるつもりであったが、リョサはの著作は初めてであり、よみながら強烈なショックを覚えた。「ショックを覚えた」という言葉すら欺瞞に他ならないわけだけど、南米の過去・現在が私の今であるとすれば、リョサの筆致は他人事ではない。

歴史「主義」としての過去の断罪は何の値打ちもない。同時にだと言ってその瑕疵がスルーされてもよい訳ではない。そして「現実はこうですから」と訳知り顔でしかたがないと言われて始まらない。リョサは結論を書かないが、そう、そういういまから、「はじめるしかない」。深い余韻が今なお離れない。

おのれの潔白さを証明するが如き隠棲も不要で在れば、同時に、この浮き世は矛盾だと居直ることも柔軟に退けなければならない。矛盾を撃ちつつも、生-権力の享受とは決別した「しんどさ」をひきうけること。これがためされているように思う。
 
コメンテーターを務めた金型設計のおっちゃんが言う「きちんと本を読むことができる人間は、きちんとしたものを書き、発信もできる」という言葉が頭に残っている。

複雑な人間世界、時には苦渋に満ちた選択をせざるを得ないことは承知する。しかしながら、「げんき」だの「感謝」だのという、みつお式の「にんげんだもの」の如き言葉に、葛藤・逡巡・熟慮・決断といったプロセスを垣間見ることは不可能だと思う。現状認識と現状容認は似ているようで全く異なるものでしょう。

考えるということと程遠い、「幼稚化」というものがものすごいスピードで時代をまとめあげようとしていることに戦慄してほしい。そしてそのことが「苦渋の決断」とはほど遠い「自己弁解」をそれと錯覚することへ連動している訳ですよ。

リョサの作品と対峙すること、読むと言うこと。それはすなわちキャッチコピーの如きワンフレーズ「消費」とは対極にあるものだろう。こうした営為が今こそ必要だと思う。

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覚え書:「今週の本棚:本村凌二・評 『叢書「アナール 1929-2010」…』=E・ル=ロワ=ラデュリ、A・ビュルギエール監修」、『毎日新聞』2014年03月02日(日)付。


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今週の本棚:本村凌二・評 『叢書「アナール 1929-2010」…』=E・ル=ロワ=ラデュリ、A・ビュルギエール監修
毎日新聞 2014年03月02日 東京朝刊

 ◇『叢書「アナール 1929-2010」-歴史の対象と方法 3 1958-1968』

 (藤原書店・9240円)

 ◇動揺の時代、歴史はいかに捉えられたか

 昭和33年に東京タワーが完成したころから、なんとなく日本の景気がよくなり、世の中がセピア色からカラフルな風景になった。この西暦1958年から10年間、キューバ危機、ケネディ暗殺、北爆後のベトナム戦争拡大とつづき、冷戦体制にある世界はぐらぐらとしていた気がする。

 この動揺の時代、西洋の歴史家たちは現代世界の底にひそむ歴史をどのように捉えようとしていたのだろうか。1929年に創刊された叢書(そうしょ)から選(え)りすぐり、60年前後の10年間の諸論文をまとめたもの。創刊者M・ブロックもL・フェーヴルも世を去り、『アナール』はまさしく「F・ブローデルの時代」として群をなしたと言ってもいいのだ。16世紀のフェリペ2世時代をあつかう大著『地中海』で名高い巨匠の時代だった。

 ブローデルにとって構造の概念は重要であり、そのために「長期持続」なる思考を強調する。かつてマルクスの社会分析モデルは最も強力であったが、純化され硬直しがちになり(日本における宇野経済学を想起されたい)、それが占める空間あるいは環境に戻されなければならない。とりまく自然環境もそこに生きる人間も目に見えないほど緩やかに、だが着実に変化しているからである。

 G・フリードマンはまだオートメーションが走りだったころ、その意味を問いただし、心理・社会学的局面をほりおこす。昔は車輪つき犂(すき)などに数百年で適応すればよかったのに、今や技術革新に数年で馴染(なじ)まなければならない情況にある。そこには危険と希望が待ちかまえている。

 気候と人間の関係は、食糧資源が厳しかった18世紀までは深刻な問題だった。ル=ロワ=ラデュリは自然科学の年輪気候学などに寄りそいながらも、文献史学独自の方法を探り出す。生育期の気温が高く日当たりがよいほど葡萄(ぶどう)の成熟は急速で、収穫も早くなる。その日付を修道院などに残された古文書から集計すれば、1600年から1800年までの気候変動の時系列データを作成できる。結果は樹木の年輪の累計集積などとほぼ一致するというのだから、新しい文献史学の開発になる。

 わが国の士農工商のごとく、西洋でも商人は賤(いや)しめられてきた。批判の根源には、商人の儲(もう)けが、神にのみ属するものである時間を抵当にしていることがあるらしい。だが、J・ル=ゴフによれば、中世末期には商人の時間が教会の時間から自由になり、やがて交易や市場の情報に基づく信用貸しが発展するのである。

 キリスト教にそまらない古代ローマには「解放奴隷」という不思議な身分があった。P・ヴェーヌは小説『サテュリコン』に登場する解放奴隷トリマルキオンを素材に、奴隷が解放されて成り上がり、大金持ちになって大土地所有貴族になるという生態を描く。だが、トリマルキオンは豪奢(ごうしゃ)な生活をおくり、凡俗な側近にとりまかれているだけだった。そこには20世紀屈指の古代史家ロストフツェフが主張するような資本主義や商業経済の台頭を示唆するものはないと断ずるのだが、慧眼(けいがん)かもしれない。

 身分といえば、中世貴族社会の「若者」も身分だった。既婚者でも父親でなければ「若者」としてあつかわれる。だが、自分を受け入れてくれる娘を見つけられない若者もいる。その若者たちを12世紀の宮廷恋愛詩人は称揚する。その背景は、なんと夫が「妻が若者と若者の愛の奉仕を受け入れるのを邪魔しないこと」だとG・デュビーは指摘する。

 精神分析はどこまで歴史学に適用できるか。スパルタの被征服先住民ヘイロタイは反乱をおこしかねない脅威の種であった。精神分析学者G・ドゥヴルーはヘイロタイの精神に立ちいり、彼らが美徳によって鞭(むち)打たれ、悪徳によって褒賞されるという逆説の実態を浮きぼりにする。

 冷戦時代には善悪二元論の呪縛があり、西側にいながら反資本主義的であろうと望めば、C・ルフォールのように、民主主義そのものを問題にせざるをえなかった。東側の全体主義システムが競合(コンフリクト)など知らない社会であれば、民主主義はもろもろの異質性に立ち向かい競合(コンフリクト)を成長の原動力として利用することになる。力と富への貪欲さに根ざしながら、不平等を形式にとどまらせない先鋭的な工夫がいるだろう。

 ほかにも、「政治家とは公然と社会科学と歴史学の全体を実践に移す者である」と指摘する経済成長論のW・W・ロストウ、英仏を比較しながら経済成長の発端を論じるF・クルーゼ、黒い狩猟者とアテナイ青年軍事教練の起源を論じたP・ヴィダル=ナケなどの論考があり、日本人研究者の興味深い論考もある。

 アメリカの繁栄と明るさに翳(かげ)りが見え始め、日本が東京オリンピックにむけて高度成長の波に乗るころだった。その中で、これら対象と方法の多種多彩ぶりから、皮肉にも歴史学の「長期持続」思考にほころびが見られるように思われないでもない。だが、これこそが不変ではない長期持続という見方の本領なのかもしれない。(浜名優美監訳)
    --「今週の本棚:本村凌二・評 『叢書「アナール 1929-2010」…』=E・ル=ロワ=ラデュリ、A・ビュルギエール監修」、『毎日新聞』2014年03月02日(日)付。

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[http://mainichi.jp/shimen/news/20140302ddm015070027000c.html:title]

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覚え書:「島田清次郎―誰にも愛されなかった男 [著]風野春樹 [評者]荒俣宏(作家)」、『朝日新聞』2013年10月27日(日)付。

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島田清次郎―誰にも愛されなかった男 [著]風野春樹
[評者]荒俣宏(作家)  [掲載]2013年10月27日   [ジャンル]ノンフィクション・評伝 

■「天才」は入院後も書き続けた

 大正時代は、スケールが大きすぎ話も赤裸々にすぎて胡散(うさん)くさく思われてしまう「天才」が多数輩出した、ある種の文化的黄金時代だったらしい。精神病院から詔勅を発した芦原将軍しかり。ロシア皇太子侍従の落とし胤(だね)としてロシア革命の修羅場を実際に体験した異色の混血作家・大泉黒石しかり。そして本書が描く島田清次郎の短い人生も、彼が残した小説に負けないほど超人的だった。
 島田清次郎は極貧の生活を送りながら、わずか20歳で刊行した自伝的小説『地上』が若い読者に支持され、大ベストセラー作家となった。本人がモデルの苦学生時代から始まる物語は、巻を重ねるに従い舞台を世界に広げ、全人類の幸福達成を妄想する「天才」の苦闘記へと発展する。その情熱に触れた女性も彼を崇拝せずにいられなくなるという身勝手きわまりない筋だが、著者によれば、中学生だった中原中也ら10代の読者の渇きを癒やす青春小説として迎えられ、清次郎のような「天才」になることが文学少年たちの目標になった。
 だが、この天才作家は、膨大な印税収入を投じて、H・G・ウェルズやゴールズワージーら世界的作家と会見する旅を敢行、本気で世界改造を論じだすのだ。故郷や学校の人脈も無遠慮にこき使い、結婚すれば妻に暴力を振るい、彼を無視する文壇とも敵対した。また自分の愛読者だった海軍少将令嬢を「誘拐監禁」し結婚を迫るに及んで逮捕・告訴され、ついに精神病院に入院となる。精神科医でもある著者が特段力を注ぐのは、彼の入院後の生活である。早発性痴呆(ちほう)(現在の統合失調症)と診断され抹殺状態に置かれた彼が、じつは死の直前まで著述をつづけ復活を期していた事実が新たに掘りだされる。愛されなかったかどうかを越えて、当時の青年に現実を突き破る妄想の力を示した「天才」の挫折伝として、これは読める。
    ◇
 本の雑誌社・2625円/かざの・はるき 69年生まれ。精神科医。書評家。専門は精神病理学、病跡学。
    --「島田清次郎―誰にも愛されなかった男 [著]風野春樹 [評者]荒俣宏(作家)」、『朝日新聞』2013年10月27日(日)付。

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[http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2013102700005.html:title]


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日記:『風立ちぬ』雑感 --ひとりの人間がその内に孕む矛盾をひとつの作品に


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全体がワッーって収斂されていくことには懐疑的だから、日本テレビ+スタジオジブリを宣揚することだけは避けているんですけど、子どもが見たいというので、『風立ちぬ』を見てきました。

宮崎駿さんが自身のうちに秘めている、兵器と平和の両者への指向(思考・嗜好)を共存させるということ、すなわちひとりの人間がその内に孕む矛盾をひとつの作品にしたことには敬意を表したい。

戦闘機の絵を描くことイコール軍国主義者なのか、といえばノーでしょう。内なるものを相対化させ飼い慣らすことはなかなかできない。

極端だけど、戦争映画みて戦争やろうゼと思うとか、ゲームのしすぎはパラノイアっていう科学的根拠を全く割愛した単純化の方がやばいのではないだろうか。

勿論、そういうパターンもなきにしもあらずだろうけど、結局それを趣味的な愛好と、現実への取り組みを共存させるのは、カルチベートの問題になってくる。

だからなし崩し的な還元主義による脊髄反射的ほど恐ろしいものはないだろう。

過去を描くことに関してアキレス腱がないわけではない。それはロマン主義の負の側面といってよい。一種美化された過去が提示されると、容易に人はそこに収斂されていく。指摘は多いと思うけれども、『風立ちぬ』は、割と意識的にその憧憬を抑制しているように感じた(勿論、創作ゆえのロマン主義もあるのだけど。

認識の地平として、ナショナリズムの良し悪し自体がナンセンスであるの同様にロマン主義の良し悪し自体にもナンセンスはあると思う。しかしながら、……そして、言い方が語弊を招きそうだけれども……、宮崎さんの育ちの良さがいい方向に機能していることは否定できないとは思う。もちろん、あそれはア・プリオリな文化資本乙というよりも、オルテガ的に捉えても良いけど、自身が生き方として獲得していくそれという意味で。

「夢は狂気をはらむ、その毒もかくしてはならない。美しすぎるものへの憬れは、人生の罠でもある。美に傾く代償は少くない」。

[http://kazetachinu.jp/message.html:title]

私的な指向・志向・嗜好と公的な選択は全く別だ。その意味で、月並みだけど成熟した人間になれるかどうかだけだけの話。

まあ、ほとんど正反の評価は出揃っているので、今更わたしが云々感ぬん言及するのもナンセンスだけど、結果としては宮崎さんを擁護するような形になったかと思うが、脳内思考を刀狩りする清潔主義・道徳主義的強制ほど、実際のところ、現実の武力を肯定する発想と五十歩百歩であるからいたしかたない。

( むしろ、育ちの良さとしての素朴な宮崎さんの善意が、悪しきロマン主義として、アニミズム的なディープエコロジカルに傾きがちなところは、ヒコーキ好きよねんよりは、まあ、問題だとは思っているけど。 )

ちなみに、僕はあらゆる暴力に荷担することは嫌悪しますが、戦争の道具は好きですけどね。

関連記事 [http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/kenpouto/list/CK2013050902000173.html:title]


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そして生き甲斐などと、ひと口に言えば大変なものも、仔細に眺めれば、こうしたひとつひとつの小さな生活の実感の間に潜んでいる

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長い間勤め人として暮らしてきたので、やめるには相当の決心が必要だったが、もともと頑健とはいえない身体で、会社勤めと小説書きを兼ねる生活は、そう長くは勤まるまいという予感があったので、そう深刻には悩まないで済んだ。
 しかし長年の生活習慣を、一ぺんに変えるというのはなかなか大変なことで、当座私は芒然と日を過ごしたりした。人はその立場に立ってみないと、なかなか他人のことを理解できないものだが、その当時の私は停年になった人の心境が少し理解できた気がしたものである。
 われわれの日常は、じつに多くの、また微細な生活習慣から成り立っている。そして生き甲斐などと、ひと口に言えば大変なものも、仔細に眺めれば、こうしたひとつひとつの小さな生活の実感の間に潜んでいる筈のものである。長年の生活習慣を離れて、新しい生活習慣になじむということは、私のような年齢になると、そう簡単なことではない。
 多分そういうとまどいのせいだろう。勤めている間は、会社をやめてひまが出来たらあれも読み、これも書きいろいろと考えるところがあった筈なのに、それではその後何か計画的な仕事をしたかとなると、どうも漫然と流されて一年経ってしまったような気がする。しかも会社勤めをやめたらひまが出来るものと信じこんでいたのに、意外にそのひまがない。身体は楽になったが、精神的にはだらだらといそがしい日が続いている。
    --藤沢周平「あとがき」、『冤罪』新潮文庫、昭和五十七年、419-420頁。

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疲れたときとか、もうだめだなぁ~と思うときに読み返すのが、藤沢周平さんや池波正太郎さんの時代小説です。

時代小説と言えば、まあ、「現代の人間が過去を舞台に『創作した』“お話”ですよね!」って言葉を耳にすることがよくあります。

もちろん、そういうものも存在するとは思いますが、簡単にそう片づけてしまうことほど「お花畑」はないのも事実であると思います。

藤沢さんや池波さんたちが、生活の中で汗を流し、食に希望の灯火を点火され、不正に対する怒りを忘れず、人間を愛し続ける中で、生命をすり減らすように、その思念を「言葉」にかえていった訳で、そこには創作というカテゴリーや時代という制約に制限されない、何か普遍的な営みを感じてしまうのは僕だけではないでしょう。

さて……。冒頭に紹介したのは藤沢さんの初期短編小説集の「あとがき」です。直木賞を受賞した(1973年)の翌年から3年の間に発表した作品群になります。

氏自身が言及している通り、ちょうど、勤め人と作家の二重生活を辞めた時期にも重なりますが、注目したいのは、次の一節です。

「われわれの日常は、じつに多くの、また微細な生活習慣から成り立っている。そして生き甲斐などと、ひと口に言えば大変なものも、仔細に眺めれば、こうしたひとつひとつの小さな生活の実感の間に潜んでいる筈のものである」。

いわゆる「青い鳥」というのはどこにいるのかといえば、結局は自身の生活のなかに潜在しているということ。

だからでしょうか……。

藤沢さんや池波さんの作品に眼を通すと、大文字の政治文化とは違うけれども、そして生活への後退とも違うけれども、この世でもういちど、「挑戦しよう」というのが私の感慨です。

……って私だけではないのだとは思いますが。。。

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「黒白(こくびゃく)」で片づける思考方法を破棄してくれた池波正太郎先生への感謝

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 中年男の梅吉は少年のような矮軀(わいく)であったが、きちんとした堅気の風体で、連れの三十がらみの男と茶店から出て来て、参道を遠ざかって行った。そのとき、
 「では、明後日。またここでね、いいかえ」
 という梅吉の声が、はっきりとおふじの耳へ入った。
 連れの男は縞の紺木綿の半てんのようなものを着こみ、手に小さな風呂敷包みを持っていたという。
 「それからはもう、しばらくは、そこをうごけもせず、おそばも食べずにじいっとしていましたけれど……こわいのをがまんして、やっと……」
 「そうか。そりゃあ、よく見ておいてくれたな」
 「小野様さま、御役にたちましょうか?」
 「たつとも。いや、たてずにはおかぬ」
 「ま、うれしい……」
 梅吉がいう明後日というのは明日のことであるから、小野十蔵はすぐさま役所へもどり、御頭の長谷川平蔵の指示をあおぐと、
 「おぬしにまかせよう」
 この御頭は、にっこりとして、
 「おりゃ、当分は、おぬしたちにいろいろと教えてもらわねばならぬのでな」
 と、いった。
 このとき十蔵は、何とはなしに、この御頭の風貌に好感を抱いてしまった。
 (肚(はら)のひろいお人のようにおもえる。でなければ、なまけものだ)
    --池波正太郎「唖の十蔵」、『鬼平犯科帳 1』文春文庫、2000年、31-32頁。

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今日5月3日は、池波正太郎先生の命日ですので、twitterに連投したものですが少しまとめて掲載しておきます。

私自身は池波正太郎先生を師と仰ぐのですが、最初に読んだのは20代の半ばでしょうか。信頼する大人から「まあ、読んでみなさい」と言われたのがきっかけです。『鬼平犯科帳』の概要は知っていたけど、読み始めると止まらなかった。以後、赴くまま時代小説、そしてエッセーの類まで1年で全部読んだ。

はまりっぷりに自分でも驚く。

何に魅せられたのだろうか。いくつか理由はあるのでしょうが、先入見からスタートする二元論をやんわりと退ける力強さというのはその一つだろうと思う。しかし通俗的な善悪二元論を退けるからといって、「目を瞑る」わけでもない。この「黒白」(こくびゃく)だけに片づけない度量に引き込まれた。

いちおう、私も文学部の文学科(ドイツ文学)出身の文学囓りのはしくれだから何なんだけど、「大文字」の世界文学もよく読んだ方だと思うし、東洋の古典も大分読んだ。それはそれでいいものだと思う。しかし、それだけを「後生大事」にして、それ以外を全て否定するというのはいささかナンセンスだとも思う。往々にしてそういう連中が多いなかで育ったが、それは所詮、文学から「学ぶ」というよりも文学に「淫する」ことなんだろう。

「池波なんてしょせん、娯楽の大衆小説だよな」と言われることに腹が立った。

難解さや思想的深淵さは、読み物にとって必要ではあるとは思う。そして「面白い」だけが文学の全てではないとは思う。しかし、前者のみを持ち上げるハイ・カルチャーを排他的に「卓越した芸術」と「淫する」人間には、人間存在の全体は見えないのだとは思う。もちろんその脊髄反射のアナーキーもご遠慮だけど。

お上品さとか難解で保守するのでもなく、お下劣とわかりやすさだけで革新するのでもないところに人間存在の豊穣さは実存するのではないだろうか。そんなことを僕は池波正太郎先生から学んだように思う。だから、以来、僕は……これは勝手にですが……先生を師と仰いでいる。

以来、毎年、『鬼平犯科帳』、『剣客商売』、『仕掛人梅安』は、毎年読み直しているから、10数回以上の再読が自分の生きる糧になっている。筒井ガンコ堂さんや常盤新平さんの足下には及びもしないが、自分自身はやっぱりりっぱな「池波狂」であり「池波教」であることは否定できないというか誇りだ。

ついでに、池波先生は、まったく軽くはありませんよ、念のため。師が小学校しか出ていないから低いという奴はバカだし、世界文学の殆どは読まれている。研鑽の鬼が師の異名なんだということも付言しておこう。しかも、吉川英治のようなルサンチマンがない。これは江戸庶民の国際性なんだろうと思う。

今日は先生のご命日。出会いに感謝です。

蛇足ながら、シャイな江戸ッ子の池波先生は「ゴルァ」などといいませんし「おすまし顔」をしません。これが実は師の映画批評に出ます。前衛的審美的フランス映画をのみ賛嘆してアメリカ映画を否定するのが戦後知識人の作法。しかし、氏は是々非々。これはすごいと思います。『銀座日記』でその消息が分かります。

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白雪の東京:我が宿は 雪降りしきて 道もなし 踏みわけてとふ 人しなければ

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我が宿は 雪降りしきて 道もなし 踏みわけてとふ 人しなければ 読人知らず
    --0322「巻六 冬歌」、『古今和歌集』。

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夕方から降り始めた雨が20時すぎぐらいから、雪に。

東京では今期初の本格的な大雪ですね。

もちろん、朝になれば、路面が凍結して大変なことになることは承知しておりますが、雪がふると心が躍ってしまう……というのは僕一人だけではないとは思うのですけどね。

……ということで、その様子を少々撮影しましたのでひとつ。


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君ならで 誰にか見せむ 梅の花 色をも香かをも 知る人ぞ知る

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 君ならで 誰にか見せむ 梅の花 色をも香かをも 知る人ぞ知る 紀友則
     --0038「巻一 春歌上」、『古今和歌集』

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ちょいと用事があって近所をまわっていたのですが、造園やの植え込みの梅のつぼみが大きくなっておりました。

これから一ヵ月、すさまじい寒さが東京を包み込むことでしょうが、その風雪にたえ、まもなく、その大きな花びらを開かんとする自然のたくましさに、ハッと息を呑む思い。

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「面白いですね 『チボー家の人々』」「どこまでお読みになって」「まだ4巻目の半分です」「そお」

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発信箱:黄色い本の青春=伊藤智永(ジュネーブ支局)

 思春期の読書。そこには甘美な思い出だけでなく、大人になる苦さと武者ぶるいが交じる。まして、それが時間も場所も隔てたよその世界とつながっていたら。
 赴任にあたり、日本から一冊だけ漫画を持ってきた。高野文子「黄色い本」。卒業・就職を控えた雪国の女子高校生が、長編小説を読み暮らす日々が描かれる。
 図書館で借りた愛読書は、マルタン・デュガール「チボー家の人々」。白水社の表紙が黄色い5巻本は、今や古本屋でひと山2000円(一冊400円!)のたたき売りらしいが、戦後のある時期までは、平和を愛する善男善女の必読書であった。
 女生徒のけだるい日常と、第一次大戦前夜、国際都市ジュネーブで反戦平和に一命を賭す青年ジャック・チボーの青春。二人の境遇の落差がおかしく、それでも青年と心通わせる女生徒のいちずがいじらしい。
 私が「黄色い本」(薄い漫画本と翻訳本5冊)を持参したのは、感傷に浸るためではない。100年前、欧州大戦期のジュネーブ(戦後、国際連盟が置かれた)。1970年代、高度経済成長末期の新潟県(そのころ柏崎刈羽原発が誘致され、田中角栄首相が誕生した)。異質の世界を見事に重ね合わせた高野さんの手法が、21世紀のジュネーブと日本をかがり合わせるヒントになりはしないか、と期待したのだ。
 で、時々、本棚から引っ張り出しては、あてどなくめくる。………。何か、すごい結論でも期待しましたか? 別に、何もありません。そんな簡単に、アイデアなんかあるわけない。で、また本棚にしまう。
 「人道的介入」を理由に欧州諸国がリビアを空爆した今日、人権都市ジュネーブには何万人もの人道・人権活動家がいる。もしジャックが知ったら驚いただろう。そして、きっと失望しただろう。
    --「発信箱:黄色い本の青春=伊藤智永(ジュネーブ支局)」、『毎日新聞』2011年10月12日(水)付。

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二十世紀はじめのヨーロッパ。
カトリックのチボー家と、プロテスタントのド=フォンタナン家の人々が、歴史と思想に翻弄されつつも、たくましく生き抜いていく人間ドラマがロジェ・マルタン・デュ・ガール(Roger Martin du Gard,1881-1958)の『チボー家の人々』(1937年、ノーベル文学賞受賞)。

初めて読んだのは、たぶん、大学1年生の夏休みのことだったのではないかと記憶しております。友人に面白いよと勧められて“むさぼるように”白水社の邦訳で読んだのが、その思い出。美しい青春と、そしてそれと対照的な醜い戦争を美しく綴ったマルタン・デュ・ガールの筆致に驚くと同時に、それを勧めてくれ、そして読み進めるなかで、その感慨を語り合うことのできた友人の存在に感謝です。

本は読まないよりも、読んだ方がいい。

日本の教養主義が終わっている、そしてその終わっている形式としての教養主義すら“偏った”実業主義へのシフトから終焉しつつあるのが今日日のご時世。

しかし読まないよりも、読んだ方がいい。

このことだけはやはり断言できます。

しかし、人間は一人で読み抜くほど……もちろん、ひとにもよりますが……できた存在でもないのが事実であるとすれば、共に読む・語り合う友人の存在とは、かけがえのないものだと思わざるを得ません。

冒頭の新聞記事「発信箱:黄色い本の青春=伊藤智永(ジュネーブ支局)」を読みながら、そんなことを思い出しつつ、もう一つ想起されたのが小津安二郎監督(1903-1963)の映画『麦秋』(松竹、1951年)のワンシーン。

北鎌倉の駅ホーム。春の陽気が初夏へと彩りを変えようとするその日、矢部謙吉(二本柳寛、1917-1970)と間宮紀子(原節子、1920-)のやりとりがすばらしく美しい。

「面白いですね 『チボー家の人々』」
「どこまでお読みになって」
「まだ4巻目の半分です」
「そお」

書物を介したやりとりほど素敵な言葉というものは、なかなかどうして、他には見つかりませんね。


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秋は来ぬ おくれさきだつ秋草も みな夕霜のおきどころ 笑ひの酒を悲みの 盃にこそつぐべけれ

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  秋は来ぬ
  秋は来ぬ
おくれさきだつ秋草も
みな夕霜のおきどころ
笑ひの酒を悲みの
盃にこそつぐべけれ
    --藤村藤村「秋思」、島崎藤村自薦『藤村詩抄』岩波文庫、1995年、60頁。

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昨夕、台風15号が首都圏を直撃。
夕刻、嵐の中を家人とひやひやしながらその災禍をやり過ごしましたが、時間が経つと……っていいますかその間は市井の仕事ちうでしたが……すっかり秋の気配。
※(こういうことを表記しないとスコボコにされるので、言表しておきますが、もちろんその厄災に対する何がないわけではありません、念のため)

このところ、日本の秋は「短くなった」といわれます。
たしかにその側面も否定しがたいのだとは思いますが、それだけではないのかもしれません。

普段聞き落としがちな虫の声、風の匂い、星のきらめきにも秋の気配は感じられるはず……。

一番大好きな季節が秋ですが、さて……、今年はどのように楽しみましょうか。


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