哲学・倫理学(東洋①インド・中国)

覚え書:「みんなの広場 父が恩を受けた一番身近な国」、『毎日新聞』2014年04月16日(水)付。


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みんなの広場
父が恩を受けた一番身近な国
元会社員・69(大阪市都島区)


 90歳で他界した父は軍隊生活で心がすさむ経験をした後、太平洋戦争末期に軍属として朝鮮半島に渡りました。冬には酷寒となる地で病に侵され、今日は生き延びられるだろうかという日々を送っていました。

 そんな様子を見ておられたのか、ある時、1人の朝鮮人女性が片言で「どうぞ食べてください」と衣服の中から温かいおにぎり2個を取り出してくださったそうです。父は驚きながらも無我夢中でいただいたといいます。そして生前、ことあるごとにその女性の優しい瞳は忘れられない、恩がある、と口にしていました。

 私の小学校のクラスメートに「キンさん」がいて、差別を受けていました。「外国に来てつらい思いをしているのだから、親切にしてあげなさい」と父母から常に言われました。彼女と親しくなると、家系のことなどを話してくれました。最近、大ファンになった韓国ドラマを見ていると、彼女を思い出します。一番身近な国と仲良くしてほしいと切に願うばかりです。 
    --「みんなの広場 父が恩を受けた一番身近な国」、『毎日新聞』2014年04月16日(水)付。

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覚え書:「辞書になった男 ケンボー先生と山田先生 [著]佐々木健一 [評者]出久根達郎(作家)」、『朝日新聞』2014年03月30日(日)付。


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辞書になった男 ケンボー先生と山田先生 [著]佐々木健一
[評者]出久根達郎(作家)  [掲載]2014年03月30日   [ジャンル]文芸 社会 

■編纂者2人の訣別、語釈に現れる心理

 小説よりも面白い。評言は、この一言に尽きる。
 何が、面白いか。小説のような事実だからである。
 辞書が小説とは思わなかった。神聖な学術書、だと信じていた。何しろ私たちが日常用いる言葉の、正しい意味や、正しい用い方を教えてくれるのである。辞書を編纂(へんさん)する人たちは神さまだと思い込んでいた。
 そう、人たちである。国語辞典は大勢の学者が集まって作るのだ、その中の代表者が監修という名目で、表紙や奥付に記載されているのだ、とてっきり思っていた。そうではないことを本書で知った。そして一生を懸けた辞書編纂の仕事が、国語学界では評価されていないどころか、軽んじられている事実も。何より驚いたのは、辞書の語義がそれぞれ微妙に異なることである。それは「暮しの手帖(てちょう)」事件以来なのだ。どんな事件であったのか。辞書の内容を一変させた事件の詳細は、本書をひもといてもらうしかない。
 本書のすばらしさは、ある辞書の一語の不可解な用例に注目したこと。いや、この用例の奇妙さを指摘したのは、赤瀬川原平氏の『新解さんの謎』であった。著者は氏の「何か私小説を感じる」という直感に触発され、その何かを追求していく。謎の一語とは、「じてん」である。辞典でなく、時点。
 二人の著名な辞典編纂者が登場する。著名と言ったが、果たして一般人にどの程度知られているか。
 一人は、「ケンボー先生」こと見坊豪紀(けんぼうひでとし)。もう一人は、「山田先生」こと山田忠雄(やまだただお)。見坊が二歳上。二人は東大国文科の同級生である。仲の良い友だち同士、一冊の辞典を作りあげた。それがある「時点」で、突然、たもとを別(わか)つ。何があったのか? 誰もが戸惑った事件。謎を解く鍵は、「時点」という言葉の用例にあったのである。
 どうです、面白いでしょう? 「時点」だけではない。二人は訣別(けつべつ)したあと、それぞれの名による独自の辞典を編纂するのだが、著者は二つの辞典の語釈や用例の違いに注目。その記述の変遷から両者の心理の動きを解剖する。
 この辺りは上質の推理小説を読むような感興である。作り事でないから、尚更(なおさら)、興が募る。
 たとえば、「ば」という語の用例をケンボー先生は、こう記す。「山田といえば、このごろあわないな」。山田という個人名が使われている。一方、山田先生の辞書で、「ごたごた」の語例を引くと、「そんなことでごたごたして、結局、別れることになったんだと思います」。
 二人は辞書を用いて対話を試みているのだ。そして意外な、驚くべき真相。二人の学者の奇妙な友情。字引は小説より奇。名言なり。
    ◇
 文芸春秋・1890円/ささき・けんいち 77年生まれ。NHKエデュケーショナルのディレクター。「にっぽんの現場」「仕事ハッケン伝」を担当。本書のもとになった番組は昨年4月、NHKBSで放映され、ATP賞最優秀賞に。
    --「辞書になった男 ケンボー先生と山田先生 [著]佐々木健一 [評者]出久根達郎(作家)」、『朝日新聞』2014年03月30日(日)付。

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[http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2014033100001.html:title]

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辞書になった男 ケンボー先生と山田先生
佐々木 健一
文藝春秋
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「自己を仕上げてこそ物を仕上げることができる」

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一二 「自己を仕上げてこそ物を仕上げることができる。物を仕上げるのは、自己を仕上げることの中に入っている。このように考えてこそ、道理に合致することができるのだ。聖賢の千言万語は、人にさしあたって身近なところから実行に移させる。たとえば、大きな建物を掃除するのは、小さな部屋を掃除する仕方と同じである。小さなところをきれいに掃除するのも、大きなところ(を掃除するの)も同じことである。もし大きなところで行きづまることがあるなら、それは小さなところで注意を怠ったからである。学ぶ者は、広遠なところをねらって、身近なところから実行しようとしない。それでどうして大きな問題が処理できよう。いままた内側から実行しないで、表面でうまく実行するものがある。これは才能がすぐれていて、才智で片づけているだけである。『中庸』で微細なことを説くところでは、独を謹み(第一章)、言を謹み、行いを慎む(第一三章)だけである。(同じく第一九章の)高大なことを説くところでは、武王や周公の高大な孝心による天下統治の内容の、そのすべてを載せている。小さなことは、大きなことの象徴である。ゆえに必ず行いを謹み言を謹まねばならない。微細なところから着手してこそ、かくも大きく充実できるのである」
 (先生またいう)「今日、学問をおさめるのが大変むつかしいのは、小学*を習う人が、ないからである。今日では、(足もとからでなくて)かえって頭から始める。古人は小学や小事の中に、大学や大事の道理をすっかり包んでいた。大学は、小学で身につけたことを推しひろげて行くだけであって、幼少の時以来、修得した道理が、その中に包まれている。素焼きの土器(を仕上げるの)とそっくりである」
*<小学>掃除対応から、親を愛し長上を敬うことに至るまで、幼少の頃に身につけるべき節度や教養をいう。こうした基礎的訓練を修得してから、更に深遠な道理をきわめ、政治的技術や理念を学ぶ。これを大学という。
    --朱子(荒木見悟訳)「朱子類語 巻八」、『類語抄』、荒木見悟責任編集『世界の名著19 朱子 王陽明』中央公論社、1978年。

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このところ宋代の儒家・朱子(朱熹,1130-1200)の著作をぱらぱらとひもといております。忙しいので、そんなものを読む暇はないのですが、読み始めると、これがとまらないというわけです。

この実感は朱子に限らず、たいていの儒家の著作を読むと……ただ読み始めるまでにヨイショが必要ですが……とまりません。おそらく国教としての制度・儒教としてできあがったシステムの背後に息吹く、儒家の肉声に接することができるからなのかもしれません。
儒学や孔子(B.C.551-B.C.479)と聞けば、なにやら古臭い道徳のイメージとか人間を抑圧する封建制度を想起しがちになりますが、肉声に接するとそうでもないことが理解され、そこに引き込まれてしまうというやつです。

孔子は『論語』で「怪力乱神を語らず」と語ったそうですが、この言葉にみられるように合理主義者の側面をもっております。また同時に「己を修めて以て人を安んず」というように、命令の道徳を説いたわけでもなく、どちらかといえば、カント的な倫理を模索したフシが濃厚です。

その言葉には、合理的な現実の人間理解とともに人間に対する優しさが溢れており、そこに感動を覚える訳ですけれども、その意味では、イメージの背景に見え隠れする儒家の大家たちの言葉には、おおらかな、そして強靱な人間主義の響きを感じ取ってしまうという次第です。

さて……。
朱子の「自己を仕上げてこそ物を仕上げることができる」というのは、まさに道理です。

小さな部屋の掃除ができない人間が大きな部屋の掃除ができる道理はありません。

マスクを被りほおかむりをして、逃げまくるオジサンが政界を騒がしておりますが、道理を踏まえていないのでしょうか……。

朱子の言葉に耳を傾けると、頭を抱えてしまう次第です。

小学を収めてはじめて大学へ着手することができるというものです。
自分自身を統治できるようになってはじめて、自分自身を含めた共同体を統治することができるようになるものです。

本末転倒……。

頭から始めたり、才智で片づけるだけでは本質的な変革なんかは不可能な筈なのですが……。

なにやら本末転倒のようで……。

頭を抱えてしまう次第です。

で……。
本末転倒といえばお恥ずかしながら自分自身もひとつ本末転倒をしてしまいました。
正月にお供え用に金箔酒を用意していたのですが、すっかり飲むのをわすれてい、昨晩頂戴した次第ですが、、、これは鯨のように大量に飲んでも旨いものではありませんネ。

ちょいと一杯、気分を味わう程度がベストです。

マア、これぐらいの失敗でしたら許容される問題……でしょうかねぇ。。。

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「複眼の士」(dhu al-‘aynain)の眼差し

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 日常的経験の世界に存在する事物の最も顕著な特徴は、それらの各々が、それぞれ己れの分限を固く守って自立し、他と混同されることを拒む、つまり己れの存在それ自体によって他を否定する、ということです。華厳的な言い方をすれば、事物は互いに礙(さまた)げ合うということ。AにはAの本性があり、BにはB独自の性格があって、AとBとはそれによってはっきり区別され、混同を許さない。AとBの間には「本質」上の差異がある。Aの「本質」とBの「本質」とは相対立して、互いに他を否定し合い、この「本質」的相互否定の故に、両者の間にはおのずから境界線が引かれ、Aがその境界線を越えてBになったり、Bが越境してAの領分に入ったりすることはない。そうであればこそ、我々が普通「現実」と呼び慣わしている経験的世界が成立するのであって、もしそのような境界線が事物の間から取り払われてしまうなら、我々の日常生活は、それの成立している基盤そのものを失って、たちまち収拾すべからざる混乱に陥ってしまうでありましょう。
 森羅万象--存在が数限りない種々様々な事物に分れ、それぞれが独自の「名」を帯びて互いに他と混同せず、しかもそれらの「名」の喚起する意味の相互連関性を通じて有意味的秩序構造をなして拡がっている。こんな世界に、人は安心として日常生活を生きているのです。
 つまり、事物相互間を分別する存在論的境界線--荘子が「封」とか「畛(しん)」(原義は、耕作地の間の道)とか呼んだもの--は、我々が日常生活を営んでいく上に欠くことのできないものでありまして、我々の普通の行動も思惟も、すべて、無数の「畛」の構成する有意味的存在秩序の上に成立しているのであります。
 このように、存在論的境界線によって互いに区別されたものを、華厳哲学では「事(じ)」と名づけます。とは申しましても、華厳思想の初段階において、第一次的に「事」と名づけておく、ということでありまして、もっと後の段階で、「理事無礙」や「事事無礙」を云々するようになりますと、「事」の意味もおのずから柔軟になり、幽美深遠な趣を帯びてきますが、それについては、いずれ適当な場所で詳しくお話することといたしまして、とにかく今の段階では、常識的人間が無反省的に見ているままの事物、千差万別の存在の様相、それが「事」という術語の意味である、とお考えおき願いたいと思います。

 ところが、事物を事物として成立させる相互間の境界線あるいは限界線--存在の「畛」的枠組とでもいったらいいかと思いますが--を取りはずして事物を見るということを、古来、東洋の哲人たちは知っていた。それが東洋的思惟形態の一つの重要な特徴です。
 「畛」的枠組をはずして事物を見る。ものとものとの存在論的分離を支えてきた境界線が取り去られ、あらゆる事物の間の差別が消えてしまう。ということは、要するに、ものが一つもなくなってしまう、というのと同じことです。限りなく細分されていた存在の差別相が、一挙にして茫々たる無差別性の空間に転成する。この境位が真に覚知された時、禅ではそれを「無一物」とか「無」とか呼ぶ。華厳哲学の術語に翻訳していえば、さっきご説明した「事」に対する「理」、さらには「空」、がそれに当たります。
 しかし、それよりもっと大事なことは、東洋的哲人の場合、事物間の存在論的無差別性を覚知しても、そのままそこに坐りこんでしまわずに、またもとの差別の世界に戻ってくるということであります。つまり、一度はずした枠をまたはめ直して見る、ということです。そうすると、当然、千差万別の事物が再び現れてくる。外的には以前とまったく同じ事物、しかし内的には微妙に変質した事物として。はずして見る、はめて見る。この二重の「見」を通じて、実在の真相が始めて顕(あらわ)になる、と考えるのでありまして、この二重操作的「見」の存在論的「自由」こそ、東洋の哲人をして、真に東洋的たらしめるもの(少なくともその一つ)であります。
(中略)
 ただ、二重の「見」とか二重操作とか申しましても、これら二つの操作が次々に行われるのでは、窮極的な「自由」ではない。禅定修行の段階としては、実際上、それも止むを得ないかもしれませんけど、完成した東洋的哲人にあっては、両方が同時に起こるのでなければならないのです。境界線をはずして見る、それからまた、はめて見る、のではなくて、はずして見ながらはめて見る、はめて見ながらはずして見る。決して華厳だけ、あるいは仏教だけの話ではありません。例えばイスラームのスーフィズムでも、意識論的に、また存在論的に「拡散(フアルク)」(farq)--「収斂(ジヤムウ)」(jam‘)--「収斂の後の拡散」(farq ba‘da al-jam‘)という三「段階」を云々いたしますが、ここで「収斂の後の(ba‘da)拡散」というのは、修行上の段階を考えてのことでありまして、本当は、「収斂・即・拡散」の意味でなければならない。そういう境位が、最高位に達したスーフィーの本来的なあり方であるとされているのです。だからこそ、スーフィズムの理論的伝統はそのような人のことを、「複眼の士」(dhu al-‘aynain)と呼んでいる。どんなものを見ても、必ずそれを--さきほどの『老子』の表現を使っていえば--「妙」と「徼」の両側面において見ることのできる人という意味です。しかし、すぐおわかりになると思いますが、事物を「妙」「徼」の両相において同時に見るということは、とりもなおさず、華厳的にいえば「理事無礙」の境位以外の何ものでもありません。しかも、華厳哲学において、イブヌ・ル・アラビーの存在一性論においても、「理事無礙」はさらに進んで「事事無礙」に窮極するのであります。
    --井筒俊彦「事事無礙・理理無礙」、『コスモスとアンチコスモス』岩波書店、1989年。

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つねづね日記でも書いておりますが、宇治家参去が一番苦手とするのが、自前の思考・反省という契機を欠いて「あれか・これか」と二者択一を強要するあり方、ないしは、対象を固定的に捉えるものの見方でございます。

すこし、過去の日記を振り返ってみますと、最近ですと11/22付のものになりますが、次のように記しておりますが、すなわち……。

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おそらく、例の如くの持論になりますが、その両者を絶えず見放さず、両方を見ながら、相関的に関係させていくことが一番大切なのではないだろうか--などと思い直す秋の夕べでございます。

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こうしたものの見方をとるきっかけになったのは、どこかでも触れましたが、社会的・歴史的事件としては冷戦構造の崩壊とそれに引き続く現状という情況の存在です。

それとともに、思想的・哲学的に、ものごとを固定化してみる・実態として対象を固定的に見ることを生理的に嫌悪するようになったきっかけというのがありますが、それが上に長々と引用した、慶應義塾の輩出した最高の学者といってもよいでしょう……井筒俊彦先生(1914-1993)の言葉との出会いです。

体裁としては華厳哲学における存在論をわかりやすく語った部分のちょうどその前半になりますが、そこで注目したいのが、①存在の差別性と無差別性を同時に見る、そして②覚知しても、そのままそこに坐りこんでしまわずに、またもとの差別の世界に戻ってくるということ、というところです。
なかでも触れられておりますが、スーフィズムのいうところの「複眼の士」(dhu al-‘aynain)というものの見方・あり方です。

通俗的なもの謂いで恐縮ですが、日常生活に置いては、確かに差異そのものが、われわれの実存を形作り、他と区別をし、そのことによって自他の存在が排他的に確立されるわけですが、それを固定的な在り方として捉えてしまった場合、「「本質」的相互否定」が差異を表象する境界線から、差別相そのものを実体化させてしまう暴力の境界線となってしまいます。もちろん、そうした「相互否定作用」において、境界線が立ち現れ、自己の存在そのものが確立され、その差異を覚知することで、日常生活は成立しているのですが、それを固定化した在り方として捉えてしまうと、そこには存在論的な落とし穴ができてしまうのでは?……そうしたところです。

本来……おそらく……そうした関係は固定的な実体論ではなく、流動可能な関係的概念なのだろうと思います。そしてもう一歩踏み込んで言うならば、哲学的な意味合いでいう実体論から関係論へという表現すら、そのあり方を正確には表現できないもの謂いになってしまいますが、ひとつアナロジカルに表現するならば、差別相を超越した真理の真理性を覚知しつつ、リアルな差別相のなかでの歩みを辞めないあり方でもいえばいいのでしょうか……ひとつの目で真理をみながらも、もうひとつの目で、差別相のなかでそれを反映させていくあり方……とでも謂えばいいでしょうか。

真理を覚知することで、現実世界と遮断していくのではないあり方のひとつの可能性を得た気分を懐いたものであります。

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 しかし、それよりもっと大事なことは、東洋的哲人の場合、事物間の存在論的無差別性を覚知しても、そのままそこに坐りこんでしまわずに、またもとの差別の世界に戻ってくるということであります。つまり、一度はずした枠をまたはめ直して見る、ということです。そうすると、当然、千差万別の事物が再び現れてくる。外的には以前とまったく同じ事物、しかし内的には微妙に変質した事物として。はずして見る、はめて見る。この二重の「見」を通じて、実在の真相が始めて顕(あらわ)になる、と考えるのでありまして、この二重操作的「見」の存在論的「自由」こそ、東洋の哲人をして、真に東洋的たらしめるもの(少なくともその一つ)であります。

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おそらく、「事物間の存在論的無差別性を覚知しても、そのままそこに坐りこんでしまわずに、またもとの差別の世界に戻ってくる」ことで、「外的には以前とまったく同じ事物、しかし内的には微妙に変質した事物として」世界が「瑞々しいもの」として浮かび上がってくるのだろうとおもいます。「はずして見る、はめて見る」この不断の作業、すなわち「この二重の『見』を通じて、実在の真相が始めて顕になる」のだろうと思います。

プラトンのようにどこかにイデアの世界を想定しなくても、イデアの世界にあるような存在根拠や普遍的真理を、「もとの差別の世界」で覚知できるとすれば、これほど素晴らしいことはないよなあ~などと関心して読んだ記憶があります。

(実現はしませんでしたが)ひところは、華厳哲学でも真剣に探究するか!などと仏教学系への進学をも考えましたが、現実には神学に進学するという選択肢を選びました。しかし、そうしたところでも、どこかで「二重の『見』」を心がけながら、真理の探究、そして現実との対話を繰り返していきたいなと日々思っております。

怒り心頭で、「頼むから静かにしてくれ」などとぼやきたくなる日常生活で、そしてその舞台で、人間関係とかあらゆる関係性のなかで、喜怒哀楽を繰り返しながら、悩んだり・喜んだりしているわけですが、そういう感情とか思念とか全く払拭して、何か真理性を現実に見出していくのは不可能かも知れません。

そうしたものをもっていることを把握しながら、真理を見出していく「複眼の士」(dhu al-‘aynain)として生きていきたい……それが自分自身の課題であろうと思います。

形而上学で説かれる理念の王国は、独り書物のなかだけの難解な話題というわけではなく、生きているこの世界で何かかかわりがあるはずだと常々思っております。その架橋をなんとかして生きているうちにやっておきたいものです。

それが、世界を、そして人々を、温かく見つめ続ける「複眼の士」(dhu al-‘aynain)の眼差しであればと思います。

さて、最後に余談ですが……

井筒俊彦先生のことばとの出会いは、2年の初夏……ですから1991年の頃だろうと思いますが……ちょうど三田の大学図書館で「井筒俊彦展」(だったと思いますが、うろ覚え)をやっており、そこでは井筒先生の学生時代のノートや、調査カードなどが展示されておりました。

話題としては知っておりましたが、びっしりと書き込まれたノートに驚愕した思い出がございます。そのあとから、著作集をまとめて買い、乱読したわけですが、やはり、その異能ぶりに、腰を抜かしてしまいました。古代ギリシアから現代に至る西洋哲学、イスラーム、仏教、中国思想、キリスト教学……。どこまでやればここまで辿り着けるのか……思想や宗教を扱うのであれば、ひらたくいえば、その分野のどこにでも精通しておれば、なんでもできるわけなのですが、そういう人物は殆ど存在しておりません。いわば生きた図書館……とでも言えばいいのでしょうか、そうした人物が井筒先生なのだと思います。

wiki的に井筒先生を紹介すると……次の通り。
学者としてはやってはあるまじき安普請ですが、井筒先生の人生を紹介するのが本論ではありませんので、ちょゐ多めにみてください(苦笑)。

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井筒 俊彦(いづつ としひこ、1914年5月4日 - 1993年1月7日)は、言語学者、イスラーム学者、東洋思想研究者、形而上学者。ギリシア哲学、ギリシャ神秘主義と言語学の研究に取り組み、ギリシャ語、アラビア語、ヘブライ語、ロシア語など20ヶ国語を習得・研究した。

ちなみに、語学的な才能に富んでいた井筒は、アラビア語を習い始めて一ヶ月で『コーラン』を読破したという。語学能力は天才的と称され三十数カ国語を使いこなしたとも言われる。司馬遼太郎は対談の中で井筒を評して「二十人ぐらいの天才が一人になっている」と語っている。

思想研究の主要な業績はイスラム思想、特にペルシア思想とイスラム神秘主義に関する数多くの著作を出版したことだが、自身は仏教徒出身で、晩年には研究を仏教哲学(禅、唯識、華厳、大乗)、老荘思想、朱子学、西洋中世哲学、ユダヤ思想などの分野にまで広げた。またギリシア哲学やロシア文学に関する専門書を若くして出版している。東洋思想の「共時的構造化」を試みた『意識と本質』は井筒の広範な思想研究の成果が盛り込まれた代表的著作とされる。

独自の内観法を父親から学び、形而上学的・神秘主義的な原体験を得た。その後、西洋の神秘主義も同じような感覚を記述していることに気付き、古今東西の形而上学・神秘主義の研究に打ち込んだ。世界的に権威ある碩学であり、現代フランスの思想家の一人であったジャック・デリダも、井筒を「巨匠」と呼んで尊敬の念を表していた。

あらゆる思想研究をおこなったが、イスラムに特別深い愛着を持っていた。著作の『コーラン』に特に顕著に現れている。一方で「井筒は感情移入しすぎている」[要出所明記]という批判もある
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%95%E7%AD%92%E4%BF%8A%E5%BD%A6

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思わず知らずハッとしてかけつける

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孟子曰、人皆有不忍人之心、先王有不忍人之心、斯有不忍人之政矣、以不忍人之心、行不忍人之政、治天下可運之掌上、所以謂人皆有不忍人之心者、今人乍見孺子将入於井、皆有怵惕測隠之心、非所以内交於孺子之父母也、非所以要誉於郷党朋友也、非悪其聲而然也、由是観之、無測隠之心、非人也、無羞悪之心、非人也、無辭譲之心、非人也、無是非之心、非人也、測隠之心、仁之端也、羞悪之心、義之端也、辞譲之心、禮之端也、是非之心、智之端也、人之有是四端也、猶其有四體也、有是四端而自謂不能者、自賊者也、謂其君不能者、賊其君者也、凡有四端於我者、知皆擴而充之矣、若火之始然、泉之始達、苟能充之、足以保四海、苟不充之、不足以事父母、

孟子曰く、人皆人に忍びざるの心有り。先王人に忍びざるの心有りて、斯(すなわ)ち人に忍びざるの政(まつりごと)有りき。人に忍びざるの心を以て、人に忍びざるの政を行なわば、天下を治むること、之を掌(たなごころ)の上に運(めぐ)らす〔が如くなる〕べし。人皆人に忍びざるの心有りと謂う所以の者は、今、人乍(にわか)に孺子(こじゅうし・幼児)の将に井(いど)に入(お・墜)ちんとするを見れば、皆怵惕測隠(じゅうてきそくいん)の心有り、交(まじわり)を孺子の父母に内(むす・結)ばんとする所以にも非ず、誉を郷党朋友に要(もと・求)むる所以にも非ず、其の声(な・名)を悪(にく)みて然るにも非ざるなり。是れに由りて之を観れば、測隠の心無きは、人に非ざるなり。羞悪(しゅうお)の心無きは、人に非ざるなり。辞譲の心無きは、人に非ざるなり。是非の心無きは、人に非ざるなり。測隠の心は、仁の端(はじめ)なり。羞悪の心は、義の端なり。辞譲の心は、礼の端なり。是非の心は、智の端なり。人の是の四端あるは、猶其の四体あるがごときなり。是の四端ありて、自ら〔善を為す〕能わずと謂う者は、自ら賊(そこの)う者なり。其の君〔善を為す〕能わずと謂う者は、其の君を賊う者なり。凡そ我に四端有る者、皆拡めて之を充(だい・大)にすることを知らば、〔則ち〕火の始めて然(も・燃)え、泉の始めて達するが若くならん。苟も能く之を充にせば、以て四海を保んずるに足らんも、苟も之を充にせざれば、以て父母に事(つか)うるにも足らじ。

孟子がいわれた。「人間なら誰でもあわれみの心(同情心)はあるものだ。むかしの聖人ともいわれる先王はもちろんこの心があったからこそ、自然に温かい血の通った政治(仁政)が行われたのだ。今もしこのあわれみの心で温かい血の通った政治を行うならば、天下を収めることは珠でも手のひらにのせてころがすように、いともたやすいことだ。では、誰にでもこのあわれみの心はあるものだとどうして分かるのかといえば、その理由(わけ)はこうだ。たとえば、ヨチヨチ歩く幼な子が今にも井戸に落ち込みそうなのを見かければ、誰しも思わず知らずハッとしてかけつけて助けようとする。これは可哀想だ、助けてやろうと〔の一念から〕とっさにすることで、もちろんこれ(助けたこと)を縁故にその子の親と近づきになろうとか、村人や友達からほめてもらおうとかのためではなく、また、見殺しにしたら非難されるからと恐れてのためでもない。してみれば、あわれみの心がないものは、人間ではない。善し悪しを見わける心のないものは、人間ではない。あわれみの心は仁の芽生え(萌芽)であり、悪をはじにくむ心は義の芽生えであり、譲りあう心は礼の芽生えであり、善し悪しを見わける心は智の芽生えである。人間にこの四つ(仁義礼智)の芽生えがあるのは、ちょうど四本の手足と同じように、生まれながらに具わっているものなのだ。それなのに、自分にはとても〔仁義だの礼智だのと〕そんな立派なことはできそうにもないとあきらめるのは、自分を見くびるというものである。またうちの殿様はとても仁政などとは思いもよらぬと勧めようとしないのは、君主を見くびった失礼な話である。だから人間たるもの、生れるとから自分に具わっているこの心の四つの芽生えを育てあげて、立派なものにしたいものだと自ら覚りさえすれば、ちょうど火が燃えつき、泉が湧きだすように始めはごく小さいが、やがては〔大火ともなり、大河ともなるように〕いくらでも大きくなるものだ。このように育てて大きくしていけば、逐には〔その徳は〕天下をも安らかに納めるほどにもなるものだが、もしも育てて大きくしていかなければ〔折角の芽生えも枯れしぼんで〕、手近な親孝行ひとつさえも満足にはできますまい。」
    --「巻第三 公孫丑章句上・六」、小林勝人訳注『孟子 上 』(岩波文庫、1968年)。

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仕事の必要上、中国の古典文献--もちろん原典ではありませんが--を時折読んでいます。通常、講壇で語られる「哲学」ないしは「哲学概論」は、基本的には西洋哲学におけるその史的歩みを押さえておけば、講座は成立するのですが、「倫理学」の場合、西洋圏での思想の営みだけでなく、概論としては、やはり、東洋におけるそれも把握しておいたほうがよいので、読んでいます。今日も市井の職場の休憩時間を利用してひといきつく。

以前にも書いたかも知れませんが、つくづく実感するのが、「儒教イデオロギー」とか「儒学の発想の封建的体質」などと、近代以降、孔孟の教えは、廃棄されてしかるべきあり方として知識人たちの間で受け止められ、そうした評価のみが先行しているフシがあります。しかしながら、『論語』や『孟子』など現実に彼らの言葉に向かい合ってみると果たしてどうか--そうでもない生き生きとした人間学的発想が浮かび上がってくるものです。

通俗的ですが、人は伝聞・推測・他者の評価によって、対象を退け、即断しがちな部分があります。しかしながら、実際に自分の頭と心で対象に向かい合ってみるとそうではない“豊かな”ものが浮かび上がってくるのも一面の真実かも知れません。

儒教道徳は、確かに、漢代に国教化されて以降、孔子や孟子が弟子たちと活発に対話した溌剌な精神や豊かな人間主義の営みは、固定化され、その生気を失ってしまった。

厳密には儒学は単なる宗教でもないし、学問でもない。

その両者にまたがる人間学といってよいのだが、国教化され、ひとつのイデオロギーと化してしまったとき、その精神は失われ、固定化された言葉--例えば仁義礼智--が、人間という存在自身を阻害するという結果を導いてしまった。

思想や宗教が公定のイデオロギーと化すことの不毛さのひとつの歴史、そして見本なのでしょう。その意味では、国教化以降、何度も繰り返される儒学の刷新運動--宋学にしろ陽明学にしろ--その運動とは、孔孟の原初のリアリティを再活性化する営みではなかったのであろうか……などと思うこともしばしばあります。

さて、前置きが長くなってしまいましたが、ひとつ考えたいのが、倫理の現出する場所のことです。上で『孟子』の一節「巻第三 公孫丑章句 上 六」を引用してみましたが、孟子によると、人間が倫理しだす瞬間というのは、千の倫理学説を暗記して、万の実践判例をひもといたうえで、生活に還元するというようなあり方では、どうやらないようである。

目の前にいる、(おそらくそれは全き他者としての)幼な子が、井戸におちそうになったとき、ひとはどうするのか--。孟子によれば、「誰しも思わず知らずハッとしてかけつけて助けようとする。これは可愛想だ、助けてやろうと〔の一念から〕とっさにする(今人乍見孺子将入於井、皆有怵惕測隠之心)」のである。そこにはその行為が後日利益をもたらすからだからとか、賞讃をもとめてとか、非難を避けるためにとかのうえでの行動ではない。目の前の目的とは別に目的を置いた作為からの行動ではないのである。

孟子によれば、人間とは「思わず知らずハッとしてかけつける」存在なのである。
もちろん孟子は歴史的には“性善説”の立場をとった人物だからそう発想するのだろうとの批判も出てきそうだが、人間とは確かに悪いこともするが、いいこともする。そして「思わず」それをしてしまう存在なのである。孟子は人間存在の原初事実から議論を始めるのが通例だが、その議論は、通俗的な善か悪かの二元論に収まりきらない、豊かな人間学の土壌を展開しているように思われて他ならない。もちろん、光の側面に焦点を宛てているというきらいはあるものですが。

フランスの思想家レヴィナスは、存在者の「顔」という概念にこだわる中で、他者の顔が発する、いわば無限の倫理要求(罪責性)に倫理の立ち上がる場所をみているが、孟子も同じかも知れません。他者とは不思議なもので、自己に対して「思わず」自己自身をつき動かしてしまう何者かなのである。そこに応答する、ないしは応答せざるを得ない人間論的事実に、倫理が立ち上がる場所が発生するのではなかろうか--最近そう考えています。

もちろん、七面倒くさい精緻な議論や学説を検討することが無意味ということではない。専門家の作業としてはそれは極めて重要で必要な取り組みである。なにしろ、そこで向かい合う言葉そのものが、そうした事実の評価的表現であり、そこに人間存在や顔を確認することができるからだ。しかし、そうした活字や思想化されたもの以前の人間の世界に、実は倫理の原初の場が存在するのだから、その事実も確認する必要があるのでは--乃至は--言葉と現実を向かいあわせたうえで実践しつつ思索しつつという部分が必要なのでは--そういうところです。

ただし、面白いことに、逆に考えてみると、私という自己自身の存在者も、全き他者からするならば--すなわち、他者が自己の視点からみてみるならば--自己自身という存在者も、「思わず知らずハッとしてかけつけ」させる存在者なのである。そうであるとすれば、自己自身をどのように組み立て直し、他者と相対(あいたい)していくのか、深く考えるべき課題があるように思われます。

人間という生きものは、それが善かれ悪しかれ、“他者に対して何らかの「影響」を与えてしまう”存在なのかもしれません。その生きもの性を自覚することがまずは肝要かもしれません。

などと考えていくと--神経質なな倫理学者はますますナーバスになる。
論理的にはまったく身動きとれません。
しかしながら、そうしたところで、手探りで確認しながら、生きていくしかないのだなアと。
こんなことをいつも考えているので、細君からは「変人」扱いされるわけですが(「ハア~今日は儒学ですか。封建制度のニオヒがする」などと)、そこが自分の売りなのですがねえ。

……と、そんなことを考えているうちに休憩時間が終了する。
終了直前(?)に一本吸ってから、作業の進捗状況を確認する。
本日は、運悪く、出勤時より職場にだれも自分以上の上席責任者が存在しないので、緊張した一日であったが、特にクレームもトラブルもなく、作業が進行する。

で……。
後半戦はレジの様子を見ながら、ビール・発泡酒関係の補充をぼちぼち行う。
6缶パックはそれなりに補充されていたので、単缶中心に補充を行ったのだが、フト気が抜けていたのか、手から滑ったビールの缶が宙を舞う。

その様子は、まるで映画『戦艦ポチョムキン』の名シーン「オデッサの階段」を転げ落ちる、乳母車のように、自分の前で、手が届くかどうかのせめぎ合いのなかで、届かずに、レギュラー缶は大地にキッスする。

その刹那、泡が噴き出すわけで……当たり所がわるかったのか、下半身に噴射ビールが直撃する。後始末はささっと済ませましたが、明らかにビール臭いので、業務の様子を後方から監督するに留め、無事本日の仕事は完了(?)する。

結果としては、転げ落ちていくビールのレギュラー缶には手は届かなかった。
しかし、手が自然と伸びるのが不思議である。

そういう理性とか概念以前の、無作為(?)の動きのなかに真実の人間の歩み(?)があるのかな……などと思ったひとときです。

とわいえ、手が届くようにフットワークを軽く(?)しておく必要性があります。
ですけど、今日は少し楽をさせて頂きました。

絶好の口実を与えてくれた噴射ビールさん、ありがとう。
とりあえず感謝しつつ、「Four Roses」で一息ついて寝ます。

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ドナドナ倫理学

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「ドナドナ」
安井かずみ訳詞・ショロム セクンダ作曲

ある晴れた 昼さがり
いちばへ 続く道
荷馬車(にばしゃ)が ゴトゴト
子牛を 乗せてゆく
かわいい子牛 売られて行くよ
悲しそうなひとみで 見ているよ
ドナ ドナ ドナ ドナ
子牛を 乗せて
ドナ ドナ ドナ ドナ
荷馬車が ゆれる

青い空 そよぐ風
つばめが 飛びかう
荷馬車が いちばへ
子牛を 乗せて行く
もしもつばさが あったならば
楽しい牧場(まきば)に 帰れるものを
ドナ ドナ ドナ ドナ
子牛を 乗せて
ドナ ドナ ドナ ドナ
荷馬車が ゆれる
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どうも宇治家参去です。冒頭は有名な「ドナドナ」です。市場へ売られてゆく子牛への眼差しを歌い上げた童謡、反戦歌、神への歌と様々な解釈がありますが、ここではそれは措きます。注目したいのは、その子牛への眼差しと情(こころ)の問題です。実はここにこそ、倫理学が立ち上がる契機が孕まれているのではなかろうかと思うことが屢々ありましたので、ひとまず紹介しました。

その契機とは、小難しい体系や専門用語の羅列、もしくは暗記科目として講壇学問化する以前の、“道”としての倫理です。

人間という生きものは不思議な物で、たとえ相手が人間でない、動物であれ、植物であれ、他の存在と生(リアル)に向き合ったとき、すなわち他の存在を「目の当たりにしたとき」なんらかの形で“情(こころ)が動く”ようになっている。情が動くということは、すなわち、相手がなにであれ、両者の間に暗黙のうちに関係が生じてしまうという事態である。たとえ一瞬でもそれに対面すると、人間はそれに対して「無関係」ではいられなくなってしまうのである。

その眼差しが交差する瞬間と言外の情を「ドナドナ」は美しく歌い上げていると思います。

同じような牛のエピソードが、実は、中国の古典『孟子』で紹介されています。

少し長くなるが引用してみます。
※白文は入力が面倒なので割愛しています。

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斉の宣王問いて曰く、斉桓の事、聞くことを得べきか。孟子対(こた)えて曰く、仲尼(ちゅうじ)の徒、桓・文の事を道(い)う者無し。是の以に後世伝うる無く、臣未(われいま)だ之を聞かざるなり。以(已)む無くんば則ち王〔道を述べん〕か。曰く、徳如何なれば、則ち以て王たるべき。曰く、民を保んじて王たらんには、之を能く禦(とど)むる莫きなり。曰く、寡人の如き者も、以て民を保んずべきか。曰く、可なり。曰く、何に由りて吾が可なるを知るか。曰く、臣之を胡齕(こけつ)に聞けり。曰く、王堂上に坐せるとき、牛を牽きて堂下を過ぐる者有り。王之を見て曰く、牛何にか之(ゆ)く。対えて曰く、将に以て鍾(鐘)に釁(ちぬ)らんとす。王曰く、之を舎(お)け。吾その觳觫若(こくそくじょ)として罪無くして死地に就くに忍びざるなり。対えて曰く、然らば則ち鍾に釁ることを廃めんか。曰く、何ぞ廃むべけんや。羊を以て之に易(か)えよと。知らず諸有りや。曰く、これ有り。曰く、是の心以て王たるに足れり。百姓は皆王を以て愛(惜)しめりと為すも、臣は固より王の忍びざりしを知るなり。王曰く、然りや。誠に〔かかる〕百姓もあるか。斉の国褊小(へんしょう)なりと雖も、吾何ぞ一牛を愛しまんや。即ちその觳觫若として罪なくして死地に就くに忍びず、故に羊を以て之に易えしなり。曰く、王、百姓の王を以て愛しむと為すを異(怪)しむこと無れ。小を以て大に易えたり。彼悪んぞ之を知らん。王もしその罪なくして死地に就くを隠まば、則ち牛と羊と何ぞ択ばん。王笑いて曰く、是れ誠に何の心ぞや。我その財を愛しみて、之に易うるに羊を以てせるに非ざりしも、宣なるかな、百姓の我を愛しむと謂える。

曰く、傷むこと無れ。是れ乃ち仁術(道)なり。牛を見て未だ羊を見ざりしなり。君子の禽獣に於けるや、その生けるを見ては、その死するを見るに忍びず。その声を聞きては、その肉を食うに忍びず。是の以に君子は庖廚(ほうちゅう)を遠ざくるなり。王説(悦)びて曰く、詩に、他人心有りて、予之を忖度(はか)ると云えるは、夫子の謂なるかな。我乃ち之を行ない、反(省)みて之を求むれども、吾が心に得ず。夫子之を言いて我が心に於て戚戚焉(おもいあたるもの)有り。此の心の王たるに合(足)る所以の者は、何ぞや。曰く、王に復(白)す者有りて、吾が力は以て百鈞を挙ぐるに足るも、以て一羽を挙ぐるに足らず。明は以て秋毫の末を察るに足るも、輿新を見ずと曰わば、則ち王之を許さんか。曰く、否。今恩(なさけ)は以て禽獣に及ぶに足るも、功(いさしお)の百姓に至らざるは、独に何ぞや。然らば則ち一羽の挙がらざるは、力を用いざるが為なり。輿新の見えざるは、明を用いざるが為なり。百姓の保んぜられざるは、恩を用いざるが為なり。故に王の王たらざるは、為さざるなり、能わざるに非ざるなり。

斉の宣王がたずねられた。「斉の桓公と晋の文公の事蹟について、ひとつお話を承ることはできぬものだろうか。」孟子はお答えしていわれた。「孔子の流れをくむ者は、誰ひとりとして、桓公や文公のことを口にするものはありません。だから、なんの言い伝えもなく、私も彼らのことはなにも知りません。〔それでも〕是非にとおっしゃるなら、天下の王者となる道についてお話し申しあげましょう。」王がいわれた。「どんな徳があれば、王者となれるのだろうか。」孟子はこたえられた。「別に格別の徳とてはいりません。ただ仁政を行って人民の生活を安定すれば、王者となれます。これを、なんびととても妨害できません。」王がいわれた。「わしのようなものでも人民の生活の安定ができようか。」孟子はこたえられた。「勿論、できますとも。」王がいわれた。「どうしてそれが分るのじゃ。」孟子はこたえられた。「私はご家来の胡齕(こけつ)君から、こんな話を聞きました。王様がいつぞや御殿におられたとき、牛をひいて御殿の下を通ものがあった。王様はそれをご覧になって『その牛はどこへつれていくのじゃ』とおたずねになると、その男から『こんど新しく鐘をつくったので、この牛を殺してその血を鐘に塗り、お祭をするのです』ときかれて、『止めてくれ。道理で牛は物はそ言わぬが、罪もないのに刑場へ曳かれてゆくかのようにオドオドと恐れている。可哀想だ、助けてやれ』とおっしゃったのでしょう。『それでは、鐘に血を塗るお祭はやめにしましょうか』とその男が申しあげると、『なんで〔大切な〕祭がやめられようぞ。牛の代りに羊にしたらよかろう』とおっしゃられたとか。ほんとうにそんなことがあったのですか。」王がいわれた。「そうそう、そんなことがあった。」孟子はいわれた。「そのお心こそ、天下の王者となるのに十分なのです。ところが、人民たちは大〔きなもの〕を小〔さなもの〕にとりかえられたので、王様はけちんぼうだと口さがなくもお噂しています。だが、私には王様の〔情深い〕お心はよく分かっております。」王は苦笑いしていわれた。「さようか。なるほど、そんなことを申している人民どもがおるのか。斉の国がいくらちっぽけでも、このわしが、なんで牛の一匹ぐらい物惜しみしよう。ただ、罪もないのに殺されにゆくそのオドオドしているさまを見て、いかにも不憫とおもい、羊にかえさせたまでのことだ。」孟子はいわれた。「しかし王様、けちんぼうだといって非難するのも無理からぬことです。小さな羊で大きな牛ととりかえさせたのですから。〔なぜそうなされたのか〕、彼らには王様のお心のうちがよく分らんからのです。もし、罪もないのに殺されにゆくのが不憫だとおっしゃるなら、牛も羊もなんのちがいがありましょう。」王はまた苦笑いしていわれた。「これはなるほど。どんなつもりだったのかな。自分でもサッパリ分らぬ。物惜しみし〔て羊とかえさせ〕たのではないが、人民どもがそう申すのも尤もだわい。」

 すると孟子がいわれた。「人民たちがかれこれ申しても、決してお気にかけなさいますな。これこそ尊い仁術(仁への道)と申すもの。牛はご覧になったが、羊はまだご覧にならなかったからです。鳥でも獣でも、その生きているのを見ていては、殺されるのはとても見てはおれないし、〔殺されるときの哀しげな〕鳴き声を聞いては、とてもその肉を食べる気にはなれないものです。これが人間の心情です。だから、君子は調理場の近くを自分の居間とはしないのです。」王は〔これを聞いて〕たいへん喜んでいわれた。「詩経に『他人の心をば、われよくおしはかる』とあるが、正しく先生のことをいったようなものだ。自分でしたことだが、なぜ、ああした(羊にかえさせた)のか、考えてもサッパリ分らなかった。それが、先生のことばを聞くとひしひしと自分の心に思い当るのです。しかし、この心があれば十分王者となれるというのは、なぜだろう。」孟子はいわれた。「では、申しあげましょう。ここに誰かが王様に、『自分は力があるから、三千斤もある重いものでも持ちあげられるのだが、一枚の羽根はどうも持ちあげられない。自分は目敏(めざと)いから、秋に生えかわる細い毛の先でも見分けられるのだが、車いっぱいに積んだ薪はいっこうに見えない』と申しあげたら、王様は『なるほど、尤もだ』と信じられますか。」王様がいわれた。「なんで、そんな〔馬鹿げた〕ことが信じられるものか。」〔孟子がそこでいわれた。〕「それなら、申しあげますが、いま王様のおなさけはとりやけものにまで及んでいるほどなのに、肝心の人民にはサッパリそのご実績が及んでいないのは、これはいったいどういうわけでしょう。一枚の羽根が持ちあげられないというのは、力をだそうとしないからです。車いっぱいに積んだ薪が見えないというのは、見ようとしないからです。しも人民の生活が安定しないのは、あなさけをかけようとなさらぬからです。ですから、王様が〔仁政を施かれて〕王者となられないのは、なろうとなさらぬからであって、できないのではありません。」
巻第一 梁恵王章句上
    --小林勝人訳注『孟子 (上)』(岩波文庫、1968年)。
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出来事の要点(?)としては、王が人民に対して善を行いうるかと悩んでいたとき、王にその資格があることを理解させるために、孟子は以前王が行った逸話を掘り返す。
さる儀式の折、一等の牛が供犠のために曳きつれられていくのを王が目にしたときのことである。処刑場に引っ立てていかれる無辜の民にも似た、牛の怯えた様子に、王は「忍び」なかった。王は牛を放すように命じ、代わりに、「牛に代えて羊を用いよ」と命じる。さらに話は続くわけで、王者の資質、仁政の意味など、様々に探究すべき命題が凝縮された一節ですが、ここでは、牛の姿に「忍び」なかった所に集中してみようと思います。

牛の姿を見た王の情にはなにがおこったのだろうか。

孟子は言う。

王が、考える暇もなく、牛に代えて羊を用いよと提案したのは、牛の怯えた様子を「目の当たり」にしたからであって、羊のほうは「目の当たり」にしていなかったからだと。王は、怯えた一頭の牛の姿を自分の眼で見てしまった。その怯えに対する「忍び」ないこころの発露は、出来事的には、不意に出現した事件である。王は何か心の準備をしていたわけではない。不意の出来事であるにもかかわらず、王と牛が対峙した瞬間、絶対的な関係が立ち上がったわけである。

では一方の羊はどうか。

王は羊を「目の当たり」にしていない。王にとって、羊は「観念」にすぎず、「匿名」であり、「抽象的」であり、一切、両者の間に効果ある関係は存在していないのである。王は羊と対面しなかったのであり、牛の怯えに情が動かされ、その閉ざすことの出来なくなった関係が、羊には届かなかっただけである。だからこそ、代わりに羊を用いよと提案した王は、羊に対して一切の情が揺り動かされることなく、いわば、羊を事物と同列に扱っただけにすぎない。

本文中でも続いているように、そうした王の姿に、吝嗇だとか、一貫性がないとか様々な批判はでてくるが、孟子はそんなことを一切気にかけない。

王は苦しんでいるものを「目の当たりにすること」に「忍び」なかった。王は、それが人間でない他者であろうとも、その運命に「無関心」でいられなかったのである。いわば、「忍びざるもの」を前にして、直ちにとった、この反応こそ、王の王たる徳性を示すものであると孟子は言う。

主義に一貫性がない、そして吝嗇である……こうした傾向は、王の王たる徳性を損なうに充分の資質であるにもかかわらず、孟子はそこを問題にしない。なぜなら、いわば、「無関心であることの不可能性」にこそ倫理が自然と立ち上がる原初の場を見ているからである。

他者(の不幸)に対面したとき発現する忍びざる感情は、いかなる勘定からも生じない。いかな反省の対象でもなく、その反応が、いわば「自然になされる」ところにその特徴がある。計算づくの行動ではなく、「思わずなされた」行動である。その意味では、陳腐な言い方だが、偶然対峙した相手に対して、個人的な関心を乗り超え、人間は思わず「公正無私」な行いが出来るのである。自己を通り越して、自己に背いてまでも他者のために動く存在者が現出する瞬間である。

その瞬間こそ、倫理(学)が「自然」と立ち上がる瞬間なのだと思われる。
他者の圧倒的な存在に対して、ひとが「思わず」動き出す瞬間である。反省も言語もないにもない。

関係に対する責任が「自然」と動き出す瞬間である。
古代中国で、ひとつの単語として成立した「倫理」とは、「倫」すなわち「ともがら」であり、「理」すなわち「ことわり」である。その意味で「倫理」とは単純化すれば「人間(関係)の在り方」という部分が大きなウェイトをしめる、在り方といえよう。その意味では、人間がたったひとりでは、倫理は存在しない。しかし、他者との関係が偶然であろうが、必然であろうが、全く人間はその関係を断ち切り、孤立して存在することも不可能である。ここでいう他者とは、人間だけに限られない。

そうした圧倒的に迫ってくる関係にたいして、敏感でありたい……そう思うある日の宇治家参去でした。

そういえば、宇治家参去より長く、帰省していた細君が帰ってきた。
しかし、子供を連れて帰らなかった。
子供曰く、もう少し、香川での生活を楽しみたいとのこと。週末に(子供から見れば)祖父母が東京までつれてきてくれるとのこと。
細君が子供と物理的に離ればなれになったのは、生まれてから今日が実ははじめて。
どこに行くにも、なにをするにも一緒だった。
だから、空港で別れ、子供に「ママ、東京でいい子にするんだよ」と言われたとき、涙があふれ出しそうになったとのことだ。

自然に溢れ出す涙は美しい。

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富士の高嶺を知らざるか……。

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 ときどき無性に読み返したくなるのが中国の古典です。最近、思い出したように読み返しているのが『孟子』です。

 えっ、『孟子』なんて、儒教のそれでしょ?
 儒教なんて、封建制度をささえた古臭いイデオロギー、もしくは道徳でしょ?

 そんな声が聞こえてきそうですが、実際、読んでみますと、面白いものです。
 評価(体制イデオロギーとしての儒教)と実際(孔孟の肉声)は、かなりちがうところを実感できます。

 その実感とは、とやかくいわれていますが、偉大な人物ほど、その真の姿が伝わりにくいということである。
 さて……
 偉大であればあるほど、神格化されたり、その逆に、ときには厳しい批判に晒されるのが人間世界の現実である。孟子や、その先達となる孔子も、そうした典型的な思想家の一人である。
 儒教は、漢の武帝によって国教化された結果、官学として大きな地位を保つことになった。それにともない孔子や孟子の神格化が進み、官学としての儒教の地位は揺るがないものになった。その権威が地に落ちるのは辛亥革命(1911)を待たなければならない。
官学となった儒教や孔子たちの神格化は、儒教が封建的な支配体制を支え、強化する思想として、政治によって利用された結果でもある。体制維持のために思想や宗教がつかわれるとき、もともと保っていた思想の清新さや溌剌さは、固定化したイデオロギーへと転化してしまう。その結果、思想は生き生きとした性格や息吹を失い、むしろ時代や人間の進展を阻害することにもなる。
 封建制度を支え、強化したイデオロギーとしての儒教は批判されても当然であろう。

 しかし、しかしながらである。

 洗い桶から産湯を棄てるとき、お湯と一緒に赤子まで捨て去る必要はない。
 なぜなら、孔子や孟子の(彼等が書いたと伝えられる)著作には、等身大の人間主義に徹した彼等の魂の叫びが聞こえてくるからである。

 今日はその『孟子』からひとつ。

孟子見梁恵王、王曰、叟不遠千里而来、又将有以利吾国乎、孟子対曰、王何必曰利、又有仁義而已矣、王曰何以利吾国、大夫曰何以利吾家、士庶人曰何以利吾身、上下交征利而国危矣、萬乗之国弑其君者、必千乗之家、千乗之国弑其君者、必百乗之家、萬取千焉、千取百焉、不為不多矣、苟為後義而千利、不奪不厭、未有仁而遺其親者也、未有義而後其君者也、王亦曰仁義而已矣、何必曰利、
    --『孟子』巻第一 梁恵王章句上(小林勝人訳注『孟子(上)』(岩波文庫、1968年))

孟子梁の恵王に見ゆ。王曰く、叟(そう)、千里を遠しとせずして来る。亦将に以て吾が国を利するあらんとするか。孟子対(こた)えて曰く、王何ぞ必ずしも利を曰はん。亦(ただ)(惟)仁義あるのみ。王は何を以て吾が国を利せんと曰い、大夫(だいふ)は何を以て吾が家を利せんと曰い、士・庶人は何を以て吾が身を利せんと曰いて、上下交(しょうかこもごも)利を征(と)(取)らば、而(すなわ)(則)ち国危からん。万乗の国、其の君を弑する者は、必ず千乗の家なり。千乗の国、其の君を弑する者は、必ず百乗の家なり。万に千を取り、千に百を取るは、多からずと為さず。〔然れども〕苟も義を後にして利を先にすることを為さば、奪わざれば厭(あ)かず。未だ仁にして其の親を遺(す)つる者はあらざるなり。未だ義にして其の君を後(あなど)(忽)る者はあらざるなり。王亦仁義を曰わんのみ。何ぞ必ずしも利を曰わん。

孟子がはじめて梁の恵王にお目にかかった。王がいわれた。「先生には千里もある道をいとわず、はるばるとお越しくださったからには、やはり〔ほかの遊説の先生がたのように〕わが国に利益をば与えてくださろうとのお考えでしょうな。」孟子はお答えしていわれた。「王様は、どうしてそう利益、利益とばかり口になさるのです。〔国を治めるのに〕大事なのは、ただ仁義だけです。もしも、王様はどうしたら自分の国に利益になるのか、大夫は大夫でどうしたら自分の家に利益になるのか、役人や庶民もまたどうしたら自分の身に利益になるのかとばかりいって、上のものも下のものも、だれもが利益を貪りとることだけしか考えなければ、国家は必ず滅亡してしまいましょう。いったい、万乗(まんのくるま)の大国でその君を弑(あや)めるものがあれば、それは必ず千乗(せんのくるま)の領地をもらっている大夫であり、千乗の国でその君を弑めるものがあれば、それは必ず百乗(ひゃくのくるま)の領地をもらっている大夫であります。万乗の国で千乗の領地をもらい、千乗の国で百乗の領地をもらうのは、決して少なくはない厚録です。それなのに〔彼らが〕十分の一ぐらいでは満足せず、その君を弑めてまでも〔全部を〕奪いとろうとするのは、仁義を無視して利益を第一に考えているからなのです。昔から仁に志すもので親をすてさったものは一人もないし、義をわきまえたもので主君をないがしろにしたものは一人もございません。だから王様、どうかこれからは、ただ仁義だけをおっしゃって下さい。どうして利益、利益とばかり口になさるのです。」

 『孟子』の冒頭部分です。利益ばかり血眼になって探求する指導者に対して、孟子先生は「利益、利益といいなさんな、それより先に考える・探求べきことがあるんじゃねえの」とぴしゃり。

 聴いている方が青くなるようなやりとりです(よくも殺されなかったもんですよ)。

 孟子は利益そのものを否定しているわけではない。
 利益を求める人間の欲望は無限大である。そうした欲望の虜になった結果、己を見失い、最後には自滅するのが人間である。
 現実には、(例えば何か修行とかによって)欲求や欲望を100%滅却することは不可能である。そうであるとするならば、そうした自己の暗部を直視しながらも、振り回されずに、コントロールしながら、人間関係のありかたの基礎となる普遍的な徳(仁義)をおさめ、自己と自己との関係において、そして自己と他者との関係において、そして自己と環境(宇宙)との関係において、よりよき関係を構築していった方が賢明であろう。
 孔子や孟子の言葉に耳を傾けると、自己の矛盾を自覚しながらも、振り回されず力強く生きていく励ましのように思えて他ならない。

 ついでに言えば、先に引用した冒頭部分のやりとりを、論語とかの言葉をモットーに掲げる政治屋さんとか、自分しか見えていない巷の傍若さんたちにきかせてやりたいものです。

 さてさて……。
 写真は、市井の職場からの夕景。
 この季節、寒いのは寒いのですが、透明度が増し、景色が美しいですね。
 富士の高嶺を知らざるか……。
 富士のシルエットの美しい武蔵野の夕景でした。

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