哲学・倫理学(東洋②日本)

覚え書:「異議あり:松陰の『行動』への賛美、実は危うい 儒教思想を研究する小島毅さん」、『朝日新聞』2015年03月19日(木)付。

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異議あり:松陰の「行動」への賛美、実は危うい 儒教思想を研究する小島毅さん
2015年03月19日

(写真キャプション)小島毅さん=東京都文京区、西田裕樹撮影
 今年の大河ドラマ「花燃ゆ」は、吉田松陰の松下村塾が舞台。安倍晋三首相も、地元・長州が生んだ松陰が大好きだ。「新しい日本の礎を築いた人」という松陰像に、中国思想史を研究する小島毅さんは異論を唱える。松陰の掲げた「正義」や「行動」は、実は危うさをはらんでいたのではないか、と。その理由を聞いてみた。

 ■通じない相手を敵とみなし、テロにつながる。相手の正義も想像しよう

 ――安倍首相は2月の施政方針演説で、吉田松陰の「知と行は二つにして一つ」を引用し、「この国会に求められていることは、単なる批判の応酬ではありません。『行動』です」と述べました。

 「松陰の称揚は明治時代に遡(さかのぼ)ります。維新という『革命』を正当化するために明治政府は『行動を起こしたことは正しい』と刷り込みを行った。行動の人として西郷隆盛、木戸孝允、大久保利通の『維新三傑』を顕彰し、後から松陰と坂本竜馬が加えられたのです。『考えるだけではだめ、行動こそ重要』という考えが広まりました」

 ――松陰たちの「行動」が明治政府をつくったと。

 「ただ、そこには矛盾があります。行動によって体制の打倒に成功すると、今度は自分たちの新しい体制を守るために、ときには『行動の人』を敵と見なさざるをえなくなる。ひとたび行動が反体制に向かえば、容易にテロリズムにつながるからです」

 ――松陰は幕府の老中、間部詮勝(まなべあきかつ)を暗殺しようとして死刑となりました。弟子の高杉晋作や久坂玄瑞は英国公使館を焼き打ちしました。

 「そう、松陰は、自分の愛(まな)弟子の伊藤博文をハルビンで暗殺した朝鮮人の安重根と似た立場の人だったんです。明治政府は、いわばテロを企てた人を顕彰したことになる」

 ――明治政府が行動を重視し、松陰を顕彰したなら、それが第2次大戦後まで受け継がれたのはなぜでしょう。

 「戦後、松陰の評価が巧みに書き換えられたからです。松陰の行動の根幹は尊王思想です。天皇にふたたび政治の実権をとってもらうことが大事で、『日本の夜明け』は二次的なものでしかなかった。戦後は尊王思想の部分が隠されて、『行動』だけがクローズアップされました」

    *

 ――安倍首相が引用した「知行合一(ちこうごういつ)」は、儒教の陽明学の思想ですね。

 「松陰が陽明学者と見なされるようになったのも明治以降です。そもそも江戸時代、陽明学はほとんど力を持ちませんでした。陽明学を有名にしたのは、幕府への反乱を起こした大塩平八郎で、彼のせいでむしろ危険思想と見なされていたのです。陽明学の『知行合一』が重んじられるのは明治維新後のことです」

 ――なぜ日本人はそこまで行動を重視したのですか。

 「行動の重視は日本人だけの特性ではありません。ISこと『イスラム国』も行動を重視しているでしょう。ただ、日本における思想の根付き方として、体系的な理論よりも、何をすべきなのかわかりやすいものを求めがちです。陽明学もそうしたかたちで受け入れられた。理想を実現するために、地道な言論によって人々を感化するのではなく、直接行動するという考え方が強くありました」

 ――その理想とは何だったのでしょうか。

 「一言でいえば『日本国の存続』です。天皇を中心とした挙国一致体制をつくり、西欧勢力の進出に対抗する。日本を一等国にするという目標のために、『日本のすばらしさ』が強調される。それが昭和20年の決定的敗戦でも終わらなかったところに、今に続く問題があると思います」

 「バブル崩壊後、ジャパン・アズ・ナンバーワンとおだてられていた時期に戻りたいと多くの国民が思った。しかし現実には、中国に経済力で追い越されました。その状況に耐えられず、『日本のすばらしさ』を顕彰しようというムードが再燃したのでしょう。『すばらしさ』の象徴として松陰が称揚され、ことあるごとに松陰を引き合いに出す安倍首相が支持される」

 ――松陰的なリーダーを求める空気があると。

 「近代の日本にも、大久保利通や伊藤博文など、松陰的ではないリーダーはいました。ただ、彼らも表面上は松陰的に振る舞わないと支持を得られない。本来、政治はだまし合いの世界であるはずなのに、策を弄(ろう)する政治家は嫌われ、誠心誠意の人をリーダーにしようとする。危ういことだと思いますね」

    *

 ――『行動』の理由が善意や正義でなくてはいけない。

 「中国に対する侵略戦争にしても、当事者たちは欧米列強や蒋介石の国民政府からの解放、あるいは赤化の防御と主張したわけです。善意でやっていることが恐ろしい。自分が正しいと思うことを他者もそう思うとは限らないという認識が欠けていた。海外の思想を、細かい論理のあやをすっ飛ばして受容してきたツケかもしれません」

 ――安倍政権が唱える「テロとの戦い」も、正義と善意が前面に出ています。

 「松陰的な思考だと、自分の善意が相手に通じないとき、相手を攻撃するだけになる。『他者』の存在を認め、その『痛み』を理解すれば、テロリストたちがなぜ残虐なことをするのかも想像することができる。決して共感する必要はないのですが、彼らには彼らの正義があり、松陰の『やむにやまれぬ大和魂』ならぬ『やむにやまれぬムスリム魂』で行動しているのかもしれない。それを最初から全否定すれば、つぶすかつぶされるかしかない」

 ――彼らの中にも「吉田松陰」がいて「松下村塾」があるのかもしれない。

 「そうです。それを理解する想像力が大切です」

    ◇

 こじまつよし 52歳 62年生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科教授。専門は儒教思想。東アジア海域文化という視座から、日本史の新たな読み直しも行っている。主な著書に「近代日本の陽明学」「増補 靖国史観」「父が子に語る日本史」など。

 ■吉田松陰と陽明学

 吉田松陰は1830年、長州(山口県)生まれ。通称は寅次郎。家学である山鹿流兵学を修めたが、後に洋学者・佐久間象山に師事。54年、外国への密航を企て、下田に停泊中の米国ペリー艦隊の軍艦へ乗り込もうとするが失敗。長州・萩の牢獄に入る。

 出獄後、萩郊外の私塾・松下村塾で、高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、山県有朋らを教える。幕府の老中・間部詮勝の暗殺を企てた罪により、59年、江戸で刑死した。

 松陰はもともと軍学者・洋学者だったが、中国・明代の儒学者・政治家だった王陽明(1472~1528)の思想である「陽明学」の影響を強く受けたとされ、「知行合一」を重視した。

 ■取材を終えて

 今、「2015年の松下村塾」があったらどうだろう。松陰のような理想を掲げる指導者のもと、「意識高い系」の若者たちが天下国家を論じる姿を想像すると、なんだかちょっとイヤじゃないですか。今回、小島さんが「松陰の立場はテロリストと同じ」と断じるのを聞いて、松下村塾がやたらもてはやされることへの違和感の理由がわかったような気がする。松陰の「正義」と「善意」は、けっこう迷惑なのだ。(尾沢智史)
    --「異議あり:松陰の『行動』への賛美、実は危うい 儒教思想を研究する小島毅さん」、『朝日新聞』2015年03月19日(木)付。

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[http://www.asahi.com/articles/DA3S11657442.html:title]


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日記:学問の本趣意は読書のみに非ずして精神の働に在り、此働を活用して実地に施すには様々の工夫なかる可らず

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金曜日は、所用があってひさしぶりに慶應義塾へ戻る。
用事をすませてしばしキャンパスを散策しつつ、学生時代のことを思い出したりしておりました。

さて、昨今、教育再生をめぐる議論で「人文より実学」だとか「グローバル云々」で「即戦力」を大学教育に求めるムキがありますが、いわば実学の元祖といってよい福沢諭吉ならば、今の状況をどのようにとらえるのか、少し考えてみました。


最近、誰もが「実学」連呼するので(「人生を豊かにする学びに加え、実学を重視した教育を提供することも必要」の如き:教育再生実行会議第6次提言)、実学の元祖といってよい福沢諭吉の『学問のすゝめ』と丸山眞男「福沢に於ける『実学』の展開」(丸山眞男『福沢諭吉の哲学』岩波文庫所収)読んでた。

「専ら勤むべきは人間普通日用の近き実学なり」(『学問のすゝめ』)。空疎にして迂遠な漢学や有閑的な歌学に対して実学を対置した福沢諭吉。「若し福沢の主張が、単に『学問の実用性』『学問と日常生活との結合』というただそれだけのことに尽きるならば、……斬新なものではない」と丸山眞男はいう。

「学問の日常的実用を提唱」「学問を支配階級の独占から解放して、之を庶民生活と結びつけた」“東洋的な「実用主義」”は山鹿素行、石田梅岩に見られるとおり、そこに福沢の独創性はないし、「内在的なものの発展はあっても、なんら本質的に他者への飛躍、過去との断絶は存しない」(丸山眞男)からだ。

福沢の実学傾注の「真の革命的転回」意義とは何か。

すなわち

「学問と生活との結合、学問の実用性の主張自体にあるのではなく、むしろ学問と生活とがいかなる仕方で結びつけられるかという点に問題の核心が存する。そうしたその結びつきかたの根本的な転回は、そこでの『学問』の本質構造の変化に起因」ものである。

「東洋社会の停滞性の秘密を数理的認識と独立精神の二者の欠如のうちに探りあてた」福沢は、学問の中心的位置を、アンシャン・レジームの学問の中核である倫理学より物理学へ移す。これは倫理や精神の軽視ではなく、「近代的自然科学を産み出す様な人間精神の在り方」を問題にした、精神の問題でもある。

「環境に対する主体性を自覚した精神がはじめて、『法則』を『規範』から分離し、『物理』を『道理』の支配から解放するのである」。

社会秩序の基礎付けを自然とのアナロジーで非合理を容認する東洋社会。個人が社会的環境と離れて直接自然と向かいあう意識を出発に起き、人間・社会の認識が初めて可能になる。

「物ありて然る後に倫あるなり、倫ありて然る後に物を生ずるに非ず。臆断を以て先ず物の倫を説き、其倫に由て物理を害する勿れ」(『文明論之概略』)。「社会秩序の先天性を払拭し去ることによって『物理』の客観的独立性を確保」(丸山)、そのことで近代精神(独立自由の精神と数学物理学の形成)が確立する。

倫理を中核とする実学は「生活態度を規定するものは、環境としての秩序への順応の原理である。自己に与えられた環境から乖離しないことがすなわち現実的な生活態度であり、『実学』とは畢竟こうした生活態度の修得以外のものではない。そこでいわれる学問の日用性とは、つきつめて行けば、客観的環境としての日常生活への学問の隷属へ帰着する」(丸山)。

では福沢の実学とは?

「如何なる俗世界の些末事に関しても学理の入る可らざる処はある可らず」(「慶應義塾学生諸氏に告ぐ」)。

日常の重力との「妥協」ではなく「克服」こそ「実学」なのであろう。

その理念から「福沢は数学と物理学を以て一切の教育の根底に置くことによって、全く新たなる人間類型、彼の所謂『無理無則』の機会主義を排してつねに原理によって行動し、日常生活を絶えず予測と計画に基いて律し、試行錯誤を通じて無限に新らしき生活を開拓してゆく奮闘的人間」(丸山)育成を志したのが福沢諭吉といってよい。

福沢諭吉は「日本のヴォルテール」(丸山)として啓蒙思想の代表といわれる。しかし単なる封建批判の文明論とは異なる独自の思惟を秘めており、それは真性のプラグマティズムといってよい。今、福沢が教育における「実用」の実際を参照するならば、どのように反応するだろうか。それは馴致への惑溺と映るだろう。

しかし、日常の重力との妥協ではなく克服こそ学問の「要」であると福沢諭吉がとらえていたとすれば、それは、規律訓練型権力への批判という射程を秘めていると捉えてよいのではないだろうかとも思ったりです。


で……蛇足ついでですけど

別に象牙の塔であれとは思いませんが、社会は常に大学に何かを要求……そしてそのほとんどが不当なものが多いとは思いますが……してくる割には、その要求を満たすための負担はしないで、ただこうしろ、ああしろ、とかき回すだけというのがその実情ですから、まあ、無責任このうえねえな、と思うのは私一人ではないでしょう。

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公式主義と機会主義とは一見相反するごとくにして、実は同じ「惑溺」の異なった表現様式にほかならない

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 かくして福沢の場合、価値判断の相対性の強調は、人間精神の主体的能動性の尊重とコロラリーをなしている。いいかえれば価値をアプリオリに固定したものと考えずに、是を具体的状況に応じて絶えず流動化し、相対化するということは強靱な主体的精神にしてはじめてよくしうる所である。それは個別的状況に対して一々状況判断を行い、それに応じて一定の命題乃至行動規準を定立し、しかもつねにその特殊的パースペクティヴに溺れることなく、一歩高所に立って新しき状況の形成にいつでも対応しうる精神的余裕を保留していなければならない。是に反して主体性に乏しい精神は特殊的状況に根ざしたパースペクティヴに捉われ、「場」に制約せられた価値規準を抽象的に絶対化してしまい、当初の状況が変化し、或はその規準の実践的前提が意味を失った後にも、是を金科玉条として墨守する。ここに福沢が「惑溺」と呼ぶ現象が生じる。それは人間精神の懶惰を意味する。つまりそれはあらかじめ与えられた規律をいわば万能薬として、それによりすがることによって、価値判断のたびごとに、具体的状況を分析する複雑さから逃れようとする態度だからである。そうしてその様な抽象的規準は個別的行為への浸透力を持たないから、この場合彼の日常的実践はしばしば彼の周囲の環境への単に受動的な順応として現れる。従って公式主義と機会主義とは一見相反するごとくにして、実は同じ「惑溺」の異なった表現様式にほかならない。かくして、福沢をして「無理無則」の機会主義を斥けさせた精神態度が同時に、彼を抽象的公式主義への挑戦に駆りたてるのである。
    --丸山眞男「福沢諭吉の哲学」、松沢弘陽編『福沢諭吉の哲学 他六篇』岩波文庫、2001年、83-84頁。

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「価値をアプリオリに固定」することが信念に生き抜く人生とは程遠いはずなのに、「価値をアプリオリに固定」することを「強靱な主体的精神」と勘違いするケースに最近ちょくちょく直面します。

ひとがものごとを判断する場合において、アプリオリに判断する場合も、そしてアポステオリにそうすることも、現実には混在しております。

しかし、少し余裕をもってそれが妥当するのかどうかという省察が欠如した場合、どちらの判断もうまく機能しないのではないかと思います。

前者は「金科玉条として墨守」する宿痾のような態度として現れ、後者は風見鶏となってしまう。その心根を極限まで排しながら、現実的判断と普遍的な判断をすり合わせようとしたのが福沢諭吉(1835-1901)の戦いではなかったのか……福沢の教説を読むそのことをいつも思い出します。

いみじくも丸山眞男(1914-1996)が指摘する通り福沢の第一規律とでもいうべきものは「惑溺」を避けるという態度。

「あらかじめ与えられた規律」でうまくいく場合を全否定はしませんが、それが「万能薬」であるわけでもありませんし、それでうまく片付くという発想は「価値判断のたびごとに、具体的状況を分析する複雑さから逃れようとする態度」とワンセットになっていることを承知しておくことが必要不可欠。

そしてその対極に位置すると見られがちな「風見鶏」の判断という奴も、つまるところは「周囲の環境への単に受動的な順応」という意味では同じように機能するから、実はひとつもののうらとおもて。共通していることは、「個別的状況に対して一々状況判断」を行うことができない思考麻痺のそれであり、そこから「一定の命題乃至行動規準を定立」する、あるいは学ぶことの出来ない臆病な心。

「具体的状況を分析する複雑さから逃れようとする態度」は、一見すると相反する極端な立場を不可避に招来させてしまうわけですが、どちらからアプローチしようとも、結局の所は両者とも、「いきた人間」を真正面からみることはできないから、現実を分断してしまう寸法です。

福沢は機会主義者として誤解を受けがちですが、それは早計でしょう。思索する余裕を欠如した公式主義と機会主義への挑戦が彼の戦いだった点は承知しておくべきでしょうねぇ。


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「仁は人の心なり、義は人の路なり」

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 義は武士の掟中最も厳格なる教訓である。武士にとりて卑劣なる行動、曲りたる振舞いほど忌むべきものはない。義の観念は誤謬であるかも知れない--狭隘であるかも知れない。或る著名の武士〔林子平〕はこれを定義して決断力となした、曰く、「義は勇の相手にて裁断の心なり。道理に任せて決心して猶予せざる心をいうなり。死すべき場合に死し、討つべき場合に討つことなり」と。また或る者〔真木和泉〕は次のごとく述べている、「節義は例えていわば人の体に骨あるがごとし。骨なければ首も正しく上にあることを得ず、手も動くを得ず、足も立つを得ず。されば人は才能ありとても、学問ありとても、節義なければ世に立つことを得ず。節義あれば、不骨不調法にても、士たるだけのこと欠かぬなり」と。孟子は「仁は人の心なり、義は人の路なり」と言い、かつ嘆じて曰く「その路を舎てて由らず、その心を放って求むるを知らず、哀しい哉。人雞犬(けいけん)の放つあらば則ちこれを求むるを知る、心を放つあるも求むるを知らず」と。彼に後るること三百年、国を異にしていでたる一人の大教師〔キリスト〕が、我は失せし者の見いださるべき義の道なりと言いし比喩の面影を、「鏡をもて見るごとく朧」ながらここに認めうるではないか。私は論点から脱線したが、要するに孟子によれば、義は人が喪われたる楽園を回復するために歩むべき直くかつ狭き路である。
    --新渡戸稲造(矢内原忠雄訳)『武士道』岩波文庫、1974年。

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土曜日は仕事を終え24時に帰宅してから、27時頃寝たのですが、7時前には起こされてしまい、寝不足に頭を悩ます宇治家参去です。

日曜は朝から千駄ヶ谷の国立競技場となりの霞ヶ丘体育館にて、息子殿が通う剣道教室の試合がありまして、……たった二分の勝負なのですが、同行させられた次第です。

これまでにも何度か言及したとおり、本人がやりたいということで一昨年からはじめた剣道です。宇治家参去自身も十数年「やらされた」わけなのですが、そのなかでやはり「やらされた」感が強く、剣道そのものにあまり悦ばしい思い出はありません。

ただ、競技スポーツの剣道という意味合いではなく、綜合人間学としての「剣〝道〟」をやったこと自体には、一切無駄がなかった事実を思い出によって否定することができません。否むしろ、人間の骨格を形成するうえで、やってよかったという側面が厳然としてありますので、息子殿本人が「やりたい」ということで口火を切ったときには驚いた次第です。

さて……。
1年目は、剣術に親しむということで、竹刀のみにて練習のようでしたが昨年より道衣・防具を揃え、練習が始まり、いよいよ本格的!って思って、つい先だって様子をみたわけですが、とてもとても、お話にならないような状態ですけども……経験者からみるとまだまだ足下が覚束ないという状態でしょうか……、それでも、本人はハアハアいいながらも嬉々として取り組み、きちんと正座をし、礼を弁え、卑怯な戦いをせずやっているところを見ますと、やはり、或意味でやったことは正解だったのだと思わざるを得ません。

前述したとおり、確かに競技スポーツとしては、剣道に限らず武道の総てがその側面を有していることは否定できませんし、戦うならば勝ちたいというのが人情です。しかし、それだけでもないのが武道のもつ豊穣な歴史かもしれません。

相手に対する尊敬と同時に自分自身を卑下をしない独立の気風……そうしたものを毛穴から学ぶことができるのが、「スポーツ」という概念に収まりきらないその魅力かもしれません。
※ただし、その精神論に傾きすぎると、戦時下日本の武力運用における過度の精神主義へとなりますので自戒が必要なことは言うを待たないわけですが。

で……。
本来は11月の試合に出る予定だったのですが、私的な都合でその折りは参戦できなかったのですが、教室の先生の配慮で、その11月の試合で勝ち上がってきたメンバーによる試合があるということで、そこに今回参加させて頂いた次第です。

ただ、論点を先取りすれば、試合前の一斉稽古をみたときにも、「こりゃあレベルが違うわ」と思った通り、速攻で敗退するわけになるのですが、ただそれでも参加したのは良かったのかも知れません。

しかし、その「おつき合い」といいますか保護同伴という形で早朝よりたたき起こされ、細君と一緒に息子殿の試合に強制連行されてしまったのは、チトきつかった次第です。

試合自体は中盤の取り組みでした。

息子殿本人は、「絶対、勝ってくる」

などと意気込んでおりましたが、おそらくかなり緊張もしたことかと思います。

次々に試合が消化されていく様子を見ていると、痛くて泣き出すお子様や、負けて悔しくて涙を流すお子様、そしてかなり上手な剣捌きを身につけた猛者の様子を見ていると、……本人自体も、「うぅぅ~む」となっていたのではないかと思います。

ただ、憶病にならず、それでも挑戦したその心意気は勝ってやりたいものだと思います。

林子平(1738-1793)は「義は勇の相手にて裁断の心なり。道理に任せて決心して猶予せざる心をいうなり。死すべき場合に死し、討つべき場合に討つことなり」と述べたと新渡戸稲造(1862-1933)の『武士道』で紹介されておりますが、挑戦する武士の心とは、「道理に任せて決心して猶予せざる心」なのでしょう。

結果は、秒殺といってよい状態でした。
こうした場合、なにかあると必ず涙+大音声で「泣く」息子殿でしたが、その状況を粛々と受け入れ、今回は「泣かなかった」ところは高く評価し、剣術を学んだことの間違いのなさを実感したひとときでした。
※もちろん、武士の子供として成長する様子を大いに誉めたわけですがね(苦笑)。

ま、こうした喜怒哀楽、鍛錬と成果の対峙のなかで、人間としての骨格を形成し、「節義ある士」へと成長して欲しいものです。

……ということで、午前中で試合自体は終わりましたので、帰宅途中に昼食を「釜飯/やきとり 藩」にて頂きましたが、本日は仕事を全日休みにしておりましたので、軽く「昼ビール」をやらせて頂きました。

ふぅ~う、昼ビールはしみこみ具合がなかなかよろしいものでございます。

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「台風」とは「季節的ではあっても突発的な、従ってその弁証法的な性格とその猛烈さとにおいて世界に比類なき形」を取る

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 人間の存在は歴史的・風土的なる特殊構造を持っている。この特殊性は風土の有限性による風土的類型によって顕著に示される。もとよりこの風土は歴史的風土であるゆえに、風土の類型は、同時に歴史の類型である。自分はモンスーン地域における人間の存在の仕方を「モンスーン的」と名づけた。我々の国民もその特殊な存在の仕方においてはまさにモンスーン的である。すなわち受容的・忍従的である。
 しかし我々はこれのみによって我々の国民を規定することはできない。風土のみを抽象して考えても、広い大洋と豊かな日光とを受けて豊富に水を恵まれ旺盛に植物が繁茂するという点においてはなるほど我々の国土とインドとはきわめて相似ているが、しかしインドが北方は高山の屏風にさえぎられつつインド洋との間にきわめて規則的な季節風を持つのとは異なり、日本は蒙古シベリアの漠々たる大陸とそれよりもさらに一層漠々たる太平洋との間に介在して、きわめて変化に富む季節風にもまれているのである。大洋のただ中において吸い上げられた豊富な水を真正面から浴びせられるという点において共通であるとしても、その水は一方においては「台風」というごとき季節的ではあっても突発的な、従ってその弁証法的な性格とその猛烈さとにおいて世界に比類なき形を取り、他方においてはその積雪量において世界にまれな大雪の形を取る。かく大雨と大雪との二重の現象において日本はモンスーン域中最も特殊な風土を持つのである。それは熱帯的・寒帯的の二重性格と呼ぶことができる。温帯的なるものは総じてなにほどかの程度において両者を含むのではあるが、しかしかくまで顕著にこの二重性格を顕すものは、日本の風土を除いてどこにも見いだされえない。この二重性格はまず植物において明白に現われる。強い日光と豊富な湿気を条件とする熱帯的な草木が、ここでは旺盛に繁茂する。盛夏の風物は熱帯地方とほとんど変わらない。その代表的なるものが稲である。しかるにまた他方には寒気と少量の湿気とを条件とする寒帯的な草木も、同じく旺盛に繁茂する。麦がその代表者である。かくして大地は冬には麦と冬草に覆われ、夏には稲と夏草に覆われる。しかしかく交代し得ない樹木は、それ自身に二重性格を帯びて来る。熱帯的植物としての竹に雪の積もった姿は、しばしば日本の特殊の風物としてあげられるものであるが、雪を担うことに慣れた竹はおのずから熱帯的な竹と異なって、弾力的な、曲線を描き得る、日本の竹に化した。
    --和辻哲郎『風土 人間学的考察』岩波文庫、1979年。

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結局のところ、東京都下では、大雨という状況は到来せず、高湿度の到来という一日でした。

無事にそれてくださいましたので、日本を代表する倫理学者・和辻哲郎(1889-1960)の人文地理書ないしは人間風土論とでもいえばいいでしょうか……、名作として知られる『風土 人間学的考察』にて、「台風」と「人間」の関係に関して、ちと復習するある日の宇治家参去です。

何度も読んでおり、何度も指摘しておりますが、和辻の文章はスラスラとしていながら軽薄さがなく、「魅せる」が如く「読ませて」くれます。

明治生まれの知識人のいわば幅の広さとある種の人間・世界理解の深さに唸らされてしまいます。

和辻は『風土』のなかで、人間と風土の関係を三つのパターンに類型化しており、そのひとつが、「モンスーン的性格」になりますが、これに該当するのは、これが広い意味でのアジア地域です。

アジアといっても広いわけですが、そのなかでも特筆すべき「珍しい」ひとつの特異な事例として日本の差異・独自性が論じられております。

ただその叙述には、その対象を礼賛せんとするなにか意志的なものを感じてしまい、宇治家参去の場合はどうしても頷けない部分も多々あります。

もちろん、この著作が表された時代、……すなわち、戦前昭和の時期ですが、この時期は、政治史的アプローチをとるならば、軍国主義的なものの見方が先鋭化してくる時期ですのでその影響だろうと見定めてしまうことは容易です。

しかし、それだけに起因するわけでもありません。

戦前昭和とはどのような時代でしょうか。

それは、明治以降の学問受容のあゆみがひとつの完成をみた時期です。
いわば、欧米から文物の導入に血眼になったその受容の歴史が、導入だけでなく、自前で論ずることができるようになった--それが戦前昭和という時代です。

ですからそのいわば「自信」といってよいかと思いますが、そうした「胸を張る」ような気概が随所に見受けられますし、そのひとつの表れととらえることができるだろうと思います。

西洋の先端の思想・哲学を「輸入」して「翻訳」する時代から、自前で「哲学」「思想」していく時代意識への転換のなせるわざでありますから、そのひとつの応答としての「自信」なのでしょう。

以前にも言及しましたが、例えば和辻なんかは、自信以上に「乗り越えた」自負なども見られます。『風土』の冒頭にて、その考察のきっかけとなった現代ドイツの大哲学者・ハイデッガー(Martin Heidegger,1889-1976)の思想から着想を得たとしているものの、どちらかといえば、そうした思想を発展し、展開させたという「自負」が散見されるほどです。

さて話がずれこみましたが、特異な事例に戻ります。

極端なものの見方かもしれませんが、特異な事例とは、そのひとつだけではないのが現実でしょう。

すべてを形成する個々の特異な事例には、高低浅深は本来ないなずなんです。
だからこそ「特異」であり、そのひとつひとつが、還元不可能な特異な事例に他なりません。であり、それに対する価値評価はどうしても恣意的に流れがちな事を勘案するならば、これこそ特異な「他に抜きん出た独自性」などとやられてしまうと、すこし違和感があるというのが正直なところです。

対他としての「特異」性が現象世界のすべてを構成するわけなのですが、ここで厄介なのが、その対他としての「特異」性が、対自としての「自信」「自負」以上になってしまう、そしてそこへ流れがちになってくるのが世の常なのですが、これがまさに実に厄介です。

こちらの「特異」が「偉いぞう」となってしまうと、真夏の蝉が鳴き始めるように、どれもこれも他に比べて「偉いぞう」となってしまいます。

そして、恣意的な根拠が不動の根拠となり、伝統がかたちづくられていってしまう……そのあたりが実に厄介なものですから、なるべくそれに近づかない、もしくは、一人で小声ぼそっとささやく程度に止めておくほうが利口かななどと思ってしまうわけですが……。
いずれにしましても、宇治家参去の場合、ナショナル・アイデンティティと関連したレースにはあまり近づかないようには努めており(もちろん、元来スポーツ観戦等には全く興味がないということにも起因しますが)、そのなかで、そしてそのおかげでしょうか、リベラリズムとリバタリアニズムの中間領域でアイロニカルで彷徨っております。

しかし、不思議なもので「日本」の「竹」はよろしいです。
何と比べてと言うわけではありませんが、そのへんに自己自身が立脚すべきあり方とリアルな感情との隔離に悩みます。

その感情こそ、おそらく自分自身に内在する、消しがたい血のようなものなのでしょうか。

そういうところを昔学問の仲間と酒を飲みつつ論じあっていたとき、

「それじゃア、やっぱり宇治家参去さんは、リベラルでもリバタリアンでもなく、生粋のオールド・リベラリストですよ」

などと言われたことがあります。

そう指摘してくださった方は自称中道右派でしたが、検討の結果その仏教学者さんは「ウルトラ・ナショナルですね!」と落ち着いたのがいい思い出です。

ともあれ、和辻哲郎も「オールド・リベラリスト」に列するお方ですので、その後塵を浴びつつ、過激にならないことを心がけながら、探求するほかありません。

ということで?
最後に和辻の文章をもういちど。

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 次にモンスーン的な忍従性もまた日本の人間において特殊な形態を取っている。ここでもそれは第一に熱帯的・寒帯的である。すなわち単に熱帯的な、従って非戦闘的なあきらめでもなければ、また単に寒帯的な、気の永い辛抱強さでもなくして、あきらめでありつつ反抗において変化を通じて気短に辛抱する忍従である。暴風や豪雨の威力は結局人間をして忍従せしめるのではあるが、しかしその台風的な性格は人間の内に戦争的な気分を湧き立たせずにはいない。だから日本の人間は、自然を征服しようともせずまた自然に敵対しようともしなかったにもかかわらず、なお非戦闘的・反抗的な気分において、持久的ならぬあきらめに達したのである。日本の特殊な現象としてのヤケ(自暴自棄)は、右のごとき忍従性を明白に示している。第二にこの忍従性もまた季節的・突破的である。
    --和辻哲郎、前掲書。

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しかしなあ、ってところです。
いずれにしましても、ヤケにならず、極端を排しながら、よりよき倫理的探究を続けるほかありません。

というところで?、本性は先鋭化したポストモダンではなく、感覚的なオールド・リベラリストですから、ここはひとつ、戦後昭和を代表するウィスキー『トリスウィスキー Black』(SUNTORY)を、「HALF ROCK SODA」にしてやってみます。

嗚呼、昭和の味がします。

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既に世界に生れ出たる上は、蛆虫ながらも相当の覚悟なきを得ず。即ち其覚悟とは何ぞや。人生本来戯れと知りながら、此一場の戯を戯とせずして、恰も真面目に勤め」るのが蛆虫の本分である

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 このごろは、福沢のことをあまりやっていないのですが、終戦直後、私は一生懸命勉強しまして、「福沢諭吉の哲学」という小論を書きました。その中で要するに、人生とは畢竟、遊戯なのだ、戯れなのだというのが、彼のぎりぎりの人生哲学だ、ということを述べました。人生は遊戯であるということが、今日申しました文脈に言いかえるならば、人生は一つの芝居であるという命題と密接に関連があると私は思います。
 我々の生涯というものはウジムシみたいなもので、はかないものである。けれども、はかないからといって、そこから世間から、社会から逃避するという結論は出てこない。むしろその反対で、「既に世界に生れ出たる上は、蛆虫ながらも相当の覚悟なきを得ず。即ち其覚悟とは何ぞや。人生本来戯れと知りながら、此一場の戯を戯とせずして、恰も真面目に勤め」るのが蛆虫の本分である--彼はこう言っています。
 人生本来戯れと知りながら、この一場の戯れを、戯れとせずして、あたかも真面目に努める。これは、人生とは何かという認識の問題だけではなくて、実践的な生き方と関係してくるわけです。彼に言わせれば、「本来戯と認るが故に、大節に望んで動くことなく、憂ふることなく、後悔することなく、悲しむことなくして、安心するを得るものなり」。本来、基本的に人生は戯れである、つまり、虚構である、フィクションである。こういうふうに認めているから、いざ大節にのぞんでも動揺しない。大きな精神的な振幅の揺れを防ぐことができる。精神的な揺れを防ぐというと消極的ですが、ポジティブに言いかえるならば、それが決断という活発な精神活動の秘訣なのだというわけです。「小事は重く思案すべし、大事は軽く決断すべし」という彼の言葉があります。大事は軽く決断すべしというのは、人生というのは戯れなんだという命題と非常に深く関係してくる。どうせ戯れなのだから、どっちへ転んでもたいしたことではない。それを、大変なことだ、と頭にきちゃうと、どう決断していいかわからなくなる。どっちへ転んでもたいしたことはないということから、サッと軽く決断できるというのが、彼の人生哲学です。
 「浮世を軽く視るは心の本体なり」、軽く見るその浮世を、あたかも真面目に、活発に渡るのが心の働きである。「内心の底に之を軽く見るが故に、能く決断して、能く活発なるを得べし。棄るは取るの法なり」。ここには彼の解釈した一種の仏教哲学的な考え方があります。ここでは仏教との関連とか、そういうことを、直接、私は問題にしているのではありません。いままで申しました、惑溺からの解放という、彼の基本的なテーマと密接に関連しているということを言いたかったわけです。
 つまり、こういうふうに、浮世を軽く見て、戯れとみないということになると--人生は戯れなり、という基本命題がなくなると、「事物の一方に凝り固まりて、念々忘ること能はず。遂には其事柄の軽重を視るの明を失ふ」と言っています。事柄の軽い重いを見る明を失うというのは認識の問題であり、前にのべた状況認識の問題です。惑溺からの解放ということの、ぎりぎりの底を突きつめていくと、人生哲学というのは、人生は戯れであるという命題に行きつくということになります。
 彼の場合は方法的にこういう考え方が貫かれています。たとえば、「唯戯と知りつつ戯るれば、心安くして、戯の極端に走ることなきのみか……」。これは非常に面白いのですけれど、ゲームに熱中しすぎると、ゲーム自体が惑溺のバリエーションになってしまうのです。たとえば、サッカーの試合なんかで、本当の喧嘩になってしまうというのは、ゲームがだんだん熱してしまって、ゲームだということを忘れてしまう。戯れが、いつのまにか本気になってしまう。熱中しすぎると、それ自身が惑溺のバリエーションになる。
 したがって「戯と知りつつ戯るれば、心安くして、戯の極端に走ることなきのみか、時には或は俗界百戯の中に雑居して、独り戯れざるも亦可なり」。みんながいろんな踊りをしている、いろんな戯れをやっている。これがこの世の世界なのです。みんながいろんな踊りを演じている。もちろん自分も演じているのだけれども、演じていることを意識化して、対象化するならば、踊りから抜けて、ときどき休息することもできる。
 人生は戯れの連続ですから、休息はあくまで休息であって、それ以上の意味を持たない。自分の人生だけは、人生を通じて醒めているのだと言っても、それは自己欺瞞になる。つまり、自分だけは醒めた観客なんだというのは、人生イコール戯れであるという基本命題に反した自己欺瞞になる。ただ、ときどき休んで他人の踊りを眺めるのも、自分の戯れを客観視する上で参考になる。戯れの極端に走らないで、俗界百戯の中に雑居して、独り戯れざるもまた可なり、といっているのであって、おれだけは戯れていないのだというのではない。自分もみんなと一緒に踊っている。ただ、そのなかで独り、戯れないようなことを、ときどきしているというわけです。
    --丸山眞男「福沢諭吉の人と思想」、丸山眞男(松沢弘陽編)『福沢諭吉の哲学 他六篇』岩波文庫、2001年。

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朝から文献と格闘しておりますと、マアそれが本職になるわけですが、いかんせん「引き籠もり」状態になってしまい、気分がループしてしまいますので、いかに暑いとはいえ、ちょいと外へ出てくるか!ということで、夕刻、大学へ返却するレポートを詰めた宅急便をヤマト運輸の営業所へ持ち込んでから、郵便局まで足を運ぶと、

「あと1セット」

……とPOPのついた切手シートを発見してしまいました!

そう、それは「慶應義塾創立150年記念」の記念切手シートでした。

小学生の頃、実は切手収集をしておりましたが……実はかなり集めておりますし、かなりの資産です……、中学生の頃から興味を無くし収集はしなくなりましたが、やはりお世話になった、そしてかけがえのない学友と巡り合わせてもらった「母校」には愛着があるものですから、なけなしの800円をはたいて、最後の「あと1セット」を購入した次第です。

なめ回すように見てから……もちろんは指紋はつけてはマズイですから手袋をはいてから見たわけですが……扁額へ御安置した次第です。

思えばいつの頃だったのでしょうか。

最初に福澤諭吉(1835-1901)に“出会った”のは小学生の中盤の頃だったかと思います。当然、当時の一万円札は福澤先生ではなく、聖徳太子(574-622)のそれだったわけで、現代の人々よりもなじみは薄かったのだとは思いますが、たしか学研か何かの漫画版の偉人伝のようなものを読み感銘をうけたのがその初太刀だと思われます。

中学生の頃でしょうか。福澤の自叙伝である『福翁自伝』を夏休みの「課題図書」のようなかたちでひもといた思い出がありますが、正直なところ、こんな凄い奴がいたのかと度肝を抜かれた次第です。

江戸幕府崩壊の前夜、上野の山で旧幕府軍と新政府軍が戦争をおこしましたが、それにも「左右」されず学問を貫きとおしたところに男気をみたものです。

そうした影響もあったのでしょうか。
高校は、いわゆる旧制中学になりますが、大学は福澤の創った大学へと想ったものです。

有形にしろ無形にしろ、やはり自分自身においては、福澤諭吉の人生行路、そして人生哲学が拭いきれないほど、影響を与えているのを実感する次第ですし、ある意味では、この浮世における生き方のひとつの模範として福澤諭吉の人生哲学を受容し、日々実践しているフシもありますから、福澤をなにしてやろうということには納得することが出来ず。。。

ですからどうしても福澤の思想を過小評価することはできません。

たしかに大家である倫理学者・和辻哲郎(1889-1960)などは、福澤を先端思想の「紹介者」にすぎず「思想家」ではないと断じておりますが、それに頷くこともできません。

ただ、驚くのは……そして何度も紹介しておりますが……近現代日本の思想家においては丸山眞男(1914-1996)ただひとり、福澤の思想を高くかっているという点でしょうか。

そしてその核心はたんなる言語としての思想という次元に留まらず、「生き方」の問題において評価している点に驚くばかりです。

丸山眞男は、まさに福澤が語っている通りなのですが、その人生哲学のキーワードを「蛆虫」性と、「戯れ」に見出している点がその思想点検の愁眉になるのでしょう。

ハイデッガー的な存在論に従えばまさにいきものとしては「蛆虫」とかわらぬ存在が人間なのでしょう。

しかし、ハイデッガーと同じくそれだけでもないのが人間なのでしょう。

そこをどのように生きていくのか。

「既に世界に生れ出たる上は、蛆虫ながらも相当の覚悟なきを得ず。即ち其覚悟とは何ぞや。人生本来戯れと知りながら、此一場の戯を戯とせずして、恰も真面目に勤め」るしかないのでしょうねえ。

仮象を仮象として受容し、フィクションをフィクションとして受容し、決して実体化しない鷹揚さこそ、福澤の人生哲学の核心にあるのだろうと思います。

それがないと、対象に対して、余裕をもってまじめに考えるということはできませんですですからねえ。

真面目に遊びながら、真面目にほうけ、遊びながらちと真面目に向かいあってみる。

焦げる直前でフライパンをたたき、決して焦がさない……そのことが肝要かもしれません。

熱くなってしまうと焦げてしまう。
しかし、熱くなるのは「真面目にやばい」ですよってシニシズムしてしまうと、味わいがぼんやりとなってしまう。

そのへんの「奥の細道」がどうやら福澤思想の根幹にあるようなのですが、それを自宅でやってしまうとどうしても誤解されてしまうのが不思議です。

本日はたまの休日でしたので、きちんと勉強しながら遊んでいたのですが……

「研究活動しないで何やっているんだ……」

……などと恫喝されてしまう始末で、「わかっちゃいねえんだよねえ」と独り呟く宇治家参去でした。

しかし、最近、生きている実感として、フィクションをフィクションとして受容せず実体化させてしまおうという風潮、そしてその逆に実体であるものを実体として受容せずフィクション化させてしまおうという風潮が濃厚で、何か、先行きの薄暗さを感じてしまう次第です。

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「読書人」「士大夫」でもいいかなと思うのですがそれもまずく、ですが読むことも大切なわけで……

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 読書

 私は或は人から沢山の書物を読むとでも思われているかも知れない。私はたしかに書物が好きである。それは子供の時からの性癖であったように思う。極小さい頃、淋しいくて恐いのだが、独りで土蔵の二階に上って、昔祖父が読んだという四箱か五箱ばかりの漢文の書物を見るのが好きであった。無論それは分かろうはずはない。ただ大きな厳しい字の書物を披いて見て、その中に何だかえらいことが書いてあるように思われたのであった。それで私の読書というのは覗いて見るということかも知れない。そういう意味では、可なり多くの書物を覗いて見た。また今でも覗くといってよいかも知れない。本当に読んだという書物は極僅なものであろう。
 それでも若い時には感激を以て読んだ本もあった。二十少し過ぎの頃、はじめてショーペンハウエルを読んで非常に動かされた。面白い本だと思った。しかし年を経るに従い、そういう本はなくなった。ニル・アドミラリというような気分になってしまった。私には或人の書物を丹念に読み、その人の考を丹念に研究しようという考が薄い。
 しかし偉大な思想家の思想というものは、自分の考が進むに従って異なって現れて来る。そして新に教えられるのである。例えば、古代のプラトンとかヘーゲルとかいう如き人々はそうと思う。私はヘーゲルをはじめて読んだのは二十頃であろう、しかし今日でもヘーゲルは私の座右にあるのである。はじめてアリストテレスの『形而上学』を読んだのは、三十過ぎの時だったかと思う。最初ボンス・ライブラリの訳と次に古いフィロゾフィシェ・ビブリオテークのロルフェス訳で読んだ。それはとても分からぬものであった。然るに五十近くになって、俄にアリストテレスが自分に生きて来たように思われ、アリストテレスから多大の影響を受けた。私は思う、書物を読むということは、自分の思想がそこまで行かねばならない。一脈通ずるに至れば、暗夜に火を打つが如く、一時に全体が明となる。偉大な思想家の思想が自分のものとなる、そこにそれを理解したといい得るようである。私はしばしば若い人々にいうのであるが、偉大な思想家の書を読むには、その人の骨というようなものを掴まねばならない。そして多少とも自分がそれを使用し得るようにならなければならない。偉大な思想家には必ず骨というようなものがある。大なる彫刻家に鑿の骨、大なる画家には筆の骨があると同様である。骨のないような思想家の書は読むに足らない。顔真卿の書を学ぶといっても、字を形を真似するのではない。極最近でも、私はライプニッツの中に含まれていたたいせつなものを理解していなかったように思う。何十年前に一度ライプニッツを受用し得たと思っていたにもかかわらず。
 例えば、アリストテレスならアリストテレスに、物の見方考え方というものがある。そして彼自身の刀の使い方というものがある。それを多少とも手に入れれば、そう何処までも委しく読まなくとも、こういう問題は彼からは斯くも考えるであろうという如きことが予想せられるようになると思う。私は大体そういうような所を見当にしている。それで私は全集というものを有っていない。カントやヘーゲルの全集というものも有たない。無論私はそれで満足というのでもなく、また決してそういう方法を人にも勧めもせない。そういう読み方は真にその思想家の骨髄に達することができればよいが、然らざれば主観的な独断的な解釈に陥るを免れない。読書は何処までも言語のさきざきまで正確に綿密でなければならない。それはいうまでもなく万人の則るべき読書法に違いない。それかといってあまりにそういう方向にのみ走って、徒らに字句によって解釈し、その根柢に動いている生きものを掴まないというのも、膚浅な読書法といわなければならない。精密なようでかえって粗笨(ということもできるであろう。
 私は最初にいったように、覗くという方だから、雑読といわれるかも知れない。老いるに従って理解が鈍くなり、印象も浅く記憶が悪しくなり、一度読んだ本であっても、すぐその内容を忘れてしまうことが多い。それでもちょうど私の考えている所に結び附いて来る書物であると、非常にそれが面白いと思い頭に残るようである。私はこれまで殆ど人類学的な書物を読んだことがない。然るにこの夏マリノースやハリソンなどというものを読み、それらの人の考えている原始社会の構造というものが、私がローギシュ・オントロギシュに考えていたものと結び附き、自分の考が実証的に証明せられた如くに思い、面白く感じた。
 何人もいうことであり、いうまでもないことと思うが、私は一時代を画したような偉大な思想家、大きな思想の流の淵源となったような人の書いたものを読むべきだと思う。かかる思想家の思想が掴まるれば、その流派というようなものは、恰も蔓をたぐるように理解せられて行くのである。無論困難な思想家には多少の手引というものを要するが、単に概論的なものや末書的なものばかり多く読むのはよくないと思う。人は往々何々の本はむつかしいという。ただむつかしいのなら、何処までもぶつかって行くべきでないか。しかし偉大の思想の淵源となった人の書を読むといって、例えばプラトンさえ読めばそれでよいという如き考には同意することができない。ただ一つの思想を知るということは、思想というものを知らないというに同じい。特にそういう思想がどういう歴史的地盤において生じ、如何なる意義を有するかを知り置く必要があると思う。況して今日の如く、在来の思想が行詰まったかに考えられ、我々が何か新に踏み出さねばならぬと思う時代には尚更と思うのである。如何に偉大な思想家でも、一派の考が定まるということは、色々の可能の中の一つに定まることである。それが行詰まった時、それを越えることは、この方に進むことによってでなく、元に還って考えて見ることによらなければならない。如何にしてこういう方向に来たかということを。而してそういう意味においても、また思想の淵源をなした人の書いたものを読むべきだといい得る。多くの可能の中から或一つの方向を定めた人の書物から、他にこういう行方もあったということが示唆せられることがあるのであろう。(昭和十三年十一月)
    --西田幾多郎「読書」、『続思索と体験 「続思索と体験」以後』岩波文庫、1980年。

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大学の石神先生から頂戴した論集『西田幾太郎-自覚の哲学』(北樹出版、2001年)をやっと読了……遅くなりましてすいません……しましたので、ちょいと西田幾多郎(1870-1945)の著作がよみたくなり、西田の哲学的随想集を読んでいるところです。

同論集では、西田幾多郎の哲学を「自覚の哲学」として、そこに要を置いております。

西田の数々の論集のタイトルにもキーワードとして出てくるとおりのこともあり、たしかに西田においては、人間の「自覚」に人間の人間らしさが見いだされ、それは西洋における切り離されたアトム的個別の存在者とも趣の異なる、全体の中でのキツリツする精神の立ち上がりとしての「自覚」があるんだよなあ……などと感嘆した次第です。

このことは西田の弟子の西谷啓治(1900-1990)なんかも同じかも知れません。

さて、残念ながら、西田の「自覚」に関して詳論するほど、本日も余裕はないので、恐縮ですが、西田の随想集をぱらぱらとひもといていると有名な一文ですが、面白い読書論が掲載されておりましたので、ひとつ紹介しておきます。

仕事中に、細君からメールがあり、携帯を開いてみると、

「注文していたビール……わが家では月に1csだけ箱買してくれるのですが……が届いたから冷やしておきました!
 だけどミネラルウォーターは来週だった!!」

……とのことでしたが、帰宅してみると、ビールではなく、「その他の雑酒」とか「新ジャンル」と呼ばれるやつのようでして……。

宇治家参去、ビールをこよなく愛しておりますが、ただこの季節、ビールでも発泡酒でも新ジャンルでもなんでもいいのですが、きんきんに冷えていればそれだけでありがたい!というもので、駆け付け3杯ほど呷った次第です。

そしてビールと同様不可欠なのが「ミネラル・ウォーター」なのですが、届いていないと言うことなので、仕事が終わると、それだけは購入して帰りましたが、来週の配達日までの分、自弁してでもゲットしないとまずいわな……などと思った次第です。

ここ15年来、水は「ミネラル・ウォーター」しかやっておらず、いわゆる水道水がだめでして……とわいえここ10年で水道水の味わいも一変しましたが……コーヒー飲むのも、お茶を煎れるのも、製氷するのも「」のついた水ばかりで慣れているので、これだけは変えることが出来ず、貧乏なくせにそこだけは譲れなくなってきて家計を圧迫する?次第です。

とわいえ、二日酔いで起きがけ、これまたきんきんに冷えた、「ミネラル・ウォーター」をぐいっっとやるとキリリと目が冴えるのが不思議です。

そしてそのあとの一服が格別でして……。

……って例の如く引用文と関わりのない余談が多すぎたようですね。

とりあえずしゅわしゅわ系のアルコール消毒が済み、リフレッシュしたところですので、このへんでがつんとした思い奴を頂戴しながら沈没します。

なかなか生産的なことができず忸怩たるところなのですが、なにぶん、まさに時間が無く、市井の職場の5連勤がようやく済んで本日より2連休なのですが、本日は、〆切がデットラインに近づきつつある論文をまとめ、翌日は博士論文で必要な文献を国会図書館に行ってコピーしてこようと思っていたのですが、翌日はちょいと北区・足立区へ野暮用ができましたので、本日起きてから二日分の仕事をするほかありません。

いゃ~ア、まったく休みなのに休みがなく、毎年1本以上論文も書いているのですが、なかなか反映されず、てめぇ畜生!ってエア・パンチをくり出しているのですが、マア、エア・パンチを出せるってことは、腕の筋力が低下しないよう、天からの恩寵なのだろうと……と思いつつ、合掌。

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みずから考え、みずから判断する力を持った市民は、もはや思想上の付和雷同に陥ることもなく、また思想統制などに屈することもない。

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 わたくしはわが国民がもともと真理探求の精神を持たない国民だとは思わない。また認識能力、思考能力を持たない国民だとも思わない。感情の動きが思惟よりも強く、従って合理的に着実に考えを進めるよりも直観的な把捉の方を喜ぶという傾向はあるにしても、なお道理を尚ひ、合理的な思考を重んずるという傾向も、決して弱くはないのである。戦国の武士のなかには、その争闘の体験のなかから結局合理的思惟の最も重んずべきことを悟った多胡辰敬(たごときたか)のような人もある。キリシタンの宣教師たちは、日本人が合理的な説明を非常に強く要求したことを語っている。もしそのころから日本人がヨーロッパ文明に接触し、近代の学問の目ざめや、その画期的な業績を目のあたりに経験したのであったなば、近代の自然科学を発達せしめた根本の動力はわが国民のなかにも順当に育って行ったであろう。しかるにわが国民は、近代科学が目ざめたとたんに国を鎖し、その後三百年近い間の世界の学問の進歩の仲間はずれとなったのである。従って再び国を開いてヨーロッパの十九世紀文明に接した時には、その著しい進歩に眩惑され、順当の手続きをふんで追いつく努力をするというようなのんきなことはできないと感じた。ただ大急ぎで研究の成果をのみ取り入れ、その技術を習得するのが精一杯であった。だから機械を発明する力を養成しようとはせず、できあがった機械を輸入して、その使用法を学ぶのが学問とされた。それでもさしずめ間には合う。外形的には、ヨーロッパの文明に追いついたことになる。この努力の間に前述のような学問への功利的関心が支配するようになる。
 これは学問においてヨーロッパに追いついたということではない。学問の進歩は真理探究の活動の進歩、合理的な思考力の進歩、発明する力の進歩でなくてはならない。その根柢を培わず、ただ他所での研究の成果を輸入してそれを学問の進歩と考えたような限界の狭さが、ついにわが国民に未曾有の不幸をもたらしたのである。この機会にこそわが国民は、三百年の鎖国の深刻な意義を悟り、近代文明の根本動力たる学問的精神に心底から目ざめなくてはならぬ。それによって学問は「根のあるもの」、すなわちみずからの力によって生きるものとなり、大学は真に真理探究の場所となるであろう。
 が、それのみではない。学問が何らかの既成の知識、あるいは指示された公式を「覚える」ことではなく、みずから考える力を養うことである、というきわめて簡単な原則が国民の間に沁み込んで行けば、それによって教育は全般的に改まるであろうし、国民の日常生活も政治生活も面目を新たにするであろう。みずから考え、みずから判断する力を持った市民は、もはや思想上の付和雷同に陥ることもなく、また思想統制などに屈することもない。そういう市民に対しては、作為的宣伝は、左であると右であるとを問わず、無効に帰するであろう。そしてただ作為的宣伝を行う扇動政治家への不信のみが結果するであろう。その時政治家は、事実を正直に発表するのが最もよき宣伝であることを理解し、誠実な政治を行なうに至るであろう。そのように、学問精神の徹底は、実践の場における真理の支配をも実現し得るのである。そういう状態のために国民は、永い意志をもって努力しなくてはならぬ。
    --和辻哲郎『倫理学 (四)』岩波文庫、2007年。

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ようやく、「近代日本最大の体系的哲学書」と称される和辻哲郎(1889-1960)の『倫理学』(原本は3分冊、21世紀になって文庫版化されたものは4分冊)の3度目の読了が完了です。

日本の代表的な思想家の文脈で対比するならば、実のところ、和辻は、西田幾多郎(1870-1945)や三木清(1897-1945)なんかに比べると、すこし「軽そう」--などと思ってもいましたし、実際に読む中で、「やっぱ、重厚ぢゃないんだよな」--などと一人合点していたものですが、三度も読み直すと、「いや待て、そうではない」などと新たな発見に酔いしれる宇治家参去です。

思えば、もともと和辻哲郎は、文芸批評や評論を学生時代から手がけていたわけですから、文章としては、生え抜きの学問従事者にくらべると、すこぶる読みやすいわけです。そこにひとつの落とし穴があったのだろうと思います。たしかに、読んでおりますと、つまづくことなく、すらすらと読んでいくことができるのですが、これまで、まさに読み「流して」しまったことに気づき、今回は途中からまた最初にもどり、1年ほどかけて丁寧に読み直すことができ、ひとつの収穫へと結実したのではないだろうかと思います。

また豊富な傍証、すなわち、東西の古典を渉猟し、哲学のみならず、人類学、社会学、地理学など当時の最先端の学知を統合し、倫理学を論じ、そのなかで、和辻倫理学と評される要の部分、すなわち、ひととひととの間柄関係、そして人間存在の基本構造と共同体論、歴史哲学による垂直な時間論的省察と、人文地理学に基づく独自の風土論による横断的な空間論的省察には、まさに驚かされるばかりであり、まさにこのような「大著」はこれからも著されることはないのかも……?などと思うことしばしばです。

さて、この和辻の『倫理学』は、都合12年かけて全体が完成します。原著は3分冊ですが、上巻が1937年、中巻が1942年、そして敗戦を挟み、1949年に下巻が刊行されます。

この上中下でまさに温度差が存在します。
私見になりますが、戦前に刊行された上巻では「世界と日本」(対峙)という気負いが強く、戦中の中巻では「日本」(優越)が、そして下巻では「世界のなかでの日本」(調和)という意識が濃厚です。

確かに、和辻の議論は『倫理学』に限らず、戦前の議論では、「本朝の人文学は本家のヨーロッパを乗り越えたのでは?」(普遍と個の対峙)という感覚が強く、戦中には「日本意識」(普遍を超克する個)が強烈に全面に出てきますが、敗戦を挟んでからは、日本の自閉的文化、そして海外の文物の機械的受容の契機となった鎖国を論じた、まんまの『鎖国』(初版は1950年)という著作にみられる問題意識にみられるように、「全体のなかでの個」(普遍と相即的に調和する個)というふうに議論が変貌しているように思われます。

しかし、読み直すと実感しますが、これは決して「転向」ではないように思われます。和辻倫理学の基本構造である人間観はまったくぶれていません。

すなわち、人間とはアトム化した個人ではア・プリオリでは存在し得ず、意識するせよしないにせよ、人間は共同存在的な個人であり、つねに「間柄」の関係のなかに実態として存在するというところです。

和辻自身、「オールドリベラリスト」と極端な左右から揶揄されましたが、和辻のスタイルには「オールド」もへったくれもなかったのではないのかと読み直すなかで、実感という次第で……。結局は「極左」と「極右」が人間を論じていながら人間をみておらず、抽象的に構造論を論じていただけに過ぎず、和辻としては、リアルな現実的な感覚から人間を論じていたのではなかったか……おそまつながら、そう思う次第です。

ちょうど引用した部分は、『倫理学』の末尾の一節からです。

さすがに「わが国民が……」という言いまわしには、「オールド」な部分の面目躍如という嫌いもなくはないですが、鎖国をふまえたうえで、提示される和辻の学問論、大学論、そして真理論には、目を見張るばかりでありあります。

そして末尾の一節……

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学問が何らかの既成の知識、あるいは指示された公式を「覚える」ことではなく、みずから考える力を養うことである、というきわめて簡単な原則が国民の間に沁み込んで行けば、それによって教育は全般的に改まるであろうし、国民の日常生活も政治生活も面目を新たにするであろう。みずから考え、みずから判断する力を持った市民は、もはや思想上の付和雷同に陥ることもなく、また思想統制などに屈することもない。そういう市民に対しては、作為的宣伝は、左であると右であるとを問わず、無効に帰するであろう。そしてただ作為的宣伝を行う扇動政治家への不信のみが結果するであろう。その時政治家は、事実を正直に発表するのが最もよき宣伝であることを理解し、誠実な政治を行なうに至るであろう。そのように、学問精神の徹底は、実践の場における真理の支配をも実現し得るのである。そういう状態のために国民は、永い意志をもって努力しなくてはならぬ。
    --和辻、前掲書。

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しびれますねえ。
ちょうど60年前に刊行された著作の終盤の一節ですが、果たしていまはどうなのでしょうかねえ。
自己自身の精神構造を点検しつつ、学問の本源的な力を、リアルなものへと展開してみたいとおもう昨今です。

で……、
さすがに連勤最後の火曜日もレ地獄(レジ地獄のこと)になるだろうとは予想しなかったのですが、やっぱり痛風もちには、立ちっぱなしはきついですね。

ということで、新発売の限定醸造『ヱビス超長期熟成2009』(SAPPORO)を早速ゲット(6/3発売)しましたので、足の痛みをこれによって和らげつつ、鯨飲して、沈没しますです。

このコクのある色合いがタマリマセン!

http://www.yebisubar.jp/jyukusei/index.html

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アルゲマイネ・ビルドゥング(Allgemeine Bildung 一般教養)

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◇ 和辻哲郎「『倫理学概論』開講の辞」(〔昭和十二年四月十九日〕東大二十九番教室)。

 私は今こそ先生商売をしておるが、初めはこんなこと、予想もしなかった。いつのまにか先生になってしまっていた。それは多分、東洋大学に招かれて「日本倫理思想」を講義したのが、振出しであったと思う。
 大体、私は、中学のときは、シェリーだのバイロンだの、英詩を愛読して、将来、詩人になろうと思っていた(笑声)。そのうち一高に入って、いろいろするうちに、今度は戯曲が面白く、芝居が好きになって、ドラマチストになろう、脚本を書こう、などと考えていた。
 三年か、二年の終り頃か、大学に入るのに、一体、何をやったら良かろうか、と迷っているとき、先輩に魚住折蘆(うおずみせつろ)という大へん我の強い男がいて、なんでもかんでも、哲学科に入らにゃいかん、哲学はアルゲマイネ・ビルドゥング(Allgemeine Bildung 一般教養)だから、何をやるにもまず哲学を修めてからのことだ、という。哲学はアルゲマイネ・ビルドゥングゆえ、哲学専攻などということは、ありえないわけですナ。その魚住に影響されて、とにかく哲学へ入ったには入ったが、別に何をしようという当てもなかった。
 当時は、なんでもかんでも西洋崇拝で、私なども西洋かぶれで、ニイチェなどが面白く、あればかり読んでいました。他人が何をやろうと、何が流行しようとかまわずに、ニイチェばかり暮していた。あまり学校へは出ず、勉強もしなかったので、私は諸君に、「勉強しろ」という資格がない。
 大学出てからも、原稿など書いて暮していましたが、そのうち、子どもの死の機(おり)に、フト仏像に心を牽(ひ)かれてから、日本の古典を調べてみると、なんと日本のものも満更(まんざら)ではない。それまで西洋崇拝だった眼で見ても、われわれの祖先は、それに劣らぬ仕事をしている。捨てたものでない、どころか、立派なものである。
 それから急に、日本の昔のことが知りたくて、いろいろ研究し、書いたりしているうちに、あれが日本のことをやっているから、ひとつ日本思想の講義をさせようじゃないか、というわけで東洋大学に招かれたり、法政大学で教えたりした。
 いつぞやは、永平寺の坊さんが、私を御飯に招待してくれたりした。
 とにかく、もしわれわれの仕事を凌駕する力量の士が現われるとすれば、(と大教室を見廻して)それはこの中から現われるのですから、諸君は「後生恐ルベシ」の後生であるわけです……。
    --勝部真長『和辻倫理学ノート』(東京書籍、昭和五十四年)。
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来週から新学期が始まります。
月曜から授業開始なので、本日はその仕込みを少々。

そういえば、干した布団を引き入れていると、鉢の花が咲いていました。

で……。
上に引用したのは、倫理学者・和辻哲郎の「『倫理学概論』開講の辞」です。
新学期、初めて履修する学生に対して語った言葉です。

こういう感じで、話はじめられるとよいのですが、そうもいかないので、例の如くユルく語り始めると思います。

さて、上の文章を読んだのは、大学2年生のころだったかと思いますが、いわゆる「アルゲマイネ・ビルドゥング(Allgemeine Bildung 一般教養)」としての“哲学”について考えさせられたものです。

和辻曰く、「哲学はアルゲマイネ・ビルドゥングゆえ、哲学専攻などということは、ありえないわけですナ」です。

前時代的かも知れませんが、全ての学問を統括する諸学の王としての哲学の存在意義、人間をビルドゥング(育成)するものとしての教養の意義が語られているように思えます。
「一般教養」といえば、ふつう“パンキョウ”と蔑称され、とりあえず、履修しておかなくてはならない“つまらない科目”というイメージが、自分も含めてありますが、そもそもそうではなかったということでしょう。

一般とは、英語で、general。
generalとは、“一般”という意味だけでなく、軍隊で言う“将軍(将官)”の意味があります。専門科目とはいわば、その将官の手足となって働く実務系の部下。将官は、専門のすべてを熟知・網羅しているわけではありませんが、そうした人材を使いこなし、作戦を練り、すべてを統括していく役割です。

そうした意味合いで一般教養なるものは、タコツボ化した専門性を惑溺することを避けつつ、専門性を活かすための幅広い人間の知恵として存在したものだと思います。

そうであるとすれば、本来的には、一般教養とは、専門に進む前の人格形成における最良の道標であったはず。

気合いを入れ直して、一般教養の講義に取り組む必要がありますナ。

とにかく、「もしわれわれの仕事を凌駕する力量の士が現われるとすれば、(と大教室を見廻して)それはこの中から現われるのですから、諸君は「後生恐ルベシ」の後生」を育てる授業にしていきましょう。

とりあえず今日、息子さんが義母につれられて東京へ到着。
夜はひとしきり話して、細君に叱られて爆睡。
わたしも一杯飲んで寝ます。

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「学問とは探求的な間柄」

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どうも宇治家参去です。

実は、昨日かなり飲んだので、今日は辞めとこうと思っていたのですが、市井の職場のバイト君が今日(3/22)で最終回なので、業務終了後、飲みに行ってしまった……。

二日酔いでレジを3時間ぐらい打たされていたので、今日はきつい内容でした。

さて……。
彼とはちょうど1年のつき合いです。
よくがんばりました。
頭わるいです。
だけど良いヤツです。
バンドで、そして音楽で人生を切り開こうと目指している快男児です。
だけど、ちょと訛りがきついです。
だけど、仕事は三人前の熱血漢です。
これで終わりではない。
新しい出発だと自覚する。

そうした彼と1年間、まさに同じ釜の飯を食うようなつき合いをしていたが、そのなかでいつも思うことがあった。

人間は、学校や教室や、書物との対話だけで「学」んでいるのではないのだと。
もちろん、学校や教室や書物は、そのひとに知識を授けてくれる。
しかし、知識が知識で留まる限り、それは自分自身の知恵にはならない。
知識を知恵に変換させるのは人間しかいない。
そう、感覚的ですが実感しています。

人間が人間と向かい合う。
そして人間が自然と向かい合う。
そして人間が社会と向かい合う。

その渦中で、知識を知恵に転換させる疾風怒濤が渦巻いている。

そんな実感です。

そういえば、和辻哲郎が主著『倫理学』で面白いことを書いていた。

最後にひとつ。

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 方法の問題において我々がまず顧慮しておかなくてはならないことは、総じて学問すなわち「問うこと」がすでに人間の存在に属することである。元来「学」とは「まねぶこと」「模倣すること」を意味した。すなわちすでに為し得る他の人についてその仕方を習得することである。それは第一に作用、行為であってノエーマ的な知識ではない。第二にそれは他の人との間に行われるのであって孤立人の観照ではない。学が特に知識に関する場合でも、すでにできあがった知識を単に受け取って覚え込むのは学ぶことではない。学ぶのは考え方を習得して自ら考え得るに至ることである。だからこの際ノエーマ的契機を抜き去ってノエーシス的契機にのみ即するならば、学とは人と人との間の面授面受の関係であるとも言い得られる。同様にまた「問う」とは訪(とぶら)いたずねることである。人を訪ねる、人を訪(と)う、というごとき行為的連関において、その人に安否を問うというごときことが行われる。安否を問うのはその人の存在の有りさまを問うのであり、従ってその人を問うことにほかならぬ。このような間柄の表現が問いの根源的な意味である。間柄においては相互の気分が共同の関心事であり、従って相互の間柄そのものが両者の間に置かれるのである。さらに共同の関心は間柄において見いださるるさまざまの道具に向かう。従って道具について何事かが問われる。その「こと」は問う者と問われる者との間にある。従って問いは間柄において共同に存在する。ことの意味を問うに至っても依然として同じである。かく見れば学問も問いも「人間」の行動であって孤立人の観照ではない。学問とは探求的な間柄である。探求せられる「こと」は人間の間柄に公共的に存する。すなわち問いは根本的に「人間の問い」なのである。
    --和辻哲郎『倫理学 (一)』(岩波文庫、2007年)。
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「人と人との間の面授面受」を大切にしたいです。
友が来るのを待つのでなく、こちらから「訪(とぶら)いたずねること」を大切にしたいです。

「学問とは探求的な間柄」だからだ。

そして……
「探求せられる「こと」は人間の間柄に公共的に存する」からだ。

〆張鶴はやっぱりウマイ。
旬のアスパラベーコンが最高です。

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