哲学・倫理学(日本)

幻滅して徹底的な極端に走ってみるとか(怖

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 ワイマール共和国がヒトラーによって崩壊したのは、ナチスの突撃隊の蛮行もさることながら、まだ磐石ではないワイマール体制を進んで守ろうとする者がほとんどいなかったからである。共産党と社会民主党は非難の応酬に忙しく、ナチスの驚異がどれほど深刻なものか、十分に理解することができなかった。
 大正デモクラシーも、擁護者は少なかった。すでに一九一六年の時点で吉野作造は、著作の中で、日本の知識人には普通選挙の意義を理解できていない者が多いと指摘している。それどころか、現実には多くの知識人が普通選挙に猛反対していた。ドイツでも知識人が何人もワイマール体制に幻滅したように、日本人も民主主義に低俗・堕落・利己主義・腐敗を見たのである。その結果、ある者は急進的な反自由主義へ走り、ある者は病的なほど徹底した内省へと向かった。また反自由主義から内省へ向かう者や、その逆の道をたどる者もいた。
 二十世紀前半の日本で最も影響力のあった哲学者は、西田幾多郎である。仏教思想とドイツ観念論を深く研究していた西田は、新たに日本人独特の思考様式を明らかにしようと試みた。日本らしさの神髄を求める西田の取り組みは、ドイツ観念論の日本版といえよう。その成果は、近代日本の所産の例に漏れず和洋折衷で、禅思想にヘーゲルとニーチェを混ぜ合わせ、さらに弟子の手を借りてハイデッガーを加えたものとなった。西田哲学の基本は、主観と客観の融合にある。そこでカギとなるのが、理性に妨害される前の直接経験だ。これは、仏教の悟りとヘーゲルの「絶対精神」を合わせたようなものである。直接経験において個人は集団と合一しているという。
 こうした思想は、京都帝国大学の教室の中で学問的に論ずるだけであれば何の問題もなかっただろう。しかし現実は違った。一九三七年、文部省は有名な冊子『国体の本義』を刊行し、国民に「小我を捨てて」、自分たちの生命の源を「天皇に仰ぎ奉る」よう説いた。さらに同所には、日本人は精神の純粋さにおいて他のどの国よりも優れており、「西洋諸国に於ける所謂人民と全くその本性を異にしてゐる」と書かれている。政治的害毒に満ちた文書だが、これなどはまさに西田哲学の主観を日本国民、客観を天皇に置き換えて両者の合一を説くのに利用した一例と言える。
    --イアン・ブルマ(小林朋則訳)『近代日本の誕生』講談社、2006年、93-95頁。

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ちょいと、忙しく言及できないのですが、メモだけ少し。

結局の所、別にはナチスは今存在しないけれども、批判ではなく非難の応酬に忙しいと碌なことはないね、ということがひとつ。

それから吉野作造(1878-1933)への言及があったので、抜き書きしたわけですが、イアン・ブルマ(Ian Buruma,1951-)が描写する通り、体制への幻滅=どのような無茶をやってもいいわけじゃなし、その結果はこれまた碌なことがないね、ということがふたつめ。

最後は、西田哲学の暴力性の簡潔なまとめ。

よく突いていると思います。

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時は永遠の今の自己限定として到る所に消え、到る所に生まれるのである、故に時は各の瞬間において永遠の今に接するのである

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 私は現在私が何を考え、何を思うのか知るのみならず、昨日何を考え、何を思うたかをも直ぐに想起することができる。昨日の我と今日の我とは直接に結合すると考えられるのである。これに反し、私は他人が何を考え、何を思うかを知ることはできない。他人と私とは言語とか文字とかいうごときいわゆる表現を通じて相理解するのである。私と汝とは直に直結することはできない、唯外界を通じて相結合すると考えられるのである。我々は身体によって物の世界に属し、音とか形とかいう物体現象を手段として相理解すると考えられるのである。しかし物体界とは如何なるものであるか。物体界というものも、我々の経験的内容と考えるものを時間、空間、因果の如き形式によって統一したものと考えることができる。内界と外界というものが本来相対立したものではなく、一つ世界の両面という如きものに過ぎない。両界は同じ材料から構成せられているのである。すべて実在的なるものは時に於てあると考えられ、時は実在の根本的形式と考えられる。内界と考えられるものも、外界と考えられるものも、それが実在的と考えられるかぎり、時の形式に当嵌ったものと考えられねばならぬ。然るに、時は現在が存在自身を限定するということから考えられるのである。而して現在が現在自身を限定するということを意味していなければならない。時は永遠の今の自己限定として到る所に消え、到る所に生まれるのである、故に時は各の瞬間において永遠の今に接するのである。時は一瞬一瞬に消え、一瞬一瞬に生まれるといってよい。非連続の連続として時というものが考えられるのである。時というものが斯くして考えられるとするならば、時は斯くの瞬間においても二つの意味において永遠の今に接すると考える事ができる。永遠の今と考えられるものは、一面においては絶対に時を否定する死の面と考えられるとともに、一面においては絶対に時を肯定する生の面と考えられねばならない。時の限定の背後に永遠の死の面というものを置いて考える時、永遠なる物体の世界というものが考えられ、その背後に永遠の生の面というものを置いて考える時、永遠なる精神の世界というものが考えられるのである。内界と外界とは時の弁証法的限定の両方向に考えられる、永遠の今の両面に過ぎない。すべて具体的に有るものは弁証法的に自己自身を限定する、即ち時間的に自己自身を限定するのである。時に内外の別があるのではなく、時は固一つでなければならぬ。真の時は歴史時というべきものであり、具体的なる実在界は歴史的と考えることもできるであろう。
    --西田幾多郎「私と汝」、上田閑照編『西田幾多郎哲学論集I 場所・私と汝 他六篇』岩波文庫、1987年。

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西田幾多郎(1870-1945)研究がなかなかすすまないのですが、進めざるをえませんので、後期の論文集と格闘しております。

基本的にはカント(Immanuel Kant,1724-1804))の『純粋理性批判』で展開された「時間、空間、因果の如き形式によって統一」されているうえのでの知覚・認識の原理から叙述がスタートするのですが、一頁もすぎると、矛盾的自己同一を説く西田独自の哲学論へと転回されているようです。

好き嫌いの問題はありますが、哲学者としては、やはり日本では稀有な存在なのだと思わざるをえません。

「時は永遠の今の自己限定として到る所に消え、到る所に生まれるのである、故に時は各の瞬間において永遠の今に接するのである。時は一瞬一瞬に消え、一瞬一瞬に生まれるといってよい。非連続の連続として時というものが考えられるのである」。

連続と非連続、限定と非限定なるものの接点を模索する西田の哲学は極めて難解ですが、読み応えもあり、秋の読書を堪能している宇治家参去です。

・・・って思っておりますと、世の中は、三連休のようでした。

しらずに土日は仕事をしており、勤労感謝の日の本日は、大学での講義ということで、ふつうのひとびととの意識の連続というよりも、時に対する感覚としては、その非連続を感じざるを得ません。

が・・・、
本日のキャンパスは快晴で、休みの所為でしょうか、、、散策される来客者もそれなりに多く、なんとなくにぎやかです。

その意味では、人間はほかの人間と「連続」しているよりも、「非連続」の「連続」ぐらいがちょうどいいのかもしれません。

一定の枠組みによって連続しているよりも、ゆるやかにつながるぐらいのほうが、いいとでもいえばいいのでしょうか。

そのあたりを思念しつつ、、「時」だけにかぎらず、どちらかに一方に重心をおくのではなく、「肯定」と「否定」の弁証法的関係のただなかで、やっていくほうがよいのかもしれません。

・・・ということで、早めに学食にてランチをいただきましたが、本日は照り焼丼セット。

きつねうどんに小さな照り焼丼をつけたセットメニューです。

天気があまりにもいいので、テラスで頂戴しましたが、晴れているとはいえぼちぼち寒い時期ですので、これぐらいのホットメニューでちょうどいいという感じです。

ただ・・・

失敗したな!というのは、隣の美術館が通常ですと月曜休館日なのですが、今週は祝日とのバッティングで月曜開館・火曜休館でした。

もうすこし早めに出勤して美術館へいくべきでした。

がっくし!!

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大正時代瞥見(1)

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大正時代瞥見(1)

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 人間の凡ての活動の中で芸術上の活動ほど特殊性に依頼する活動はないと云っていい。芸術上の製作は全然芸術家の特殊な性惰と修練とが生み出す者であらねばならぬ。芸術家が自己の性惰と修練とに疑惑を生じ、破綻を見出し、欠陥を感ずるが最後、その人の製作はその瞬間から向下して価値を失って行く。それは信仰を生命とする人が信仰の対象を見失った時と全く同じ結果に陥る。そこには最早生命の燃焼がなく、その人も死に、神も亦死ぬ。
 如何なる芸術家も如上の一事を念頭から離れさしてはならぬ。又離れさすことが出来ない。彼等は、若し僅かな自覚だにあれば、自分の生命がどんな釘に垂れ下げられねばならぬかを知っている。自分の生命、即ちその制作を、自分の特殊な性惰と修練との結合点に見出さねばならぬと云うことを知っている。
    有島武郎「大なる健全性へ」、『惜しみなく愛は奪う --有島武郎評論集-- 』(新潮文庫、平成12年)。

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「生まれ変われるとしたらどの時代に生まれ変わりたいか」などと聞かれた場合は、たいてい日本に於けるそれの場合は、「平安時代」か「大正時代」と答えることにしております。もちろん、現実はエアコンのない時代ですので「生まれ変わり」たくは全くありませんが、思考実験としては、そのどちからの時代に心惹かれる部分があります。戦間期への憧憬とでもいえばいいのでしょうか。

さて吉野作造(1878-1933)が活躍したのも大正時代であり、周知の通り「大正デモクラシー」の旗手として華々しく活動したのもその折りです。日露戦争集結に伴うポーツマス講和条約締結に対する反対運動が爆発した日比谷焼討事件に、実は「大正デモクラシー」の潮流は開始されますので、時代としては先行スタートしておりますが、日露戦争を経て、「世界の一等国」の意識のもとで、デモクラシー以外にも、様々な思想潮流が一挙に溢れ出してくるのが、まさに大正時代であります。

※もっとも各論者が指摘するとおり、「内にデモクラシー、外に帝国主義」という大正デモクラシーの限界を指摘するのはたやすいのですが、その時代におけるコンテクストをふまえた場合、そうも言い切れない部分は厳然と存在すると宇治家参去は思っております。

さて……、
明治がおわり、大正にはいると社会が比較的安定していくなかで、政治としてはデモクラシーの発想が一大潮流となってくる。そして、日比谷焼き討ち事件や米騒動、そして普通選挙の高まりと、護憲運動……。明治に比べると、はるかに自由な雰囲気が生み出された時代になったきたわけですが、そのなかで、「個人の自覚と教養を高め、近代的な自己を確立すること」がひとびとの大きな関心になってきます。
漱石・夏目金之助の小説をひもとくまでもなく、まさに「自我」(個人の自覚)とは何か、そしてそれを高めるにはどのようにすればよいのか、そういう課題がひとびとの間で大きな問題となった時代であると思えます。そこで探究された問題とは何か。これも大ざっぱな言い方をするならば、「自我の解放はどのようにして可能になるのか(外なる制度としての封建的なシステムに対して、自由な自己を確立するにはどのようにすればよいのか)」という問題です。おもえば、明治後半、藤村操という旧制一高の学生が、「萬有の真相は唯だ一言にして悉す、曰く『不可解』」との言葉を残して、華厳滝で入水自殺を行いましたが、まさに「自我」とか「個人」の「煩悶」を象徴する出来事だったのでしょう。
※当時はこれがマスコミ知識人の間で哲学的議論の対象となったのですが、実のところは失恋が原因のようですが、それはそれでまさに、「個人の問題」が哲学的な考察の対象となったという意味では、まさに事件なのだと思います。

話がそれましたが、そうした時代意識のなかで、大きなムーブメントとなってくるのが、「大正教養主義」とよばれる一大思潮です。キーワードとしてピックアップするならば、「生命」主義、「人格」主義、そして生命や人格を薫育するものとしての「修養」主義と「教養」主義という発想です。

自己の当体である「生命」を向上させる教養、そして(宗教的な)修養、このふたつのアプローチが特徴的なのですが、両者に共通しているところは、やはり「実践的」という点なのではないかと思います。

ベルグソン(Henri-Louis Bergson,1859-1941)やウィリアム・ジェームズ(William James,1842-1910)から影響を受け、西田幾多郎(1970-1945)は日本で最初の哲学書と呼ばれる『善の研究』を著しますが、自己の人格の実現を最高の善として、その実現に宗教的な体験とか修養が必要であるという立場が貫かれておりますが、そうした発想もそのひとつなのでしょう。西田の場合、自身の参禅経験がヒントになっております。また国際派で知られるキリスト者新渡戸稲造(1862-1933)も朝晩の修養を大切にしたといわれております。

冒頭に引用した白樺派の有島武郎(1878-1923)や武者小路実篤(1885-1976)らの「新しき村」の運動も生命主義・人格主義の立場や、民衆に根差そうとするトルストイ(Lev Nikorajevich Tolstoj,1828-1910)の影響から、それを単なる理論におわらせるのではなく、理想的な共同体をこの地上に実現させよう……そうした善意の実践運動だったわけで、その成否はともかく、さまざまな理想や理念、発想をどう着陸させていくのか、ひとびとは思想と実践のなかで、まさに種々思考し実践していた時代だったのだろうと思います。

その意味で、大正時代の思想界・文学界にはいわば、新しい可能性が含まれていた時代の空気があったのではなかろうかと思います。そこに惹かれる部分があるわけですが。

もちろん、そうした時代の空気は、関東大震災を境にして、社会的な不均衡の増大、そして内外の時局の不安定化というながれのまえに、なし崩し的に霧散していきますが、その実験は確認してみる必要が厳然とあると思います。

……って、概論的な教科書的な叙述になってすいません。
明日から授業なので。
それがおわれば、もうすこし、個別の問題(例えば、生命主義、人格主義、教養主義の問題)にはいって行ければと思います。

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道は邇きに在り

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とにかく、和辻哲郎の文章は、流暢で、読み手を読ませます。
たとえば……

 今日は雨の中をピサ見物に行って来た。ヨーロッパの北の方ではあまり経験しなかったが、イタリアへくると、たまには日本らしい雨が降る。今日などはそれで、相当びしょびしょしている。しかしピサでは、中央寺院や墓地を見ればまずそれでよい、というわけで、雨の中を行って来たのである。
    --和辻哲郎『イタリア古寺巡礼』(岩波文庫、1991年)。

とても戦前の文体には思えません。この和辻哲郎に一番、惑溺したが、ちょうど大学3年生のころだったと思う。はじめに、『風土』を、つぎに『古寺巡礼』、そして『人間の学としての倫理学』--。そういう流れでやたらに読みふけった記憶があり、古い版だが、神田の古本屋で岩波版の全集を買い求め、あらかた読みつくしたものである。

だが、ぷっつりと読まなくなった。

なぜか?

当時の私には、和辻倫理学の焦点がいまひとつピンとこず、「当たり前の論説に過ぎない」と退けたからだ。
難解な言語を駆使した華々しいフランス現代思想に魅力を感じたのもこの頃のことである。。
以後、大学で倫理学を講じるようになるまで、和辻を紐解くことはなかった……。

今思うと厚顔のいたりである。

では、なぜピンとこなかったのか--。
和辻の文章は確かに読みやすい。しかも古今東西の古典を渉猟しつつも、最新の学知を統合する手法で、倫理や文化を語るわけですが、その読みやすさに甘えてしまい、そこでかたられる、たとえば「倫理とは何か」、「ethicsとは何か」--等々、そうした部分があまりにも生活に立脚した普段の言葉遣いで語られているがために、かえって見過ごしてしまい、ピンとこなかったわけである。

孟子の言葉に次の一節がある。

道は近きにあり、然るに人これを遠きに求む。事は易きにあり、然るに人これを難きに求む。
    --孟子(小林勝人校註)「離婁上」、『孟子』(岩波文庫、1968年)。

人はともすれば、大切なもの、価値あるものが身近にあるとはなかなか思えず、それらをどこか遠方に求めてしまう。思えば、和辻を読みふけった、独り暮らし学生時代とは、どこか生活のにおいのない、勝手気ままな生活だったと思う。朝まで本を読んでいたかと思えば、夕方まで寝たり、徹夜で学校へいくかと思えば、バイトで授業を欠席したり--。
そこには、人間の生の生活は存在しない。ゆえに、生活を冷静に見直しながら、あるべき根本理法を追求した和辻の言説が、どこかちっぽけにみえ、真理とは、どこか遠くの、すばらしい世界に存在するのでは--なんて思ってみたりしたものである。

まさに、近すぎて見えなかったのだ。

さて、この孟子のコトバを、和辻哲郎は、『倫理学』の「序言」の末尾で引いている。

倫理そのものは倫理学書の中にではなくして人間の存在自身の内にある。倫理学はかかる倫理を自覚する努力に他ならない。道は邇(ちか)きに在りとは誠に至言である。
    --和辻哲郎『倫理学 (一)』(岩波文庫、2007年)。

倫理学はかかる倫理を自覚する努力--なかなかいい言い方ですね。

さて、熱が下がらないのでとっと寝ます。

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困ったなア

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倫理問題の場所は孤立的個人の意識にではなくしてまさに人と人との間柄にある。だから倫理学は人間の学なのである。人と人との間柄の問題としてでなくては行為の善悪も義務も責任も徳も真に解くことができない。しかも我々はこのことを最も手近に、今ここで我々が問題としている「倫理」という概念自身において明らかにすることができるのである。
    --和辻哲郎『倫理学(一)』(岩波文庫、2007年)。

午前中は、和辻哲郎の大著『倫理学』をぱらぱらとめくっていましたが、軽漂浮薄な出版が多い中、こうしたまともな作品が、読みやすい文庫として刊行されるという事態は、まだまだ日本の出版界もすてたものじゃないのかななどと思ってみたりもします。

和辻は、共同存在としての人間を律する「根本理法」としての倫理学の方法を考究しましたが、いくら読んでも頭に入ってこない。

どうやら風邪をひいたらしい。

これから仕事なのに、熱が下がらず、げふげふです。

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苦労を笑い飛ばす


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浮世をただよう宇治家参去です。
きのうは、市井の職場の忘年会。
わいわいがやがやとのべつくまなく集まって騒ぐ忘年会というよりも、自分のチームの宴会といったほうがよいでしょうか--たった三名ですが、たのしい宴席を行いました。

忘年会とは、ものの本よれば、「その年の苦労を忘れるために年末に催す宴会」(『大辞林』(三省堂))だそうな。

冬の味覚に舌鼓をうちつつ、「苦労を忘れるため」の宴会といよりも「苦労を笑い飛ばす」宴会で、それぞれが、自分の飛躍を期す酒席となりましたチャップリンがヒトラーを笑い飛ばしたようなウィットで。そこには創造が存在する。


わかいヒトと飲むのは楽しく愉快でよい(自分もわかいつもりですが)。

細君によく叱られますが、どうも学生時代のノリ、学生気分が抜け出さぬ宇治家参去ですが、気がつくと、6合飲んでいた。

まだまだいけますね。

さて、さいごにひとつ。このところ三木清を読み直しているので。



伝統は元来超越的であると同時に内在的であるのである。身体のうちに沈んだ伝統はただ我々の創造を通じてのみ、新しい形の形成においてのみ、復活することができる。創造が伝統を生かし得る唯一の道である。
    --三木清『哲学ノート』(新潮文庫、昭和32年)。

忘年会ひとつとってみても、それが、酒で何ものかを忘れるための宴席であった場合、たんなる、くだらない伝統にすぎない。しかし、そこから、明日への創造と飛躍が可能であれば、創造が伝統を生かす酒席となるのでああろう。

さ、今日もこれからもう1席。
ウコンのチカラでがんばります。



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「哲学者の資質」

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 昨日からクリスマスイブまで世間では、三連休……。
 毎年の事ながら、年末は忙しく、宇治家参去は、市井の仕事が三連勤。
 別にどうということはありませんが、今日は、あまり忙しくなく、すこしダレてしまいました。ま、こういう一日があってもよかろうかと思いますが、すこし反省です。

 昨日、三木清の文章を紹介しましたので、その話の続きでも……。
『人生論ノート』や『哲学ノート』は壮年の三木が綴った名著ですが、本日紹介するのは、青年時代の三木が書いた哲学エッセー『語られざる哲学』から。
 末尾に「--千九百十九年七月十七日  東京の西郊中野にて脱稿」とあるとおり、大正8年の夏、青年・三木が記した内面の記録です。
 虚栄心、利己心、傲慢心の三つを排して、素直な心で、自己確立をめざす三木の語りに、引き込まれる一冊です。

さて--
本書の中盤で、三木は哲学者の資質について次のように指摘しております。

 ……私は真の哲学者の資格として次の二点を上げても間違ってはいないだろう。第一、論理的思索力の鋭さと強さ。第二、永遠なるものに対する情熱の清さと深さ。このことと関係して私が哲学者と呼ばれておる人間を三つの型に分つとしても必ずしも虚妄として退けられないであろうと思う。すなわち頭のよい哲学者、魂の秀でた哲学者、および真に偉大なる哲学者がそれである。第一の型の人々を一体哲学者と呼んでいいのかどうか私は知らない。なぜなら彼らは真の哲学者の資格として私があげた第一の条件としての論理的思索力の鋭さと深さについて、単に鋭さを示すのみであって深さをもっていないからである。学校の秀才といわれるものの特質を担ったいわゆる講壇的哲学者には頭があっても魂がない。そして深さは、それが論理的、概念的に関係しておる場合においてさえ、いつでも魂に本(もと)ずいておるからである。彼らは声高く教えようとする、彼らは堆(うずたか)き文献を作ろうとする。論理の巧妙と引証の該博と討究の周到とは彼らが得意気に人に誇示するところである。しかし惜しいことには彼らにはそれらの秀れたるものを統一して生かしまた深める魂が欠けている。いわば彼らには積極的がない。彼らは人の驚きを買うことができても人の愛を得て感動せしめることができない。ファウストがワグネルを喩(さと)したそのままの言葉がちょうど適当であるのが彼らの哲学である。

 Doch werdet ihr nie Herz zu Herzen schaffen,
 Wenn es euch nicht von Herzen geht.

 (どうせ君の肺腑から出た事でなくては、
  人の肺腑に徹するものではない。)
    (ゲーテ『ファウスト』第一部五四四-五 森林太郎訳 岩波文庫)

(中略)
 真に偉大なる哲学者とは、私が上にあげた二つの条件を円満にして高き程度の調和において兼ね具えた人に与えられるべき名である。彼の厳密な概念の間には永遠なるものに対する無限の情熱が蔵(かく)されている。彼の明るい論理の根柢には見透すことのできない意志がある。永遠なるものの希求に殆んど無意識に悩んでいる彼の意志は限りない闇と憂鬱との海を彼の奥底に湛(たた)えておる。けれどもその闇は絶対の無ではなく積極的なるもに発展すべき運命を有するものとしての否定である。その憂鬱はもたざるものの憂鬱でなく生まねばならぬものの憂鬱である。
    --三木清『語れざる哲学』(講談社学術文庫、1977年)。

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 三木によれば哲学者に必要な資質とは、すなわち、①論理的思索力の鋭さと強さ、②永遠なるものに対する情熱の清さと深さ、である。ただし、これを「円満にして高き程度の調和において兼ね具えた人」は皆無に等しく、現状は、三木が資質の紹介に続けて、批判しているとおりで、どれかだけを持ち合わせ、それに自ら酔ったようなあり方の哲学者(哲学・学者)がほとんどです。しかし、そうしたあり方では「正しく、よく、美しく生きること」は不可能である。なぜなら「秀れたるものを統一して生かしまた深める魂が欠けている」から。

 魂(心)に十分配慮しつつも、秀でた学識を兼ね備える--。たしかに大変なことですが、そうすることにより、ソクラテスやプラトン、そしてカントがそうであったように、優れた本物の哲学者になることができる--三木の語りを読み直すたびにそう思います。
 また、(宇治家参去さん自身は、たいした哲学者でもなく、たんなる駆け出しの学問の文筆者に過ぎませんが)、この一節をいつも自分の自戒としています。わかりやすく、かつ、自分の肺腑から出た言葉でものを書き、大学の授業も間断なき飛翔をめざすがごとく、高めていきたいものです。

 また、読み直すたびに感じるのは、このことは哲学者だけに限られた問題、資質ではないということです。哲学者であろうが、小説家であろうが、そして、市井の現場でそれぞれ生き抜いているひとびとであろうが、ひとしく当てはまる道理ではないでしょうか。
 ともあれ、謙虚に学びつつも、情熱の清さと深さを磨きながら、生きていきたいものです。

 さて、ぼちぼち、こうした、書き殴りの駄文を書き始めて4ヶ月ちかく経過しました。もともとの遅筆を直す目的で始めましたが、ひとつひとつの日記も、単なる言葉や本の紹介だけでにすませることなく、「どうせ君の肺腑から出た事でなくては、人の肺腑に徹するものではない」(ゲーテ)のようにしたいものですね。

その意味で言えば、酔っぱらって書いていたり、憤慨して書き殴っている時のことばに本音がでているのでしょうかね?

最後に、ちなみにですが、三木が引用している『ファウスト』の訳は森林太郎、すなわち森鴎外訳の『ファウスト』です。手元に森訳がありませんが、同じ箇所の邦訳を、すこし前半部分から一つ紹介しておきます。

  ワーグナー
だが、私どものように研究室に閉じこめられていて、
世間を見るのもたまに休日ぐらいのもので、
しかも望遠鏡で、ただ遠くからというような場合、
どうしたら弁論の力で世人を指導することができるでしょうか。
  ファウスト
それは君が心から感じていて、自然と肺腑から迸(ほとばし)り、
底力のある興味でもって、
すべての聴衆の心をぐいぐいと引摺るのでなければ、
君のいう目的は達せられまいね。
まあ相変らず坐りこんでいたまえ。そして膠(にかわ)で継接(つぎはぎ)細工をしたり、
他人のご馳走を寄せ集めてごった煮をつくったり、
君自身の灰を掻寄せた中から、
心細い火でも吹き起こしたりするんだな。
それでも子供や猿どもを関心させることはできよう、
そんなことが君のお気に叶えばだね。
けれども、本当に君の肺腑から出たものでない以上、
心から人を動かすということはできないものさ。
    --ゲーテ(相良守峯訳)『ファウスト 第一部』(岩波文庫、1958年)。

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「ディレッタントとは区別される創造的な芸術家」

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 生活を楽しむことを知らねばならぬ。「生活術」というのはそれ以外のものでない。それは技術であり、徳である。どこまでも物の中にいてしかも物に対して自律的であるということがあらゆる技術の本質である。生活の技術も同様である。どこまでも生活の中にいてしかも生活を超えるということによって生活を楽しむということは可能である。(中略)
 生活を楽しむ者はリアリストでなければならぬ。しかしそのリアリズムは技術のリアリズムでなければならない。即ち生活の技術の尖端にはつねにイマジネーションがなければならない。あらゆる小さな事柄に至るまで、工夫と発明が必要である。しかも忘れてならないのは、発見は単に手段の発明に止まらないで、目的の発明でなければならぬということである。第一級の発明は、いわゆる技術においても、新しい技術的手段の発明であると共に新しい技術的目的の発明であった。真に生活を楽しむには、生活において発明的であること、とりわけ新しい生活意欲を発明することが大切である。
 エピキュリアンというのは生活の芸術におけるディレッタントである。真に生活を楽しむ者はディレッタントとは区別される創造的な芸術家である。
    --三木清『人生論ノート』(新潮文庫、昭和29年)。

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「真に生活を楽しむ者はディレッタントとは区別される創造的な芸術家である」--。
うまいことを言いますねぇ、むかしの人は。
この文章を綴ったのは哲学者、社会評論家として知られる三木清です。
むかしの学生さん、すなわち、私の父親の世代や、その上の祖父母の世代のひとびとが学生時代には、この三木清をよく読んだそうですが、いまの学生さんたちは読むのでしょうか。

この三木ですが、1930年、マルクス主義への関わりから、検挙され、アカデミズムから干されてしまいますので、市井の文筆家としてしのがざるを得なくなりました。ですので、比較的こなれた読みやすい文章も多く残しております。ときおり、紐解くと新しい発見があり、面白いものですので、興味のある方は是非。

さて、冒頭で、三木が語っているとおり、「生活を楽しむことを知らねばならぬ」と痛感する毎日です。学問の仕事は比較的、毎回毎回発見と学びがあり、ダレる部分がほとんど無く、緊張感に圧倒されているのが現実ですが、市井の仕事やふだんの生活がその反動としてか、ルーティーン化され、彩りを失いつつあるように思えて他なりません。

もちろん、ルーティーン化されてよい部分は、それで良いのですが、生活や仕事の中で、何かを“工夫”、“発明”し、物に対して自律的である、あり方を最近、こころがけていないような気がしましたので、再び三木の著作を紐解いた次第です。

「生活を楽しむ者はリアリストでなければならぬ」--。
日常生活とは、一面において、たしかに、永遠に続く繰り返しのあり方です。しかし、その一面をリアルに見直しす中で、かたちとしては、おなじ課題を繰りかえしたとしても、ビミョウに違う、ものとの関係、自分自身との関係、そしてひととのよりよい関係がでてくるのかなと思ったりします。

お金をかければ、だれでもディレッタント的に、それなりに生活を楽しむことはできるのでしょうが、そうではなく、「ディレッタントとは区別される創造的な芸術家」として、自分の生活を見直し、組み立て直し、生きていきたいと思う宇治家参去でした。

そういえば、うちの子供も、毎日、ルーティーンワークとして、ウルトラマンのDVDを見たり、絵本をみたり、怪獣と遊んだりしています。しかし、どうやら、その様子を眺めてみると、動きとしては昨日と同じようですが、彼にそれとなく訊いてみると、毎日がリアルに前日は違うようです。

何かそこにヒントでもあるのでしょうかね?

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明治の叫び

Huku

Nakae

さてさて、一寸、古い文体で始めましょうかね。

わが日本古(いにしえ)より今に至るまで哲学なし。本居篤胤(もとおりあつたね)の徒は古陵(こりょう)を探り、古辞を修むる一種の考古家に過ぎず、天地性命の理に至ては瞢焉(ぼうえん)たり。仁斎祖来の徒、経説につき新意を出せしことあるも、要、経学者たるのみ。ただ仏教僧中創意を発して、開山作仏の効を遂げたるものなきにあらざるも、これ終に宗教家範囲の事にて、純然たる哲学にあらず。近日は加藤某(ぼう)、井上某(それ)、自ら標榜して哲学家と為し、世人もまたあるいはこれを許すといへども、その実は己れが学習せし所の泰西某々の論説をそのままに輸入し、いはゆる崑崙(こんろん)に箇(こ)の棗(なつめ)を呑めるもの、哲学者と称するに足らず。それ哲学の効いまだ必ずしも人耳目に較著(こうちょ)なるものにあらず、即ち貿易の順逆、金融の緩漫、工商業の振不振等、哲学において何の関係なきに似たるも、そもそも国に哲学なき、あたかも床の間に懸物(かけもの)なきが如く、その国の品位を劣にするは免るべからず。カントやデカルトや実に独仏の誇なり、二国床の間の懸物なり、二国人民の品位において自ら関係なきを得ず、これ閑是非(かんぜひ)にして閑是非にあらず。哲学なき人民は、何事を為すも深遠の意なくして、浅薄を免れず。
    --中江兆民『一年有半・続一年有半』(岩波文庫、1995年)。

官を慕い官を頼み、官を恐れ官に諂(へつら)い、毫(ごう)も独立の丹心を発露する者なくして(中略)日本には唯政府ありて未だ国民あらずと云うも可なり。
    --福澤諭吉『学問のすゝめ』(岩波文庫、1978年)。

哲学するとは、自分で考えることである。
人間の生き方や考え方を規定し、社会をかたちづくる見取り図――それが哲学である。
人間は哲学が無くても“生きてはいける”--。
しかし、その生き方や判断、問題解決方法は、場当たり的となり、歴史的にも、おおむね“まともな判断”ができなくなってしまうケースが多くある。
哲学なき人間、哲学なき社会とは、船長のいない船のようなものであり、羅針盤のない、舟である。
否、<幸福>という目的にたどり着くことのできぬ永遠の旅である--。
人間とは本来「哲学する動物」である。みずからの人間性を放棄するのでもない限り、哲学を拒否することはできない。しかし、歴史上、哲学を無視した人間や社会は存在し、様々な問題点を露呈し、惨禍をまねいてきた。そのひとつが近代日本の歩みがそれである。
高校三年の秋、上に引用した二つの言葉に出会わなければ哲学とか倫理学とか、宗教学などという学問に巡り会うことはなかったと思う。

因習深い田舎に育ち、その濃密な人間関係に辟易したものだが、それは場所がかわったり、ひとりになったとしても全く変わらない。自分自身の内面を見つめ直し、考え、行動し、統御しない限り、一切変わらない。

そんなことをこのことばから考えさせれた18年前の初冬の夜でした。

“お上には逆らえない”
 “長いものには巻かれろ”
  “寄らば大樹のかげ”――。
日本の精神風土とは、権威へ崇拝と盲従、現状容認と独立心のなさに他ならない。長き伝統に培われ、それを意識することすら困難なほどの生きる様式(art of life)となっている……。

かつて、その卑屈な精神を撃ち、変革しようと苦心したのは、明治の啓蒙家たちである。いわゆる「官」(政府権力)と、「民」(民衆の権利)の争いがそれある。

福沢諭吉は重ねて言う。
日本国の歴史はなくして日本政府の歴史あるのみ
    --福沢諭吉、松沢弘陽校注『文明論之概略』(岩波文庫、1962年)。

いまだ日本には、いきているひとびとの歴史なんて存在しない、そこにあるのは、官報に記された政府と権力者の歴史だけである。
そう喝破した福沢諭吉の叫びは、さすがに的を射た言葉である。
くりかえすまでもなく、福沢が大学を創立する際など、「私立」の語に込めた思いは、「官」に対する「私」の独立――すなわち「独立した個人」の育成がその眼目であった。

それなくして“一人の時には弱く、集団になると強い”精神風土を引きずっていては、「徳川の世」、封建時代と同じではないか……。

独立した個人」を育むことの弱かった日本。それは、世界へ向かう姿にも、色濃く反映していると思う。

戦前は軍事が先に走り、その後を人間がついていった。戦後は経済の後を人間がついていった。いずれも、「集団」や「力」が先行しての進出<侵略>であり、「個人」つまり「人間」は“二の次”にされていた。これに比べて、ヨーロッパのひとびとなどは、是非はともかく、まず「個人」である。「個人」が世界に飛び込み、道を開く。自らの信念に従い、「個人」としての責任をとり、行動する--。
非常に残念なことだが、日本にあっては、そうした意志、人格、独立精神が、深く根付くことはなかった。

我邦人は利害に明にして理義に暗らし、事に従うことを好みて考うることを好まず
    --中江兆民『一年有半・続一年有半』(岩波文庫、1995年)。

「哲学」がなく「考えることが嫌い」なため、愚かなシステムにおとなしく従ってきたのだ、と中江兆民はいう。
――「哲学」なき人生は不幸である。
--「考えること」なき人は、惨めである。

しかし、彼等の叫びは抜本的に日本の精神風土を変えるにはいたらなかった。――その一例が権力の前に次々に“転向”していった、“大東亜戦争”での、文化人といわれる人々の姿であり、権力に迎合したマスコミであった。
そして今なお、「地位」「人気」「富」にとらわれ、“利害に明るく、理義に暗し”という無原則な生き方をしている人があまりに多く、まじめなに考える人が生きにくい世の中はそのまま続いている。

そろそろ、そういう時代から“卒業”したいものですね。

P1010819

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きわめて日本的でした……

Dr

「イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」(『マタイによる福音書』2:1-2)

イエスの誕生時にやってきてこれお拝んだとされる東方の三博士の登場シーンです。彼らはマリアとイエスを見て拝み、乳香、没薬、黄金を贈り物としてささげたと、聖書に記されています。

どうも宇治家参去です。

最初に、東方の三博士の登場シーンをマタイ伝から引用しましたが、夕方、東方の三博士に出会いました。

どこかって?

バス停ですよ、ハイ。

目の前の小学生のランドセルの名札入れに、「三博士来訪」の聖画(カード)が入っていました。おそらくミッションスクールに通う学生さんなんでしょう。

意味をしっているのかどうか分かりませんが、なんとなく、無性にほほえましくなりましたが……

その日、その時、そのほほえましさを裏切るアイテムが同伴していました。

カードの少し上の部分をみると「○○総社」と書かれたお守りが……。

きわめて日本的ですね。雑居していました……。

クリスチャンでもない、仏教徒でもない、日本教でした。

 (日本においては)むしろ過去は自覚的に対象化されて現在の中に「止揚」されていないからこそ、それはいわば背後から現在の中にすべりこむのである。思想が伝統として蓄積されないということと、「伝統」思想のズルズルべったりの無関連な潜入とは実は同じことの両面にすぎない。一定の時間的順序で入ってきたいろいろな思想が、ただ精神の内面における空間的配置をかえるだけで、いわば無時間的に併存する傾向をもつことによって、却ってそれらは歴史的な構造性を失ってしまう。

 新たなもの、本来異質的なものまでが過去との十全な対決なしにつぎつぎと摂取されるから、新たなものの勝利はおどろくほどに早い。過去は過去として自覚的に現在と向き合わずに傍らに押しやられ、あるいは下に沈降して意識から消え「忘却」されるので、それは時あって突如として「思い出」として噴出することになる。

 加藤周一は、日本文化を本質的に雑種文化と規定し、これを国粋的にあるいは西欧的に純粋化しようという過去の試みがいずれも失敗したことを説いて、むしろ雑種性から積極的な意味をひきだすよう提言されている。(中略)が、こと思想に関しては若干の補いを要するようである。
 (中略)私がこの文でしばしば精神的雑居という表現を用いたように、問題はむしろ異質的な思想が本当に「交」わらずにただ空間的に同時存在している点にある。多様な思想が内面的に交わるならば、そこから文字通り雑種という新たな個性が生まれることも期待できるが、ただ、いちゃついたり喧嘩したりしているのでは、せいぜい前述した不毛な論争が繰り返されるだけだろう。
    --丸山真男『日本の思想』(岩波新書、1961年)

異質な他者の雑居に創造性はない。
異質な他者同士の真摯な交わりにこそそれがあるのではなかろうかと思う宇治家参去でした。

P1020279

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