現代批評

但し此の浄福は外的なる力によつて彼に与へられるものではなく、彼自身、自らの手を以て、一にして永遠なるものを把捉せねばならぬ、と

01_img20091021

-----

 私は斯く考へる。人間は不幸に運命づけられたものではない。若しただ彼自身それを欲するならば、既に此の地上到る処に於て、又何時にても、平和、静寂、浄福を得ることが出来る。但し此の浄福は外的なる力によつて彼に与へられるものではなく、彼自身、自らの手を以て、一にして永遠なるものを把捉せねばならぬ、と。人間のすべての不幸の原因は、多様にして可変的なるものを追うて散乱してゐることである。浄福なる生の唯一絶対の条件は、深き愛と享受を以て、一にして永遠なるものを把捉することである。尤も、云ふ迄もなく、我々は此の一者を形像に於て把捉することが出来るのみであつて、我々自身、実際に於て一者となり、又一者に変ずることは出来ないのであるが。
--フィヒテ(高橋亘訳)『浄福なる生への指数』岩波文庫、1938年。

-----

どうも、連勤の続く宇治家参去です。

このところクレーム、トラブルなども久しくなく、仕事としては忙しいのは忙しいのですが、こころがこわれそうになることが少ないのが幸いです。

もちろん、会社という共同体における不条理なシステムとか発想に対して、パンチを繰り出してしまいそうな義憤は積み重なるものですが、この部分は、対自的案件とでも言えばいいのでしょうか。

営利企業としてのシステムとその一員としての問題ですので、そのあたりは、徹底的にすり合わせていく、改善していくしかありませんので、丁寧に処理していかざるを得ません。

それと同時に勃発する心が擦り切れそうになる案件が、クレームというものです。
ただこれは、いつ起こるのかというものが全く予測できない案件なのがいたいところです。しかも勃発してしまうと--これに関しても前述した対自的案件と同じく丁寧に処理していかざるを得ませんが--収まるまでに、前者以上に心が奪われてしまうのがチト難渋な部分ですので、そうした案件がこのところ久しくないというのは、ある意味ではありがたいものです。

--などと思っている矢先?
朝一番で会社から電話で店長に起こされた次第です。
昨日ちょいと勃発したクレーム(なのかしら?)……詳細は措きますが、お客様同士の喧嘩……の内容確認の電話で、起床予定時間よりも早く起きてしまいました。

内容は店長に報告した通りの状況なのですが、当事者から連絡があり、おっしゃる内容と立会い者の内容とのすり合わせなのですが……。

折り返し案件終了の連絡を頂き、問題なく終了するにはしたのでしたので、重ねてほっとした次第です。

こうした小売業にでもかかわることがなければ体験することのなかった問題なのですが、タツキをえるためには、どうになかるまでがんばらないといけない訳なのですが、強烈なのは、不可避的に人間の幅が「無理矢理」に「広げ」られてしまうということです。

こちら自身がこわれそうになってしまうのは否定しがたい事実ではあるのですが、それと同時に、かかわらなければ見えてこなかった問題というのも見えてくるようになったのも一つの事実ですから、その意味では、問題に直面し、人間の幅が「無理矢理」に「広げ」られてしまうことにより、内面もろもろが鍛えられるだけでなく、問題に冷静に向かい合う中で、フツーに生きていれば体験的でなかった貴重な体験を積むこともできるようになったという事実は、ありがたいと受け取るべきなのでしょう。

さてそのひとつを考えてみようと思うのですが、--そしてそれは、今回の事案に直接関連はしませんが--このところ事件と向かい合うなかで、ひとつ痛感するのが「ステレオタイプな世代論」が全く通用しなくなったということです。言い換えれば「ステレオタイプな世代論」というものは「賞味期限切れ」であるから「ステレオタイプ」であり、実は、それは議論としてはひとつの方向性を提示したものの、現実には古来より、現実を救いきれない概念化のひとつだったのではないだろうかと思うところです。

まわりくどい言い方をしましたが、その「ステレオタイプの世代論」とは何かと申しますと、要は「最近の○○は、~だ」というやつです。わかりやすく表現すれば、「最近の若者は・・・」とか「今の連中は・・・だ、昔にはなかった」的な状況描写とでもいえばわかりやすいでしょうか。

職場がGMSという業種になりますので、極端な話をしますと、0歳時から90歳(以上も含め)の、まさに「幅広い」「世代」の人と応対します。

うえの言い方をすれば、たとえば、「最近の若い者は、礼儀がなっておらん」的な復古主義的ディスクールというのが、いつの時代にも流通しているわけですが、はたしてそれは当を得ているのかと問うた場合、すべての問題をそのひとつのディスクールで片付けてしまうことが不可能になってしまったのではないだろうか、まさにうえに書いたとおりの幅広い世代の人々と接するなかで、そのことを痛感します。

と、同時に、復古主義的権威主義者でないしても、代々そうした見解にもまれた(=自分自身がそう批判され、そして年を取ると自分自身が他者に対して同じように批判する)知的伝統・精神風土の中に生きておりますので、その意味ではそうした見解が臆見(ドクサ)に過ぎないということを、肌で理解してしまいます。

たとえば、上では一番代表的な見解として「礼儀が~」とステレオタイプ化してみたわけですが、たしかにそうしたドクサから自分自身も自由であったことはないことは知っております。「昔の人間は~」「今の連中は~」という言い方でカテゴライズしてきたこともあります。

しかし、現実にはそうでもないのが事実です。

この商売とはある意味では、こちらがかかわるというよりも、相手から「かかわられてしまう」不思議な商売です。

そのなかで、年齢・世代、職種・性別、クラス、人種さまざまなひとびとと「かかわられて」しまいますと、若いから=礼儀がない、年配だから=礼儀がある、と言い切ることにはすこし抵抗がでてきます。
*もちろんいうまでもありませんが、これは年配者をないがしろにし、若輩者の権利回復を目論もうとする「新手」のネオ・復古主義のアンチズムなステレオタイプのディスクールを吐こうとしているわけではありませんので念のため。

要は、礼儀をふまえた人間は、世代に関わらず存在するということです。そしてそれとおなじくらい逆の場合も、世代に関わらず存在するということです。

そしてそのことは、礼儀だけの問題に限定されるわけではないということです。

「若いから○○だろう」
「年配者だから○○だろう」
「こんな感じだから××にちがいない」
「あいつは△△だ」

--と思っていると足元を掬われる経験ばかりです。

このひとは大丈夫だろう--そうした感じで接すると、間違いのないこともありますが、それと同時に、そうではなかった--とびびらされれてしまう瞬間も多々あります。

その意味では、人間は、人間対する判断・評価としてグルーピングしたような評価をもって全体を代表させてしまうアプローチをとってしまうと、どこかでその落とし穴にはまってしまうのかもしれません。

だからこそ「ステレオタイプ的な世代論」(そしてこの「世代論」の「世代」には「世代」以外の様々な言葉を等置することが可能でしょう)は「賞味起源切れ」であるだけでなく、はなから議論が成立しておらず、砂上の楼閣にきずかれた戦略的なイデオロギーに他ならないのかも知れません。

そのひとがそのひとに即してどうあるのか。

人間はこの部分から何かを学び、襟をただしていかないかぎり、同じ過ちや失敗に絶えず翻弄されつづけるのかもしれません。

そして、

そのひとがそのひとに即してどうあるのか。

これは他者に関する議論に収まらない問題です。否むしろ自己自身の問題なのかもしれません。

そのひとがそのひとに即してどうあるのか。

フィヒテ(Johann Gottlieb Fichte, 1762-1814)の言葉にでも耳を傾けながら省察したいものです。

02_img20091021 03_img_0967

無根拠への挑戦―フィヒテの自我哲学 Book 無根拠への挑戦―フィヒテの自我哲学

著者:瀬戸 一夫
販売元:勁草書房
Amazon.co.jpで詳細を確認する

フィヒテ論攷―フィヒテ知識学の歴史的原理的展開 Book フィヒテ論攷―フィヒテ知識学の歴史的原理的展開

著者:本田 敏雄
販売元:晃洋書房
Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (0) | トラックバック (0)

先ず生活それ自身の意義目的を確信するのでなければ、国家の意義は到底理解できない

01_img_0862

-----

 国家とは既完にして与へられたる既成品ではなくして、活ける人間の活ける営みに於いて、時々刻々その活けるいのちを展開しつゝある所の活動態である。即ち国家とは生活の名である。故に国家についての根本の問題は、生活に於いての根本問題である。(中略)……即ち先ず生活それ自身の意義目的を確信するのでなければ、国家の意義は到底理解できない。(中略)……然らば生活それ自身の意義目的、人生そのものゝ意義目的は何であるのか。この最も古く、最も基礎的にして、又それだけ最も忘れられ易き根本問題が、根本的に解決されるのでなければ、国家についての問題も終にほんたうには解決され得ない。さればこそ国家に関する基基礎づけ論の論理が、根抵を倫理に、更に一歩進めて宗教に置かざるを得なくなるのである。
    --三谷隆正「国家哲学」、『三谷隆正全集』第3巻、岩波書店、1965年。

-----

ちょうど金曜日に論文指導があり、指導教官の先生のもとを訪れてきましたが、車中、内村鑑三(1861-1930)門下のキリスト者・法学者・三谷隆正(1889-1944)の文章をひもといておりました。

吉野作造(1878-1933)よりちょうど一つ若い世代になるのですが、かれの抵抗の論理に共通しているところに目が見ひらかれるばかりです。

コミュニズムにみられる抵抗の論理とは、善悪二元論的「対峙」の「対決」型にその特徴をみてとることができるかと思いますが、実はこの論理、大変わかりやすい理論なのですが、現実の実行力を勘案した場合、なかなか成果の出せにくい点も併せ持つという落とし穴をかかえております。

要は敵(なるもの)と「対峙」し、「対決」構造を喧伝するというパターンですから、大変にわかりやすいのですが、現実的実行力に問題があるということでしょう。

それに対して、吉野作造とか三谷に見られる論理とは、一方的な「対峙」の「対決」型というスタイルをとりません。どちらかといえば、威勢いい勢力からは、「不徹底」とのレッテルをはりつづけられる評価なのですが、きちんとその言説を検討してみるならば、はたして彼等の議論が「不徹底」かどうか、疑問が出てくるのも事実です。

たしかに、あぶりだして「批判」することはありません。
しかし、よくよく読んでみますと、相手をも、こちらの議論にひきこみ「ふむふむ」と考えさせてしまう根源的な対話の精神をそこにみてとることのできるのでは……そう思われて他なりません。

「国家についての根本の問題は、生活に於いての根本問題である」

たしかにそうなんです。
その意味では国家「生活」の部分も大切ですが、その基礎となるパーソナルな「生活」も看過できない大問題です。

その意味では国家志向でもない、個人志向でもない、第3の極の提示といっても良いかも知れません。

そして続きます。

「……即ち先ず生活それ自身の意義目的を確信するのでなければ、国家の意義は到底理解できない」

なるほど……ね。

……というところです。

べつに三谷も吉野もそうなのですが、国家が先か、個人が先かそうした二者択一の議論には毛頭興味がありません。国家にせよ社会にせよ共同体にせよ、人間はなんらかの共同体から離れて生活することができません。その意味ではまさに大問題なのです。しかし、それとおなじくらい大問題なのは、何か……といった場合、やはりそれはひとりひとりの生活なのです。その両者が両者のために犠牲にならないためにはどのようにあるべきか。

……そこに議論が集約されていってるような気がします。

ですから、システムのあり方の問題、体制の如何の問題というのはおおきな問題ではありません。どちらかといえば、どのようなあり方、体制をとろうとも、そのなかでの幸福増進には現実的には何ができるのか……様々な人々との対話のなかで、そして信仰に基礎づけられた超越即内在の観点から、どこまでも現実態を相対化させながら、よりよき方向へスライドさせていく……その探求が吉野や三谷の実践にはあったのでは……おぼろげながらそう思う次第です。

たしかに、吉野の民本主義(これも数度議論が変遷しますが)に関していっても、そのシステム論は不完全です。主権の所在は問いませんので、「対峙」の「対決」型からはやはり「ものたりない」のでしょう。

批判することは簡単です。
しかし現実に、どうスライドさせていくのか……そちらは荊の道にならざるを得ません。その辺の消息を無視して現代の視点から議論してしまうと、……読み方を誤ってしまうのでは……そう思います。

いずれにしても三谷にせよ、吉野にせよ、「対峙」の「対決」型が指摘する敵(なるもの)すらも「敵」ではないのでしょう。かれらもひとしく人間であるならば、対話を重ねながら、納得をお互いに目指すところで、……それが妥協と評されようとも……、現実を変革していく……それを目指していた歩みだろうと思われてしまいます。

その意味では対話の「脱構築」型と表現しても良いかも知れません。

……というわけで?

この論文ツアーに出かけると、必ずよるのが「笠置そば」となります。

本川越駅(西武新宿線)で降りてから、東武東上線の川越市駅まで歩くのですが、その道中にあるので、手近で利用しておりますが、今回は、満員でしたので、スルーしてしまいました。

ここでそのまま食の探求をスルーしてしまうと、宇治家参去らしさがなくなってしまうというものですから、前々から気になっていた、ちょうどその「笠置そば」の裏手にあります「焙煎RA-MENかれんと 川越らーめん」(川越市駅店)にてネクタイをゆるめた次第です。

注文したのは、「焼豚焙煎醤油ラーメン」です。

食通をきどるわけではありませんが、ラーメンも結構たべていると自負するぶぶんがありますが、この「焙煎」なるものははじめてです。全国的に「焙煎」系がひろまりつつありますが、ここは関東なので、醤油で頂戴した次第です。

焙煎ですから「スープ」の材料とか薬味が焙煎されているようで……

蓮華をつっこんで、すすってみますと……

「香ばしい」

……正直な感想です。

ものの10分も経たない時間でしょうか。

最後の一滴まで頂戴した次第です。

汁の色合いからしますと、

「これ、醤油か?」

……と思いますが、

味わいはしっかりと、「醤油」なのですが、実に「香ばしい」味わいです。

焼豚がちょい固めかな、と思う程度で、しっかりした太麺との愛称もよく、さわやかな一杯を頂戴した次第です。

店の看板ラーメンは「黒ゴマ坦々麺」のようですので、次回、挑戦してみようかと思います。

「生活に於いての根本問題」を丁寧に探求したひとときでございます。

何故なら「先ず生活それ自身の意義目的を確信するのでなければ、国家の意義は到底理解できない」わけですから。

02_img_0867 03_img_0869

店内は、居酒屋さんを思わせるたたずまいで、トッピング素材を中心に、かんたんなおつまみメニューも充実してい、かるくいっぺえやるにもよさげな雰囲気です。

04_img_0864

| | コメント (0) | トラックバック (0)

而して小児のように建てる時にも崩す時にも同じ興味の中にありたいと願う

01_img_0765

-----

 価値固定論の考える所に従えば、価値標準は凡ての自己の背後に厳存しているのだ。縦令自己と所縁とがいかに交渉しようとも、その価値を評定する者はこの既存の標準に依るのだ。即ち引いて自己の固定制と所縁の固定性とを肯定することによってのみ成り立つ所信である。然し私達は自己及び所縁の固定性を全く信ずる事が出来ないものである。ベルグソンがいったように自己も所縁も不休の変化と拡大とを経験しているものである。従って自己の背後に実在的価値標準が厳存するとしても自己がその価値標準に対する関係は瞬時も同一ではあり得ないのだ。その関係が同一であり得ない以上、どうしてその価値標準と自己との間の価値標準が恒久不変であり得ようぞ。かくの如くして価値標準の主体は自己に還って来ねばならない。
    --有島武郎「価値の否定と個体の移動」、『有島武郎評論集 惜みなく愛は奪う』新潮文庫、平成十二年。

-----

ものごとと向かいあう中で、ものごとはこういうものだろうと考え、ないしはこうあるべきだろうと思ったりすることが日常生活の中では多々存在しますが、そうした通念と事態が一致する瞬間もあれば、そうした通念が打破される局面も存在します。そしてどちらかといえば、後者の方が多いのでは……そう思うある日の宇治家参去です。

ちょい昨日は、息子殿の運動会で、「こどもとはこうだろう」という憶測を肯定する瞬間と、その逆に、それを打破してくれる局面に遭遇するなかで、たしかに価値が固定的に見えなくもはないものの、どちらかといえば、「自己及び所縁の固定性を全く信ずる事が出来ない」ほうが現実の生活世界のなかではどちらかとえいば、多いのでは……つくづくとそう感じた次第です。

もちろん、価値が固定的なものではないにしても、その対極にある、極限まで故知的なものを主体の問題に完全に還元してしまうのにも気が引けるのは事実ですが、「こうだろう」というドクサを破壊しつつも、「オレが掟だ」式に、個々の主体が万物の尺度へと転化してしまう部分もさけつつ、確認しながら、歩いていくしかないのか……そう思われて他なりません。

昨日は、幼稚園最後の運動会でしたので、義母(息子殿からすると祖母)もいらしており、済んでからちょいと一息入れて、べーカリーレストラン「サンマルク」にて、ディナーのコースを頂いてきました。

通常ですと、ビール2杯、ワイン1本ぐらいいっちゃうわけですが、どうしたわけでしょうか……。

ビール2杯、ワイン1本というのがまちがいもなく「そうだろう」「こうだろう」という所与の想定なのですが、昨日は不思議なモノで、エーデルピルス1本で済んでしまいました。

もちろんかえってから、その分程度は飲みましたが、疲れていたのかも知れません。

ということで前掲書からつづきの一節。

-----

 約言すれば私達はレヤリストの立場にあろうとするものだ。私達は自己以外には固定的な殿堂を子孫に遺そうとはしない。生命以外のものを仮象若くは徴象と見る。だから私達は建てては崩し、建てては崩しする小児のようだ。而して小児のように建てる時にも崩す時にも同じ興味の中にありたいと願う。
    --有島、前掲書。

-----

人間とは不思議なモノで、「こうだろう」と思って物事にむきあったときで、「こうだろう」と違った場合、否定的な感情に包み込まれる瞬間のほうが現実には多いわけですが、あまりにもそれに引きずられてしまいますと、身動きというものが取れなくなってしまうのがその実情です。

であるならば、「小児のように建てる時にも崩す時にも同じ興味の中にありたいと願う」方が、「価値」的かもしれぬと思うある日の宇治家参去でした。

02_img_0802

04_img_0803 03_img_0801_2

死と飛躍・有島武郎の青春 死と飛躍・有島武郎の青春

販売元:楽天ブックス
楽天市場で詳細を確認する

| | コメント (0) | トラックバック (0)

無強制の状態に至らんが為めの我々の努力に無限に附き纏ふもの

01_img_0471
-----

 無強制の儘では社会の秩序を維持せらるゝといふ理想的状態が永久に達せられない以上、而も社会には一定の秩序を律するの必要ある以上、今日進歩発展の途中に於て、我々には即ち未だ理想的状態にまで達しない不完全なる我々に取つては、社会の一員として我々の生活を規律する為めに、此にどうしても国家的規範が要る。而して国家的規範の重もなるものは、道徳、風俗、習慣、其の他色々のものがあるが、其の外に我々の団体生活を外部的統制する一つの仕組みが必要である、即ち強制組織が必要である。此の我々の団体生活が強制組織に依つて統制せらるゝ方面を、即ち国家生活といふのである。政治とは畢竟此の統制の現象をいふに外ならない。
 斯う考へて見れば、我々の団体生活の理想は即ち最後の理想は、無強制の状態である。けれども現実の団体生活に於ては、どうしても強制が必要である。そこで我々の国家生活又は政治生活は、無強制の状態に至らんが為めの我々の努力に無限に附き纏ふものであつて、言はゞ此の国家生活又は政治生活の無限の継続の上に、我々は無強制の状態を求めなければならない。故に理想的の意味に於ては、我々の国家生活は第二次的のものである。けれども現実の生活に於ては、我々の国家生活は第一次的のものと謂つて宜い。此の関係を適当に了解せずして、唯だ今日の強制組織が必要だといふ方面のみを取れば、即ち偏狭なる国家主義となる。国家が大事だ、強制組織が大事だ、否な統制組織其のものが総てだといふ処からして、其の統制組織其のものゝ為めに、一切万事を切り盛りする所から、調度医者が病人の多からんことを望み、坊主が死人の多からんことを欲すると同一の状態を来たす。例へば軍隊は何の為に要るか、畢竟社会の為めに要る。之を忘れて軍隊が必要だといふことのみを考ふれば、軍隊の為めに社会の利益を犠牲に供し、時には軍隊精神の鼓舞作興と称して、無益に社会の平和を蹂躙せんとするに至ることもある。我々は現実に於て国家的強制組織の必要を此処まで高調されないけれども、それは我々の理想から云へば、畢竟第二次的のものであつて、此の点に於て所謂無政府主義者の説く所には、亦一面の真理あることを忘れてはならない。唯だ従来の無政府主義は、此の畢竟理想を語る所のものをば、我々の生活の中に面のあたり実現が出来ると考へた点に重大な誤謬がある。
    --吉野作造「国家と教会」、『新人』一九一九年九月。

-----

関東大震災(1923)の折り、陸軍や憲兵隊の一部には、その混乱に乗じて社会主義や自由主義の指導者を一掃しようとする動きがあり、実際にはアナキストの大杉栄(1885-1923)らは虐殺されてしまったわけですが、そうした対象者の一人としてリストアップされていたのがクリスチャンデモクラットの吉野作造(1878-1933)であります。

現実には、吉野はその暴挙から免れることができましたが、吉野の言説をよくよく読んでいると、マア、これは当時の世の中であればかなり踏み込んだ発言をしているよな、ということも理解できます。

戦後民主主義が興隆するなかで、吉野作造を初めとする大正時代のデモクラットの言説は、戦間期にかぼそくひらいた徒花的現象にすぎない、とその理論的限界を指摘する趣が顕著ですが、はたしてそれが総てなのだろうか……読み直すたびその問題を突きつけられてしまいます。

例えば、国家観の問題ひとつをとってみても、吉野の卓越性が理解できるというものです。当時の大多数のひとびとが、国家を何かできあがったシステム、普遍・不動の原理、不敗せざる神話によって基礎づけられてた構築物と見て、いわば国家それ自体が自己目的化されるべきとの論調が殆どでしたが……残念ながら今でもその傾向は見え隠れしますが……、吉野によれば、国家とは何か神話とか伝統に依拠した不壊不敗の原理でもなければ自己目的でもなく、自己完結するものでもありません。

それはどこまでいっても絶えずあり方の更新が必然的に要請される「人工物」にすぎません。、B.アンダーソン(Benedict Richard O'Gorman Anderson,1936-)のいう「想像の共同体」ということでしょう。

吉野は国家を永遠不滅の理想とみることなく、時間的にも空間的にも相対的な「地の国」にすぎないと論じておりますが、体制補完構造の日本で、そうした言い方をするのはかなり勇気が必要とされたわけなのですが、堂々と言い切るところには、実に驚かされてしまいます。

吉野は、国家とかシステムとか政治とか、そうした人為のものを、絶対化・目的化することを徹底的に拒み続けたわけですが、おそらくそうした「地の国」の出来事を相対化させるキリスト教信仰に基づく「神の国」の理想をどこまでも、地上に実現せしめていこう……という強い意志があったからではないだろうか……などと思われてしまうわけですが。

だからこそ、吉野においては、国家のシステムとか体制のあり方がどうのこうのというよりも、そもそもそれらが虚仮威しに過ぎないものであるとすれば、虚仮威しのシステムを「利用」してまでも、民衆の幸福増進出来るものへ脱構築していく方が価値的ではないか……そのために何ができるのか……それを模索した歩みのように思われて他なりません。
だからこそ主権の所在がどうのこうのよりも、現実の目の前にいる人間ひとりひとりに視点をあわせた現実論を「神の国」の理想との相関関係から語り続けたのかも知れません。

このところ屢々吉野の文章ばかり読んでいたのですが、そのあたりを思った次第です。

さて……
昨日仕事をしていて実感したのですが、何本かこれまでも論文を書いておりますが、最近発覚したことがひとつ。

だいたい紀要とか学術雑誌掲載系の論文は40-50枚程度の規定が多いのですが、40-50枚程度が実は一番難しいのではないかということです。

自分の場合(自分だけではないと思うのですが)、本論に言及するために予備的考察を2-3やってから本論へ繋ぐというパターンが多いのですが、それをやりはじめると、100-150枚とかになってしまいます。

逆に言えば、長ければ長いほうが楽なのかもしれません。

それでも規定がありますので、ぢゃあどうそれを割愛するのか……というのが大問題で、いつもそれに頭を悩ませております。ばっさり割愛したところと全体との調整とでもいえばいいのでしょうか。

それができないと、だいたい「その1」とか「その2」でやっちゃうのですが、受けとる側は、「その1」とか「その2」ではなく、別々のものとして出してくれって傾向が強く、例の如く今回も悩みつつ、組み立てなおしていると、どうやら100枚超えそうで……。

ちょいと、ざっくり割愛して、本論の中に「議論するための前段階の議論」を織り込んでいく必要がありそうです。

書くことよりも、この構成の方が難しいですね。

……というところで?
昨日は黒ビール「東京ブラック」((株)ヤッホー・ブルーイング)をやりましたが、久し振りに本格的エール・ビールの黒を堪能させていただきました。

夏場よりも秋とか春にこそ「黒ビール」と思うわけですが、エール・ビールならではの華やかな香りと深いコクの「ブラック」の味わいには、ひさしぶりに目が開かれた次第です。

02p02l 03_img_0493

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「いやしくも二本の脚で歩くもの、それはすべて敵である。いやしくも四本の脚で歩くもの、あるいは翼をもつもの、それはすべての味方である」

01_img_0296

-----

 「みなさん」と、ナポレオンは最後にいった。「わたくしに、さっきと同じ乾杯を、ただし、形をちがえてやらせていただきたい、と思います。コップになみなみとついでください。それでは、みなさん、『荘園農場』の発展を祈って、乾杯!」
 さっきと同じ盛んなかっさいが起こり、コップは一滴も残さずにのみ干された。しかし屋外(そと)の動物たちは、その光景を眺めているうちに、なんだか変てこなことが起こっているような気がしてきた。豚たちの顔の中で、変化したのは、何だったのだろうか? クローバーの老けてかすんだ目が、顔から顔へと次第に移っていった。その中には、五つもくびれたあごもあれば、四つくぶれたあごもある。また三つのあごもあるのだった。しかし、しだいにとけて、形を変えていくように見えるのは、なんだろうか? やがて、拍手かっさいが終わると、一同はトランプを取り上げ、中断していたゲームをつづけた。そして、動物たちは、だまって、こっそりその場を離れた。
 しかし、二十ヤードもいかないうちに、彼らはいきなり立ち止まった。農場住宅から、どっとあがる騒々しい叫び声が聞こえてきたのだ。動物たちは、駆けもどって、また窓からのぞいてみた。思った通り、ものすごい大喧嘩が始まっていた。わめき立てる声や、テーブルをドンドンたたく音がしたかと思うと、にくしみをこめた、うさんくさそうな視線がとびかい、相手の言葉を打ち消す、騒々しい怒罵の叫びがあがった。喧嘩のもとは、ナポレオンとピルキントン氏が、同時にスペードのエースを出したことらしかった。
 十二の怒声があがっていたが、その声はみんな同じだった。豚の顔に何が起こったのかは、もう疑いの余地もなかった。屋外の動物たちは、豚から人間へ、また、人間から豚へ目を移し、もう一度、豚から人間へ目を移した。しかし、もう、どちらがどちらか、さっぱり見分けがつかなくなっていたのだった。
    --ジョージ・オーウェル(高畠文夫訳)『動物農場』角川文庫、昭和四七年。

-----

無性にジョージ・オーウェル(George Orwell,1903-1950)の『動物農場』(ANIMAL FARM)が読みたくなり、再度ひもとく宇治家参去です。

預言的風刺文学に関してオーウェルの右に出るものはいないとつくづく思うわけですが、この『動物農場』もまたしかりでございまして、もともとはロシア革命を諷刺し、社会主義的ファシズムを痛罵する「現代のイソップ物語」といわれた逸品ですが、読み直すたびにまさにこれは「現代のイソップ物語」だよな、……と思われて他なりません。

話の筋は次の通りです。

どこにでもある農場が舞台です。イギリスのとある郊外の『荘園農場』……。
人間にいいように酷使されている動物たちが、ある日決起をします。
老豚をリーダーに反乱を起こした動物たちは、人間を追放します。
そして「すべての動物が平等な」理想社会を建設します。

その社会(農場)は『荘園農場』から『動物農場』へと名を変えて……。

しかし、指導者となった前衛である豚たちは権力をほしいままにし、動物たちは、人間に酷使されていた『荘園農場』時代よりもひどい生活に苦しむことになります。

反革命とのレッテルを貼られるが最後、支配者が人間の時代よりも血腥い時代へと転換する農場……。

決起のときに檄文に次の言葉があったそうな。

「いやしくも二本の脚で歩くもの、それはすべて敵である。いやしくも四本の脚で歩くもの、あるいは翼をもつもの、それはすべての味方である」

最後に指導階級である豚たちは二本の脚で歩き始め……、

いったい人間とは何だかなと思った9月16日でございます。

作中独裁者として描かれている雄豚・ナポレオンはスターリン(Joseph Stalin,1878-1953)。

歴史はおなじかたちで繰り返さないことは承知です。
おなじテーマであっても形をかえて現出するというのが精確な謂いでしょう。

ナポレオンもスターリンもでてはこないのでしょうが……。

ポピュリズムで片づけることのできない何か、違和感・胃痛を感じるのは宇治家参去ただひとりではないでしょう。

ということで……?
シーズン初の「湯豆腐」でいっぺえやってねます。

02_georgeorwell 03_img_0258

動物農場 (角川文庫) Book 動物農場 (角川文庫)

著者:ジョージ・オーウェル,George Orwell
販売元:角川書店
Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (0) | トラックバック (0)

教養とは、我々が我々一個の利益の為に求めざるべからざる財物でなくして、他に仕へる為め、人を愛する為め、世の為め、私を献ずる為めに必要なる支度である

01_img_0097 02_img_0089 03_img_0096

-----

 教養とは、我々が我々一個の利益の為に求めざるべからざる財物でなくして、他に仕へる為め、人を愛する為め、世の為め、私を献ずる為めに必要なる支度である。然らば教養は、我々が自分の都合上、勝手に取捨してよいものでなくして、義務として我々の追ひ求むべき道徳である。それは私が「私」の為めであるべからざるが如く、又他の「私」の為めであつてもならない。然らばそれは人間以上のもの、此世以上のものを目的とするものでなければならぬ。即ち神の国と其の義を目的とするものでなければならぬ。イエスは汝等先ず神の国と其義とを求めよと教へられた(マタイ伝六・三三)。教養も亦此教の一端である。イエスは模範的教養人であつた。我等も亦彼に倣つて、神の子たるに相応しかるべく精進するのが、我等の教養の中心である。
    --三谷隆正「基督教的教養」、『三谷隆正全集』第四巻、岩波書店、1965年。

-----

かねてから注文していた三谷隆正(1889-1944)の全集が先週初頭に到着しましたので、このところ、三谷の文章ばかり読んでおります。キリスト者の法学者なのですが、終生、大学(帝国大学)で教鞭をとらず、旧制高校(現在の大学教養課程)でドイツ語と法制を説いた人物なのですが、高潔なモラリストとしして知られ、晩年は一高に勤務しましたが、その思想・行動・風貌から「一高の良心」と謳われたものです。

本人は父の破算により、幼少時より辛酸をなめましたが、なんら痛痒とすることなく、泥水を清流に転換しゆくかのような歩みと言説には惚れ込むばかりで、対極にある宇治家参去としては、「かくありたい」と思い、全集を購入しましたが、乾いた砂に水が染みこむように読ませて頂いております。
※本当は喫緊の課題として別に読んで処理しなければならない対象が山積ではあるわけですが……。

ということで三谷の教養論の一節から引用させて頂きました。
たしかに漢字は読めないより読めた方がいいです。
そして、古今東西の文物から自然科学の先端理論にまで通暁していることにこしたことはありません。
しかし、それがイコール教養か?と問うた場合、なかなか首肯することもできません。

たしかに漢字は読めないより読めた方がいいですし、

「あああれね、ドストエフスキイなら『悪霊』もいいよね」

とか

「エヴェレットの多世界解釈は、結局のところ、観測における解釈論ですから……」

などとやれることにこしたことはありません。

しかし、それだけではない……という痛痒の消息を豊に三谷は語っているなア~などと唸らされてしまった次第です。

教養には知識の図書館という側面は必要不可欠ですが、それが本質ではないのかも知れません。知識の図書館で済ませるならば、そこには仕草とか物腰といった生々しい人間存在から溢れ出す何かまでを教養として論じることはありません。しかし、溢れ出す何かまでがたいていの場合、教養として論じられることがその殆どですから、そのへんの感覚を勘案するならば、対自における問題だけでなく、対他における何かに関しても関わってくるのが教養なのかもしれません。

さて、昨日は、休日で昼過ぎから市井の仕事があるにもかかわらず! 小学校の入試説明会がありましたので、1ヶ月ぶりに希望している小学校へ行って来ました。

例の如く、スーツ、ネクタイを着用し、ルイ・ヴィトンの鞄ではいくな!といわれていたので、それとなく通には理解できるエルメス・エールラインのPCケースにて参加させて頂きました。

1ヶ月もすぎると大きく気候が変わったことに先ず驚きです。

7月末に訪問したときは汗ダラダラで……、ですが上着も取れず、

「これは簡易サウナやないけ!」

……って死ぬ一歩手前まで逝きましたが、今回は、確かに日射しは強いのですが、それとなく爽やかで心地よく、すこ~し流れる汗が心地よいほどでした。

次に驚いたのが、息子殿の行状です。
家庭の中では、一人っ子ゆえ、我が儘砲台……もとい放題な部分があるのですが、ひとたびパブリックな局面に参入すると……、例えば、バスで降りるときなんかなのですが……、

「ありがとうございましたっ」

……なんていっておりましたので、

「ほう、なんか大人」

……と思いつつ、「ノブレス」を鍛え上げている細君に感謝した次第です。

説明会自体は、冒頭に、「先月の学校説明会とほとんど同じです」という挨拶のとおりでしたが、今回は快適な旅?でしたので、比較的、よく聞くことができました。

ただ、息子殿は、今年で3年目の説明会とかオープンキャンパスになりますので、勝手を知った様子で、終了後は、開放されていた図書室に案内してくださったものです。

この手のオープンキャンパスとか説明会というものは、その年にだけ参加するのではなく、経年していったほうがよいのかもしれない……そう思った次第です。

さて……

いずれにしましても、どこの学校に神学……もとい、進学しようとも、彼とシステムとしての教育に心がけて頂きたいのは、やはり「教養」ということなのでしょう……、人文科学を主軸とする宇治家参去としては、どんな教育がほどこされようとも、そこを大切にして欲しいと切に願ってしまいます。

漢字も覚えた方がいいし、英語も喋れた方がいいです。
しかし、それを為すことによって何を導いていくのか……そこを大切にする教育環境に通わせたい……親ばかですがそう思われて他なりません。

その意味では、まさに恐々とは、三谷が語るが如く、「我々が我々一個の利益の為に求めざるべからざる財物でなくして、他に仕へる為め、人を愛する為め、世の為め、私を献ずる為めに必要なる支度」なのでしょう。

ひらたい言葉で言えば、それが生きている郷土に根ざした「世界市民教育」なのかもしれません。

それをひとつ模範的に提示している教育環境に頷きつつ、最後に個別に質問コーナーがあったので、細君に、

「ちょいと、道徳教育の理念と実態に関して、カントにおける道徳形而上学と、デュルケムの徳論の観点から、現場ではどのようにやっているのか、確認といいますか、質問といいますか……したいのですが……」

……って申し立てすると、

「イマハヤルベキデハナイ」

……という戦略的訓戒を頂戴した次第です。

04_img_0081 05_img_0101 06_img_0105

ということで?

小学校の最寄り駅に降りると、「夏を惜しむ」かのように朝顔が交番の横で咲き乱れておりました。説明会が終わるまでタバコをぷかぷかできませんので、最後の一服にと、自販機横の喫煙スポットにてやっていたのですが、朝顔がまぶしく輝いておりました。

ちなみに俳句や和歌の世界では「夏を惜しむ」お題での詩はほとんどないそうな……。
人間論的感覚としては理解できそうですが、夏にしかその自己主張ができない存在においては「夏を惜しむ」という感覚はありなのか?……そう思った次第です。

で……帰り道に、玉川上水横の野道を駅に辿りながら、そしてその涼風に一息入れつつ、空をみあげると、もう秋になっておりました。

息子殿と細君と昼食を済ませ……蕎麦屋いくぞぉぉ!って吠えたのですが、ファストフードでがっくし!……、仕事の都合上一足先に自宅へ戻りましたが、とりあえず一杯。

リアル・アルコールが摂取できませんので、9/1発売のASAHIの“ビールテイスト清涼飲料”「ポイントゼロ」を頂戴しましたが……。

うぅぅむぅぅ。

好みによりますが、KIRINの「Free」よりかはなんとなく雰囲気あるかなあ~と思った次第です。Freeは味わいにこだわっているところが私見によればあり、かえってそれが雑味になっているという感がありますが、ポイントゼロの場合、やはり「すうぱあどらい」の「アサヒ」ですから、「喉ごし」に重点を置いているようで……、多分、宇治家参去が選ぶ場合は、「ポイントゼロ」を選択してしまいそうで……。

どうでもいい話でした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

そんなものはむなしく消えていく「知的道化師のロマンティシズム」であり、仕事に対するいっさいの責任を欠いた態度である

01_img_1139 02_img_1142

-----

 政治家にとっては、情熱(Leidenschaft)--責任感(Verantwortungsgefuühl)--判断力(Augenmaß)の三つの資質がとくに重要であるといえよう。ここで情熱とは、事柄に即するという意味での情熱、つまり「事柄(ザッヘ)」〔「仕事」「問題」「対象」「現実」〕への情熱的献身、その事柄を司どっている神ないしデーモンへの情熱的献身のことである。それは、今は亡き私の友ゲオルク・ジンメルがつねづね「不毛な興奮」と呼んでいた、例の精神態度のことではない。インテリ、とくにロシアのインテリ(もちろん全部ではない!)のある種のタイプに見られた--ジンメルの言葉がぴったりな--態度、また現在「革命」という誇らしげな名前で飾り立てられたこの乱痴気騒ぎ(カーニヴアル)の中で、ドイツのインテリの間でも幅をきかせているあの精神態度。そんなものはむなしく消えていく「知的道化師のロマンティシズム」であり、仕事に対するいっさいの責任を欠いた態度である。実際、どんなに純粋に感じられた情熱であっても、単なる情熱だけでは充分ではない。情熱は、それが「仕事」への奉仕として、責任性と結びつき、この仕事に対する責任性が行為の決定的な基準となった時に、はじめて政治家をつくり出す。そしてそのためには判断力--これは政治家の決定的な心理的資質である--が必要である。すなわち精神を集中して冷静さを失わず、現実をあるがままに受けとめる能力、つまり事物と人間に対して距離を置いて見ることが必要である。「距離を失ってしまうこと」はどんな政治家にとっても、それだけで大罪の一つである。ドイツのインテリの卵たちの間ではこうした傾向が育成されれば、彼らの将来は政治的無能力を宣告されたも同然である。実際、燃える情熱と冷静な判断力の二つを、どうしたら一つの魂の中でしっかりと結びつけることができるか、これこそが問題である。政治は頭脳でおこなうもので、身体や精神の他の部分でおこなうものではない。であるが、もし政治が軽薄な知的遊戯でなく、人間として真剣な行為であるべきなら、政治への献身は情熱からのみ生まれ、情熱によって培われる。しかし、距離への習熟--あらゆる意味での--がなければ、情熱的な政治家を特徴づけ、しかも彼を「不毛な興奮に酔った」単なる政治的ディレッタントから区別する、あの強靱な魂の抑制も不可能となる。政治的「人格」の「強靱さ」とは、何を措いてもこうした資質を所有することである。
 だから政治家は、自分の内部に巣くうごくありふれた、あまりにも人間的な敵を不断に克服していかなければならない。この場合の敵とはごく卑俗な虚栄心のことで、これこそ一切の没主観的な献身と距離--この場合、自分自信に対する距離--にとって不倶戴天の敵である。
    --マックス・ヴェーバー(脇圭平訳)『職業としての政治』岩波文庫、1980年。

-----

夏がおわりました。
ひとつの夏がおわりました。

いつも思うのですが、夏が終わる直前には、台風とか大雨とか、そうした惨波がやってきて、次の日から秋になっちゃうんです。

土曜日は灼熱地獄でした。
家族3人で炎天下を放浪しましたが、ここちよい疲れでした。
またちょいと灼けたようでもあります。

日曜日は、台風11号の影響で、昼過ぎから空模様があやしくなり、日付がかわってから帰宅するときは驟雨にて、ひさしぶりのぬれねずみとなりました。

しかし、蒸し暑くないので、かえって寒いほどで……、秋の到来を感じてしまいました。

携帯電話をおととい充電しました。
しかし、今日はよくつかったのでしょうか?
電池の残量がほとんどなくなっていました。

ぼちぼち機種変更の縛りがきれるのでiPhone3GSに変えたろうか……などと思っておりますが、このNokiaのスマートフォンも自分自身と一緒に消しがたい歴史を刻んでいるんだなア~などと思いました。

つかわないと4-5日は電池が持つのですが……。

本日は昼過ぎから仕事でしたので、ここでもう一度マックス・ヴェーバー(Max Weber,1864-1920)と対話をしなければならない!と一人で決意!しましたので、休憩中に読んでおりましたが、ひとり頷くこと多く……、正直なところ、自分自身の学問的立場からすると、ものごとに対するアプローチのひとつとしての社会学の手法というのは受け入れがたいといいますか、それですべてを代弁してしまう学の雰囲気に辟易としてしまう……要は数値とか社会調査のデータから溢れ出してしまう声なき声がスルーされてしまうので……わけなのですが、その創始者の言葉には、妙に納得することが多く、侮りがたい……などと思った次第です。

ヴェーバーは、第一次大戦での敗北後成立した、混乱するワイマール共和国において、急進的変革に熱狂する学生たちをまえに、「政治の矜持」を語ったのがうえの『職業としての政治』です。

いやはや再読したところですが、痛快です。

右的熱狂をぶった切る鋭利なやいばの返す刀で理論的優位にたちつつも心根が同じである左的似非理論をも分断する、冷静な叫びには、……「社会学」!っていうカテゴリーにおさまりきらない、いうなれば、人間としての強さを感じつつ、何が人間を牽引していくのか……そこを探究したヴェーバーの慧眼にはおどろくばかりです。

「乱痴気騒ぎ(カーニヴアル)」に惑わされてはいけない。
ぶれない頭と心を養っていき、力でねじ伏せるのではなく、ひとびとと言葉をかわすなかで、「事柄(ザッヘ)」〔「仕事」「問題」「対象」「現実」〕に向かいあっていくしかないのかもしれません。

これは洪水とか鉄砲水ではなく、ひとびとの暮らす地上から遙か数百メートル下にこんこんと歩みをやめない水脈のような営みなのでしょう。

そこにひとびとはなかなか敏感にはなれません。
しかし、水脈がこんこんと歩みをやめないような努力は人間にも必要であり、それこそが生きるということの「責任」かもしれません。

……ということで一応、この夏は公私ともによくがんばったので、ご褒美を心と頭にあたえ、沈没しますです。

なにしろ、秋が始まると、「仕事」が山積しておりますので、まさに個々人と現実との思想的格闘戦が開幕しますから。

本日のお供は「山古志」(お福酒造・新潟県)でございます。

さきの中越地震で棚田が大被害を蒙った山古志地域の銘酒です。
崩壊した水田の復興は機械でもシステムでも行政でもなく、ひとりひとりの人間の手でおこなわれたようです。

そしてそこで育まれた「特別純米酒」が「山古志」に他なりません。

コピーには次のような表現があります。
すなわち、

「棚田には錦鯉の色を鮮やかにすると言われる程の清冽な沢の自然水が流れ込み、また春から夏にかけて朝晩の気温差が15℃という環境が、しっかりとした稲を育み、食べても酒にしても美味しい米を稔らせるからです」

……とのことだそうな。

瞬間湯沸かし器?とかではなく、こうした鮮烈な沢の自然水として生きていきたいものです。

しかし、なんです。
印象批判めいた文章で恐縮ですが……っていつもそうですが……、古代ローマの劇作家・政治家テレンティウス(Publius Terentius Afer,195/185-159 BC)の言葉が染みこんできます。

-----

私は人間である。人間に関することで私と無縁なものは一つもない。
Homo sum. Humani nil a me alienum puto.
    --テレンティウス(木村健治ほか訳)『 西洋古典叢書 ローマ喜劇集<5>』京都大学学術出版会、2002年。

-----

がなり声とか罵声とか、マイクとか拡声器とかテレビとかラジオとかから流れてくる声にかきけされそうな声ほど、力強い声はありませんし、今こそ「人間に関することで私と無縁なものは一つもない」……その言葉を味わうべき新しい時代が到来したのだと思われて他なりません。

ですから飲んで寝ます。

03_img_1177

職業としての政治 (岩波文庫) Book 職業としての政治 (岩波文庫)

著者:マックス ヴェーバー
販売元:岩波書店
Amazon.co.jpで詳細を確認する

ローマ喜劇集〈5〉 (西洋古典叢書) Book ローマ喜劇集〈5〉 (西洋古典叢書)

著者:テレンティウス
販売元:京都大学学術出版会
Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「すべての人」が真に「すべての人」ではないこと

01_img_1149

-----

今日の特徴は、凡俗な人間が、おのれが凡俗であることを知りながら、凡俗であることの権利を敢然と主張し、いたるところでそれを貫徹しようとするところにあるのである。つまり北米合衆国でいわれているように、他人と違うということ即ふしだらなことであるという風潮である。大衆はいまや、いっさいの非凡なるもの、傑出せるもの、個性的なるもの、特殊な才能をもった選ばれたものを席巻しつつある。すべての人と同じでない者、すべての人と同じ考え方をしない者は締め出される危険にさらされているのである。ところが、この「すべての人」が真に「すべての人」ではないことは明らかである。かつてや「すべての人」といった場合、大衆とその大衆から分離した少数者からなる複合的統一体を指すのが普通であった。しかし今日では、すべての人とは、ただ大衆を意味するにすぎないのである。
 以上が、現代の恐るべき事実であり、そのいつわりない残酷な実相なのである。
    --オルテガ・イ・ガゼット(神吉敬三訳)『大衆の反逆』ちくま学芸文庫、1995年。

-----

本日は非常に蒸し暑かったのですが、東京各地を経巡りあるいておりましたので、カラダが完全に解けてしまいました。

ただひとつ、そのなかで心と頭で実感するのは、システムとしては民主主義という体制が構築されている時代だからこそ、矜持をもって生きていかなければならないということです。

……ということで、仕事に戻ります。

かるい熱中症です。

03_img_1151

大衆の反逆 (ちくま学芸文庫) Book 大衆の反逆 (ちくま学芸文庫)

著者:オルテガ・イ ガセット
販売元:筑摩書房
Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (0) | トラックバック (0)

健全な信のないところにはまことの知も存在しない

01_img_0288
-----

 わが先人たちは異口同音に、信仰は知の始めであると述べている。なぜなら、どのような学問の領域にあっても、第一原理として、すなわちただ信ずることによってのみ把握せられ、しかも論究対象の知識を自らに基づかせる原理として、前提するものがあるからである。思うに、学識を得ようとする者は全て、これなくして進むことも不可能な、これらの原理を信じなければならないのである。イザヤも「汝等信ぜずは知らず」と言っている。それゆえ、信ずることは知ることのできる全ての事柄を含蓄している。逆に言えば、知は信の展開である。したがって、知は信によって導かれ、信は知によって拡げられる。それゆえに、健全な信のないところにはまことの知も存在しない。原理の誤りと基礎の脆弱さがどのような結論をもたらすかはもとより明白である。ところで、真理そのもの、すなわちイエスよりもいっそう完全な信仰はないのである。
さて、神の最もすばらしい贈り物とは正しい信仰であることを認識しない者があろうか。使徒ヨハネは、神の言葉が肉となることを信ずるんらば、われわれは神の子となるために真理に導かれると語ったのであるが、彼はこれを冒頭で簡単に述べた後で、知性が信仰によって照らされるようにと、この信仰に従って、キリストの多くの業績について述べている。そして、最後に結論として、「此等の事を録せしは汝等をしてイエスの神の子キリストたることを信ぜしめんが為なり」と語ったのである。
    --ニコラウス・クザーヌス(山田桂三訳)『学識ある無知について』平凡社、1994年。

-----

本日も無事故で市井の仕事が終わりましたが、いやはや酒の飲み過ぎでしょうか、理由はわかっているのですが、酷く足が痛く、ちと休憩中、介抱?しながらひとときを過ぎておりますと、販売の最前線?ですから、突発クレーム処理の依頼なんかがあったりしまして、なかなかゆっくりすることができません。

ちょいと売り場まで出て、丁寧に話を伺ってみると……これがクレーム?って思わざるを得ないような軽微な案件で、即クローズできましたが、一次応対した従業員には、結構な剣幕だったようでしたので「クレームの応対をお願いします」と連絡があったようですが、いずれにしまして、基本的には会って話してみないとわからない……、こうした現場におりますと、このことだけは痛切に実感する次第です。

ただ、こちらも「クレームです!」って振られているので、びくびくもんで対応しましたが、ゆっくりと話を伺うことで、相手も落ち着き、落ち着きどころが見えてきたのが幸いです。

クレームとは確かに「異議申し立て」になりますので、精確に状況を聞かないかぎり前へ進むことが出来ません。ですので、仰る内容を、随時、お互いに確認しながらやりとりをすすめることになります。

今回の事例は、とくに問題もなくクローズできたので幸いですが、最近実感するのが「ハナから疑ってかかる」というスタイルの事案です。

内容の高低浅深がありますので概括することはできないのですが、どこに「疑い」を向けるのか……その部分が負のスパイラルとなっていくタイプの事案の増加に正直なところ、びびってしまうところがあります、メディアなんかでいうと、いわゆるゴネ得とか、モンスターなんとやらというストロング・スタイルのそれですが、やはりここ数年、増加傾向にあるんだよなア~ということは体験的に理解しており、その応対には頭を悩ますものです。

たしかに、「問題」があるから「疑う」わけなのですが、それが過熱するなかで、「何のため」に「疑い」「憤慨」しているのか……その大切な部分がすぽっと欠落してしまい、疑いのための疑い、そして憤慨のための憤慨……そちらへ傾いてしまうきらいがつよくなっている……そのことだけは現場におりますと、頭を悩ませつつも、実感する次第です。
※いうまでもありませんが、そうしたプロの事例は除きますが……。

もちろん、「問題」があるからこそ「クレーム」という表題の付いた案件が出来するわけですが、「問題」「探究」という原点を見失ってしまうと、「問題」は解決し無いどころか、おおきくそれていって、結局の所自他共に不幸へと導いていってしまう……そんなところが実情なのでしょう。

デカルト(René Descartes,1596-1650)は周知のとおり、徹底的に懐疑のうえに懐疑を連ねましたが、決してブレない原点をもっておりました。

だから……その成果の良かれ悪しかれは別にしても……原点を完遂することができたのでしょう。デカルトにおいては、目的を見失った中途半端な「疑い」こそ唾棄されるべきであり、「やるならとことんやりましょうや」って感じで、ブレずに徹底的に探究したからこそひとつの成果が生まれたのだろうと思います。

デカルト以降、思想史を辿ると、探究の手段としての「疑い」がクローズアップされたわけですが、そのなかで、目的が棄却されてしまったように思われて他なりません。

手段の先鋭化が先行し、何のために疑うのか……その原点が見失われてしまったということでしょうか。

フランス現代思想をどっぷりやっていた自分がいうのも何ですが、そこに近・現代思想史(特に方法論)に対する居心地の悪さを……もちろんその批判精神を否定することはできませんが……感じざるを得ません。

これはひとえにフランス現代思想に起因する問題ではありませんが、「探究」のための「疑い」が、方法論として特化した結果に何がもたらされたのでしょうか……。

そのことを考えると、くどいようですが、「探究」「目的」を著しく欠いた「批判」のための「批判」、「疑い」のための「疑い」……という著しいシニシズムが醸成されただけではないだろうか、と思われて他なりません。

前日の日記で紹介したフッサール(Edmund Gustav Albrecht Husserl,1859-1938)の『デカルト的省察』をすこし“囓って”みましたが、フッサールに言わせると、「見せかけの報告と見せかけの批判の応酬でしかない」というところでしょう。

……ですから、こちらとしてももう一度「原点」?に帰るべく、神学関係の文献を読まねば!などと……クレーム応対後の休憩タイムに、ドイツの中世神学者(枢機卿)・ニコラウス・クザーヌス(Nicolaus Cusanus,1401-1464)を繙いたわけですが、ひさしぶりに刮目した次第です。

通常、特に哲学プロパーでやっていると、先に示したとおり、「徹底的に疑う」ことこそ「真の知」へと至る道である……というフシがありますが、結局のところそのスタイルは、唯一の道ではなく、選択肢の一つでしかないんだよな……などと唸らされてしまった次第です。

短絡的で恐縮なのを承知で踏み込めば、「真の知」へと至る複数の筋道においては、たとえば「徹底的に疑い所定の目的を達する」というスタイル……これがデカルトの方法的懐疑であり、カトリックよりの神学徒的判断をくだすならばこの亜流のシニシズムが不幸を加速させているわけですが……だけでなく、イザヤ(Isaiah)のいうような「汝等信ぜずは知らず」というスタイルもありなのだろうと……。

「懐疑」と対極にあるのが「信」なのでしょう。

これは「信仰」に限定されない莫大な沃野をひめている人間世界においては看過できない契機だと思います。

「信」……もちろんその究極は「信仰」なのでしょうが……あらずして「知」も「信頼」も「ヘッタクレ」もないのが人間世界の現実なのですが、そこが近代世界以降は、あまりよろしからざる価値機軸として隅っこにおいやられているような感が否めません。

もちろん、「信」とは窮極的には「無疑曰信」、西洋の文脈で言えばアンセルムス(Anselmus Cantuariensis,1033-1109)の「理解を求める信(仰)」ということなのでしょうが、当事者と対峙する対象としての「知」に関しては、何を根本におくべきか、ひとつの示唆をしているように思われます。

そしておそらくこの「無疑曰信」だとか「理解を求める信(仰)」というのは、戦闘状態の最前線に裸で歩んでいくような脳天気な「対象」に対する「信」ではありませんが……その意味では当事者は……通俗的表現でこれまた恐縮なのですが……「振込詐欺」的な籠絡にはまどわされない突き抜けた知見と感性が前提されることはいうを待ちませんが、いずれにせよ、「対象」に対してどのように向かいあっていくのか、ひとつの示唆を投げかけているように思われて他なりません。

「信」に基盤をおくのか……しかしその基盤としての「信」には「信」を成立させる必要不可欠な革命的警戒心は随伴しますが。
それとも……
「疑」に基盤を措くのか……しかしその「疑」は「疑」の「為」の「疑」ではないのかという点検が随伴させなければなりませんが。

……そんなところを昨今、考えさせれてしまいます。

もちろん、「不信の世」だからケ・セラ、セラ的に「全部が敵で疑ってよい」「ひとを見たら泥棒と思え」というのも偽ざる人情でしょう。

しかし、それで通してしまうのに違和感があるのも人情でしょう。

そのへんのことを最近、まさに生きているなかで、考えさせられてします。

……ということで?

冷蔵庫を除くと冷蔵庫内の秘境より、忘れてされていた晩秋の限定エビスを発見です。

ちょいと疲れを癒してからネンネしますワ……これが間違いなく足の痛みを加速させるのは承知ですが……。

02_img_0740 03_img_0740

 学識ある無知について 学識ある無知について
販売元:セブンアンドワイ
セブンアンドワイで詳細を確認する

| | コメント (0) | トラックバック (0)

文科の哲学に入るべく決心した私が急に法科に移つたのは、偶然の事からである

01_img_0558
-----

 中学四年頃から私の趣味が段々変り始める。此頃まで、雅文まがひの文字を並べたり、歌や俳句のまねをしたり、新刊の小説を濫読したり、殊に徳川時代の稗史小説をあさつたりしたものの、将来の方針としては理科大学へ往つて数学をやる積りで一貫していた。小説濫読の仲間に松田彦三郎・木村毅など云ふ親友があつたが、今はどうして居られるやら。但しこの木村毅は、昨今売り出しの木村毅君ではない。矢口親平君などからは大に近松を鼓吹されたものだ。近松だの、馬琴だの、其他その頃復刻された古文学類は、読まぬまでも、大抵私の文庫の中に収められて在つた。而して私の文章は、之等の文学書と共に又可なり沢山な数学書類もあつたのである。所が中学四年頃から考が変つた。急に文科の哲学へ這入らうと云ふ考になつたのである。
 私の先輩の某君は、高山林次郎が仙台二高教授としてやつて来たので自然之にかぶれたのだらうと云つた。併し自分では一年上級の土井亀之進君の感化だと信じて居る。此人は土井晩翠兄の従弟で、非常に天才肌の人であつた。高等学校在学中不幸肺を病んで夭折されたが、生きて居られたら偉い物になれたろうと惜まれてならない。高山林次郎の二高赴任は大変な評判であつたが、私の精神上には大した関係はない。寧ろ此時高山樗牛と一所に来任した佐々醒雪の方が、私に取つては重大の関係がある。但し之は私が二高に這入つてからの事だ。
 明治三十年九月私は二高の法科に這入つた。文科の哲学に入るべく決心した私が急に法科に移つたのは、偶然の事からである。永く鉄道の方に勤めて幾多の功労を残され、地震の年に物故された人に木下淑夫君といふがある。此人が梅蔵と云つてまだ二高に在学されてゐた頃、偶然私と下宿を同じうした。彼が二高を卒へて大学に行つたとき、私は中学の四年であつたと思ふ。仙台に居る時から彼は私に頻りに法科に行けとすゝめて居た。さて私が卒業して二高の文科に這入ると云つてやると、彼はわざわざ東京からやつて来て、熱心に法科をやる気はないかと勧める。其の理由には色々あるが茲には述べぬ。余り熱心なので、嫌々ながらウンと云つたら、同君自ら直に高等学校へ往つて私の願書を法科志望に改めたものと見へる。九月学校へ往つてそれを知り一寸驚いたが、強て嫌なら又移れると思つて、遂にその儘法科をやつてしまつたのである。斯んなことから一生の方針がきまるとは、人の運命も変なものだ。因に云ふ。当時私は無試験入学の得典を有して居た。勝手に願書を書き換へることの出来たのはその為めでないかと考へる。
    --吉野作造「少年時代の追憶」、『文藝春秋』文芸春秋社、一九二六年九月。

-----

吉野作造(1878-1933)で論文を書いているのですが、ちょうど第一章で取り扱う伝記的部分をこのところリライトといいますか、手を入れております。

吉野作造といえば、教科書的記述に従うならば、「大正デモクラシーの旗手」ということになりますので、大正論壇をリードした「デモクラット」とということになりますし、そのことは否定できません。

しかし、その歩みを振り返ってみると、「大正デモクラシーの旗手」だとか「デモクラット」として対象化される以上に幅広い側面が実際には見てとれますので……これは吉野に限らずどのような人物でも同じなのですがひとは、ひとを記述的に評価する際どうしても特定のキーワードで見てしまうものです……吉野自身の手になる「追想」とか、友人の筆による「吉野君の思い出」のようなものを読んでおりますと実にこれがおもしろく、時間を忘れてしまうありさまです。

経歴を振り返ってみると、仙台の第二高等学校を経て、現在の東大(当時の東京帝国大学・法科大学)へとコースをたどり、新進気鋭の政治学者として活躍します。キリスト教の影響もうけつつ、体制の枠組みのなかで現実になにができるのか……その探求が「民本主義」の主張へと結実していくわけで、たしかに「民本主義」には理論的限界もあり、それを批判者は“突いてくる”わけなのですけども、「現実になにができるのか」という実際的には大切なところを批判者はスルーしており、格闘したのは批判された吉野作造かもしれません。

さて、この吉野作造ですが、面白いことに……というか実はそれが吉野の人間らしさ・人間くささになってくるのですが……もともと「政治学者」になろう!と「決意」してその道を歩んだわけではないところです。

小学校、中学校時代……もちろん旧制ですが……は、数学が得意で(もちろんどこでも首席卒業ですが)、「理科」へ進もうかと考えていたのですが、学友などの影響で、「文科」で「哲学」を探求してやろうと思った矢先、高等学校(今で言う大学の教養課程)へすすむ際、「偶然の事」から「法科」へと「神学」しまったというエピソードには驚くばかりです。

ある意味では時代が「おおらか」だったという側面もあるのでしょう。
そして吉野作造自身が「物事」に「こだわらない」たちだったということもあるのでしょう。

しかし、吉野は二高へ進んだあと、「強て嫌なら又移れると思つて」いたわけでしたが、結果的には、法科で歩みをすすめ、「遂にその儘法科をやつてしまつた」わけです。

そこで思うのが……これまた印象批判で恐縮ですが……吉野自身も語っているとおり、「斯んなことから一生の方針がきまるとは、人の運命も変なものだ」というところです。

もちろん、何かをなそう、何か結果だしていこう、これで決めて進んでいこう!……という方向性ももちろん大切です。

そのことを否定はしませんが、実際には「それだけではない」のでしょう。

最初に思い描いたのとはちょいと違うんだけど……ということのほうが現実には多いのですが、そこでどのようにその現実と向かい合っていくのか……そこが大切なのかも知れません。

たとえば、大学に関してもそうなのですが、問題のある言い方ですが臆面もなく踏み込めば……「テキトー」に学部なり大学なりを状況に応じて選んでしまうことってあるかもしれません。

しかし、スタートとしては「テキトー」に選択したとしても、中身を「テキトー」にしないならば、ちがってくるのでしょうね。

吉野のエピソードは、別段「テキトー」に選択したわけではなく、ある意味では「事故」といってもよいのでしょうが、それがきっかけだったとしても、そこでどのようなコンテンツをつくりあげていくのか、そのことが大切なんだよね!ということを示唆してくれているように思われて他なりません。

自己に向かいあうエピソードに翻弄されるのか。それとも、エピソードすらをも自己自身の成長の糧に転換しゆくのか……字面では大いに理解できるのですが、そこをうまくやっていくのは至極面倒なのですが、そこにしか自己自身の内実を豊にしていく契機はないのかもしれません。

自分自身に「投げ出されてくる」問題というものは、理由もなくある日突然おとずれるもので、そこに不平をいうのは簡単ですが、不平をいわずにすこし「工夫」してみたいものです。

……ということで、小雪(1976-)の出ているサントリー「角瓶」の「角ハイボール」のCMを見ていましたら、無性に呑みたくなってしまいましたので、今日は「角ハイボール」で締めてみようかと思います。

もともとは日本酒党ではなく、「洋酒天国」ばりの「ウィスキー党」(スコッチ)でしたが、最近とんと呑んでなく、久し振りにやってみますと、ウマイものです。

しかしやり始めるとどんどん濃度が濃くなっていくのが玉に瑕……といったところでしょうか。

02_r0015337 03_img_0565

| | コメント (0) | トラックバック (1)

勝負というものは負くるものではございません。必ず勝つという見込みがない勝負は、するものではございません

01_r0015333 02_r0015336

-----

 ト伝は、義輝にせがまれるままに、この冬を京で越すことにした。義輝がせがむままに、自ら木刀をとって教えつづけた。
 当時の剣法というのは、まだ原始的なもので、戦場での活用を主眼としているから後年のような複雑な太刀筋がまだ生まれてはいない。
 ト伝は、ただ一撃の打込みにこもる気力と、この気力に伴う肉体の自由自在な活動が、いざというとき充分に発揮されるべく鍛錬をかさねてきた。これを義輝に伝えるのである。
 それともう一つは--いかなる場合にあっても、燃え上がる闘志を押える冷静な心と、立合いの駆け引きである。
 「勝負というものは負くるものではございません。必ず勝つという見込みがない勝負は、するものではございません」
 と、ト伝は義輝に言った。
 「勝てぬと思うときは逃げるのです。恥ではありません。よろしゅうございますか、私は、あなたさまが自らをお守りになる為に剣をお教えしたのでございますぞ」
 年があけて永禄五年となった。
    --池波正太郎「ト伝最後の旅」、『上意討ち』新潮文庫、昭和五十六年。

-----

ひとつだけ自慢できることがあります。

それは何かと申しますと、「喧嘩をしたことがない」という……ただそれだけのことです。

勿論乳幼児期の記憶は定かではありませんので、学齢期以降ということですが、喧嘩を一度もしたことがありません。

……などというと、「男は拳と拳で勝負じゃああ」的な発想からすると……言語が若干差別的表現を伴いますがリアルな状況を表現できますので臆面もなく表現するならば、いわゆる「女々しい奴」「男らしくない奴」……などといわれてしまいますし、そのことを否定しようとも思いませんし、それはそれで当を得ていると思わざるを得ません。

いずれにしろ喧嘩だけはしたことがなく、それは裏っ返せば、憶病の誹りをうけてしまっても、反論することができません。

しかし喧嘩だけはしたことがないんです。

憶病ですし、怖いからですし、ついでにイタイからです。

「やっぱ弱虫かよっ」

……って言われてしまうと、それまでなのですが、そのことは否定もしませんし、逆に言えば、批判のまさに的となってしまう全方位外交こそが、自分自身のレゾン・デートルを形成してきたのだろうと思います。

ですから、小学生の頃から、どのようすれば、そうした縁に紛動されないですむのか……丹念に取り組み?、オトラント公ジョゼフ・フーシェ(Joseph Fouché, duc d'Otranto,1759-1820)も驚くばかりの権謀術策に知的リソースを注ぎ込んできたようなチキン野郎です。

ですから、大声でなにかをやられるとか、リアルな拳法をやっちゃうとか、その類が極めて苦手でございます。

剣道を小学1年生のころから、都合12年ほどやっておりましたが、試合で勝ったことも通算2度ほかしかなく、……それはアンタがヘタクソなのだろうといわれればそれまでですが……、剣道で学んだのはなにか「力」によって「伏せる」ということよりも、それ以外の方が多かったのかも知れません。

いずれにせよ、力量・技倆・気迫の問題もありますが、「諍う」ことに憶病になってしまう宇治家参去です。

ですから細君などからは、「闘うときに役に立たない」などとのたまわれてしまいますが、そこに、宇治家参去の「非暴力の聖者」としての止めどない人類に対する愛を感じて貰いたい次第なのですが、話がずれてきました……ので、本論?にもどりましょうか。

……ということで?

市井の職場6連勤の最終日、マア、例の如くありえないレジ地獄ではありましたが、ちょいと別件のしごともしなければならず、やっている最中に、お客様との応対をしながら……、聞こえてきたのが、大人“たち”の“怒声”でございます。

……ひょとして“危ない人”が騒いでいるのか?

応対しているお客様に、怒号の情勢を“察して”もらい、手短に要件をすませ、現場?へ急行すると、お父さんとお父さんがガチ喧嘩をしていた次第です。

「“あ”んだ、テメエ」
「“い”いかげんにしろよ、こんにゃろぉぉ」
「“う”ぜえぇぇんだよ」
「“え”えかげんしろやぁぁぁ」
「“お”い、なぐりたけりゃぁぁ、なぐれやぁぁ」

……ってご様子で、買い物に訪れた他のお客様も怯えるばかりでございます。
ちょうど時間帯が夕刻のピークタイムですので、ふぁみりーなひとびともおおく、

「うぉっぷ、まじですか」

……って式に「驚く」というよりも「おびえている」わけですから、

誰がどうすんの?

……って式に宇治家参去さん、チキン野郎でしょうが、収めろや……って内面の声とともにフロアに対する職業倫理的@ヴェーバーの“責任倫理”から……、

声をかけた次第です。

ひさしぶりに心臓が爆裂した次第です。

興奮した2人をなだしつつ、状況を把握すると、どうやら、肩と肩がふれた……というような……実際は違いますが措きますが比喩で……“ささいな”突発事が発端であったようですが、一度火がついたおふたりのお父様は、なかなか矛を収めてくれません。

どちらかといえば、ますますエスカレートする様子で、そこには仁義も公共精神もへったくれもあったもんではりません。

やるなら外でやってくださいましよ……とは思うのですが、不特定多数のひとびとが集うGMSという、公共空間@ハーバーマスであるわけですから、放置プレイもできず、補佐のバイト君……こうした場合は複数人対応が原則です……に「警察でも呼ぶか」って声をかけると……、

「薬が効いた」……のかしら?

……一方のかたが、鉾を収め初め、三々五々に当事者およびギャラリーが雲のを子を散らすように退散した次第です。

これ以上、ことをあらげるつもりもありませんでしたので、

「もうしわけございませんが、ここは、いろんなひとが集まる場所ですから、ほんと、もうしわけございませんが、ここはひとつおだやかにできませんでしょうか……」

……って最後に声をかけると、すこし冷静さを取り戻したお二人が、「いやいや、あんたが“あやまる”必要はないんだよ」

……などと、一方のかたが声をかけてはくれたのですが、

「あんたが“あやまる”必要はないんだよ」

……っていうのは、「わるいのはおれと喧嘩しているおめえだ」……っていう言語の表裏に隠された「夏への扉」という余韻がふくまれいることが濃厚でしたので、

「では! これでよろしいでしょうか。警察も呼びません。種々誤解があったようですが、他のお客様も“怖がって”おり、“迷惑”しております。おわりにしましょうか」

……って“びくびく”で案内し、ようやくクローズです。

言語として記述すると長くなりますが、1分足らずの出来事です。

ひやぁぁ、なんとかおさまてくれて幸いです。

ある意味では……処理するという意味では……クレームの方が楽であり、諍いの仲裁ほど生命力を使う事例はありません。

ともかく無事に案件終了で“幸い”です。

しかし……“怖かった”です。

この手の事案に“介入”すると、正直なところ、「あんだ、テメエ」って“ぶん殴って”もらったほうが楽なんです、司直的には。しかし、「易き」への「阿(おもね)り」を排した極限状況?の提示というものは、まさに、人文学者としての本業の枠を拡げてくれているようで実にありがたいものです。

しかし……“怖かった”です。

……といわざるを得ない、まさに“チキン野郎”宇治家参去でございます。

接客の問題、品質の問題を含め、クレームとか事故が一番多いのがこの季節です。

それはそうですよね!
これだけ暑くてゲレってきてしまいますと、ぶち切れてしまう……というものでしょう。

しかし、宇治家参去は“ぶち切れ”ることが許されていないんですよ、……トホホ。

だから……喧嘩をしません。

「勝負というものは負くるものではございません。必ず勝つという見込みがない勝負は、するものではございません」

負ける相対というのが“喧嘩”なのでしょうねえ。

そして必ず勝つとというのが“勝負”なのでしょうねえ。

どこに生命力を“注ぐ”のか、ひとつ学ばせて頂いた次第です。

しかし蛇足ながら、喧嘩を収める……これはチキンの蛮勇にしかできないかもしれません。

つうことで、帰宅すると、注文していたデッドストックのシェーファー(SHEAFFER)の「スクール万年筆」が届いておりました。

今はつくっていない80年代のラインですが、ネットオクで易く入手できました。

スクール万年筆とは、学齢期の児童にもつかってもらおうという簡易な万年筆ですが、やはり老舗の作った物は、書き心地が、使い捨てアイテムとは全く異なります。

お子様向けですから自重はほとんどなく、かるく、まさにライトな万年筆ですが、お子様向けなのでしょうか、細字ののりもよく、これはひとつめっけもんでございます。

このライン、すなわち「スクール万年筆」は、ペリカン(Perikan)なんかも出しているのですが、未使用のデッドストックになかなか出会えず、ペリカン党としては是非ペリカンなどと思っては居たのですが、ぼちびち学齢期にさしかかる息子殿にも1本と考えていた矢先、シェーファーもそうなのですが、なかなか手に入らない奴が手に入ったのは幸いです。

来月あたりに、なんとなく「勉強をがんばったご褒美」ということでプレゼントしてみようかと思います。

宇治家参去自分自身もネズミのはったような文字しかかけません。
しかし忘れがたいのは、自分自身も小学校に入学した折り、父母からもらったのが万年筆です。

今は手元にありませんが、ドイツのラミー(Lamy)の“サファリ”ラインだったかと思います。いわゆる「スクール万年筆」ではありませんが、初学者向けの一品で、なんだかんだといいながら6年間使い倒した思い出があります。

うちの息子殿も、親である宇治家参去以上にグレート“チキン野郎”でございます。

しかし、“諍う”ことに専心できるよりも、“諍う”ことを調停できるひとになってもらいたい……などと思うのは、親ばかでしょうか。

……っていうことで、寝ますワ。

03_img_0257

上意討ち (新潮文庫) Book 上意討ち (新潮文庫)

著者:池波 正太郎
販売元:新潮社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

続きを読む "勝負というものは負くるものではございません。必ず勝つという見込みがない勝負は、するものではございません"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「ペダンティックな抽象概念とか曖昧な法則、恣意的体系に基礎を置く」ハッタリを乗り越えて……

01_r0015241

-----

 だが、たとい我々が、「彼ら」と「我々」を隔てるオリエンタリズム的区別を無視したとしても、一連の強力な政治的現実、究極的にはイデオロギー的現実が、今日の学問のなかに充満しているという事実を避けて通ることは不可能である。東と西の区別ではなくとも、南と北、持てる者と持たざる者、帝国主義と反帝国主義、白人と有色人種、といった区別を扱わずに済ますことは許されないのである。むしろ逆に、現代のオリエンタリズムは、その点をほおかむりして済まそうとする知的不誠実について、多くのことを教えている。その結果は差別をきわだたせ、それを邪悪で永久的なものにするということである。また、公然とそれらに戦いを挑む、誠実で「進歩的」学問が、いともたやすく堕落して教条的催眠状態におちいるおそれもないとはいえない。だがそれは、あまり愉快とはいえぬ予想である。
 この問題に対する私自身の感覚は、私が上に定式化したさまざまな設問のなかにかなりよく示されている。表象、「他者」研究、人種差別的思考、権威および権威的諸観念の無思慮・無批判な受容、知識人の社会的=政治的役割、懐疑的・批判的意識のもつ大きな価値、現代の思想と経験は、これらに含まれる事柄に対し、我々が敏感であらねばならぬことを教えてきた。また人間経験に関する研究が通常、良い意味でも悪い意味でも、政治的重要性とともに倫理的重要性を帯びるものであることを考えるなら、我々は、自分たちが学者として行うことに対し無頓着ではいられないはずである。そして、学者にとっては、人間の自由と人間の知識以上に、いかなるすぐれた規範があるというのだろうか。社会における人間の研究が、決してペダンティックな抽象概念とか曖昧な法則、恣意的体系に基礎を置くものではなく、具体的な人間の歴史と経験とにもとづくべきものであることも、我々はまた忘れてはならないだろう。とすれば、問題は、研究を経験に適合させ、ある意味では経験にそくしてこれに形を与えることである。そうすれば経験は、研究によって照射され、場合によっては変化させられることだろう。どのようなことがあろうと、オリエントを際限なくオリエント化するという目標だけは回避せねばならない。その結果知識は必然的に洗練され。学者のうぬぼれは減少するに相違ない。「オリエント」がなければ、学者や批評家、知識人、そして人類は、人種的・民族的・国民的区別以上に、人間社会を進歩させるという共通の企てのほうを重要視するようになるだろう。
 私が固く信じていること--そして、私が別の著作のなかで示そうと試みたこと--は、今日の人間科学において、現代の学者が洞察力、方法、観念を身につけるのに必要なことを十分に行ってきた結果、彼らはもはや、オリエンタリズムがその歴史上の全盛期に提供した人種的・イデオロギー的・帝国主義的ステレオタイプを用いなくともやっていけるという事実である。私は、オリエンタリズムの欠陥が知的なものであると同時に、人間的なものであったと考えている。なぜならオリエンタリズムは、自分とは異質なものとみなされる地球上の一地域に対し、断固たる敵対者の立場をとらねばならなかったために、人間経験と一体化することができず、人間経験を人間経験とみなすこともできなかったからである。もし我々が、二十世紀になって澎湃としておこった、この地球上の数多くの人々の政治的・歴史的自覚を正しく生かすことができるならば、我々は、オリエンタリズムの世界大のヘゲモニーに対しても、またそれが代表するあらゆる事物に対しても、今やひとつの挑戦を行うことが可能なのである。もし本書が将来何からの役に立つとすれば、それはこの挑戦のためのひとつのつたない貢献としてであり、またひとつの警告として、すなわち、オリエンタリズムのごとき思考体系、権力の言説(ディスクール)、イデオロギー的虚構--精神によってつくり出された手枷--が、驚くほどたやすくつくられ、応用され、保護されるものだという警告としてであるだろう。わけても、私が読者に理解していただけたことを願っているのは、オリエンタリズムに対する解答がオクシデンタリズムではない、ということである。かつての「東洋人」は、自分が以前東洋人であったから容易に--あまりにも容易に--自分のつくり出す新たな「東洋人」--つまり「西洋人」--を研究できるものだと考えても、何の気休めにもならないだろう。もしオリエンタリズムを知ることに何らかの意味があるとすれば、それは、知識が誘惑にとって堕落した姿を思いおこさせてくれる点にある。たといそれがいかなる知識であれ、またいずれの場所、いずれの時であろうとかまわない。だがおそらく、かつて以上に今こそが、それを思いおこすのにふさわしい時なのではないだろうか。
    --エドワード・W・サイード(板垣雄三・杉田英明監修、今沢紀子訳)『オリエンタリズム 下』平凡社、1993年。

-----

昨今の政論を耳にする度に、この怒声はなにのために、議論しているのだろうか……と深く悩むことがあり、先週来より、サイード(Edward Wadie Said,1935-2003)の『オリエンタリズム』を再読せねばと自覚しましたので、ちまちまと読んでおりましたようやく昨夕、再読が完了しました。

人間という生き物は、生きている事物そのものをなんらかの抽象概念とか曖昧な法則、そして突っ込んで言うならば、なんらかの“敵”なるものと仮想して、ヘゲモニー闘争を繰り広げてきましたが、そこには生きている事物はまったく存在せず、「つくりだされた」なにがしかだけが存在しているようです。

生きている人間から遠く名離れ、敵対として仮想した相手だけを相手にする様です。

どこかに神の視座があるとして、そこから眺めてみるならば、それはまさに“徒手空拳”の舞に他ならないのでしょう。

かつて西洋の進歩的といわれる知識人たちは、自らの内部に保持しない“異質”なるものを“オリエント”として「表象」してきたわけですが、そこに表象=代表されたオリエントには生きた人間は全く存在しなかったわけです。

まさにサイードが言うとおりで、「人間の研究が、決してペダンティックな抽象概念とか曖昧な法則、恣意的体系に基礎を置くものではなく、具体的な人間の歴史と経験とにもとづくべきものであることも、我々はまた忘れてはならない」のでしょう。

ひ弱な体制の言説も、そしてメディアによってミスリードされているような“風”(しかしその実は“風邪”?)的勢いに乗る反体制の議論にも見えてこないのは「具体的な人間の歴史と経験」なのかもしれません。

威勢の良いかけ声とか、(ありえないのですが)バラ色の未来要素図をこれみよがしに説いてみせる営業マン的なフレーズには、どこか「ペダンティックな抽象概念とか曖昧な法則、恣意的体系に基礎を置く」ハッタリにしか思えません。

為にする議論といってもよいでしょう。

そこには生きた人間の立場はまったく想定されておりません。
パワーゲームの勝敗のみが目的であり、生きた人間がまったく目的にされていないというのが実情でしょう。

すこしは、そうした人々にもサイードの議論にでも耳を傾けて貰いながら、敵・味方二元論を超克する「人間のため」という議論を熱心にやって貰いたいものだ……と思うのは宇治家参去ひとりではあるいまい……とは思うのですが、そんなことを仮託しても“はじまりません”ので、あれか・これかではない、生きている人間が幸福に直結できる道筋を、模索するほかありません。

そしてその闘いが必要なのでしょう。
しかしその闘いとは、サイードのいう「オリエンタリズムに対する解答がオクシデンタリズムではない」とおり、一方的廃棄をめざす破壊のため破壊ではなく、創造をみちびく第3の選択肢の歩みということなのでしょう。

これは人類の歴史においては、いくつかの例外を除いて実現したことない歩みなのでしょう。いわゆる暴力革命に見られる通俗的な事例ですが、悪なる政府をたたきつぶす正義の革命家が“我を忘れて”“敵をたたきつぶす”最中に、当初の目的を抛擲してしまい、体制転換できたものの結局はおなじ歩みを歩み出すという事例ばかりですから。

そういえばキング(Martin Luther King, Jr.,1929-1968)が興味深いことを言っておりました。

-----

闘争のなかで暴力を行使することは、非実際的であるばかりでなく非道徳的でもあるだろうという点を強調した。憎悪にむくいるには憎悪をもってすることは、いたずらに宇宙における悪の存在を強めるにすぎないだろう。憎悪は憎悪をうみ、暴力は暴力をうみ、頑迷(がんめい)はますますおおきな頑迷をうみだす。ぼくたちは憎悪の力にたいしては愛の力をもって、物質的な力にたいしては精神の力をもって応じなければならない。ぼくたちの目的は、決して白人をうちまかしたり侮辱したりすることではなく、彼らの友情と理解をかちとることでなくてはならない。
    --M.L.キング(雪山慶正訳)「非暴力という武器」、『自由への大いなる歩み』岩波書店、1971年。

-----

うち負かすのは、自己に掬う憶病とか卑怯であり、対象をうち負かすことが目的ではないのでしょう。対象をうち負かしてやろうとやってしまうと、その対象は生きた現実から遠ざかり、人間していながら、人間から遠く離れた抽象化された立場になってしまうのでしょう。

だからこそ、自分自身に問いかけながら、そして対話を重ねながら、現実という世界をレコンキスタしていく他ありません。

さて……昨日。
細君に来客ありて、それまで息子殿と自室へ「引き籠もり」命令が出たのですが、お陰様で1年ぶりに宝物?と遭遇することができました。
昨年の5月、真・江ノ島水族館へたちよった際、自分のために~と買い求めた蟹の灰皿が発掘されました。

見てくれは蟹ですので、息子殿が「灰皿につかわないで~」と懇願するため、灰皿としての使用ができず、本来の目的とはかけ離れた?「玩具」として使用されたわけですが、目新しいのも数日で、そのまま放置され、使われない玩具箱の中で眠っていたようで……、息子殿との「引き籠もり」タイムにて再発見できた次第です。

形は蟹でございます。
そして機能としては灰皿でございます。
そして宇治家参去にとっては道具で御座います。
しかし息子殿にとっては玩具です。

まさにひとつの対象はひとつの価値観に還元することは不可能であり、還元してしまう、そうだ!とレッテルを貼ってしまう(→オリエンタリズム)ことほど困難なことはないよな……などとすこし思った次第です。

だからこそ、何に使うか?は対話によって確認するほかありません。

……って父親の“権威”がまったく機能していないという意味では、うちの家庭は非暴力主義が貫かれているということでしょうか……ねえ。

……って?くどいですが、写真は切り植えして2年目に華を解き放った紫陽花です。
昨年は青葉だけでしたが、本然初めて華を添えてくれました。

02saaid 03_r0015274

オリエンタリズム〈下〉 (平凡社ライブラリー) Book オリエンタリズム〈下〉 (平凡社ライブラリー)

著者:エドワード・W. サイード
販売元:平凡社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (0) | トラックバック (0)

必要なのは、なにが最善かをモラルを踏まえて考えることであり、モラルをとく政治屋ではありません

01_r0014944
-----

 ……私は、道徳的な政治家、つまり国家政略の諸原理を道徳と両立する形で採用する政治家は考えることができるが、政治的な道徳家、つまり道徳を政治家の利益に役立つように焼き直す道徳家は考えることができないのである。
 道徳的な政治家は、次のことを自分の原則とするであろう。すなわちそれは、あらかじめ避けることができなかったさまざまな欠陥が国家体制や国際関係に生じた場合、どうすればそれらの欠陥ができるだけ早く改善され、理性の理念のうちに模範として示されている自然法に適合するようになるか、それを考慮することが、とくに国家元首たちにとって、たとえそれがかれらの利己心に犠牲を払わせるとしても、義務である、ということである。
    --カント(宇都宮芳明訳)『永遠平和のために』岩波文庫、1985年。

-----

ぐだぐだと悪評の方が先に立ちますし、そういうキャラですが、トータルとしてそれなりに仕事はしていた……言うまでもありませんが、本人ではありませんヨ……麻生内閣は衆議院を解散し、総選挙へとコマを勧めたようです。

印象批判にすぎませんが、魂の実感?としては小泉純一郎以降の政権担当者には福徳が欠如していたのではないだろうか……そう思われて他なりません。

もちろんそうした目に見えない人福の部分ですのでとやかく容喙する必要もありませんが、そう思われて他なりません。

いずれにしてもブームでも風でも、雰囲気でもノリでもないきちんと「仕事をする」新しい体制が構築されることを心より切に祈るばかりです。

……ということで、仕事続きで考察するほど脳力がついていきませんので、カントの言葉でも紹介しておきます。

必要なのは、なにが最善かをモラルを踏まえて考えることであり、モラルをとく政治屋ではありません。カント(Immanuel Kant,1727-1804)がまさにいうとおりでモラルを説く政治屋は、自分の政治のためにモラルを利用していることに他なりませんから。

このことは宗教を利用する原理主義的テロリズムと発想が同じであり、そうした人々にはもはや退場を迫りたいものですが、うえの一文は、立候補しようとする御仁たちには是非、心読してもらいたいものだ!……と思うのは宇治家参去ひとりではあるまい。

……ということのついでに、戦時下でひとり闘争をつづけた稀有のリベラリストにしてジャーナリストである清沢洌(1890-1954)の日記の一節から。ちょうど、今から69年前の独白です。

日米開戦からおよそ1年あまり経過した1942年(昭和17年)から清沢は新聞記事の切抜きを含む詳細な日記を遺しはじめましたが、そこで痛罵される官僚主義の弊害、迎合的ジャーナリズムの醜態と社会的モラルの急速な低下の叙述は痛々しくも悲しくもあるわけですが、清沢の死後、システムとしての民主主義が構築されたにもかかわらず、そこで痛々しくも悲しくもつづられた有り様はなにひとつかわっていないなと実感する次第ですが、あきらてはならないのでしょう。

あきらめてしまうと、スピヴァク女史(Gayatri Chakravorty Spivak,1942-)に怒られてしまいます。

-----

昭和18年7月

 七月二十一日(水)
 朝のラジオは、李王殿下が航空指令官(?)に御就任の由を伝え、かつ重要ポストに皇族方の御活躍の例をあぐ。
 皇族方が最重要ポストに就かるることが、この際ラジオの宣伝する如く健全なる証拠であろうか。時局困難なる際、その部の失敗は、すなわち頭目に責任が帰するのである。
 また皇族方は、その実力から、重要ポストに就任されるという感じを国民に持たしむるであろうか。
 東電記念出版のために、昭和年代の年表を作成中だ。満州事変前二、三年いかにストライキ、学校騒動、思想関係の事件が多きことか。陛下を狙撃せんとする企ても、難波大助事件、昭和七年の鮮人逆徒李奉昌等の事件あり。この不安と動揺とが、満州事変に現れたともいい得るであろう。
 この底流は、十年後の今日も、なお払拭されておらぬのである。この大東亜戦争の結果、何事かが起こらぬと考うることは、その事が不自然である。
 ミリタリズムとコンミュニズムとの妥協。予はコンミュニズムは封建主義と同じフレーム・オブ・マインドの産物なりとの見解を抱く久し。この事は、あらゆる方面に見られる。
 五・一五事件の三日後に、日支事変(満州事変)に対する第一回の論功行賞あり。爾来、戦争が終わらない間に行賞す。何という大胆さ。--(第四十四回の行賞発表)
    --清沢洌(橋川文三編)『暗黒日記1』ちくま学芸文庫、2002年。

-----

のみこまれない賢明さ必要だと思います。
不安と動揺はどの時代にもつきものです。
本質を見抜く眼を養い、ひとびとと「あきらめずに」対話していく、そしてできることをコツコツとやっていくほかありません。

……ということで、かなり疲れているので寝ます。

02im20090721as3s2100f2107200913 03_r0015238

永遠平和のために (岩波文庫) Book 永遠平和のために (岩波文庫)

著者:カント
販売元:岩波書店
Amazon.co.jpで詳細を確認する

永遠平和のために/啓蒙とは何か 他3編 (光文社古典新訳文庫) Book 永遠平和のために/啓蒙とは何か 他3編 (光文社古典新訳文庫)

著者:カント
販売元:光文社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

暗黒日記〈1〉 (ちくま学芸文庫) Book 暗黒日記〈1〉 (ちくま学芸文庫)

著者:清沢 洌
販売元:筑摩書房
Amazon.co.jpで詳細を確認する

暗黒日記―1942‐1945 (岩波文庫) Book 暗黒日記―1942‐1945 (岩波文庫)

著者:清沢 洌
販売元:岩波書店
Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (0) | トラックバック (0)

よく知られているからと言っても、認識されているわけではない。

01_r0015196

-----

 一般によく知られたものは、よく知られているからと言っても、認識されているわけではない。認識するにあたって、あることをよく知っている前提として、それをそのまま甘受するのは、最もありきたりの自己欺瞞であり、他人に対する欺瞞でもある。そういう知は、あれこれとおしゃべりはするが、自分がどうなっているのかもわからずに、一歩も前進しない。主観と客観など、神、自然、感覚などということは、よく知られたものとして、ろくに吟味もされないで、妥当するものとして根底におかれており、前に出るときにも、後に帰るときにも、支点とされている。だから運動といっても、動かないままである。そういうものの間を、あちこちと行ったり来たりするだけである。だから、それらのものの表面にただよっているにすぎない。したがって、把握とか吟味とか言っても、それは、そう言われたものを、各人が自分の表彰のうちに見つけるかどうか、何人にもそのように思われ、そのようなものとして知られているかどうかを、見るだけのことである。
    --G.W.F.へーゲル(樫山欽四郎訳)『精神現象学 上』平凡社、1997年。

-----

「ただしいとわかっているけどねえ、けれどもねえ、できないんだよねえ」とか「わかった! わかった!」(と言って何もしないあり方)という言い方を、若い頃からよく聞いており、本当にわかっているのかなあ~と、その言い方に対して居心地の悪さをいつも感じていた宇治家参去です。

「わかった! わかった!」と言うのならば、どうして「わかった!」とおり、やらないのかなア~と疑問に思うのが常道ですから、いたしかたありません。

ちょうど大学時代、先輩の仏教学者にその話を吐露したところ……

「そんなこと気にしてしょうがないやん、それはそもそもわかっていないからなんやん」
※怪しい関西弁ですが、この先輩関西の方ですのでたぶんそういう言い方……。

という極めつけ!の答えを頂戴したことがあります。

う~む、たしかに!
なるほど、ガッテン!

不快感とか違和感が全くなく……すとんと「理解」「納得」した記憶があります。

たしかに言われるとそうであって、言葉としては「わかっているよっ」ていうフレーズを使ってはいますが、その実その対象に対して「なにもわかっていない」し、「正しいと思っていない」からこそ、「わかっている」「理解している」といいながら、「わかっていない」のが精確な消息なのでしょう。

うだるような暑さの中、市井の職場においても毎度毎度改善レポートを提出しているのですが、「わかった!」「よくできている」「さっそくこれでいこう」などと返答はされるものいつも、スルーされております。

結句改善が進まないまま、毎度毎度十年一律の不幸の永劫回帰が続いており、どうして「わかっている」とか「理解した」とか言っているのに、実行されないのだろうか……などと深いため息をもらしてまう毎日です。

ついでながら、「了承」はとりつけているその対案は別に人員を増やすといったコスト的に無理のある取り組みでは決してありません。

たとえば店内放送のフレーズをすこし変えてみるといったような小さな工夫なのですが……否決はされていないにもかかわらず、どうも励行されいないようで……。

空の段ボールに対してのみならず、コンクリートの壁になんどもパンチを繰り出しそうになりましたが、ぐっと堪えながら、その違和感にふりまわされそうになる自分自身に対しても厭になてくるわけですが、ちょいと落ち着こうと!一服タイムでへーゲル(Georg Wilhelm Friedrich Hegel,1770-1831)と向かい合っていると、冒頭に紹介した学生時代の思い出を思い出した次第です。

まさに、へーゲルの言っているとおりです。

-----

般によく知られたものは、よく知られているからと言っても、認識されているわけではない。認識するにあたって、あることをよく知っている前提として、それをそのまま甘受するのは、最もありきたりの自己欺瞞であり、他人に対する欺瞞でもある。そういう知は、あれこれとおしゃべりはするが、時bんがどうなっているのかもわからずに、一歩も前進しない。
    --へーゲル、前掲書。

-----

わかっていないにもかかわらず、「わかっている」と言い切ってしまうことほど暴力的な行為はないのかもしれません。

しかし「わかっている」ことを「励行」してもらうまで「わかっているよ」っていうわれる内容を「確認」し続ける執着というのも必要なのかな……と思う次第でございます。

うえの「そんなこと気にしてしょうがないやん、それはそもそもわかっていないからなんやん」の言葉のおまけですが、「だから、わかるまでいわなきゃいけないんやん」とのことだそうでしたからネ!

不思議なもので、こういう日に限って夕日が美しいものです。

10039764 3_r0015207

精神現象学 (上) (平凡社ライブラリー (200)) Book 精神現象学 (上) (平凡社ライブラリー (200))

著者:G.W.F.ヘーゲル
販売元:平凡社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (4) | トラックバック (0)

国家だって? それは何か? さあ! 今こそ耳を開いてわたしの言うことを聞け。

00_r0015103

-----

 どこかには今なおかずかずの民族や畜群が存在するであろうが、われわれのところには存在しない、わたしの兄弟たちよ、ここには諸国家が存在するのだ。
 国家だって? それは何か? さあ! 今こそ耳を開いてわたしの言うことを聞け。というのは、今こそわたしはきみたちに、諸民族の死について、わたしの言葉を述べるのだから。
 国家とは、すべての冷ややかな怪物たちのなかで、最も冷ややかな怪物のことだ。じじつまた、それは冷ややかに嘘をつく。そして、次のような嘘が、その口からひそかにもれる。「われ、国家は、民族なり。」
 それは嘘だ! 民族を創造し、民族の頭上に一つの信仰と一つの愛とを掲げたのは、創造者たちであった。このようにして、彼らは生に奉仕したのだ。
 多数者のためにわなを仕掛け、このわなを国家と称するのは、破壊者たちである。彼らは多数者の頭上に一つの剣と百の欲望を掲げるのだ。
 今なお民族が存在するところでは、民族は国家を理解せず、国家を毒々しいまなざしとして憎み、また、もろもろの慣習や法に対する罪として憎む。
 民族の象徴として、わたしは次のことをきみたちに述べておく。それぞれの民族は、善悪についての、みずからの言語を語る。この言語は隣の民族には理解されないのだ。それぞれの民族は、もろもろの慣習や法というかたちで、みずからのためにその言語を考案した。
 だが国家は、善悪についてのあらゆる言語を用いて、嘘をつく。そして、何を話そうとも、国家は嘘をつく--また何を所有していようとも、国家はそれを盗んだのだ。
 国家に付随する一切のものは、まやかしである。国家は、このかみつく癖のあるものは、盗んだ歯でかみつくのだ。国内の内蔵すらまやかしである。
 善悪についての言語が混乱していること、この徴表を、わたしはきみたちに、国家の徴表として述べておく。まことに、この徴表は死への意志を暗示しているのだ! まことに、この徴表は死を説教する者たちに合図を送っているのだ!
 あまりに多数すぎる者たちが生まれる。この余計者たちのために国家は考案されたのだ!
 さあ見よ、国家が、彼らが、あまりに多数すぎる者たちを、みずからのほうへおびき寄せる有り様を! 国家が彼らを呑みこみ、かみくだき、反芻する有り様を!
 「地上にわれより大なるものなし。われは神の秩序づける指なり」--そのように、この怪獣はほえる。すると、意気(そ・さんずい・且)喪して屈服するのは、耳の長い者たちや近眼の者たちだけではないのだ!
 ああ、きみら大いなる魂の持ち主よ、きみたちの耳にも国家はその陰気な嘘をささやくのだ! ああ、国家は、好んでみずからを浪費する豊かな心の持ち主たちを察知するのだ!
 国家は、英雄たちや尊敬すべき者たちを、みずからのまわりに配置したがるのだ、この新しい偶像は! 国家は、もろもろの満足せる良心の日光にひたることを好むのだ、--この冷ややかな怪獣は!
 きみたちが国家を崇拝するなら、それはきみたちにすべてを与えようとする、この新しい偶像は。こうして国家は、きみたちの徳の輝きと、きみたちの誇らかな目の光とを買収するのだ。
 国家は、きみたちを餌にして、あまりに多数すぎる者たちをおびき寄せようとするのだ! そうだ、ここに地獄の手品が考案されたのだ、神々しい栄誉に飾られて、がちゃがちゃと音をたてる、死のウマが!
    --フリードリッヒ・ニーチェ(吉沢伝三郎訳)「ツァラトゥストラ 上」、『ニーチェ全集 9』筑摩書房、1993年。

-----

ここ4、5年、鈍痛がつづいております。
その鈍痛とは、いわば、本当は歯医者にいってがりがりやってもらうとスッーって痛みの引くような痛みであり、毎日いたいわけではないのですが、思い出したときに、ふと痛みがよぎる……そのようなまさに鈍い痛みが続いております。

それは別に肉体に関する痛みとか違和感ではありません。
気にしなければ別に痛いわけでもなく、看過して放置することも可能な問題です。

しかし、放置できないよな~という違和感が痛みの原因になっているのかもしれません。

それはすなわち、「国家」へのこだわりという問題です。
若い学生さんたちと向かい合っているとこのことに直面させられ、ぎょとすることがしばしばあります。

ここ4、5年の「違和感」ですから、ひょとすると「ゆとり教育」以降かもしれません。

彼・彼女らの吐露する国家に対する愛着とか、無媒介な肯定の言説にときどき、ぎょとしてしまうことがあります。

国家……国際政治・政治思想史における「国民国家」(Nation-State)の成立・発明・創造はフランス革命以後と言われています。その意味では国家という枠組みは人工の産物にほかなりません。

「○○四千年の伝統」……なんてウソッぱちですし、ここ200年ぐらいつくられたプロパガンダにほかなりません。

その土地、その土地に生きている人間にとっては、そこが世界であり生活地平であったわけですが、それが一元的な国家という枠組みに収斂されてきたのが「近代」というプロジェクトなのでしょう。

たしかに創造の産物ではあるわけですが、なにしろ十分な効力を備えておりますから、それを実体視し、なにやら「連綿」たる創業史を夢想することはたやすいです。

国章のおされたパスポートがなければ渡航はできません。
そして、それを保持していなければ、保護の対象にもなりません。

たしかに国家は構成員に対して保護をしてくれます。
しかし、それ以上に果てぬ要求もつきつけてれくます。

だからこそ19世紀後半から一世を風靡したアナキストたちは、そうした枠組みを唾棄し、自治を模索したのでしょう。

そしてその心根も理解できなくもないです。

結論的に言うならば、そして歴史を振り返って勘案するならば、特に「総力戦」(起源はカール・フィーリプ・ゴットリープ・フォン・クラウゼヴィッツ〔Carl Phillip Gottlieb von Clausewitz,1780-1831〕に起因しますし、ちょうどフランス革命を経験しております)以後、国家は「保護」よりも「動員」を命じることに主題をおいております。

使い古された言葉ですが「お國のために死ね」と言われても困惑するばかりです。

もちろん、そんなストレートには、いまの“洗練”された国家なるものは“発言”しませんけれども。

しかし、なんとなく……「うつくしい日本」(たしかに美しいですが)、「連綿たる歴史」(たしかにそれは血の歴史ですが)……ご木霊されると、はあというかぎりで。

そして職業革命家たちの夢想として……とくにアナキスト……として代換案を提示しますが、「世界市民主義」(cosmopolitanism)を標榜しますけれども、それはその実、ディオゲネス(Diogenes,B.C.412?-B.C.323)的なデラシネな“根無し草”的放棄ですし……。

なんだかなア~と悩むばかりです。

国家の言説も、職業革命家たちの夢想も極端なあり方ばかりでございまして。

本来的には、生きている現場に内在しつつ、世界へと超越していく視座が内在されているのだと思うのですが……。

……って、かなりずれてきました。

最初の違和感にもどりましょう、“ゆとり”以後の。

最初に違和感を感じたのは、「○○国の哲学を教えて下さい」的なフレーズです。
普遍を模索する哲学においては「○○国」など介在しないわけでありまして……。

ん、、ん、、ん、、……。

地域とか文化、言語圏における共通了解はあるのですが……。

ん、、ん、、ん、、……。

「○○国の哲学」なんてやっているのは、国際政治学で「失敗国家」(failed state,collapsed state)とカテゴライズされる北の“将軍様”の大地になるわけですけれども、遠くをさがさなくとも「道は近きにあり」だったのでしょうか。

国連は、世界市民の訳語を2000年前後に、「cosmopolitan」から「worldcitizenship」に変更したようですね。

「ゆとり教育」がかつての大本営“発表”になってしまうことを危惧するばかりです。

根無し草も無用ですが、大きな声で「国号」を発するあり方にも反吐が出ます。

生きている人間を大切にしない命令には誰も耳を傾けないはずなのですが……。

職業革命家の言説でもない、
ウルトラ・ナショナルの言説でもない、「worldcitizenship」を模索していくしかありませんネ。

しかし、「ゆとり教育」でいちばん問題だったのは、伝統的なナショナリズムの脱構築だったことにはおどろくばかりです。

……って例の如く支離滅裂ですいませんが、ああ、結構飲んでいます。

国家にも、共同体にも依存しない自存自律のひとびとの連帯こそ大切なんですが……、

……ってことで、レーベンブロイ(LÖWENBRÄU、ドイツ)、さっぱりとしていいです。

国家に何かして貰おうというもくろみは毛頭ありません。
そして国家に動員されるつもりも毛頭ありません。

創造の共同体であるとすれば、そこに奉仕すべき共同体をもさくすべきなのですが、

大丈夫かよっ!

02ni 03_r0015156

ニーチェ全集〈9〉ツァラトゥストラ 上 (ちくま学芸文庫) Book ニーチェ全集〈9〉ツァラトゥストラ 上 (ちくま学芸文庫)

著者:フリードリッヒ ニーチェ
販売元:筑摩書房
Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (0) | トラックバック (0)

オプティミスムは誓約を求めている

01_r0014876
-----

 93 誓わねばならない

 悲観主義は気分によるものであり、楽観主義(オプテイミスム)は意志によるものである。気分にまかせて生きている人はみんな、悲しみにとらわれる。否、ただそれだけではすまない。やがていらだち、怒り出す。子どもの遊びを見ればわかる。子どもの遊びは規則がないと、けんかになってしまう。自分自身をさいなむあの無秩序な力以外にここではどんな原因もないのである。ほんとうを言えば、上機嫌など存在しないのだ。気分というのは、正確に言えば、いつも悪いものなのだ。だから、幸福とはすべて、意志と自己克服とによるものである。いずれの場合も理屈は奴隷みたいなものだ。命令にしたがって動くだけだ。気分には驚くべき思考システムがあって、それが狂人にあっては拡大されて見られる。被害妄想にとらわれている不幸な人のおしゃべりには、いつも真実味と雄弁とがある。オプティミスムから生まれた雄弁は、人の気持ちを和らげる類いのものであって、憤慨の饒舌とは好対照をなすものである。その雄弁を聞くと心が和らぐ。真価を発揮するのは口調(トーン)であって、ことばそのものなど小唄ほどにも意味がないのだ。気分のなかでいつも聞こえてくるあの犬どものうなり声、あいつはまず第一に、やめさせねばならない。なぜなら、あのうなり声こそわれわれの心のなかにある確かな病気であって、しかもそれは、われわれの外にありとあらゆる種類の病気をもたらすものだから。したがって、礼儀作法(ポリテス)は政治(ポリティック)にふさわしい規則である。この二つのことばは親類である。礼儀をわきまえた者、それこそが政治家である。
 その点について、不眠症の例は示唆的である。あの何とも言えない気分のことはだれでもよく知っている。そういうふうに生きていること、それ自体が耐えがたいように思われるのである。ここでは、子細に考える必要がある。自己支配は、生存を組み立て、生存を保証している。そのことはまず、行動によってわかる。丸太を輪切りにしている人の夢は、いともたやすくよい方向に変わって行く。猟犬の群は獲物を追いかけている時にはけんかなどしないものだ。思惟の病に対する第一の治療法は、したがって、丸太を輪切りにすることである。しかし、はっきりと目ざめた思惟は、それ自身のなかにすでに気持ちを和らげる力をもっている。選びとることによって排除している。ところで、不眠症の病根はここにあるのだ。眠りたがっているのに、自分に対して、動くな、選ぶな、と命じているからだ。こうして自己支配ができないために、すぐにからだと心とが一緒になって、機械的(メカニック)な、無意識の流れにしたがってしまう。犬どもがけんかを始める。あらゆる運動が痙攣的であり、あらゆる観念が刺戟的である。そうなってしまうと、最大の友人までも疑うようになる。しるしというしるしはすべて、悪い方に解釈されているのである。自分自身、ばかをやっていて阿呆らしいと思うようになる。だが、こういう見かけはなかなか強いので、丸太を輪切りにするどころではない。
 そこから非常によくわかることは、オプティミスムは誓約を求めていることである。最初はどんなにおかしな考えに見えようとも、幸福になることを誓わねばならない。主人の鞭によってあの犬どものうなり声をすべてやめさせねばならない。最後に、用心のために言っておく。憂鬱な思考はすべて、自分をだます落胆だと思ってさしつかえない。そう考えてよいのだ。なぜなら、われわれは何もしないでいると、すぐに自ずと不幸をつくり出してしまうものだから。退屈さがそれをあかししている。しかし、われわれの考えは、それ自体では棘々しいものではない。また、われわれがいらだつのは自分自身の心の動揺である。そのことを最もよく示しているのは、からだの中のものがすべて弛緩したあの半睡状態という幸福な状態である。だが、これは長続きしない。こうして眠りが告げられたなら、ほんとうの眠りはすぐにやってくる。ここで自然のはたらきを促進させている眠りの方法は、とりわけ、中途半端に考えようとは絶対しないことだ。思考に没頭するか、それとも全然考えないか、どちらかである。自己支配を欠く思惟はすべて、誤ったものだという経験を活かすことだ。こういう毅然たる判断によって自己支配を欠く思惟はすべて、夢想レヴェルに格下げされる。そして棘をもたないあの幸福な夢が準備される。逆に、夢を開く鍵はなんでもかで重大視してしまう。それこそ不幸を招く鍵である。
    一九二三年九月二十九日
    --アラン(神谷幹夫訳)「幸福にならねばならない」、『幸福論』岩波文庫、1998年。

-----

ちょいと長いのですが載せておきます。

20世紀最大のモラリストといってよいアラン(Emile-Auguste Chartier,1868-1951)の「楽観主義」論がうえの文章です。

月曜の講義にて学生さんたちと話し合うために、アランの文章を材料に考えてみたわけですが、なんで哲学の講義で楽観主義か!などと深い突っ込みはお許し下さいませ。

哲学というものが根本原理の探究であるとすれば、人間が哲学するということは文字っ面だけのはなしではなく、生き方の問題と密接に関わってくるわけですから、「楽観主義」の問題とも対峙せざるを得ません……それが実情です。

さて、楽観主義の問題に関しては、アメリカを代表する心理学者A・マズロー(Abraham Harold Maslow,1908-1970)に代表される、人間の自己実現を「欲求の階層」によって「説明」するアプローチが人口に膾炙されております。

そしてその「説明」に納得することも多く、マズロー自身が根っからのヒューマニストであったがゆえに出てきた言説であることも承知なのですが、いかんせん、心理学の還元主義的アプローチにちょいと違和感を覚えなくもないので、「説明」することで学生自身が「考える」「暇」を奪ってしまうのも難だよな……。

……ということでアランの文章を紹介した次第です。

マズローの「説明」よりも難解で「エスプリ」溢れる文章ですが、アランの言葉は、楽観主義を「説明」してはいないものの、その極意を突いている部分があり、その言葉と向かい合うことで、学生自身が「楽観主義」=○○である、と定義を覚えるのではなく、言葉を頼りに、一人一人が思索を深めていく機会になればと思い、今の若い学生にはすこし難しいかなア~とぼやきつつも、提示してみたところ、ドンペリ……いや、失礼、ドンピンだったことには、チャレンジして正解だったのかな?

さて……。
そのきっかけは前回の講義に端を発しております。
学生さんからの楽観主義理解に関する質問がそれにあたります。

ちょうどガンジー主義の現代性について議論していたわけですが、ガンジーは自身の心情を次のように吐露しております。

-----

 私はどこまでも楽観主義者である。正義が栄えるという証拠を示し得るというのではなく、究極においては正義が栄えるに違いないという断固たる信仰を抱いているからである。
    --ガンジー(K・クリパラーニー編・古賀勝郎訳)『抵抗するな・屈服するな ガンジー語録』朝日新聞社、1970年。

-----

-----

 わたしは手に負えないオプティミストです。わたしのオプティミズムは、非暴力を発揮しうる個人の能力の、無限の可能性への信念にもとづいています。
    --マハトマ・ ガンディー(森本達雄訳)『 わたしの非暴力I』みすず書房、1970年。

-----

思うに、思想の人間であれ、経綸の人間であれ、卓越した人物というものは、 ほぼ間違いなく楽観主義者の風格をもっているようです。そうした人物の中で群を抜いているのがやはりガンジーであり、その生涯はけれん味なく、あざやかな見本をしめしているようで、その楽観主義には驚くばかりです。

ガンジーの歩みを振り返ってみるならば、客観的情勢分析やその分析に基づく見通しに依拠して生み出された者ではありません。なにしろ、そうした手法をとってしまうと相対論に陥ってしまいますから。

しかしそうではなく、なにがあろうとも貫き通したその生涯をみてみるならば、まさに、絶対的・楽観主義ともいうべき力強い息吹を感じてしまうものであり、徹底した自己洞察の結果、どのような条件も容喙することのできぬ信念に近いダイナミズムを感じてしまわざるを得ません。

そしてそれが何に根ざすのでしょうか。
それはすなわち、人間への絶対的な信頼であり、死をもってしても奪い取ることのできない不壊の信念にほかならないのでしょう。

だからこそガンジーはひとりの人間が魂の次元において変革できるはずだ、そしてその変革は大地をも揺るがし、歴史をも転変させてしまうのだと歩み抜いたのだろうと思います。

まさにガンジーの楽観主義とは、菩薩の誓願にも似た人間への深い信頼と変革への革新に似た何かなのだろうと偲ばれます。

さて、話がガンジーの歩みの振り返りになってしまいましたが、その辺を前回呟いていたのですが、

「“どんなつらい困難な状況でも負けずに前向きにいることだと思ったけど・・・”、楽観主義ってこんなふうに考えればよいのでしょうか」

……と質問が出てきましたので、うえのアランの文章で、一緒に考えてみました。

たしかに、どんなつらい困難な状況でも負けずに前向きいることができれば、それにこしたことはありませんし、その歩みは楽観主義って状況の一つの事例なのでしょう。

しかし、なかなかそれを貫き通すのは困難でありますし、時には負けることもあれば、打ちひしがれることもあり、簡単に「負けずに前向きいる」ことだと言い切るわけにもいきません。

いい切ってしまうのは実に簡単なんです。
しかし、いい切ってしまうことで、現状の自分を否定しまくったあげくに、自暴自棄へと至る道程もたやすいものですから、そのヘンが難しいものです。

最初に通俗的な楽観主義理解、すなわち、棚からぼた餅・賽銭でOK式の楽観主義論の陥穽を指摘したうえで……宇治家参去はこの楽観主義理解を「根拠を欠いた夢想的楽観主義」理解と読んでおります……、学生さんたちに考えさせてみて、そしてアランの文章を読ませてみました。

いやはや、このアランの文章、冒頭から染みこんできます。すなわち「悲観主義は気分によるものであり、楽観主義(オプテイミスム)は意志によるものである。気分にまかせて生きている人はみんな、悲しみにとらわれる。否、ただそれだけではすまない。やがていらだち、怒り出す」。

悲観主義が気分の問題であるするならば、「根拠を欠いた夢想的楽観主義」も「気分の問題」なのでしょう。

では、その対極に位置する楽観主義とは何でしょうか。

アランによれば「楽観主義(オプテイミスム)は意志によるものである」ものだそうな。
「意志によるもの」だとすれば、その楽観主義とは「根拠を欠いた夢想」ではありません。

まさに根拠形成を丹念に仕込んでいくのがその楽観主義なのでしょう。

棚からぼた餅はおちてきませんし、賽銭投げても願いは叶いません。

そして今日は疲れたのであれば、今日は寝ればよいでしょうし、泣きたいときは泣けばいいのでしょう。

しかし、根本に「意志の問題」を置くならば、次の日からでも、1ヶ月後からでも、10年後からでも「意志」に基礎をおきながら、ヘンな言い方ですが、棚からぼた餅がおちてくるように「工作(耕作)」していけばよいわけですから。

その「工作(耕作)」は気分の問題ではありません。
ガンジーの実践にみられるような、まさに菩薩の誓願のごとく、結実した……このことは言い換えるならば、最初から決まったこと!を組み立てていくあり方なのだろうと思います。

まさに「証拠を示し得る」歩みではなく、証拠ははなからありますから「栄えるに違いない」組み立てをしてくわけですから……。

再びアランの言葉に即して考えるならば、つぎのあたりでしょうか。

「オプティミスムは誓約を求めている」

「自己支配は、生存を組み立て、生存を保証している」。

「自己支配を欠く思惟はすべて、誤ったものだという経験を活かすことだ」。

確かに自己支配という言葉に耳を傾けるならば、まさにそれは気分=悲観主義と対極にある人間存在論になってくると思います。気分に支配されると言うことはすなわち自己支配を欠くわけですし、自己支配を丁寧に組み立てていくことはまさに自分自身に対する「誓約」なのでしょう。

だから、最初に「幸福になることを誓わねばならない」ということができれば、左右されずに生きていくことができるし、そこには人生の「退屈」さは一切存在しないのでしょう。

「退屈」も「悲観」も気分の問題です。

……あとは学生さんたちに考え、生活の中で、言葉と摺り合わせながら内面化してもらうしかありませんが……。

しかし、この文章、昔も読んだことがありましたが、再読するなかで文章のタイトルが「誓わねばならない」ということには度肝を抜かれてしまいました。

ということで?
短大での哲学の授業ものこすところ最終講義一コマのみ。
今季は教材に沿いながらも、なるべく学生さんたちの関心や疑問応答とのなかで、哲学することを考えることが多く、遅々として授業計画どおり進みはしませんでしたが、「共に」考えることができたのは、楽観主義に限らず、お互いにとって実りあるひとときになったよな……と思わざるを得ません。

例えば、占いの是非、平和を願うのであれば平和のイメージとはどんなもの? また学生として平和にするためには何ができるの?……等々、拳と拳?で議論できたことは自分自身にとってもかけがえのない財産になったと思います。

……つうことで?

いやはや、本日の八王子は、ぐらぐらと煮えかえる地獄の釜の湯のごとく、暑さの酷い一日でございました。

大学の正門付近にある温度計は33度を示しておりました。

例の如く、出勤前に、ホット・コーヒーを我慢して、アイス・コーヒーで許してあげた次第です。

しかもおまけに「甘いモノ」まで付けてしまいましたので、なんだか男気あふれる宇治家参去が軟弱化しているようですが……暑いから仕方ありませんかね?

蛇足ですが、アランの文章の中断を読むと、現代の政治家たちには、礼儀もヘッタクレもなければ、アランなんかも読んだことがないのだろうな……などと推察されていほかなりません。

次の一文は公共に関わる人間には必要不可欠だろうと思います。

「礼儀作法(ポリテス)は政治(ポリティック)にふさわしい規則である。この二つのことばは親類である。礼儀をわきまえた者、それこそが政治家である」。

02_r0014876 03_r0015068

幸福論 (岩波文庫) Book 幸福論 (岩波文庫)

著者:アラン
販売元:岩波書店
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 わたしの非暴力 1 わたしの非暴力 1
販売元:セブンアンドワイ
セブンアンドワイで詳細を確認する

| | コメント (0) | トラックバック (1)

『わたしがこうして祈りを捧げるのはけっしておごりからではありません。なぜかと言えば、このわたしこそだれよりも汚れた身なのですから……』

01_r0015059 02_r0015047
-----

 「神父のみなさん、愛しあってください」長老はそう説いた(あとでアリョーシャが記憶していたかぎり)。「神の子である民衆を愛してください。ここに来て、この壁のなかに隠遁しているからといって、わたしたちが俗世の人々より神聖であるあかしにはなりません。それどころかここに来た人はだれも、ここに来たという事実によって、自分が俗世のだれよりも、この地上に生きるすべてのものより劣っているということを自覚したことになるのです……。修道僧は、壁のなかの暮らしが長くなればなるほど、ますます身にしみてそれを自覚してかからなくてはなりません。もしそうでなければ、ここにやってくる理由などまるでなかったことになりますからね。自分が俗世の人たちよりも劣っているばかりか、生きとし生けるものに対して罪がある、人間の罪、俗世の罪、個人の罪に責任を負っていると自覚したときにはじめて、わたしたちの隠遁の目的は達せられるのです。
 なぜかと言えば、よいですか、わたしたちひとりひとりは、地上のすべての人、すべてのものに対してまぎれもなく罪があるからなのですよ。俗世の一般的な罪にとどまらず、それこそ個々人が、それぞれこの地上のすべての人、ひとりひとりの人間に対して罪があるのです、この認識こそ、修行をおこなう人間ばかりか、地上に住むすべての人間が歩むべき道の到達点なのです。なぜかと言えば、修道僧といっても他の人間と本質を異にするわけではありませんし、地上に生きている人間がいずれそうなるべき姿にすぎませんからね。わたしたちの心というのは、いずれその時が来てはじめて、飽くことを知らない、無限の、宇宙的な愛にひたることができるのですよ。そうしてあなたがたひとりひとりは、愛によって世界全体をわがものとし、俗世の罪を涙によって洗いながすことができるのです……。
 だれもがご自分の心をしっかり見守り、怠らずに懺悔なさることです。ご自分の罪を恐れてはなりませんし、たとえ罪を自覚しても、悔い改めばよいことで、神さまに何か約束などしてはなりません。あなた方を否定し、あなた方を辱め、あなた方をののしり、あなた方を中傷するものも憎んではなりません。無神論者、悪を教える者、唯物論者を憎んではなりません。そうした人たちのなかの善人はむろん、悪人も憎んではなりません。なぜかと言えば、とりわけ今のような時代には、そういう人のなかにもたくさんの善人がおりますからね。
 そういう人のために、祈りのさいにこう言ってあげることです。『神さま、だれにも祈ってもらえない人たち、あなたに祈ろうとしない人たちも、すべてお救いください』とね。そしてすぐにこうつけ加えるのです。『わたしがこうして祈りを捧げるのはけっしておごりからではありません。なぜかと言えば、このわたしこそだれよりも汚れた身なのですから……』
 神の子である民衆を愛し、羊の群を侵入者に奪われないように気をつけなさい。怠け心や、汚らわしいおごりや、そしてなにより私欲にかまけていたりすれば、四方から侵入者どもがやって来て、あなた方の羊の群を奪い去ってしまいます。民衆には、怠りなく福音を説いてあげなさい……。不正に蓄財してはいけません……。金銀財宝を愛してはいけません、所有してはいけません……。神を信じ、信仰の旗をしっかりたずさえ、高く掲げてください……」
 もっとも、長老の話は、ここに記したものよりも、また後にアリョーシャが書きとめたものよりも断片的であった。
    --ドストエフスキー(亀山郁夫訳)『カラマーゾフの兄弟2』光文社、2006年。

-----

6連勤あけの金曜日は、さすがに課題がつまっておりましたので、学事に集中させていただき、添削の済んだレポートを大学へ返却すると、紀要論文の資料に今一度目を通しながら、ちまちまと入力作業をやっておりますと夕方です。

夜は細君が外出とのことで、息子殿と種々○○ごっこなんかをやっておりますと、疲れてしまい、疲れを癒すため!との理由にて鯨飲したのがよくなかったのかもしれません。

土曜日は朝から細君の用事で世田谷へ繰り出すことになっておりましたので、そうそうにたたき起こされ……涙そうそうです。

子供の用事ではなく親の用事での外出になりますが、息子殿を留守番させるわけにもいきませんので、御同道ということになりますが、息子殿的には、例えば水族館とか動物園にいくという本来的な自己自身の実存関わる外出ではない、いわばどうしようもなく付き合わされる要件ですが、そこは飴と鞭?ということで、「おりこうさんにしていると、ゲームをしてもいいよ」というアレがありますので、本人も朝から臨戦体制?……という状況にて出発です。

今回は細君がもともと務めていた会社の後輩に用があり、「暇ならついてこいや!」ってことで同行しましたが、ひさしぶりの梅ヶ丘散策はなつかしくもありました。

駅からまっすぐ南にくだると国士舘大学で、ちと西へ向かうと環7通……。
このへんはむかし知人が住んでいたので、よくおぢゃました地域でもあります。

小田急線のとなりは豪徳寺になります。
学生時代にチェロをやっていたのですが……ガラではないですが……、そのオケの音合わせで月に何度かは利用しておりましたので、いや~ア、懐かしいなアなどと往時をしのびばせて頂いた次第です。

ホンマ、私事がおちつけば、ふたたび、チェロ弾きの宇治家参去へともどりたいものです。ここ数年まったくひいておりませんから。

さて……。

昼過ぎから市井の職場がありますので、駅へ向かうと、日曜の首都決戦@マスコミを控えた都議会議員候補の遊説ががんがんなりひびいておりました。

「○○を愛しております(○○はそこの街の名前)、そして世田谷を愛しております、そして東京をあいしております! ○○のため、そして世田谷のため、東京のために働いて参ります」

……とのことだそうでした。

……ってスルーしてしまうと宇治家参去ではありません。

否、強烈な違和感すらわき起こる次第でありまして、私淑するレヴィナス老師(Emmanuel Lévinas,1906-1995)の言葉をどうしても思い起こさずには居られません。

-----

-----
ポワリエ 他人はみなそれぞれかけがえのないものですけれども、私たちは全員をひとしく愛することができません……
レヴィナス まさしく、それゆえに、私たちは、私が倫理的秩序あるいは聖性の秩序あるいは慈悲の秩序あるいは愛の秩序あるいは慈愛の秩序と呼ぶものから出てゆかねばならないのです。いま言ったような秩序のうちにあるとき、他の人間は、彼がおおぜいの人間たちの間で占めている位置とはいったん切れて、私とかかわっています。私たちが個人として人類全体に帰属しているということをとりあえずわきにおいて、かかわっています。彼は隣人として、最初に来た人として、私にかかわっています。彼はまさにかけがえのない人であるわけです。彼の顔のうちに、彼がゆだねた内容にもかかわらず、私は私あてに向けられた呼びかけを読みとりました。彼を放置してはならない、という神の命令です。他なるもののために、他なるものの身代わりとして存在すること、という無償性の、あるいは聖性のうちにおける人間同士の関係がそれです!
ポワリエ 質問を繰り返すことになりますが、私たちは全員をひとしく愛することができません。私たちは優先順位をつけ、判別します……
レヴィナス というのも「全員」(Tout le monde)という言葉が口にされたとたんにすべてが変わってしまうからです。その場合には、他人(l'autre)はもうかけがえのないものではなくなります。この聖性の価値--そしてこの慈悲の高まり--は、全員が同時に出現するという事態になれば、他の人たち(les autres)との関係を排除することも、無視することもできなくなります。ここで選択という問題が出てきます。私は「内存在性からの超脱」(des-interessement)を果たしながら、今度はいったい誰が際立って他なるもの(autre par excellence)であるのかを特定することを迫られるのではないでしょうか?評価(ratio)という問題が出てきます。裁きの要請が出てきます。そのときまさしく、「かけがえのないものたち」(uniques)のあいだで比較を行うという要請が、彼らを共通の種属に還元するという要請が出てくるわけです。これが始原的暴力(premiere violence)です。かけがえのない唯一性(unicite)に対する異議申し立てです。
     エマニュエル・レヴィナス、フランソワ・ポワリエ(内田樹訳)『暴力と聖性--レヴィナスは語る』国文社、1991年。

-----

そう、そのとおりなんです。

「愛する」という言葉はかんたんにつかうことのできないことばなんだよな……などと思う次第で……、愛するということは特定の対象に対する志向性であり、「全員」(Tout le monde)を愛することは原理的には不可能なんですね。

まさにインタビュアーのポワリエが吐露しているとおり、「他人はみなそれぞれかけがえのないものです」けれども「私たちは全員をひとしく愛することができません……」わけなんですね。

だからこそ、愛とは「始原的暴力(premiere violence)」にほかならないわけであって、○○という地域と、そして世田谷という区、そして東京という都を同列に論ずることは不可能だよな……などとしらっーって思いつつ、言葉の重さを知っているのか知らないのか理解不能な他者としての政治家(屋)さんは、言葉をぽんぽん使っていくよな~などと細君に言うと……

「たしかに、いまの演説はコンテンツがまったくないよね! 若さがマニフェストですって何なのかしら……?」

……とのことだそうです。

ひとつのことば、そしてひとつのできごと、そしてそこから世界へと直結していく歩みを完遂できる政治家がすくなったことは論を待ちません。

しかし、最近では、言葉に責任を負わなくなった政治屋も多くなってしまったのか……とはらはらと落涙でございます。

「若さがマニフェスト」であるならば、それは職業としての政治家@ヴェーバー的に見るならば、「若さ」を失った場合、職業としての政治屋を自ら失職せざるを得ない必然性を内包しているわけですけれども、こうした御仁ほど、職業としての政治屋・稼業にはこだわるものなのでしょうねエ。

……ってぼやきつつ、冒頭にもどりましょうか。

……ってずれずれ……というのはいつもの通りです。

ドストエフスキー(Fyodor Mikhaylovich Dostoyevsky,1821-1881)の『カラマーゾフの兄弟』からの一節ですが、世俗化された現代社会であるからこそ、ゾシマ長老の語るこの戒めを政治に携わるひとびとは一言一言噛みしめなければならないのだろうと思います。

宇治家参去なんぞは、酒をひとくすするときにおいても、そして大学の授業で哲学を、そして倫理学をかたる一挙手一投足のふるまいのどれひとつにおいても「罪」を「背負って」生きている「自覚」からわかちがたく存在している?のですが……その生き方というのもなかなか捨てたものではないと思うのですが、そのエートスが必要なのは、むしろそうしたひとびとに対してではなかろうか……などとおもわれてほかなりません。

本当は、「道徳の支配なくして自由の支配を打ち立てることは出来ない。信仰なくして道徳に根を張らすことは出来ない」と語って止まなかったトクヴィル(Charles Alexis Henri Clerel de Tocqueville,1805-1859)の古典的名著『アメリカの民主政治』(De la démocratie en Amérique)の民主主義論に耳を傾けつつ、「矜持」としての「民主主義システム」と「自由」……福澤的に謂えば“独立自尊”でしょうか……の確立を議論したかったところですが、帰宅後書庫をさがすと見つからず、拳で語りあうドストエフスキーの紹介でスイマセン。

ちなみに本日は駅前の蕎麦やさんにて一服しましたが、やはり蕎麦にはビールと冷酒と思いましたが、仕事のため、断念!

これからちと怪飲します。

03_r0015055 05_r0015062

カラマーゾフの兄弟2 (光文社古典新訳文庫) Book カラマーゾフの兄弟2 (光文社古典新訳文庫)

著者:ドストエフスキー
販売元:光文社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

続きを読む "『わたしがこうして祈りを捧げるのはけっしておごりからではありません。なぜかと言えば、このわたしこそだれよりも汚れた身なのですから……』"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

智慧というもののもつ最も重要な要素は、それこそが、人間をして、瞬間による支配から離脱せしめるもの

01_r0015030

-----

 *
 哲学者というものは、第一に自分自身に対し、第二には他者に対して、存在している。全く孤立して自分自身だけで存在しているということは、不可能なことである。何故なら、彼は、人間である以上、他の人間への関係をもっているからである。それ故に、彼が哲学者であるならば、彼は、この関係の中においても、哲学者であられなばならぬであろう。私の考えるところでは、彼が、隠者として、峻厳に、他の人間から離れ去って行った場合でも、そのことによって、彼は、一つの教えを、一つの模範を、垂れているのであって、したがって、他者に対しても哲学者なのである。彼が、己れの欲するがままに、どんな振舞いをしようと、そんなことはかまわない。ともかく、彼の哲学者という存在には、人間に向けられた一面があるのである。
 哲学者の制作するものは、(彼の著作に先立って、何よりもまず)彼の生活である。それこそが、彼の芸術作品である。すべて芸術作品というものは、第一に芸術家に、第二には他の人間に、向けられたものなのである。--
 哲学者が、哲学者でない人々や他の哲学者たちに対して及ぼす効果とは、どのようなものであろうか?
 国家、社会、諸々の宗教等々は、皆、問うことができる。一体哲学は、これまで、われわれに対して、何かを貢献してくれたであろうか? と。哲学は、現在、われわれに対して、何かを貢献してくれることができるであろうか? そのようにまた、文化も問い得る。
 哲学一般の文化に及ぼす効果如何の問題。
 文化の解釈--現在一つの旋律を演奏させている、多くの、根源的に敵対的な、諸々の力の、調律ないし、調子としての、文化の解釈。

 *
 智慧というもののもつ最も重要な要素は、それこそが、人間をして、瞬間による支配から離脱せしめるものだ、ということである。それ故、智慧は、時代に適うものではないのである。智慧の意図することは、人間をあらゆる運命の打撃に対して直ちに確乎たる姿勢をとらせ、あらゆる時代に対して武装させること、これである。それは、国民的色彩などほとんどないものである。
    --ニーチェ(渡辺二郎訳)『哲学者の書』ちくま学芸文庫、1994年。

-----

もっとも誤解と誤読が多いのがニーチェ(Friedrich Wilhelm Nietzsche,1844-1900)の著作かもしれません。

ニヒリズムを超克する方途の探究であったものが、ニヒリズムの主張と受けられ、その超克する方途の探究であった「超人」という概念が、凡俗を唾棄してしまう国家社会主義的“指導”原理として受容されてしまうなど、その受容史を振り返ってみますと、概括的速読ほど恐ろしいものはないと思われて他なりません。

思うに、おそらく、ニーチェが生きていたならば、ニーチェを担ぎ上げようとするニーチアンの姿こそ唾棄すべき対象なのでしょう。

現実世界との応対関係のなかで、丁寧にじっくりと活字と向かい合い、ニーチェの息吹にふれていくほかありません。

3月下旬から、ふと思い立ちニーチェを再読しております。
もちろん、論文にしようとか、なにか学的批評としてまとめようという目的ではなく、ペダンティックな読み方に過ぎないといわれてしまうとそれまでなのですが、読んでいて驚くことが一点あります。

すなわち、それは、

ニーチェは「特別なこと」や「奇を衒うようなこと」や「魔術的呪文」を一切唱えていないと言う点です。

もちろん、ニーチェ独特の神懸かった言い回しとか、文体としてのアフォリズムに翻弄されてしまう側面は厳として存在しますが、そこになんども登攀していくと、「特別なこと」や「奇を衒うようなこと」とか「魔術的呪文」を一切唱えていないところに到達してしまいます。

「特別なこと」や「奇を衒うようなこと」や「魔術的呪文」を一切唱えていないと言うこととはなにでしょうか。

すなわち、「あたりまえ」のことしか語っていないということです。

しかしこの「あたりまえ」のことが実は難点なんです。

「あたりまえ」だからこそ認識できにくいものなんです。
「あたりまえ」だからこそ「今、考えるに値しない」とか「言われて無くてもわかっているわい!」てなわけで、深く自分自身の問題として「あたりまえ」を直視することなくスルーしてしまい、結局は「あたりまえ」の判断を為さずに状況が進行していく……それがその実情かも知れません。

人間というのは不思議なもので「あたりまえ」のことほど耳にいたいものはありません。
しかし「あたりまえ」であるならばこそ、その「あたりまえ」のことに対して真摯に足下を掘っていくしかないのでしょう。

こうした「あたりまえ」という省察に関してひとはそれをスルーしてしまうようになってしまうと、どうしてもその対極にある「特別なこと」や「奇を衒うようなこと」とか「魔術的呪文」になにか特効薬を見出してしまうのかも知れません。

何も特別なことをニーチェは語ってはおりません。
しかし、何も特別なことは世界には必要ではありません。
特別ではない「あたりまえ」のことにこそ「特効薬」はあるわけですから……。

そうしたことをここ数日よく直面させられております。

なにが大切でなにが必要なのか。
雰囲気とかブームとか手法によらない「あたりまえ」に耳を傾けていかない限り、その当人の生活のみならず、政治も経済も、そして思想も、十全に「人間のために」という言説としては発動しないのだと思います。

人間とは何かといった場合、実はコレきわめて教科書的な定義の問題ではありません。ニーチェが「 哲学者というものは、第一に自分自身に対し、第二には他者に対して、存在している。全く孤立して自分自身だけで存在しているということは、不可能なことである。何故なら、彼は、人間である以上、他の人間への関係をもっているからである。それ故に、彼が哲学者であるならば、彼は、この関係の中においても、哲学者であられなばならぬであろう」と語っているとおりでありまして、極めて即自的且つ対他的な「あり方」の問題にほかなりません。

それをなにかできあがった一定の準拠にのみ依拠してしまうと、他者を分断するばかりか最終的には分断してしまう主体としての自分自身をも分断してしまうのでしょう。

アトム的な個人も必要在りません。そしてその対極にある、人間を「ネジ」ととらえる共同体主義も必要ではありません。

必要なのは、生きている自分自身の課題として、分断されたあり方ではなく世界と繋がった自分自身の「生」の問題として捉え直していくことができるのか、そこを現代世界では試されているのではないだろうか……そう思われて他なりません。

-----

智慧というもののもつ最も重要な要素は、それこそが、人間をして、瞬間による支配から離脱せしめるものだ、ということである。それ故、智慧は、時代に適うものではないのである。智慧の意図することは、人間をあらゆる運命の打撃に対して直ちに確乎たる姿勢をとらせ、あらゆる時代に対して武装させること、これである。それは、国民的色彩などほとんどないものである。
    --ニーチェ、前掲書。

-----

天文学的数値で変貌をつづける現代世界は、まさに考える暇を与えてはくれません。
しかし少しばかりの思索の暇を丁寧に保持しつつ、「あたりまえ」だから「言う」「必要はない」というよりも、「あたりまえ」なことだからこそ「声」を「大」にして叫ばなければならないのかもしれません。

「あたりまえ」って実は大切なんですヨ。

「お前にいわれなくっても“わかっている”」……っていう言い方は実は何も知らないネンネかも知れません。

「智慧というもののもつ最も重要な要素は、それこそが、人間をして、瞬間による支配から離脱せしめるもの」ですから、生きている生活実感との応対関係から抽出される「あたりまえ」とされるものことの叫びに耳を傾けないあり方というのは、「瞬間による支配から離脱」されない籠絡の渦中でぐるぐるまわりなのでしょう。

……ということで?
本昼より怒濤の市井の職場の連勤がはじまりますが、例の如く?……午前中は、ちと世田谷近辺にて所用の外出があり、はやく寝ないといけないので、蒸し暑くて蒸されすぎた体をほぐすために、きんきんに冷えたビールを鯨飲しつつ、紫煙をくゆらせつつ寝ますワ。

「あたりまえ」続きで恐縮ですが、タバコは、ライター……オイル・ガス両方含む……でやるよりも、マッチでやる方が実はかなり旨いんです。

不思議といえば不思議ですが、当たり前といえば当たり前というのはこのことなのでしょう。

オイルでやると油臭く、ガスでやると揮発臭いのですが、マッチの優しい燐の匂いが味わいを増幅させてしまうようですね!

02nietzsche1861 03_r0015046

| | コメント (0) | トラックバック (0)

人類への帰属性こそ「人格の唯一性ないし絶対性」を保障するわけなのですが……

01_img_0801

-----

 人間の諸権利は人格の唯一性ないし絶対性を明らかにする。人類への帰属にもかかわらず、いや、この帰属性ゆえの人格の唯一性ないし絶対性なのだが、たった今強調されたように、それこそが存在のうちでの人間的なものの逆説であり神秘であり斬新さであろう。タルムードの見事な寓意によってこの点が示唆されているように私たちには思えるので、それを次に引用しよう。

「聖と称えられるべきお方の偉大さ。今、人間はすべての硬貨に同じ刻印を押すことで、すべてが瓜二つであるような硬貨を得た。ところが王のなかの王、聖と称えられるべきお方は、すべての人間にアダムの刻印を押したが、誰も互いに似ていなかった。だからこそ、『世界は私のために造られた』という義務が各人にはあるのだ!」

 類の同一性が、絶対的に類似せざるものを、唯一名存在同士の非-加算的な多様体を包摂しうるということ。アダムの統一性が比較分帽ば唯一性を有した諸個人に刻印され、そこでは、共通の類が消滅し、個体が硬貨のように交換可能なものたることをまさにやめるということ。そこにおいて、各人は世界の唯一の目標として(あるいはまた、現実にただひとり責任を負う者として)肯定されるということ。これこそが疑いなく、人間のうちなる神の痕跡であり、より精確に言うなら、神がそこで初めて人間に到来するような現実の地点なのだ。先の寓意のありうべき意味は、先行的な<啓示>にもとづく人間の諸権利の何らかの演繹に比すべきものではなく、それは逆に、人間の諸権利の明証性にもとづく神の権利の到来を表しているのだ。

 人間の諸権利ならびにこれらの権利の尊重は、神学者たちが<啓示>に、言い換えるなら、余所ですでに獲得された「神についての数々の真実」に準拠することで表現するような神の厳格さや恩寵から生じるのではない。たしかに、こうした準拠においても、諸権利は超-自然的なものとみなされ、その異常さが証示されるのだが、すでにしてそこには、法律遵守と宗教的諸審級による媒介が姿を現している。そしてそのことが、ルネサンス以降の、人間の諸権利の特徴なのである。
    --エマニュエル・レヴィナス(合田正人訳)「人間の諸権利と他者の諸権利」、『外の主体』みすず書房、1997年。

-----

ちょど昨日にて、市井の職場での久し振りの六連勤が終了しましたが、あまりにもレジを打ちすぎていたのでしょうか。

本日も終盤までレジ打ちをしておりましたが、ホンマ管理職がこんなことやっていていいのか~と思いつつ、それでも打刻しませんと、長蛇の列になってしまいますので、理由もヘッタクレもなくレジを打つ毎日ですが、喉ががらがらになったのははじめてです。

で……。

「今日もなんとか無事終わったな」と、波がすぎてから、売り場の点検をしておりますと、あきらかに酔っぱらいのおっちゃんなのですが……

「おれ、車何処に止めたんだっけ?」

……とのこと。

正直に言えば、「止めた貴方ががご存じでしょう」と思わざるを得ませんが、接客業においては基本的には、士農工商の身分順列のごとく、きわめて対他的にはそうした本音などぽろりとやるわけにもいかず……、言葉をすりあわせながらも、えんえん10分間、どこにとめたのかわからず……どうしようもないので、とりあえず、当店の駐車場の位置をご案内。

「当店の駐車場を利用したというのであれば、駐車券はお持ちですか?」

「ない。だ・か・ら、車どこにおれは止めたんだよぅっ!」

「・・・」

「探せや! ボケっ!」

……って宇治家参去はボケではありませんがと突っ込みたくなりましたがチト我慢し、やりとりをくりかえすなかで、あきらかに、(たぶん)うちの店舗の駐車場(当店利用以外の方でも時間料金を支払えば利用できるというスタイル)に車をとめてから、どこか近くの飲み屋に飲みに行ったようご様子です。

いちおう、それとなく

「わからないのであれば、警察に連絡をとり、探して貰いますか?」

……とはふってみたのですが、

それは拒否られ、ご自身で探すということにて、案件クローズ。

しかしこれで案件クローズさせるとまずいよな!
道路交通法的な問題も多分にありますが、かかわった相手として放置するのはまずよな!

……という部分が残ります。

かなり、飲んでるご様子でしたから、店内へ戻ると、いちおう、最寄りの交番(徒歩1分)へ詳細の連絡を入れ、確認して貰うことにしました。

「おれの車どこにとめんだよっ」

……って言われましても、

「まさにアンタが一番知っているんだろう」

……といいたいところですが、車で来て、ふらっふらっで前後不覚になるまで飲んで車で帰ろうとするのはよくありませんです。

……その後、どうなったのかは知るよしもありませんが。

「人間の諸権利は人格の唯一性ないし絶対性を明らかにする」ことは重々承知です。
しかしわすれてはいけないのは、人間という存在における二重の次元ということではないかと思われて他なりません。

還元不可能な人格の唯一性・絶対性としての地平と、そして、普遍性に所属するという地平の交差するところに人間は存在しているのだろうと思います。

しかも人類への帰属性こそ「人格の唯一性ないし絶対性」を保障するわけなのですが……。

ともあれ、疲れ果てました。

その御仁、あきらかに60歳ぐらいのお父さんにて、飲んでいないときはたぶんいいお父さんであり、おじいさんなのでしょう。

最近つくづく実感するのが伝統的な世代間格差を感じられなくなってしまったことです。
よくあるセリフに「今の若いモンは~」って部分があり、その指摘は重々承知しておりますし、自分自身もそうした言い方をしてしまうところは否定できないのも一面の事実です。

しかしそれが全体を代弁してはいないといことも事実かなと思わざるを得ません。
不特定多数のひとびとと向かい合う仕事をしながら、実感するのは、世論調査的な俯瞰図としてはある程度、世代感覚をグルーピングすることはできるのですが、現実にはそこからはみ出してしまう部分が顕著に還元不可能なその個人をレプリゼントしてしまうという事実です。

ヘンな言い方ですが、よくできた人物は世代を問わず存在します。
そしてその逆も世代を問わず存在するということ……。

それを目の当たりにしてしまうと、どうしても自己認識としての自覚の問題を常日頃から自分自身の課題としてひきうけていかないかぎり、「神」か「野獣」@アリストテレスになってしまうのか……などと思う昨今です。

……ということで、毎日「日本酒」を飲んではいけないので、本日は、本格焼酎にて我慢する次第です。

02_img_0846 03_img_0846

外の主体 Book 外の主体

著者:エマニュエル レヴィナス
販売元:みすず書房
Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (0) | トラックバック (0)

おまえはまだ若いし、俗世の誘惑も重く、おまえの力に余るものだから

01_img_0841 04_img_0844

-----

 ちょうどそのとき、パイーシー神父が、彼にはなむけの言葉を贈ってくれた。その言葉は思いもかけず、きわめて印象深い感銘を彼にもたらした。それを言われたのは二人が長老の庵室を出たときのことだった。
 「いつも肝に銘じておくのですよ」とパイーシー神父は、前置きもなくいきなり切りだした。「いまでは、俗世の学問はひとつの大きな勢力になり、過去一世紀はとくに、聖書に記されている尊い約束を、何もかも秤にかけてしまいました。俗世の学者たちの容赦のない分析にさらされた結果、かつて神聖とみなされていたものはもう何ひとつ残っていないありさまなのです。しかし学者たちは、部分の解明にばかり気をとられて、肝心な全体を見落とし、あきれるぐらい目先が利かなくなっているのです。彼らの目の前に、その全体が相変わらずびくともせず存在しているというのに。地獄の門、黄泉(よみ)の力もその全体は攻略できません。
 そもそもこの全体は、十九世紀をとおして生きつづけ、現に今も、個々の人間の心の動きや、人民大衆の動きのなかに生きているのです。いや、何もかも破壊しつくした当の無神論者たちの魂の動きのなかですら、全体はこれまでと同じようにゆるぎなく生きているのです! なぜかと言えば、キリスト教を棄てキリスト教に逆らっている人たちも、本質においては当のキリストと同じ顔をし、同じ人間としてとどまっているからです。そして彼らの英知も、彼らの情熱も、大昔にキリストがお示しになった姿以上の、人間と人間の威厳にふさわしい最高の姿をほかに生み出すことができなかったからです。たしかにいろんな試みがなされましたが、それらはどれも醜いものばかりでした。とくにこのことをよく覚えておくことです。なぜかと言えば、おまえがこれから俗世に出ていくのは、いま他界されようとしている長老さまがお決めになったことですから。偉大なこの日を思い出すときは、心からのはなむけにおまえに授けたわたしの言葉も、きっと忘れずに思い出してくれるでしょう。なにしろおまえはまだ若いし、俗世の誘惑も重く、おまえの力に余るものだからです。さあ、お行きなさい、みなし児よ」
 こう言ってパイーシー神父は彼に祝福をさずけた。修道院を出るとき、この突然の子t場を思い返しながら、アリョーシャはふいに、これまで自分に厳しく厳格だったこの修道僧が、思いもかけず新しい友となり、自分を熱烈に愛してくれる新しい指導者であることを悟った。あたかもゾシマ長老は、臨終に際し、このパイーシー神父に彼の後見をゆだねたかのようだった。
    --ドストエフスキー(亀山郁夫訳)『カラマーゾフの兄弟2』光文社、2006年。

-----

火曜日の深夜……精確には水曜の未明ということですが……アサヒ ザ・マスターをかなり飲み過ぎてからなおも、日本酒をかなりやっていたようで、布団で最初は寝ておりましたが、朝起きると、ふとんを敷いていない自室の床の上に転がっており、かなり飲んだようだな……などと朝ゲフゲフしたものです。

本来ですと昼過ぎにおきるのがちょうどよろしいのですが、生憎朝から中野へ細君と一緒に出かける用事があり、寝たと思ったらすぐにたたき起こされる……という具合で、寝不足の宇治家参去です。

さて、こうしたデイタイムに出かける場合、ちょうど時節柄幼稚園が午前保育になっているため、ふたり出かけてしまうと息子殿をサルベージすることができませんので、園を休んで頂き、家族で出発!

中野に都合15年近く住んでおりましたが、足を踏みいれたのは初めての地域で、駅は杉並区という具合で、その境目の地域に住んでいらっしゃる細君の知り合いのところへ出かけてきました。

さて、要件を済ませると、同道している息子殿へのご褒美?

……ということで、中野へ行くと、それが中野区の東西南北のどの地域であろうが、ちょうど中心部に位置する中野ブロードウェイへ行かざるを得ませんので、新井薬師駅からタクシーにて直行!

親の用事でどうしようもなくついてきた訳ですが、文句もいわず、楽しそうについてきてくれましたが、いよいよ自分が表舞台?に出る段になりますと、目の輝きが違います。

最近大好きなポケモンバトリオS(スーパー)にて日頃のストレスを発散されたようですが、こちらは百円玉が湯水の如く消えていくのがなんともいえないところですが、マア、毎日勉強して、元気に幼稚園にも登園しているようですから、そこはすこし我慢?するしかありませんかねエ。

この中野ブロードウェイで恐ろしい?のは「まんだらけ」に代表されるように、子供のみならず大人の触手を刺激して止まない食玩・おまけ・フィギュアの類を商う店を軒を連ねておりますので、ここですこしまた銭を落とす……というやつで。

……ということで? 時計に目をやるとけっこう良い時間になっておりましたので、関東では有名なお好み焼き・モダン焼きの「ひまわり」へ赴き、しばし休憩です。

店内ではソースの匂いがたちこめ、香ばしいにおいや「お好み焼きには生ビール」と書かれたKirinのポスターなんぞをみかけるたびに、「いっぺえやりてえ」とは思うのですが、生憎、その後は仕事ですので、じっと我慢の子です。

本来の目的は達しましたので、何もなければ「昼ビール」というわけですが、そうもいかず……我慢できた宇治家参去は「偉い子」だと思わざるを得ません。

で……。
とりあえず、昼ランチのトリプルなんちゃらというプレートメニューを頂きましたが、焼きそば、オムレツ、生姜焼きにライス、味噌汁がついて1000円でおつりが来るというのはこのご時世においては、財布に優しいメニューでしたが、ひとつ発見です。

関西出身の市井の職場のアルバイト君がいつも公言してはばからないのは次の部分です。
すなわち、「お好み焼き」「焼きそば」には「ライス」でしょう!

そのことです。

「ありえねえよ~なあ~」

……などとタカをくくっておりましたが、今回は焼きそばとのコラボレーションでしたが、おもった以上にマッチングすることにはおろどろきました。

ただスーパーで買ってきたマルちゃん(東洋水産)の3食パックの焼きそばとかでやるとどうしてもショボくなりそうだよな~というのも実感であり、なかなか食することのできぬ太麺の焼きそばに脱帽です。

しかし、今日は風も強く、雨が降ったっかと思えば、日が差してきたり……ということで、蒸し暑さの不快指数全開!ですから、「ひまわり」を辞してから三歩も歩くと暑さでゲレゲレ状態になってしまいますので、茶店へ入り、禁断の?アイスコーヒーの注文を細君にお願いして一足先に、席に座って待っていると……

出てきたのは、「本日のコーヒー」(ホット)でした。

「本日のアイスコーヒーって注文した筈なんだけど……」

……とのようでした。

やっぱり、暑いときには熱いコーヒーだよな!ということで、漢字で「漢」と書いて「おとこ」と読む!との気概にて、上着をとることもなく飲みほさせて頂いた次第です。

……ということで、『カラマーゾフの兄弟』

昨夜痛飲した原因がここに存在するわけですが、5月に再読したばかりなのですが、なんとなくもう一度読んでおきたいな……ということで酒を呑みながらぱらぱらと読んでいたわけですが、やはり染みこんできます。

まさに『十四代』が染みこんでくるように、染みこんできます。

多読も大切ですが、『カラマーゾフの兄弟』と向かいあうなかでいつも思うのが、“一書の人”にもならなければならないということです。

いわば、原点の一書をもつということでしょうか……つらいとき、かなしいとき、そしてうれしいときに自分と向き合える一書を持てたこと以上に幸福はないよな!……と思いつつ、酒をがんがんのみつつ、自分の一書としての『カラマーゾフの兄弟』と向かい合った次第です。

カラマーゾフ家の三男・アレクセイ・フョードロヴィチ・カラマーゾフは敬愛するゾシマ長老の命、そして逝去を契機に還俗しますが、その転回への扉をひらいたときに、いわば上司からかけられた言葉がうえの引用文です。

こうした言葉を読むと、世俗内禁欲と世俗外禁欲の問題をどうしても考えさせられてしまいます。詳細はヴェーバー(Max Weber,1864-1920)を繙いて欲しいところですが、前者が制度的修行システムを介さない自発的な世俗における修行システムのことであるとすれば、後者は制度的修行システムに自発的に誓願し、古臭い言い方ですが「徳」を積み上げ修養していくあり方です。

宗教改革以降、世俗外禁欲の価値は、教会のもつ影響力が減じるのと等しく世俗内禁欲へとバトンをタッチしていきましたが……そしてヴェーバーによると、世俗の取り組みのなかで「神の国」の成就をなしていくという努力が資本主義の興隆を招いたというわけですが……システム・理念として飽和した現代の状況をみていると、そうした状況を撃つ、なんらかの相対化させるような視点としての世俗外禁欲的なものも必要なのかな……しかし大切なのはそのシステム事態が硬直化を招き本来の「救済」を損なってしまうというディレンマですが……などとは思ってしまいます。

ドスエフスキー(Fyodor Mikhaylovich Dostoyevsky,1821-1881)は晩年、ロシア的なる宗教性へと回帰していきますが、現状を撃つ、なんらかの根源的指針を模索していたのかもしれないな……などと思われて他なりません。

今日は久し振りに仕事をしながら「おめえ、何様だ!」と口からあやうく発しそうになりました。

このところ官民あげてのエコロジーですから、レジを打っておりましても「システム」として「レジ袋」の「要・不要」を確認しなければなりませんので、アイスを数点購入された高齢の夫人に確認したところ……

逆キレされました。

「こんな冷たいものを手でもってかえるわけねえだろう。お前は馬鹿か! んで、あん、マネジャーか。こんなしちめんどうくさいこと聴かなくても察するように指導するのがあんたの仕事だろ! いるのかいらないのかっていつもうっとうしいんだよ! あんたがこのシステムを変えなさいよ! こっちもいそがしいんだから、もう」

……って。

「もう」……って。

そんだけしゃべる時間があるので在れば、ご自身の境涯を開陳される必要もないのだと思うのですが……。

変な話ですが、逆に大クレームとかその筋の方のごり押しの方が楽ですが、市井のひとにこうしたアレをやられると、ホンマ、人間って何っていう哲学的命題を考えさせられてしまいます。

だからこそドストエフスキーのひとことひとことが染みてくるのでしょうか……ねえ。

なにしろ「おまえはまだ若いし、俗世の誘惑も重く、おまえの力に余るものだから」しょうがないですね。

02_r0014987 03_r0014991 06_r0015001

カラマーゾフの兄弟2 (光文社古典新訳文庫) Book カラマーゾフの兄弟2 (光文社古典新訳文庫)

著者:ドストエフスキー
販売元:光文社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 (岩波文庫) Book プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 (岩波文庫)

著者:マックス ヴェーバー
販売元:岩波書店
Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (0) | トラックバック (1)

人間は素晴らしいものである。と同時に人間は恐ろしいものである。

01_r0014906

-----

 毎日、朝食を八時半頃にとる。小説家という仕事なので夜が遅いからだ。
 ニュースのかわりにテレビのモーニング・ショーを朝食をとりながら見る。平生は私にとっては余り興味のない芸能人の話題のかわりにこの頃は幼女を誘拐して殺害したM容疑者のことばかりを、どの局でも必ずやっている。
 朝食の時にはふさわしくない話題である。ほかのチャンネルをまわすとやはり同じニュースか、あるいは事故、殺人など聞くのも辛い話題ばかりだ。
 これは私だけではないらしく、
 「あのニュースをみるのが不快でならないので、すぐテレビを切ってしまう」
 という友人が二、三人いた。
 陰湿な夏の、陰湿な事件だけに見たくないという気持ちは、誰にもあるのだろう。
 だが今度のニュースにややホッとしたことがある。
 あれほど容疑者について鵜の目、鷹の目で何でもほじくりだすマスコミが、M容疑者の妹たちについてはほとんど何も語っていないことだ。
 これはとても良いことだと思う。
 私は事件のものすごさを知るにつれ、子を失った被害者の親たちの苦しみ、悲しみ、如何(いか)ばかりかと同情にたえなかったが、同時にM容疑者の両親や妹たちの辛い心にも同情をした。
 もしマスコミがついで半分にこの妹さんたちについても書いたりニュースに流せば彼女たちの将来は滅茶苦茶な打撃をうけるにちがいない。
 妹さんたちはこのM容疑者の犯罪とは関係がない。
 だから我々は彼女たちのことを知らんふりをしてやるべきであり、その生涯にうしろ指をさすようなことをするのは、あまりに可哀想だと思う。
 被害者の幼女たちとその親の心の深傷(ふかで)を考えると泪(なみだ)を禁じえないが、しかし容疑者の妹たちも大きな打撃を今うけている筈である。
 今の日本の社会のなかでは、M容疑者の犯した事が犯した事だけに妹さんたちまで白眼視することがないとは言えぬ。彼女たちが職場で変な眼で見られないとも限らない。
 それだけに当人たちは、どんなに悲しいだろう。おそらく一生を息をこらして生きていくつもりかもしれぬ。
 だから我々はこの妹さんたちをそっとしておいてあげよう。彼女たちがその職場で気づかれずに働けるように、まだ縁談にさし障りがないように、ジャーナリズムも黙っていてあげてほしい。
 幸いなことに(私の知る限り)、マスコミは彼女たちをテレビに出したり、談話をとろうとしなかった(一度だけ、M容疑者の母親がマイクの質問に答えていたが)。このマスコミのやりかたが、いつものあこぎな姿勢とはちがっているので私など「なかなか思いやりがあるなあ」と感心をしたものだ。願わくは今後もこの方針をづっと続けてほしい。
 M容疑者についての感想もテレビを見ていると、まるで自分たちと違う特別な人間のように論じている人が多い。
 しかし戦争中、中国人捕虜を同じようにあつかった人たちは我々の周りにたくさんいるのだ。言いかえるならば我々人間のなかには、同じような要素がないとは決して言えないのだ。
 人間は素晴らしいものである。と同時に人間は恐ろしいものである。
 我々があの事件をみて不快なのは、人間のなかの恐ろしさを直視するのが不快だからだ。
    --遠藤周作「人間直視の不快」、『変わるものと変わらぬもの』文春文庫、1993年。

-----

遠藤周作(1923-1996)のエッセーを読み直しながら、そしてそのエッセーの根底には『海と毒薬』(1958)で示された日本の精神風土の問題も射程としては秘められているなアなどとひとりごちながら、ひとしきり情報倫理の問題に頭を悩ます宇治家参去です。

情報倫理の根幹に存在する問題とは何かといえば、手っ取り早く言えばそれはまさに人間の問題ということに収斂していくと思います。そしてくどいようですが、その問題は情報倫理に限定される問題のみならず、人間のあり方を規定する倫理の問題と等しく重なる部分です。

人間とは何か。
そして人間はどうあったほうがよいのか。
そしてその人間は、即自と等しき対自なる他者としての人間とどのようなありかたであったほうがよいのか。

そこを探究するのが倫理(学)ということになりますから、つと人間の問題に収斂して行かざるを得ません。

さて……
情報倫理において主題となるのは、まさに情報を扱う上で必要とされる倫理=あり方のことになりますが、テクニカルな議論としては、著作権をはじめとする知的財産権、プライバシー権の取扱い方や情報通信を利用する際のマナーがその主題となります。

まさに知的財産をめぐってどのように取り扱うのか。
公人と私人におけるプライバシーの問題をどのように取扱い表現するか。

そういった議論が盛んになされます。
そしてそこから価値ある取りきめとかルールといったものが提示されるわけですが、それだけが情報倫理ではりませんから、ひろく言えば、情報モラル、情報マナー、すなわち情報と向かい合う人間がどのようにその対象と関係を結んでいくのかということがその主題となるといってよいでしょう。

対象としての情報に注目した場合、活字の場合であれ、映像であれ、音声であれ、そしてデジタルデータであったとしても、それは具体的な人間のにおひからかけ離れた「データ」としての側面が強いことはどうしても否めません。

だからこそ、この人間世界において活字や映像や音声やデジタルデータetcなる対象をどのように扱っていくのか……ということがまさに議論になりますが、前述した通りどうしても実体を欠いた「データ」としての感覚を否定することはできません。

しかし、その感覚の背後には何が存在するのでしょうか。

冷静になって考えてみればわかるとおり、データを発信し・受信し・そしてそのあり方を模索する人間がかならず存在するわけで、そこを感覚に流されて看過しがちなのが現実かもしれません。

わすれてはいけないのは、流通形態・媒介としては実体を欠いた感覚的な「データ」に紛動されがちなのですが、その背後には必ず「人間」が存在するということ。

その問題を看過してしまうと、感覚的な「データ」が実に一人歩きしてしまうのかもしれません。

さて冒頭……。
有名な事件に関する遠藤の肉声といってよいでしょう。
しかし、それから20年近く過ぎた現在を概観してみるとどうでしょうか。
さらに問題ある方向性へ傾いているのが現実かもしれません。

大雑把な問題の立て分けで恐縮ですが、一方に事実の脚色、そして捏造さえいとわないワイドショー的のぞき見報道があるとすれば、一方には、「社会の木鐸」「客観報道」を金科玉条とする「冷静」なる報道が、両極の雄を締めているのがその実情でしょう。

前者に関してはそもそも問題を指摘する以前に、「ジャーナリズム」を名乗るのすらおこがましいわけですが、週刊誌や昼間の電波は相も変わらずこうした手法に加熱するのを見るに付け辟易としてしまいます。

それでは後者はどうなのでしょうか。

事実の積み重ねは実に大切です。
しかしそこで切り落とされてしまう現実の「匂い」「息吹」があるのも実情でしょう。そこにオーディエンス(聴衆)がついていけないのが現実ではないかと思います。
そのことは、2001年以来、お茶の間をにぎわしてきたテロリズム報道(対テロ戦争含む)に如実に現れているかと思います。

連日のように報道される戦争絵巻物!
それはそれで連日報道されるわけですから、後になって振り返ってみると年代記の記録のごとく、まさに連日クロニクルが重層されていっているわけですが、……原因にも、そして根拠にも全くふれることない「現象」だけの報道(官報?)は、どこか人間を見失った「客観性」にほかならない……そのような感覚を覚えてしまいます。

いうなれば、原因・根拠をスルーした「現象」だけの報道であり、そこには刹那主義とシニシズムしか生まない……結果として現実すらもスルーしてしまう風潮を助長してしまうエセ客観主義の横行へ……風潮を助長するだけでは……そのような感覚を覚えてしまいます。

客観主義的報道とは、競馬中継ではありません。

事実の絵を並べただけではないのが、現実なのでしょう。

ここ10年来、ハーヴァードを中心に、ナラティブ・ジャーナリズム(Narrative Journalism)という、いうなれば客観性の脱構築的代換え案が提示され、すこしづつ力を発揮しつつあるとか。

ナラティブ・ジャーナリズムとは、リテラシー・ジャーナリズムともいわれる手法で、事実を文学的ストーリーとして視聴者(読者)の目線で伝える報道のことです。

リテラシー・ジャーナリズムといえば「文学的」ジャーナリズムと翻訳されますが、何もこれは「創作」を目的としたものではありません。捏造・創作は週刊誌の専売特許ですから、あえてそんなことを「客観性」を謳いながらする必要もありませんから。

では、何が特徴なのでしょうか。

週刊誌の「恣意性」と極を為すのがまさに「客観性」ということですが、これまで「客観性」を“売り物”にしていたメディアが大切ににしていたのは、およそ次の部分でしょう。すなわち、社会問題を「正確」に記述し、形式としての5W1Hにこだわっていくというスタイルがそれでしょう。

それはそれで大切なんです。しかし、それを繰り返すだけではシニシズムしか招来しかねないのが現実です。

であるとするならば、何を加えていけばいいのでしょうか。

いわゆる、客観報道に特徴的な問題とは何かといえば、それは基本的に「中途半端」になってしまうということがそれでしょう。5W1Hを先鋭化すればするほど、「羅列」に終始してしまい、そこから問題の論点を判断することができにくくなってしまう……ことに問題が連日的な事案の場合……やがて「昨日と同じ、もういいや」って式なシニシズムになってしまう……。

5W1Hは確かに大切です。

しかし、同時に必要なのは、象牙の塔の学者が重箱の隅をつつくような小さな事に拘泥するスタイルでもなく、世界史年表的なの年月日だけの官報スタイルでもないのでしょう。

そうしたジレンマをさけつつ、事実の記録を残しながら、読み手を考えさせる材料の提供、それこそが大切なのかも知れません。

ナラティブ・ジャーナリズムに旗手といってよいデイヴィッド・ハルバースタム(David Halberstam,1934-2007)は、歴史の基本的流れのなかに事実をできるだけ多く並べて、読者に判断を求めるのが自分の流儀であると言い切ったそうですが……。

書き手が物語を創造することは簡単です。
そしてなにかにリードされた物語を提示することも簡単です。
それがあふれかえっているのが現在のネット・メディアの現状でしょう。

しかし、消すことのできない事実と事実と対話しながら、筋道をたてていく……情報を扱う人間は歴史家の眼差しが必要なのかも知れません。

イギリスを代表する歴史家・E.H.カー(Edward Hallett Carr,1892-1982)の言葉に次のようなものがあります。

-----

歴史的事実と歴史家
 このように、歴史家と歴史上の事実との関係を吟味して参りますと、私たちは二つの難所の間を危く航行するという全く不安定な状態にあることが判ります。すなわち、歴史を事実の客観的編纂と考え、解釈に対する事実の無条件的優越性を説く支持し難い理論の難所と、歴史とは、歴史上の事実を明らかにし、これを解釈の過程を通して征服する歴史家の心の主観的産物であると考える、これまた支持し難い理論の難所との間、つまり、歴史の重心は過去にあるという見方と、歴史の重心は現在にあるという見方との間であります。しかし、私たちの状況は、概念ほど不安定なものでもありません。なお、私たちは、事実と解釈という同じ対立が本講演を通じていろいろと姿を変えて--特殊的なものと一般的なもの、経験的なものと理論的なもの、客観的なものと主観的なもの--現われるのに出会うでしょう。歴史家の陥っている窮境は、人間の本性の一つの反映なのであります。生まれたばかりの乳児期とか非常な高齢とかは恐らく別でありましょうが、人間というものは、決して環境に巻き込まれているものでもなく、無条件で環境に従っているものでもありません。その反面、人間は環境から完全に独立なものでもなく、その絶対の主人でもありません。人間と環境との関係は、歴史家とそのテーマとの関係であります。歴史家は事実の慎ましい奴隷でもなく、その暴虐な主人でもないのです。歴史家というのは、自分の解釈にしたがって自分の事実を作り上げ、自分の事実にしたがって自分の解釈を作り上げるという不断の過程に巻き込まれているものです。一方を他方の上に置くというのは不可能な話です。
 歴史家は事実の仮の選択と仮の解釈--この解釈に基づいて、この歴史家にしろ、他の歴史家にしろ、選択を行っているわけですが--で出発するものであります。仕事が進むにしたがって、解釈の方も、事実の選択や整理の方も、両者の相互作用を通じて微妙な半ば無意識的な変化を蒙るようになります。そして、歴史家は現在の一部であり、事実は過去に属しているのですから、この相互作用はまた現在と過去との相互関係を含んでおります。歴史家と歴史上の事実とはお互いに必要なものであります。事実を持たぬ歴史家は根もありませんし、実も結びません。歴史家のいない事実は、生命もなく、意味もありません。そこで、「歴史とは何か」に対する私の最初のお答を申し上げることにいたしましょう。歴史とは歴史家と事実との間の相互作用の不断の過程であり、現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話なのであります。
    --E・H・カー(清水幾太郎訳)『歴史とは何か』岩波新書、1960年。

-----

……ってことで、すでにかなり飲みながら入力している宇治家参去自身ツワモノだよな……などと自惚れつつ、情報倫理からメディア論へすっとびましたが、さすがに飲んでいるようですっとんでおります。

ちなみに、肝臓数値が悲鳴をあげているようで、「毎日日本酒」は厳禁といわれましたので、今日は、米焼酎……米焼酎「しろ」@高橋酒造……にしてみましたが、なんとなくパンチが足りません。

しかし、それなりに「すっとんでいる」ということは、カラダは喜んでいるということでしょうか。

そういえば、思い起こせばラムズフェルド元国防長官(Donald Henry Rumsfeld,1932-)が、1979年、バグダッドでフセイン(Saddam Hussein,1937-2006)で激励していることもあったよなあ~。

02rumsfeld 03_r0014909

| | コメント (0) | トラックバック (0)

それにしても余暇利用とは何と恐ろしい言葉であることか

01_r0013989

-----

 <<paideia>>というギリシア語の表現のなかには何か子供の遊びの軽やかさと無邪気さというものの余韻が残されている。この言葉を一般に適用することができるとするならば、この言葉の本当の「対象」は美しいものである。しかしそれは、何ものかのに役立つということはないのに、推奨されるもの、それゆえ、それが何の役に立つのかと誰一人として問わないようなもののすべてを意味しているのである。この最も広い意味で美しいものに含まれるのは自然と芸術、人倫、慣習、行為と作品、そして伝達されるもの、分かちもたれるがゆえにあらゆる人に帰属するもののすべてを包括しているのである。
 そのうえ、われわれが「文化(Kultur)」という言葉を口にするときにはいつでもそれなりの理由がある。われわれの自己意識に置いてそしてそれを言語的に分節化するときにわれわれはローマ文化によって刻印づけられているのである。われわれが「自然」とか「文化」と言うときには、われわれはラテン語を話している。「文化」という言葉は農耕民族においてはローマ民族と同じように自明なこととして農業<<agri-cultura>>、耕作を意味していた。ところでこの言葉は、ローマ共和国がギリシア人から、すなわちストア的・ギリシア的人文主義から学んだ新しい事柄をつちかう耕地という意味にもなった。まず第一にキケロが<<cultura animi 魂の教育>>、精神的文化(kultur 育成)について語っている。したがって、この言語世界に含まれる農耕的な意味合いは<<cultura>>という新しい概念への翻訳においてもなお貫徹されてきたのである。この概念は種子蒔きから刈り入れまでの期間に行われる育成し手入れする農耕の労働に似せて鋳造されたものである。文化の言葉と本質のうちでわれわれに示されているもの、すなわち人間への形成とは、ただ単に自由な遊びではなくて、精神の種子蒔きと刈り入れの労苦でもあるのだ。
 われわれが上で行った言葉の歴史的な考察によって立ち返ったのは、人間の特徴をその可能性においてもその危険性においても可能な限り明瞭な形で示すようなひとつの起源である。文化という言葉を真面目に受けとれば、文化とは決して余暇利用(レジャー)を意味するものではないということが明らかになる--それにしても余暇利用とは何と恐ろしい言葉であることか。この言葉はすでに、人々が自由な時間を過ごすために十分なほど自由ではないということを示しているからである。文化とは余暇利用をさせるものではなく、人間を互いに襲い掛け合わせ、何かある動物よりもひどいものになることを阻止できるもののことである。今、<<動物よりひどい>>といったのは、動物というのは、人間とは違って、同種のものに対してそれを無に至らしめるまでの闘争、すなわち戦争を知らないからである。
    --ハンス=ゲオルグ・ガダマー(本間謙二・須田朗訳)「文化と言葉」、『理性を讃えて』(法政大学出版局、1993年)。

-----

<<paideia>>というギリシア語はもともと、子供(〔単数形〕パイス、〔複数形〕パイデス)を教育することを意味するものですが、そこから転じて、広く、教育・文化・教養として理解されている言葉です。

その言葉が誕生した契機に立ち返ると、言葉のもつ迫力とか真相にせまれるもので、現下流通している言葉の薄っぺらさとか権威主義化した言葉のもつ圧倒的な力を、ヨイショとひっくりかえすことができるものなんだよな……などと実感するある日の宇治家参去です。

人間とは恐らく、生まれたままで人間であるわけではないのでしょう。
倫理という言葉は西洋において、エートス(ethos)というギリシア語に由来する言葉で、これはもともと「住みか」とか「習俗・習慣」を意味する言葉でした。

「エートスは第二の自然である」というギリシアの言葉がありますが、まさに、エートスを身につけることによって、第一の自然である身体だけでなく、共同存在としての「人間」そのものを、人間はそれを身につけることによって「人間」になっていくんだよなと思うわけですが、その要となるのが、パイデイアという概念なのでしょう。

そしてパイデイアの神髄とは、アリストテレス(Aristotle,384.BC-322.BC)の解釈を援用しつつガダマー(Hans-Georg Gadamer,1900-2002)が語っているとおりで、最も幅広くそれをみた場合文化の問題となり、そしてそれを形づくる教養とか教育になるわけなのでしょうが、それによって人間が人間となるものであるけれども、「何ものかのに役立つということはないのに、推奨されるもの、それゆえ、それが何の役に立つのかと誰一人として問わないようなもののすべて」という性質をもつものであり、自由な遊びでありながらも「人間への形成とは、ただ単に自由な遊びではなくて、精神の種子蒔きと刈り入れの労苦」が必然的に随伴する人間の営みなのでしょう。

その意味で、その大局にあるのが、「余暇利用(レジャー)」という事態なのでしょう。

文化とか教養は、カタログ的に鑑賞するものでは決してありませんし、何か知的ストックとして抑えておくこととはほど遠いことなのでしょう。

現場としては「子供の遊びの軽やかさと無邪気さというものの余韻が残されている」ように、今生きているその場で培うことができるものですが、その作業は「種子蒔きから刈り入れまでの期間に行われる育成し手入れする農耕の労働」に似たものであり、無邪気に関わるなかで、その労苦の汗を楽しみ、そして、人間になっていくのでしょう。

それを経ないと、次のような事態になってしまうのかもしれません。
すなわち、

-----

文化とは余暇利用をさせるものではなく、人間を互いに襲い掛け合わせ、何かある動物よりもひどいものになることを阻止できるもののことである。今、<<動物よりひどい>>といったのは、動物というのは、人間とは違って、同種のものに対してそれを無に至らしめるまでの闘争、すなわち戦争を知らないからである。
    --ガダマー、前掲書。

-----

その意味では、人間は根源的に文化を要請せざるを得ないわけですが、サア、今日は「余暇利用(レジャー)」だ!などと力んでしまうとはそれはもはやpaideiaとかculturではないのかもしれません。

……ということで、食玩の模型を熱心に作る宇治家参去とは、「「子供の遊びの軽やかさと無邪気さというものの余韻」を残しつつも、「精神の種子蒔きと刈り入れの労苦」を惜しまない人物なのかも知れません。

02_gadamer8 03_r0013992

| | コメント (0) | トラックバック (0)

間接的な関係が個人的な関係よりも深くて、より能動的に作用する場合もある

01_img_0247

-----

 人間存在の最も重要な印である人間性の精神的な特質は人間の労働による物質的生産物からでなくて人間の隣人との、自分自身との、そして世界における究極の精神的な実在との精神的な遭遇を通して知られる。人間の隣人との遭遇には二つの種類があって、個人的な関係を持つようになった同時代人との遭遇があり、また目で見、耳で聞き、書かれた知識によって間接的に知ることになる現存の、あるいは故人との遭遇がある。なぜ、私達が個人的に会ったことのない人々について知識を持つかと言うと、彼らがなんらかの衝撃を私達の生命に与え、あるいは私たちがそう信じるからなのである。そして間接的な関係が個人的な関係よりも深くて、より能動的に作用する場合もある。故ケネディ大統領は彼が一度も会ったことがない何百万人もの同時代人にきわめて強い印象を与え、その死は広く人類にとっての個人的な死別であるかのように世界中でひしひしと感じられたのである。しかしケネディ大統領の同時代人への影響はその強さ、および結果の大きさの展で釈迦、老子、孔子、キリスト、マホメット、マルクス、ガンジーが後世に及ぼした影響とは比較にならない。これら高度の宗教、および哲学の諸派の創始者たちは彼らの生存中には生まれていなかった無数の人々に影響を与えている。また数え切れないほど多くの場合、彼らに一度も会ったことがことがない人間に現に会ったことがある人よりも深い影響を与えて来たのである。
    --A.J.トインビー(吉田健一訳)『現代が受けている挑戦』新潮文庫、平成十三年。

-----

久し振りに……でもないかナ……、10時間程度寝てしまい、起きると正午の峠ははるか後方におきざりにしたような時間で、家人も外出でだれもおらず、チト酒のこっているな~などと顔を洗い、本業に向かい会う宇治家参去です。

さふいえばむかし、近所のおじいさんに「長く床につくことができるのは若い証拠だ! 赤ちゃんはなんぼでも眠っているだろう」などと教えていただいたことがありますが、その意味では、宇治家参去はまだまだ若いということでしょう。

で……
ゴールデンウィークは市井の仕事で例の如く連勤になってしまいますが、水曜は運良く、嵐の前の静けさのような休日を迎え、がっつりと寝かせても頂いたのでございます。

起きてから、サア、仕事にとりかかるか……と思った次第ですが、連休明けが〆切のレポート添削を終えると、博論とか紀要論文に手を入れる気力が萎えてしまい、ちと気分転換に……とぶらぶらしてしまいました……ってをゐっ!。

たまにはぶらぶらと称されるリフレッシュも必要ということにしておきましょう。

大学にレポートを返却するためにヤマト運輸の営業所まで歩いて向かい、その足で近所をぶらぶら……といっても1時間ぐらいのまさに無目的の散歩ですが、なにか風や草の匂いに季節の変化を感じることができたのはひとつの収穫かもしれません。

五月になると日に日に暑くなってきますし、四月初めだとチト肌寒いのが常ですからこのくらいの日和が一番いいのかもしれません。

さて……
帰宅すると、仕事……この場合の仕事とは学問の仕事のこと……もせずに、せっかくの休日をぶらぶらしちゃって!と細君になじられるわけですが、たまにはそうした「何もしない」休日も必要でしょう。
※といっても、何もしなかったわけではなく、レポートは添削したわけで……言い訳?

で……。
通信教育部で担当しているのが『倫理学』というシャイでナイーヴな学問になります。
今月はたくさんのレポートが送られてきたようで、勘定してみると夕方返却した17通を含め返却記録を確認したところ、なんと今月は85通と計上され、昨年比倍です。

課題内容の更新があったりもしましたのでそうなったのでしょうが、ひとつひとつのレポートを読んでいると面白いもので、手書きの文字に書き手の風貌を感じたり、書かれている内容や思索の跡にその人柄を偲んでみたりと、朱をいれつつこちらのほうが、様々な人生体験をさせていただいているように感じて他なりませんでした。

詳しくは措きますが、例えば中部の御婦人のレポート。

「母は一家の太陽であったほうがいいので、そうするよう心がけておりますが、太陽にこだわりすぎると、主人からは“太陽が照りすぎると日照りの水不足になるように、こちらが火傷してしまう”などといわれてしまいます。たしかに太陽であったほうがいいのですが、意識しないで輝くように心がけたいです」(趣意)。

レポートの地の文ではありませんが、余白にコメントのようかかれておりました。

まさになるほど!

……というわけで、太陽でありつづけると大地に滋養をもたらす雨をさえぎってしまいますから、自然に輝き続けた方がベターだよな……などと思った次第です。
※読者諸兄、なんでこれが「倫理学」?ってつっこみは控えるべし!それが不思議なことに「倫理学」なわけですヨ。受けてみると目から鱗というヤツです。

世紀の歴史家トインビー(Arnold Joseph Toynbee,1889-1975)のいう「人間の隣人との遭遇には二つの種類があって、個人的な関係を持つようになった同時代人との遭遇があり、また目で見、耳で聞き、書かれた知識によって間接的に知ることになる現存の、あるいは故人との遭遇がある。なぜ、私達が個人的に会ったことのない人々について知識を持つかと言うと、彼らがなんらかの衝撃を私達の生命に与え、あるいは私たちがそう信じるからなのである」というのはまさに真実なのでしょう。

人間とは不思議な生き物で、その媒介が文字であれ、音声であれ、ネット環境であれ、時間と空間を飛び越え、様々に影響し合えることができる存在なのだなということが実感されて他なりません。

全く脱線しますが、自分が学部の学生の頃は、トインビーの作品、例えば主著『歴史の研究』(「歴史の研究」刊行会、1966年)なんか比較的良く読まれたものです。じわじわと、大きな見取り図として歴史とか文明を論じるスタイルは退潮傾向にあったのも事実ですし、そうした「類型化」が現実の生を引き裂いてしまうことも承知ですが、人間には、やはりある程度の水先案内人は必要なのでしょう……トインビーの文明論を思うとそう思うところしばしばです。

隣人から学びながら、自己を省察し、世界とかかわっていく……そこに生きる意味とか学ぶ意味とかありそうです。

……ということで、夕刻、財布をわすれて散歩したものですから、煙草を買ってしまうと200円しか燃料がなく、その他のリキュールでお茶を濁す宇治家参去です。

02_img_0256 03_img_0252

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「アラビヤ語の文典をもつてゐるなら貸してくれ」

Img_0207

-----

 内村鑑三の性格は自由かつ独立でありました。その自由は矛盾を怖れざる自由であり、その独立は人との妥協を許しませんでした。先生の文筆生活四十年、その間における先生の言説の矛盾を拾ひ上げることは容易であります。ある時は教会を否定し、ある時は教会を応援し、ある時は九州は日本の頭にして東北は尻尾なりといひ、ある時は九州人の狡滑を貶して、東北人の純朴を賞揚し、その他この種の矛盾撞着は少くありません。多くの人がそれに躓いたことも事実です。しかしこのことについては二つの点を考へねばなりません。
 第一は、先生の神学的思想には発展があつたといふことであります。進化論のなかで育てられ、批評神学の波に洗はれて来た先生は、その時代思潮の影響の下に苦闘しながら、先生のいはゆる「古い古い十字架教」の信仰を守り抜いて来られたのです。
 第二は、先生は一つの時には真理のある一面に百パーセントの絶対的重要性をおき、他の時には他の一面に同じく百パーセントの絶対的価値を認める非とでありました。すなはち先生は全体の釣合を考へて価値の相対的な関係を按排するところの体系的な人ではなく、一つの時に一つの真理に全力を傾ける預言者型の人物であつたのです。真理の把握において、この先生の往き方は決して誤謬であるとはいへません。
 先生は真に学問を愛した人であり、晩年まで知識欲の旺盛な人でありました。先生の学問的興味の範囲は頗る広く、宗教と聖書のほかに、生物学、天文学、地質学、地理学、哲学、文学、歴史学、政治学、言語学その他大英百科事典に掲げられてゐるほどの項目に対しては、すべて興味をもつたといつてよいでせう。事実、先生の晩年の読書の快楽は『英百』のなかに好きな項目の論文を拾い出して読むことでありました。体系の人でなかつた先生は、その該博な知識を体系化することをしませんでしたし、また聖書以外の問題に深入りすることもありませんでした。しかしいかなる問題についてその要点を理解し、神髄を把握する能力は素晴らしいものでありました。例へば先生はダンテ学者ではなかつたけれどもダンテの精神を、カント学者ではなかつたけれどもカントの神髄を、世間のダンテ専門家やカント学者以上に鋭くかつ性格に把握して紹介しました。先生は文学者ではなかつたが、ダンテやゲーテやイプセンや、カーライルやホイットマンなどの外国文学を、初めて日本に紹介した功労者でありました。先生の学問的関心が最も薄かつたのは経済学でありませう。それでも大正十二年私が欧洲留学より帰りました時、先生は私に佐藤信淵の研究をすすめられたことがあります。先生の晩年、もう七十歳に手の届くころ、先生は塚本虎二氏にむかひ、「アラビヤ語の文典をもつてゐるなら貸してくれ」といつて、塚本氏を驚かせたことがあります。これは聖書の研究をするのに、どうしてもアラビヤ語が必要であることを感ぜられたからでありました。聖書の研究は先生の終生の事業でありましたが、預言者であつて神学者でなかつた先生は、この専門的領域においても体系的な大著述を遺しませんでした。この点でも先生はカルビンよりもルッターに近い型の人物でありました。
    --矢内原忠雄「内村鑑三」、『続 余の尊敬する人物』岩波書店、1949年。

-----

たしかに矛盾があるより、理路整然としていたほうが、スッキリしますし、仕事柄……この場合は“本業”としての学問の見地から……、思想史なんかあつかっておりますと、まさに些末な矛盾、思想的変遷、そうしたもの重箱の底をつつくような「作業」をしますので、矛盾に敏感になってしまいます。

しかし、自己自身が矛盾に満ちた存在であることを理解しており、そのことをたゆみなく細君をはじめとする他者からも指弾されつつ矛盾の解消につとめているある日の宇治家参去です。

冒頭でぼやいたとおり、たしかに矛盾があるより、矛盾がないほうが、人間の存在に対する認識論としては実にすっきりします。そしてそのように励行できる存在もたくさん存在します。が、それは稀有な存在なのでしょう。

しかしながら、不思議なもので、自己自身の矛盾には自覚がない場合でも……それは程度の差ももちろんありますが……、他者の矛盾ほどよく見えるものでございます。

そして、その場合、一番多いのが、「それチト、まずくねえ?」って話しかけるというあり方よりも、それに対して回路を欠如したまま、おめえよお!って“拗ねて”しまうことのほうが現実には多いかもしれもしれません。

その場合、なにか生産的な契機が見出されず、どちらかといえば、不毛な荒野がのこるばかりといいますか、疲れているのにさらに疲れてしまうという負の自転車操業が加速されてしまうのがその実なのかも知れません。

とっとと寝なきゃいけないのですが、やはり、教員であるよりも一学徒としての自覚が強い自分ですので、一日一殺……もとい、一日一冊を心がけておりますので、無教会主義で有名な内村鑑三(1861-1930)の愛弟子・矢内原忠雄(1893-1961)の人物論をさやさやと繙いております。

内村鑑三の無教会主義の門弟には、比較的東京帝大を中心とする学者に成長していく人物が多いのですが、南原繁(1889-1974)に代表されるように、どちらかといえば法学に傾く嫌いが顕著なのですが、内村無教会主義の東京帝大ストリームのなかで、経済学を淡々と追求した矢内原忠雄の歩みはむしろ異色であり、ときおりその著作を紐解く中で「あっ」とさせられることがございます。

法学的見地から信念論・真義論が展開された場合、まさに南原繁の代表される……例えば『国家と宗教 ヨーロッパ精神史の研究』(岩波書店、1942年)……のような、「地上の国」としての“容れ物”批判の言説がわかりやすいという側面がありますが、経済学の立場から「地上の国」としての“制度・政策”批判というのも、これまた……いい方は恐縮ですが……“乙”なものでして、ときおり、まさに「あっ」とさせられることがございます。

内村門下の矢内原は、1937年の盧溝橋事件の直後に『中央公論』に寄せた「国家の理想」という代表的な評論があります。このなかで、矢内原は、国家の目的とは正義の追求であり、正義とは何かといった場合、弱者の権利を強者の侵害から守ることにほかならない……との弁舌を揮っております。これが発火点となり、のちに軍部政策を批判する一連の著作が原因で、東京帝大のポストを追われてしまいます。

自家薬籠的で恐縮ですが、このあたりには吉野作造(1877-1933)の影響も散見され、生真面目なキリスト者の戦時下抵抗を垣間見るようですが、どちらの論評においても別段「特別」なことが提示されているわけでもなく、今日では常識化した民主主義の理念が先取りして述べられいるだけにすぎず、その意味では理念論としては、今の人間から見てみますと、「たいした内容はない」と切り捨てることは不可能ではありません。

しかし、そうした「たいした内容はない」と現今で評価できるかもしれない内容であるにもかかわらず、その言論すら封殺された時世において、それを言い切った事実は覆せようもなく、「警世の預言者」と称された内村鑑三のやはり、弟子だよなと思う次第です。

……って、例の如くですが、本当に述べたかった部分がすっぽりと抜け落ちたようでございます。

すなわち、人間における矛盾ということです。

変な話ですが、おおきな見取り図的な枠組みで、社会学的なアプローチでその状況を評するならば、日本においては過去も現在もキリスト者はグループとしてはマイノリティです。だからこそからかもしれませんが、流派間の細かい対立はあるにせよ(現実にあります)、比較的、対他的な問題に関しては、足を引っ張り合うような相互批判を遠慮する傾向が現実にはあります。

しかし、対他的な問題に関する組織防衛論が先にたち、本来目指すべき方向性がゆがめられるようなシチュエーションというのも出てくるのが現実です。

これはキリスト教に限定される問題ではなく、あらゆる集団に散見される・予測される出来事です。

そうしたなかでも、さすが「警世の預言者」内村鑑三です。

「間違っている」

……ということに関しては臆面もなく「間違っている」と喧嘩をうるようで、そこに内村の内村らしさが存在する……などと思うわけですが、そうした積み重ねの「論理的断絶」を好事家は、「ウチムラサン、アナタノ議論ハ前ト後デ論理的矛盾ヲカカエテイルヨウダ」などと批判するのがその歴史であったように思えます。

たしかに緻密な議論としては、内村の言説を経緯的にたどると議論の破綻は歴然として存在します。

しかしそこに還元されない、なにか“ぶれない”信念を内村の歩みには見るようで、“師”のあゆみを堂々と「内村鑑三の性格は自由かつ独立でありました。その自由は矛盾を怖れざる自由であり、その独立は人との妥その間における先生の言説の矛盾を拾ひ上げることは容易であります。(中略)先生は一つの時には真理のある一面に百パーセントの絶対的重要性をおき、他の時には他の一面に同じく百パーセントの絶対的価値を認める非とでありました。すなはち先生は全体の釣合を考へて価値の相対的な関係を按排するところの体系的な人ではなく、一つの時に一つの真理に全力を傾ける預言者型の人物であつたのです。真理の把握において、この先生の往き方は決して誤謬であるとはいへません」と言い切る“弟子”の矢内原の師弟観には刮目されてしまうわけでございまして……。

ひとの矛盾をとやかく“いいつらう”のは簡単です。

そして、くだらない矛盾を指摘して、善処を促すのは同時に大切です。

それを混同してしまうと不毛になってしまうのが現実なのでしょう。

先づは、自己自身の矛盾を把握しながら、ひとさまに向かい合っていく他なりません。

ひさしぶりですが、「でっかくなりたいな」などと思った次第です。

宇治家参去自身が矛盾の当体であることは至極存じのことでございます。
しかし、その矛盾たるや……内村鑑三大先生の矛盾レベルから眼下に遙かにもそもそとする自己撞着のようにて、比べること自体がオコガマシイというのがその筋でゴザンスが、西田幾多郎(1870-1945)のいうような「絶対矛盾的自己同一」に至りたいな……それは俗の言葉でいえば、神聖なる、真正なる「でっかくなりたいな」と思うところで、吹けば飛ぶような自己自身でありまするけれども、そう思わざるを得ない……宇治家参去でした。

自己自身の存在に辟易としない毎日でありつつ、自己自身の存在が大好きな宇治家参去ですから、そのへんをレコンキスタしていこうかと思います。

02_r0013615 03_r0013615

| | コメント (2) | トラックバック (0)

理論はちと自分で苦労して、人生を知るのがよいのだ

01_img_0151 02_img_0148

-----

……人間にあっては、すべてが矛盾だと、人はよく知っている。ある一人に、彼が思うまま創作に力をそそぎうるようにと、食う心配をなくしてやると、彼は眠ってしまう。勝利の征服者はやがて軟弱化する、気前のよい男に金を持たせると守銭奴になってしまう。人間を幸福にしてやると称する政治上の主義も、ぼくらにとって、はたしてなんの価値があるのだろうか、もしあらかじめぼくらが、その主義がどんな種類の人間を幸福にしようとするのかを知らなかったら。だれが生まれるのか? ぼくらは、食糧さえあれば満足する家畜ではない、またぼくらにとっては一人の貧しいパスカルの出現が、らちもない富豪の出現などよりずっと価値がある。
 何がはたして本質的だか、ぼくらは予知できない。ぼくらは、いずれも味わってきた、まるで思いがけなかったところで、世にあるかぎりの暖かい喜びを。それは、ぼくらに、はげしいノスタルジアを残していった。ために、その喜びを与えた原因が、ぼくらの苦難であった場合、ぼくらは、その苦難までなつかしいものに思うようになる。僚友たちとの再会で、ぼくらは、みな味わってきている、つらい思い出の喜びを。
 ぼくらを、豊富にしてくれる未知の条件があるということ以外、何が、ぼくらにわかっているだろう? 人間の本然は、はたしてどこに宿っているのだろうか?
 本然というものは、立証されるものではない。もしオレンジの木が、この土地で、そして他の土地ではなしに、丈夫な根を張り、多くの実を結ぶとしたら、この土地が、オレンジの本然なのだ。もしこの宗教が、この修練が、この価値の標準が、この活動形態が、そしてそれのみが、人間に、あの充実感を与え、彼の心の中に知られずにた王者を解放するに役立つとしたら、それはこの価値の標準が、この修練が、この活動形態が、人間の本然だからだ。では理論は? 理論はちと自分で苦労して、人生を知るのがよいのだ。
    --サン=テグジュペリ(堀口大學訳)『人間の大地』新潮文庫、平成十年。

-----

マア、一寸変な話かも知れませんが、何かをやるべき時間がとれないときほど、すなわち、ある対象に対して時間がさけないようなとき……たとえばそれが趣味の問題であったり、学問の問題であったり、人間には向かうべき様々な対象が存在するわけですが……それに向かいたいのに、仕事が山積みでなかなか時間がとれないとか、ひとと合うアポイントメントが多くありすぎて、じっくりと読書に時間をついやす時間がとれないとか、……状況はひとによってさまざまあります。

しかし、何かをやりたいのに時間がない!という局面は誰しも日常生活の経験で遭遇しているところなのだろうとおもうところです。
そしてそのなかで、ない時間のなかから無理矢理時間を造りだし、その向かうべき対象と「短時間」であったとしても「強引」に向き合っているのが現実なのでしょう。

ホンマ、時間を誰か下さいまし!

……祈るような思いで、自分自身の時間を創ることの不得手さをなげくと同時に、それを「妨げる」日常のタスクと向かい合っているのが日々の現実なのでしょう。

しかしながら不思議なものです。

サア、物理的に干渉をうけない時間が現実に確保された場合はどうでしょうか。

「ある一人に、彼が思うまま創作に力をそそぎうるようにと、食う心配をなくしてやると、彼は眠ってしまう。勝利の征服者はやがて軟弱化する、気前のよい男に金を持たせると守銭奴になってしまう」ということが往々なのでしょう。

つまるところ、条件ではないのでしょう。
何かを成就すべき条件が問題なのではなく、その対象に向かい合う意志の力が問題にされているのかもしれません。

ちょうど、ひさしぶりの市井の職場の錬金術にならぬ「連勤」中でございます。6日出て1日休み6日出るという久し振りにハードな期間のまっただ中なので、物理的な時間が確保されているわけではありません。にもかかわらず、無理矢理こじ開けた時間とか、市井の職場での休憩中とかに振っている本業?の仕込みがはかどるのが不思議です。

つまるところ人間は条件が満たされても動くわけではないし、条件が揃っていなくても動ける生き物かもしれません。

往々にして、人間という生き物は「条件」にこだわります。
それはそれで至極大切なことです。
しかし、それだけではないんだよ……ということを「こだわる」中で忘れているのかも知れません。

現実には「条件」が揃わなく、対象にアプローチできないという事例も多々存在しますし、そんなことは承知です。しかし、「条件」が揃わなくても、対象に果敢に挑戦していく事例も同じように多々存在します。

その意味では「条件」還元主義とは科学のアプローチを装った憶見なのでは……などと思うばかりで……。

「ぼくらは、食糧さえあれば満足する家畜ではない」わけですから。
「何がはたして本質的だか、ぼくらは予知できない」わけですから。

その意味では、まさに「もしオレンジの木が、この土地で、そして他の土地ではなしに、丈夫な根を張り、多くの実を結ぶとしたら、この土地が、オレンジの本然なのだ」というのが真相なのかもしれません。

しかし不思議なもので、苦闘する中で味わうのが「まるで思いがけなかったところで、世にあるかぎりの暖かい喜び」というわけです。

そのどうしようもない苦闘こそ、意志あるかぎり「その苦難までなつかしいものに思うようになる。僚友たちとの再会で、ぼくらは、みな味わってきている、つらい思い出の喜びを」というわけです。

ようやく今週末〆切のレポートをなんとか返信できました。
3-4月は大学の通信教育部のレポート課題の内容更新により、例年より事案が多いのですが、うれしいのが、自分自身の授業をうけてくれた方からのレポートです。思い出深い昨年の夏期スクーリング(対面授業)での学生さん、秋期スクーリングの学生さんからのレポートも結構あって、まさに「嬉しい悲鳴」です。

地方都市でのスクーリングの場合、「倫理学」というナイーヴで不人気?(でもなかろう!)な科目ですから、受講者数も少人数ですから、スクーリング後、比較的早くレポートが提出されます。しかし、会場が大学での集中講義となると受講者数も多く、提出されるレポート案件がすくなく、心配するのが実情ですが、課題内容の更新、ある意味では刺激になったのでしょう……今月は、授業を受けてくれた方のレポートがおおく、まさに「嬉しい悲鳴」です。

昨夏は、オーストラリアとドイツの御婦人がはるばる海を越え、ワタクシの拙い授業を受講してくださったのですが、オーストラリアの御婦人のレポートは年末に読ませていただき、無事終了し、ドイツの御婦人のレポートはいつか!などと案じていたところです。その矢先、ミュンヘンから届けられた2通を無事うけとり、安堵した次第です。

ドイツの御婦人はこれまた最前列でナイーヴな講義を熱心に聞いてくださったわけですが(思い出すとその後ろのグループが和気藹々とにぎやかでしたネ)、ちょうどワタクシの母親と同世代ぐらいの方のようにて、休憩時間に談笑したり、意見を交換する中で、是非がんばってもらいたいと思った思い出がありましたので、本当に安堵した次第で、卒業目指して頑張って欲しいものです。

ん~……、例の如く、話がすっとんでしまい恐縮です。

結局の所「ぼくらを、豊富にしてくれる未知の条件があるということ以外、何が、ぼくらにわかっているだろう? 人間の本然は、はたしてどこに宿っているのだろうか?
 本然というものは、立証されるものではない」わけです。

だからこそ、今日一日を「充全」に歩むことこそ人間の本然なのだろうと思います。

そこには理論も見本も解説書もマニュアルもありません。

じゃどうすっぺ?

……と訊かれると困るのですが、それはそうですねエ~「理論はちと自分で苦労して、人生を知るのがよいのだ」というところが落ち着きどころのいいところではございませんでしょうか?

……ということで、今日は久し振りにドイツワインで乾杯したくなりましたので、ワインで乾杯です。

グスタフ・アドルフ・シュミット社の「Zeller Schwarze Katz MOSEL Pri Katz」でございます。

やや甘口なのですが、味わいは「豊穣」で、テーブルワインにありがちな「(イヤに)残る甘さ」がなく、「すっきりとした」飲み口が最高です。

……って、多分全部飲んでしまうんだよな~。

生産性が低すぎだ!

……しかし、路傍の草花には「味」があるもんです。

03_r0013445

人間の土地 (新潮文庫) Book 人間の土地 (新潮文庫)

著者:サン=テグジュペリ
販売元:新潮社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (0) | トラックバック (2)

理性を最上のものとしようとして出発するにもかかわらず、終局には理性を破壊することに

01_img_1143

-----

 もちろん、健全と思われるある教義を国民に押しつけようとする欲求は新しいものではなく、また現代に特有なものでもない。けれども、多くの現代の知識人がこのような企てを正当化しようとする議論は新しい。そのいうところは次のようである。およそわれわれの社会において思想の真の自由はない。なぜなら大衆の意見や好みは、宣伝、広告、上流階級の手本、さらに人々の思考を必ず月並みの型にしてしまう、その他の環境的要因によって形づくられるものだからである。このことから、大多数のものの理想や好みが常にわれわれの支配することのできる事情によって形づくられるものとすれば、われわれは意識的にこの力を利用して、人々の思想を望ましい方向と考えられるところへ向けるべきであると結論されるのである。
 大多数のものが自主的にほとんど考えることができず、大部分の問題について彼らが既成の見解を受け入れ、また彼らがある一連の信念または他の一連の信念に引き込まれたり、甘言をもって引き入れられたりして、同じように満足しているということはおそらく真実である。いかなる社会においても、思想の自由ということは、おそらく単に少数のものにとって直接の意義がある。けれども、このことはだれかがこの自由をもっている人々を選択する資格があるとか、選択権をもっているべきであるというようなことを意味しているのではない。それはたしかに、ある集団が人々の考えたり、信ずべきものを決定する権利を要求するというような推定を正当化するものではない。いかなる種類の体制下においても、多数の国民はだれかの指導にしたがうものであるから、すべての人々が同じ指導にしたがうべきものとしても、なんら異なることはないということは、思想の完全な混乱である。知的自由がすべての人々に対して独自の思想の可能性を意味しないからという理由で、知的自由の価値に反対を唱えることは、知的自由に価値を与える理由をまったく見落としていることになる。知的自由をして知的進歩の主要な発動機としての機能を果たさせるために必要なことは、各人が何かを考えたり、書いたりすることができるということではなくて、なんらかの主張や考えがだれかによって論議されるということである。意見の相違が抑圧されないかぎり、常にだれかが同時代に支配的である考えについて疑問を抱き、その議論や宣伝の当否をたしかめるために新しい考えを提示するであろう。
 異なる知識や異なる見解をもっている個人のこのような相互作用は、精神生活を形づくる。理性の発展はこのような相違性の存在を基礎とする一つの社会的過程である。その本質はその結果が予言されえないということ、またどの見解がその発展を助け、どれが助けないかということが知られえないということ、簡単にいえば、この発展は現在われわれの抱いているなんらかの見解によって支配されるときは、常に妨げられるということにある。精神的発展またはそれに関するかぎりの一般的進歩を「計画化」したり、「組織化」することは言葉自体の矛盾である。人間精神がそれ自身の発展を「意識的」に統制すべきであるという考えは、それだけが何ものをも「意識的に統制」することのできる個人の理性と、その発展が依存している個人相互間の過程とを混同したものである。その発展を統制しようとすることによって、われわれはただその発展を妨げ、おそから早かれ思想の停滞と理性の低下をもたらすに違いないのである。
 集産主義的思想が理性を最上のものとしようとして出発するにもかかわらず、理性の発展の依存している過程を誤解するために、終局には理性を破壊することになるというのは、集産主義的思想の悲劇である。
    --フリードリヒ・A・ハイエク(一谷藤一郎・一谷映理子訳)『隷属への道 全体主義と自由』東京創元社、1992年。

-----

3月末で市井の職場のアルバイトの方々が数名退社されました。
ただし、新規採用は凍結が全社的な方針ですから、今いる人間でまわせという!というかけ声のもと、理性的な経営判断にもとづく合理化が吹きすさぶ現状です。

それがいいことなのか、わるいことなのかは、門外漢の宇治家参去にとっては熟知の及ばないところです。一見すると、経営を一番圧迫するのは、人件費ということになりますから、そこを「抑制」するというのは、たしかに理性的な合理化の方策のひとつなのでしょう。理性を備え理性的に人間は確かに生きております。しかしそれだけでもなく、理性に該当しない部分も多分にそなえており、現実には後者に従って……その良し悪しは問いませんし、両方があるというのが実情でしょう……生きていることの方が多いのかも知れません。

仕事もおなじで、得意・不得意もあれば、得手・不得手もあります。
欠員が出た場合、その欠員の業務を今いる人間が収得し、それで廻すという理性的判断はたしかに「革命的な進歩」をもたらすかも知れません。

しかし、現実にはなかなかそこまでついてまわらないもので、下々の話ですが、結局は、ある程度、何でもできる人間に負担が回ってくるものです。

経営をデザインするのは飽くなき合理性を追求する理性の導きによるものです。しかしそのデザインに導かれる人間そのものが理性的でもあれば、理性的でもない存在だから、マアこれがうまく働かないわけで、その意味では、理性と非理性の間で呻吟しているのが今の市場経済の最前線なのでしょう。

理性に至上の地位を見出したのは、言うまでもなくフランスの啓蒙思想です。理性の命令に従いながら、現状を再構築していくことで理想郷が実現するとの発想ですが、現実には、「再構築」するどこかろか「既存のシステム」を「諸悪の根源」として「告発」し、がむしゃらに破壊してきたのが、その歩みです。

フランス革命の結末を見るまでもなく、そしてロシア革命の惨劇を引き合いに出すまでもありません。

たしかに「正しい」ことは「正しい」のでしょう。

しかし「問題」の全否定・全消滅が「正しさ」を「実現」させることにはならない……そのことを歴史は物語っているのかも知れません。敵か味方かの二者択一論の不幸も個々にあるのでしょう。

人間は現存の秩序をすべて破壊し、そこにまったく新しい秩序を建設できるほど賢明ではありません。むしろ、理性の傲慢さのもたらす危険性を常に自覚しながら活用していく道を模索すべきなのでしょうが、マアこれも理性を司る人間そのもの非理性の導きなのでしょうか……理性の傲慢さを非理性が加速化させているのかもしれません。

ハイエク(Friedrich August von Hayek,1899-1992)は、デカルト以来の「理性主義」を先験的な理性主義(constructivist rationalism)を批判し、自己自身の理性主義を経験的な理性主義(evolutionary rationalism)と呼び、両者を峻別しております。

ハイエクによると人間はその本質において、非常に誤りに陥りやすい存在であります。

だからこそ改革を目指す場合、「漸進的な発展」を期待すべきであって、理性を濫用した特効薬(=「漸進的な発展」に対してそれは「革命的な発展」)を利用すべきではないと説きます。特効薬を利用してしまうと結局は人間社会そのものを破壊してしまう--そのことを革命のと暴力の20世紀から学んだからなのでしょう。

理性に限らず、あらゆる先鋭化と急進主義的アプローチは、結局のところ、生きてゐる人間からますます離れていくばかりなのでしょう。

生きてゐる人間に根ざしつつ、そのなかで、できる変革を試行錯誤していく--その「積み重ね」のなかで、文明とか文化が形成されるとハイエクは説きますが、その意味では、理性そのものが文明とか社会そのものを創造する能力はもっていないのかもしれません。
人間の歩みはどちらかといえば過ちの方が多いでしょう。
しかし、その過ちを積み重ねながら、試行錯誤と取捨選択を積み重ねることにより人間の表情がつくられてくるのかもしれません。

理性主義に内在する集産主義の悲劇は、過去の遺物ではなく、姿をかえて、身近なところに潜んでいるかも知れません。

ただ……
こう、疲れたときには蕎麦がききます。

02435pxf_hayek 03_img_1066

隷従への道―全体主義と自由 Book 隷従への道―全体主義と自由

著者:フリードリヒ・A. ハイエク
販売元:東京創元社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (0) | トラックバック (0)

たとえ何事が起ころうとも、それから利益を引き出す力がわたしにはあるのだから

01_img_0448

-----

 からすが鳴いて、不幸を告げ知らせたならば、きみはそれにたいする想像によって、自分を不安にしてはならぬ。むしろよく分別して、早速こう確信するがよい、「わたし自身に対しては何事も告げられていないのだ。ただ、わたしの滅びやすい肉体が、わたしのごくわずかな財産か、あるいはわたしの名誉が、わたしの妻か子に対して告げられているのである。わたしがそれをそうあせらせようと思えば、わたしにとってすべては幸福の予言となるであろう。なぜなら、たとえ何事が起ころうとも、それから利益を引き出す力がわたしにはあるのだから*。」
  * シエナのカテリナも同じように書いている、「勇気ある人には、幸福と不幸とは右手と左手のようなものです。彼はその両方を使うのです。」
    --ヒルティ(草間平作訳)『幸福論 第一部』岩波文庫、1961年。

-----

仕事のぐちのようになりますが、最近、市井の仕事へ行くと、連日アリエナイことばかりで、デラシネのフーテンを気取る宇治家参去としてもさすがに参るところで、ひさしぶりに「胃が痛い」とはこのことかと実感するわけですけれども、休み明けで出勤しますと、今日は、これまでの奮闘録のさらにうえをいく業務内容で、さすがにカラスは鳴きませんけれども、不幸の手紙とはまさにことことか思いつつ、お仕事です。
※ちなみに「からすが鳴いて、不幸を告げ知らせた」という譬えは、上記にある通り、ひょっとすると西洋伝播のイメエジかもしれませんね、探究はしてはおりませんが。

今日はさすがにこれまでの積み重ねがありましたもので、いろいろと不備・不具合に関する作業レポートおよび改善施策案をまとめて出勤したわけですが、その討議ができる暇もないほど忙しく……、一段落ついたところで内容を討議すべく、店長席へむかうと、帰宅支度のようで、マズイところみられたなっていうオーラ全開でしたので、「もういいや」って感じで、不要書類の始末にみせかけ、シュレッダーへ書類をぶちこみ、「お疲れ様でした」って見送り、そのまま休憩にいくと、うしろでオバチャンたちが、新人の悪口を言い合ってガス抜きしている模様で……。

ハイデッガー(Martin Heidegger,1889-1976)の『「ヒューマニズム」について』を読み、赤線を引っ張って、原典と対照しながら読むわけですが、頭に入らず。その談笑は?本人たちは小さな声で“囀っている”つもりなのでしょうが、知らぬは本人たちだけで、休憩室にひびきわたるほど大音量にて、当然、貴重な研究時間に魔が入る……という状況です。とりあえず、和文の入力はしましたので、途中且つコメンタリーなしですが、以下の通り。

-----

〔72 分野別の学問的諸学科の成立以前に立ち帰って、エートスの問題を考えねばならない〕
 「倫理学」が「論理学」と「自然学」と一緒に並べられて初めて登場するのは、プラトンの学派においてである。こうした分野別の学問的諸学科が成立するのは、思索を「哲学」へと変貌させ、しかも哲学をエピステーメー(学問)へと変貌させ、果ては学問そのものを学校や学校事業に属する事柄へと変貌させてしまうような時代において、なのである。このように理解された哲学を通り抜けて、学問科学が成立し、思索が過去のものとなってゆくのである。こうした時代よりも前の思索者たちは、なんらの「論理学」をも、またなんらの「倫理学」をも、ましてや「自然学」といったもののことなどを知ってはいない。けれども、それにもかかわらず、彼らの思索は、非論理的でもなければ、非道徳的でもない。「フュシス」〔「自然」〕に至っては、彼らは、あらゆる後代の「自然学」がもはや断じて達成することのできなかったような深さと広さにおいて、これを思索したのであった。ソフォクレスの悲劇作品の数々は、もしもおよそそうした比較を許されるとすれば、その発言の中に、「エーティク」〔「倫理学」〕に関するアリストテレスの講義よりも、もっと原初的に、エートス〔住ミ慣レタ場所・習慣・気質・性格〕という事柄を含蓄させているのである。ヘラクレイトスの一格言は、たった三語から成り立っているにすぎないが、その格言の言い述べていることは、きわめて単純明快であって、したがってその格言のうちからは、エートスの本質が直ちに明らかになるのである。

〔73 ヘラクレイトスの格言と、ヘラクレイトスに関するある出来事の物語〕
 ヘラクレイトスのその格言は、次のようなものである(断片一一九)。すなわち、エートス・アントローポイ・ダイモーン〔エートスハ、人間ニトッテ、ダイモーンデアル〕、と。世間のひとは、一般にこれを次のように翻訳するのが通例である。すなわち、「みずからの固有な性格は、人間にとって、みずからの守護霊である」、と。この翻訳は、現代的なえ方をしているが、ギリシア的な考え方をしていない。実は、エートスとは、居場所、住む場所のいことを意味しているのである。この語は、そのうちに人間が住んでいる開けた圏域のことを名指している。人間の居場所という開けた局面は、人間の本質へとふりかかってきてそのように来着しながら人間の近さのうちにとどまるものを、出現させるのである。人間の居場所は、人間がみずからの本質においてそこへと帰属しているゆえんのものの来着を含み、保持している。そうしたものが、ヘラクレイトスの語によれば、ダイモーン、すなわち、神というものなのである。したがって、あの格言が言い述べているのは、次のことである。すなわち、人間は、みずからが人間であるかぎり、神というものの近くに住む、ということ、これである。ヘラクレイトスのこの格言と一致するある出来事の物語は、次のようになっている。すなわち、ヘーラクレイトス・レゲタイ・プロス・トゥース・クセヌース・エイペイン・トゥース・プーロメヌース・エンテュケイン・アウトーイ・ホイ・エペイデー・プロシオンテス・エイドン・アウトン・テロメノン・プロス・トーイ・イプノーイ・エステーサン・エケレウエ・ガル・アウトゥース・エイシエナイ・タルーンタス・エイナイ・ガル・カイ・エンタウタ・テウース……〔ヘラクレイトスハ、見知ラヌ訪問客タチニ対シテ、次ノヨウニ語ッタト言ワレテイル。ソノ見知ラヌ訪問客タチハ、ヘラクレイトスニ会ッテミタイト思ッタ人タチデアル。近ヅイテミルト、コノ人タチハ、ヘラクレイトスガ、パン焼キカマドノソバデ、体ヲアタタメテイルノヲ見タタメニ、立チスクンデシマッタ。トイウノモ、ヘラクレイトスハ、ソノ人タチニ、勇気ヲ出シテ、モットナカヘ入ッテクルヨウニト、促シタカラデアッタ。トイウノモ、ココニモ神々ハイルノダカラ、ト言ッテ……〕。

  --マルティン・ハイデッガー(渡邊二郎訳)『「ヒューマニズム」について』ちくま学芸文庫、1997年。

-----

などと入力し、肺腑の奧まで煙草を吸ってから、後半戦に突入しますが、防犯上の理由から休憩エリアのシャッターを閉めなければならないので、ベンチでやすまれていたお客様に「大丈夫ですか?」と声をかけると、「なんだテメエ」と胸ぐらを掴まれるわけで……できることなら殴ってもらえればある意味で後処理が楽なのですが……その御仁、酔っ払って寝ていたようで、フト我に返るとスゴスゴと退散してくださり、無事に業務が完了で……作業日誌に「特記事項無」と記して帰宅の途につく次第です。

確かに、生きている世界というのは、ときおり、「お前人間か?」と誰何したくるのが実情です。しかし、それと同時に不思議なことにぶっちゃけ、だれかのことを悪いおうとか、こいつなんなんだといおうという気力すらおこならないのも現実です。

しかし諦念じゃないんですね。

おそらくへいへんぼんぼんにアカデミズムだけでやっていると「なんなんだ!」と弾嘩したかもしれません。

しかし不思議なことに、胸ぐら掴まれようが、悪口を聞こうが、フェードアウトしていく店長を横目で見ようが、「責めよう」とは思えない自分に、この世の中はしてくださったのかと最近は感じるようになりました。

もちろん、システムの不備とか、構造的暴力に由来する排除の構造に異議申し立てをすることは切実に必要です。

しかし、それを批判するだけではかわらない。

人間の波にもまれるなかで、たえずその人間を人間として取り扱い、そして共に歩み出す方向を模索しない限り本質的には人間共和の世界なんて訪れないのではとこの1-2年切実に痛感する宇治家参去です。

批判は批判として大切です。
しかし、、一〇〇点満点の模範解答的追及という名の錦の御旗を立てるだけではものごとはかわらない。そしてその旗を立てることによって不可避的な人間/非人間というさらなる分断を招いてしまうのが実情なのでしょう。

おれは当事者ではないよって安全弁をもうけるだけでおわっちゃうのはもうたくさんだなと思う毎日です。

人間の人間らしさ……いいかえれば人間の神性(東洋的文脈であれば「仏性」)はどこに存在するのでしょうか……。

-----

〔ヘラクレイトスハ、見知ラヌ訪問客タチニ対シテ、次ノヨウニ語ッタト言ワレテイル。ソノ見知ラヌ訪問客タチハ、ヘラクレイトスニ会ッテミタイト思ッタ人タチデアル。近ヅイテミルト、コノ人タチハ、ヘラクレイトスガ、パン焼キカマドノソバデ、体ヲアタタメテイルノヲ見タタメニ、立チスクンデシマッタ。トイウノモ、ヘラクレイトスハ、ソノ人タチニ、勇気ヲ出シテ、モットナカヘ入ッテクルヨウニト、促シタカラデアッタ。トイウノモ、ココニモ神々ハイルノダカラ、ト言ッテ……〕
    --ハイデッガー、前掲書。

-----

ハイデッガーの引用するヘラクレイトスのエピソードは言い得て妙だと思います。

世の中と人間に対して「諦める」のは簡単です。
「諦めて」不備を指摘するのはさらに簡単です。

しかしそうではない道はどこにあるのでしょうか。

「たとえ何事が起ころうとも、それから利益を引き出す力がわたしにはあるのだから」(ヒルティ)その勇気を選択するしかないのでしょう。

ちなみに、アラン(Emile-Auguste Chartier,1868-1951)よりもヒルティ(Carl Hilty,1833-1909)の言葉のほうがしっくりくる宇治家参去ですが、最近つと思うのは、アランにせよヒルティにせよ、言葉が違いますが、同じ対象に対して異なるアプローチで同じことを論じているのかも知れないな--と印象批判的に思う次第です。

さあ、呑んでとっとと寝よ、寝よ。

少々感傷的ですいません。
少々愚痴のようですいません。
02_r0012472 03_r0012459

幸福論 (第1部) (岩波文庫) Book 幸福論 (第1部) (岩波文庫)

著者:ヒルティ
販売元:岩波書店
Amazon.co.jpで詳細を確認する

「ヒューマニズム」について―パリのジャン・ボーフレに宛てた書簡 (ちくま学芸文庫) Book 「ヒューマニズム」について―パリのジャン・ボーフレに宛てた書簡 (ちくま学芸文庫)

著者:マルティン ハイデッガー
販売元:筑摩書房
Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (0) | トラックバック (1)

quasi-religionに「なんだかな」

01_r0012198

-----

 しかしわたしは、精神の分野で行ったわたしの実験を、ぜひ話しておきたいのだ。というのは、それは私自身にしかわかっていないことだからである。またその実験から、わたしは、政治の分野の活動にわたしがもっている力を引き出してきたのであった。もしも実験が真に精神的なものであれば、自己礼讃が入りこむ余地がありうるはずはない。それは、わたしに謙譲を加えるのみである。過去を熟考し、回顧すればするほど、ますますはっきりとわたしの限界を感じてくるのである。
 わたしがなしとげようと思っていること--ここ三十年間なしとげようと努力し、切望してきたことは、自己の完成、神にまみえること、人間解脱(モクシヤ)に達することである。この目標を追って、わたしは生き、動き、そしてわたしの存在があるのである。語ったり、書いたりするやりかたによるわたしの行為のいっさいと、政治の分野におけるすべてのわたしの冒険は、同じ目的に向けられている。
 しかしわたしは、一人の人に可能なことは、万人に可能である、とつねに信じている。だから、わたしの実験は、密室の中で行われたのではなく、公然と行われてきた。そして、わたしはこのことのために、実験の精神的価値が減じたとは考えない。世の中には、個人とその創造者のみにしかわからないものがいくつかあって、それらは、明らかに他の人に伝達不可能のものである。わたしがこれから話そうとする実験の数々は、そのようなものではない。それらは、あくまでも精神的なものである。あるいは、道徳的なものといったほうがよいかもしれない。というのは、宗教の本質は道徳性にあるからである。
    --ガンジー(蝋山芳郎訳)『ガンジー自伝』中公文庫、1983年。

-----

政治の根底には深い宗教性が必要不可欠であると喝破したのはインドの聖者・マハトマ・ガンジー(Mohandas Karamchand Gandhi,1869-1948)ですが、ガンジーの言葉に耳を傾けてみると、様々な諸分野が分断対立している状況のなかで、どのようすれば、その有機的な繋がりが快復し、強化していけるのだろうか、その模索の人生だったのではないかと思うことがあります。

とくに日本においては、徳川時代以降、倫理と宗教が基本的には棲み分けという状況に強制的にならしめられたためでしょうか、倫理と宗教、もう少し踏み込んで言うならば、道徳と宗教に関する生産的な議論がほとんど見受けられません。

倫理・道徳は深い宗教性を欠如した状態で、「世俗内倫理」としてのみ「方法論」的に語られる乃至は命じられる形でその言説が存在し、宗教はどちらかといえば、冠婚葬祭を初めとする儀礼としてその息を永らえているというのがその現況なのでしょう。

しかし、ヴェーバー(Max Weber,1864-1920)鮮やかに浮かび上がらせたように、現実には「世俗内倫理」として機能する世俗的「道徳」であったとしても、その根底には深い霊性の関わりがあるわけで、その両者を単純に、こちら側とあちら側で立て分けて理解することは不可能なのも事実です。倫理・道徳と宗教の霊性をこちら側とあちら側で立て分けて理解してしまう、そしてそういうものとして流通させてしまうところに、両者の生命が失われてしまう契機が存在するのではないだろうか……そう思えて他なりません。

それが失われてしまう、乃至は力が奪われてしまったとき闊歩し始めるのが、神学者ティリッヒ(Paul Johannes Tillich,1886-1965)の指摘する「quasi-religion」(擬似宗教)なのでしょう。確かに制度宗教の凋落を指摘することは簡単ですが、その過程で力を付けてきたまじない・オカルトとといった「精神世界」ブームを見るにつけ、そのことを実感せざるを得ません。制度宗教が力を失いつつあるのは確かなのですが、quasi-religionの勃興を見るにつけ、「なんだかな」と思うところで……。

人間には「信」という精神構造が存在します。これは宗教に限れた問題ではなく、人間はその社会性を発揮するとき不可避的に発揮される精神構造なのですが(例えば、○○行の電車が××に向かっていくとは思わず、○○行と無意識的であっても「信じて」乗っていくわけですが)、制度宗教が力を失うなかでその間欠を商売風に付いてくるのを見てしまうとまさに「なんだかな」と思うところで……。

確かに現代世界は中世的な教権社会とは異なった社会であり、制度であり、そこに住まう人々の時代であって、「かつての時代」のように、人間や社会全体を「支配する」「コントロール」するイデオロギーとしての宗教や倫理、そして道徳というものは必要在りませんが、それを極度の「個人」還元主義的傾向のなかで、単なる「私秘的領域だけの問題」として理解・流通させてしまうのは、ひとつの極端な理解なのだと思うところです。

カリカチュアされたイメージとしての中世的な宗教や倫理、そして道徳の「支配」というあり方が一方の極端であるとすれば、現今の「私秘的領域だけの問題」として理解する・退けるあり方というのももうひとつの極端なのでしょう。

歴史を振り返ってみるならば、ひとが「自分自身の問題」を「自分自身の問題」として逡巡・熟慮・葛藤しなくなったとき、そしてひとが「他のひとと関わる問題」を「他のひとと関わる問題」として逡巡・熟慮・葛藤しなくなったとき、一方の極端から一方の極端への移行は絶やす生じてしまうのが世の常です。

いずれにしても、イデオロギー優先か、それとも孤立した個人の領域を優先させるのかという二者択一の選択肢のまえには、「生きた人間」は存在しないのかもしれません。

宗教や倫理学といったナイーヴな対象を研究する一学徒としては、宗教や思想というものが諸刃の剣であることは渋々理解しているところですが、それでもなお、人間社会とのその有機的な関係を再構築・快復しない限り、暗雲立ちこめる現況を打破することは不可能なのだろうと思うところです。

しかしながら、その状況に対して「諦める」こともできません。

なぜなら、冒頭でガンジーが吐露していているとおりですから。

02ghandi 03_r0012223

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「全ての酒はビールに通ず」

01_img_0162

-----

……中世より近世への転換期に於ける思想界の状況について概観したところを要約するならば、仏教は数百年にわたる思想的覇権を喪失して、僅かに封建支配者の宗教政策(具体的には対切支丹政策)への完全な奉仕によって無気力な存在を保つ隷属的位置へとあわただしく転落しつつあり、これに対応して神道はその理論的基礎を従来の仏教より、新興の儒教に切り換えんとし、この間ヨーロッパより流入し来ったキリスト教は、一切の伝統的観念形態との鋭い対立を通じて、我が国民に幾多の新たなる問題を提示したけれども、封建社会の再編成途上に於ける政治的権力の激烈な弾圧を蒙って、強制的に思想界から放逐せしめられ、かくしてひとり儒教が、とくに鎌倉時代に入り来った宋学が、近世封建社会の確立と共に急激に蔓延して殆ど思想界を独占するに至るのである。
    --丸山眞男「伝統的イデオロギーの諸形態」、『丸山眞男講義録[第一冊] 日本政治思想史1948』岩波書店、1998年。

-----

日本を代表する政治学者、思想史家(哲学者といってもよいかもしれませんが)のひとりが丸山眞男(1914-1996)です。

もともと、丸山眞男の作品に関しては、手軽な岩波新書の『日本の思想』なんかで、比較的若いうちから“慣れ親しんできた”ところもあり、マア「日本を代表する良識的な政治学者なんだよな」とまさに、若い頃は“たかをくくって”おりましたが、ちょうど大学院の中盤くらいから、丸山の講義録やら座談録が相次いで出版されたこともあって、あらためて読んでみると、自分の浅はかな通念を打破された思い出があります。

すなわち、丸山は専門も深いけれども、その専門をささえる知識・教養も“半端ではない”ということです。

丸山はプロパーとしては、まさに「政治学」を専門とするわけですが、丸山の業績でおもしろいなと感じる部分は、現今の政治学の対象を論じるにあたって、その「古層」を丹念に探っていくという部分です。

「古層を丹念に探る」と聞けば「現在の状況を確認するために、過去に目を向けることでしょ? 誰でもやっているじゃないか?」などと聞こえてきそうですが、確かにそういわれればそうなのですが、実際にこれをやっていくのは大変なことです。

例えば、昭和の戦後政治史を概括するに当たり、例えば、戦中・戦後の政党関係論をふまえた上で、題目を論ずる政治学者なるものは多数ありますが、丸山が追求していく「古層」とは、そうした「昨日」だけではないということです。

例えば、日本における政治思想史を論じるに当たっては、大正・明治の事件はいうまでもなく、それを「古層」から規定していく江戸思想史(細かくは朱子学の系譜学)、そしてその江戸思想史を規定していく、江戸期以前の思想史・学問史をふまえた上で、丸山は問題を論じていくわけです。そしてそれを大学で講ずる。

なかなかできることではありません。

確かに「専門家」としての「知識人」は自分が「専門」とする分野を丁寧に追跡すればよいわけですが、そもそも「専門」と呼ばれる対象は、その分野に「収まりきる」ものではありません。しかし、その土台・土壌をどのようにふまえ、その沃野のうえに、どのように「専門」を深くうちたてていくことができるのか……そのことが問われているような気がして他なりません。

さて……。
上の引用では、近世初頭における日本における諸宗教の動向を概括した部分です。
この切支丹時代を経て、宗教(仏教)は倫理と分離され、宗教は葬送儀礼を担当し、儒教ただひとりが倫理を担っていくことになります。そして宗教と倫理の問題が再び見直されるようになるのは、遠く明治時代に至って、キリスト教が再渡来してから議論されるようになるのが思想の流れです。

たしかに、キリスト教(ここでいうキリスト教とは狭くいうならば戦国時代に渡来したローマ・カトリック)は、積極的に「封建的イデオロギー(豊臣秀吉による天下統一による一元的な武家政権のイデオロギー)」を「革命」しようという発想はありません。しかし、それが大名の宗教(キリシタン大名)から、民衆の宗教へと土着化するなかで、宗教を問題にしない……否、手段としてみる……体制イデオロギーからは結果として、「怪しい存在」として疎まれ、まさに「政治的権力の激烈な弾圧を蒙って、強制的に思想界から放逐せしめられ」てしまいます。

そして、「仏教は数百年にわたる思想的覇権を喪失して、僅かに封建支配者の宗教政策(具体的には対切支丹政策)への完全な奉仕によって無気力な存在を保つ隷属的位置へとあわただしく転落しつつあり」だったのですが、切支丹放逐と同時に、「転落」してしまうわけでございます。

もちろん、このことが幸か不幸かは一概に論ずることはできません。
たとえば、その時代までに形成された日本的精神風土の「死者」に対するアプローチ、すなわち、生者は死者に“触れてはいけない”という“穢”の問題から考えると、仏教が葬送儀礼に徹したことは、その問題をレコンキスタとしたいう意味で積極的に評価することも可能なのでしょうが、それでもなお、現在の日本人の宗教観を著しくいびつなものとして規定する「古層」になったことだけは疑いようのない事実であり、そのことを勘案すると、「どうなのかな」などと思ってしまいます。

で……。
風邪を引く、ないしは、調子が悪いと、実は煙草の味が実に「クソ不味く」なります。
しかし、生来の愛煙家としては、それでやめるようなことはなく、実にぷかぷかとやるわけです。例えるならば、大のサッカー好きのサラリーマンの方が、朝7時には家を出ないと行けないのに、朝4時からのサッカー中継を見て出勤するようなもので、この場合においては、他者は「録画で見ろよ」って忠言するかもしれませんが、当人においては、「リアルタイムで見ないと意味がない」との反論の如く、調子が悪くても、煙草に火をつけます。

これと同じように、本日も、肺腑が重いのは重いのですが、煙草に火をつけると、「クソ不味く」なく、「味わい」を感じられるようになったので、チトはやいですが、「独り快気祝」でございます。

宇治家参去……連日日本酒を飲んでおりますが、実は日本酒以上に大好きなのがビールです。どこかの偉人が言った言葉にあるのかどうか定かではありませんが、「全ての酒はビールに通ず」というわけで、本日は「世界一魔性を秘めたビール」と称されるゴールデン・エールの最高峰『Duvel』(ベルギー)にて晩酌です。

連日の如く、晩酌用に「湯豆腐」はセッティングされていたのですが、これだけだとチト「盛り上がらない」ので、冷凍食品のコーンとほうれん草、それに「鎌倉ハム」の熟成ベーコンをいため、簡単なソテーをつくり、これから一献です。

いわゆるラガービールが「下面発酵」なのに対し、ベルギー、デンマーク、ドイツ系のビールに多いのが「上面発酵」のエールビールで、大麦麦芽を使用し、酵母を常温かつ短時間に発酵させた、その複雑な香りと深いコクはなんともいえません。

この鼻に抜ける香りがなんともいえません(「鼻に抜ける」というほど快復しているということでしょう!)。

と……。
ここで終わると何なんで、最後にひとつ。

丸山眞男はうえの講義録において、キリスト教が戦国~江戸時代初期において流行(たった半世紀でおよそ75万信徒!)に関して、次のような理由を指摘しております。すなわち、①貿易の利、②仏教徒への対抗、③宣教師人格の高潔、④慈善・育児・病院・救貧活動の4点です。

①②に関しては「日本史」の教材を繙けば分かるように、①対明貿易から次の貿易相手・先端知識の宝庫として「南蛮」への関心でえあり、②織田信長が手を焼いたように武装僧侶・堕落僧侶への対抗機軸としての需要といことになります。ただし、これは統一政権が誕生した折りには、その役目を終える契機であって単なる「戦略的需要」にほかなりません。しかし③④に関してみるならば、それが民衆の宗教、生きた信仰の契機であって看過すべからざる理由なのでしょう。

フロイス(Luis Frois,1532-1597)をはじめとする、戦国期に来日した宣教師の報告を読んでいますと、面白いように、堕落した仏教の僧侶に対する批判がえんえんと羅列されております。
べつにキリスト教を宣揚しようという意図は毛頭ありませんが、その意味では、江戸幕府によって仏教という制度宗教が“骨抜き”にされる以前に、実はその命脈をおえていたのかな……などとも思ってしまいます。この時期渡来したキリスト教は結果としては、政治的権力の激烈な弾圧を蒙って、強制的に思想界から放逐せしめられ」てしまいますが、そうした状況にいたらず、諸宗教の、いわば「人道的競争」が保証されていたならば、また違った思想状況が現在に展開していたのかもしれません(とわいえ、歴史の事例を“if”で語るのは鬼門なのですが)。

とわいえ?
アナロジカルにいうならば、フロイスの批判というのは、ルネサンス末期を代表する人文学者にして、宗教改革の旗手として名高いエラスムス(Desiderius Erasmus,1467-1536)の聖職者に対する批判として有名な『痴愚神礼讃』(大出晃訳、慶應義塾大学出版会、2004年)を読んでいるようでもあり、その歴史の連鎖に驚くばかりです。

ともあれ、宗教社会学の知見に耳を傾けるとそのデータから俗に言われるとおりですが、宗教への回心とは、その信仰の高低深浅というよりもその紹介者の影響が最も大きいという報告がかなり存在しますが、結局は「人」によるんだよな、などと思う宇治家参去です。

02edo 03_img_0173

| | コメント (0) | トラックバック (1)

「小文字の生活」と「大文字の生活」のただ中で奮戦するしかないのでは?

01_mg_0138

-----

 プラトンが、「汝自身を知れ」というマキシムを、全く新しい意味に解釈したときは、ギリシャ文化およびギリシャ思想の転回点であった。この解釈は、ソクラテス以前の思想には見られなかったのみでなく、ソクラテスの方法の限界を、はるかに超えた問題を導入したのである。デルフォイの神の要求に従うために、また、己を検討し、己を知る宗教的義務を遂行するために、ソクラテスは、個別的人間に接近したのであった。プラトンは、ソクラテスの探究方法の限界を認識した。問題を解くためにはもっと広いプランに投影しなければならない、と彼は断言した。我々が個人的経験中に遭遇する現象は、極めてさまざまであり、はなはだ複雑で矛盾したものであるから、これを解きほごすことは、なかなかできない。人間は、その個人的生活の中で研究すべきものでなく、政治的および社会的生活の中で、研究しなければならない。プラトンによると、人間性は困難なテキストのようなものであって、その意味は、哲学によって解明されるべきものである。しかし、我々の個人的経験の中では、このテキストは、判読できないほど極く微細な文字で書かれている。哲学の最初の任務は、これらの文字を拡大することでなくてはならない。哲学は、それが国家の理論を展開しないうちは、人間に関する満足な理解を得ることはできない。人間の性質は、国家の性質の中では、大文字で書かれている。この場合には、テキストの、隠された意味が、突如姿を現わし、不明瞭、不鮮明と思われたものが、明瞭となり、読むことができるようになる。
 しかし、政治的生活は、人間の共同生活の唯一の形態ではない。人類の歴史において、現在の形のような国家は、文明化が、ある程度進んでから後で生まれたものである。人間は、このような形態の社会組織を発見するよりも、はるかに前から、その感情、願望、および思想を組織しようとする、別の試みを行っていたのであった。このような組織化および体系化は、言語、神話、宗教、および芸術の中にみられる。もし人間の理論を発展させようと考えるならば、我々はこのように広い基礎を取り上げなければならない。国家は、どんなに重要だとしても、すべてではない。それは、人間の他のすべての活動を表現することもできず、また、吸収しつくすこともできない。たしかに、これらの人間的活動は、歴史的発展中において、国家の発展と密接に結びついており、多くの点で、政治的生活の形式に依存している。しかし、これらの諸活動は、なるほど歴史的に孤立して存在しているものではないけれども、それぞれの目的と価値をもっているのである。
    --カッシーラー(宮城音弥訳)『人間 シンボルを操るもの』岩波文庫、1997年。

-----

現代の社会情勢、世界状況、そして人間世界の最大の問題を指摘するとすれば、それはまさに硬直した「分断」がそのひとつなのでしょう。そして、その分断を超克すべく提示される概念が「統合」という方向性の示唆になるのかと思います。もちろん、宇治家参去にはそうした次世代を牽引する概念なんかをグランドデザインするほどの能力もありませんので、いつものとおりのスケッチということで……。

で……
その「統合」の問題に戻りますが、「統合」と呼ばれるものが、歴史を振り返ってみるとそれがたしかにそうであったように--つまり、なにかひとつの極限を中心に、それに向かって整列「させられる」ような「統合」であった場合、それは「統合」ではなく、中心でないにもかかわらず「中心」とされるものに、「強制」的にしたがわされるものであり--それは「統合」とは似て非なるものになってしまうのでしょう。

それは「調和」ではなく、「暴力」にほかならない--そう実感する宇治家参去です。

さて「統合」を論じる前に、まず「分断」のほうに目をむけてみるとすれば、ひとつ指摘できるのが、やはり、諸価値関係・対峙関係における「分断」の問題になるのではないだろうかと思います。

現代ドイツの哲学者にして「哲学的人間学」をリードしたカッシーラー(Ernst Cassirer,1874-1945)の『人間 シンボルを操るもの』を再読するなかで、はあなるほど!と思うことしばしばあり、先に「分断」のほうを眺めてみようかと思います。

うえの引用は、二人の哲学者の思考傾向の顕著な差異に注目している部分です。
人類の教師たるソクラテス(Socrates,469.BC-399.BC)は、「汝自身を知れ」というモットーをもとに、「己を検討し」対話という手法を通じて「個別的人間に接近」しました。

一概には言えませんし、そして、古代ギリシアと現在のテクノロジー社会を同一視することは決してできませんが、それでもなお次のことは確認できるかと思います。すなわち、ソクラテスの生きた古代ギリシアの世界とは、まさに思想の大空位時代ということです。そしてその思想の大空位時代は、現今の状況の大きな禍根となっている意味では同じであり、両者とも、ケ・セラ・セラの相対主義優位の時代であったと思います。

「白も黒である」などという言い方がもてはやされる時代状況下において、クラテスは個別的人間に接近していきます。そして対話を通じて、それでもなお、個別的人間の関心や差異を超えた真理--もうすこしひらたくいえば--誰にでも「当てはまるような」「何か」はあるはずだと考え、それを模索したわけですが、その答えにこたえる前に、刑死してしまいます。

そのことが弟子プラトン(Plato,428/427.BC-348/347.BC)の課題となってきます。
一つは、ソクラテスが探求し、そしてこたえることのなかった「真理」とは何かという問題であります。そしてもうひとつは、ソクラテスはいわば「民主政治」の名のもとに「殺された」わけですので、この世における真理の実現(幸福の実現)にふさわしい共同体とはどういう状況なのか、という問いがその二つ目の大きな課題です。

哲学史的に振り返るならば、前者の課題は「イデア論」として結実し、後者の課題は、大著『国家』で提示される「哲人政治」という形で提案されております。

たしかにプラトンは、「ソクラテスの探究方法の限界を認識した。問題を解くためにはもっと広いプランに投影しなければならない」と考えたのでしょう。

カッシーラーの指摘の通り「我々が個人的経験中に遭遇する現象は、極めてさまざまであり、はなはだ複雑で矛盾したものであるから、これを解きほごすことは、なかなかできない。人間は、その個人的生活の中で研究すべきものでなく、政治的および社会的生活の中で、研究しなければならない」というとおりで、プラトンの思考プロセスも理解できなくはありません。

考えても見れば、「人間は困難なテキスト」であります。
個人的経験のなかだけで、その全体や実像を捉えることははなはだ困難です。
また、それと同様に、政治的および社会的生活の中だけでも、理解できることは限りが存在します。

しかし歴史を振り返ってみるならば、ソクラテス的アプローチのみによって「人間は理解できる」、ないしはその逆にプラトン的アプローチにのみによって「人間は理解できる」と発想したのがその実情ではないでしょうか。

それこそが「分断」なのだと思います。

「「我々が個人的経験中に遭遇する現象は、極めてさまざまであり、はなはだ複雑で矛盾したものであるから、これを解きほごすことは、なかなかできない」。

けれども、「政治的生活は、人間の共同生活の唯一の形態ではない。人類の歴史において、現在の形のような国家は、文明化が、ある程度進んでから後で生まれたものである。人間は、このような形態の社会組織を発見するよりも、はるかに前から、その感情、願望、および思想を組織しようとする、別の試みを行っていたのであった。このような組織化および体系化は、言語、神話、宗教、および芸術の中にみられる。もし人間の理論を発展させようと考えるならば、我々はこのように広い基礎を取り上げなければならない」のでしょう。

永遠の対立なのかもしれませんが、個別の存在者を第一優先するあり方だけでも不十分ですし、個別の存在者を超えた共同体を第一優先するあり方でも不十分なのでしょう。

そのどちからだけの道を「真実の道」と「思いこみ」、他者と遮断された形で「統合」を装いながら「訓戒」を垂れてしまうこと自体が「分断」なのでしょう。

人間の生活とは個別的側面もあれば、政治的側面も同じように存在します。現実はどちらが先かという議論よりも、その両者が入り乱れ、当事者に直面してくるというのが真相だろうと思います。

前者が、「小文字」の世界であるとすれば、後者は「大文字」の世界なわけですが、直面した際、その問題に対して「孤立する」ことなく「真剣に勝負を挑んで」いかないかぎり、差異を尊重する「統合」などありえないのでしょう。

ですから……。

どうも土曜日にどなたかに風邪をうつされたようで、「頭がボッーとする」わけですけども、目前の課題に対して「真剣に勝負を挑んで」いかなければと、鉢巻きを締め直す宇治家参去ですので、「寝る前に飲む」という「恒例」の「行事」ですが、「丁寧」に扱って参りたいと決意する次第でございます。

卵酒を作ればよいのですが、面倒なので、「雰囲気」を味わいながらというやつで、本日は、「純米 白川郷 にごり酒」(三輪酒造、岐阜県)にて、鋭気を養おうと思います。

しかし、飲んだ後に気が付いたのですが、薬を先に飲もうと思っていたのを失念していたようにて、今から飲んで、飲み直して寝ますです。

で……(くどいよねえ)。

話が元に戻りますが、「大文字の世界」しか語らない、そして「小文字の世界に沈潜していく」のみの「したり顔」の評論家のコメントをテレビなんかで見ていると、「をぃをぃ」と思ってしまうのは、宇治家参去一人ではあるまいと思います。

知識人とは何か。
ポストコロニアル批評のサイード(Edward Wadie Said,1935-2003)が的確にコメントしているので最後にひとつ。

今日は久し振りに市井の職場の屋上より、「富士山」の勇姿を拝見することができましたが、まさに「富士の高嶺を知らざるか」でございます。

-----

 わたしが考える知識人は、可能な限り幅広い大衆にうったえかける者であり、大衆を糾弾する者ではない。大衆こそ、知識人にとって、生まれながら(ナチュラル)の支援者である。知識人とって問題なのは、ケアリが論じたような大衆社会全体のありようでなく、むしろインサイダーとかエキスパート、あるいは通人とか専門家(プロフェッショナル)の存在である。なぜなら、この種の人間は、今世紀はじめにコラムニストのウォルター・リップマンが定式化したような方法で、世論を形成し、世論を体制順応型に誘導し、有識者からなる少数の政権担当者集団にすべてをまかせるよう大衆をそそのかしてしまうからだ。インサイダーは特殊な利害に奉仕する。だが知識人たる者は、国粋的民族主義に対して、同業組合的思考に対して、階級意識に対して、白人・男性優位主義に対して、異議申し立てをすべきである。
 普遍性の意識とは、リスクを背負うことを意味する。わたしたちの文化的背景、わたしたちの用いる言語、わたしたちの国籍は、他者の現実から、わたしたちを保護してくれるだけに、ぬるま湯的な安心感にひたらせてくれるのだが、そのようなぬるま湯から脱するには、普遍性に依拠するというリスクを背負わなければならない。いいかえるとこれは、人間の行動を考える際、単一の基準となるものを模索し、それにあくまでも固執するということである。外交政策や社会政策を考えるとき、これが、ゆるがせにできない問題となる。つまり、もし敵による不当な侵略行為を非難するならば、自国の政府が弱小国家を侵略した場合にも、ひるまず非難の声をあげられるようになっていなければならないということだ。知識人にとって、これならば語って良い、これならば行ってよいという指針などありはしない。真に世俗的な知識人にとって、崇拝すべき、また確固たる指針として仰ぐべき神々など存在しないのである。
    --エドワード・W・サイード(大橋洋一訳)『知識人とは何か』平凡社、1995年。

-----

02socrates_and_plato 03_img_0148

人間 (岩波文庫) Book 人間 (岩波文庫)

著者:E. カッシーラー
販売元:岩波書店
Amazon.co.jpで詳細を確認する

知識人とは何か (平凡社ライブラリー) Book 知識人とは何か (平凡社ライブラリー)

著者:エドワード・W. サイード
販売元:平凡社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (0) | トラックバック (1)

131年前の今日

01_img_0445 02_img_0472

-----

 日清戦争前後の事を回想すると、現代とは大部様子が違ひ、子供心にも外国の侮りを受けたと聞かされて憤慨したり、国威を海外に輝かしたとの話に昂奮したことなど憶い出す。福島中佐の西伯利(シベリア)単騎横断(明治二十六年)はあの頃西洋でどんな風に見られて居たか知れぬが、我国では破天荒の冒険に西洋人のどぎもをぬいた痛快事として吹聴され、私共子供眼には中佐は一個世界的英雄として映じ、その一挙一動の報道には毎に熱血をわかしたものである。新聞の断片的報道を丹念に集め、地図によって覚束なき旅行談でもするとなると、学友会などは満場立錐の余地なき盛況であつた。
    --吉野作造「日清戦争前後」、『経済往来』1933年1月号。

-----

平成二十一年(二〇〇九)、一月二九日(木曜)、快晴。

昨日、吉野作造記念館ニテ、博士論文作成上必要不可欠ナル史料ノ調査ヲ行ヒ、無事終エル。
夕刻ヨリ、古川ノ街ヘ繰リ出シ、往時ノ息吹ニ浸ルトトモニ、日本酒ニテ、吉野作造ノ偉績ヲ独リ讃エタリ。

……ということで、早めに寝てしまったので、早めに起きてしまった宇治家参去です。

記念館では展示物を閲覧させて頂いたあと、前もって連絡していたので、クリスチャン・デモクラット吉野作造(1878-1933)が使った聖書を閲覧させて頂き、書き込み等を確認させて頂き、2,3点気になるところを伺い、生家跡を巡ってから、ホテルへ。

ホテルのとなりの酒屋で自分用のおみやげを購入し、そのあと、古川の街を彷徨いながら、飲み屋へ行き、東北の味を堪能させて頂きました。

古川は、2006年、周辺地域と合併し、大崎市と改称されておりますが、その中心をなすのが、旧古川市で、吉野作造はその地に綿屋の息子として生まれました。こざっぱりとした街で、清涼な空気とホコリ気のないたたずまいが印象的な街です。

吉野は、第二高等学校(現在の東北大学)を経て、Imperial University of Tokyoの法科大学へ進学し、あとはご存じの通り大正デモクラシーの旗手として活躍した次第です。

さて……。
何故、吉野作造の魅力に惹かれるのでしょうか。
きっかけとしては、指導教官から吉野作造でやってみなさいという契機としては外発性ですが、その著作をひもとくなかで、吉野作造でやってみる意味はあるな……というのは実感するのですが、そのひとつは、やはり吉野作造自身が「自分は善いことやっているんだぜ」という雰囲気が全くないというところでしょう。

確かにデモクラシーを説き、国際協調を説き、帝国主義に批判的な立場から中国・朝鮮問題にも容喙しております。

その意味で業績としては、たしかに「善いこと」をまあ、やっているわけですが、本人自身はちっとも善いことをやっているとはおもっていないし、うえに引用したとおりですが、長じてからは、軍国主義とか民意を反古にする翼賛体制に批判的な立場をとるわけですが、それでも、自分自身も「愛国者だった」というところを臆面もなく語る人はほとんど存在しません。ある意味で、「俺は根っからの反軍国主義者だ」という手合いは多いのですが、そうではなく、あくまでも「自然体」で語りかけるところにその魅力があるのかもしれません。

正義を語るために、作られた物語に酔うのではなく、正直に語るスタイルがどこまでもその魅力です。いかに議論としては反対者であったとしても、吉野作造はねばり強く対話を通して、相手と理解しようとした姿勢は、職業革命家の描いてみせる夢想とは遠くかけ離れたレアリストの強さと、理想を実現させようとする本物の使命観を見せてくれているように思われます。

さて本日1月29日。
今から、131年前の今日、この古川の地で吉野作造が誕生しました。
吉野作造の民本主義の思想は、主権の所在を問わない点で、確かに「理論としての限界」は存在します。デモクラシーの旗手として活躍した当時からも、その点を、右からは、天皇親政の立場からの批判(上杉慎吉)されていますし、左からは、理論の陥穽を批判(山川均)されております。

しかし、吉野作造が見出し大切にしたのは、理論そのものではないという点です。理論よりも優先されるべきは、民衆の幸福の促進という点だったことを忘れてはいけないのでしょう。

戦後、確かに体制・理論としての民主主義は確固として樹立されます。しかし、民意に耳を傾ける、そしてその幸福の増進を図る……という目的がデモクラシーの議論のなかですっぽりと抜け落ちてしまうと、状況としては「プロクルテスの寝台」(人間のサイズにベッドを合わせるのではなく、ベットのサイズに合わせるように人間をひっぱたり、切り刻んだりするというギリシア神話のエピソード)になってしまうのでしょう。

盟友・内ヶ崎作三郎は吉野の死後、「(吉野作造は)無限の親切の人」だったと語っておりますが、その人格を支え、薫育した宗教の問題を解明するのは、この無宗教性がもてはやされる現代においてこそ必要な作業なのだと思います。

ともあれ、生誕131年目を迎えた吉野作造の思想の持つ意味はいやまして大きいものだと思います。

さあ、東京へ戻りますか。

03_r0011872

| | コメント (0) | トラックバック (0)

大学の個性を感じながら、琥珀のバスペールエールと幸福な再会

01_r0011712 02_r0011710

-----

 学校歴主義が批判され、能力主義が批判される背後には、人間の能力は学校歴や試験でテストされる学力で示されるものではない、という考えがかくされている。人間の能力には知的なもののほかに、いろいろな能力がある。人間はその組み合わせでできている。それを知的な能力、しかも条件反射的に答えていくような能力だけが重視される入学試験で、受験生の能力を判定しようとする天に、問題がないか。大学が豊かな教養をあたえることを一つの目的とするならば、知識一元的な考え方は反省しなければならないであろう。もちろん、大学が大学である以上、知性が重視されなければならない。しかし、他の能力もそれぞれに評価するような、多元的な考え方が必要であろう。
 といっても、大学がそれらの多くの能力をテストして入試させる、ということはできるはずがない。その点で意味をもっていたのが、実は各大学のカラーであった。人間にはそれぞれ個性があるように、大学、とくに私立大学には、それぞれの個性があった。バンカラな大学もあれば、紳士を教育しようという大学もあり、知的水準の高い大学もあれば、男子に対抗して女子にも高等教育をあたえようという大学もあった。大学に個性があれば、きみたちも、自分の個性あるいは特性にあった大学をえらぶことができる。ところが、不幸なことに、新制大学になってから、大学の個性はだんだん小さくなっていった。これはエリートの大学からマスの大学への変化と、結びついている。だが、マスの個性になったから、個性は必要ない、ということはありえない。一人一人のもっている個性をのばすことが、教育の基本的な課題であり、これがよりよく果たされるためには、大学がそれぞれのカラーをはっきりさせることである。そのため、入学試験にもそれぞれの特色があってよい。きみたちも、偏差値で大学を見るのでなく、大学のカラーで大学を見る目をもたなければならない。
 そう考えれば、すべての大学を平等なものにしよう、という意見が正しくないことも、明らかになっていく。かつて、ジャーナリズムは早稲田、実業界は慶応という評価があった。そういうカラーをなくして、すべての大学を似たようにするのではなく、東大は東大、一橋は一橋、明治は明治、立教は立教、同志社は同志社、と個性をもった大学をのばしていくことこそ、大切である。そしてきみたちも、まだまだ残っているそれぞれの大学の個性をよく見て、自分の個性にあっていると思われるところに、挑戦すべきである。
    --隅谷三喜男『大学でなにを学ぶか』岩波ジュニア新書、1981年。

-----

今日明日はセンター試験です。

月並みですが、受験生の皆様がんばってください。

さて昨日。
博士論文の提出手続きの確認のため、大学院でお世話になった立教大学の池袋キャンパスへ1年ぶりぐらいでしょうか……行って来ました。

新宿、四谷、有楽町……このあたりは比較的よく利用しますが、後期課程満期退学後、池袋へ出るのは、サンシャイン水族館と夏のウルトラマンフェスティバルぐらいなものですから、西口関係……自分が通っていたときと、大学周辺の雰囲気が少しがかわっていたことに驚きました。

よく利用していた喫茶店がヘアサロンに生まれ変わり、空き地には複合ビルが建設中。大学の方も、在学中に竣工していた工事が完成したのか、すこしこざっぱりとした様子です。

窓口で詳細を確認すると、「論文博士の場合は、特別な手続きはありません。期日までに関係書類と一緒に提出するだけです」とのことだそうで……あっけなく5分にて終了。教務部で学位規則の書類だけもらい、お世話になった先生の研究室にたちよると授業中なのでしょう……不在とのことで、ぶらりと事業部(一般の大学で言うところの大学生協)にて本を2-3冊買い求め、缶コーヒーで一服です(もちろん喫煙場所にて)。

ちょうど、後期の最終授業とかレポートの提出とか、試験の準備なのでしょう……キャンパスには比較的大勢の学生がわいわいがやがや……。

「大学の自由な空気」がいや~あ、旨かった。

立教は、「自由の学府」をキャッチコピーにしております。

創立者は、日本聖公会の初代主教・チャニング・ムーア・ウイリアムズ(Channing Moore Williams,1827-1910)で、築地に拓いた小さな塾が出発点となっております。
創立当初から“キリスト教に基づく教育”を建学の精神として謳い、チャペルも大学構内にありますし、静謐とした雰囲気が厳然として存在しております。
しかし不思議なことに「キリスト教のために」とか「キリスト教へどうぞ」という雰囲気が全くありません。

ウィリアムズの言葉に「道を伝えて己を伝えず」という言葉があります。
見せかけや名声のための善行を嫌い信仰者としての道を貫いたウィリアムズの歩みの影響からでしょうか……、キリスト教主義であったとしても、そこには「強制」とか「強要」を感じたことは一度もありませんでした。

もちろん、自分自身の専門がキリスト教学になりますので、授業ではガチガチにそうしたものを扱いますが、それでも、やはり学問という立場ですから、信仰や立場の違いは逆に、差異の賞賛のよい見本ではなかったか……思い起こすとそうした空気をかいでいたような気がします。

主体的な信仰の問題を判断するのは当人の問題であって、そこには強要とか強制はなく、それが「自由な学府」としてのカラー、スタイルの淵源になっているのかな……などと煙草を燻らせながら、若い学生たちのただ中で感じた宇治家参去です。

特定の信仰に基づくなどと聞くと、何か束縛とか強制を感じる節がなくはないのですが、そもそもキリスト教をはじめとする世界宗教の場合、むしろ、人間をあらゆる束縛から解放して、自由に真理を追い求めることのできる場所への誘いがその原初の姿であるとするならば、そこで求められるのは、合意に基づかない強制とか束縛という在り方ではなく、むしろ、真理への畏敬の念であり、真理探究への謙虚な姿勢なのでしょう。

そうした雰囲気が「自由の学府」と評される立教にはとうとうと受け継がれた伝統であり、カラーなのだと思います。

さて、大学のカラー。
立教では都合9年間在学しましたが、その前に慶応で学部生活を、これまた都合7年在学しましたが、違う大学へ移ってから、その特色、雰囲気の違いを実感したものです。慶応の場合、スマートと称されるにように、いい意味で「要領がよい」学生が多いのですが、立教の場合、「もっと要領よくやっちゃっていいんでねえの?」などと思う「まじめな」学生が多かったような気がします。もちろん、在学は大学院だけで、しかも、組織神学という極めて異色な場所でしたが、そのあたりは、学生の気風・気質の違いとして感じたものです。

大学で教鞭をとるようになってから、全般的に思うのは、特にゆとり教育以降かもしれませんが、マスとしての大学生と呼ばれる集団に対しては、その「まじめさ」(悪くいえば飼い慣らされている?)を感じるわけですが、そうした抽象化された立場から、もっと生々しい現実の名前をもった学生ひとりひとりと向かい合ってみると、実は、彼ら、彼女らの所属する大学のカラーっていうものは……一昔まえに比べると隅谷が指摘している通り薄くなりつつあるのでしょうが……それでもなお厳然として、カラーを感じてしまうのであるとすれば、建学の精神とか、どういう立場で学生と向かい合っていくのか……という大学の根本原理というものは大切なのかも知れません。

で……。最後に、池袋に行くといつも学生時代から利用しているパブがあります。
名前は失念しましたが、JRの構内に、イギリス風のビアパブがありまして、そこで飲む「バス・ペール・エール」が実にうまい。

03_r0011713

大学でなにを学ぶか (岩波ジュニア新書) Book 大学でなにを学ぶか (岩波ジュニア新書)

著者:隅谷 三喜男
販売元:岩波書店
Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (0) | トラックバック (0)

離れて戦おうとするのは人間の本質だ

01_img_0048

-----

 離れて戦おうとするのは人間の本質だ。最初の日から人はそのために努力し、その後もずっと努力しつづける。    アルダン・デュピク「戦闘の研究」

最大距離--「人を殺しているのではないと思う込むことができる」
 距離という尺度と殺人プロセスとの関係を検証するにあたって、まず最初は最大距離から見ていこう。ここでいう<最大距離>とは、双眼鏡、レーダー、潜望鏡、リモートカメラなどの機械的手段を使わなければ、個々の犠牲者を認識できない距離のことである。
 グレイはこの問題をはっきり認識していた。「多くのパイロットや砲手は、怯えた非戦闘員を無数に殺してきたにもかかわらず、後悔や反省が必要とはまったく感じていなかった」。ダイアも同様のことを述べて、グレイの観察を裏づけている。砲手、爆撃機の乗員、あるいは海軍兵士は、人を殺すのになんの困難も感じていないというのである。

 ひとつには機関銃手に発砲を続けさせるのと同じ圧力がある、つまり仲間から見られているからだが、なにより重要なのは、敵との間に距離と機会が介在しているということだ。自分は人間を殺しているのではないと思いこむことができるのである。
 全般的に見ると、距離だけでなおじゅうぶんな緩衝作動をもたらす。射手は、目に見えない格子(グリッド)に向けて発砲する。潜水艦の乗員は、<艦船>に向かって魚雷を発射する(船に乗っている人間を撃つのではない)。パイロットはミサイルを<標的>に向かって発射する。

 ここでダイアは最大距離型殺人の大半を網羅している。砲手、爆撃機の乗員、海軍の射手、ミサイル発射員(海上および地上の)はみな、集団免責、機械の介在、そして現在の論に最も関係する物理的距離という、強力な組み合わせによって守られているのだ。
 戦闘での殺人というテーマについて、何年も研究や文献調査を行ってきたが、このような環境で敵を殺すことを拒絶した者は一例も発見できなかったし、またこのタイプの殺人にともなう精神病的トラウマの例も見いだせなかった。広島や長崎に原子爆弾を投下した兵士のケースでさえ、有名な神話に反して、精神疾患の発生例はまったくない。歴史的文献からわかるのはこういうことだ。エノラ・ゲイのために気象偵察を行った航空機のパイロットは、爆弾投下以前から何度も規律違反や犯罪を犯していた。彼は軍を離れてからもくりかえし問題を起こしつづけ、原爆投下に係わった兵士たちに自殺者や精神異常者が続出したという有名な神話は、このただひとりのパイロットの行動がもとになって生まれたにすぎないのである。

長距離--「目と目が会うこともなく、戦闘の汗と緊張感もない」
 ここでいう<長距離>とは、敵を目視することはできても、狙撃銃、対戦車ミサイル、戦車の火砲などの特殊な武器を使わなければ殺せないという距離である。
 ホームズがとりあげている第一次大戦のオーストラリアの狙撃兵は、ドイツの観測兵を撃ったあとで、「全身がみょうにぞくぞくした。子供のころ、初めてカンガルーを撃ったときとは違う感覚だった。一瞬吐き気がして気が遠くなったが、そんな感じはすぐに消えた」と語っている。
 ここでは殺人行為に対する一種の不安がまず見てとれるが、狙撃兵は原則としてチームで行動する。最大距離の殺人と同じく、集団免責、機械の介在(ライフルのスコープ)、物理的距離という強力な組み合わせに守られているのである。
    --デーヴ・グロスマン(安原和見訳)『戦争における「人殺し」の心理学』ちくま学芸文庫、2004年。

-----

イスラエルとハマスの軍事衝突の停戦交渉が成功することを祈りつつ、すこし、戦争に係わる文献を読み直す宇治家参去です。

うえに引用したのは、グロスマン(Dave Christensen Grossman)の文献ですが、人間に限らず、そもそも動物は、同族への殺人に対して強烈な抵抗感をそもそももっているのですが、その抵抗感をどのように「乗り越えていくのか」そのメカニズムを解明した戦慄の一冊です。

著者自身が、心理学者にして歴史学者、そのうえたたき上げの軍人で、一兵卒を振り出しに下士官、将校と昇進し、中佐として軍事学の教授を務めております。おまけにエアボーンの資格(第82空挺師団)ももっており、まさに精鋭の実戦部隊に属した生え抜きの人物です。

ですから、その議論には、アカデミズムのどこか中に浮いたようなカビ臭さもなければ、軍人の冷徹なごりごりのリアリズムも存在しませんが、講壇の議論もなければ英雄も存在しない戦場のリアリティが、学とリアリズムの幸福な交差によって描写されております。

兵士も人間であれば、実は、同族を殺すことに極めて強烈な抵抗感をもっております。それを「兵士」おして、人間を殺す場としての戦場に送り出すということはどういうことなのか、そしてどうやっていけば殺人に「慣れる」ことができるのか--そのあたりを豊富な資料を縦横無尽につかないがら、この本はわかりやすく教えてくれます。

キーワードだけ引っ張り出すとすれば、「集団免責」、「機械の介在」、「物理的距離(離れているということ」がひとつの大きな契機になっているようです。

ひとつは、「ひとりでは殺せないが、集団なら殺せる」という「集団免責」、そして、自らの手を下すのではないという「機械の介在」、そして「戦闘の汗と緊張」を欠いた物理的距離、これが組織的にプログラム・規律されることでひとは「人を殺すのに何の抵抗もなくなってしまう」。

「条件付け」「プログラミング」という訓練スタイルを聞くと、ことさら耳新しい話ではないような感もなくはないのですが、興味深いのは、第二次大戦までの発砲確率と、ベトナムでのそれが大きく違うというところです。前者の時代、15~20パーセントの兵士しか敵に向かって発砲しなかったのに対し、ベトナムでは90パーセント以上が発砲するようになったということこと……。

適切な条件が機械的に有効に稼働するシステムの恐ろしさという平凡な事実なのでしょうが、これは軍隊の世界にだけ限られた条件ではないということでしょう。

さて……
人間には人間を殺すことへの強烈な抵抗感がもともと存在しておりますが、そのことは聞いてみても「あたりまえじゃん」という議論ですまされる部分が現実にはあります。しかしその一方で戦場で兵士が敵を殺すのも「あたりまえじゃん」と思っているふしも不思議に存在します。実はここが盲点なのかなと思う宇治家参去です。

どこかで自分の世界と、戦闘の世界を切り離して考える思考形式では、「本来……」の議論に「例外」を許容する発想、分断形式の発想から逃れ得ないということです。戦争を批判するのも人間であれば、戦争へ参加する兵士も人間であります。しかし、自分とどこか違う枠組みに、問題のある対象を「起き続ける」限り自分自身の問題にはならないのかもしれません。

人間が人間を殺すことへの抵抗感……戦争を憎む人にも存在すれば、戦争を積極的に肯定する人にも、必要悪として許容するにもあるのでしょう。その事実をふまえた上で、なにを「あたりまえじゃん」としていくのか……グロスマンの議論を読みながら、そのへんをふと切実に思う昨今です。

現実には、抵抗感があったとしても「なぜ人は人を殺すのか」というところがあり、それでもなおかつ「なぜ人は人を殺さないのか」という謎も存在します。しかしこの問題も切り離された議論ではなくひとつものの裏と表かもしれません。

あまり発想がまとまりなく(例の如く)、覚え書きのようなものですが、兵士の問題というのも自分自身の問題として「引き受けながら」現実のなかで思考する・理解する必要が痛切に存在するのだろうと思います。

-----

 人間が戦い、殺し合うのはなぜなのか、その理由を私たちは一度として理解したことがない。いまこそ、拒絶反応を克服して理解しなくてはならない。また、人間が人間を殺そうとしないのはなぜなのか、という問いも同じように重要である。なぜなら、互いに互いを殺し合うという、人間行動のなかでも究極的かつ破壊的なこの側面を理解しなければ、その側面に働きかけることもできないからだ。そしてそれができなければ、現代文明には存続の見込みがないからである。
    --グロスマン、前掲書。

-----

0220080303215112

戦争における「人殺し」の心理学 (ちくま学芸文庫) Book 戦争における「人殺し」の心理学 (ちくま学芸文庫)

著者:デーヴ グロスマン
販売元:筑摩書房
Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (0) | トラックバック (0)

痛みに耐える能力のかそけき光は色褪せた

01_img_0332

-----

 非暴力という方法は、漸進主義か即決主義かという、あの永い間論争されてきた問に正しい答えをあたえてくれる。非暴力は、一方では、無為にすごしたり逃避したりすることに口実をあたえて、結局は一カ所に足ぶみさせることになるような忍耐におちいることをふせぎ、いま一方では、和解させないでたがいの仲を割くような無責任な言葉をはいたり、社会の必然的な動きにたいする盲目な性急な判断におちいったりすることをふせいでくれる。それは、賢明な抑制と冷静な理性をもって正義の目標にむかってすすむことの必要をはっきりとみとめている。だが、それは同時に、正義にむかう歩みをおくらせたり、不正な現状を守る人たちに屈服したりすることが不道徳であることをもみとめている。それは、社会は一夜にして変革することができないことをみとめながらも、人々をして翌朝社会を変革することができるかのように活動させるのだ。
 非暴力を通じて、ぼくたちは、勝利者気分になる誘惑をさけることができる。主として全国有色人向上協会の立派な有効な働きのおかげで、ぼくたちは連邦裁判所で偉大な勝利をかちとった。ぼくたちは、ぼくたちに反対する者を理解し、裁判所の命令が彼らの前に提出する新しい調整をうけいれながら、一切の判決にこたえねばならない。ぼくたちは、ぼくたちの勝利が、白人であると二グロであるとをとわず、一切の人々の善意の勝利となるように行動せねばならない。
 非暴力とは本質的には積極的な考えなので、そこからはいつでも必ず成長という考えがでてこなくてはならない。非暴力は一方では悪と協力しないことを要求するが、他方では、善の建設的な力と協力することを要求する。こうした建設的な面がなければ、悪との非協力は、それがはじまったところでただちに終わってしまう。だから、二グロは、広汎な積極的な目標をもつ綱領にもとづいて活動せねばならないのだ。
    --M・L・キング(雪山慶正訳)「ぼくたちはここからどこへ進むのだろうか?」、『自由への大いなる歩み』岩波新書、1959年。

-----

授業の関係で、キング(Martin Luther King, Jr,1929-1968)の文献を再読しておりますが、キングにしても、ガンジー(Mohandas Karamchand Gandhi,1869-1948)にしても共通しているのは、敵と戦っていても、その敵を叩き潰して勝利の雄叫びをあげるという発想が皆無という点です。

うえの文章は有名なバス・ボイコット事件が勝利のうちに終結したあとに記された文章なのですが、「ぼくたちは、ぼくたちの勝利が、白人であると二グロであるとをとわず、一切の人々の善意の勝利となるように行動せねばならない」と語るとおりです。

たしかに、運動としては一方の側に立って、キングも言うとおり「悪を責める」必要があるわけですし、その「攻撃を加えることと結果を治療する」ことが重要になってくる訳なのですが、そうした善悪二元論に収まりきらない人間論と運動論の相関関係があるのでしょう。

「悪を放置してはいけない、責め続けよ」という言葉をどこかでキングは残しておりますが、それでもなおかつ、実践と発想は、その責める側と責められる側の分断構造を慎重に退けながら「一切の人々の善意の勝利」を目指す方向であったがゆえに、ある意味では、世界史的な偉業になったのではないだろうか……などと思ってしまいます。

目の前に存在する「悪」は放置しない。
そしてローザ・パークス(Rosa "Lee" Louise McCauley Parks,1913-2005)が法的に制度化された人種分離のバスのなかで、「No」と叫んだように断固として立ち上がらなければならない。
しかし、大切なのは、「勝利者気分になる誘惑をさけること」なのでしょう。
そしてそれは、「非暴力」によって可能になるのでしょう。

ガンジーは、暴力の本質は臆病だと喝破しましたが、その意味でも、そうした人間の内発性に由来する「非暴力」は、勇者の思想と実践で、美徳なのだと思います。

どこを見みわしても、暴力が蔓延している社会です。
たしかに、そういう時代になった責任は、累々と積み重ねられてきた先人たちのそれかもしれません。しかし、それを非難したり、なげくだけでは時代は変わらない。
自分たちの今生きている時代からはちがう時代をデザインするんだと、立ち上がるしかないんでしょうね。

そういえば、ちょうど読んでいたレヴィナス(Emmanuel Lévinas,1906-1995)も、「暴力」の問題に関して面白い文章を残していたので、ひとつ紹介しておきます。

「暴力の非道徳性は痛みをもたらしたはずだが、その痛みもヒロイズムのなかで鈍らされる。ヒロイズムこそ暴力の温床であり、ひとびとがその救いを求め見いだす先なのである。現代世界は忍耐の美徳を忘れてしまった」

忍耐とは、ひたすら、悪とか暴力の存在を堪え忍び「受け入れる」このように思われがちですが、実はそうではなさそうです。

苦痛に対する鈍感は忍耐なのではなく、かえって暴力を増長させてしまうヒロイズムなのかもしれません。

-----

 さてに現代が暴力の時代であることに疑いの余地はない。暴力とは単に野蛮な行為のみを言うのではない。暴力とは単にエゴイズムのみを言うのではない。暴力は精神的危機のこみいったもつれを快刀乱麻にさばいてみせようと豪語している。暴力は心の問題の方程式の根として登場している。自らを救いの道、魂の治療法として称している。知識人たちは自分たちに特有の在り方をまるで脱力、老衰したものであるかのように恥じ入っている。彼らが熟慮することを恥じ始めたのは半世紀近く前からである。万古不易の本質など人をうんざりさせるばかりである。彼らは今や行動のなかで問題群の始まりを一刀に両断したいと願っている。事象の流れとの暴力的な断絶は--それが去りゆくものを引きとどめるためであれ、なかなか去ろうとせぬものの尻を蹴上げるためであれ--霊を自分自身の出発点に再び送還することになろう。事象の緩慢な変容は耐え難い。となれば傲岸な若者たちの最も激烈で最も非反省的な生き方が、まるで彼ら若者たちこそがその未成熟ゆえに諸文明がため込んできたあらゆる問題をことごとく解決してくれるかのように、もてはやされたとしても怪しむに足りない。例外のほうが規則よりも価値があり、戦いのほうが労働より甲斐がある。粗暴で苛酷で向こう見ずで英雄的で危険で強烈なものなら何でもかんでも祝福される。子供たちにみんながおもねっているのである。冒険を拒否すれば生きることに怯えていると告発される。このような怯え以上に卑劣なものはないらしい。
 しかし暴力はたとえそれが不可避でありかつ義のためのものであるとしても、そこに賭けられた危険あるいは死によって高価にかつ貴族的に償われていたとしても、それ自身では何の価値もないのである。暴力の非道徳性は痛みをもたらしたはずだが、その痛みもヒロイズムのなかで鈍らされる。ヒロイズムこそ暴力の温床であり、ひとびとがその救いを求め見いだす先なのである。現代世界は忍耐の美徳を忘れてしまった。全員がただ一度の機会に一斉に身を投じるスピードのある効果的な行動の前では待機し、痛みに耐える能力のかそけき光は色褪せた。だがエネルギーの絢爛たる誇示は人を殺す。あの忍耐の美徳を思い出さねばならぬ。革命的精神に反対する諦念を説くためにではなく、忍耐の精神を--真の革命に結びつける本質的紐帯を感じさせるために。真の革命は宏大な憐憫から生じる。武器を執る手はその挙措の暴力性によって必ず報復される。この苦痛に対する無感覚が革命家をファシズムとの境界線へと連れてゆくことになるのである。
    --E.レヴィナス(内田樹訳)「忍耐の美徳」、『困難な自由 --ユダヤ教についての試論--』国文社、1985年。

-----

02_img_0330

03_king

困難な自由―ユダヤ教についての試論 Book 困難な自由―ユダヤ教についての試論

著者:エマニュエル レヴィナス
販売元:国文社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (0) | トラックバック (1)

見てから定義しないで、定義してから見る

01_img_0313

-----

 見なれぬ光景は、赤ん坊の世界にも似て、「大きくて盛んで、騒がしい一つの混沌状態」だ。ジョン・デューイ氏によれば、新しい事柄は、ほんとうに始めてで未知のものであるかぎり、以下のような衝撃を成人に与えるという。「理解できない外国語を耳にすると、いつもわけがわからずチンプンカンプンで、はっきりと区切れた個々の語群をその中から聞きとることは不可能である。さらには、街の雑踏に立つおのぼりさん、海へ出た陸ぐらしの者、複雑なスポーツ競技でエキスパートの間にはさまった初心者、彼らも同じような衝撃を受ける。未経験労働者を工場に入れてみると、最初のうちは工場設備も彼の目には何の意味もない寄せ集めと映るであろう。外国から訪れた人にとって、知人以外の異人様が皆同じ顔に見えるということも周知のことである。羊の群を見ても、外部の者には大小とか大ざっぱな色の違いしかわからないが、羊飼いは一頭一頭全部見分けられる。斑点の広がり方、区別がつかないほどちょっとした息づかいの違いが、素人目には見えない個別の特徴をあらわしているのである。したがって、事物のあらわす意味を自分のものとすること、換言すれば、事物をありのままに理解する習慣をつけるということは、意味の(1)限定性と区別、(2)一貫性あるいは安定性を、そのままでは不明確、不安定なもののなかに導入するということなのである。」しかし、どのような種類の限定性、あるいは一貫性を導入するかということは、それを導入する人にかかっている。
 デューイはこのあとの文章で、化学に造詣の深い非専門家と専門の化学者が、金属という語に下す定義がいかに異なるかという例を示している。素人の定義は、「滑らかさ、硬さ、つや、輝き、かさの割に重いこと……叩いても引き延ばしても切れない力、熱で柔らかくなり、低温で固くなり、与えられた形状を保持し、圧力や腐蝕に抵抗するという、役に立つさまざまな特性」をおそらく含むだろう。一方、化学者はこうした美学上、効用上の諸性質はさておいて、金属とは「酸素と化合して塩基を形成するすべての化学元素」と定義するだろう。
 われわれはたいていの場合、見てから定義しないで、定義してから見る。外界の、大きくて、盛んで、騒がしい混沌状態の中から、すでにわれわれの文化がわれわれのために定義してくれているものを拾い上げる。そしてこうして拾い上げたものを、われわれの文化によってステレオタイプ化されたかたちのままで知覚しがちである。
    --W.リップマン(掛川トミ子訳)『世論 (上)』岩波文庫、1987年。

-----

ちょい、気になりつつ、再度メディア論の古典である『世論』をひもとくある日の宇治家参去です。著者のウォルター・リップマン(Walter Lippmann,1889-1974)といえば、全米で最も著名なジャーナリストといって過言ではありません。

『世論』では、政治がいかに誤った認識によって人々を動かしているのかを分析しておりますが、リップマンはその根本原因を人間の認識の誤りやすさに求めております。

それがいわゆる「ステレオタイプ」の問題です。

人間は外界を「ステレオタイプ」という枠組みを通してしか理解することができません。
しかしこのステレオタイプは外界の精確な反映ではありません。
プラトンの真理論に見られる鏡像理論……すなわち、対象(真理)を精確に鏡のように映し出すように、対象を認識・記述することなど人間にとってはハナから不可能なわけなのですが、ともすれば、そうした理屈に乗りやすい側面があるわけですけども、現実は、どうなのでしょうか……。

リップマンによると、人間にとって不可避的現象のひとつであるステレオタイプの思考枠組みとは、どちらかといえば、望むものを見たいという願望やいかに先入観に合致しているかという基準によって形成されるものとのことです。

さて……
それぞれが全く異なる存在者である個々人においては、経験はそれぞれが独自の多様なものでありますので、当然、多様なステレオタイプが存在することになりますが、実際の生活活動においては、そうした個々人の共同性が常に意識され、問題にならざるを得ません。その場合、個々人の差異を乗り越え、いわばグルーピングされたかたちの、いわば共通した一般項が必要となってきます。それが集団に関与するステレオタイプになってきます。しかし、そこで求められているステレオタイプとは、あくまで個々の存在者、そして諸集団をいわば「まとめ上げる」一般項である以上、実際におきている現象よりも、むしろわかりやすい、そして耳に入りやすいシンボルが採用されることがほとんどです。

政治における言説もそのひとつであり、歴史を振り返ってみれば理解できるとおり、口の上手い山師の言語操作、利益誘導がそのほとんどです。また人間という生き物そのものがリップマンが指摘したとおり「認識の誤りやすい」生き物ですから、シカタガナイと言えばシカタガナイのでしょうが、シカタガナイですまないのも生きている生活世界なのでしょう。

だからこそ、リップマンは、そうした危険性をいわば是正すべく、誘導された「世論」を精密に検証する、いわば不偏不党なジャーナリズムに「世論」を公正に導く契機を求めただろうと思います。そして事実、マッカーシズムとベトナム戦争に対して容赦のない批判を行ったリップマンの歩みそのものがそのひとつの模範だったのかもしれません。

しかしながら……、メディアそのものがなんらかの利益誘導を計っているような現実を勘案してしまうと、決定的な「事実」や「証拠」が人々を正しい方向に導くという保証はまったく存在しないのかもしれません。そこに残されているのは、真偽のパワーバランスしかないのが現実かもしれません。

それでもなお、プライベートな世界にのみ引きこもることができないのが人間の社会生活であるとするならば、「誤りやすき」存在であることを踏まえたうえで、粘り強くひとびとと問題を検討するなかで、合意形成をめざしていくしかないのかなあ。

ちなみに、『世論』と訳された本書の原題は、PUBLIC OPINION 。『世論』の表題には「よろん」とルビがふられております。
「世論」に対しては「よろん」と「せろん」の二通りの読みが現在では流通しておりますが、もともとは区別があったようで、「よろん」=「輿論」=public opinion,「せろん」=「世論」=popular sentiments,とするのが正しいようです。前者が「討議による合意」であるとすれば、後者は「情緒的な共感の陳述」といったところでしょうか。

02_lipmann

世論〈上〉 (岩波文庫) Book 世論〈上〉 (岩波文庫)

著者:W.リップマン
販売元:岩波書店
Amazon.co.jpで詳細を確認する

幻の公衆 Book 幻の公衆

著者:ウォルター リップマン
販売元:柏書房
Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (0) | トラックバック (0)

from the “Clash of Civilizations” to the“Dialogue among Civilizations”

01_img_0187

『文明の衝突』で知られる米国の政治学者、サミュエル・ハンチントン(Samuel Phillips Huntington,1927-2008)が12月24日、81歳で亡くなったそうです。

謹んで心より哀悼の意をひょうします。

1993年の米外交専門誌『フォーリン・アフェアーズ』に掲載された「文明の衝突」論では、冷戦後の世界における対立の構図を、イデオロギーではなく宗教とか文化といった文明の違いから生まれると主張し、ハンチントンの文明衝突論は大きな議論を呼んだことで有名です。

現実を説明する議論としてはひと頃、かなりの説得力をもった議論が「文明の衝突」(Clash of Civilizations)だったのでしょうが、選択すべきは、「文明間の対話」(Dialogue among Civilizations)なのでしょう。

文明の衝突に替わる概念として提示されたのが、「文明間の対話」というあり方です。

2001年の国連・文明間の対話年にあたってコフィ・アナン事務総長(当時)が招聘した「賢人会議」に儒教の代表として出席したのがハーバードのトゥ・ウェイミン(杜維明,Tu Weiming,1940-)教授ですが、彼は、違いを認め合い相互理解を育む「文明」の創出(=「対話的文明」)を説いております。

衝突から対話へ。
そして、相互理解を育む文明の創出へ。

来年はそうした船出の一年としたいものであります。

闇が深ければ深いほど、その暁は近いのだと思います。

文明の衝突という議論を持ち出したのもアメリカであり、テロの撲滅戦争を提起したのもアメリカです。しかし、「文明間の対話」という議論を持ち出したのもアメリカであるとすれば(発想としては儒教的ヒューマニズムかもしれませんが、それが再度脚光をあびることになったのがアメリカの大地であるとすれば)、まだまだ豊かな議論の土壌が残っているのではなどと考えるところもあります。

単なるイデオロギーの衝突とか、敵か味方かというポリティカルな戦略論を乗り越える、顔を見ながら話合う、語らいの場を大切にするしかないのかもしれません。

-----

December 28, 2008
Samuel Huntington, Political Scientist, Dies at 81
By THE ASSOCIATED PRESS
BOSTON (AP) — Samuel P. Huntington, a political scientist best known for his views on the clash of civilizations, died Wednesday on Martha’s Vineyard. He was 81.

His death was announced Saturday by Harvard University, where he taught for 58 years before retiring from active teaching in 2007. His research and teaching focused on American government, democratization, military politics, strategy and civil-military relations.

Mr. Huntington argued that in a post-cold-war world, violent conflict would come not from ideological friction between nations, but from cultural and religious differences among the world’s major civilizations.

He identified those civilizations as Western (including the United States and Europe), Latin American, Islamic, African, Orthodox (with Russia as a core state), Hindu, Japanese and “Sinic” (including China, Korea and Vietnam).

He made the argument in a 1993 article in the journal Foreign Affairs and then expanded the thesis into a book, “The Clash of Civilizations and the Remaking of World Order,” published in 1996. The book has been translated into 39 languages.

Mr. Huntington wrote 17 books, including “The Soldier and the State: The Theory and Politics of Civil-Military Relations,” published in 1957 and inspired by President Harry S. Truman’s firing of Gen. Douglas MacArthur, and “Political Power: USA/USSR,” a study of cold war dynamics, which he wrote in 1964 with Zbigniew Brzezinski.

His 1969 book “Political Order in Changing Societies” analyzed political and economic development in the third world.

Mr. Huntington was born on April 18, 1927, in New York City. He received a bachelor’s degree from Yale in 1946, served in the Army, earned a master’s from the University of Chicago in 1948 and received a doctorate from Harvard in 1951.

http://www.nytimes.com/2008/12/28/us/28huntington.html?scp=1&sq=Samuel%E3%80%80Huntington&st=cse

-----

-----

Samuel Huntington, auteur du "Choc des civilisations", est mort
LEMONDE.FR avec AFP | 27.12.08 | 18h55  •  Mis à jour le 27.12.08 | 19h22

e politologue américain Samuel Huntington, auteur de l'essai retentissant Le Choc des civilisations, est mort le 24 décembre à l'âge de 81 ans, à Martha's Vineyard, dans le Massachusetts, a annoncé samedi l'université Harvard sur son site Internet.

Samuel Phillips Huntington était né le 18 avril 1927 à New York. Diplômé de la prestigieuse université Yale à 18 ans, il a commencé à enseigner à Harvard à 23 ans. Il ne cessera ses cours qu'en 2007, après 58 ans de bons et loyaux services. Il était l'auteur, co-auteur ou éditeur de 17 ouvrages et 90 articles scientifiques, sur la politique américaine, la démocratisation, la politique militaire, la stratégie, ou encore la politique de développement, précise l'université dans le message posté sur son site.

Il est surtout connu à l'étranger pour sa vision du monde de l'après-guerre froide marqué par un choc de civilisations, d'abord dans un article publié en 1993 par la revue Foreign Affairs, puis dans un livre paru en français sous le titre Le Choc des civilisations (Odile Jacob, 1997).

Pour lui, "dans ce monde nouveau, la source fondamentale et première de conflit ne sera ni idéologique ni économique. Les grandes divisions au sein de l'humanité et la source principale de conflit sont culturelles. Les Etats-nations resteront les acteurs les plus puissants sur la scène internationale, mais les conflits centraux de la politique globale opposeront des nations et des groupes relevant de civilisations différentes. Le choc des civilisations dominera la politique à l'échelle planétaire. Les lignes de fracture entre civilisations seront les lignes de front des batailles du futur". Et pour Samuel Huntington, les civilisations se définissent par rapport à leur religion de référence, le christianisme, l'islam, le bouddhisme, etc.

"CHOC DES CIVILISATIONS" CONTRE "FIN DE L'HISTOIRE"

Cette théorie constituait une sorte de réponse à l'un de ses anciens élèves, Francis Fukuyama, qui, quelques années plus tôt, publiait un livre intitulé La Fin de l'histoire et le Dernier Homme (Flammarion, 1992). Fukuyama y développait la thèse selon laquelle, après la chute du communisme, le seul espoir de l'humanité se situait dans la démocratie libérale et l'économie de marché et que cette évolution vers la modernité était "inexorable".

The Clash of Civilizations, traduit en 39 langues, a fait l'objet de nombreuses controverses. Les uns ont reproché à son auteur de peindre un Occident assiégé par des civilisations hostiles, sans tenir compte de la "stupéfiante interdépendance de notre époque", comme l'écrivait l'intellectuel palestinien vivant aux Etats-Unis Edward Said, dans un point de vue publié par Le Monde, sous le titre "Le choc de l'ignorance". D'autres, au contraire, se sont appuyés sur "le retour des religions" pour justifier la position d'Huntington, qui, dans le dernier chapitre de son livre, imagine les islamistes en possession de l'arme nucléaire. Les "huntingtoniens" se sont sentis confirmés dans leur crainte par les attentats du 11 septembre 2001 contre le World Trade Center et le Pentagone.

Huntington lui-même commentait avec modestie : "Les événements donnent une certaine validité à mes théories. Je préférerais qu'il en aille autrement."

http://www.lemonde.fr/archives/article/2008/12/27/samuel-huntington-auteur-du-choc-des-civilisations-est-mort_1135885_0.html

-----

02_hantin