現代批評

日記:現実に定義があるにもかかわらず、「定義されていない」と言葉を弄して、定義自体を変えていく。これが安倍政権のやり方。


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安倍首相の「我が軍」発言は、列記とした憲法違反。実質の「軍」であることは否定しない(……但し渡洋交戦可能ではない)けれども、管官房長官がいうように「定義されていない」というレベルの問題ではない。

憲法には閣僚の憲法遵守規定が存在するにもかかわらず、どこ吹く風でどす黒い本音がまかり通る異常さだ。

安倍首相は、先の戦争が侵略戦争だったのか問われ、ここでも「侵略」が「定義されていない」と答えている。そりゃそうだ。侵略戦争などと思っていないからだ。

現実に定義があるにもかかわらず、「定義されていない」と言葉を弄して、定義自体を変えていく。これが安倍政権のやり方。汚えよな。


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声:「我が軍」発言は追及すべきだ
無職(東京都 79)

 安倍晋三首相が20日の参院予算委員会で、自衛隊を「我が軍」と述べました。
 憲法9条は「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と定めています。また99条は、国務大臣や国会議員は憲法を尊重し用語する義務を負うと規定しています。それなのに「我が軍」とは何ごとですか。日頃からそう思い、そのことを志向しているからこそ、「我が軍」という言葉が口から出たのではないでしょうか。
 これは重大なことです。それなのに当初の野党の反応は鈍いものだったと言わざるを得ません。24日になってようやく民主党の細野豪志政調会長が「憲法の枠組みの中で積み上げた議論を全部ひっくり返すような話だ」と指摘。「この問題は時間をかけてしっかり国会でやるべきだ」と発言しました。
 また維新の党の松野頼久幹事長も「あくまで我が国は自衛隊だ。不安をあおるような言い回しは、気をつけるべきだ」と述べたそうです。
 野党は一致してこの問題を取り上げ、首相の間違いをたださなければなりません。内閣の不信任決議に値する大問題だと思います。
    --「声:『我が軍』発言は追及すべきだ」、『朝日新聞』2015年03月26日(木)付。

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日本国憲法
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(2012-10-01)


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日記:積極的平和主義を「後方支援」するのみならず歴史修正主義に積極的に荷担する公明党

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私自身、戦後社会の現実政治における公明党の歴史的役割は全否定するつもりは毛頭無い。むしろ、大企業に属さない、労働組合にも守られない無名の庶民の権利を守り、穴を穿つような挑戦には拍手を送りたいし、日中国交回復の先鞭を付けたその歩みは高く顕彰されてしかるべきであると考える。

その公明党の三本柱は「教育」「福祉」「平和」だ。

しかし、教育は教育基本法の改悪によって後退し、福祉に関しても生活保護を巡る自民党のバッシングの尻馬に乗り、平和に関しても「集団的自衛権」を「閣議決定」で「容認」してしまうという立憲主義の基本を既存するという現状。

三つの看板はもはや客寄せパンダとしても機能不可能なほど、その結党の精神から逸脱している。

しかしである。もっとも大切にしなければならないのは、やはり「平和」の根幹となるその歴史認識であろう。

富山県議会がいわゆる「慰安婦問題に関する適切な対応を求める意見書」を自民党と一緒になって公明党が強行採決をしたというニュースは、「平和」の根幹となる歴史認識を覆すことであり、ニュースを目にして驚きを隠せなかった。

法律や行政のテクニカルなアプローチにおいて自民党同調すること自体は否定しない。連立を組む以上唯々諾々というのはありえるからだ。

しかし、同調できない一線こそ平和主義の根幹となる先の大戦の経験とその認識であろう。

公明党の平和主義の淵源は、戦前の創価教育学会に由来する。創価教育学会の歴史とは天皇制軍国主義に弾圧された血なまぐさい歩みそのものである。初代会長・牧口常三郎、二代目(戦後)は共に治安維持法違反で検挙で、牧口は獄死している。

いわば、公明党の原点となるその先達者は、従軍慰安婦の方々と同じく日本の軍国主義の「犠牲」にあっている。

このことをどう考えるのだろう。

めんどくさいの一言だけ言及しておくと、「適切な対応を求める意見書」は、いわゆる『朝日新聞』の吉田証言誤報を軸に「従軍慰安婦そのものがなかった」と歴史修正主義を図る日本会議式歴史認識だ。しかし河野談話にせよ度重なる国連の勧告にせよ、吉田証言に「強制制」を根拠にはしていない。まとまな歴史学者も「吉田証言」をそもそも相手にしていない。『朝日新聞』の謝罪のタイミングは悪かったことは否定できない。しかし、その尻馬に乗り歴史認識を歪めてしまうことに連動するとはこれいかに……という話だ。

自民党の武田慎一議員は日本会議系という。右派宗教団体のロンダリング組織・日本会議が目指すのは戦前回帰だ。戦前に弾圧された創価学会-公明党がこうしたネトウヨメンタリティーと同調することに戦慄しなければならない。

しかし、しかし、だ。

日蓮没後、日蓮の高弟の主流派は、弾圧を恐れ、日蓮門下と名乗るのをやめ、「天台沙門」と自称したそうな。過去を顧みない連立ボケの果てに、福祉も教育も、そして平和主義も積極的に放擲していく……これが公明党の積極的平和主義??

アホか。

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県議会:慰安婦問題、意見書可決 自民、公明、無所属が賛成 /富山
毎日新聞 2015年03月17日 地方版

 県議会は16日開いた2月定例会本会議で、「慰安婦問題に関する適切な対応を求める意見書案」を賛成多数で可決した。自民の他、公明と無所属の議員が賛成。民主、社民、共産の3会派は反対した。

 提案理由の説明で、武田慎一県議(自民)は慰安婦問題を巡り朝日新聞が報道したいわゆる吉田証言により、「日本は国益を失っている」と主張。事実の周知のための広報や国際社会への積極的な発信を▽教科書が史実に基づき記述されるよう対応を▽戦後70年談話は未来志向で--などと求めた。

 反対討論で火爪弘子県議(共産)は、県内の9市民団体から各会派などに意見書案の否決を求める申し入れがあった点に触れた後、「吉田証言は(慰安婦問題で旧日本軍の関与を認めた)河野談話の根拠とされておらず、意見書案は筋違い。こそくな表現で歴史的事実を葬り去ろうとし、強い怒りを感じる」と批判した。

 2月定例会はこの他、2015年度一般会計予算案や、ヘイトスピーチへの対策強化を求める意見書案など計93件を可決、閉会した。【成田有佳】
    --「県議会:慰安婦問題、意見書可決 自民、公明、無所属が賛成 /富山」、『毎日新聞』2015年03月17日(火)付。

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[http://mainichi.jp/area/toyama/news/20150317ddlk16010346000c.html:title]


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日記:「紹介したい大切な価値観、八紘一宇」(三原じゅん子代議士)、ええと……「日本の理想を生かすために、一先ず此の国を葬って下さい」(矢内原忠雄)


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ちょっと信じられないことが現在進行形なので、ツイッターのまとめですけど、記録として残しておきます。

国会議員の劣化幼稚化戦前回帰が凄まじい。21世紀になって侵略戦争を肯定するためのイデオロギーの標語「八紘一宇」という言葉を国会議員から聞くとは……、なんだこの残念感というのが正直なところです。

三原じゅん子代議士の八紘一宇宣揚発言で恐ろしいのは、彼女が国会でさもありがたい考え方として紹介することで、その言葉がどのように使われどのような結果を導いたこと(そしてそれについての精査反省)をスルーさせ、「まあ、そうですけど、言葉自体はええ話じゃないですか」と回収されるてしまうことですよ。現実、三原じゅん子代議士は、それを「ええことば」として使っている訳ですから。

三原じゅん子代議士は、しかも八紘一宇は「建国以来の理想」を掲げる言葉と表現しましたが、二千年以上前の造語ではなく、田中智学の創造。しかもそれに応える麻生財務大臣がその来歴を1500年前に設定するという反知性主義のお花畑的「神話」礼賛という体たらく。

ものごとには、一事が万事といいますが、安倍政権のいう「美しい国」の伝統なるものの殆どは、大日本帝國という近い過去のおぞましい創作ばかりをロンダリングして持ち上げている。

「八紘一宇の理念の下に、世界が一つの家族のように助け合えるような経済、税の仕組みを運用していくことを、安倍総理こそが世界に提案すべきだ」。三原じゅん子代議士。

この言葉に応じる麻生大臣のこの答弁みてみ。

「八紘一宇は戦前の歌の中でもいろいろあり、メーンストリーム(主流)の考え方の一つだと思う。三原氏の世代にこういった考え方を持っている方がいるのに正直驚いた」

……だそうな。
驚くのはこっちですがな。

戦前のメーンストリームという「狂気」肯定に戦慄しなければならない。

トンデモ発言の来歴を振り返ってみれば、思い出すのは今から15年前、森喜朗首相(当時)が「神の国発言」して、総スカンをくらいましたがな。で結局、神の国解散。

森首相はしかし、まあいうなれば、「神道政治連盟」という「うちわ」の会合での発言dしたけど、問題なのは、三原じゅん子代議士も麻生大臣もそれを「国会」でやっているわけだよ。今後、そうした戦前日本のイデオロギーの言葉がその反省もなにもないまま使われるようになるまで、長い時間はかからないでしょう。

その森首相の「うちわ」の発言で森首相は「問う」解散を強いられた。三原じゅん子代議士の認識も麻生大臣の認識も、辞任に追い込まれてしかるべき時代錯誤といってよい。

ただ今の時勢は、彼女彼らに反省を迫るほど良質なものではないだろうと思われるのが切ないですねえ。

報道もベタ記事と夕刊紙で若干の批判のみ。

しかし、この1カ月半を振り返ると、「政権批判はテロリスト寄り」に始まり、「日教組! 日教組!」。そんで「八紘一宇」でしょ。これがすべて国会でやりとりされているという異常さ。いわゆる戦後日本が再出発にあたり掲げた良識なるもの…それは人類が永年かけて獲得したもの…を屠る暴挙に等しいと思います。

「日本の理想を生かすために、一先ず此の国を葬って下さい」(矢内原忠雄)

という氣分でございます。


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三原じゅん子議員:「紹介したい大切な価値観、八紘一宇」
毎日新聞 2015年03月17日


 ◇参院予算委員会の質問で

 自民党の三原じゅん子参院議員は16日、参院予算委員会で「ご紹介したいのが、日本が建国以来、大切にしてきた価値観、八紘一宇(はっこういちう)であります」としたうえで、同理念のもとに経済や税の運用をしていくべきだと質問した。八紘一宇は戦前、日本の侵略を正当化するための標語として使われていた。

 三原氏は企業がグローバル資本主義の中で課税回避をしている問題を取り上げた。この中で「八紘一宇の理念のもと、世界が一つの家族のようにむつみあい、助け合えるような経済および税の仕組みを運用していくことを確認する崇高な政治的合意文書のようなものを、首相こそがイニシアチブを取って世界中に提案していくべきだと思う」と語った。

 答弁に立った麻生太郎財務相は「八紘一宇は戦前の歌の中でもいろいろあり、メインストリーム(主流)の考え方の一つなんだと思う。こういった考え方をお持ちの方が、三原先生の世代におられるのに正直驚いた」と述べた。
    --「三原じゅん子議員:「紹介したい大切な価値観、八紘一宇」、『毎日新聞』2015年03月17日(火)付。

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[http://mainichi.jp/select/news/20150317k0000m010158000c.html:title]




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日記:曽野綾子化する林真理子


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「川崎リンチ殺人、被害者の母を責め立てた林真理子氏のエッセイの暴力性」武田砂鉄(2015年3月13日)を読んで驚いた。

記事→ [http://bylines.news.yahoo.co.jp/takedasatetsu/20150313-00043794/:title]


“この日本で離婚する世帯のうち、8割は母親側が子どもを引き取る。暴力をふるう男から必死に子どもを守ってきたのは母親だ。働き詰めになるしか、方法が残されていない。働き詰めのその先に…悲しい事件が起こったとしたら、それは母親が「女を優先させた結果」などではない。”(武田砂鉄)

なんなんだろう、林真理子氏のこの名誉男性的なマッチョな錯誤は。

そしてこのメディアと知をめぐる倒錯した認識。
「そういうことをするお母さんが、この『週刊文春』を読んでいるとは到底思えない」
「雑誌を読む習慣を持つ人というのは、恵まれた層の人たちだということを私は実感しているのだ」
「本ももちろん読まない、雑誌も読まない。そういうお母さんは、想像力が抜け落ちているのではなかろうか」

おいおい。

そういうことをしないお母さんも、『週刊文春』など読まないでしょう。林真理子さんの議論に乗れば、本や雑誌を読む=知と誠実に向き合うことで、自分自身がこれまで認識していたことが錯覚だったと理解する人間であるからこそ、“『週刊文春』読んでいますぜ”など恥ずかしくて言えませんよ。

「雑誌を読む習慣を持つ人というのは、恵まれた層の人たちだということを私は実感しているのだ」(林真理子)だそうな。

日本の「恵まれた層」が『週刊文春』読んで、世界を理解しているとすれば、そりゃあ戦々恐々だなあ。そりゃまあ、ご自身へお金を運んでくれる「雑誌を読む習慣を持つ人」持ち上げてんだろけれども、この歪みきった認識には驚いてしまう。

林真理子さんの作品は読んだことがないですけど、少女時代からものすごい空想家だったと伺う。空想するのは結構でございますが、文章を書くという責任だけは引き受けてもらわなあかんな。こうした批判(読むのかどうかしらんけど)にスルー決め込めたり居直れば、まさに曽野綾子化する林真理子だな。

ふぃふぃなんかもそうですけど、とにかく有名になったら、おい成功した俺見ろよ、愚民ども。おまえらなあ、みたいな感じで「しばき」たいんやろうなあ。弱い者いじめこそ原因解決から最も遠ざかるものなのに、気合いと根性でなんとかなるって、ヤンキーやないけ。なんともなりませんがな。

「飢えた子供の前で文学は無力か」。現実のゆがみをスルーする責任を挑発するサルトルの言葉。彼の如く「政治的であれ」とアクセルを踏み込みすぎるのもどうかとは思うけれども、文学をはじめとする人類の遺産と関わる人間こそ、常識として刷り込まれている虚偽に敏感でなければと思いますよ。

この国の文士というものは、覆さなければならない常識と調和し、権力と親和的というパターンが多すぎる。まあ、『週刊文春』の文藝春秋の生みの親の文壇ボス・菊池寛が、文士まとめて「ペン部隊」(内閣情報部の要請で漢口攻略戦へ派遣)結成しとるしな。結局は地上という重力に「回収」されるという拳

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日記:果たして政権暴走の歯止めの役目を果たしているだろうか


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みんなの広場:政権内野党の覚悟はあるのか=無職・73(大阪府富田林市)

毎日新聞 2015年03月01日
 

 はっきりものを言う安倍晋三首相は今や世界の指導者の風格が漂う半面、独裁者のような恐ろしさも感じる。その“隠れみの”となっているのが公明党であるように思う。公明党が与党にいるから大丈夫とたかをくくっている国民も多いだろうが、果たして政権暴走の歯止めの役目を果たしているだろうか。

 弱者の味方のはずの公明党が、非正規労働の拡大など労働環境の低下を招く労働法制や法人減税などの企業優遇策を認めたほか、平和の党を掲げているはずなのに、集団的自衛権の行使、憲法改正(改悪)にも加担しようとしているように思える。消費税の軽減税率導入についても慎重な自民党に抗する覚悟があるのか疑問だ。

 先の衆院選で公明党支持者がどれだけ自民党候補の当選に寄与したかを考えると、公明党はもっと支援者の「真の声」を訴えるべきだと私は思う。あくまでも政権内野党としての存在価値を貫き通していただきたいと願うばかりだ。
    --「みんなの広場:政権内野党の覚悟はあるのか」、『毎日新聞』2015年03月01日(日)付。

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[http://mainichi.jp/shimen/news/20150301ddm005070040000c.html:title]

現実の地方政治において、公明党市町村議会議員の「弱者の味方」として貢献してきた役割を全否定しようとは思わない。ならば投票しようとするのであれば、“支援者の「真の声」を訴えるねき”という「みんなの広場」の主張に、支持者は耳を傾けるべきだろう。

チーム燦然界隈は、その「声」の対等なやりとりを誇り、「お任せ民主主義」「消費者民主主義」を批判してきた。僕は別にその投票は否定しない。しかし、だとすれば、とにかく「勝てばいい」「チーム燦然にいれとけばいい」「それが功徳だw」みたいな外界と隔絶した内向きの論理と隔絶すべきだろう。

内向きの論理とは何か。それは、自分のみたいように現実を解釈するという物語だ。国家(ステート)を超越するところに、宗教の普遍性があるとすれば、動員されて「みたい映画」を消費するスタイルで甘んじるのではなく、自身がどれほど内在的超越に肉薄していけるか、厳しくあれ、という話。

社会大衆党が帝国陸軍統制派や革新官僚と迎合していった再現をみるのはきついものがありますよ。「国民にとってよいことはすべて国家が引き受けるという官僚的国家主義への批判の弱さ」こそ唾棄すべき話。

現在進行形はとても「よいこと」ではない訳ですけれども。

本気なら、大衆とともに死ね。

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日記:良質な学問的積み重ねをあざ笑い、ナイーブな個人の趣向がそれを書き換えていく


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ナチス・ドイツにガス室はなかったという噴飯ものの話を歴史修正主義という。その意味では、朝日誤報問題以降、ますますその勢いが強くなっていると感じる。

強制性を根拠付ける報道が誤報だから根拠が無いというロジックですが、そもそもまっとうな歴史学は、吉田証言を「根拠」に「強制性」を認めるわけでなく、新聞の誤報でその論拠が崩れるといった安易なものではない。

しかし、政治家の発言に目を向けると、「強制性」がなかったというところからもう一度ジャンプして、そもそも従軍慰安婦などいなかったという幻論という新しく変態していることに驚く。

そして2月に今度は、『産経新聞』が南京大虐殺そのものがなかったというキャンペーンを展開。これまでその数字をどこに置くのかという議論などものともせず、ご乱心に踊ろた。

しかし、驚くのはその2つの事件にとどまらない。今度は、『日本書紀』の記述は「歴史的事実」という珍説まで飛び出してきた。

この段階になってくると、もはや歴史修正主義などといった甘っちょろいものではない。修正を飛び越え、神話の歴史化が21世紀に始まってしまったことに驚愕している。

知性と感情の絶えざる劣化の末とはいえ、良質な学問的積み重ねをあざ笑い、ナイーブな個人の趣向がそれを書き換えていくことに戦慄しなければならない。


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日記:学問として全く根拠のない疑似科学の如き「人種(主義)」で人間を区分することの錯誤がちっとも認識できていないのが曽野綾子さん

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外電を駆けめぐった『産経新聞』連載の曽野綾子大先生のアパルトヘイト容認のコラム問題、ようやく『毎日新聞』が「まとめ」報道しました。

曽野綾子さんは、『毎日新聞』に弁明のコメントを寄せておりますが、基本的に「区別」は「差別」ではないという認識のご様子。

しかし、合衆国の黒人「差別」も「区別」という認識で遂行された訳でして、その虚偽がもう何十年も前から指摘されていることを踏まえるならば、公共媒体に「垂れ流し」て「個人的に思っている」ってことで不問に付すのはいかがなものかと思いますよ。

曰わく「南米には、日系人たちが集まって住んでいるコロニア(移住地)が、あちこちにありました。日本にも、自然発生的にできたブラジル人の多い町があると聞いています」だそうですけど、同質社会からの脱却こそ必要な視座であり、囲い込み式の収斂を「文化」と錯覚してしまうところはどうなんだという時代錯誤に他ならず、日系ブラジル社会の現在を語るなら、藤巻秀樹さんの『「移民列島」ニッポン』(藤原書店)ぐらい目を通してからぬけぬけと言えよという感ですわ。

『毎日新聞』の報道で、アイルランド出身で英エコノミスト誌東京特派員のデビッド・マクニールさん(49)は「曽野さんは人種で人を分けて考え、個性を否定している。私の息子は私と日本人の妻の間に生まれたが、どの人種に属することになるのか」とコメントしましたが、曽野綾子さんはどう応えるのだろうか。

「そもそも論」で恐縮ですけど、この現代において、いわば学問として全く根拠のない疑似科学の如き「人種(主義)」で人間を区分することの錯誤がちっとも認識できていないのが曽野綾子さんやその取り巻きなんだろう、「私は聞いた」という実感信仰といううすっぺらい反知性主義。

何かを「識者」然として語るのであれば、自身の「不明」を認識してから発言すべきだろう。

どうもおかしいのは、こうした差別主義者の歪んだ言説が、さもありがたいご高説と受け止められてしまう日本社会。これは異常以外の何者でもないですよ。


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曽野さんコラム:反発相次ぐ 「人種住み分け憎悪生む」
毎日新聞 2015年02月21日 東京朝刊


 作家の曽野綾子氏が人種による住み分けを提唱するコラムを書いたことが波紋を広げている。1948年から91年までアパルトヘイト(人種隔離)政策を推進した南アフリカ共和国の駐日大使は、掲載した産経新聞に「アパルトヘイトを許容するもの」と抗議し、日本に住む外国の人々からは「憎しみの感情を生み出す」などと反発の声が出ている。【青島顕、斎川瞳】

 きっかけは、産経11日朝刊の「労働力不足と移民」と題したコラム。曽野氏は今後の日本には労働移民が必要だと説いた上で、居住区について「白人、アジア人、黒人というふうに分けて住む方がいい」などと書いた。これに対し、南アフリカのモハウ・ペコ駐日大使は「アパルトヘイトを許容し、美化した」と反応。産経に抗議したNPO法人・アフリカ日本協議会は「アパルトヘイトは、一部の集団が、権利を剥奪された他の集団を必要なぶんだけ労働力として利用しつつ、居住区は別に指定して自分たちの生活空間から排除する(中略)システム」と指摘した。

 南太平洋ソロモン諸島出身で東京の大学院に学ぶティモシー・カレさん(31)は褐色の肌に長身。住み分けについて「交流がなくなり、憎しみの感情を生み出す恐れがある」。3年間暮らす大学寮では、外国人と日本人が共に生活しており「互いのよさが分かり、友人もできた。異文化を取り入れることができる」。コラムの内容は知っており、「反対だ」と語った。

 アイルランド出身で英エコノミスト誌東京特派員のデビッド・マクニールさん(49)は「曽野さんは人種で人を分けて考え、個性を否定している。私の息子は私と日本人の妻の間に生まれたが、どの人種に属することになるのか」とコメントした。

 曽野氏は15日の産経朝刊で、「アパルトヘイト政策を日本で行うよう提唱してなどいません」と表明し、毎日新聞に対し、次のような手記(要旨)を寄せた。

      ◇

 南米には、日系人たちが集まって住んでいるコロニア(移住地)が、あちこちにありました。日本にも、自然発生的にできたブラジル人の多い町があると聞いています。しかしいずれも完全に隔離などされていません。そこにいたい人が住み、外国人も自由にその町に出入りして、食物や文化の特殊性を楽しませてもらうわけです。私はそういう形の開放された「自由な別居」があってもいい、と個人的に思っています。

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 ◇曽野綾子氏

 1931年東京都生まれ。夫は作家、三浦朱門氏。95-2005年日本財団会長。03年文化功労者、12年菊池寛賞。小説に「神の汚れた手」「天上の青」など。保守派の論客としても知られる。
    --「曽野さんコラム:反発相次ぐ 『人種住み分け憎悪生む』」、『毎日新聞』2015年02月21日(土)付。

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[http://mainichi.jp/shimen/news/20150221ddm041040130000c.html:title]

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日記:アメリカの大学に万歳アタックをかける外務省官僚とは……


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[http://www.smh.com.au/world/shinzo-abes-government-plays-down-historians-concerns-over-south-koreas-comfort-women--in-wwii-20150210-13adis.html:title]

Shinzo Abe's government plays down historians' concerns over South Korea's 'comfort women' in WWII

政治家やそこに収斂していく自称知識人がバカであるケースはなきにしもあらずで、これは日本に限られた現象ではないとは思うのですけど、まあ、一国の最高学府を卒業してその実務をこなす官僚たちが、まあ、思想としての「まがい物」に何の反省もなく「飛びつく」というのはこれ、どうなんだろう。

べつに外務省の高級官僚のほとんどが、靖国神社へ参って積極的に手を合わせているなどとは想像できない訳ですよ。

官僚が政治家を支配しているなどとよく言われますが、安倍さんの思想へ影響を与えているとも思えない。しかし、この、歪み? 劣化? というは理解に苦しむ。

消極的反抗とかないのかと。

勉強ができるということが、必ずしも「聡明」ではない訳ですけども、それでもひどいものがあるのだなあと戦慄する次第です。

まあ、人間をゆがめるのが現代というシステムですから、アイヒマン化してそれも業務なんだろうとぐったり。

しかし、余所の国の教科書の内容にイチャモンつけるなどとは、ネットで「保守」だの「国士」だの言われる界隈がよく口にする「内政干渉」だろうに。

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日記:日本の国際的地位・名誉を毀損する曽野綾子さんと産経新聞という愉快な仲間たち


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例のごとくですが、『産経新聞』掲載された曽野綾子大先生の手によるコラムですけど、福祉の現場を小馬鹿にして、労働力がたらないから外国人労働者を「アパルトヘイト」という環境で受け入れて充足させてはどうかという珍説を繰り出し、国内のみならず世界中から批判にさらされております。

[http://matome.naver.jp/odai/2142383676126851201:title]

[http://www.huffingtonpost.jp/2015/02/10/sankei_n_6657606.html:title]

ご自身は珍説を取り下げないご様子ですが、自分の認識や立ち位置に無自覚な特権階級の歪んだ世界理解と鼻で笑ってクローズさせてはいかんでしょうねえ。

1995年以降、こうしたトンデモやインチキが勢いをつけてきてる現状をみると、もはや「鼻で笑って」看過するではすまされないというのが現代日本ですから。

道徳の教材でも「誠実」を代表する偉人として取り上げられ、安倍内閣の教育関係の審議会の委員もつとめているということ。こうした、人種というそもそも学問的にも世俗的にもインチキな概念を根拠に人間の値打ちをはかって恬淡と恥じることのない人間が、国政中枢と親密で、次代の教育をデザインしている。

この「さかまさ」な状態をきちんと受け止めることからはじめるほかありません。
彼女の差別思想は異常なものであり、人類が長年かけて手に入れてきた良識に対する言わばテロリズムであるという認識を広く共有することが必要だと思います。その意味で、今回の批判が契機となり、なんらかの責任をとってもらうと同時に、ああいう手合を放置してきた日本という社会の異常さを自覚するためにも、放置してはいけませんね。

そいやあ、その『産経新聞』ですけど、今度は、南京大虐殺「そのもの」がなかったというキャンペーンをはじめたご様子。

日本の国際的地位・名誉を毀損することになった云々というキーワードが罵声の如く連呼されてますけど、アパルトヘイトを礼賛しながら未だに差別を区別とシラを切る曽野綾子や、そのコラムを載せ、南京大虐殺「そのもの」が無かったと捏造する産経新聞こそが地位や名誉を毀損してるのじゃあございませんかねえ。


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日記:人間への無関心が他者の痛みへの鈍感さへ連動するのは決して過去だけの話ではない

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火曜日の夕方、病院で入院されている方と一緒にNHK……NHKしか放送されないw……の「首都圏ネットワーク」を見てましたが(ホロコースト映画上映 向き合う若者たち)、ゼミでホロコーストを学び深く研鑽するようになった大学生が紹介されておりました。

『ショアー』を引きながら、人間への無関心が他者の痛みへの鈍感さへ連動し、いわば「加担」することになったと指摘していました(趣意。

ホロコーストに関心を寄せるその大学生は、現代日本のヘイトスピーチに、ユダヤ人大量殺戮を「容認」「協力」したメンタリティーと同根を見出し憂慮しているとのこと。

仕事が終わってから、さて番組名を思い出そうとTwitterで検索かけたら、その憂慮を「嘲笑う」あるいは「罵倒」するツイートばかりで吃驚した。もはや「憂慮」で済ますことのできぬ段階なのかと。


日曜日の『東京新聞』(2015年02月01日付)の社説に「悪魔はいなくなったか」ありましたが、曰わく「憎悪は、相手の痛みを思いやることをやめさせ、モノだからどんなひどいことをしてもいい、と考える『悪魔』を育てます」。

歴史的事実を「嘲笑う」「罵倒」する「悪魔」の増殖が現代社会をむしばんでいる。


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【社説】週のはじめに考える 悪魔はいなくなったか

2015年2月1日


 ナチス・ドイツが約百十万人を殺害したアウシュビッツ収容所の解放から七十年。この非道を引き起こした「悪魔」はいなくなったのだろうか。
 収容所があったポーランド南部オシフィエンチムで一月二十七日開かれた七十年記念式典には、ドイツのガウク、フランスのオランド両大統領はじめ世界各国の首脳ら約三百人が集まりました。アウシュビッツを忘れまいとする国際社会の強い意志の表れです。
 戦後七十年を考える作業が始まりました。
 アウシュビッツも生存者が少なくなり風化が懸念されています。博物館として保存されている現場跡をたどることで、犠牲者の苦しみと、行われたことの残虐さに思いをはせることはできます。
◆絶滅収容所
 収容されたのはユダヤ人を中心としたドイツ民族以外の人たちでした。第一収容所跡にはメガネ、かばん、髪の毛などの山が展示されています。強制労働させただけでなく、収奪できるものは金にしようとしていました。断種などの生体実験も行われました。
 見学者が多い第一収容所跡から三キロほど離れた場所に、ビルケナウ収容所跡があります。ユダヤ人らを「絶滅」するための収容所でした。ナチスが証拠隠滅のため爆破しかけた「焼却」施設が生々しく残っています。「絶滅」は、集団をシャワー室に見せ掛けたガス室に誘導してチクロンBという毒ガスを投下して殺害し、遺体を「焼却」するという、工場の流れ作業のような形で進められました。
 アウシュビッツは、ナチスという特殊な政権下でなし得た一過性の非道だったのでしょうか。アウシュビッツで猛威を振るった人間の心に巣くう「悪魔」は、いなくなったのでしょうか。
◆人として扱わない非道
 ドイツは第一次大戦敗戦後、多額の賠償金を課せられ、国民は超インフレに苦しみ、フランスなど戦勝国や、富裕層とされたユダヤ人に強い憎悪をいだきました。ナチスはユダヤへの憎悪をあおり、自国民の優越性を強調するナショナリズムで支持を拡大しました。
 ナチスは当初、ユダヤ人らを追放、続いてゲットーに押し込める隔離政策を取った後、ソ連への移送を計画しましたが、進まず、ユダヤ人の大量殺害を決めました。
 しかし、こういった経緯をたどるだけでは、アウシュビッツの非道さを説明し切れません。
 ナチスは、ユダヤ人の大量殺害について「最終解決」という言葉を使っています。無機的で事務的な響きです。同様に用いた「絶滅」という言葉も本来、人間に対して使う言葉ではありません。
 そう、ナチスはユダヤ人を憎悪するあまり、人間とは考えなくなり、モノや虫ケラ、ととらえるようになったのではないでしょうか。だから、あのような非道な扱いができたのかもしれません。ナチス指導部だけでなく、国民の多くもこの非道を知り、ユダヤ人排斥に加担していたことが、研究で指摘されています。
 ドイツの憎悪は、過激なナショナリズムとあいまって隣国への侵略を促し、第二次大戦を引き起こして多くの犠牲を出しました。
◆憎悪の行き着く先
 戦後、欧州は欧州連合(EU)による統合を進め、域内の国同士で憎しみ合いが生じることのないような仕組みをつくりました。しかし、移民として受け入れたイスラム教徒などとは十分融合することはできず、パリでのようなテロを引き起こしてしまいました。
 ナチスから逃れたユダヤ人らが建国したイスラエルは、中東に激しい憎悪をもたらしました。過激派が各地に台頭し欧米への憎悪をあおっています。日本人も人質にとったとみられる「イスラム国」は不満を鬱積(うっせき)させた若者たちを戦闘員として集め、憎悪をテロという暴力で爆発させています。
 ナチスに勝利したはずの米国でも人種差別による事件が相次ぎ、テロ憎しから収容所では拷問ともいえる扱いが横行しました。
 日本の周辺では、欧州と違い、隣国が角突き合わすとげとげしい関係すら改善できていません。日本と、中国、韓国の国民は時に憎み合い、口汚くののしるヘイトスピーチまで飛び交っています。
 激しさや度合いは違うとはいえ、異質なものへの憎悪はそこら中にはびこっています。憎悪は、相手の痛みを思いやることをやめさせ、モノだからどんなひどいことをしてもいい、と考える「悪魔」を育てます。恐らく、アウシュビッツでの非道まで、そんなに遠くはないでしょう。
 「悪魔」の養い手である憎悪。アウシュビッツは、その行き着く先を教える警告でもある、と考えたいのです。
    --「【社説】週のはじめに考える 悪魔はいなくなったか」、『東京新聞』2015年02月01日付。

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