衣食住

東京都・丸亀市???

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 静岡の友達にさぬきうどんの話をしていて、うどんと一緒におにぎりを食べるといったら「なぜだ」と聞かれ、答えに窮してしまいました。讃岐人にとっては当たり前のことなんですが、なぜだと聞かれたらどう答えればいいのでしょう。

 以前「讃岐のうどん屋は食べる量の調節機能に非常にすぐれた形態である」と書いたことがある。すなわち、セルフや製麺所型うどん屋では、まず主食となるうどんの玉数が自由に選べ、次におかず的存在であるオプションの天ぷら類の数も自由に選べ、いつ行ってもその時の自分が食べたい最適の量をとることができる。さらにそこにもうひとつ主食的おにぎりやいなりがあり、量の組合せはもう自由自在なのである。
団長「おにぎりは量の調整用にあるとしか思えん」
W部「それならカレー屋やどんぶり屋におにぎりがあってもいいことになりますよ」
団長「それいける! 提案しよ!」
W部「どこの世界に『カツカレーといなり2つ』と頼むやつがおるんですか!」
 うーむ、確かにそんなやつはいない。おにぎり置いてるラーメン屋はたまにあるが、まてよ、そういや他におにぎり置いてる食べ物屋、ないんちゃうか! 居酒屋の焼きおにぎりとか料理やでついでみたいに作ってくれるおにぎりとか、いずれにしてもあからさまに他のメニューと一緒に食べるおにぎりは、うどん屋ぐらいしかないぞ!
 ま、感嘆符つけるほどの発見でもないんですけど……何なんでしょ、うどんとおにぎりの関係って。ご考察お待ちしております。
    --麺通団『恐るべきさぬきうどん 麺地巡礼の巻』新潮社、2001年。

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近所に讃岐うどんをウリにするチェーン店「丸亀製麺所」(株式会社トリドール)が先日オープンしてきたので行ってきましたが、目新しくて人気なのか、それとも「讃岐うどん」そのものの人気なのか判然とはしませんが、長蛇の列で、20分程度待ってから、東京にて讃岐うどんを頂いてきた次第です。

一押しメニューは「釜揚げうどん」(麺を茹でた釜からそのまま掬い上げたものを食べる)のようなですが、やはり人気なのでしょうか……。

ゆであがるまでに5-6分時間がかかるということなので、「ぶっかけうどん」(大)をセレクトです。

「ぶっかけうどん」とは、出汁を「かけている」という形態模写的意味論においては「かけうどん」同じです。しかし、その内実は「かけうどん」とは全く別物のうどんです。

うどんにかぎらず、「かけ」の場合、たいてい薄目に希釈された汁がなみなみとはいったどんぶりに麺をいれ、そのうえに天ぷらをのせると「天ぷらうどん」とか「天ぷら蕎麦」になるわけですが、そうした「かけ」の類と、出汁を「かけ」ていることにおいては同じなのですが、ちがいは発想にあります。

すなわち、うどん玉に濃いめの出汁を少量「ぶっかけ」て、麺にダシを絡めながらやるという筋書きで、だからこそ「かけ」とは言わず「ぶっかけ」と称しているのでしょう。出汁に麺をただよわせる「かけ」とはそこが大きく異なってきます。

さて、頼んだやつは、「ぶっかけうどん」(大)の「温」になります。
「温」とはすなわち、湯煎し、冷水で締めたうどん玉に、「あつあつ」の濃いめの出汁を「ぶっかけ」たやつですが、正直なところ……「いい線いっているのではないだろうか」というのがファースト・インプレッションです。

讃岐生まれの東京在住という、ヘレニズム期のコスモポリタン・ディオゲネス(Diogenes,B.C.412?-B.C.323)が聞けば喜びそうな「デラシネ的世界市民」としての宇治家参去の舌感ですので、ディープな讃岐人からすれば、ちがうぜっって突っ込まれそうです。

が、実感としては「いい線いっているのではないだろうか」というのが正直な感想です。

さぬきうどんに関係なく麺としてのうどん玉に関して言うならば、何うどんであった場合も、原料と製法をきっちりとまもればそれなりのうどん玉が仕上がります。

しかし難しいのがそのうどん玉と合奏する「出汁」の方ではないかと思います。

それもそれなりの原料と製法をきっちりとまもればそれなりの出汁はできるのでしょうが、やはりここに老舗とチェーンの違いが出てくるのでは……などと思った次第です。

ひょとするとすこし関東向けにアレンジされているのかもしれませんが、チト出汁がしょっぱく……それはそれで旨いのですが……もうすこしマイルドといいますか、いりことか鰹節の風味が効いてもよかったのでは……そう思った次第です。

関東では、讃岐うどんのいりこだしの魚風味が倦厭されると聞いたことがありますが、その影響をうけているのかもしれません。

しかしながら、セワシナク働き続けるメカニカルタウン・東京においてはやや「濃いめ」の味付けの方が、さぱっぱりとしてい、さらに活力を漲らせる食の源泉になるのではと思う次第ですが……、全体としては、マア満足のゆくうどんをリーズナブルに提供していることは否定できません

もちろん、本場のディープな讃岐うどん屋が小なら百数十円で提供しているほどのリーズナブルさはありませんが、それでも釜揚げうどんの(並)が280円、(大)が380円、ぶっかけもそれと同じ値段で、讃岐うどんに欠かせぬ各種天ぷらやおむすび・いなりというオプションメニュー……麺通団の言うところの「量の調整用」……も100円からで、種類も充実しており、なかなかあなどれません。

また回転がよいのでしょう。
天ぷら類はほとんど「揚げたて」ですので、そこは高く評価したいと思います。

食通からすれば、本場とは違うと確かにいわれるかもしれません。しかし「頑張っているな!」というのは払拭しがたい事実であり、また足を運んでしまいそうです。

また細かいところですが、厨房はオープンキッチンで、目の前で調理が行なわれてい、「できたて感」を感じる臨場感がにくい演出です。

が!しかし!

ぶっかけうどんの(大)を注文したのですが、揚げたての天ぷらを見ていると触手が動かないわけがなく、あれよあれよという間に3品ほどセレクトしましたので、うどんが380円、天ぷらが300円、合計680円となってしまい……ん、ん、よくできている! こちらの心情がよく計算されている!などと思った次第です。

決して280円、380円で終わらないところがうまいなあ~と思った宇治家参去です。

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天ぷらはやはり揚げたてですネ!
揚げたては讃岐でもなかなかお目にかかれません。その意味では、回転のよさがウリかもしれません。

サツマイモ、ちくわ、茄子……口蓋がハッピーと申しておりました。

小麦粉は、国産のようで、きっちりと原料をつかっているところに好感がもてます。本場でオーストラリア産(但し特別麦)が多いと聞きますので。

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「私どもが食物に対して、なみなみならぬ感心をしめさざるを得ないのは当然だろう」ということで手打ちうどんに挑戦記!

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 高松市はアザミちゃんからのお便り。
 「私は他県のお客様がよくいらっしゃる某うどん店で働いているのですが、みなさん様々なうどんの食べ方を披露してくれます。ざるうどんが長くて、立ち上がってまでうどんを持ち上げ、だしをあふれさせるなどはザラで、生醤油うどんを頼んでできたうどんに醤油さし(200mlほど)一杯に入っていた醤油を全部かけて一口食べて呆然としている人もいます。この間はうどんを箸にスパゲティのように巻きつけて食べるおじさんがいて、ひっくり返りそうになりました」
団長「県外客にとって、さぬきうどんの初体験は謎だらけやろうなあ。セルフサービスの店なんか行ったら、注文の仕方からわからんやろ」
S原「食べ方もわからんメニューがありますからね」
団長「動転して、ちくわでだしを吸うやつも出てくる……」
S原「そんなやつ、いませんって!」
 などと偉そうに言っているが、実は我々も知らない食べ方をする讃岐人がいっぱいいるのである。何しろ基本的には「何でもあり」なんだから、セルフの店なんかはそれこそ客の好き勝手で、どんな食べ方をしても誰も怒らない。コロッケをうどんにのせて、だしでボロボロ崩しながら食べる人もいるし、おでんのスジを取って串から抜いてうどんにのせて食べるおっちゃんも見た。ここ数年あちこちで見られる「釜玉」というメニュー(生卵をといてその上から熱々のうどんを入れ、醤油をチャッとかけて混ぜて食べる)も、実は客が勝手に生卵を持ち込んでそうやって食べているのを見た店がメニューにしたのが始まりらしいのである。
    --麺通団「文庫版あとがき」、『恐るべきさぬきうどん 麺地巡礼の巻』新潮社、2001年。

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どのうどんが偉いというわけではありませんが、こうした書物を紐解くと、「讃岐うどん」は恐るべしと思う、東京在住でうどんよりも蕎麦をこよなく愛する讃岐人・宇治家参去です。

昨日は……久し振りの3連休2日目!……細君及び息子殿との約束がありましたので、昼過ぎより、手打ちうどんに挑戦させていただきました。

母親がむか~し、打って食べさせてくれたことは思い出の片隅にあるのですが、自分で打つのはじめてですので、とりあえず、塩加減とか寝かせる時間をネットにて下調べして準備の準備OKです。

午前中は論文のできあがったところの入力および校正を少し済ませ、それから小麦粉とご対面でございます。

今回はだいたい4人前ということで、小麦粉(饂飩用、ホントは東急ハンズなんかですとそれでも地元で業務用で使われるえり抜きの小麦粉があるのですが、今回はスーパーで売っている日清の小麦粉にて代用)を準備して、さあ、格闘です。

小麦粉×340g、水150g+塩16gを計測し、

塩を解いた水にて小麦をまずまぜあわせ、だいたい馴染んできたところで、ビニール袋に密封し、まずは寝かせます。

だいたい1時間ぐらいでしょうか、1次熟成です。

そんでもって、すこし様子を見てから、今回は讃岐うどんにしよう!ということで、うどん踏み踏みにチャレンジです。1次熟成で粉っぽいところが馴染んでなくなってきた小麦粉ボールを、踏んで踏んで、そしてまた巻物のようにまき直し、踏んで踏んで左右に伸ばす……そしてまたまき直し踏んで踏んで……。
通常のうどんですと、この「踏む」作業の変わりに手でこねるわけですが、讃岐うどんのコシの強さは、この踏み踏み作業によって、讃岐うどんに生まれ変わるわけですので、ちと念入りに!

今回は息子殿がヘルプしてくださいました。

……でもって、もち肌のような生地になったところで、再度密封して2次熟成でございます。

これも1時間くらい同様に寝かせ、次はうどん切りの段階です。
打ち粉をうって、生地を巻いて伸ばして、包丁をいれる。

……聞けば簡単な作業ですが、これがなかなか面倒です。
一番難しい作業だったかもしれません。

道具もないので、簡易まな板のうえで麺を伸ばす……ところまではうまくいくのですが、包丁を均一に入れるのが大変困難です。

じぶんがやると、こりゃ、うどんの見てくれとしては「商売で出すことのできない“武蔵野うどん”風だよな」と思いつつ、切り分けていきましたが、それを見ていた細君も興味を示したのか、最後の1枚は自分がやりますとのことにて、包丁手をチェンジ、宇治家参去が切り分けるよりも見事でございました。

チキショー、道具がなかったからなんだ……って小さな声で。

でうどんをゆでること12~3分。

なんか雰囲気が出てきました!

おおっ、うどんではないか!

ということで、ぬめりをとり、再度軽く湯煎して完成です。

先ずは、讃岐うどんの王道・釜玉うどんで一杯。
あたたかいうどんを笊でしゃしゃっと水をきり、そこへ生卵をひとつ。
宇治家参去はこうした場合、白身がいやなので、予め黄身だけにしていた卵をおとし、薬味をのせ、鎌田醤油のだし醤油をちゃちゃっとかけまわし、完成です。

これを箸でからめて、食べると……。

「お店でだされるやつより旨いんでねえの?」

……我ながら驚く次第です。

つよくコシがあるにもかかわらず、つるつると黄身とだし醤油にからんだ麺が胃袋へと充填されていく幸福とはここにあるのでしょうか。

我ながら、「オレってやばくねえ?」ってかんじです。

難点は、宇治家参去の切り分けたうどんが均一ではないため、ときおり「ツルッツルッ」とはいかず、ひっかかるところですが、それでも旨かったです。

次は、ざるうどんで一杯です。
今回、ざるの汁で関西風が準備できなかったので関東風で頂きましたが、これも旨い。
麺の輝きがなんともいえません。

エビスをのみながらやりましたが、これはやみつきになりそうです。

寝かせる時間がありますので、全体としては3時間程度はかかるのですが、作業時間は正味1時間でしょう。こねたり、踏んだりするのは確かに重労働ですけど、その労働の対価に見合う一品ができあがることは間違いありません。

興味のある方は是非!

次は道具をそろえて、再トライです!

しかしなんで、宇治家参去はこうまで食に対して飽くなき探究者となってしまうのでしょうか。

そのことを池波正太郎(1923-1990)は美しい言葉で語っておりますので最後にひとつ。

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 人間は、他の動物と同様に、
 「食べなくては、生きて行けない……」
 ようにできている。
 私どもが食物に対して、なみなみならぬ感心をしめさざるを得ないのは当然だろう。
    --池波正太郎『散歩のとき何か食べたくなって』新潮文庫、昭和五十六年。

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伸ばして、切って、茹でる!

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釜玉の幸せ、

ざるうどんの悦楽、

不揃いなうどんがつやつやしております~!

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冗談でつくった一本饂飩モドキ@鬼平犯科帳は、まさに噛んで喰うというやつです。

次は蕎麦に挑戦だ!

http://www.youtube.com/watch?v=bzEvbrPqY6k&eurl=http%3A%2F%2Fsns%2Esoka%2Duniv%2Enet%2F%3Fm%3Dpc%26a%3Dpage%5Ffh%5Fdiary%26target%5Fc%5Fdiary%5Fid%3D6331&feature=player_embedded

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なぜ、芋を掘るのか

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 子供の私が、祖母に、
 「何だえ、お前さんは。秋刀魚のワタを残してもったいないじゃあないか」
 などと叱られるころ、夏からこのときまで、氷水で商売をしていた店が本来の焼芋屋に変わる。
 「それっ」
 というので、私たちは駆けつけるわけだが、大カマドのようなものへ、サツマイモをびっしりとならべ、塩を振って大きなふたをするのを、唾をのみこみながら見まもっていたものだ。
 芋を焚火で焼くのもよいが、どうしても専門の焼芋屋にはかなわない。
 子供のころ、一時、谷中(やなか)の伯父の家へ預けられていたことがあって、私が小学校から帰って来ると、女中のかねちゃんが、
 「正ちゃん。たのみますから、ヤキイモ買って来て」
 私にたのみ、伯父夫婦の留守をさいわい、かねちゃんは湯殿で焼芋を食べていた。むろん、私にも半分くれた。
 新聞紙の紙に入った焼芋を買って帰る秋の夕暮れの道を歩みながら、
 (もう直(じ)きに、お正月が来る……)
 子供ごころに、しみじみと、そうおもった。
 そして、無花果(いちじく)や石榴(ざくろ)の実も秋のものだが、今の子供たちは、こうした秋の果実を口にすることもないようだ。
    --池波正太郎『味と映画の歳時記』(新潮文庫、昭和六十一年)。

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息子殿が幼稚園の行事で、サツマイモを沢山持って帰ってこられました。
いわゆる、「芋掘り」というやつ。

こちらは、何故「芋」を“掘る”のだろうか……などと思案してしまう部分が殆どであります。

が、それはそれで、息子殿にしてみると「秋の風物詩」となってい、そこに「季節」を<感じる>ことができればよいのかもしれない……などと納得もしてしまう、ある日の宇治家参去です。

しかし、持ち帰った量は、三人の家族で食するには少し多いのではなかろうか……。

何に調理されるのだろうか--。
仕事から帰ってきての楽しみにしておきましょう。

機械も焚火もないので、焼芋ということはなかろうが、スィートポテトとかさういう洒落たものにも変身しないのだろうが、ひとつのたのしみにでもしておきます。

とわいえ、

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 新聞紙の紙に入った焼芋を買って帰る秋の夕暮れの道を歩みながら、
 (もう直(じ)きに、お正月が来る……)

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お正月までもう2ヶ月でございます。
時間が御座いませんが、さっ、仕事に戻りましょうか。

ちなみに栗は「いただきもの」。

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地面と植物が発散させるあの秋の香り

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 わたしたちが帰路につくためにふたたび俥の中に腰を下ろすころには、もう地平線の上には黄ばんだ太陽の最後の一端が残っているばかり。
 黄昏の中を、わたしたちは今朝と同じ道を反対の方向にとって返す。小さな谷々の同じ迷路の中を、わたしたちの視野を仕切る小さな丘陵の同じ連なりのあいだにある、あの同じいくつもの稲田を縫って。
 空はヴェールのように落ちてくる大きな雲のためにそっくり蔽われてしまう。そして驟雨がわたしたちの上を通り過ぎる。あたりの黄ばんだ葉を濡らしながら、地面と植物が発散させるあの十一月の香りを強めながら。
 いまは日本で豊富に熟れるあの唯一の果物、即ち、蜜柑をこころもち長くしたような、けれども、もっともっと美しい色をした、ちょうど褐色の金の球のようにすべっこくてぴかぴか光、あのカキの季節である。途々到るところで、わたしたちはそれを枝もたわわにつけている樹木に出あう。
 この日本の田野では、じつにたくさんのものが、わがフランスの秋を想い出させる。あちらこちらに、垂れさがっている葡萄の紅い枝、裸にされた枝々。それからいまにも枯れしぼみそうな高い雑草の中の紫の花々。--ここでは、わがフランスと同じようにそれらの花々はほとんどみな紫の色をした晩秋(おそあき)の花々である。茎の先に花をつけている紫の矢車草、まつむし草、釣鐘草、--さらにまた、色合は同じであるが、道の種類のほかの花々。
    --ピエール・ロチ(村上菊一郎・吉永清訳)『日本の秋』(角川書店、昭和28年)。

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なんどか書いているかもしれませんが、自分が一番好きな季節が、日本の秋です。ちょうど10月から11月にかけての、どこまでも透明な秋の空気と匂いがここちよい時期が一番いいです。

秋は実りの秋と呼ばれるますが、これまではきのこ類には見向きもしませんでしたが、これも二十歳を超えると、その旨さを感じるようになってきました。

シンプルにホイル蒸しとかで素材をそのまま楽しむのが秋の快味です。

さて、昨日。
ちょうど、市井の職場を、今年の春先と初夏に辞めたバイトくんの慶事(?)があり、仕事を終えてから一献、宴席を行う。

くだらない話や大切な話をしながら、きのこずくしで旬を味わう。

慶事といっても、それは「はじめて彼女ができました!」っていうだけの、いわば“どこにでも転がっている”ような些事にすぎません。が、それを“転がっているような”話としてどこか遠くへ起きたくはないと常々思っておりますので、気の置けない連中を呼んで健闘をたたえ合う……という理由で集まった。ただ呑みたいだけという話ですが、理由があって呑むのはウマイので、理由を造るわけですが。

生まれて初めて告白したそうですが、結果としては「案ずるより産むが安し」のようで、言葉に出してみれば、「こんなものか」という感じのようでしたが、その一言を紡ぎ出す“勇気”が問題であったとのこと。

告白だけではありませんが、何も為す前から、自分自身の徹底的な思索とアクションへの想像で、ひとはものごとに躊躇してしまう部分が現実には多々ありますが、ことをなしてしまうと、「こんなものだったのか」……っていうところが正味のところかもしれません。その境界線を超える勇気を学ばせて戴いたようです。

とはいえ、呑みながら実感するのは、ますます酒に弱くなってきたということです。
年をとることで飲めなくなるのは不可避的な自然現象ですのでかまいませんが、頭と心だけは硬直化させたくないものです。

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「せがれめ、小生意気なまねを……」

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 大治郎は、また老人に出会った。
 山谷堀の南に、真土山(まつちやま)の聖天宮(しょうてんぐう)がある。
 この日も、大治郎は田沼屋敷からの帰りで、いつもよりは時刻も早かったものだから、聖天宮へ参拝してから、門前の〔月むら〕という蕎麦屋へ入り、
 「酒をたのむ」
 と、いった。
 大治郎も、大分に変わってきたようだ。
 長い修行を終え、江戸の父の許(もと)へ帰って来たころの秋山大治郎は、一人きりで蕎麦屋へ入って酒をのむことなど、おもってもみなかった。
 いや、蕎麦は食べても、まだ明るいうちに酒を口にするなどとは、それこそ、
 (とんでもない……)
 ことだったといってよい。
 小兵衛とちがって、二合ものめば真っ赤になってしまう大治郎なのだが、ともかくも、こうして酒に親しむという気分を、
 (わるいものではない)
 と、おもいはじめてきたらしい。
 それもこれも、父・小兵衛のすることを見ているからであろう。
 酒がくると、おもいついて蕎麦掻きもたのんだ。
 月むらは、一年ほど前に開店した蕎麦屋だが、場所柄、小ぎれいな店構えで、奧には小座敷もある。
 酒も蕎麦もうまいというので、たちまちに客がつき夕暮れ間近い、この時刻にも入れこみは客で埋まっていた。
 入れこみの真中に通路があって、突き当たりに大川(隅田川)をのぞむ小座敷が二つある。
 黒塗りの小桶の、熱湯の中の蕎麦掻きを箸で千切り、汁につけて口に運びつつ。大治郎はゆっくりと酒を楽しんだ。
 こんなことを秋山小兵衛が見たら、何というだろう。
 「せがれめ、小生意気なまねを……」
 苦笑を洩らすにちがいない。
    --池波正太郎「逃げる人」、『剣客商売⑫ 十番斬り』(新潮文庫、平成六年)。

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こういうかたちでさりげなく飲めれば、美しいのですが、いつも飲み始めると鯨がオキアミをたべるごとくに海水を吸い込むような、飲みをしてしまう宇治家参去です。

今日は休憩中、旬のものを発見し、今年は今日が初めてだよな~ってことで、『松茸おこわ』を頂く。総菜屋の出来合いですが、一応松茸ものっており、その風味に舌鼓をうつ。子供の頃は、松茸の旨さが全く分からなかった。父親が自営で会社をやっていた関係で、この季節になると、つけ届け?で、段ボール箱数杯の松茸が我が家に持ち込まれたものですが、当時はまったくその旨さが分からなかった。

男料理になるわけですが、松茸の泥を軽くすすいでから、手で裂いて、アルミホイルであぶっただけのものに、柚子か酢橘をかけ回して、かるく醤油を垂らして、美味そうに、ビールか冷やで一杯やっていた秋が懐かしい。

あれほど毛嫌いしてた松茸をほおばる様を、今は亡き親父殿が見たならば、

 「せがれめ、小生意気なまねを……」
 苦笑を洩らすにちがいない。

さて……、いつも飲んでおりますので、このことは身体的ダメージのみならず、家計にも優しくない部分がありますので、「ホッピー」(ホッピービバレッジ株式会社)はいかがですかという提案があったので、早速挑戦してみた。

実はホッピーなるものを飲むのは初めて。

ホッピー330と、推奨されている甲類焼酎(一番安かったので『鏡月』)をゲットして、公式推奨飲み方でやってみる。
①グラスを冷凍庫で、ホッピー、焼酎を冷蔵庫で冷やす(このことを「三冷」という)。
②注ぐ順番は、焼酎、ホッピーの順で泡立てるようにグラス注ぐ。
③氷をいれず、かき混ぜない。

さて一杯。

まず「なんじゃこりゃぁぁぁぁ」

ビールテイストを想像していたので、出鼻を挫かれる。

さてもう一杯。

「ふうむ~、ビールと思って飲まずに、ホッピーと思って飲めばいけそうかな」

慣れとは肝心かも知れません。
すこしこれからホッピーにシフトできるのであればシフトしてみようと思います。
これで痛風を気にせず飲めるのであれば。

でもビール乃至ホッピーのあとに、結局、酒(日本酒乃至ウイスキー)を飲んでしまうので結局元の木阿弥かもしれません。

が……。
うまく心も乗ってきたので、少し論文に手を入れてから寝ます。
おやすみなさい。

でも……(くどい!)……『剣客商売』を読んでいると、ウマイ蕎麦を手繰りたくなってしまった……どうしよう?

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十番斬り (新潮文庫―剣客商売) Book 十番斬り (新潮文庫―剣客商売)

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「統制された暴力機構」による安定とコカ・コーラ

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 そのときデュボア先生は<価値>についてマルキストの理論とオーソドックスな<効用>の理論との比較を講義していた。
 「むろん、マルクスの価値定義は馬鹿げている。人間がそれに加えるいかなる労働にしろ、泥の団子を焼リンゴに変えることはできるもんじゃない。あくまでも、泥団子は泥団子として残る、価値はゼロだ。当然な結果だが、不手際な労働は容易に価値を減少してしまうものだ。下手なコックは、そのままでもすでに価値のあるうまそうな団子や新鮮なリンゴを、食えもしない代物に変えてしまう、価値はゼロとなるのだ。これを逆に、腕のいいコックは、同じ材料でも、ふつうのコックがふつうの味につくりあげる手間もかけずに、ありふれた焼きリンゴよりはるかに価値のある菓子に変えることができるのだ。
 このように料理を例にとってみても、マルクスの価値理論や、共産主義根本理念のまったくけばけばしいばかりのインチキさは、崩壊してしまうし、常識的な定義が、その効用の面からみても真実であることを指摘できるのであって……」
 デュボア先生は切株のような腕をおれたちに向けた。
 「それにもかかわらず……おい、起きんか、そのうしろの生徒! このもったいぶったいかさま師カール・マルクスがものした仰々しいこじつけの、めちゃくちゃで気狂いじみ、非科学的で支離滅裂な、資本論の筋のとおらぬ色あせた神がかり的な言葉には、非常に重要な真理がちょっぴり含まれているのだ。もしもだ、マルクスに分析的な心があったなら、価値観念について、最初の完璧な定義を下せたかもしれないのだ……そして、この地球は無間地獄のような悲しみから救われたかもしれんのだ……もしくは、それと反対になったかもしれんが」
 デュボア先生はつけ加えた。
 「おい! きみ!」
 おれは反射的に起立した。
 「きみは聞きたくもない様子だが、それぐらいならみんなに言えるだろう。価値というものは、相対的なものか、それとも絶対的なものなのか?」
 おれは聞いていたんだ。ただ、眼をつぶり背中をゆっくりくつろがせたまま聞いていてはいけないという理由はない、と思っていたのだ。だがこの質問はちんぷんかんぷんだった。予習をしていなかったので、おれはあてずっぽうに答えた。
 「絶対的……なものです」
 デュボア先生は冷淡に言った。
 「まちがっているね。人間との関連性なしには、いかなる価値も無意味だ。物の価値は、常に特定の人間に関連し、完全に個人的なものであり、その人その人にとって、その量が異なるものであり……市場価値なんてものは絵空事だ。それは、個人的な価値の平均値を大ざっぱに推量したものにすぎない。そのすべてが量的に違わなければならず、さもなければ、売買など不可能となる」
 親父が<市場価値>は絵空事などというのを聞いたら、なんて言うだろうと、おれは思った--たぶん、軽蔑して鼻を鳴らすことだろう。
 「この非常に個人的な関連性を持つ価値は、人間に対して二つの要素を持っている。まず第一には、それによって人間は何ができるかということ、その効用であり……二番目は、これを得るために人間が何をしなくてはいけないのか、その代価である。昔の歌に、はっきりこう言っているのがある……この世で無料(ただ)よりいいものはない……だがこいつは、嘘だ! まったくのでたらめだ! この悲劇的な盲信こそ、二十世紀民主主義の堕落と崩壊をもたらしたものなのだ。この崇高な実験が失敗したのは、そのころの人間が、お好みのものはなんでもただ投票さえすれば手に入るものと信じさせられていたからだ……苦労もせず、汗を流しもしないで、涙もなしに、手に入るものとな。
 まず、価値あるものが無料であることはないのだ。呼吸でさえも、たいへんな努力と苦痛をともなう出産を経なければ手に入らないのだ」
    --ロバート・A・ハインライン(久野徹訳)『宇宙の戦士』(早川文庫、1979年)。

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冒頭は、SF作家の大家・ロバート・アンスン・ハインライン(Robert Anson Heinlein、1907-1988)の代表作『宇宙の戦士』の一節から。『宇宙の戦士』は映画『スターシップ トゥルーパーズ』として映像化されていますので、なじみのある方もいらっしゃるかと思いますが、断然活字の方が面白いです。


舞台は未来の地球……。

裕福な家庭に生まれた主人公の少年が、高校卒業後に両親の反対を押し切って軍隊に入り、徹底的にしごかれて、一人前の機動歩兵になっていく過程を描いた作品です。

舞台となる社会制度は、民主体制と共産体制の共倒れのあとに誕生した軍事政権によって“保証”されたユートピア社会です。
能力主義が徹底され、人種や性別に関わることなく、いわば完全な平等が実現した社会ですが、ひとつ軍歴の有無のみが区別をなした社会です。
ただし軍歴の有無は、参政権といくつかの政府職への就職を制限するだけで、言論や表現の自由も認められており、生活としては区別なく続いている……。

表面的には、「統制された暴力機構」による安定と理想の実現が描かれており、民主主義とか共産主義といった価値概念は退けられていますが、ハインラインの思考実験を観察すると一筋縄ではいかない人間の多元的なありようが見て取れます。
本人自身は、基本的にはリバタリアン的立場であったと言われていますが、右にも左にもふれる機会があったとか。

いずれにせよ、不思議なものですが、時折、無性に、SF物が読みたくなってしまうことがあります、年に数度ですが……しかも偏っています。

ただ、SF作家の見せてくれる思考実験は、人間の様々なあり方や可能性のヒントを与えてくれるので、無限の自由度を斟酌することが可能です。読み物として面白い部分もありますが、それなりに考える部分もあります。




さて……。
人間という生きものは、時折、まさに「無性に○○したくなる」ところがありますが、宇治家参去の場合、本当に時々、「無性にコカ・コーラが飲みたくなる」ことがあります。
それは違うだろう……酒でしょ?と反駁されそうですが、酒は空気と一緒なので、「無性に飲みたくなることはありません」。

しかし2-3ヶ月に一度、コカ・コーラを無性にがぶ飲みしたくなるのが不思議です。

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旨いもの・酒巡礼記:善通寺編 「嘉舞茶来(かむちゃら)」

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旨いもの・酒巡礼記:善通寺編 「嘉舞茶来(かむちゃら)」

帰省した折り、必ず行かねばと思っていたのが、和風ベースの素敵なカフェ(とでもいえばいいのでしょうか)「嘉舞茶来(かむちゃら)」です。

昨年12月に高松スクーリングのとき、学生さんが教えてくれた店です。
酒とか旨い食いモノの話をしますので、「そっと」教えてくれました。答案用紙の末尾に……。

「おかまちゃんふたりで、切り盛りしている店ですけど、出される料理は本物です、先生是非行ってください!」(趣意)とのこと。

3/28(金)。
義母、細君、息子と私で訪問する。
前日、素通りで入るとすでに満員でアウト。
今回は、ランチで予約を入れてみた。
細君が「子供が居るのですけど……」というと、
マスター(?)曰く「おとなしい子供ですか?」とのこと。
細君曰く「おとなしいです」

戦々恐々で訪問する。

看板もなくしゃれた住宅のような佇まいだが、まさに“知る人ぞ知る”隠れ家。
インテリアや食器もオリエンタルで統一され、店を切り盛りするふたりの方もオリエンタル。しかもよく気が利き、本当にこの商売が好きなのだと実感させられる。

きれいに磨き抜かれ、チリ一つない店内。
予約席のテーブルに案内され、着座。子供もしっかり「おとなしく」している。

この日のランチメニューは以下の通り。
(A)海鮮卵とじ丼
(B)ウインナーとブロッコリーのカレー
共に850円。プラス150円でコーヒーがつく。

私はBを選択し、細君たちはAを選ぶ。
その間にも、ひっきりなしに客は訪れるが、空席無で出直しの客ばかり。
予約を入れて正解でした。

さて……。

出てきました!

カレーだけかとおもっていると、びっくり仰天。
お新香と芥子菜の和え物に、おから、みそ汁、サラダ、フルーツとゼリーの盆がついてくる。

みそ汁を飲む。

のぞける。

お新香を口へいれる。

のぞける。

それが繰り返される。

そして、カレー。

「辛くないですよ」とオーナーがおっしゃっていた。

一口くちにすると、

「甘い」

だけど、

「スパイシー」

アジアンカレーだけど、これも丁寧に造られている。

最後にひとこと。

「旨かった!」

そしてもう一発。

お盆の上をご覧下さい。

お猪口に季節の生花が生けられています。
どの盆も別の花。

まさに……

「もてなし」と「丁寧」と「本物」の店です。

教えてくださった学生さんありがとう。

そして、創ってくれた「嘉舞茶来」さんありがとう。

興味のある方は是非!!
今度は、ディナーにチャレンジです。

「嘉舞茶来」
香川県善通寺市善通寺町2961-6
0877-64-0255
※ディナーメニューは前日までの完全予約制

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まあ、茶でも一口すすろうではないか

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一昨日で一年間連続飲酒続投の金字塔をうち立てたので、誕生日であった昨日より休肝日開始です。今日は市井の仕事で忙しい勤務日で不確定要素もたくさんあったのですが、皆のがんばりでとにかく無事終了。家に戻って落ちついている次第です。

いつもだと、入浴後、缶ビールでもプシュッとあけて、やおら一杯やるとこらですが、今日は飲まないと1年前から決めていましたので、かわりにお茶でも啜っています。

本来は、点前すべきでしょうが、面倒なので、今日は、普通茶でよしとしましょう。
葉っぱは、はじめて飲む「知覧茶」です。
鹿児島県は日本でも有数な茶所だとか。初めてですが、一杯入れてみました。
袋の解説にもありましたが、「渋みが少なく甘み」が濃厚なお茶で、寝る前にはちょうどよいかもしれません。

興味のある方是非お試しを。
高いものではありませんので、気軽に飲み比べる常用のひとつにいいと思います。

さて最後に「お茶」を論じた美術家、美術史家・岡倉天心の『お茶の本』でも紐解きましょう。

----
 現代の人道の天空は、富と権力を得んと争う莫大な努力によって粉砕せられている。世は利己、俗悪の闇に迷っている。知識は心にやましいことをして得られ、仁は実利のために行われている。東西両洋は、立ち騒ぐ海に投げ入れられた二竜のごとく、人生の宝玉を得ようとすれどそのかいもない。この大荒廃を繕うために再び女媧(じょか)を必要とする。われわれは大権化の出現を待つ。まあ、茶でも一口すすろうではないか。明るい午後の日は竹林にはえ、泉水はうれしげな音をたて、松籟(しょうらい)はわが茶釜に聞こえている。はかないことを夢に見て、美しいとりとめのないことをあれやこれやと考えようではないか。
    --岡倉覚三(村岡博訳)『茶の本』(岩波文庫、1961年)。
----

いろいろ大変な世の中で時代でそれぞれの人生ですが……

「まあ、茶でも一口すすろうではないか」。

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茶の本 (岩波文庫) Book 茶の本 (岩波文庫)

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寒い深夜は“小鍋だて”

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 東京は、日曜の深夜から大雪。ただし、積もりそうな雪ではないので、降った時間の割りには、つもりが浅い。
 久し振りの雪なのですが、子供は喜ぶかと思いきや、寒いのが面倒で大してよろこばず。東京でふるのは珍しいので、細君を促し、公園まで遊びに行かせました。
 やはり現金なもので、到着すると細君と雪合戦を楽しみ、不思議な雪ダルマをつくって帰ってきた。家の中まで雪だるまを持ち込みそうになりましたが、本人曰く、ウルトラマンタロウに出てくるなめくじ怪獣ジレンマ(第6話『宝石は怪獣の餌だ!』)とのこと。
 ただ申し訳ないのは、宇治家参去さんが夕方の出勤時、誤って自転車で轢き殺してしまったこと。本人には溶けたといっておこう。

 さて、本日は、市井の職場は一番忙しい日曜日。
 本来の業務は、売り場メンテナンスや、人員の配置のマネジメントが中心ですが、本日は雪かきを優先。

 結構、体力勝負の仕事です。ゴム長靴とか防寒靴を履いていたわけではありませんでしたので(ただの革靴)、足先がカチカチ。

 これから、“小鍋だて”で一杯やりながら、凍てついたカラダを溶かしていこうと思います。
 いつも市井の仕事が済んで帰宅するのが二十四時過ぎ。当然、細君も寝ていますので、食事は用意しているにはいるのですが、あまりほしくないときは、自分で簡単な鍋をつくります。それがいわゆる“小鍋だて”。材料もあり合わせで、出汁を張った鍋にぶち込み、煮てはふうふういいながら食べる簡単な男料理です。仕込みも片づけも簡単ですので、この季節にはお薦めです。

 “小鍋だて”と出会ったのは、池波正太郎氏のエッセーから。ちょうどその部分を紹介しますので、みなさま是非、堪能してください!

 三井老人は、私の友人・井上留吉の知り合いで、兜町(かぶとちょう)の小さな現物取引店の外交をしていたが、いかにも質素な身なりをして兜町(しま)へ通勤して来る。どこかの区役所の戸籍係のようで、とても株の外交をしているようには見えなかった。深川の清澄町の小さな家に、二匹の猫と、まるで娘か孫のような若い細君と暮らしていたが、金はたっぷりと持っていたようだ。
 若い井上と私が、六十に近い三井老人と知り合ったのは、長唄の稽古と歌舞伎見物が縁となったのだ。
 三井さんは、私たちにも気をゆるすようになってから、
 「宅(たく)へもお寄んなさい」
 こういってくれ、それから、しばしば清澄町へお邪魔をするようになった。
 三井さんは長唄の三味線もうまかった。それでいて、他人前(ひとまえ)では、決して唄わず、弾かなかった。
 私どもが三井さんの腕前を知っていたのは、稽古へ行く場所がおなじだったからである。
 さて、いつのことだったか、よくおぼえていないが……。
 二月に入ったばかりの寒い夜、私は深川で用事をすませた後に、おもいついて三井さんの家を訪ねた。
 三井さんは、お客のところから帰って来たばかりで、長火鉢の前へ坐り、晩酌をやっていた。
 「ま、おあがんなさい。家のは、いま、湯へ行ってますよ」
 「かまいませんか」
 「さ、遠慮なしに……」
 長火鉢に、底の浅い小さな土鍋がかかってい、三井さんは浅蜊(あさり)のむき身と白菜を煮ながら、飲んでいる。
 この夜、はじめて私は小鍋だてを見たのだった。
 底の浅い小鍋へ出汁(だし)を張り、浅蜊と白菜をざっと煮ては、小皿へ取り、柚子(ゆず)をかけて食べる。
 小鍋ゆえ、火の通りも早く、つぎ足す出汁もたちまちに熱くなる。これが小鍋だてのよいところだ。
 「小鍋だてはねえ、二種類か、せいぜい三種類。あんまり、ごたごた入れたらどうしようもない」
 と、三井さんはいった。(中略)
 小鍋だてのよいところは、何でも簡単に、手ぎわよく、おいしく食べられることだ。そのかわり、食べるほうは、一人か二人。三人ともなると、もはや気忙(きぜわ)しい。
 鶏肉の細切れと焼き豆腐とタマネギを、マギーの固形スープを溶かした小鍋の中で煮て、白コショウを振って食べるのもよい。
 刺身にした後の鯛(たい)や白身の肴を強火で軽く焼き、豆腐やミツバと煮るのもよい。
 貝柱(ハシラ)でやるときは、ちりれんげで掬(すく)ったハシラをちりれんげごと小鍋の中へ入れて煮る。こうすれば引きあげるときもばらばらにはならない。
 これへ柚子をしぼって、酒をのむのは、こたえられない。
 むろん、牡蠣もよい。
 豚肉のロースの細切りをホウレン草でやるのも悪くない。つまり、小ぶりの常夜鍋というわけ。 
 材料が変われば、それこそ毎晩でもよいし、家族も世話がやけないので大いによろこぶ。
    --池波正太郎『味と映画の歳時記』(新潮文庫、昭和六十一年)。

 今日は、ブイヨンの出汁で、豚肉とネギだけで、やってみます。

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葱とダヴィンチ

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不思議なもので、子供の頃はニガテだったが、大人になって、その旨さに驚いた食材は数あります。
そうした食材のなかで、決して欠かすことのできない一品が、葱(ねぎ)です。

まるごとも食べるのもよし、薬味として使うにもよし、そして風邪の対策にもよし--。

あの苦さと甘さがたまらなく旨い一品です。

さて、今日は終業後、どうしてもラーメンが食べたくなってしまい、バイト君(パンサーN)と、新小金井街道沿いの、「とろける焼豚 GUTSラーメン」を食べにいく。
自転車のサドルにも霜が降りるほどの寒さで、天空も透き通り、星々の輝きの眩い、冬の夜空を、二人で白い息をはきながら、ラーメン屋をめざしました。

およそ一年ぶりの再会。
しょうゆとんこつとでもいえばいいのでしょうか--こてこてほどきつくない出汁で、細麺、そしてとろとろにとろける焼豚の組み合わせ。葱好きですので、本日は、葱チャーシュー(並)でいきました。

仕事の後の一杯は、うまい!
ただ、寝る前のラーメンは、きつい!

堪能したあと、ふたりでふうふういいながら、かえってきました。

さ、いよいよ正月もおわり、日常モード。
かのレオナルド・ダ・ヴィンチは次のように語ったという。

障害は私を屈せしめない。
あらゆる障害は奮励努力によって打破される。
    --杉浦明平訳『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記 (上)』(岩波文庫、1954年)。

レオナルドの覇気で、寒さを吹き飛ばし、人生を痛快に歩んでいこう!

Davi

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著者:レオナルド ダ・ヴィンチ
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柿でもひとつ

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 秋の果実で、子供のころから好きだったのは柿だろう。
 幕末のころ、アメリカの使節を幕府が饗応するとき、やわらかい柿に味醂(みりん)をかけまわし、デザートとして出したところ、大いに好評を得たそうな。
 戦争中に食料が不足となったとき、干し柿の甘味は、まことに貴重なものだった。
 一茶が「夢に、さと女を見て」と前置きして、

 頬ぺたに、当てなどすなり赤い柿

 の一句をよんでいる。
 また去来には、

 柿ぬしや 梢はちかき嵐山

 の句がある。
 柿は端的に、そしてあざやかに秋の情景を表現する。
    --池波正太郎『味と映画の歳時記』(新潮文庫、昭和61年)。

ひとりぐらしをしていた学生時代には、柿などに見向きもしなかったが、結婚してから、子供時代の時のように、ふたたび、柿を食べるようになった。
池波氏がいうように、柿は、あざやかに秋の情景を表現する。

ひとりで暮らしていた学生時代は、ひとりでも生きていけるぞ!なんて粋がっていた部分もありますが、今思い起こしてみると、それは、浮間に漂う根無し草的な実存であったような気がします。
では、今は地に足がついた生活なのかと問われると、いささか自信はないものの、伴侶や子供によって、有る意味、無理矢理つけられ、そろそろ馴染んできたというところでしょうか。

さて、さきほど、子供が幼稚園から帰ってきた。

喧噪が部屋を支配する。

宇治家参去さんは、これから仕事です。

単調な日常を鮮やかに浮かび上がらせる柿でもほおばりながら、地に足をつけた一日をおくっていきましょうかね。

Book 味と映画の歳時記 (新潮文庫)

著者:池波 正太郎
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マエサワの大連  

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 かつての日本の植民地の中でおそらく最も美しい都会であったにちがいない大連を、もう一度見たいかと尋ねられたら、彼は長い間ためらったあとで、首を静かに横に振るだろう。見たくないのではない。見ることが不安なのである。もしもう一度、あの懐かしい通りの中に立ったら、おろおろして歩くことさえできなくなるのではないかと、密かに自分を怖れるのだ。
 それは、彼が生れ、幼年時代と少年時代を送った町である。いや、それだけではない。第二次大戦があと五箇月ほどで終ろうとしていた頃、東京のある大学の一年生であった彼が、抑えがたい郷愁にかられ、病気でもないのに休学して舞い戻った、実家のあった町、そして、やがて祖国の敗戦を体験し、そのあと三年もずるずると留ることとなり、思いがけなくも結婚した町である。
 もっとも、今は、地図や地球儀を眺めても、大連という都会は見つからない。かつて大連と印刷されていたあたりには、旅大という名前が見えるだけである。手頃な辞書をひけば、旅大についてはこんなふうに簡単に書かれているだろう。――中国東北区遼寧省の遼東半島の西南端にあり、大連、旅順、金州、そしてその周辺をあわせた市で、ほぼかつての日本の租借地であった関東州にあたる。

    --清岡卓行『アカシヤの大連』(講談社学芸文庫、1988年)

生まれ育った町でも、長く住んだ町でもない、都下の雑踏のなかで夜風に吹かれながら、「マエサワ(東久留米市前沢)の大連」をめざす。
昨日、終業後、かなり腹が減ったので、バイト君で地元っ子へ、24時以降も開(や)っている安くてうまい店はないのか?とヒアリングの上、ニャンじょーとレッツらゴー。

深夜にもかかわらず大盛況。
屋号が「大連」(前沢店)にもかかわらず、中華屋というよりも定食屋。街道沿いのせいか、朝6時までの営業。しかしその4時間後には開店という20時間営業の定食屋である。

メニューも中華やラーメンだけでなく、酒の肴も豊富で、まさに肉体労働者の居酒屋の風情をかもし出し、結構お客さんが入ってる。帰宅途中のサラリーマン、長距離トラックの運ちゃん、ガテン系の陽気な若者集団、そして、閉店後のお客さんと流れてきたスナックのママさん集団。独り浮いているのが宇治家さんとニャンじょーさんでした。

さて、とりあえず、ビールで乾杯。宇治家さんは、焼き餃子と冷や奴で一杯やりつつ、〆にしょうゆラーメン。ニャンじょーさんは、肉辛味噌炒め定食+らいすおかわりでがっつり食らう。ビール二本飲んで、適当にくっても3000円。ボリュームの割に安い。下手なチェーン店の居酒屋でいっぱいやるよりは魅力的です。

ただ量が多すぎ。

神無月の夜空に乾杯!

アカシヤの大連 (講談社文芸文庫) Book アカシヤの大連 (講談社文芸文庫)

著者:清岡 卓行
販売元:講談社
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新商品って

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新商品って、とりあえず試したりしませんか?
        しかし、おもったより、旨くなかった。
             『ぐびなま冬季限定』のほうです、『吉乃川』は常用酒。

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「祈り働け」(Ora et Labora)

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◇北海道三昧

今日も最後は楽勝で帰宅と思いきや、最後に一発かまされました。市井のお仕事の最終業務が、施設の安全管理点検および防犯監視盤のセットなのですが、なかなかオールグリーンになりません。何度も指摘箇所を点検するが異常なし。どうしようもないので、警備会社に見てもらう。おかげで1時間残業になってしまう。

買い込んでいた北海道セット(?)で、これから一杯です。ちなみに本日の獲物は、北海道限定のSAPPOROクラシック、あわせて大好物のトラピストクッキーが戦果です。もちろんクッキーを肴にビールをあおるわけではありませんが、7月に北海道に行った際、SAPPOROビールばかり飲んでいましたが、北海道限定のクラシックは群を抜いたうまさで度肝を抜かれました。未体験の人は是非。

さて、トラピストクッキーですが、ご存じの通り、トラピスト修道院(宗教法人燈台の聖母)が製造販売しております。ほかにもトラピストビール(ベルギー、オランダ産)もありますがこちらは未体験です。

豆チシキですが、トラピスト会、正式名称は「厳律シトー修道会」(Ordo Cisterciensium Strictioris Observantiae)。岩波の『岩波キリスト教辞典』(2002年)によると、フランスのラ・トラップ修道院の規則に従うシトー会の修道院の総称だとか。祈り、沈黙、禁欲、労働といったシトー会の伝統的精神をより厳しい規律を付して実践する修道会です。日本では、1896年男子トラピスト会が来日、女子は98年来日、北海道を中心に霊性、宣教、司牧、教育、福祉の分野で活躍しています。

近代・現代以降、世界的な世俗化が進行する中で、霊性を尊び、活動する姿には、まさに脱帽です。修道会はもともと「祈り働け」(Ora et Labora)をモットーに連綿とその歴史が刻まれてきましたが(もちろん負の歴史もありますが)、祈りと働きの調和と統合を通して神を賛美する理念は、神を信じるとか信じないとか、私はクリスチャンじゃないとか、そうだとか、そうした垣根をとっぱらってみた一人の人間として(何に祈るかは、ここではといませんが)、そうした人の祈りや労働を純粋に見つめ直す視点は、こんな現代だからこそ大切な考え方だと思います。
わたしも「祈り働き」ます。

で・・・『トラピストクッキー』。濃厚なバターと豊潤なミルクの味わいに悶絶します。

ビールの壁の前で暴れるメカゴジラ2004は息子に頼まれた物件です。

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野人、松茸、秋刀魚の秋

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◇野人たちと
このところハードな話題が続いたので、今日は柔らかな陽光で。
月曜深夜(といっても既に9/4火曜)、野人たちと再び飲む。野人たちとはすなわち宇治家さんの市井の勤務先で使っているバイト君たち。最初は、お約束通り職場の話題から。野人Aは勤務し始めて1ヶ月弱。野人Bはちょうど1年。業務のコツや人間観察を語りつつ、話題は、音楽・文学・映画へと進展する。

若い野人たちとの語らいは宇治家さんにとってなによりの楽しみのひとつ。利害も見栄もない語らいにあっという間に時間はすぎていく。

ジョン・レノンとビートルズ、忌野清志郎と美輪明宏。ゲーテとドストエフスキー。谷崎潤一郎と池波正太郎……。
語らいはいっこうに終わらない。野人たちありがとう!

ふたりと分かれて自転車での帰路で、「ヨイトマケの唄」を歌いながら。

三輪明宏による“ヨイトマケの唄”の動画(YouTube)はこちらから

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◇松茸、秋刀魚
宇治家さんはよく飲んでいます。
ですけど、宇治家参去さんだけ飲むのはよくない!と感じ、今日は家族に寿司をごちそうする。

夕方寿司屋へ向かうが、寿司屋まであと300メートルのところで夕立に遭遇。濡れ鼠になりながら、入店。タオルをもってきてくれた店長さんに感謝。夕方の夕立。ほぼ貸し切り状態で旬の肴を堪能する。
今日の舞台は、花小金井の「ととやみち」。すかいらーく資本の回転すしだが、それなりにいいネタをつかっており(逆に言えば資本力)、週末は繁忙時は1-2時間待ちはざら。今日は平日早めで一番乗り。

好みもあるが、寿司といえば、中トロもすてがたいが、この季節、一番うまいのはなんといっても秋刀魚。脂ののった秋刀魚と薬味のネギが絶妙にマッチ。かけつけ3カンほど喰ってしまう。
限定の焼き松茸に舌鼓をうちつつ、明日からまたがんばろうと思う宇治家三去さんでした。

季節の味覚に感謝。握る板前さんに感謝。そして一緒に食卓を囲む家族に感謝。ついでに、人に感謝できる自分にも感謝。

店から出ると、雨はやんでいた。

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「ととやみち」はこちらから

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ブルックス・ブラザーズとマイルス・デイヴィス

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◇ブルックス・ブラザーズ
昨日も仕事が終わってからバイト君らりほー氏と屋根のあるところ軽く飲む。ジョッキの生ビールを選ばず、久しぶりに瓶ビールを飲む。瓶ビールもなかなかいい。
で……表題通りですが、バンドをやっているらりほー氏、ライブ用の衣装を買ったとのことなので、ファッションの話題でも。
自分の体型の問題もあるので、ジーンズなどは一切はかないし、Tシャツ一丁で出歩くことも先ずない。スーツというか上着で暑くても出歩いてしまいます。そんなスーツやジャケットとして選ぶのは、いうまでもなく、ブルックス・ブラザーズに行き着く。量販店に行けば、それなりの生地で、それなりのスーツを安く買うことは出来るが、そこにはないプラスアルファがブルックスの衣類には存在する。それはいうなればアメリカン・トラッドの自己確信である。
かつて帝王マイルス・デイヴィスは自伝『MILES』(JICC出版局、1990年)のなかで、彼がかつてどれくらいブルックス・ブラザーズの服に憧れて、胸を熱くしていたのか述懐しており、その様がよく分かる。1950年代から60年代前半にかけてマイルスはブルックス・ブラザーズ一辺倒で、今から思えばいかにもミスマッチな感じもいなめないが、その当時は、ブルックスのトラッド・スーツが彼にとってJAZZだったとのだ思う。そんなCDジャケットのマイルスの姿に憧れた宇治家参去でした。

◇坂本九の髪型
「でも、これもまた僕の私見にすぎないわけだが、洋服の着こなし、纏いかたという観点にしぼってものを言うと、最近のアメリカにはそういうかつてのようなカリスマ性を持った「ヒーロー」が見当たらないようだ。音楽においても、映画においてもその傾向はあるけれど、政治家はとくにひどいですね。ブッシュ(引用者註--親父の方)はまああのとおりの、あっち方面の人だからスクエアで古臭いのはしょうがないかとも思っていたのだが、今度の若きビル・クリントンもどうもぱっとしない。上等そうなスーツを着てはいるのだけれど、なんとなくスーツに「着られている」という感じがする。もちろん着こなしがぱっとしなくたって、べつにそれで政治家としての職務に差し支えるわけではもちろんないのだが、でもジョン・ケネディーのスタイルがあの坂本九の髪型まで変えさせたことを思うと、やはりいささか淋しい気がしないでもない。結局のところ、ちょうどアメリカ車の不振がそのままアメリカ経済の地盤低下を象徴しているように、アメリカ的洋服、着こなしの影響力の衰退はそのままアメリカ社会のエスタブリッシュメントの自己確信の衰退に繋がっているのではあるまいか……というのはいささか強引な結論づけかもしれないけど」(村上春樹『やがて哀しき外国語』(講談社文庫、1997年))。

ケネディ兄弟やマイルスの着こなしには、はっとする素敵ななにかがある。彼らはアメリカン・トラッドを実に見事に自信を持って着こなしていた。そこには「洋服を着る」という単純な行為を越えた深く重いもの、すなわちエスタブリッシュメントの自己確信がそのまま、自然な形で滲み出ていたのだと思いますけど、そうすると、有名人だけでなく、自分も、服を着るのか、それとも、クリントンのように「着られている」のか--虚心に見つめ直す一点のように思われてなりません。ネクタイ一本しめる仕草にもちからがはいってしまいます。

やがて哀しき外国語 (講談社文庫) Book やがて哀しき外国語 (講談社文庫)

著者:村上 春樹
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モルモットが来た!

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うちにモルモットが来ました!
とりあえず、名前は、ダイ君(ダイク・雄)。

モルモットについていろいろと調べてみると、日本でのモルモットという言葉の由来は、幕末の1843年、長崎にモルモットが伝来したとき、オランダ語の「マルモット」 (Marmot) が訛ってモルモットとなったことだそうな。純粋な外国語の呼び名ではなく、和製外国語であることに驚き。

うちの子供に生命に関して学んでもらうためには、やはり動物を飼い、その生き死にを見てもらうのが一番いいと、嫁さんが判断し、飼い始めました(犬猫は建物的にNGなので)。

日に2回ぐらい、ケージから出してさわらせていますが、モルモットはどんびきですが、子供は大喜びです。

名前は、冒頭で記したとおりダイ君(ダイクん?)。
ダイクといえば、Band of Brothers のヘタレ中尉・ノーマン・ダイクを思い出すのは私だけでしょうか?

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等身大の思考

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◇家族サービス
嫌いな言葉の一つが、家族サービス。人のために尽くすこと、奉仕がサービスの元意であるとすれば、主人として家族のために尽くす、奉仕するのは当たり前。現実はそんな簡単なことがうまくできないから、人間世界は大変な訳ですが……。
話をもどしますと、今日は、嫁さんと子供が実家から戻ってきてから、初めての私の休日でしたので、家族で外食しました。子供が小さいので、専門店(いわゆる国別料理のたぐい)にはいけないので、行き当たりばったりで食事メニューが丁寧に作られていると評判の近所の居酒屋へ行く。家族サービスじゃないですけど、自分も楽しみ、家族も楽しみ、がっつり食って飲んできました。
おそらく日本ならどこに出もある『庄や』。
夕方5時に入ったのですが、なかなかどうして、サラリーマンよりも、うちと同じようなファミリーの方が多かったのに驚きでした。私と同じように考えている(自分も飲んでハッピー、家族もそれなりにうまいモノ食ってハッピー)世のお父さんたちが多いのかと思いました。チェーン店ですが、『庄や』は他のチェーン店系の居酒屋さんに比べると、値段も少し高いですが、まぁそれなりにうまいモノを出してくれる店だと実感しました。
『八海山』も飲んで大満足!

◇博文約礼
いつも飲み過ぎることがよくあり、家族に迷惑をかけてしまうこともあるので、酒を飲むときは(本来的にはそれ以外のときも)、飲み過ぎないよう心がけていますが、今日は何とか収まりがつき良かったです。

まぁ今日は、自分のモットーにしている言葉を紹介します。すなわち表題通り『博文約礼』です。出典は、『論語』(巻第六 顔淵第十二・15)です(以下、引用は、金谷治訳注『論語』(岩波文庫、1999年))。

子曰、君子博學於文、約之以禮、亦可以弗畔矣夫
子(し)の曰く、博(ひろ)く文を学びて、これを約するに礼を以てせば、亦(ま)た以て畔(そむ)かざるべきか。

すなわち、博く学べ、しかし博識をもって満足せず、礼すなわち実行によって知識をまとめていくことが大切である、そういう意味合いの一節です。
孔子の言葉といえば、一部の専門家をのぞき、封建制度を支えたイデオロギーとして批判され、現在では古くさい道徳としての認識が多いと思います。また嘘くさい政治家の信条としてその文物が利用されたりするところから、誤解もあるかと思います。確かに孔子の思想は後世、体制を支えるイデオロギーとして固定化した側面・歴史的経緯はあったと思いますが、それだけで全否定されるべき考え方ではないと思います。産湯と一緒に赤子まで捨て去る必要はありません。

かつてコロンビア大学のドバリーは、「人間が世界の変革において中心的かつ創造的役割を果たしていると考える点で、儒教は人間中心の思想であった」(Wm.T.ドバリー(山口久和訳『朱子学の自由と伝統』(平凡社、1987年))と語りましたが、儒教(孔子)の発想には、形而上の領域であれ、形而下の領域であれ、常に人間を機軸にした“等身大の思考”の探求があるように思えてなりません。歴史的には皮肉にも体制イデオロギーと化してしまいますが、孔子の言葉に耳を傾けると、『論語』などはまさにそうですが、絶えず「人間」に立ち返り、「人間」の実践を通じて、その正否を検証する営みであったと実感します。

で・・・博文約礼。
なまじ学問なんかにとりつかれていると、博識に満足し、浮世離れしていく側面がなきにしもあらずです。例えば、徳川綱吉は学者としては一流でしたが、人としてはいかがなものかという側面のあった人物で、かつて池波正太郎は、その様を「学問に淫している」と表現しました。たしかに学問をやる以上、対象について余人を挟まない集中は必要ですが、その後どうするのか、改めて検証する必要があると思います。

とはいえ、博文約礼ほど、博識に至ってないヘタレ学者の戯れ言でした。

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秋刀魚と贅沢モルツ(SAPPORO)、福沢諭吉の禁酒

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◇初物をいただく
(学問以外の)仕事を終え、家に帰ると午前1時前。それから、飯を食べるわけですが、といっても総菜だけですけど、本日は、サンマの塩焼きでした。先週あたりから、秋の味覚として、店先に並ぶようになりましたが、今年は豊漁で安くなっています。脂ののった秋の秋刀魚は最高です。焼いてから数時間たったものですけど、レンジでチンして、大根おろしと絞ったスダチで味わいましたが、やはり季節の味覚、芳情で濃厚な舌触りでした。ちなみに日本が誇る名匠小津安二郎も晩年に『秋刀魚の味』(1962松竹)という作品を撮っていますが、興味ある方は是非。ちなみに平蔵は小津安二郎大好きです。
そういう秋刀魚のお供には、やはり秋期限定ビールが似合います。秋季限定モノのビールは、レギュラーアイテムより、麦芽使用率を高め、その分アルコール度数も高くなりますが、濃厚な味わいになっています。これは、夏場は、量を飲むためのビールでしたが、秋口にかけては、量は飲めないけど、濃厚な豊潤な味わいを極めたい!という民需と供給側の思惑の一致から、そうした限定ビールが出されているそうです。本日の相棒は、SAPPORO贅沢モルツです。


◇禁酒する福沢諭吉
そういふ飯と酒の噺ばかり書いていると宇治家参去さんは、酒のみでこの日記も酒飲み日記になっているぞ、との御批評もでてくるかと思いますが、確かにそうです。
ですけど、それだけに終わらせてしまうと意味がないので、一ついい話を。
私の大尊敬する日本人の一人に福沢諭吉がいます。福沢といえば、明治日本を代表する啓蒙思想家であり、一万円札の人物として知られていますが、現実にはちまたではその業績や活動が知られていないのが実情だと思います。アカデミズムの世界でも、一般的には福沢の啓蒙思想家としての側面は評価されても、その思想性はほとんどないと評価されるのが常ですが、そうでもないよなーと思うしだいです。そう思うのは宇治家ばかりではなく、かの、戦後日本を代表する思想家・丸山真男大先生も、一定の距離をおいていますが、福沢を評価しております(丸山の福沢評価に関しては、手短なところで、丸山 真男(松沢弘陽編)『福沢諭吉の哲学』(岩波文庫、2001年)。丸山真男の福沢論に関しては、また別のところでふれようと思いますが、実は、福沢諭吉大先生は、無類の大酒のみだったんですね。

福沢の自伝にあたる『福翁自伝』にもつぎのようなくだりがあります(引用は、福沢諭吉(富田正文校訂)『福翁自伝』(岩波文庫、1978年))。

「(泥酔して巷に迷惑をかけたため福沢は禁酒します--引用者注)また私は酒のために生涯の大損をして、その損害は今日までも身に付いているというその次第は、緒方の塾に学問修業しながら、兎角(とかく)酒を飲んで宜いことは少しもない。これは済まぬことだと思い、あたかも一念ここに発起したように断然酒を止めた。スルト塾中の大評判ではない大笑いで「ヤア福沢が昨日から禁酒した。コリャ面白い、コリャ可笑しい。いつまで続くだろう。迚(とて)も十日は持てまい。三日禁酒でも明日は飲むに違いない」

ですけど、福沢は頑張って禁酒を十日、十五日と続けます。そうすると悪友が曰く、

「キミの辛抱はエライ。よくも続く。見上げてやるぞ。ところが凡(およ)そ人間の習慣は、仮令(たと)い悪いことでも頓(とみ)に禁ずることは宜しくない。到底出来ないことだから。君がいよいよ禁酒と決心したらば、酒の代わりにたばこを始めろ。何か一方に楽しみがなくては叶わぬ」

と、親切らしくいうわけです。福沢は煙草が大嫌いで、その害悪を説いて回る人物でしたが、「忌(いや)な煙を無理に吹かして、十日も十五日もそろそろ慣らしている中に、臭い辛いものが自然に臭くも辛くもなく、だんだん風味が善くなって来た」となるわけです。

しかし問題は酒です。

「凡そ一ヶ月ばかり経って本当の喫煙客(タバコノミ)になった。ところが例の酒だ。何としても忘れられない。卑怯とは知りながら、一寸(ちよい)と一盃やってみると堪らない。モウ一盃、これでおしまいと力んでも、徳利を振ってみて音がすれば我慢ができない。とうとう三合の酒をみな飲んでしまって、また翌日は五合飲む。五合三合従前(モト)の通りになって、さらば煙草の方はのまぬむかしの通りにしようとしても、これも出来ず、馬鹿々々しいとも何とも訳が分からない。迚も叶わぬ禁酒の発心、一ヶ月の大馬鹿をして酒と煙草の両刀遣いに成り果て、六十余歳の今年に至るまで、酒は自然に禁じたけれども、煙草は止みそうにもせず、衛生のために自ら作(な)せる損害と申して一言の弁解はありません」。

とのことだそうです。
福沢は自伝だけでなく、その書き物を読むと人間味あふれる人です。福沢の大酒飲みの噺は有名だそうですが、酒を禁酒しようとして結局嫌いな煙草にまで手を染め、欠かせなくなったというエピソードは、その証左だと思います。
そういえば、大学の学部生時代(慶應義塾)、大学の授業の休講などを知らせる掲示板には、教授であろうと「○○君」と記名されていました。これは、慶應義塾にとっては、先生と呼ぶべき対象は、創立者の「福沢諭吉」ただ一人で、その以外の教員は、同等に「~君」で読んでいたものの名残だと聞いたことがあります。現在においては、もちろん形骸化した部分もあると思いますが、それだけみんなから慕われていた人間・福沢を感じさせるエピソードだと思います。

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