【研究ノート】

書評+研究ノート:シーナ・アイエンガー(櫻井祐子訳)『選択の科学 コロンビア大学ビジネススクール特別講義』文藝春秋、2010年。


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 コカ・コーラは一八八六年に発明されて以来、攻撃的でしばしば巧妙な広告戦略を通じて、消費者の心とアメリカ文化の中にしっかりと根を下ろしてきた。コカ・コーラ者は、イメージが製品そのものより重要だということに、いち早く気がついた企業だ。この一世紀の間に数十億ドルもの資金を投じて、あのどこでも見かけるトレードマークと、特別な色合いの赤で塗られたおなじみの缶を、テレビ・コマーシャルや雑誌、広告、そして特にハリウッド映画に登場させてきた。コカ・コーラの看板は一九三二年以来、マンハッタンのツー・タイムズスクエア・タワーの看板の下段を占めている。同社は第二次世界大戦中、前線の後方でコーラを瓶詰めするために、二四八人もの「技術顧問」を海外に送った。また人気画家のノーマン・ロックウェルに、アメリカの農場の少年たちが海水浴場でコーラを飲んでいる絵を描かせた。世界中から集まった若者たちが丘の上で「世界にコーラをおごりたい」と歌った七〇年代のコマーシャルを覚えている人がいるだろうか? あの歌は、トップテン・ヒットになった。人々はお金を払ってまで、コカ・コーラのCMソングを聴いていたのだ! コーラは単なる飲み物以上の存在なのである。
 サンタの服がコーラのラベルとまったく同じ色の赤だということに、あなたは気づいていただろうか? それは偶然ではない。コカ・コーラ社はこの色の特許を取得している。サンタクロースは明らかに、コカ・コーラの宣伝マンなのだ。
 それだけではない。わたし自身の経験から言えば、コーラは自由を象徴する。わたしがベルリンに行ったという話は前にした。一八九八年一一月のベルリンの壁崩壊に続く祝典では、缶コーラが無料で配布された。それから何年もたった頃、コカ・コーラのマーケティング・キャンペーンについて研究しているとき、初めて無料コーラのことを思い出したのだった。そうだ、自由の象徴として讃えられたあの日、わたしはたしかにコーラを飲んだのだ。壁から削り取った色とりどりの破片を左手に持ち、右手にはコーラ缶を握っていた。もしかしたらわたし自身のコーラ好きも、そのとき動かぬものになったのかも知れない。わたしの中ではこのとき、コーラが、自由やそのほかのアメリカの理想と結びついたのだ。
 二〇〇四年にタイムズスクエアの新しいコカ・コーラの看板がお披露目されたとき、ニューヨーク市長のマイケル・ブルームバーグは、テレビの全国放送でこう言った。
 「この看板は、何よりもアメリカを象徴しています……。コカ・コーラ社は、これまでずっとニューヨーク市の偉大なるパートナーであり、アメリカの偉大なるパートナーでした。コカ・コーラ社は、すべての善きものを守るために戦ってきたのです」
 わたしたちはこうしたメッセージに絶えずさらされており、その結果として、コカ・コーラのロゴを見るたびに良い気分になる。そしてこのような良い感情が、飲料の味にふくらみを持たせる。コーラの味は砂糖と天然香味料だけではない。自由の味がするのだ。
    --シーナ・アイエンガー(櫻井祐子訳)『選択の科学 コロンビア大学ビジネススクール特別講義』文藝春秋、2010年、200-202頁。

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シーナー・アイエンガー『選択の科学 コロンビア大学ビジネススクール特別講演』文藝春秋、読了。本書は盲目の女性シク教徒の著者が「選択」をテーマに、社会心理学における知見をまとめた一冊。根本的には、自分の選択に責任をもつことの重要性を各種、実験から明らかにする。

選択肢の過多は必ずしも合理的選択とはならないし、一見すると強制に見えるものが、かえって選択者を活かすこともある。人生は、運命、偶然、選択という3つの観点で語ることができると著者は言う。本書で紹介される豊富な実験は、流行本ながら思考をリセットするうえで有効か。

個人的には……おそらく文脈からはずれるであろうが……野家啓一さんの『物語の哲学』(岩波書店)で語られる「物語論的歴史哲学」を想起。選択の意義を問う(=責任を持つ)とは、物語ることの普遍的意義とも連関か。これは後日の課題。

選択後の自己認識を、今のご時世は全て「自己正当化乙」式で片づけてしまう早計さがあるような気がする。勿論パターナリズムにみられる「正当化」は不要ですけど、自分自身のなかで、価値的に整合性をつけていく「物語る」力には、人間をよりよく活かす力があるような気がしてほかならない。

何らかの失敗をしたとき、それを吟味することは必要不可欠だと思う。しかし、なにぶん、現在は「早急な社会」--。そういう反芻すらも「言い訳探しかッ ゴルァ」ってなってしまうと不毛な気がする。失敗したときだけでなく首尾よくいったときも検討することは必要なのではないでしょうか……ね。

http://hon.bunshun.jp/sp/sentaku-kagaku


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シーナ・アイエンガー
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丸山眞男「内村鑑三と『非戦』の論理」についての覚え書

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『丸山眞男集』第5巻(岩波書店)読了したので所収の『図書』(岩波書店、1953年4月号)に掲載れた「内村鑑三と『非戦』の論理」について覚え書き。

「明治の思想史において最も劇的な場景の一つは、自由と民権と平和のわれ人ともに許すチャンピオンが…相次いで国家主義と帝国主義の軍門に降って行く姿」で始まる短評で、「現実を正当化する論理」をはね返す内村鑑三に注目し、自称リアリストの論理の欺瞞を撃つ。

不敬事件から日清戦争を経て日露戦争へ至る歩みは「リアリズム」による帝国主義の肯定、そして天皇制イデオロギーに対する諸宗教の降伏と馴化。勿論、キリスト教徒も例外ではない。その文脈から丸山は、いかに内村が「後天的」な反戦思想家になったかを概観する。

リアリズムはどう転じるのか。対露関係の切迫化は、「『しか有ること』と『しか有るべきこと』を区別した瞬間、その『リアリズム』は彼等の主観的意図を越えて、しかある現実を正当化する論理に転じた」。勿論、内村自身、「先天的」な反戦思想家だったわけではない。

日清戦争時には「朝鮮戦争の正当性」と主張しているし、積極的な主戦論者だから「転向」ともいえる。ただ「大抵の思想的転向は客観的情勢に押され、その流れに沿っての転向であるのに対し、内村の場合は逆に一般的思潮の推移と正反対」への歩みだった。

日清戦争がもたらしたものは何か。朝鮮の独立は返って低下し「東洋全体の危殆の地位」をもたらした。素朴な愛国の情熱が強かっただけ出に、それだけ内村の失望と悔恨は大きい。「それがそのまま戦争否定への精神的エネルギーに転化」するのである。

「全く利慾のための戦争でありしを悟て、余は良心に対し、世界万国に対し、実に面目なく感じた」(「内村余の充実しつゝある社会改良事業」)。リアリズムは時流を肯定する「方便」「言い訳」へと転じていく。それに対して、内村の場合は、精査・反省から反転公正へとうって出る。

注目したいのは(そして、言うまでもないが)、内村は変節ではないという点。反省をして転じていくのである。それに対して、当時の平和から義戦へという「転向」翼賛論者は、過去を精査・反省という契機が殆ど無いという点。これは当時だけの状況ではないだろう、今も同じ。

丸山の腑分けは、内村非戦論が信仰の立場からの演繹的な帰結だけではなく、「帝国主義の敬虔から学び取った主張」と見抜く。即ち「彼の論理に当時の自称リアリストをはるかにこえた歴史的現実への洞察」である。

総力戦としての利欲を目的とする近代戦争とは「目的を達成するための手段としての意義を失いつつあること」。「正義の戦争」と「不義の戦争」の区別を非現実的なものして行くだろうと内村は、その本質を見抜いていく。「戦争は勝つも負けるも大なる損害」(「戦争廃止の必要」)。

「戦争は戦争を生む、…軍備は平和を保障しない、戦争を保障する」。内村の言葉「世界の平和は如何にして来る乎」)を引きつつ「内村の論理がその後の半世紀足らずの世界史においていかに実証されたか、とくに原爆時代において幾層倍の真実性を」加えたかは説くまでもないと丸山。

内村をあざけり、あっぱれリアリストを以て任じた人々が次々と主張をそれとなく転変していくこと。そして反省から「転向」し罵倒されていく内村の立場と「いずれが果して歴史の動向をヨリ正しく指していたか」。「これは単に学校の試験問題ではない」としめくくる。

以上が概要。ここで考えたのは、内村の場合、思想信条や歴史認識から「転向」したということ以上に注目したいのは、自身の誤りをきちんと反省できる人間であるからこそ、「ヨリ正し」い方向へ展開できたという点。対照的なのは、非戦論から正義戦争論への系譜、全く逆である。

後者の場合、そこには「反省」も「自己認識」もナニモナイ。歴史の推移だから「必然」とし、「転向」していくのである。ここはおさえておくべきかも知れない。人間は誤り易きものであることは言うまでもない。

しかし自己確認としての精査が無いままずるずるべったりに展開していく恐ろしさは自覚的であるべきであろう。問題なのは思想や考え方が変わることではない。変わることに対してどこまで誠実であることができるかだ。そこに目を瞑ったまま、推移していくことほど恐ろしいことはない。

内村の日清から日露への転回はキリスト教信仰に基づく観点からの指摘には枚挙の暇がない(大正期の再臨運動も視野にいれつつ)。しかし、それをリアリズムと歴史認識の観点、そして「率直」な内村の反省できる「精神」に見出す丸山眞男の「読み」にはたまげてしまった。

前年にサンフランシスコ条約が効力開始、この文章を執筆後に朝鮮戦争は終結する。恩師の一人であり内村門下南原繁は戦後すぐに「曲学阿世の徒」と罵倒。8年前の「総懺悔」は「反省」という契機を割愛したまま、めきめきと復権・定着する時世。それへの批判もあるだろう。

しかし、この丸山の認識は過去のものではないし、現在進行形の問題でもあるし、未来に出来する事柄でもある。人間は立場を変えていく。こっそり変節するのか。自己認識を踏まえた上で「転回」していくのか。ここには大きな違いがある。そして権力とは「反省」しないものでもある。

明治キリスト教世界において、変節の巨頭は海老名弾正であろう。海老名は「罪」の意識が希薄だ。対して「罪」意識の高潮は植村正久、しかし植村の場合、脆弱な境界の橋頭堡を守ることで権力とバーターという苦渋を選択する。内村とは対照的である。

因みに海老名門下の基督者が吉野作造である。吉野も極めて「罪」意識が希薄である。しかし、自身の過去の言説と現在の現在の「転回」に関しては必ず「反省」をして転回していく。ここは興味深い。日露戦争では愛国者のそれである。しかし最終的には無政府主義。

丸山の分析ではありませんが、宗教的信念だけでない様々な要素が同じような発想であったとしても、それぞれを弁別していくのは確かだろうと。まあ、「過去」と「現在」の整合性への専念よりも、それをその人がどう認識した上で転回しているのかはチェックすべきですね。

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研究ノート:内村鑑三とロシア

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 ケーベルを介して「ロシア」が日本に入ってきていたことと関連して、内村鑑三とロシア思想家の関係を簡単に紹介しておきたい。内村とロシアとの関係は、一九〇三(明治三六)年に日露戦争を前にして内村が非戦論をとなえたことから、ロシアで同じ声をあげたレフ・トルストイとの思想的関連ばかりが強調されてきた。しかし宗教思想家としての内村については、ドストエフスキーやその若い友人の宗教哲学者ヴラヂミール・ソロヴィヨーフとの関連にも目をむける必要がある。内村のキリスト再臨の信仰や、神のはからいとしての世界史の見方は、その内奥にはキリスト教の神秘主義を含んでおり、それはドストエフスキーやソロヴィヨーフが生々しいヴィジョンとして抱いていたものである。
 内村自身、一九一八(大正七)年の説教「ツルーベツコイ公の十字架」で、ロシアの思想家への共感を語り、ロシアの思想家にはヨーロッパ人の理性とは違う「アジア人の情性」がある、「ロシア人の思想が日本人に了解せられやすきはすなわちこのゆえである。キリスト再臨につき最も深き印象を余に与えた者も、同じくロシア人たるウラジミール・ソロヴィエフ〔ママ〕であった」と告白している。
 また内村の一九二二年の日記には、チュービンゲン大学のハイム博士と会ったが、博士が「キリスト再臨信者であるのに、余は深く驚いた。博士は、同信の士としてドストエフスキー、メレシコフスキーらの大家を挙げた。実に愉快の至りである」と書いている。
 北大図書館蔵の内村文庫の一冊にアルセーニエフ著『神秘主義と東方教会』の英訳がある。内村はこの英訳が出版された一九二六年にすぐに取り寄せて読んでいる。アルセーニエフがドストエフスキーについて書いている箇所には例外なく太いアンダーラインが引かれて、例えば『カラマーゾフの兄弟』のゾシマ長老の「兄弟たちよ、人間の悪意を恐れてはならぬ」ということばには、「無政府主義者に対しても」という書き込みがなされている。内村鑑三は「アジア人の情性」を持つロシアの思想家に触発されていたのである。
 ニコライについては内村は核心をついたことを言っている。
 「予がニコライ師に対して殊に敬服に耐へないのは、師が日本伝道を開始せられて以来、彼の新教派の宣教師の如く文明を利用することなく、赤裸々に最も露骨に基督を伝へた事である」(「美しき偉人の死」、『正教時報』大正二年二月一〇日号)
 内村はニコライの葬儀に参列した。その後しばらくしてかれは駿河台を訪ね、「ニコライ師が五十年間の生活をせられた室内を参観」し、その質素な遺品を見て「深き感動」を受けたという。
    --中村健之介『宣教師ニコライと明治日本』岩波新書、1996年、160-161頁。

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内村鑑三(1861-1930)とロシアの思想家といえばやはりトルストイ(Lev Nikolajevich Tolstoj,1828-1910)という脊髄反射をしてしまいそうになりますが、決してそれだけではなかったという箇所を非常にコンパクトにまとまった一文がありましたので紹介しておきます。

プロテスタンティズム、カトリシズムにくらべると、やはり、(ロシア)正教関係というのは、日本ではなかなか広まっていないといいますか、理解がまったくすすんでない分野の一つなのですが(といっても前二者に関しても正確な理解が定着しているのかと問うた場合、!!!と疑問が大きく出てしまいますが)、その最初の巨人であるニコライ師(Nicholas of Japan,1836-1912)の足跡をたどった新書の中に一節がありましたものですから、冒頭に掲げさせていただきました。

しかし、ホント、内村鑑三の再臨思想というものは、西洋の着物を来たキリスト教@遠藤周作(1923-1996)という観点だけでは理解しがいものがありますから、そのヘンの思想的交流・影響関係をきちんと整理してみるとおもしろい発見が沢山ありそうですね。

……ってことで、このへんで。

すいません、なかなか忙しいものでして・・・。

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「近代社会は、あらゆる側面において、基本的に文書化されることで組織されている」

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 僕は東大の駒場キャンパスで一九九六年から足かけ三年間、「立花ゼミ」というのを開講しまして、そのゼミのタイトルは最初の二年は「調べて、書く」、三年目は「調べて、書く、発信する」としました。
 タイトルを「調べて、書く」にしたいといったら、東大の世話役のセンセイにエエッ? と驚かれましたが、僕は「調べて、書く」ことこそが教養教育の一番のポイントであると思っていたし、いまも思っています。この「立花ゼミ」の課程でできたのが『二十歳のころ』、『環境ホルモン入門』、『新世紀デジタル講義』という三冊の本(いずれも新潮社刊)です。『二十歳のころ』のはしがきで、なぜ、「調べて、書く」なのかということについて次のように書いています。

 さて、なぜ「調べて、書く」なのかといえば、多くの学生にとって、調べることと書くことがこれからの一生の生活の中で、最も重要とされる知的能力だからである。調べることと書くことは、もっぱら私のようなジャーナリストにだけ必要とされる能力ではなく、現代社会においては、ほとんどあらゆる知的職業において、一生の間必要とされる能力である。ジャーナリストであろうと、研究職、法律職、教育職などの知的労働者であろうと、大学を出てからつくたいての職業生活のかなりの部分が、調べることと書くことに費やされているはずである。近代社会は、あらゆる側面において、基本的に文書化されることで組織されているからである。
 人を動かし、組織を動かし、社会を動かそうと思うなら、いい文章が書けなければならない。いい文章とは、名文ということではない。うまい文章でなくてもよいが、達意の文章でなければならない。文章を書くということは、何かを伝えたいということである。自分が伝えたいことが、その文章を読む人に伝わらなければ何もならない。
 何かを伝える文章は、まずロジカルでなければならない。しかし、ロジックには内容(コンテンツ)がともなわなければならない。論より証拠なのである。論を立てるほうは、頭の中の作業ですむが、コンテンツのほうは、どこからか材料を調べて持ってこなければならない。いいコンテンツに必要なのは材料となるファクトであり、情報である。そこでどうしても調べるという作業が必要になってくる。
 調べて書くということは、それほど重要な技術なのに、それが大学教育の中で組織立って教えられるという場面がない。これは大学教育の大きな欠落部分だと思う。といっても、調べて書くということは、そうたやすく人に教えられるものではない。それは抽象的に講じるだけでは教えることができない。どうしてもOJT(on the job training 現場教育)が必要である。そう考えて、このゼミナールをはじめたのである。

 ここに書いたように、「調べて、書く」ことこそ、教養の基本です。「知識」としての教養ではなく、「技」としての教養の基本です。それこそ、高等職業人の身につけるべきリテラシー(読み書き能力)そのもののわけです。
 人間の知的能力の基本は言語能力にあります。人間の文化はすべて、言葉を道具として使いこなすことによって発達してきました。だから昔から、学問のあることとと読み書きのできることが、同じliterateという言葉で表現され、その能力がリテラシーと呼ばれてきたのです。中世の大学が基本教養として教えた三学四科の三学とは、文法学、修辞学、論理学のことです。この三学が言語能力の基本だから、そこに力点を置いたのです。この三学の上に、文章能力、スピーチ能力、対論能力、説得力、考える力が築かれるわけです。それさえ身につけることができれば、この社会に乗りだしていくことができます。
 「調べて、書く」という場合には、この言語能力にプラスして、調べる能力が必要です。書く前に、そもそも書くに足る内容を見つける能力が必要だということです。自分が書こうとしているテーマに関して、情報を集め、それを取捨選択し、整理して、その中から書く能力を組み立てていく情報整理能力が必要です。その前に情報探索能力が必要だし、その前にまずもって何よりも自分のテーマを見つけるための問題発見能力が必要です。
    --、立花隆『東大生はバカになったか 知的亡国論+現代教養論』文春文庫、2004年、270-273頁。

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以前、ツイッターで立花隆(1940-)氏の「近代社会は、あらゆる側面において、基本的に文書化されることで組織されている」という議論を紹介したかと思いますが、一応、その出典といいますか前後の部分を紹介しておきます。
※ノンフィクション作家としてではなく知的啓蒙者としての氏の議論には賛否両論ありますがここではいったん措きます。

ホントは、『二十歳のころ』(新潮文庫)が初出になるのですが、立花氏自身が『東大生はバカになったか』(文春文庫)でそれを紹介しながら、補足する議論を展開しておりますので、こちらになった次第です。

いろいろ気になる言及になるのですが、

①調べて・書く・発信する能力ということ。
②「知識」としての教養ではなく「技」としての教養ということ。
③本来の大学教養のありかたとその展開ということ。

そして……④「近代とは……そしてそれがかぎりなく連続性として続いている現代もそうですが……どういう社会なのか」ということ。

時間のあるときに少し、この4点を詳論したいと思います。

このところ、忙しくて時間がなく、紹介で終わりというパターンが多くてすいません((((;゚Д゚)))))))

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【研究ノート】ジジェク:自己の存在が他者性とどのように交差するのか……。

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 自身の責任を完全にとることの不可能性は、〔人が体験を〕物語として再構成する際につきものの、単純化できない主体と主体の間の文脈によっている。私が自らの人生を物語として再構成する際には、必ず主体間の一定の文脈内で行うのだ。<他者>が呼びかける命令に答え、一定の形で<他者>を扱っている。(無意識な)動機やリビドーの関与を含めた背景を、物語の中で充分に平明な形で明らかにすることはできない。記号体系の物語において自分を完全に説明することは理論的に無理であり、<汝を知れ>というソクラテス的な命令に従うことはア・プリオリな構造上の理由により不可能なのだ。規則的・象徴的な伝統の実質のみならず、身体的・欲求的な<他者>の実質、<他者(たち)>に開かれ、たまらなく傷つけられやすい自分、主体としての自分の立場--これらの実質が<他者>との繋がり次第であるためである。しかし<他者>への決定的な露出がもたらす根本的な脆弱性は、私の倫理的な地位(自主性)を制限するどころか、基礎づける。個人を人間たらしめ、我々が彼・彼女に責任を持ち手助けする義務を生じさせるのは、相手の有限性と弱さなのだ。この根本的な露出/依存性は、「私は自分の主ではなく、自身を超越した力によって行動が左右されている」ために究極的には責任を負っていないのだと、倫理を切り崩すわけではけっしてない。そればかりか、互いの脆さと限界を受け入れ、尊重しあう個人の間に、適切に倫理的な関係を切り開くのである。ここで要となるのが、<他者>の不可解性と、自分自身の不可解性が連動している店だ。それらは、自らの存在が<他者>への根本的な露出に基づくがゆえに繋がっている。他者と突き合わされても、私は自分を充分に説明することなどできない。この<他者>への露出に対して自らを閉ざしたり、意思によらないものを意図されたものに置き換えたりすべきではないと強調することで、バトラーはニーチェの思想の核心部分異論を唱えてはいないだろうか? <同じ世界>の永劫回帰を願うという彼の立場は、まさしく、我々が与えられたままに投じられた状況にあるという意思によらない全てのことを、何か<意図された>ものに移しかえるものなのだから。
 そうして、倫理の第一歩は、絶対的に自己を措定する主体という立場を諦め、自らの露出/投げ出された事実、<他者(性)>による圧倒を認識することである。我々の人間性に制約を加えるどころか、この限定は人間性の積極的な条件である。有限性の自覚がほのめかすのは、根源的な容赦と寛容の「生き、生かせ」というスタンスだ。私は<他者>を前にして自分を説明づけることなどできず、また<他者>によっても他者自身は謎であるため、彼・彼女から「あなたは誰?」という質問への答えを得ることはできない。すなわち<他者>を意識することは、<他者>を理性的、善良、愛すべきといった、明確に定義された範囲で捉えることに終始するわけではない。相手自身の不可解で不透明な渾沌の中で、相手を認識することなのだ。
    スラヴォイ・ジジェク(岡崎玲子訳)「人権の概念とその変遷」、『人権と国家--世界の本質をめぐる考察』集英社新書、2006年、145-147頁。

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人権の概念の立ち上がりとその変遷を概観するジジェク(Slavoj Žižek,1949-)の議論の一節から。

自己の存在が他者性とどのように交差するのか……。

興味深い一節です。

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研究ノート:ケルゼン、多数決原理の由来としての自由の概念

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 自由の理念から、多数決原理が導き出さるべきものであって--多く起りがちであるような--平等の理念からではない。人間の意思が相互に平等であるということは、多数決原理の前提とはなりうるだろう。しかし、この平等であるということは単なる比喩であって、人間の意思や人格を有効に測量し、計算しうるということを意味するものではない。多数票が少数票より大きい全重量をもっているという理由で、多数決原理を弁護することは不可能であろう。ある者が他の者よりも値打ちがない、という純粋に否定的な推定からは、多数の意思がだとうせねばならぬということをいまだ積極的に推論することができるものではない。もし多数決原理を平等の理念からだけ導き出そうと試みるならば、それは独裁主義の立場から非難するように、事実上あの純機械的な、しかのみならず無意味な性格をもつことになる。多数者が少数者より強いということは、間に合わせに構成せられた経験上の表現にすぎないのであろう。そして「力は正義に勝つ」という格言は、それ自らを法規に高める限りにおいてのみ克服せられるであろう。ただ--たといすべてでなくとも--できるだけ多数の人間が自由である、すなわちできるだけ少数の人間が、彼らの意思とともに、社会秩序の普遍的意思と矛盾に陥らねばならぬ、という考え方だけが、多数決原理への合理的途上に導くものである。その際平等が当然にデモクラシーの基本仮定として前提せられることは、この者とかの者との値打ちが同じだから、この者とかの者とが自由でなければならぬという天にあるのではなく、できるだけ多数が自由でなければならぬ、という点にまさに表明される。そこで国家意思の変更を導き出すために、より少ない他人の個人意思と合致することが必要であればあるほど、個々の意思と国家意思との一致符号はますます容易となる。絶対的多数はここにおいて事実上最高の限界を明示する。国家意思がその創造の瞬間において、より多くの個人意思と一致するよりは矛盾する、という可能性はより少なくなるであろうし、少数が国家意思を--その変更を妨げることによって--多数に反対して決定しうる可能性は、より多くなるであろう。
    --ケルゼン(西島芳二訳)『デモクラシーの本質と価値』岩波文庫、1966年、39-40頁。

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オーストリア出身の公法学者ハンス・ケルゼン(Hans Kelsen,1881-1973)の古典的名著『デモクラシーの本質と価値』の多数決原理に関する記述のところ。

多数決原理は平等“性”を担保する装置の一つですが、平等に由来するのではなく自由に由来するというくだりが非常に興味深いですね。

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【研究ノート】新渡戸稲造の愛国観……人道正義の競争として

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 我国には国を愛する人は多くあるが、国を憂うる人は甚だ少い。しかしてその国を愛するものも盲目的に愛するものがありはせぬかを虞る。かつてハイネの詩の中に、仏人が国家を愛するは妾を愛する如く、独逸人は祖母を愛する如く、英国人は正妻を愛するが如くであるというた。妾に対する愛情は感情に奔ることが多く、可愛い時には無闇に愛するが、ちょっと気に入らぬ時にこれを擲打するに躊躇せぬ。祖母を愛するのは御無理御尤一天張りである。正妻を愛するのは、妻の人格を重んじ、自己の家と子供との利害を合理的に考え合せて愛するので、妻に過ちがあればこれを責めて改悛させるその愛情は一時的の感情に止まらぬのである。世人はよく国債の関係には道徳なく、正義人道が行われないというものもあるが、我輩の見る所では、決してこれらのものが皆無であるということはない。こんにちはいまだ何事もこれらの標準によりて決せられるるとは言い難いのではあるが、しかし早晩国の地位を判断するには正義人道を以てする時が来るのである。近頃は何れの国でもその心事を隠すことが出来ない、国民の考えていること、政府の為したことは、殆ど総て少時間の後に暴露し、列国環視の目的物となる。そこで世界の各国が一刻を判断する時には、その言うこと為すことの是非曲直を以て判断する、あるいはその代表者が如何なる言を発したか、如何なる行動を執ったかによりて判断する、またある国が卑劣であり、姑息であり、陰険であり、または馬鹿げたことをすれば、それは直に世界に知れ渡るのである。従てある国が世界のため、人道のために如何なる貢献をなしたかは、その国を重くしその威厳を増す理由となる。国がその地位を高めるものは人類一般即ち世界文明のために何を貢献するかという所に帰着する傾向が著しくなりつつある。
    --新渡戸稲造「真の愛国心」、『実業之日本』二八巻二号、1925年1月15日。

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1925年年頭の『実業之日本』に寄せた新渡戸稲造(1862-1933)の「真の愛国心」の末尾の部分。

様々な愛国の形を振り返りながら、これまでの愛国なるものが結局の所愛国の対象そのものをそこなってきたなかで、他者に関わる正義人道を立脚をもってして「愛国」を完遂すべしと論じたものです。

時代の趨勢は、「従てある国が世界のため、人道のために如何なる貢献をなしたかは、その国を重くしその威厳を増す理由となる。国がその地位を高めるものは人類一般即ち世界文明のために何を貢献するかという所に帰着する」と予見しましたが、現実にははなはだ遠いところがございますが、そうせしめる努力というのは今こそ必要かも知れません。

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【研究ノート】トインビー 「歴史は繰りかえすか」

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 結論はこうなるのであります--人間の歴史は、人間の意志がその周囲の情況の主人たるに最も近い状態にあり、また物理的自然の循環に支配されることの最も少ない状態にあると見られるような人間活動の分野においてさえも、ある一つの重要な意味において、現在に至るまでその時と場合によっては反覆していることが証明されるのであると。それではわれわれはさらにこれを一歩進めて、結局のところ決定論者が正しく、自由意志と見えるものは一個の幻影に過ぎないと結論すべきでありましょうか。筆者の意見では、正しい結論はまさにその反対なのであります。筆者の見るところでは、人間世界に現われ来るこの反覆への傾向は、創造能力に備わるところの今さら別に珍しくもないからくりの一つを例証する一例に外ならないのであります。創造作用から生み出されるものは一つ一つ単独にではなくひとからげの束になって生まれるのであります--一種を代表する一束の生物とか、一層を代表する一束の種とかいうかたちで現われるのであります。ところでこうした反覆の価値というものは、よく考えて見れば決して判定しがたいものではありません。もしも一つ一つの新種の被創造物が、多数のかごに分けて納められた多数の卵というあたちで生み出されないならば、創造作用といってもそれは第一歩を踏み出すことすら容易ではありません。そうでなければ創造者が人間であるにせよ神であるにせよ、どうして、創造者は大胆で収穫に富む実験のための充分な材料と、必ず起るにきまっている失敗を取り戻すための有効な手段とを用意することが出来ましょうか。もしも人間の歴史が反覆するものとすれば、それは宇宙の律動一般に呼応して反覆するだけのことであります。しかし反覆のこの型(パターン)の意義が何であるかといえばそれはまさに創造作用が一歩前進せしめられんがためにこそ反覆の与えるところの活動余地という点に存するのであります。このように考えてくるならば、歴史における反覆の要素は、神と人間が運命の奴隷であることの指標ではなくして、かえって、創造活動の自由のための一個の手段であることが示顕されてくるのであります。
    --トインビー(深瀬基寛訳)「歴史は繰りかえすか」、『試練に立つ文明』現代教養文庫、1966年、52ー53頁。

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歴史家・トインビー(Arnold Joseph Toynbee,1889-1975)の卓見!

歴史は繰り返すのか、それともそこに創造活動の自由のための契機を見出すのか。
カント(Immanuel Kant,1724-1804)の人間の自律の概念を彷彿とさせるものがありますねえ

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何らかの弁明の理由がありうるとしても、奴隷制が、奴隷や社会にとっての不利益を十分に上回る利益を奴隷所有者にもたらすということは、決して奴隷制についての弁明の理由ではありえない

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 奴隷制の一定の黙認が正当化されているか、あるいは多分それよりはましであろうが、その弁明の理由があるという状態を検討してみるならば、これらの状態がかなり特殊な種類のものであることがわかる。おそらく、奴隷制は過去から受け継いだものとして存在しており、それを徐々に取りこわしてゆくことが必要であることもわかるであろう。時には、奴隷制が、以前の制度よりも一歩前進したものと考えられることもあろう。さて、特殊な状況の下での奴隷制については、何らかの弁明の理由がありうるとしても、奴隷制が、奴隷や社会にとっての不利益を十分に上回る利益を奴隷所有者にもたらすということは、決して奴隷制についての弁明の理由ではありえないのである。このような仕方で論じる人は、おそらく途方もなく的はずれな議論をしているわけではないが、道徳的な誤りをおかしているのである。道徳的諸原理の序列についての彼の考え方には混乱がある。というのは、奴隷所有者は、彼自身の認めるところによっても、奴隷所有者として彼が受けとる利益については、いかなる道徳上の権利ももっていないのである。奴隷と奴隷所有者の双方の各々の地位の基礎を成している原理を、奴隷が承認する用意がないのと同様に、奴隷所有者も、それを承認する用意はないのである。奴隷制は、彼らが相互に承認しあうことのできる諸原理と合致しないのであるから、彼らは各々、奴隷制が不正義であるということに同意すると想定されるであろう。奴隷制は、承認すべきでない要求を承認し、そうすることによって、拒否すべきでない要求を拒否するのである。それ故、自分達の共同の実践の形態を論じている一般的状態にある人々の間では、ある実践が、これらのまさに拒否されるべき要求を容認しつつ、それにもかかわらず、それが現存の諸利害に一層効率的に適合しているということは、その実践を支持する理由としては提示されることができないのである。それらの要求の充足は、まさに要求の性質からして、重要性をもたないものであり、利益と不利益のどのような一覧表の作成にあたっても記入することのできないものである。
 さらに、道徳の概念から、奴隷所有者が、奴隷に対する自分の地位は不正義であると認めるかぎりにおいて、奴隷所有者は自分の要求を押しつけることを選ばないであろう、ということが導き出される。奴隷所有者が自分の特別の利益を受けとることを欲しないということは、彼が奴隷制を不正義であると考えていることを示す方法の一つである。それ故、彼らのために実践が設計されており、実践の利益が彼らのところへ流れてゆく、そのような人々が、その利益に対していかなる道徳上の権利をももたないことを認め、その利益を受けとることを欲しないならば、その場合、ある実践のもたらす不利益よりも利益の方が大きいということが、その実践をもつことの一つの根拠である、と立法者が考えるのは誤りであろう。
 これらの理由により、正義の諸原理は特別の重みをもっている。そして、欲求の最大限の充足という原理との関連では、自分達の共同の実践の理非を論じる人々の間の一般的状態において引き合いに出したように、正義の諸原理が絶対的な重みをもっている。この意味において、正義の諸原理は偶然的なものではない。これは、正義の諸原理を実際に満たしている実践については、功利主義的な意味での効率という一般的仮定(それが存在すると仮定して)によって説明することのできる説得力よりも、正義の諸原理の説得力の方が大きいという理由によるのである。
    --J・ロールズ(田中成明訳)「公正としての正義」、田中成明編訳『公正としての正義』木鐸社、1979年、61-63頁。

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「不正義」であるのは奴隷制だけじゃないでしょうねえ。

奴隷制以外のその他もろもろの考え方のなかにも、「不正義」であるにもかかわらず一定の「弁明の理由」があるから「正義」とはいわないまでも「不正義」ではないとするマヤカシの議論で本朝は充満しているようですね。

がっくしorz


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【研究ノート】人間の自己完成、そうした努力における究極の自己目的化の陥穽

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 儒教徒のばあい、富は、始祖の残した言葉が明らかに教えているように、有徳な、すなわち品位ある生活をおくり、かつ自己の完成に没頭する、そうしたことができるためのもっとも重要な手段だとされた。したがって、人間を向上させるための手段は何かと問われれば、その答えは「富ましむべし」であった。なぜなら、富裕であるばあいにのみ、「身分にふさわしい」生活をすることができるからであった。ところで、ピュウリタンのばあい貨幣利得は、意図しない結果にすぎないとしても、自己の徳性の現われとして重要視され、自己の消費的な目的のために富を支出することは現世への奉仕であって、きわめて容易に被造物神化に転ずるものとされた。富の獲得自体を孔子は蔑視したわけではないようであるが、しかし、それは不安定なものとみられたため、品位ある精神の平衡を乱すおそれがあると解され、こうして、およそ本来の経済的職業労働Berufsarbeitは、職人根性の〔小人がおこなう〕専門人の業Fachmenschentumにすぎないとされた。ともかく、儒教徒にとっては専門人Fachmenschなるものは、たとい社会的有益さという価値をもってしても、真に積極的に品位あるものと考えるわけにはいかなかった。けだし--これこそが決定的な点なのだが--「品位ある人間」すなわち君子Gentlemanは決して「道具ではない」〔君子不器〕からであった。君子は現世順応的な方向での自己完成、そうした努力における究極の自己目的であり、どのような種類のものであれ、事象的な目的のための手段などではない。儒教倫理の核心をなすこうした信条は、専門の分化、近代的な専門的官僚制、それに専門的訓練といったもの、わけても営利をおこなうための経済上の訓練を排斥した。しかし、ピュウリタニズムはまさに逆に、こうした「被造物神化的」な原則に反対して、現世および職業生活の特定かつ事象的な目的に即して自己の救いを証しすることを使命として押し立てた。儒教徒は学問的教養、いや、いっそう正確にいえば書籍的教養をそなえた人間であり、この上もなく鮮やかな姿における書籍-人Schrift-Menschであって、古代ギリシアにみられたような弁論と対話の尊重や熟達もなければ、また、軍事的であれ経済的であれ合理的行為へのエネルギーをも欠いていた。ピュウリタンの諸教派(デノミネイションズ)も大多数は(程度はさまざまだが)聖書の愛読(聖書は事実一種の民法典であり経営学〔の書物〕であった)をもちろん必要不可欠としたけれども、儒教徒には最高の誇りとなるような哲学的・文学的教養はむなしい時間の浪費であり、宗教的に危険なものだとして斥けた。スコラ哲学と弁証法、アリストテレスとおよそ彼に由来するものはピュウリタンたちにとって極悪であり危険であって、たとえばシュぺーナーなどは、そうしたものよりも、むしろデカルト的な合理的・数学的に基礎づけられた哲学をえらんだほどであった。有用な実学的知識、とりわけ経験的・自然科学的ならびに地理学的な性質の知識や率直明快な現実的思考、専門的知識などを教育目標として最初に計画的に奨励したのは、ピュウリタン、ことにドイツではピエティストの人びとであった。それは、一方では、神の創造物のうちにその栄光と摂理を認識しうるただ一つの道として、他方では、召命〔としての職業活動〕によって現世〔世俗生活〕を合理的に支配し、神の栄光をあげるという責務をはたしうる手段として、であった。儒教とピュウリタニズムの両者は、ギリシア思想と、また後期ルネサンスの本質とも相違している点では同じであったが、しかしその相違の意味はそれぞれでまったく異なっていた。
    --マックス・ヴェーバー(大塚久雄・張漢裕訳)「儒教とピュウリタニズム」、ヴェーバー(大塚久雄・生松敬三訳)『宗教社会学論選』みすず書房、1972年。

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手段-目的論の系譜学から評価すると難しいところなのですが、やはり、<高貴であること>とか<富裕であること>というものが、そのひとの存在とそのひとの共同体と全く無関係なものとなってしまった場合、うまく機能しないのかもしれません。

だから、「プロテスタンティズムが上で、儒教精神が下だ」などと単純化しようとは思いませんが、価値判断以前の問題として、関係性がまったく切り離されたあり方で定立された場合、あまりよい結果は導かないものなのかもしれません。

もちろん、目的を探求するするうえでの手段の連鎖にも問題はあるわけなのですけどね。『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の末尾でも、当時のアメリカ合衆国における資本主義の爆発的な興隆にその問題が示唆されておりますが……。

このへんのバランスが難しいですね。


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