東日本大震災

日記:<絆>の落とし穴--魔術的機能


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東日本大震災からちょうど4年経ちました。
現実に復旧したところもあれば、放置されているところもあったり、癒えた傷もあれば、直らぬ傷痕も残っています。

人それぞれに言いたいこと、言いたくないことはたくさんあるとは思いますが、ひとつだけ。

4年の「事件」は、未曾有の震災であったにも関わらず、その「事件」が、何かを悪い方向へ導いていくための材料として都合良く「利用」されていること、そして本来目をむけなければならないことに目を瞑るように「利用」されていることだけが気がかりです。

震災直後の「絆」の連呼は、今や世界の中で咲き誇れ式の「自愛」の連呼へと変貌している今、そのことだけが気がかりです。

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<絆>の落とし穴--魔術的機能
 大地震と津波は、あらためて、「無縁社会」の恐怖を実感させ、原発事故は、科学技術が国家や企業の利益優先の「安全神話」と結びつくとき、どれほど巨大な災害をもたらすかを、まざまざと思い知らせたのでした。そして、このような思いの中で、人間をささえるさまざまな人と人との絆の有り難さをあらためて痛感させられたのでした。
 けれどもこうした中で、私にはとても気になることがあるのです。それは、絆には決して優しい「ふるさと」意識や家族回帰の思いがあるのですが、それを超えて、いつの間にか過剰なナショナリズムへ国民を引きずりこんでいく恐ろしい呪術的機能があるからです。折しも、竹島問題や尖閣諸島の領有権をめぐって、はなはだ剣呑な領土問題が、のっぴきならない仕方で浮上し、ナショナリズムの火が燃えかけています。偶然とは、とても思えない。絆が「ふるさと」回帰を超えて、ナショナリズムと手を結ぶとき、そのときに何が起こるか、言うまでもなく戦争です。それが政治の魔術であることを私たちは第二次大戦のナチズムやわが国の全体主義の経験を通して、肝に刻んだはずなのです。その防壁としての憲法九条なのです。憲法九条がなかったら、過熱したナショナリズムはたちまち男たちを闘争へ誘発する。それほどに過剰なナショナリズムは、危険をはらんだ暴力的魔性の力学そのものなのです。こうした視点からすると、絆という用語には、人間と社会を暴力に向かって駆りたてる危険な政治的魔術のような機能がある。それが怖い。
 「政治化した宗教」も「宗教化した政治」も、いかに暴力的で魔術的であるか。さかのぼれば、第二次大戦中の国家神道が、まさに政治的魔術として機能したのでした。このような文脈で見ると、<絆>にはきわめて危険な「落とし穴」が隠されている。このことを注意深く見極めていくことが肝要です。とりわけ宗教者は、その危険を見極めることに敏感でなければならない。事実、憲法改正の動きが、にわかに頭をもたげている。その動きも、一部は明らかに本来の強い日本をとりもどすといった魔術的な「ふるさと」回帰のナショナリズムと結びついている。
 このように見ると、<絆>は、きわめて両義的です。<絆>には共同体を古い絆から解き放ち、人々が主体的・選択的に他者と新しい関係を取り結び、新しい人間関係をつくっていくために不可欠な靱帯としての機能がある。これは自由であり、解放であり、<救い>そのものです。しかし、一方には、国民を縛って意のままに操るナショナリズム国家権力による魔術的な暴力の意味がある。
    --山形孝夫「宗教の力 --<絆>再考」、『黒い海の記憶 いま、死者の語りを聞くこと』岩波書店、2013年、92-94頁。

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覚え書:「<東日本大震災>宗教が果たした役割とは 不安な夜、頼り、支えられ」、『毎日新聞』2013年11月21日(木)付。

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<東日本大震災>宗教が果たした役割とは 不安な夜、頼り、支えられ
毎日新聞 11月21日(木)


<東日本大震災>宗教が果たした役割とは 不安な夜、頼り、支えられ

300人を超える住民が犠牲になった宮城県東松島市野蒜地区。全国から集まった青年僧侶約300人が巡礼、鎮魂の読経が海岸に響いた=2013年11月13日、小川昌宏撮影

 失われたおびただしい「いのち」への追悼と鎮魂こそ、私たち生き残った者にとって復興の起点である--。東日本大震災復興構想会議は2011年6月25日、「復興への提言」の復興構想7原則の第一にこう掲げた。まさに宗教の使命といえる。大災害に直面したとき、宗教はいかなる役割を果たし、人々の信心、宗教意識はどう変わったのだろうか。【文・内藤麻里子】

 ◇不安な夜、一心に 頼り、支えられ

 「2階に仏様がいるから早く上がれ!」。富田豊子さん(71)は、弟(当時66歳)の叫びが忘れられない。母(97)と共に2階に上がって難を逃れたが、弟は手すりに手を伸ばした瞬間、目の前で押し寄せた津波にのまれていった。

 あの日、岩手県釜石市の自宅で震災に遭った。不安と恐怖の中で、ふと「法華三部経」をあげようと思った。法華経系各派では大事なお経だ。親子2代の立正佼成会会員。母をあるだけの布団でくるみ、一心に唱えた。「この夜を過ごせたのはお経のおかげ」

 「なぜ弟が死ななきゃならないの」と、今でもつらさは残る。「信仰が揺らがなかったと言ったらうそになる」。それでも「死は誰にでも訪れるものであり、どう生きたかが大事だ」という庭野日鑛(にちこう)会長の法話に接し、少しずつ弟の死を受け入れられるようになった。家では外でのことを語らなかった弟だが、地域の人や同会会員が共に悲しんでくれ、「こんなことでお世話になった」と話してくれることが驚くほど多かった。「最近、弟ときょうだいでよかったなとつくづく思います」

 ここに信仰の姿がある。頼り、支えられ、現実を受け入れ、生きる意味や目標を獲得する。被災者は宗教に何を求め、また宗教者はこの苦難にどのように向き合ったのだろうか。

 「ながきは人の願いにて短きものは命なり」

 津波が襲った巨大防潮堤の上で今年9月11日、鈴(れい)をつきながら和讃(わさん)(釈迦(しゃか)などをたたえ先祖を敬う歌)を唱える女性たちの姿があった。岩手県宮古市の田老(たろう)地区にある唯一の寺、曹洞宗常運寺の梅花講の人々だ。曹洞宗には詠歌・和讃を唱える講がある。唱える楽しさの中で信仰を学ぶ場だ。「津波があったからといって日常を変えたくない」と、月2回の練習に仮設住宅や自宅から通い、四十九日や一周忌など節目に防潮堤で唱えている。

 この梅花講を支える住職は「(田老地区では)200人近く亡くなっている。その死を前にベラベラしゃべれない」と、取材には応じてこなかった。しかし、数々のエピソードが住職の姿を物語る。例えば、被災者がまだ避難所にいた頃のことだ。首をつって死ぬという匿名の手紙が届いた。住職は避難所に乗り込み「これ書いたの誰だ? このばかやろうどもが。いつまでも被災者面して甘えてるんじゃねえ!」と怒鳴りつけた。帰ろうとすると檀家(だんか)の一人が寄ってきた。「人間関係がぐちゃぐちゃしてしょうがなかった。一喝してくれて助かった」と口にしたという。

 何と乱暴なと思うかもしれないが、日ごろの結びつきが強いからこそ、言えた言葉だったのだろう。「がっぷりつき合って普通に話ができるからな」とだけ、住職はつぶやいた。

 ◇避難所の機能も

 門を閉ざしたケースはあったものの、被災地で津波を免れた宗教施設は、避難所としても機能した。

 宮城県気仙沼市の曹洞宗清涼院=三浦光雄住職(66)=には、仮設住宅ができるまでの5カ月間、被災者らさまざまな人が出入りした。2年前に妻を亡くし、「ご愁傷さま」と周囲からいくら声をかけられても慰めにならないことを知っていた三浦さんは、ただ被災者に寄り添った。少し落ち着くと酒とつまみを用意して、ボランティアを交え夜通し話をした。そんな雰囲気の中からボランティア同士でゴールインする例も生まれた。

 同じく気仙沼の早馬(はやま)神社=梶原忠利宮司(73)=は浸水し、さらに階段を上った先にある小さな境内にある社で約20人が2日間暮らした。梶原さんは、ボランティアでも他宗派・他教団の支援でも、何でも受け入れた。集まった物資を一軒一軒配って歩いた。

 進んでいなかった自治体による宗教施設の避難所指定が、震災を機に増えたのも事実だ。稲場圭信・大阪大学准教授(43)が今年2月に実施した全国の自治体と宗教施設の災害協定の実態調査によると、協定を結んでいるのは43自治体で223施設。うち59・1%の132施設が震災後に締結されたものだった。さらに検討中の自治体は28あった。

 ◇徐々に新たな地縁

 早くも秋の虫の音がする8月25日、福島第1原発から西に約40キロに位置する、福島県三春町の臨済宗福聚(ふくじゅう)寺で毎月恒例の「坐禅(ざぜん)会」が開かれた。住職は作家でもある玄侑宗久(げんゆうそうきゅう)さん(57)。約40人の参加者の中に、三春町の仮設住宅に住む富岡町出身の斎藤泰助さん(84)と、湊谷(みなとや)克巳さん(66)がいた。

 放射線の影響で自宅には帰れない。斎藤さんは地元では曹洞宗の寺の檀家だった。用事がなくても月に2、3回は寺に顔を出していた。「それができなくなって、心もとなく寂しかった。いろいろ心のよりどころを探したけど、仏様は包容力が違うね」。湊谷さんは夫婦で東京から富岡に移住し、10年目に震災に遭った。三春で死後を託せる寺を探し、福聚寺に行きついた。「無縁仏になりたくないからお寺にすがった」

 2人の仮設住宅がある平沢地区には、高台に共同墓地がある。昨年12月、地区の有志7人が参道横に「平沢復興六道地蔵」を建立した。ちょうど仮設住宅を見守る位置に当たる。開眼法要を頼みに玄侑さんを訪ねると、仮設の住民にも参加を呼びかけることを勧められた。有志の一人で区長を務める村田清人さん(64)は、「復興を願いながら一つのことをやり遂げて元気が出た。仮設の人も散歩がてら拝んでくれる」と話す。

 寺を核にして、新しい地域の縁が作られようとしている状況を、玄侑さんはこんなふうに見る。「ここで結ばれた縁はやむにやまれぬ選択に思える。移転先も決まらず、先の暮らしの見えない中で現実的に今の安心を求める動きでしょう」

 ◇チリンチリン鈴の音…誰もいない 幽霊談続々、宗派超え心のケア

 仙台市の火葬場で読経ボランティアをした僧侶らは遺族の悲しみに向き合った。その経験から、悲嘆ケアをする「心の相談室」が11年4月にスタートした。世界宗教者平和会議(WCRP)などが資金援助し、僧侶、牧師、神職ら超宗派の宗教者が対応する形で心のケアが広がっていった。

 「カフェ・デ・モンク」は、お茶を出しながら被災者の話を聞く傾聴移動喫茶だ。こちらは宮城県栗原市の金田諦応(たいおう)・曹洞宗通大寺住職(57)が11年5月に始めた。金田さんは震災の夜、改めて宗教に出合う体験をした。

 地震、津波に加え雪に見舞われた3月11日。雪がやむと、満天の星が目に飛び込んできた。「人がバタバタ亡くなった一方で、俺は星を見て生きている。これは何だ。我、彼の境目がなくなる『自他不二』という感覚にとらわれた。冷徹なこの現実をありのまま見ていた。しかも限りなく慈しみを注ぐ視点だった」。宗教家の原点といえる視線だろう。以前から自死問題に取り組んでいたこともあって、傾聴のノウハウは身についていた。仲間の僧侶と被災地を回り始めた。

 また、1200カ寺と被災地の寺院数が最多の曹洞宗も、全国曹洞宗青年会が震災直後の3月に災害復興支援部を設立し、「行茶(ぎょうちゃ)」と呼ぶ傾聴を始めた。

 行茶に通った福島県の40代の僧侶は、同年末から眠れなくなった。寝ると実体験もないのに津波の夢を見てしまう。酒に紛らわせて床に就くこと3カ月。仮設住宅に行くと、いきなり涙が止まらなくなる症状に襲われた。ある日、目が見えなくなり、激しい頭痛に見舞われ救急搬送される。行茶の後、リポートを書いてため込んだ感情を整理することの重要性を身をもって知った。参加するペースは落としたが、「やるしか選択肢はない。そのモチベーションで仲間の僧侶とつながっているので、継続できるのかな」。

 曹洞宗復興支援室分室の主事を務める久間泰弘・龍徳寺住職(43)は「支援は何カ所かに限ろうかとも話し合いましたが、結局、3県すべてでパンクするまでやろうと。幸いまだパンクしていません」と話す。

 カトリックのシスターでもある高木慶子(よしこ)・上智大学グリーフケア研究所特任所長(77)が、「傾聴ボランティアはお断りします」の張り紙を避難所で初めて見たのは震災の年の9月。やがて仮設住宅や集会所でも見かけるようになった。「宗教者だけでなくカウンセラーや医療関係者でもひたすら話に耳を傾け、内容は口外しないという傾聴の基本ができていない方が多い」と注意を促す。

 傾聴の中では、幽霊談が頻繁に登場してくるという。阪神大震災でもあったが、今回はさらに数が多い。被災者だけでなく、工事関係者、研究者らも遭遇する。津波で壊滅したスーパー跡地を朝方通りかかると、行列している姿が見える。人をひいた衝撃があったが、誰もいない--。

 鈴木光・豪シドニー大学研究員は、昨秋2カ月ほど宮城県石巻市で後片付けのボランティアをしながら被災者の宗教心などに関する調査をした。石巻を離れる前に、あちこちに花を手向けて歩いた。小学校近くの橋の上に差しかかった時、向こうからチリンチリンと鈴の音が近づいてきた。ランドセルにつけた鈴のような気がした。でも誰もいない。川に花を投げながら歩く鈴木さんに、鈴の音はずっとついてきた。橋を渡り終え、「もうバイバイだよ。私は帰るからね」と言うと、まるで近くにいた子がUターンしたかのように、肘の上あたりにふわっと髪の毛かマフラーのようなものが触れたという。

 傾聴している宗教者たちは、「これだけ一気に亡くなったんだ、出るのは当たり前じゃないか」と語る。供養を頼まれる僧侶も多い。慰霊碑を建て、鎮めることもある。

 ◇祭り、絆再び結ぶ

 ◇人が集まり地域に活気 「よりどころがほしい」

 下谷神社(東京都台東区)の阿部明徳宮司(59)が、被災地で支援物資の手配をしていた11年4月初めのことだ。宮城県名取市・閖上(ゆりあげ)地区に入り、ある光景を目にした。

 津波によって同地区の湊神社は土台を残すばかり。しかし、その土台に1円玉や5円玉の小銭の小山ができていた。さい銭だ。「こういう時こそ、こういう時だけかもしれないが、心のよりどころがほしいんだ」と気付き、仮のお社を寄贈する活動に乗り出した。

 最終的に目指すのは、祭りの復興だ。「地域の文化に根差した行事。各地に避難している人たちが集まる機会になる。地域の絆を取り戻すためにも祭りは必要」と、みこしや山車の修復にも尽力する。

 儀礼文化学会、国立文化財機構東京文化財研究所、全日本郷土芸能協会など4団体は「無形文化遺産情報ネットワーク」を設立し、被災地の民俗芸能と祭礼・行事、いわゆる祭りのデータを収集・公開している。調査の結果、3県で神楽、獅子舞などの民俗芸能約800件、七夕や火祭りなど祭礼・行事は約500件。再開も多いが、未定、情報なしの祭りも多い。

 久保田裕道・東京文化財研究所主任研究員(47)は、「沿岸部の祭りの民俗学研究は内陸に比べるとあまり進んでいなかった」という。「こんなに多彩な祭りがあると震災後、初めて分かった。いまだにこれだけの芸能を楽しみにやっている地域はめったにない」。祭りの復興からは何が見えるだろう。

 漁業が盛んな沿岸は、海に出れば常に死と隣り合わせ。神社への尊崇の念は深い。福島県いわき市にある大國魂(おおくにたま)神社の御神輿(おみこし)保存会「豊間海友会」会長、鈴木利明さん(72)は、遠洋漁業の船乗りだった。「神社に手を合わせ、沖を3回まわってから漁場に出ていった」。元の自宅があった豊間地区では「まずは神社仏閣から」と、蓄えていた区費で2神社に鳥居を建てた。

 大國魂神社では、お潮採り神事を震災の年の5月に催した。だが、みこしは担げる状態ではなく、代表者が浜辺で神事だけ行った。「お正月が毎年やってくるように、年に1回の大事なお祭りをできるならやりましょうということ。何の不思議もありません」と山名隆弘宮司(71)。

 震災前、鈴木さんは民宿を経営して繁盛していた。「民宿がなくなり、今後のことを考えると夜中に目が覚め眠れなくなった。山名先生(宮司)がいろいろ引っ張り出してくれなかったら、裏の山で首つってたと思うよ」。忙しさに救われる。そんな人たちが周囲に大勢いる。

 豊かな港町だった岩手県山田町は、秋の例大祭ともなれば町中が盛り上がる。しかし、津波と火災の被害は大きかった。山田八幡宮、大杉神社などの宮司を兼ねる佐藤明徳さん(53)によると、氏子の中で半数を超える漁師が海から離れたという。津波に流された大杉神社では「祭りをやろう」との声が自然に上がり、11年から小規模に行ってきた。

 今年9月、元々同社があった山の上の元宮に仮社殿が建てられた。伊勢神宮から木材提供を受けて、神社本庁が進めている復興支援だ。社殿ができたら祭りだとばかりに同月16日、震災以来、初めてみこしを担いだ。といってもそれは小型のみこしで、本来は本殿から祭り用のみこしにご神体を移す時に使うもの。あいにくの台風で船に乗せて海を渡る見せ場の「海上渡御(とぎょ)」は中止となったが、惜しむようにみこしを担いだ。

 本来のみこしは修復資金を募っている。神輿会会長の上林善博さん(37)は両親と妻、末っ子を亡くした。「神輿会のみんなに支えられた。生き残った者が元気にやっていることが供養になるんじゃないですか」

 ◇鎮魂の巡礼

 背丈ほどの草に覆われ、家々の基礎部分だけが残る更地に、青年僧侶約300人の読経が響いた。震災の津波で住民の約1割に当たる321人が死亡した宮城県東松島市野蒜(のびる)地区。震災犠牲者を追悼する巡拝慰霊法要が13日に営まれた。

 全国から集まった全真言宗青年連盟(清雲俊雄理事長)の僧侶らが列をなし、土地や犠牲者の魂を清める土をまきながら巡礼。約40分間かけて地区を巡り、野蒜海岸では鎮魂の祈りを込めたホラ貝の音を響かせた=写真。【近藤綾加】

 ◇学者ら、傍観から支援に オウム事件反省

 「大震災と宗教」を考えた時、今回、特筆すべきことの一つは多くの宗教学者が支援に向けて動いた点だ。従来は、調査はしても支援活動には関わってこなかった。

 その姿勢を破った一つの理由に、オウム真理教事件への反省が挙げられる。1995年、同教団に強制捜査が入る前後、メディアは宗教学者に「オウムの危険性を教えてほしい」と依頼したが、断られるばかりだった。現実から距離を取って事実把握に努めるのが研究者であり、警鐘を鳴らすのは役割が違うからだ。

 「オウム事件で傍観者だった反省はある。密着しても見えなくなるが、離れすぎても見えない」。島薗進・上智大学教授(64)は、震災翌月の4月1日に研究者と宗教団体による「宗教者災害支援連絡会」を設立し、代表に就任。避難所・支援情報などを提供した。超宗派での心のケア、活動の検証など地道な取り組みを続ける。

 稲場圭信・大阪大学准教授らは2011年3月、「宗教者災害救援ネットワーク」を設置し、宗教者の救援情報、活動場所、義援金情報などを「宗教者災害救援マップ」に集約し、インターネットで公開。支援活動の情報源になった。その後、各教団の連携作りのため、全国8万件の指定避難所、20万件の宗教施設データをまとめた日本最大の「未来共生災害救援マップ」を作って公開した。

 先に紹介した「心の相談室」の室長を務めた医師の故岡部健さん(12年9月死去)と共に、鈴木岩弓(いわゆみ)・東北大学教授(62)は昨年4月、同大に「実践宗教学寄附講座」を開設。心のケアに携わる宗教者「臨床宗教師」の養成を目指す。既に3期生まで約40人の研修修了者を送り出した。将来は病院や介護施設で受け入れられることが目標だ。「理系学部は技術によって世を変えられる。文系学部に即効性はない。でも今、世の中をいい方向に変える発信ができるチャンスが来ていると思っています」

 ◇若者の関心、高まる 入門書など人気

 「お墓や供養について教えて」「自殺した親族のことが頭をよぎる」--。仏事に関する質問や生きる上での悩みなどにお坊さんたちが答えるサイト「hasunoha(ハスノハ)」が、昨年11月始まった。創設したのは、元「YAHOO! JAPAN」社員のプロデューサー(43)ら男性3人だ。

 震災直後の4月初め、お経を唱えつつ被災地を歩く盛岡市、石雲禅寺の小原宗鑑(そうかん)副住職の姿が話題になり、これが創設のきっかけだった。「仏教には葬式のイメージしかなかったが、その僧侶の写真を見て、仏教というか宗教の存在意義を実感した。宗教が必要だと思った瞬間です」とプロデューサーは話す。

 東京に暮らす3人はすぐに企画案を立て、つてをたどって浄土宗光琳寺(宇都宮市)の井上広法副住職(34)に行きついた。回答するのは宗派を超えた僧侶50人だ。

 1995年から始まった「学生宗教意識調査」(「宗教と社会」学会・宗教意識調査プロジェクト)によると、2012年の調査で非宗教系大学に通う学生1708人のうち、「信仰を持っている」「信仰は持っていないが、宗教に関心がある」が計58・1%と半数を超え、これまでで最も高い数字を示した。

 震災以降、宗教入門書がよく売れた。例えば、11年5月刊の橋爪大三郎、大澤真幸共著「ふしぎなキリスト教」(講談社現代新書)は30万部だ。社会学者の大澤さんは「現代人は宗教心を持っていないと感じている人は多いが、人間は生きることに意味付けや説明を求めるもの。不幸が起きると、それに初めて気づく」と話す。しかしその一方で、「問いはあるのに宗教はまだ答えきれていないように見える」と現状を分析している。


 ◇関連サイトのアドレス

 仏事や生きる上での悩みなどに僧侶が答える「hasunoha(ハスノハ)」(http://hasunoha.jp:)

 避難所や宗教施設をまとめた日本最大の「未来共生災害救援マップ」(http://www.respect-relief.net/)

    --「<東日本大震災>宗教が果たした役割とは 不安な夜、頼り、支えられ」、『毎日新聞』2013年11月21日(木)付。

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[http://mainichi.jp/feature/20110311/news/20131121mog00m010006000c.html:title]


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覚え書:「みんなの広場 原発は輸出できる代物ではない」、『毎日新聞』2013年11月18日(月)付。

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みんなの広場
原発は輸出できる代物ではない
無職 64(堺市北区)

 安倍晋三首相が“トップセールス外交”でトルコに原発を売り込み、三菱重工業などの企業連合がとること実質合意したと報じています。福島原発事故の収束のめども立たない中、正気の沙汰とは思えません。
 いつ起きるか分からない原発事故。一度起きれば、取り返しがつきません。福島でも人の住めない地域が生まれてしまいました。トルコは日本と同じ地震国です。そして、親日国だと聞いています。そのような国の人々に、原発の危険性や事故の悲惨さを率直に伝える方が真摯な姿勢ではないかと思います。
 事故の収束と核廃棄物処理の方法が確立されない限り、人間のコントロール下に置けない原発は未完成の技術です。そのような技術を経済優先で使い続けた結果が福島の現状ではないでしょうか。とても他の国に輸出できるような代物ではないと思います。
    --「みんなの広場 原発は輸出できる代物ではない」、『毎日新聞』2013年11月18日(月)付。

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覚え書:「だいあろ~ぐ:東京彩人記 被災地の障害者題材に記録映画製作・西尾直子さん /東京」、『毎日新聞』2013年03月13日(水)付。


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だいあろ~ぐ:東京彩人記 被災地の障害者題材に記録映画製作・西尾直子さん /東京
毎日新聞 2013年03月13日 地方版

 ◇介助者不足が浮き彫り--西尾直子さん(37)

 東日本大震災発生から2年。あの日、障害がある人たちに何が起きたのか。待ち受けていた状況は--。被災地の障害者の声からさまざまな課題や問題点を切り取ったドキュメンタリー映画「逃げ遅れる人々」が完成した。製作メンバーの中心として何度も現地を訪れた東北関東大震災障害者救援本部東京事務局(八王子市)の西尾直子さん(37)に聞いた。

 --作品を撮るきっかけは?

 震災から2週間後、物資をトラックに積んで1週間被災地の障害者の元を回りました。みんな伝えたい感情や考えがあふれて、行く先々で毎晩何時間も話を聞きました。周りの風景が変わると共にこうしたことは忘れられていく。きちんと残さなきゃと。もともと障害者団体って、何かにぶちあたるとそれに集中してしまい、記録に残すことが下手なんです。友人に飯田基晴監督を紹介してもらいました。

 --登場人物一人一人が印象に残ります。

 個人的には、障害ごとに「こういう場合はこういう対応を」という教材のような作品を考えていましたが、飯田監督は障害者個人の葛藤や苦悩に切り込んだ。現場で打ち合わせながら撮影を進めましたが、新鮮でした。

 --取材や撮影を通じて気づいたことは?

 避難所にバリアフリートイレがない、仮設住宅にスロープがないといったインフラの不備を実感しました。トイレを何日も我慢し両足をぱんぱんに腫らしたり外の空気が吸いたいと涙する障害者に何人も会いました。震災を機にあぶり出された問題もありました。福島県南相馬市から名簿の提供を受け、障害者の安否確認を続けている団体に同行したときのことです。介助サービスを受けていなかったために避難情報を聞き漏らして孤立した盲ろうの夫婦に会ったり、家族が隠すように介助して生活している障害者も多く、驚きました。

 --震災発生から2年。被災地の障害者を取り巻く現状は?

 福島で介助者不足が深刻です。介助を担う若い人材が避難し、新たに職に就く人もいない。制度として保証されている介助時間がヘルパー不足から確保できない。障害者は仕方なく外出など社会と関わる機会を削っていますが、そのうち食事やトイレ、入浴といった生活の根幹を犠牲にせざるを得なくなるのではと心配です。行政の積極的な対応が必要な時期に来ていると思うし、問題は共有され始めたけれど、答えはまだ何も出ていない。

 --作品を通して伝えたいことは何ですか。

 障害は決して特別なことではなく、自分自身が当事者にもなり得ます。また、高齢者も含めれば緊急時に支援を要する人は周りにたくさんいるはず。いざというときのために何をしておけばいいのか考えるきっかけにしてほしいです。<聞き手/社会部・平林由梨記者>

 ◇記者の一言

 映画には南相馬市で弟家族と暮らしていた脳性まひの50代女性が出てくる。いまは新潟県内でひとり避難生活を送る。殺風景な一軒家で生まれ育った故郷の話で涙するシーンが心に残った。この女性が故郷に戻れても、介助者不足を解決しなければ満足な生活は送れない。原発事故がもたらした問題の根深さを感じた。

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 ■人物略歴

 ◇にしお・なおこ

 1975年、高松市生まれ。日本社会事業大学(清瀬市)卒業後、全国自立生活センター協議会の事務局に就職。震災の翌日から被災地の障害者支援や避難コーディネートなどを担う。仮設住宅のバリアフリー化や介助者の確保などを求め、国や県、自治体との交渉も行う。DVD「逃げ遅れる人々」は一般価格3000円、上映権付き団体価格は1万円。問い合わせは救援本部(042・631・6620)まで。
    --「だいあろ~ぐ:東京彩人記 被災地の障害者題材に記録映画製作・西尾直子さん /東京」、『毎日新聞』2013年03月13日(水)付。

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http://mainichi.jp/area/tokyo/news/20130313ddlk13040132000c.html


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「人間を内面から変えていくという、そういう人間変革の問題」としての「社会変革」


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 --ある意味でキリスト教を捨てて文学をやったというか、そういう人の中にほんとうのキリスト教的なものがあったのでしょうか?

 そこが内村などには非常に問題になったところでしょうが、例の芸術的価値の追求や政治的価値の追求と宗教的価値の追求の間にみられる激しい緊張の関係、相当のところまで両者は重なり合っていきながら、やはり窮極のところで激しく衝突し、切りさかれることになる、そういう点が内村の場合には非常に問題となっているようですね。ともかく、こうして内面的緊張がなくなっていくと、もうプロテスタンティズムはマルキシズムにたちまち席巻されるという弱さを内包してくるわけです。大正末期から昭和初年にそれが現実に現れることになった。内村の場合には一面社会主義に非常に近づきながら、一面その現世主義や科学主義にはきびしいですね。彼には、アメリカ人にみられるような小ブルジョア的社会観が入ってきていると言ってしまえば、それまでですが、私はそれだけではないように思う。内村は、言ってしまえば、社会主義が日本の財閥的な貪欲に対して批判を加えることにはもちろん賛成するし、それから、アメリカ的というよりは、いわゆる自由主義化したキリスト教あるいは富の力に屈服したキリスト教に社会主義が批判的であることには賛成なのですが、人間を内面から変えていくという、そういう人間変革の問題を完全に放棄すると見えたときに、逆に彼は社会主義に反対することになるのですね。そうした現世主義の面がちらっとでも見えると、たとえばSCM(Social Christian Movement)に対してもきびしく批判した。ともかく、内面変革の問題を少しでも薄めると、内村は非常に強い反撥に出てきますね。いまの全共闘派の人々の一部が内村のものを読んでいると言いますが、どこまで内村の思想的根基を理解しているかは別として、たとえばそういう点なんかは、彼らの心の琴線に触れるところの一つじゃないかと思います。そうした意味での内村的問題がいま出てきているように思うのです。ともかく彼は、そうしたわけで、どうしても社会主義運動に入り込んではいけなかった、近づいても入り込んでいけなかったのだと思います。
    --大塚久雄『歴史と現代』朝日新聞社、1979年、169-170頁。

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社会と宗教の関係は単純ではありませんが、宗教によって大地を耕された人間が、他者と連帯し、地の国の諸難に向き合おうとするのは、当然のことと言えるかと思います。

社会に積極的に関わることが大事なのか、それとも、教会や寺院形成……ここでいう形成とは、物質的な意義だけでなく、そこに集まってくる人々の薫陶・教育などソフトな面……が大事なのか。

このことも単純ではなく一慨に「こうあるべし」と言い切ることは難しい。しかし、近代日本のキリスト教史を概観すると、再渡来後、文明開花の波にのって順調に拡大していくものの、鹿鳴館時代の終焉と進化論の紹介、そして内村鑑三不敬事件の影響は、キリスト教の布教を阻害する要因として機能します。特に内村事件以降、教会のメインストリームというのは、どちらかといえば、先に述べた教会形成に重点を置くことになります。

もちろん、社会との接点を全く閉ざした訳ではありません。例えば、教会形成派の頭目といってよい植村正久ですが、彼の主宰する『福音新報』は、韓国併合の時から朝鮮人の独立希求を諒としてきたし、併合後は、何度の、その武断統治を批判しています。

しかし、社会派よりも教会形成が重視されてことは否定できないと思います。そしてその反撥的現象として、キリスト教を初めとする信仰から離反あるいは卒業して、社会運動にどっぷり入っていく人々も出てくる。

まさに、社会活動か信仰かという二者択一といってよいでしょう。ここに近代日本のキリスト教受容の特色を見て取れることができるかと思います。
※ここでは主論ではありませんが、そうした社会か信仰かというバランスの見事な軌跡を描いたのは吉野作造ではないかと思います。

さて、内村鑑三は、おおむね前期の、そのジャーナリスト的活動の軌跡を辿ると、日露戦争における「非戦論」に代表されるように、社会に対して積極的に関わる姿をその特色とみてとることができます。

それとは対照的なのが後期の内村像ではないかと思います。再臨運動に従事する姿は、どちらかといえば、内面の信仰を深めていく時期と捉えてしまいそうになります。しかし、再臨運動期の内村の場合、社会と遮断されていたのかと捉えてしまうと、それは大きな誤解になってしまうことも承知おくことが必要だと思います。

そもそも再臨運動自体が、まさに「この世を撃つ」“預言者的”なものであり、決して遮断された訳でもありません。

さて……
冒頭に掲載したのは、内村に師事し、戦後民主主義の論壇をリードした大塚久雄のインタビューからです。この文章で大塚は、内村を事例にとりながら、何かを変革していくことの「根柢」には何が必要なのかをコンパクトにまとめている部分ですので、少し抜き書きした次第です。

大正末期~昭和初期は、民本主義が手ぬるいとして、左翼的言説にみながみな……たとえば信仰をうしなってまで……なだれをうっていた時代です。しかし蓋をあけてみると、そうした活動家たちのなかには、一八〇度くるっとかわってしまう場合も多々出てくる。そうした事例を省みるならば、社会変革というのは、事象としては確かに「機会的変革」であってよいわけですが、それに携わるということは「人間を内面から変えていくという、そういう人間変革の問題」を失念してしまうと危機的状況を呈してしまう……そう捉えることができるかも知れません。


大塚より後輩にあたる宮田光雄は、『歴史と現代』が刊行されたちょうど10年前に『現代日本の民主主義 -制度をつくる精神-』において次のように述べていますが……「真の意味での体制変革は、たんに現存体制内部の個々的な弊害を指摘するだけで足れりとするものではない。それは、根底的には、新しい価値体系の創造を不可欠とする以上、人間の変革なしにはありえない」……これも大切なポイントになってくると思います。

このあたりを内村門下の南原繁に言わせると「人間革命」ということになるのでしょうが、、、どうも最近、そういうことを、とりあえずおいといてでも、やってしまえ!という論調が強いものですから、少し紹介した次第です。

まあ、そういうのが「日和見主義」とか「臆病」とか、罵られることは承知ですが、そうした変革なしには……もちろん、過度の「徳論」に触れる必要はないと思いますが……、なにもあり得ないとは思います。

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 こうしてみれば、社会的革新の運動は、つねにそれを支えるひとりびとりの人間の内面的な自己紀律によってこそ担保され、おし進められるといわねばならない。真の意味での体制変革は、たんに現存体制内部の個々的な弊害を指摘するだけで足れりとするものではない。それは、根底的には、新しい価値体系の創造を不可欠とする以上、人間の変革なしにはありえない。たとえば、現代の日本では、経済競争のメカニズムが作動せず、大企業にのみ利潤が沈澱しがちである。そうした大資本の恩恵に浴する労働組合が、労働者としての社会連帯の精神に欠け、また企業主義委に埋没するあまり、大企業のもたらす公害にたいして市民的連帯の立場をとり難い事実も、しばしば指摘されている。このような例をみれば、社会の革新は、いわば制度の底辺における革新、日常的な行動様式や人間の価値観を不断に変革していく地味な努力の蓄積を必要としているのである。
    --宮田光雄『現代日本の民主主義 -制度をつくる精神-』岩波新書、1969年、204-205頁。

 

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覚え書:忘却を強いられるとき、われわれが抵抗する唯一の道は記憶することだ


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 ミラン・クンデラという作家がいます。チェコで苦しい経験をして、亡命して、いまなおパリに住んでいる人ですが、かれが、権力を持っている強い連中のやり方は、忘れさせることだ、ひどいめにあったことは忘れさせて、もう一度同じことをやらせようというのが権力の考えることだというんです。その反対に、記憶し続けること、覚えているということが弱い民衆の武器なんだ。弱い人間は覚えていなきゃいけない、記憶していなきゃいけない。忘却を強いられるとき、われわれが抵抗する唯一の道は記憶することだ、とクンデラはいうのです。それはブルクハルトの考え方とも重なり合っていると思います。
    --大江健三郎「井伏さんの祈りとリアリズム」、『あいまいな日本の私』岩波新書、1995年、134頁。

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あの日から本日で2年となりました。

いらだつことばかりなのですが、いらだつことで終わってしまうとそれこそ思うつぼなので、記憶しつづけていこうと思います。

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個人的なことは政治的なことの原点である

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 フェミニズムは、一九六〇年代以降、「個人的なことは政治的なこと」と主張して来た。このスローガンは、たとえば家事労働など個人的なことと切り捨てられていたあらゆる事象や問題には、政治的な力関係が働いていることを意味している。
 〈3・11フクシマ〉以後の現在、この言葉を「個人的なことは政治的なことの原点である」と言い換えてみたい。これまでの日本社会では、「滅私奉公」という言葉は肯定的に使われて、私を犠牲にして仕事や公に仕えることが賞賛された。そして「公私混同」という言葉は、公的なことに私事を挟んではいけないという意味で否定的に使われる。それは、個人を大切にしない社会だ。仕事を第一に優先して、一人一人の人間の顔が見えない。利益を追求するために他人を犠牲にすることに心の痛みを感じないのは、相手の顔が見えないからである。
    --中島佐和子「脱原発へのはたらきかけ --個人的なことは政治的なことの原点である」、新・フェミニズム批評の会編『〈3・11フクシマ〉以後のフェミニズム 脱原発と新しい世界へ』御茶の水書房、2012年、47-48頁。
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震災以降、「絆」が強調され、個々人のオリジナリティへの重圧となる封建的・排他的な日本的価値観が安易に持ち上げられ、気がつくと発言することも、黙っていることも許されない言論空間というものがいつのまにか支配的な「空気」となってきているように感じる。
震災は、日本という枠組みが「個人を大切にしない社会」であることを明らかにした。当然それを隠蔽しようとする・偽装しようとする工作は、その以前よりも巧妙かつ慎重に遂行されつつあるように思う。
「滅私奉公」「公私混同」……。
この言葉を誰がどのような意図で使用しているのか。
今以上に注視することが必要だと思う。
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「手を汚したり体を使ったりする習慣」から始まる「文明の転換」

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 私が年来主張してきたことは、大型化・集中化・一様化とは対極的な、小型化・分散化・多様化の技術への転換である。太陽光発電、井戸水の利用、小川の急流を利用した小型水力発電、家畜の排泄物からのメタンガス発電、地熱や潮流を利用した発電、熱と電気を併用するコージェネレーションなど、さまざまなものが考えられる。これらは経済効率が悪いとして無視されてきた。その結果、私たちは電気やガスは大企業に、上下水道やゴミの処分は地方自治体に「お任せ」する体質が身についてしまった。スイッチひとつで操作できる便利さに慣らされ、手を汚したり体を使ったりする習慣を失ってしまったのだ。集中化すれば、急所をやられるとたちまち困難に遭遇するということを忘れて。
 小型化・分散化・多様化の技術体系の良さは二つある。
 一つは、個々の消費者が生産から廃棄まで責任を持たねばならないことから、必然的に自らの体を動かしたり、手を汚したりしなければならず、節約や節電が自然に身に付くという点である。我が家では太陽光発電を始めて一三年になるが、節電の習慣によって電気使用量が二〇%以上減少した。また生ゴミ処理をするようになって、市の清掃局に出すゴミを激減させることができた。そして何より、「お任せ」体質から脱却して自立した意識が持て、手をかけることによって自然に密着した健全な感覚を醸成した。欲望過剰な自分を反省することができるのである。
 もう一つは、天災など災害に直面したときの危機に対して強いことである。
    --池内了「文明の転換期」、内藤克人編『大震災のなかで 私たちは何をすべきか』岩波新書、2011年、49-50頁。

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冒頭の一文は、世界平和アピール七人委員会の委員を務める天文学者・池内了先生の論評から。東日本大震災の発生から3ヵ月後、現地で活動を続けた医師やボランティア、そして作家や学者ら33名が、3・11の意味や復興のあり方などについて、それぞれの考えを綴った『大震災のなかで 私たちは何をすべきか』との論集に収められた一編です。

震災以降、「文明論の転換」を迫る言説が多数見かけるようになりました。確かに「文明論の転換」は必要だと考えます。

「行き過ぎ」を反省し、「身の丈」にあった自身へとライフスタイルを転換してゆくことは、エネルギー量が云々、コストが云々、節約がどうのこうの、という「以前」に、「人間とは何か」を主軸においた「生き方」の問題であるからです。

これまでの「生き方」に「問題」があり、例えばそれが、メディアによって「踊らされていた」ものであったとしても、そのことを反省して、人間は自身の歩みを修正して一歩一歩前進してゆくことができる。

しかし、「文明論の転換」は、まさに混淆玉石の感があるのは否めない事実です。特に、居丈高な恫喝や、一種ストイックかつファッショな言説というのは少々気になります。

前者の代表は、石原慎太郎東京都都知事に代表される「天罰だ!」という恫喝であり(←正味、これこそ“天唾”)、後者を代表するのは、文明そのものを全否定した“自然に帰れ”というシュプレヒコール。

どちらも「人間」そのものの「反省」を促すというよりも、「人間」そのものの「全否定」というところが共通した特徴であり、「文明」の「転換」というよりも、「イデオロギー」の奴隷となれ!というアプローチ。

反省や見直しは確かに必要でしょう。しかし、こうした「極端」は本来注意深く警戒していかなければならないというのも事実です。

その意味では、アリストテレスの「中庸」や、仏教で説かれる「中道」、少し前の経済学で言えば、フリードリッヒ・シューマッハーの“Small Is Beautiful”などは、「リアリズム」と「理想主義」の交差するひとつの見本として参考になるかと思います。

さて……。
話が冒頭の抜き書きとずれていってしまいましたが、少し戻ります。

池内さんは論題通り「文明の転換」の必要性を論考で述べております。しかしこの「文明の転換」は、生活者の視座で洞察してみた場合、どこか私たち自身の生活と「かけ離れた」はるかかなたの空中戦にあるものではない、ということを丁寧に論証しており、読みながら、「ああ、なるほどね」と思った次第です。

例えば、現代文明の特徴とは何かといった場合、様々考えられるでしょうが、そのひとつは「大型化・集中化・一様化」であります。そしてその対極にあるのは何かと問うた場合、全否定ではない意味では、「小型化・分散化・多様化」への転換という選択肢が考えられると思います。

では、その「小型化・分散化・多様化」といったものは、どのように想定されるのでしょうか。社会を振り返ってみれば、電力の一元的供給から多元的選択へというトピックなども思い浮かぶと思いますが、そのことをもっと具体的に考えてみればどのようになるのでしょうか。

池内さんはその特色を2点挙げております。

すなわち、
(1)「一つは、個々の消費者が生産から廃棄まで責任を持たねばならないことから、必然的に自らの体を動かしたり、手を汚したりしなければならず、節約や節電が自然に身に付くという点である」。

(2)「『お任せ』体質から脱却して自立した意識が持て、手をかけることによって自然に密着した健全な感覚を醸成した。欲望過剰な自分を反省することができるのである」。


ライフライン、エネルギー、消費とゴミの問題、どの分野でもそうでしょうが、責任を「お任せ」することで「便利」さを「金」で買うのが現代社会です。

しかし、その責任を少し自身で引き受けた場合、様々な方途が考えられますが、スイッチひとつに委ねるのではなく、(1)「自らの体を動かしたり、手を汚したりしなければ」ならないわけですが、そのことで、(2)「『お任せ』体質から脱却して自立した意識」が到来します。

その結果、人間の考え方やライフスタイルが漸進主義的に変化すると同時に、その小水石を穿つ歩みが結果として「文明の転換」を必然たらしめていく……

石原さんをはじめとする居丈高な議論が人間の生活からかけ離れた「空中戦」だとすれば、池内さんの指摘は、生活のなかでの「改善可能な漸進主義」とその「文明の転換」論の特質を見とることが可能だと思います。

いま、必要なのはどちらでしょうか。私は後者であると思います。


http://www.iwanami.co.jp/hensyu/sin/sin_kkn/kkn1106/sin_k594.html

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覚え書:「再生への提言:東日本大震災 自発的変革の気概を=ジュネーブ大教授・日本学科長、ピエール・スイリ氏」、『毎日新聞』2012年3月14日(水)付。

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再生への提言:東日本大震災 自発的変革の気概を=ジュネーブ大教授・日本学科長、ピエール・スイリ氏

 昨年、私は本紙で「日本では天災が世直しの契機でもあった」と指摘した。あれから1年。私は失望している。日本の内側から、大きな復興を契機に、長期停滞の20年を再構築する気概も生まれてくると期待したが、無反応なままであるのに驚いている。
 歴史家の目から見て、今の日本の停滞の原因は、積極的に独自の未来モデルを創造してこなかったことにある。経済・外交政策の失敗、懸念されていた問題に抜本的な対策をとらず先送りしてきた。
 戦後復興の後に、独自の対策を生み出す機会も十分あったに違いない。その後、新自由主義経済をモデルに取り入れたが、現在それが失敗であったことが分かっているのに、曖昧なままだ。外交は、いまだに領土・歴史問題でもめている。第二次大戦の戦後処理からいつまでも解放されない。対米関係も、沖縄問題が象徴するように従属的な立場しか見えてこない。
 福沢諭吉は「文明論之概略」の中で、あらゆる人間関係が「力」の大小で序列化された「権力の偏重」を、日本文明を貫く病理と指摘したが、それは今なお根強いようだ。あまりにも権力に従順すぎる傾向を感じさせる。
 中世の日本では、領主、農民、僧侶、町衆などあらゆる階層で、共通の困難な課題に立ち向かう自立的集団「一揆」が結成され、社会を根本的に動かすダイナミズムがあった。日本には時代の課題に鋭く反応してきた伝統があり、江戸、幕末、明治、大正、戦後まで、自発的な変革のエネルギーが躍動していた。
 それが1980年代ごろから消滅し始めた。各階層の指導者たるべきエリートたちが、社会変革の責任を果たしてこなかったのが原因だ。国家と民衆への裏切りと言ってもおおげさではないだろう。
 表にまだ表れていないが、エネルギーは生まれようとしているのかもしれない。社会を変革させてきたダイナミズムの歴史の片りんを、近い将来に見ることができるだろうか。【聞き手・伊藤智永】

人物略歴 元日仏会館フランス学長(99~03年)。59歳。
    --「再生への提言:東日本大震災 自発的変革の気概を=ジュネーブ大教授・日本学科長、ピエール・スイリ氏」、『毎日新聞』2012年3月14日(水)付。

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http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20120314ddm003040128000c.html

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どんなにきびしく暑い日でも かならず夕暮れが慰めてくれる そして愛情をこめ おだやかに そっと 母のような夜がその日を抱きしめてくれる

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それを忘れるな

どんなにきびしく暑い日でも
かならず夕暮れが慰めてくれる
そして愛情をこめ おだやかに そっと
母のような夜がその日を抱きしめてくれる

私の心よ おまえも おまえ自身を慰めるがよい
おまえのあこがれがどんなに激しくおまえを悩まそうと
おまえを母のようにやさしく抱きしめてくれる
夜が近づいているのだ

ひとつのベッドが、ひとつの棺が
安らいを知らぬこの遍歴者のために
見知らぬ人の手で用意されるだろう
その中でおまえはついに休息するのだ

それを忘れるな 私の奔放な心よ
どんなよろこびをも愛するのだ
そしてにがい苦しみをも愛するのだ
おまえが永遠に休息せねばならぬときまで

どんなにきびしく暑い日でも
かならず夕暮れが慰めてくれる
そして愛情をこめ おだやかに そっと
母のような夜がその日を抱きしめてくれる
    (一九〇八年)
    --ヘルマン・ヘッセ(フォルカー・ミヒェルス編、岡田朝雄訳)『地獄は克服できる』草思社、2001年、16-17頁。

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写真は昨年の3月11日の夕方の都下。
夕焼けだったんだなあと思い出す。

今日は饒舌になれません。

ヘッセ(Hermann Hesse,1877-1962)の詩をひとつ紹介しておきます。

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