南原繁研究

南原繁研究::南原繁研究会第3回研究発表会

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8月30日(土)は、南原繁研究会第3回研究発表会(学士会館、13:00~)に参加し、ひとつ発表してきました。

プログラムは次の通り

第1部
「国家と宗教」の岩波文庫化をめぐって 加藤節
南原繁と平和思想 戦後和解と戦争罪責に関する一考察 豊川慎
東大キリスト者良心の系譜2 南原繁のキリスト教信仰のアクチュアリティ 氏家法雄

第2部
石田雄との対話 永遠の課題としての「他者感覚」 大園誠
帝人事件研究序説 高木博義
大学の自治 学問の自由 鈴木英雄

詳細は後日、ちょこちょこ紹介しようと思いますが、どの発表も南原繁の思想のもつ現代的意義を照射する刺激にみちたものでした。

第3回発表で研究会は124回目。10年毎月……東日本大震災のその月は中止……読書会を重ねてきた積み上げがひかる研究発表会だったと思います。

みなさま、ありがとうございました。


 

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日記:南原繁と吉野作造 その信仰における屹立さと中庸


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月末に南原繁のキリスト教信仰の独自性(修養倫理のキリスト教受容とは違う)の発表をしなきゃならんので、夕方から少し、南原の著作を読み直しておりました。

南原繁自身が「ちなみに申しますと、私はある人びとのように、宗教を表に出さない。その点はカントに学んだつもりです」(『聞き書 南原繁回顧録』東京大学出版会)と語るので、ストレートに語ったものがほとんど無い(学術的には『国家と宗教』岩波書店、でしょうが)ので、聞き書の点と点をつなぐ。

『聞き書』でもキリスト教信仰について吐露するくだりは10件程度。矢内原忠雄と比べると(矢内原は聖書講義も多い)、非常に対照的。宗教を表に出さないことは新渡戸稲造から学んだというが、まさに南原繁の厳父が内村鑑三であるとすれば、新渡戸が慈母の役割。揺るぎなき畛はあれど非常に中庸な感。

「宗教を表に出さない」。即ち、何かを為すことでその信仰を宣揚しようと言う態度には常に自戒的であったが故に、その内面を殆ど語らなかったわけだけど、これは、吉野作造とも同じ。吉野作造自身もキリスト教信仰に出会えたうれしさは語るが、活動を「キリスト教の為に」やっている訳ではないという。

戦前日本のキリスト教の特色はホワイトカラーの内面の修養倫理的受容がその大きな特色。吉野作造もその例外ではないし、南原繁自身も一高時代「煩悶青年」だったというが如きで、その枠内だ。しかし二人とも、内面世界へ撤退するわけでもなく、その信仰を宣揚するために「社会派」となった訳でもない。

吉野作造はキリスト教の説く「四海同胞」の理念に啓発を受け、脱植民地・脱反民主主義の実践に取り組む。価値並行論で多元的共存を展望しながらも、内村(そしてカント)から正義を学ぶ南原繁は、この世のものにすぎない国家と対峙する。この姿勢には共通したところがある。

南原繁は『聞き書』の中で二度吉野作造に言及している。一つは「私の吉野先生についての第一印象は海老名弾正先生の本郷教会に始まる。あの人、海老名先生の教会員なんです。それが私にとってはひとつの、何となく先生を尊敬するというか、おのずから通ずるものがあるのを感じた第一です」。18頁。

南原繁と吉野作造と大学での接点は、教員になってからだが(学生時代は吉野が留学中)、吉野を尊敬することに関して、吉野がまじめな教会員だったと指摘していることに瞠目した。南原繁は無教会主義。意外に思われるかも知れないが、ここに南原の中庸さを感じてほかならない。排除ではなく包摂の論理か

1955年の吉野博士記念会での「吉野作造博士の思い出」(『聞き書』所収)でも、南原繁は、「ただ、吉野先生は本郷教会の有力な会員であられた。従って海老名(弾正)先生の影響があったのは事実だろう。しかし、この点でも、先生は、おそらく海老名先生ともちがうのではないか」と言う。

南原繁は吉野には独自のものがありそこに学ばねばという。「私どもは、とかく、ゾルレンとザインとの間にたえず苦悶している。ところが、吉野先生の場合には、もちろん、この二者があるにはちがいないが、それは外にはあらわれていない。ゾルレンとザインが一つになっている。そこに一つの調和がある」

そして南原繁は言う。「先生は何もいわれないけれども、無言の伝道をされたのである。先生の言動には、深いそういったものがあった。ここに、吉野先生がマルキシズムになり得なかった理由がある。なによりも、先生のそうした一体となったナツア(Natur)に、私は打たれた」。ここなんだわ。

昭和14年。学内では河合(栄治郎)事件の真最中、外では日中戦争がはじまっていたとき、東京帝国大学にはドイツからはケルロイターが来ていた。このときにあたって、南原繁は吉野作造先生のことを想い一首詠んでいる。

 「灯ともる昼の廊下を行きつけて、吉野作造先生この部屋にいましき」

内村鑑三の「警世の預言者」としての側面をストレートに受け継いだのが矢内原忠雄とすれば、それをより社会化させた形で展開したのが南原繁なのであろう。内村と海老名弾正はその国家観をめぐって隔たりがある。しかし、その異なる二人に学んだ南原、吉野に共通したところがあるのは非常に面白い。

わたしがわたしのことがらとして「そう、生きていくこと」は大事だと思う。しかしどこまでもその啓発を与えながらも強要してはならない。吉野と南原に共通するのは、その中庸さだろう。

先に南原が吉野がよき教会員であったことを高く評価していると言及しましたが、これが実は昨年、南原繁さんのご子息(晃さん)の挨拶(南原繁研究会の研究発表会後の挨拶)で「(私は不信仰者ですが)父は、何かあったら、教会を尋ねなさい」とおっしゃっていたことがリンクする。

そこで思ったのは、確かにキリスト教と一言にいっても、新旧・正の際だけでなく、教派によっては重点の置き方がその大きな差異以上に異なる。しかし、無教会主義の南原繁が「何かあったときに、教会へいけ」といったことには、それを超えた共通項があるからだろう。果たして仏教にはあるのだろうか、と

キリスト教にはテクストの共通性があるが、仏教にない。その差異の超克が「哲学としての仏教」の受容という近代日本の展開なのではあるまいか。しかし、それはどこまでも「高尚な哲学」に留まり、人間の内面を受け止める側面は一人一人に投げ出されてしまう。その間隙を有象無象がつくのだろう。

非キリスト者の私すれば、近代日本のキリスト教の「茨の道」とは、まさに丸山眞男をして「心情キリスト者」と言わせしめた如く、憧憬すべき歩みだ。ずるずるべったりの日本教の如きを批判する絶対軸として。しかしその直系の南原繁の柔軟さは、その認識に「包摂」という新たな光を差し込む。いや面白い。
 


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書評:南原繁研究会編『南原繁と国際政治 永久平和を求めて』エディテックス、2014年。

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南原繁研究会編『南原繁と国際政治 永久平和を求めて』エディテックス、読了。昨年11月同研究会第10回シンポジウムの記録。講演を三谷太一郎先生「南原繁と国際政治 学問的立場と現実的立場」、パネル・ディスカッション「南原繁と国際問題をめぐって」。同テーマを多角的に検証する。

三谷太一郎先生講演「南原繁と国際政治」においては、第一次大戦後に要求された国際政治学の確立における南原繁の特色を「国際政治学への非実証的アプローチ」と捉え、その哲学的立場と政治的立場との相関関係こそ「現実的理想主義者」としての南原の原点と見る。

パネル・ディスカッションでは、南原繁とカント、フィヒテ、丸山眞男、国際政治秩序の将来をキーワードに、南原の理想・限界を提示することで、「時代の問題」と「次の時代の問題」に私たちが格闘すべき示唆を示す。国際と国内の統合がその鍵か。

本書第二部では研究会会員の論考を収録。国際的保健医療協力の平和論的意義(石川信克)では、南原の精神を活かそうと尽力する履歴が紹介されるが、南原繁の精神を活かそうとする多様な取り組みこそ、南原繁研究会のアクチュアリティであろう。

非常に示唆を受けたのはパネル発表の「南原繁とカント 植民地支配をめぐって」(愛甲雄一・シンポジウムのパネルディスカッション)。植民地支配を自明視していたカントは、1790年代初頭より批判的言辞へと転回するが、カントを敬愛した南原の場合はどうか。対比的に検証する。

同論考では、カントの植民地支配に対する批判を確認した上で、日本の植民地支配に対する南原のまなざしにメスを入れる。南原の理想と限界を理解することこそ、ポストコロニアル時代の私たちの創造性を具体的に刺激するであろう。

南原は民族的エスノセントリズムとは一切無縁だし、国際社会の公正性を誰よりも深く理解するが、「満州事変以前に獲得した植民地の保有は歴史的に考えて容認され得るもの」との理解であり、そこに「南原政治学に含まれている弱点」が見えてくる。

「帝国主義や植民地主義に対しては原理的に反対していたはずの民族主義者・南原においては、日本がかつて植民地を有する帝国だったという事実も、『二級』帝国臣民として日常的に人権侵害を受けていた朝鮮半島や台湾などの出身者たちの存在」が見えていなかった。

同論考の批判は手厳しい。しかし眼目は南原の「不明」を糾弾することにはない。「過去の様々な過失を知る『現在』という特権的な立場から、過去の人びとの至らなさを批判することには居心地の悪さ」が残るし、批判の終始こそ非生産的という。

人物の来し方やその思想を学ぶとは、御輿を担ぐことでも、紅衛兵の如き批判に終始することでもあるまい。その理想と限界を知ることで、今、生きている私たちが未来をどう展望するのか。「南原繁とカント 植民地支配をめぐって」はよき見本である。

「まず、差し当たりは、かつて南原には見えていなかった植民地支配を受けていた側の存在をしっかりと認識すること。これこそ、今の私たちには必要とされているのだと私には思われます。いかがでしょうか」との締めくくり。大賛成である。

序は研究会代表加藤節先生のシンポジウム挨拶文。「現在の日本で大変に目につきますのは、日本国憲法と旧教育基本法とに体現された戦後の理念や体制を葬ろうとする動きです」。南原を学ぶとは「戦後を理念をどう生し直すかを考える上で大きな指針」に違いない。

憲法九条改正、自衛隊を国防軍への改組、集団的自衛権の行使容認など、その「葬ろうとする動き」のひとつが1年をたたずに実現した。「現実」を「理念」に近づけることで、そうした軽挙妄動に抗いたい。 

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日記:南原繁研究会第10回シンポジウム 三谷太一郎講演『南原繁と国際政治 学問的立場と現実的立場』を拝聴して。


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twのまとめですが、記録として残しておきます。

南原繁研究会第10回シンポジウム 三谷太一郎講演『南原繁と国際政治 学問的立場と現実的立場』を拝聴して。本講演は、第一次世界大戦後に高まる国際政治学への関心という歴史的文脈に南原繁の足跡を位置づけ、哲学による「国際政治学序説」(1924)を翠点とし、その意義(副題)を確認するもの。

(問題は多いけれども)ベルサイユ体制は、パワーゲーム至上主義から国際協調主義への歴史的転換となる。その中で各国において「国際政治学」の必要性が唱えられた。本邦では実証主義的な蝋山政道をその嚆矢と見ることがきるが、全く対照的な非実証的=哲学的アプローチを試みたのが南原繁である。

1924年11月に開講した南原繁の特別講義「国際政治学序説」は、講座担当を嘱望され、欧州へ渡った南原の研鑽を披露すべきものだが、南原が最も力を注いだのは、三批判書をはじめとするカント哲学の研究。そこでカントの政治哲学をその国際政治論との関連から明らかにすることになった。

特別講義は、後に「カントに於ける国際政治の理念」(1927年、『国家と宗教』に所収)に結実するが、南原は、道徳上(価値論)では「徳と幸福との綜合」とされる「最高善」を、政治上(政治学)では「正義と安寧の結合」と読み解いていく。前者に後者が従属するが、二律背反の解消は必要とされる。

南原は政治上の最高善を永久平和と措定するが「『永久~』は政治が義務と法の原理によって規律せられ、これと調和するに人類の安寧・福祉の綜合せられたものとして、まさに実践理性の意欲の総体である」と規定される。優越は正義にあるが安寧を無視し得ない。ここに理想的立場と現実的立場の統合がある。

この世に実現すべき「理想」と、ぐだぐだな「現実」は南原繁においてはどこまでもパラレルなものではない。相互に批判的に向き合うことによって綜合されるべきのでなければならない。その道程として浮かび上がるのが太平洋戦争の終戦工作であり、戦後の全面講和論である。

ざっくりとした内容は先の通りですが、個人的に関心を持ったのは、南原が正義の優越を強調した(しながらも「安寧」の重要性を無視しなかった訳ですが)契機には、内村鑑三の日清戦争における義戦論の認識と構造があったという指摘(もちろん、その後の言説転回も含めて)。

なれ合いの欺瞞より正義を尊ぶ内村鑑三のjustification for war/righteous of warは国家益に介在されないことで担保される上位概念(ただし日本近代史はそれを裏切る)。その姿に南原繁の「正義」優先の基礎がある。

勿論、内村の楽天的正義感は領域制国民国家に「過ぎない」ものによって裏切られるし、内村は反省のうえ、議論を転換し、最後は再臨運動へ至る。ただ、理想主義的なるものを掲げつつ現実を批判し、現実から理想的なるものを着地させようとの努力の系譜は南原繁に受け継がれたといってよいのではないか。

以後、私見)内村鑑三のデッドコピーを矢内原忠雄に見出すとすれば、そのプラトンに対するアリストテレス的受容と展開は南原繁なのではないか、という点。両者の厳格/寛容さの違いにその匂いを感じることはできるが、在家であろうとする南原にはその苦渋と苦闘と実践の責任が感じられる。

理想を理想として高く掲げ保ち奉り、そこに容喙されたくないのは人の常だ。しかし、それを後生大事に保ち奉ることでそれが実現されるのかと誰何すれば難しいものがある。その意味で、洞窟の賢者・南原繁は、プラトン的というよりアリストテレス的というのが僕の実感だな。そこに公共性がある。

加えて、内村鑑三の日清戦争義戦論から日露戦争での不戦論までは人口に膾炙された通りの見本の如く解釈が定番化している。しかし、それは不戦論そのものも退けてしまう再臨運動を視野に入れない限りそのダイナミズムは理解できないのではないかという話。ここに内村の公共性もあるのではないかと。

実際のところ、僕自身は内村鑑三を尊敬して止まないけれども、どこかに「苦手」なところがある。まぶしすぎるというか、「苦味」が効き過ぎているというか。しかし、まさにその理想主義をどのように地の国とすりあわせていくのか、つうのは、南原がそうであったように弟子の課題なんだろうなあ、と。

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覚え書:「『南原繁と新渡戸稲造 -私たちが受け継ぐべきもの-』 EDITEXから刊行」、『週刊読書人』2013年9月27日(金)付。


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『南原繁と新渡戸稲造 -私たちが受け継ぐべきもの-』
EDITEXから刊行

 (有)EDITEX(エディテクス=東京都文京区本郷2-35-17コート本郷301)から南原繁研究会編『南原繁と新渡戸稲造--私たちが受け継ぐべきもの--』が刊行された。A5判212頁・2205円。
 これは毎年行われている南原繁研究会による南原繁についてのシンポジウムの第9回(2012年11月3日開催)の記録で新渡戸稲造生誕120周年記念として行われたもの。
 全体は、I南原繁と新渡戸稲造--私たちが受け継ぐべきもの、II南原しっげるをめぐって、といった構成になっており、第I部は、樋野興夫「講演、今ふたたび、新渡戸稲造 -新渡戸、内村、南原、矢内原、吉田富三から「がん哲学」へ-」、愛甲雄一・桜庭慎吾・小川瑞メグ・大井赤亥・山口周三「パネル・ディスカッション 新渡戸稲造の代表的著書をめぐって」、高木博義「閉会の挨拶」、草原克豪ほか「懇親会スピーチ」、第II部は堀数正「南原繁の文化価値体系-形成・展開・完結-」、鈴木英雄「南原繁と文学」、愛甲雄一「南原繁と中村春二-「中村春二先生の思い出」から-」、佐藤全弘ほか「書評再録」。
 なお南原繁研究会の既刊書としては、2007年から毎年、各A5判・税別定価で『宗教は不必要か-南原繁の信仰と思想』204頁・1420円、『真理の力-南原繁と戦後教育改革』306頁・1905円、『南原繁 ナショナリズムとデモクラシー』216頁・1900円、『無境界キリスト教と南原繁』256頁・2100円を刊行している。
    --「『南原繁と新渡戸稲造 -私たちが受け継ぐべきもの-』 EDITEXから刊行」、『週刊読書人』2013年9月27日(金)付。

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Go to the people


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Go to the people
live among them
love them
learn from them
start with what they know
build on what they have

But of the best leader
when the task is accomplished
the work is done
people all remark
we have done it ourselves
晏陽初(Yen Yang Chu)


南原繁研究会での印象録を少し残しておきます。

先の研究発表会では、結核予防会結核研究所所長・石川信克「国際医療協力の平和論的意義ーアジア・アフリカでの体験」から始まりましたが、石川所長が結核医療活動のなかで、大切なのは、「プログラムを持っていくのではない、プロブレムを発見するのだ」と語っていた点です。

氏は、大学院の教育現場でもこの言葉を大切にしているという。

そして、国際貢献の理想的ありかたとして、近代中国の平民教育・農村建設運動の指導者・晏陽初の詩を紹介されておりましたがこのところにつきるのでしょう。

南原繁研究会で僕が一番感動したのは、がん哲学外来や結核予防会結核研究等々……国内外の医療現場の話に見られるそれですが、南原繁の思想を活かしていこうという草奔の人々が存在し、そうした他者と関わっていこうという取り組みを試行錯誤しながら自ら行っていることです。

誰かに頼まれたとか、組織化された上意下達ではなく、啓発を受けた一人一人が動いている。その目標が素晴らしく、だれしもそうしたほうがいいようなことであったとしても、それが強制や号令によってなされてしまうのであれば、最終的には本来掲げたものとまったくことなる地平に着地することの方が多いことを勘案するならば、これはすごいことだと思います。


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